「中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #1」のつづきです。
きのうは、帰省Uターンドライブと、夕方のラグビーW杯の日本vsアイルランド戦のTV観戦で疲れ切りました(心地良い疲れ)ので、お休みさせていただきました。
さて、羽黒山の継子坂を下り、神橋を渡ると、いかにも霊場然とした川と滝
上の写真では見づらいのですが、滝(須賀の滝)は、祠(祓川神社)の裏側に落ちています。
随神門前にあった案内図によれば、
神山の裾を巡って流れることから祓川と呼ばれ、いにしえの参拝者は川の流れに身をそそぎ、心を洗ってから羽黒山へ赴いた。須賀の滝はこの祓川に掛かる赤い神橋の右方に見える滝で、明治まで不動明王を祀っていたことから不動滝と呼ばれた。滝は明暦3年(1657)に天宥別当(1630~68)が月山山麓水呑沢より引水し祓川の懸崖に落としたものである。
と、須賀の滝は「人工」とな
でも、人工とは言え、350年前に引いたというのですから、かなりの信念と労力がないとできないお話。
この天宥さん、「須賀の滝」の件に限らず、かなりのやり手だったようで、こちらのサイトによれば、
それまでのお山のしきたりを破って「改革」ともいえるやり方をしたため、不満を持つ地元山伏に訴えられ、伊豆の新島に流罪となり、羽黒山に帰山することはないまま同島で晩年を過ごしました。
ですって
そんな裏話も知らないまま、うん十年ぶりに、国宝 羽黒山五重塔にご対面
いやぁ~、イイ
素朴な素木造りながら、杉木立の中、木もれ日を浴びるその堂々たる姿は見事です
うまい具合に、「内部特別拝観」が行われておりまして、これ幸いと拝観いたしました。
拝観料500円をお納めすると、拝観券代わりの小さなお札(4cm×2cmくらい)をいただき、
さらに、神職さんから「畏み畏み申すぅ~」とお祓いしてもらった上で、五重塔の内部へ
仏塔の内部には、四方を向いて仏さまが鎮座されているものですが、羽黒山五重塔の場合は、
明治時代までは羽黒山の本地仏である聖観音菩薩を中心に妙見菩薩と軍荼利明王を両脇に安置していたが、維新後は大国主命を祀る。
だそうです。
そもそも、五重(三重)塔というもの、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を祀ることに起源を持っているものですから、仏教寺院につきものの「施設」。
それなのに、どうして出羽三山神社の神域に立っているのでしょうか?
これもいわゆる「神仏習合」によるもので、明治の世になるまでの1000年以上も、日本人は神様も仏様も一緒くたに崇拝していたんですな。
そして、羽黒山の五重塔は、説明板によると、
五重塔周辺は江戸初期に廃寺となった宝塔山龍水寺で、五重塔はこの龍水寺の塔であった。初重の須弥壇には、本尊の聖観音菩薩(総丈約1.5m)と脇侍に軍荼利明王と妙見菩薩(共に1.2m)の三尊が祀られ、前立として厨子に入った観音・軍荼利・妙見の三尊が安置されていた。
そうです。
ちなみに、こちらの記事で書いたように、春日大社にあったという東西両塔とか上野動物園の中にある五重塔(「旧寛永寺五重塔」と称していますが、もともとは、土井利勝が1631年に上野東照宮に奉納したもの)なんて例もあります。
明治政府が成立間もなく打ち出した「神仏分離令」と、政府の方針を受けた廃仏毀釈運動が、どれだけの文化財をなき物にしたことかと考えると、私は「神仏分離令」ってのは明治政府最悪の失政だと思っています。
羽黒山五重塔に祀られていた三尊像は、「明治以降行方不明」だそうで…
さて、今回の「羽黒山五重塔内部特別拝観」では、初層(1階)の中に入って、かつては四面の外に掲げられていた「小野道風筆と伝えられる四身額」とか、最上義光が五重塔を修理したことを伝える「五重塔覆鉢台座拓本」なんぞを拝見できました。
小野道風といえば三蹟の一人で、和様の基礎を築いた書家ということになっていますが、この「四身額」は、なんとも古風な篆書体
道風の篆書体の書って、他にあるのかね…
つづいて、五重塔の裏に作られた足場を登って、第二層の内部を覗き込みます。
が、私としましては、こけら葺の屋根とか、軒を支える組物をほぼ真横から間近にに見られたのがもう幸せぇ~ でございました。
ところでこの五重塔、フライヤーによれば、
国宝五重塔の建立に関して、慶長13年(1608)の最上義光が大修理した時の棟札に、「承平年中(931~38)平将門(903~40)建立」とあるが、現在の塔は建築様式から鎌倉・室町時代(1312~1495)と見られる。
だそうです。
また、説明板によれば、最上義光による大修理以降も、柱を何度か取り替えたり、屋根に至っては20~40年ごとに葺き替えを繰り返してきたそうな。
そして、現在の屋根は、2002年に葺き替えたもので、秋田杉の小板が使われているのだとか。
建てるのも一大事業ですが、維持するのも大変ですよねぇ
ということで、いよいよ出羽三山神社のメイン、三神合祭殿を目指して石段を登ります
中学2年の遠足のとき、この五重塔を観たこととか、三神合祭殿にお参りしたことは覚えているんだけど、石段を登った記憶はない どうしてなんだろ…
その謎については#3で。
つづき:2019/10/03 中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #3