「軍艦島上陸記(その1)」のつづきです。
高島を出港して5分も経たないうちに、船の右舷から軍艦島(端島)の姿が見えてきました。
軍艦島の右に見えるこんもりした島は、長い間、軍艦島の「裏庭」のように活用されていた(らしい)「中ノ島」です。
軍艦島は、ホント、軍艦のように見えます
私の乗った船はグングンと軍艦島に近づき、乗客の興奮が高まっているのが感じられます。
ここまで近づくと、「人工」の造形って感じがします。
そして、島の北部(右側)をズームアップしますと、、、
「何があったんだぁ~」と叫びたくなるような廃墟…
正面に見える65号棟(従業員の寮)、右の70号棟(端島小中学校)、そして、左にすっくと立っている端島神社(拝殿は倒壊したしまった由)…。
リーフレットによると、端島小中学校は、
1958(昭和33)年に建設された現存の建物は7階建てで、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書館、音楽室、7階には理科室などの特別教室が設けられていました。1970(昭和45)年には体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターもありました。
だとか。
ということは、島に建つ建物(最高は65号棟の10階建て)にはエレベーターがなく、みんな階段を上り下りしていたということですか?
現在の規格(条例や指針)では、実質的に6階以上の建物にはエレベーターの設置義務があるようですから、これまた「規格外れ」の建物です
そして、10:35、ついに軍艦島に接岸
なんだか「古代遺跡」のようです。
山の上の構築物なんて、「中世の砦です」と説明されたら、簡単に信じてしまいそう…
この「山の上の構築物」、ホントは、貯水槽だとか。
確かに、貯水槽の左側から斜面に沿って導水管が伸びていますが、貯水槽にしてはドデカ過ぎる規模と、丘の頂上に鎮座するそのたたずまいからは、やはり「中世の砦」の雰囲気が漂います。
でも、40年前までは何千人もの人が暮らしていた島なんですナ、これが…
正直、軍艦島には、40年間でここまで崩壊するものかという信じがたい光景が広がっていました。
「第1見学広場」から北東方向を眺めると、正面に見える70号棟(端島小中学校)の屋上は崩壊寸前にひしゃげているし、振り返ると、
巻き上げ機の鉄骨が完全に崩壊しています…
高島で観たジオラマによれば、こんな姿をしていたはずなんですが。
閉山後、会社の設備の一部は意図的に破壊されたのだそうですが、この巻き上げ機は自然に崩壊してしまったのだとか…
「家は空き家になると痛みが激しくなる」と聞きますけれど、放っておいただけで、ここまで崩壊するものでしょうか
例えば、横倒しになってしまった岸壁とか、
もとの姿が想像できないレンガ造りの柱とか…、
軍艦島の施設のほとんどは、繰り返し、大風や大波に襲われることで、こんな姿になってしまったのだそうです。
聞きしに勝る廃墟っぷりに、アワワ…(「あまちゃん」ならじぇじぇじぇ('jjj')…)な私でした。
まだまだつづく…
2013/06/02 軍艦島上陸記(その3)