新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

オープンしたばかりの美術館に行ってきた

2022-10-29 14:22:53 | 美術館・博物館・アート

昨夜、書棚から雑誌「東京人」2010年4月号を引っ張り出してきました。

この号の特集は「美術館をつくった富豪たち」で、表紙にフィーチャーされているのは、尾形光琳燕子花図屏風(左隻)」(根津美術館)曜変天目(稲葉天目)」(静嘉堂文庫美術館)普賢菩薩騎象像」(大倉博古館)で、私は、幸いにも3点とも直に拝見したことがあります。しかも、その1点は昨日お会いしてきたばかり

というのも、昨日、今月1に丸の内の明治生命館移転・リニューアルオープンした静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)に行って、「響きあう名宝-曜変・琳派のかがやき-」を観てきたのです。

これまで静嘉堂文庫美術館世田谷区岡本にある静嘉堂文庫の本拠地で公開されていましたが、正直、交通の便の良くないところで、私は一度も行ったことがありませんでした。
それが、静嘉堂文庫(岩﨑彌之助・小彌太父子のコレクション)創設130年を期に、交通至便な明治生命館に引っ越してきたのです。
そして、「静嘉堂創設130周年 新美術館開設記念展Ⅰ」と冠して開催されている「響きあう名宝」展は、静嘉堂文庫が所蔵する国宝7点一挙公開 というのですから、この期を逃すものか でした。

なお、会期は12月18日までですが、風雨山水図 (伝 馬遠)」禅機図断簡 智常禅師図 (因陀羅筆、楚籍梵琦題詩)」源氏物語関屋澪標図屏風 (俵屋宗達)」の3点は11月6日までの公開ですのでご注意ください。他の倭漢朗詠抄 太田切曜変天目(稲葉天目)予中峰明本尺牘 (趙孟頫)」太刀 銘 包永 (手掻包永)」の4点は会期中ずっと観られます

この展覧会も日時指定方式だったのですが、それでも混んでました
もともと展示スペースがさほど広くないことに加えて、音声ガイドを利用しているシニア女性が多くて、彼女らは、ほんと、ショーケースの前から動かない
でも気づきました 順不同で見物していて、人混みが途切れたところを見計らって人気作品鑑賞すれば良いのです
こうして、観るのを半ばあきらめかけた茶入2「大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子」「大名物 唐物茄子茶入 松本茄子」を間近にじっくり拝見できました。
なのですが、例によって私、茶道具にはイマイチなんです

それでも、その来歴を見ると、作品そのものを見る眼が変わってくるような気がします。
茶道具や刀剣は、その来歴ひれ伏すことが多いもので、「付藻茄子」足利将軍家⇒山名豊重[中略]⇒松永久秀⇒織田信長⇒豊臣秀吉⇒有馬則頼⇒豊臣秀頼⇒徳川家康⇒藤重藤元⇒今村長資⇒岩崎彌之助⇒岩﨑小彌太⇒静嘉堂「松本茄子」山名氏⇒[中略]武野紹鴎⇒今井宗久⇒織田信長⇒今井宗久⇒豊臣秀吉⇒豊臣秀頼⇒徳川家康⇒藤重藤巖⇒今村長資⇒岩崎彌之助⇒岩崎小彌太⇒静嘉堂というもので、なんという顔ぶれでしょう

蒼々たる戦国武将や天下人が愛蔵した名品を手にした岩崎父子は、に対する純粋な喜びと共に、その来歴に自分たちの名前を加えることに誇りを抱いたのでしょう。

   

日本の国宝(2022年10月1日現在)は、建造物が229件(292棟)、美術工芸品が902件あります(出典)美術工芸品について都道府県別件数を見ると、1位:東京 (286件)、2位:京都 (185件)、3位:奈良 (142件)、4位:大阪 (57件)と、東京が他を圧倒しています。こちらで書いたように、寄託品を含めると東京国立博物館(トーハク)だけで143件も収蔵しているのが大きいのですが、静嘉堂文庫のような「富豪系コレクション」もまた東京に集中しているのがその要因でしょう。

静嘉堂文庫三菱系で、三井には三井記念美術館があり、住友には泉屋博古館があります。
三大財閥の他にも、富豪のコレクションを常設展示している都内の美術館としては、大倉集古館国立西洋美術館(松方コレクション)アーティゾン美術館(石橋コレクション)五島美術館畠山記念館出光美術館根津美術館山種美術館太田記念美術館平木浮世絵美術館などなど枚挙にいとまがありません。ちょと毛色が変わったところでは、細川家の伝来品に細川護立のコレクションを加えた永青文庫なんてのもありますな。
蒼々たる顔ぶれですが、大コレクターがいません
「大茶人」と称された益田(鈍翁)孝松永(耳庵)安左エ門のコレクションはどうなった?
鈍翁コレクションは戦後散逸耳庵コレクショントーハク福岡市美術館を中心に寄贈されたそうな。ちなみに、松方コレクションのうち浮世絵トーハクに寄贈されています。

それはそうと、明治の日本経済の立役者、渋沢栄一の名前が見当たりませんな
雑誌「東京人」から鹿島茂さんの発言を引用しますと、

井上(馨)と親しかった渋沢栄一コレクションしていませんが、引退後の明治42(1909)年に、「渡米実業団」の団長として、日本の実業家たちをアメリカに連れて行ったことがあります。アメリカの実業界の人間たちと知り合わせるために。そのとき同行したのが、根津嘉一郎。この人は、初期はひじょうに評判の悪い人だった。ぼろ買いの根津と言われるほどで、とにかく、クズみたいになった会社を買い叩いて再興させることでお金持ちになった人。しかし、渋沢とアメリカに行って、カーネギーワナメーカーといった人々の社会福祉活動を見て、それまで会社と金にしか興味のなかった根津の目が開く。それから、いろいろな社会貢献やコレクションをやったみたいです。
安田財閥の安田善次郎も、晩年には東大に安田講堂を寄付しています。功成り名を遂げた人間が、金儲けだけだと恥ずかしくなるという風潮ができていきました

だそうです。日本経済の種蒔く人だった渋沢らしいお話です

   

ここで「響きあう名宝」展にもどりまして、国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」俵屋宗達⇒「鵜舟図」尾形光琳⇒「麦穂菜花図」酒井抱一⇒「雨中桜花楓葉図」鈴木其一とつづく琳派の流れが眼福でした。
とりわけ、酒井抱一、いつ、どの作品を観ても、上品静謐で、実にイイ

そして、この展覧会の目玉ともいうべき「曜変天目(稲葉天目)」、さすがでした
この世に3腕しか現存していない超貴重曜変天目茶碗をガラス越しとはいえ至近から眺める幸せ
これでお茶を点てたらどんな風景になるんだろ、飲んだらどんな気分なんだろ。
図録によると、

小彌太「名器を私に用いるべからず」と生前一度もこの茶碗を使用することはなかった[中略] 岩崎家において唯一、曜変で茶が点てられたのは小彌太三回忌、熱海別荘の仏間で、孝子未亡人が仏前で献茶をしたときのみであったとされる。

だそうです。
小彌太さんの思いは、「自分にこの茶碗の守り役が廻ってきた」という喜びと、完璧な形で次の世代に引き継がなければならない責任感だったのかもしれません。

ということで、「響きあう名宝」展の見聞録はおしまいです。
ちょっとした展覧会の観覧料が2,000円「普通」になってしまった昨今、この内容で1,200円CPが相当高いと思いました。
静嘉堂@丸の内は、JRや地下鉄の各駅からも近く、今後はご贔屓したいと考えています。

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「国宝 東京国立博物館のすべて」展を観てきた (後編)

2022-10-26 21:50:17 | 美術館・博物館・アート

「『国宝 東京国立博物館のすべて』展を観てきた (前編)」のつづきです。

私が予約した11:30「国宝」展の会場である平成館に行ってみると、

おぉ、大行列です

でも、大きな企画展も時間指定が無い場合は開館直後が一番混みますし、コロナ禍以降、時間指定が一般的になると、その区切りのタイミングが一番混みますから、完全に想定内でした。
私は喫煙コーナーでお茶を飲んだり、煙草(電子タバコ)をふかしたり、スマホをいじって、行列が短くなるのを待ちました。
私の時間指定「11:30~12:30」ですが、この時間帯は、モギリ通過の時間で、一度入ってしまえば時間制限はありません。入口には鑑賞時間について「90分以内」と表示されていますが、あくまでも目安です。

そして12:00寛永寺の鐘が鳴る中、ようやく私は、最盛期の半分くらいまで短くなった行列に並び、入館しました。

   

「国宝」展は、最後のコーナーを除いて、写真撮影禁止です。

トーハク総合文化展(平常展)では、寄託作品の一部を除いて写真撮影可で、「国宝」展に出品されている作品も、普段なら写真撮影できますが、人出を考えれば、写真撮影禁止にしなければ、観客が滞留してしまうし、シャッター音がやかましくて仕方なかったでしょう

そんなわけで、私が「国宝」展で撮ったのは最後の菱川師宣「見返り美人図」だけ(しかもピンボケ)でして、この記事では、過去に私がトーハクで撮った写真を使います。

で、最初の長谷川等伯「松林図屏風」から凄い人

「松林図屏風」は、毎年正月に展示されるのが通例になっていて、狙って観るのが簡単な作品なんですけど、観客が群れています

こりゃ、観た頃のある作品は、作品を間近に観るのはあきらめて、人混みの後ろからざっと拝見して、展覧会の雰囲気を楽しむことにしました。

さっそく、久隅守景「納涼図屏風」を観ている若い女性の会話に思わず吹き出しそうになりました。

上半身裸で夕涼みしている女性について、「こんな格好で外にいたら、虫にさされるよねぇ」ですと… 確かに…

さて、屏風や表装された絵画はまだマシで、とても観る気が起きないほど混雑していたのは「平治物語絵巻」でした

どんな展覧会でも絵巻混雑が厳しくて、なかなかじっくりと鑑賞することができないもの。
この点、2021年4~5月の「国宝 鳥獣戯画のすべて」は、展示室内に「動く歩道」を設置して観覧者がじっくりと作品を鑑賞できるようにした素晴らしい展覧会だったと、つくづく思いました

また、コーナー全体で全ての作品の前に観客ビッシリと集中していたのが刀剣コーナーでした。

相変わらずの刀剣人気痛感 です
期間を通じて、トーハクが所蔵する国宝の刀剣すべて同じコーナーに展示されるというのは、刀剣ファンにとっては「夢の空間」なのでしょう。

そんな刀剣コーナーで、私が、唯一じっくりと拝見し、そして響いたのは、拵(こしらえ)「梨地螺鈿金装飾剣」。これ、観たことはなかったような…
高級公家(こんな表現はあるのか?)儀式で佩用した拵で、なんとも優美 でした。

   

過去数年にわたって、何度も何度もトーハクの総合文化展を楽しんできた私、初めて拝見する作品は、極めて少なくて、そりゃそうだよな、って感じでした。

しかし、「第2部  東京国立博物館の150年」は、国宝は1点も展示されていないものの、初めて拝見するものが多くて、とてもとても楽しめました

とりわけ、孝明天皇明治天皇が実際に使ったという「鳳輦」眼福でした。
昔、教科書で、鳳輦に乗った明治天皇江戸城に入城する錦絵を見た記憶がありますが、これがあの鳳輦現物 と感慨もひとしお…。

鳳輦の他にも、「皇室から引き継がれた名品」として、「内親王女房装束」という十二単の一部が展示されていて、これは、

孝明天皇の妹で、第14代将軍徳川家茂に降嫁した静寛院宮(和宮親子内親王)が所用していたと伝わる女房装束の一部

だそうな
それにしても、鳳輦とか内親王女房装束どうしてトーハクにある? です。

図録によれば、鳳輦は、宮内省所管東京帝室博物館だった明治39(1906)年に宮内省式部職から引き継がれたそうですが、内親王女房装束は、

明治23(1890)年に(宮内省)調度局より帝国博物館歴史部第六区に引き継がれ、戦後宮内庁に引き継がれて、長く所管が明らかにされないまま当館の収蔵庫に保管されていたが、平成30(2018)年に当館の収蔵品として登録された。

ですって なんといいかげんな…

一方で、「博物館初期の収蔵品」として展示されていた作品は「お馴染みさん」が多かった。

菱川師宣「見返り美人図」とか、(猪目)が印象的な小早川秀秋所用と伝えられる「陣羽織 猩々緋羅紗地違鎌模様」とか、

鈴木長吉「鷲置物」とか…。

この作品を観ていると、ついつい2日前の記憶がよみがえって、

鷲の背人影が見えるような気がしました

   

「国宝」展に入場する際、「国宝スタンプカード」「国宝カード」を受け取りました。

トーハク「博物館でお花見を」のように、展示室内のいくつかのポイントにスタンプエンボッサーが置かれているのかと思ったところ、違いました

「前編」で書いたように、トーハク所蔵の国宝89件をすべて観ようとすれば、12月11日までの会期中に、下記の4回行かなくてはなりません。

10月18日~10月30日
11月 1日~11月13日
11月15日~11月27日
11月29日~12月11日

このに入場する毎にスタンプをもらえて、スタンプ 2個「国宝カード」を1枚3個でさらに1枚4個でさらに1枚もらえて、3つのスタンプを集めると、「東博国宝博士認定証」をもらえて、さらに抽選「国宝カード全89セット」をもらえるというものだそう。

でもねぇ~、前述のとおり、国宝は以前に拝見したものがほとんどだし、人だかりでよく見えないし、入場料は2,000円もするしで、私が、もう2~3回、「国宝」展に行くことはあり得ない気がします。

でも、一度は「国宝」展は観る価値があると思いますよ。
あれほどの数の国宝を、あの時間で、あの歩行距離で観られるなんて、あと50年はあり得ないでしょうから

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「国宝 東京国立博物館のすべて」展を観てきた (前編)

2022-10-25 23:07:05 | 美術館・博物館・アート

先週火曜日10月18日から東京国立博物館(トーハク)で始まった特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を観てきました。

国宝に指定されている美術工芸品902件(2022年10月現在)だそうで、その1割近い89件を所蔵しているトーハクが、今年創立150周年を迎えたことを記念して、12月11日までの2か月弱の間に、所蔵する国宝すべてを公開するというのですから、空前絶後の展覧会です。

もっとも、会期中いつでも観られる作品は刀剣、考古、法隆寺献納物の一部だけで、全89件を観ようとすれば、少なくとも4回行かなくてはならないらしい。
これはトーハクが意地悪をしているわけではなく、文化財(国宝・重要文化財)の公開についての規定があるからです。
その規定が具体的にどうなっているかといいますと、

というわけで、この展覧会の担当者は、規定最近の展示実績今後の展示計画を勘案して、各作品の展示日程を決めたのでしょう。まるで超複雑なパズルです。

無料日時指定券(スマホ版)さて、トーハク始まって以来の国宝大集結ですから混雑必至 そこで、完全日時指定制になっているわけでして、私はすかさず、ネットで無料日時指定券getしました。
「無料」なのは「東京国立博物館 友の会」特別展観覧券を使うからで、顔パスではございませぬ

   

そして、私は10:40にはトーハクに到着。

と、ほぇ~

「本日のチケットは完売いたしました」ですと

先週末、「国宝展がメチャ混みしている」という情報は得ていたのですが、平日でも、午前中からこれですか

あなどれませぬ…

で、私は、予約時間まで、約1時間にわたって、本館2階を観覧しました(本館1階東洋館考古展示は10日前に観た:記事)

トーハクが収蔵している国宝は、平成館で大公開中の所蔵品89件だけでなく、寄託を受けているものが54件もあって、いつ行っても、総合文化展(平常展)では何点かの国宝にお目にかかれるのが常です。
ところが、10日前もきょうも、総合文化展では国宝の姿はありませんでした。
寄託品の国宝は、国宝展が閉幕した後の展示ために「休憩中なのでしょう。

でも、国宝は観られなくても、十分に楽しめるのがトーハクです。

例えばこちら。

長谷川等伯「松林図屏風」です。
「国宝」展の冒頭を飾っているはずなのになぜ?
ですが、実はこれ、プロジェクションマッピングです。んなもんで、まで降らせたりして、やりたい放題
これは「未来の博物館」というデジタル技術を駆使した特別企画の一つで、「花下遊楽図屏風」「納涼図屏風」「観楓図屏風」と併せて国宝屏風4点「高精細複製品」で楽しめました。

それと、菱川師宣「見返り美人」から着物だけが現実に飛び出してきたこちら。

絵で観るよりもずっと華やか。そして、当時の日本人女性の体格に合わせたのか、かなり小柄です。

このあと「国宝」展を観て知ったのですが、1970年代までは、衣装は精巧なマネキン「生(いき)人形」着付けて展示したそうです。現在は、「作品の安定的で継続的な保管の観点から」衣桁に掛けて展示しているとな。
和服は洋服と違って、着ていないと平面ですから、ホントは、マネキンに着せた状態360°から観られるようにするのが理想ですよねぇ

また、特集展示「東京国立博物館の模写・模造ー草創期の展示と研究ー」も面白かった

昔の一万円札を思い出す御物「聖徳太子二王子像」模本(菅蒼圃・模)です。

私、この現物を、拝見したことがあります

草創期の東京国立博物館では、多くの模写・模造作品が作られました。これらは文化財の記録として、また展示品の足りない分野を補う役割が期待されていました。 外部の専門家に制作を依頼し、館内で専属の職員を雇用したほか、積極的に購入を進めました。

なのだそうで、他にも、菱田春草による普賢延命像(模本)」とか横山大観による四季山水図のうち夏景 伝雪舟等楊筆(模本)」も拝見できました。

現代では、作品が制作された当時の技術を研究することがメインの目的になっている「摸造・模本」ですが、昔は、展示品を補うという寂しい目的があったとは…
確かに、トーハク150年の歴史を振り返る上では重要な「摸造・模本」たちだと思いました。

模本はこの特集展示だけでなく、通常の展示室にも目を惹く作品がいくつもありました。
まずは、この夏に「日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱」@東京藝術大学大学美術館で久しぶりに拝見して、その美しさにほれぼれした「春日権現験記絵」の模本。

トーハクの模本は、

前田氏実、永井幾麻の二人が10年近くの歳月をかけて全20巻を写しています。原本の絵具の剥落や損傷、絹の様子なども忠実に再現した現状模写です。に描かれたにもかかわらず、原本の絹の質感をも再現しています。

だそうです。確かにお見事

それと、おぉっと思ったのが、こちらの「扇面法華経冊子(模本)」でした。

説明文によりますと、

現在四天王寺が所蔵する国宝「扇面法華経冊子」5帖のうち43図を模写したものです。法華経の経文は写さず、下図のみ剥落をそのまま写す現状模写をしています。当館と東京美術学校が共同で行った模写摸造事業において、美術学校教授の小堀鞆音寺崎広業が写しました。

で、出たぁ~ 寺崎広業 でした。

寺崎広業の作品は、帰省した際に地元の美術館で何点も観ていますし、Wikipediaの記載にこんなところがあります。

明治10年(1877年)には太平学校変則中学科(現秋田県立秋田高等学校)に入学するも一年足らずで退学。10代半ば独り秋田に帰り牛島で素麺業をやったりしたという。

これでは私が色めき立たざるを得ないではありませんか

   

豊富なコレクションを背景に、いつも季節感あふれるトーハクの総合文化展(平常展)の中でもひときわ季節感が爆発している浮世絵のコーナーがまた凄かった

トーハクのHPでは、

和歌の名所である六玉川を題材とした作品の中でも、秋にちなむ歌が詠まれる「擣衣の玉川」(摂津国・大阪府)と「萩の玉川」(近江国・滋賀県)を中心に、菊や萩、紅葉など秋の風情を感じさせる作品を加えて展示します。

とありますが、ひたすら「砧(きぬた)」を描いた作品が続いている感じでした。

鈴木春信「六玉川・擣衣玉川・相摸」の説明文では、

六玉川のうち摂津三島の玉川は、宇津木の花で知られ、擣衣(とうい)の玉川と呼ばれました。擣衣とは布を小づちで叩いて柔らかくすることをいいます。源俊頼(ここでは相模とされる)「松風の 音だに秋は 淋しきに 衣うつなり 玉川のさと」を記した色紙が添えられています。

とあります。
布を叩いて柔らかくする「砧打ち」は、恐らく年間を通して行われた作業だと思うのですが、和歌や俳句の世界では「秋のものになっているようです。
夜に響く砧打ちの音が、秋のもの悲しさを募らせるということなのでしょうか?
虫の音を感じること以上に、砧打ちの音を感じるところには、日本人の感性が現れていると思います。

とかなんとかしているうちに、私が「国宝」展の入場予約している11:30が近づいてきました。

きっと「11:30~12:30入場」の観客列をつくっているのだろうな、と思いつつも、本館を出て、会場の平成館に向かいました。

「国宝」展の見聞録は「後編」で。

つづき:2022/10/26 「国宝 東京国立博物館のすべて」展を観てきた (後編) 

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MISIA THE GREAT HOPE 武道館 3 daysのこと

2022-10-24 17:27:07 | MISIA

先週金曜日、10月21日、「Yakult presents 25th Anniversary MISIA THE GREAT HOPE」開幕しましたぁ~

私は、日本武道館での 3 daysに参加して、フライング 25周年を祝福してきました。

このツアーが発表されたとき、そのお値段12,500円の均一料金で、直前の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」よりかなり高く、また、初の一律1万円超えになった「MISIA CANDLE NIGHT 2022 PEACE OF MIND」よりもさらにお高いということで、あちこちでザワザワしていました。
これまでも、特別な席や特定の公演に限って1万円超のときもありましたが、ツアーの全公演一律1万円超というのは初めてで、こりゃ稼ぐ気満々だ なんて声があったくらい。
でも、最初に書いておきますが、あのライヴならまったく高く感じられないし、私の2日目の座席なら2万円でも惜しくはないと思いました。ホントです。
実際、終演後にミー友さんたちと話しても、「あれは高過ぎるなんて不満を漏らす人は皆無で、逆に、「もっと他の公演のチケットを取っていればよかったという声が多い状況でした(私もその一人)。
ちなみに私が行ったコンサートで一番高価だったのは、「THE ROLLING STONES A BIGGER BANG TOUR」(2006年)で、A席:28,000円。このお値段で、座席は眺めの良い さいたまスーパーアリーナ400レベル なんですから、さすがはストーンズです。

値段の話から離れて、今朝のTVやネットのネタバレ未満のレベルで、至福の武道館 3 days を振り返ります。

   

先日の記事「MISIA THE GREAT HOPE TOUR が間もなく開幕」で、1曲目を予想しようとしましたが、「論理的に考えたところで当たるはずもない」と、「オープニングで聴きたい曲」ベースで、

:木洩陽の記憶
Higher Love
K.I.T
INTO THE LIGHT

としました。
そして、開演
流れてきたイントロは、わおぉ~~、数あるMISIAのRemixの中で、私が一番好きな あの曲あのRemix 
どうしてこの曲を「オープニングで聴きたい曲」に入れなかったんだぁ~ と、最近の私の競馬の予想と同じような結果となりました。

さらにつづく曲、つづく曲と、怒濤名曲・名Remix 連発

この序盤で、私は武道館 3 daysのチケットを取った自分の判断の正しさを自賛しました。

ここで3 daysのセットリストを載せておきます。
例によって、自発的にクリック(タップ)した人だけが見られるようになっています。

このセットリストは、まさにMISIA 25年の歴史を振り返るにふさわしいものだと思います。
過去の名曲から最新のリリース曲まで新旧取り混ぜて、そして、どの曲もイイ
初めてで聴く曲が2曲あって、その片方では、初日にMISIAが入っていけなくてやり直しするヒトコマがありましたが、これはこれで「ご愛敬」ってヤツ
もう一方の曲は、なんと感動的
3日とも、涙腺が決壊寸前でした
この曲は、別のクラスターからMISIAファンを新たに大量獲得できそうな気がします。3週間後が楽しみ…

それはさておき、ライヴでのMISIACD/Web音源よりもずっとずっとイイのは、「MISIAあるある」ながら、新曲でさえもそうだというのは凄いことだと思います。もう一つのリリースされたばかりの曲は、過去のライヴでも聴き、TVの音楽番組でも聴きましたが、そんなに時間が空いていないにもかかわらず、聴くたびに進化していることに驚かされます。
「さよならも言わないままで」2020年を象徴する曲の一つになったように、この曲も2022年を象徴する曲になるに違いありません

   

ちょっとしたホールではステージ上に並びきらないのではないかと思えるほど大人数だったバンド、コーラス、ダンサーは、そのほとんどの方が、過去にもMISIAのライヴに登場していました。いや、これまた、最近のライヴでお馴染みの方がいれば、かなり懐かしい方もいて、ここでも「25th Anniversary」にふさわしいキャストだったと思います。
そして、もちろん、皆さんそろって超一流
だからアレンジとか「掛け合い」日替わりでできる… これだからMISIAのライヴツアーは、同じツアーでも何度も行きたくなってしまうのです
今回驚いたのは、とあるプロモーションビデオ()に合わせたインストルメンタルまで日替わりだったこと ストリングスは譜面を起こしているのでしょうけれど、他のメンバーはストリングスを念頭に置きつつ即興でやっているんだろうなぁ

ここで、おそらく東京3日目(10月23日)限定だったと思われるネタバレを。
この日、鈴木明男さんをフィーチャーしたインストメンタルナンバーが演奏されたのですが、曲は「My Way」
正直、ベタなスタンダード曲ですが、なんとも染みる演奏だと思いました。
と、その夜、ボスがこんなTweetをしていました。

ボスのTweet

23日は仲本さんの葬儀・告別式だったんですねぇ。
仲本さん「MISIA星空のラジオ」ゲスト出演された(2018.09.25)ことがあるし(そのときの「いい湯だな」のスタジオライヴが、私のスマホの呼び出し音)MISIA平成武道館」のときにはMISIA「この武道館で最初に演奏をしたミュージシャンはザ・ドリフターズですからね」と紹介したくらいですから、ボスもMISIAも、仲本さんの葬儀のことは頭にあったはず。
それをその場で明らかにせずに鎮魂の「My Way」を明男ちゃんに演奏していただくなんて、やるじゃないか、ボス

   

だんだんとりとめが無くなりつつありますので、ここいらで締めましょうか。

「MISIA THE GREAT HOPE」は、やはり「THE TOUR OF MISIA」系のライヴでした。こちらで、

打ち込みあり、ダンサーたっぷり、ド派手ステージセットあり、キラキラテープありの「THE TOUR OF MISIA」系だとすれば…

と書いたのとはビミョーに違うのではありますが、それでもなんともハデで、ゴージャスなライヴでした。
次の私の参加12月18日の静岡(袋井)で、8週間も間隔が空いてしまいます
名古屋公演にもエントリーしておけばよかった…と思うものの、チケットは既に完売

静岡のあとは、1月末大阪公演で、2月宮城公演からは最後まで「毎週MISIAです。
時の経つのが早すぎるのは困りものですが、あの武道館 3 daysから更に進化するであろうことからすれば、やはり楽しみです。

これからに参加される方、期待しすぎるくらい期待して大丈夫ですよ

【追記】ひとつ「雄叫び」を書き漏らしてた。
  コール & レスポンスしたい~~
  最後に「MI~SIA~と叫びたい~~ (2022/10/24 19:43) 

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3日連続で美術館・博物館に行った話 #3 [完結編]

2022-10-21 08:58:55 | 美術館・博物館・アート

「3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-2」のつづきは、3日目東京国立博物館(トーハク) の探訪記です。

10月14日 東京国立博物館

私がトーハクに行った10月14日は鉄道開業150周年の記念日だったのですが、トーハクにとっても、今年は150周年を迎える節目の年で、今週火曜日 10月18日から、トーハクが所蔵する国宝89件すべてを公開するという特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が始まりました。

14日は特別展の端境期ということで、ほどほどの人出。でも、修学旅行生が集団でいたり、長いこと見かけなかった外国人の観客がいたりと、コロナ禍から回復途上にある感じがしました。

この日の一番のお目当ては、ミュージアムシアター「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」を視ること。
10月25日には「国宝 東京国立博物館のすべて」展日時指定予約を取っていますので、10日後にはトーハクに行くことは確定してはいるのですが、「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」10月16日で終わってしまうプログラムでしたから。

ですから、正午ちょい過ぎトーハクに着いた私は、まず、東洋館地下のミュージアムシアターに行き、13:00の回のチケット (600円)を購入し、それから、東洋館を見物しました。
昼食は、空腹感がなかったことから、ミュージアムシアターを見終わったあと。

エレベーターで最上階まで上って、階段で下りてこようと考えて、最初は朝鮮の古物。

ここで「ん?」と思ったのがこちら。

朝鮮で出土した勾玉です。
勾玉って、日本独自のものじゃなかったのか? と思いながら(かの国の人たちはなんでもかんでも朝鮮発祥と言いがちだから、太極から発想したもの」と主張しそう…)、展示室の隅に移動してググったら、こちらによると、

勾玉日本独自の形の玉で、朝鮮半島南部の古墳出土のものは日本よりの伝来品とされている。

だそうです。

さらに「ん?」と思うものに遭遇しました。

これは馬の鞍の後ろにつけて、旗を立てるための鉄器でしょ。

説明板を転記しますと、

寄生(きせい) Flagpole Holder for a Saddle
韓国梁山夫婦塚出土 三国時代(新羅)・6世紀
左端の部分を鞍に固定し、右端の部分に旗竿をつけるための道具です。高句麗の古墳壁画や日本の形象埴輪にも寄生の表現が見られます。梁山夫婦塚では、なぜか寄生だけほかの馬具から離れた位置に副葬されていました。寄生とは中国の歴史『南斉書』で使われている名前です。

やはりそうでした
同じトーハク考古展示室にも同様のものが展示されているけれど、あちらは「蛇行状鉄器」という「馬具」だとしか判らないそっけない展示だったはず。

そこで、このあと、平成館1階の考古展示室まで観に行きました。

ほら、同じ
でも、説明板は、

と、やはり「馬具」だとしか判らない
私は、この「蛇行状鉄器」が、旗を立てるための馬具だということを埼玉(さきたま) 古墳群を見学したときに知りましたけど、このトーハク説明不足何事なんだろねぇ~
学芸員さん何かに不満ですねているような感じです

   

つづいて中国の書画に移動して、この「二祖調心図軸」(伝石恪筆 南宋・13世紀) がイイ

いやぁ~、もふもふしてます
この作品の表装、メインの「一文字」「葵の御紋」が織り込まれているみたいです。徳川 or 松平家伝来の品なのでしょうか?

とかなんとかしているうちに、13:00が近づき、ミュージアムシアターに移動しました。

そして、「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」を鑑賞しました。
北京の故宮から、最盛期の乾隆帝時代の太和殿(日本の大極殿紫宸殿に相当する公的なメインの建物)、皇帝のごく私的な憩いの小部屋・三希堂、乾隆帝の隠居所・倦勤斎VR(仮想現実)で体験する、という内容で、かなりかなり楽しめました

この3つの建物・部屋のうち、太和殿には実際に行きましたし(写真は太和殿の殿上から太和門を見下ろしたもの)

三希堂は、トーハク「北京故宮博物院200選」展 (2012年)の際、平成館の展示室内に実物大で再現されたもの(ホントに小部屋)を楽しみました(記事)

「三希堂」は、乾隆帝秘蔵の名品、王羲之「快雪時晴帖」王献之「中秋帖」王珣「伯遠帖」つのな品を楽しむ宇」ということで名づけられたそうな。

一方、倦勤斎は、その名前の由来は説明されませんでしたが、乾隆帝の隠居所として建てられたことからして、めるのにんだ先帝の書といった意味なのでしょうかねぇ
でも、建物の中は、劇場はあるは、ほとんどの部屋に「玉座はあるはで、庶民の私は、こりゃ落ち着けない…と思いました。
実際、退位したあとの乾隆帝はひきつづき政務に忙しく倦勤斎はほとんど使われなかったそうです。
こんなに立派な建物を建てたのになぁ

それにして、どの建物も、どの部屋も、どの調度品も、「書」に覆われていて、あれで乾隆帝は和めたのか、ちょいと疑問でもあります。

ふと、中共国台湾の統合にしゃかりきになっているのは、蒋介石率いる中華民国政権が、明・清の財宝を持って台湾に渡ったことで、台北・故宮博物院北京・故宮博物院よりも遙かに優れたコレクションを所蔵していることに、その一因があるのではないかと考えています。
つまり、明⇒清⇒中華民国⇒中共国という支配の正統性が、伝承の財宝が欠けていることで損なわれていると考えているんじゃなかろうかと…

とかなんとか、いろいろと考えてしまいました

   

このあと、「ゆりの木」で遅い昼食を食べて、

外に出ると、スイフヨウが咲いていました。

そういえば、李迪「紅白芙蓉図」が展示されていなかったな… と一瞬思いましたが、「紅白芙蓉図」国宝特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」に向けてお休みでした。

考えてみれば、いつでも必ず国宝が展示されているイメージのトーハクで、「国宝室」(本館2階 第2室)を含めて、国宝まったく展示されていないというのは、かなりかなり珍しいことだったんだ

そう考えると、こんな日トーハクを訪れたことは、得がたい体験だったかもしれません

「さ、10月25日には、国宝に溺れるぞ 」ワクワクドキドキで、トーハクから家へ帰ったのでありました。

と、3日間のことをブログに書いてみると、なんと濃密な3日間だったんだろうか と思います。

でも、きょうから3日間(10月21~23日)は、10月12~14日よりも更に濃い3日間になるはずです。
なにせ、「MISIA THE GREAT HOPE」日本武道館 3 daysなんですから

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3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-2

2022-10-20 16:59:31 | 美術館・博物館・アート

「3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-1」のつづきです。

鉄道博物館 (てっぱく) 南館 3階の「歴史ステーション」は、

1872 (明治5)年に開業して以降、140余年の歴史をもつ日本の鉄道の歴史を大きく6つの時代に区分し、時代ごとに鉄道に寄せられた期待とそれに応えた技術者の熱意、その結果の技術の進化を一望できる空間です。

というもので、6つのエリアには、それぞれの時代の出札所(窓口)が再現されていて、これがイイ
とくに、現代に近い時代だと、マルス端末なんかがビミョーに違っていて、その変化(進化)がなんとも懐かしく、そして楽しかった

でも、この時点で、私がてっぱくに入館してから約2時間が経過して13:30頃
疲れてきたし、そして、腹も減っていました。
館内のレストランに行ってみると、メニューが冴えないか、値段がお高いかだし、駅弁屋は、平日とあって閉店だったり、在庫僅少で選択の余地がなかったりで、気分が萎えてしまいました。

結局、展示の半分も見ないうちに、帰路についてしまったのでありました

で、終わっては身も蓋も無い…

   

ということで最初に戻りまして、

1号機関車です。

説明板によりますと、

1872年9月12日(太陽暦10月14日)、新橋と横浜を結ぶ日本最初の鉄道が開業しました。当時、日本では蒸気機関車を製造することはできず、10両の蒸気機関車を輸入しました。この1号機関車は、それら10両の中で最初に完成したため、栄えある「1号機関車」となりました。

だそうで、ここで判るのは、150年前旧暦(太陰太陽暦=天保暦)が使われていたということ。
実は、鉄道が開業して2か月も経たない1872(明治5)年11月9日改暦(天保暦⇒太陽暦:グレゴリオ暦)についての太政官布告が出され、明治5年12月3日明治6年1月1日とすることになりました。
つまり、来月初めから新しい暦を変える12月は2日間で終わる、というなんとも無茶な話です。

今にしてみれば性急過ぎますが、鉄道にしても、明治2 (1869)年新橋~横浜間 29kmへの鉄道敷設を決め翌年に着工、約10kmにわたる堤の建設も含めて明治5 (1872)年には完成させて開業 という時間軸ですから、当時の日本政府の動きの早さには驚いてしまいます。

またもや道が逸れますが、こんなに急いで改暦した背景には、

布告から実施まで1か月足らずという突然の改暦の強行は、旧暦では翌明治6年が13か月になるため、明治維新早々に財政難を起こしていた明治政府が、官吏(役人)に対する13か月分の俸給の支払いを免れたかった事が背景にあるとされる。さらに12月の分についても2日間しかないことを理由に俸給の支払いを省略しており、結局2か月分を改暦によって節約している。 (Wikipedia)

というセコい話があるらしい

   

さて、私にとって8年ぶりてっぱく「#2-1」で触れた新幹線 400系・E5系の他にも、初めて視る車両がありました。

「ムーミン」とも呼ばれたEF55形電気機関車です。
情けないことに車両の写真を撮り忘れておりました

説明板によれば、

この機関車が登場した1930年代は、世界的に流線型の鉄道車両が流行しました。当初は前後とも流線型にする案もありましたが、けん引している客車との隙間が大きく開くため、前側のみ流線型となりました。

だそうで、Wikipediaには、

最高速度95km/h程度では流線形による空気抵抗低減の効果が出ないことや、終端駅では電気機関車であるにもかかわらず転車台により方向転換をしなければならないこと、スカートを装着したことで保守に手間がかかることなどにより、わずか3両製造を打ち切られた

という悲話が書かれています。

「1930年代」「流線型」といえば、トヨタ博物館(訪問記)でも「流線型スタイルの流行」として、1930年代の自動車、列車、飛行機の模型が展示されていました

バーリントン・ゼファー

写真は、パイオニア・ゼファー (米 1934)の模型です。

   

今回のてっぱくで観たのは南館車両ステーションの1階のみで、本館の2階はまったく手付かずでした。
せっかく鉄道開業150年記念と銘打った企画展「鉄道の作った日本の旅150年」が開催中だというのに…
2017年7月全面リニューアルしたという鉄道ジオラマも、同じタイミングで新設された「鉄道文化ギャラリー」視ていない

入館から2時間かけてもなお、これだけ視ていないところがある (もちろん運転シミュレータなど体験型はやっていない) というのですから、やはり、てっぱくハンパありません

まぁ、本宅から簡単に行けるところにあるし、株主優待券(入館料が半額)も1枚残っているし、遠くない時期にまた行こうと思っています。

そうそう、インフォメーションカウンターの後ろの「工事中」も気になりました。ベールに覆われた車両が置かれているのは明らかなんですが、あれは何?

次回は食事を含めて準備万端で来るぞ と心に決め、てっぱくを後にしました。

   

鉄道博物館(大成)駅からニューシャトル (いつもながら、この車両に乗るのもてっぱく見物の一環だと思う)に乗って大宮駅に行き、遅い昼食を摂りました。

そして、地下の埼京線ホームに下りたところ、次の上り電車は、偶然にも前日に福島からの帰りに乗ったのと同じ時間の電車でした

だから何? といわれても困りますけど…。

ということで、3日連続の美術館・博物館3日目につづきます。

つづき:2022/10/21 3日連続で美術館・博物館に行った話 #3 [完結編] 

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3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-1

2022-10-20 09:19:32 | 美術館・博物館・アート

「3日連続で美術館・博物館に行った話 #1-2」のつづきは、10月13日(木)に出かけた鉄道博物館の見聞録です。

10月13日 鉄道博物館

今年10月14日は、鉄道開業150周年を迎える特別な「鉄道の日」。敢えて、その前日鉄道博物館(てっぱく) に出かけました。

てっぱくに行くのはずいぶん久しぶりで、記録を見ると約8年ぶり
そんなにご無沙汰してたかぁ~ 同じ市内の博物館なのに

久しぶりのてっぱくは、展示車両の一部の入れ替えのほか、新館(南館)のオープン、入館料値上げ(1000円⇒1330円)Suica入館システム廃止など、いろいろ変わっておりました。

この中で一番の大きな変化は、大宮寄りにできた南館
突然降りだしたの中、駆け足南館に駆け込むと(2階屋根付きで本館と繋がっていた)、一度も乗ったことがなく、本宅最寄り駅の埼京線ホームから眺めるしかなかった 400系と、実はめったに乗らない E5系の先頭車両(現役のE5系はモックアップ) でした。
線路レベルの視点からE5系を眺めるのは初めてで、意外なお姿にビックリ

館

左側にちらりと見える400系との大きな違い、判りますか??

E5系は、車輪が見えないのです

台車が完全に覆われています
これは国内最高速で走行するための空力特性を考慮したつくりなのかと思ったら、どうやら騒音対策らしいです。

新幹線の騒音といえば、パンタグラフと架線との摩擦音のイメージでしたが、最近の新幹線ではパンタグラフを1個しか使っていないそうですから、そうなると、次は車輪の走行音低減すべし ということなのでしょう。

   

1階の残り半分は、「仕事ステーション」で、

現在の鉄道をテーマとし、鉄道を支える仕事に挑戦して、プロフェッショナルになりきる「体験型ミュージアム」。

とのことですが、鉄道の保守や運営に関する展示としては、京都鉄道博物館の方(記事) がずっと充実している気がしました。

そんなことを考えながら2階に上がると、そこには運転シミュレータが集中的に配置されていました。
ここはスルッと流して3階へ。

3階は、

歴史の中にタイムスリップし、時代が求めた鉄道の姿やそれを支えた人々の熱意を解き明かす「発見型ミュージアム」。1872 (明治5) 年に開業して以降、140余年の歴史をもつ日本の鉄道の歴史を大きく6つの時代に区分し、時代ごとに鉄道に寄せられた期待とそれに応えた技術者の熱意、その結果の技術の進化を一望できる空間です。

という「歴史ステーション」で、これが濃かった

まずは、鉄道か開業した当時の新橋停車場のジオラマ

もう一枚。

右奥引込線と建屋が見えますが、これは貨物の取扱所だったそうで、ここを大きく描いた錦絵のコピーも展示されていました。

この絵を視て、あれ? と思ったのは、の半纏を着て菰包みの貨物を処理しようとしている人の姿でした。
半纏の背中には、の中に「通」の文字。
これって、日通のマークじゃない??

帰宅してから調べたところ、、協同組合 全国地区通運協会のサイトによると、

丸通マークが社章として用いられた初めは、内国通運会社の社章としてである。内国通運会社は、江戸時代から続けてきた飛脚問屋が、明治維新の郵便制度の開始に伴って、それまで取り扱ってきた「新書(親書?)逓送」の業務を政府に取り上げられる代償として政府関連物資輸送の独占的権利を受けて発足した「陸運元会社」から発展した株式会社で、治8年3月に「内国通運株式会社」と改称するのにあたり、「E丸通E」のマークを社章と定めた

だとか。
鉄道開業から3年も経たないうちに丸通マークが存在していたんですねぇ

ところで、この「(協) 全国地区通運協会」日本通運㈱とはどういう関係なんでしょ

調べてみると、「国際通運株式会社史」によると、

1639年(寛永16)起業の江戸定飛脚問屋は明治期に陸運元会社となり、政府の保護下に全国貨物運送を扱っていた。1875年(明8)内国通運会社と改称、1893年(明26)株式会社となる。鉄道が普及して各駅からの短距離輸送業者が乱立、その業者間競争を政府が裁定し大合同が実施され、内国通運は多くの業者と合併し1928年(昭3)国際通運と改称。全国に事業を営み海陸運送業の向上発展に努める。1937年(昭12)統制により解散し、政府出資の日本通運に引継がれる。

で、

小規模業者の乱立と業界の混乱はその後もつづき、遂に鉄道省は大正15(1926)年6月、声明を発表し、小運送業界の集約合同に乗り出した。
すなわち、中央における大規模統括会社の合同と、地方における小規模業者の、1駅1店制による合同である。
地方では、各駅において、それまで同一の駅で過当競争を繰り広げてきた運送店同志が合同して、1駅1店の合同運送会社を設立していった。
このときの経過を踏んで誕生した合同運送会社が、今日の地区通運会社の前身であり、このときを会社創立の年としている地区通運会社も多い。

だそうな。
いやぁ~、知らなかった 日本あちこちで見かける「○○通運」日通とがこんな関係だったとは…

って、なぜか「丸通マーク」でこんなに字数を使ってしまった
てっぱくの話はこの記事1本でまとめようと思っていたのに…

   

そんなわけで、「知らなかったぁ~の話をもう一つ挙げて、「#2-2」に繋ぎます。

それは、日本最初シールド工法でトンネルを掘った話。

折渡トンネルの説明

「鋼材を筒状に組み立てた『シールド』を押し込み、その内部で掘削と覆工を進める」というシールド工法が日本で初めて用いられたトンネルが、羽越本線折渡トンネルとな

このときは「羽越本線」というワードに反応した私ですが(別邸最寄り駅は羽越本線の駅)折渡トンネルってどこにある? でした。

すると、羽後岩谷駅-折渡駅間、もうちょいメジャー(?)な駅でいえば、羽後本荘駅羽後亀田駅(松本清張「砂の器」に登場する)中間点辺り

で、地図にある「楯構掘鑿折渡隧道竣工記念碑」が、折渡トンネルの記念碑です。「楯構掘鑿」「シールド工法で掘削した」という意味なんでしょう。

それにしても、こんな場所にこんな土木史上に残るトンネルがあったとは知りませんでした

ところで、説明板には「折渡 (おりわたし) トンネル」とありますけど、読みは「おりわたトンネル」じゃないのかなぁ??
最寄りの「折渡駅」の読みは「おりわただし…

折渡駅

というところで「#2-2」につづきます。

2022/10/20 3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-2 

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3日連続で美術館・博物館に行った話 #1-2

2022-10-19 12:13:18 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「3日連続で美術館・博物館に行った話 #1-1」のつづきです。

1時間かけて「生誕100年 朝倉摂展」を楽しんだところでちょうどお昼時、常設展を観る前に、福島県立美術館レストラン昼食を食べようかと考えました。
前回来た時には、こちらで書いたように、

ネットで調べると、このレストラン、かなり腕の良いシェフがやっているレストランのようですけれど、この物寂しいメニューといい、雑なつくりといい、お値段といい、やる気があるのか疑問に感じました。

と、印象が最悪に近かったのですが、美術館の周りには食事できる場所が無さそうですし、このあと飯坂温泉に行っても、昼食難民になりそうでしたので、また、9年の時を経ていますので、もう一度チャンスをやろうと、館内レストランに行ってみることにしました。

ところが、、、、、、閉店してました

レストラン閉店

でも、今年5月まで営業してたんだ…

   

気を取り直して2階に上がり、常設展示を観覧しました。

常設展示の前半は、地方の公立美術館あるあるの「郷土の芸術家」の展示で、正直、あまり面白くありませんでした

でも、展示室B「戦後社会とリアリズム」では、特別展のエピローグのような、朝倉摂の炭鉱風景のスケッチとか吉井忠の「ベン・シャーン像」で楽しめました。

そして、期待が渦巻く 展示室C 「アメリカ美術」「ヨーロッパの美術」

おぉ~ です。

前回は「スイミングプール」1点しか観ることができなかった福島県立美術館が誇る「ベン・シャーン コレクション」が、今回は、ポスター2枚に、タブローが「ラッキードラゴン」「スイミングプール」「恐怖の夜の町」3点、さらにリトグラフの連作「リルケ『マルテの手紙』より 一行の詩のためには」から7点大放出

いずれも10年前「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト-写真、版画、グラフィックアート-」展@神奈川県立近代美術館 葉山 (記事) 以来の再会でした。「再会」といっても、福島県立美術館がここが家だなんですけど…

どの作品もじっくりと拝見いたしました。

「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」のポスター中でも「染みたのが、「リルケ『マルテの手紙』より 一行の詩のためには」のうち、「一篇の詩の最初の言葉」
この作品は、B2サイズのポスターを寝室に掲げていて、ほぼ毎日眺めているのですが、ほぼ同じサイズながら、リトグラフポスターじゃ違う

どうしてこんなに違って見えるのか、よく判りません

ほんんんんんっと、リトグラフ欲しい と思いました

お次は、これまたお気に入りの画家、アンドリュー・ワイエス「農場にて」です。
前回は「ガニング・ロックス」「松ぼっくり男爵」2点が展示されていたワイエス作品ですが、今回はこの1点のみ。

なぁ~んてイイんでしょ

ワイエスならではの精緻な筆致もさることながら、絵を描くこと、描く対象に対するワイエスの愛情が伝わってきます

いやぁ~、幸せ

こんなほっくほくの状態で福島県立美術館を後にして飯坂温泉に向かいました。
電車20~30分に1本ですから、電車の時刻表を念頭において行動しました。

   

定刻にやって来た電車に乗って約20分飯坂温泉駅に到着しました。

じゃぁ、昼食 と思ったものの、食事できる場所が無い

事前に調べてはいたものの、目星をつけていた店は2店とも、なぜか閉まっていて、さてどうする

どうしようもなくなったら、駅と同じ建物に入っているコンビニおにぎりでも買おうかと思ったところで、食堂を発見しました
そして「餃子定食」800円也を食しました。

なんで餃子? なんですが、餃子飯坂温泉の名物らしいです

帰ってきてから知ったのですが、昼食を摂った食堂は、「#1-1」でちょっと書いた「沿線店舗サービス特典」の対象で、「入湯券付き1日フリーきっぷを見せると100円引きだったらしい…
私は情弱

餃子定食 feat. 温泉卵を美味しくいただいた後、すぐにお風呂に入るのはいかがなものか (ご参照) ということで、コンビニでアイスラテを買い、駅前のベンチに座って食後のひとときを過ごしました。

写真は撮りませんでしたが、駅前には松尾芭蕉の像が立っていました。
「おくのほそ道」で、芭蕉はこの地に来て、温泉にも浸かったとな

せっかくですので、「おくのほそ道」からその部分を転記しておきましょう。短い文章ですし。

其夜飯塚にとまる。温泉(いでゆ)あれば、湯に入りて宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯(ともしび)もなければ、ゐろりの火かげに寐所をまうけて臥す。夜に入りて、雷鳴(かみなり)雨しきりに降(ふり)て、臥る上よりもり、蚤蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入(きえいる)(ばかり)になん。短夜(みぢかよ)の空もやう〱明ければ、又旅立(たびたち)ぬ。猶(なお)夜の余波(なごり)、心すゝまず。馬かりて桑折の駅に出(いづ)る。

温泉につかって旅の疲れを解きほぐすどころか、散々な一夜だったらしい
なお、芭蕉は「飯塚」と書いていますが、「飯坂」のことです。
また、芭蕉はここで俳句を詠んでおりません。それどころではなかったんでしょ

と、目の前に年表がありました。

「十綱橋の歴史」だそうで、2020年に十綱橋が国登録有形文化財に認定されたことを記念して立てられたものらしい。
現在の十綱橋は、1915年に完成したもので、Wikipediaによると、

現存する大正期の鋼アーチ橋で最も古いものの1つである。歴史的土木構造物として、2004年の土木学会選奨土木遺産に認定される。

だそうな。

なかなか見目麗しい橋です

   

事前に調べたところ、飯坂温泉のお湯は、それを売りにするほど、かなり熱い
共同浴場は、基本的に45℃前後と、日頃、40~40℃の風呂に入っている私にとって、ちょっとヤバめ
それでも、波来湯(はこゆ)は、ぬるめの浴槽源泉掛け流しの浴槽があることが判り、今回はこちらに入ることにしました。駅からも至近ですし

入口を入ると券売機(波来湯は300円)番台があり、浴室はその下にありました(エレベーターもある)

ロッカーにバッグと脱いだ服を入れて、いざ入湯

洗い場はシャワー付きのカランが5つほどあり、私が加わってほぼ満員。平日の真っ昼間なのにね

そして迷わず、42~43℃だというぬるい方の浴槽につかりました。
しばらくつかって身体を温泉に慣らしたあと、試しに47℃ほどだという熱い浴槽に入ってみました。
でも、足を踏み入れたものの、身体をお湯に沈めるまではいかず、30もしないうちに give up
常連さんらしいおじさんは平気に入っていましたけど。←そりゃそうだ

私は長湯ができない性格で、2度、ぬるい浴槽につかったところで終了。
髪を洗わなかったしヒゲも剃らなかったこともあって、30分たらずで浴室を出ました。

そして、服を着て、入浴セットをバッグにつめ、ベランダから摺上川を眺めようか、と思いつつ、次の福島行きの電車を検索すると、おやまぁ次の電車まで5分しかない
とりたてて急ぐ必要はないものの、次の電車まで25分も空くので、さっさと波来湯をあとにして飯坂温泉駅に向かいました。

そして、14:40発の福島行きに乗車しました。

福島駅には15:03に到着し、15:16発やまびこ144号に乗車したのですが、この短い乗り継ぎ時間の間に、売店で気になっていた駅弁が売られていたので、夕食用に購入しました。[写真は夜に撮った中身]

郡山駅名物の「海苔のり弁」です
けっこう厚みのあるパッケージで、美味しくかつ食べ応え十分でした。

こうして大宮駅には16:23に到着し、16:28発埼京線に乗り換えて帰宅したのでありました。

つづき:2022/10/20 3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-1

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3日連続で美術館・博物館に行った話 #1-1

2022-10-18 16:27:50 | 旅行記/美術館・博物館・アート

先週、10月12日(水)、13日(木)、14日(金)と、3日連続美術館・博物館に出かけてきました。
今、本宅が大規模補修工事中で、家にいたらやかましさに気分が殺伐としてしまうということもあってのお出かけです。
この3日間のことを備忘録的に書くことにします。

   

10月12日 福島県立美術館「生誕100年 朝倉摂展」

日帰り福島まで行ってきました。
福島県立美術館に行くのは約9年ぶりのことで、前回は帰省Uターンドライブの途中で立ち寄りました(記事)
今回は、福島に出かける目的がこの展覧会だけで、かつ、美術館が駅から近いこともあり、新幹線を使いました。
本宅から福島市までは、クルマだと所要時間3時間くらいですが、今回乗った「やまびこ」が、大宮⇒福島がノンストップだったこともあり、自宅最寄り駅から福島駅の所要時間はたったの1時間15分
かつての通勤時間(朝)約半分です
もっとも、交通費片道 8,200円もかかるのですが…

さて、この福島遠征は、先週日曜日(10月9日)のNHK日曜美術館「朝倉摂がいた時代」を視て、こりゃ現物を拝見したい と思ったからでした。
さっそく朝倉摂の展覧会をググってみたところ、既に今年4~6月に神奈川県立近代美術館葉山6~8月に練馬区立美術館での会期を終えて、現在(当時)は福島県立美術館で開催中、しかも、10月16日でおしまいだという…
なんで日曜美術館は、巡回展の最後の最後に朝倉摂を取り上げるんだ
今年春に放送してくれていたら、葉山はともかくも、練馬になら気軽に行けていたのに
でも、初期清楚で端正な日本画も、中後期ベン・シャーンベルナール・ビュフェを思わせる力強い線も、とてつもなく魅力的で、「こうなったら福島まで行くしかないと思い立ちました。
そして、せっかく福島まで行くのなら、福島交通飯坂線に乗るのなら、美術館のあとに飯坂温泉に浸かってこよう と、事前に共同浴場のことを調べ、タオル3種類とボディソープをバッグに入れて、出発したのでした。

福島駅で新幹線を降り、長ぁ~い連絡橋を渡って、東口改札を出て、福島交通飯坂線の福島駅で、1日フリーきっぷを購入。
このとき、窓口の駅員さんから「どのタイプのフリーきっぷですか?」と聞かれて、答えにつまりました
たしかに、「1日フリーきっぷ」は何種類かあったのですが、自分がどのタイプを買いたいのかよく判りません
美術館・博物館でみかけるような、きっぷのタイプと価格を一覧にしたものがあればよいのに、それは無く、駅員さんと口頭でやりとりして、なんとか共同浴場入湯券付きの1日フリーきっぷを購入できました。

共同浴場入湯券付き1日フリーきっぷ

なお、この日の旅程、福島駅⇒美術館図書館駅⇒飯坂温泉駅⇒福島駅をそれぞれきっぷを買うと860円で、共同浴場の入湯料が200~300円
それがこの共同浴場入湯券付きの1日フリーきっぷだと800円ですから、なかなかお得です。
でも、券種の説明口頭だけなら、「沿線店舗サービス特典」の説明皆無だったのはどうしたことなんでしょ いまどき珍しいサービスの悪さだと思いました。

   

さて、福島駅を出発して1駅・3分美術館図書館前駅に到着。

そして、駅から徒歩2分ほどで福島県立美術館に到着。

館内は、平日ながら、地方都市の美術館にしてはなかなかの入りでした。
私のように「日曜美術館」に触発された人が多いのでしょうか?

朝倉摂という人のイメージ、私は舞台美術家としての活動のみが突出していて、画家としての活動はまったく知りませんでした。巨匠・朝倉文夫のお嬢さんだとは知っていましたが、17歳で美人画の大家として知られる伊東深水に弟子入りして日本画を学んだ人だったとは…。

ですから、日曜美術館で初めて目にした朝倉摂の日本画はとにかく印象的でした。
そして、初期の日本画作品の現物を目の当たりにすると、なんとも上品
そしてそして、師匠・伊東深水の「聞香」を髣髴とさせる静けさ…。

それが1950年頃から作風がガラリと変わってしまうのが、惜しまれるというか面白いというか…。

この「生誕100年 朝倉摂展」への出品作品の所蔵元をみると、多いのは、アトリエ・アサクラ(「舞台美術家朝倉摂の芸術活動におけるサポート、プロデュースを目的に設立」された会社)台東区立朝倉彫塑館神奈川県立近代美術館練馬区立美術館、そして、福島県立美術館です。後ろの3館は、この回顧展を巡回した美術館ですな。
このうち福島県立美術館が所蔵している作品は、1955-56年頃の常磐炭田を描いたものがほとんどで、さすが地元 です。

「ズリ山」は、常磐炭田古河好間地区のズリ山を描いたと考えられているそうですが、映画「フラガールで、ズリ山をハワイダイヤモンドヘッドに見立てて宣伝用写真を撮るシーンを思い出しました(寒そうだった)

朝倉摂画業についてまったく知らなかった私、松本清張「砂の器」が読売新聞夕刊に連載されたときの挿画を担当していたことにはビックリしまくり
会場では、新聞のコピーを閲覧できるようになっていましたが、さすがにその場で全編を読むことなんてできませんて…

また、絵本がまたどれも素晴らしかった
とくにうりこひめとあまんじゃく(1968, 岩崎書店)たつのこたろう(1969, 講談社)「ごんぎつね」(1969, 講談社)「注文の多い料理店」(1971, 講談社)なんかは、入手したいと思ったほど。このうち、「注文の多い料理店」は、画風がベン・シャーンっぽくて、お好みです

ところで、図録を引用しますと、

朝倉は1960年に佐藤忠良吉井忠とともに京都に滞在していたベン・シャーンを訪ねてインタビューを試みている。社会的メッセージを詩情とともに伝える作品には、当時の多くの画家やデザイナーが影響を受けた。

だそうです。

舞台美術に関わる作品は、映像、ポスター、写真、舞台装置模型で紹介されていまして、それはそれでよかったのですが、やはり、劇場立体物を目の当たりにしないと、鑑賞したことにならないだろうなと思います。
なお、別邸の私の本棚には、1987年に購入した「朝倉摂 舞台空間のすべて」があるはずで、次に帰省したら久しぶりに読んでみようと思っています。

ということで、「生誕100年 朝倉摂展」をしっかりと楽しんだのでありました。
常設展のこと、飯坂温泉のことは「#1-2」で書きます。

つづき:2022/10/19 3日連続で美術館・博物館に行った話 #1-2

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MISIA THE GREAT HOPE TOUR が間もなく開幕

2022-10-17 17:37:03 | MISIA

気がつくと、今週金曜日(10月21日)から「MISIA THE GREAT HOPE」が始まります

ツアータイトルからしても、アリーナ公演だということからしても、久しぶりの「THE TOUR OF MISIA」系のライブっぽい…
打ち込みあり、ダンサーたっぷり、ド派手ステージセットあり、キラキラテープありの「THE TOUR OF MISIA」系だとすれば、2018年4月の「THE SUPER TOUR OF MISIA」以来ですから、4年半ぶりです。

この4年半の間、MISIAは休眠していたわけではなく、「MISIA星空のライヴ X」(2018年6月~2019年3月)、MISIA平成武道館」(2019年4月)、「Misia Candle Night Reiwa」(2019年7月)、「Misia Soul Jazz Sweet & Tender」(2019年9月)、「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」(2020年1-2月)に単発ライヴを交えつつ、2020年春からは「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」突入 のはずだったのですが…。

ここでやって来たのがコロナ禍

「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」キャンセル or 延期されることになり、約1年遅れ2021年4月に始まることになったのですが、それでもMISIAは、業界の中ではかなり早いタイミングから、コロナ対応基準に沿ったかたちでライヴ活動を再開して、「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020」(2020年7-9月)「MISIA So Special Christmas」(2020年12月)を開催していました。

その間、落馬して骨折 なんてできごともありましたっけ…。紅白出場はどうなる なんて心配したりしてね…

そして満を持して2021年4月29日に河口湖ステラシアターから始まった「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」は、「密」を防ぐべく座席を間引く代わりに基本的に1日2回公演にするなど、スタッフ & キャストには過酷な状況にもかかわらず、2022年7月16日稲佐山公園 野外ステージまで、全120公演を完走
スタッフのコロナ感染で、2公演が延期にはなったものの、MISIAはじめスタッフ & キャストの皆さんに拍手です

あ" そういえば、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」セットリストを載せてなかった

画像をクリックすると、PDFが開くはずです。

なお、これは「徒然煙草調べ」で、正確だという保証はありませんので、仮にこれを信じて不都合が生じたとしても、責任負いかねます

   

さて、前置きが長ぁ~くなってしまいましたが、「MISIA THE GREAT HOPE」のこと。

MISIA THE GREAT HOPE

冒頭に書きましたように、このライヴは「THE TOUR OF MISIA」系だと想像していますので、その前提で話を進めます。

ここ数日間、いちばん気になっているのは、最初の曲が何なのか? ということです。

「THE SUPER TOUR OF MISIA」のときにも、最初の曲を予想して、こちらで書いたように、

デビュー20周年の記念ライヴだから、また、盛り上がりを考えても「つつみ込むように…」が大本命だろう

と予想したところ、イントロ破壊

もちろん、ハズレてがっかりすることもなく、よもやの「INTO THE LIGHT」大いに盛り上がりました

そういえば、過去の「THE TOUR OF MISIA」のオープニング曲を俯瞰的に捉えたことがなかったぞ と気づきリストをつくってみました。

その結果がこちら。

1999 Never gonna cry  
1999-2000 K.I.T  
2001 ESCAPE  
2002 I miss you~時を越えて~   
2003 KISS IN THE SKY BACK BLOCKS  
2004 MARS and ROSES IN MY SOUL  
2005 THE SINGER SHOW K.I.T  
2007 ASCENSION TYO ※1
2008 EIGHth WORLD 以心伝心  
DISCOTHEQUE ASIA Catch the Rainbow  
SOUL QUEST EDGE OF THIS WORLD ※2
LOVE BEBOP LOVE BEBOP  
THE SUPER TOUR OF MISIA   INTO THE LIGHT  

 ※1:初日のみ「Color of Life」
 ※2:GRAND FINALEは「THIS IS ME」

こうしてみると、もともとアゲアゲの曲か、もしくはRemixでアゲアゲにした曲が多い。
そりゃ、アリーナクラスの大会場「一発目から掴むにはアゲアゲの曲に限ります

そんな中で異色なのは、よりによってドームツアー「MARS and ROSES」の一曲目が「IN MY SOUL」だったこと

このときは驚きました
数万人の観客が詰めかけたライヴを、あんなしんみりした曲で始めるなんてねぇ
でも、曲の途中のロングトーン炸裂で、観客の気持ちを一気にMISIAに引き寄せた気がしたものです そして、MISIA「歌力(うたぢから)」に感服いたしました

それはそうと、「MISIA THE GREAT HOPE」オープニング曲何? です。

でも、論理的に考えたところで当たるはずもないし、ここは私が「オープニングで聴きたい曲」ベースで予想してしまうことにします

   

いまのところ、バンドメンバーで判っているのは、村田千紘さんのみ
彼女はついうっかりSNSに上げちゃったのかな と思ったけど、今もしっかりと武道館 2 & 3日目がスケジュールに入っている
っつうことは、初日にも別のトランペッターが入るんだろね

そうそう、バンドメンバーで期待しているのは、ギャンブラー・ベースこと種子田健さんが入ること
たねちゃんは、「星空のライヴⅤ Just Ballade」ツアーの途中(2009年11月)からメンバーを抜け、それから12年の時を越えて昨年11月の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」大阪公演に参加(私は泣きそうになりました)、その後もこのツアーに時々参加されたり、「ライブ・エール」「歌合戦」「24時間テレビ」とかでも参加されていますので、今回も大いに期待しています。

   

最後に、

東京ディズニーシー「ビリーヴ!〜シー・オブ・ドリームス〜」が始まる11月11日以降じゃないと聴けないだろうと予想していた「君の願いが世界を輝かす」を聴ける可能性が出てきたし、未だフルでは聴けていない「おはようユニバース」も聴けるんだろな

というところで、文字リミットが近づいてきました。

久しぶりにブログを書いたら、勘が鈍っていて、うまく締められない

うまく締められないけれど、あと4日 

【追記】「MISIA THE GREAT HOPE」初日に行ってきました。
1曲目の予想は……大外れ
でも、あの曲の、あの「アレンジ」大好物ですので、逆に大喜びでした
今さらながらだけど、名古屋のチケットを取っておけばよかったかな
明日・あさってと、楽しんできます [2022/10/21 22:48] 

そして…:2022/10/24 MISIA THE GREAT HOPE 武道館 3 daysのこと 

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