「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #3-3」のつづきです。
大通公園の散策を終えた私は、すすきの辺りで昼食を摂ろうと、こんなルートを辿って移動しました。
大通公園から南に2ブロック歩いた南1条西13丁目の交差点に目を惹くビルがありました。
なんとなくいわくありげな風情ながら、このときは写真を撮るだけにとどめたのですが、さっき調べたら、このビル、三誠ビル(旧藪商事会社ビル)は、
市内に現存する鉄筋コンクリート造の事務所ビルでは最も古く、レンガ造や軟石造から鉄筋コンクリート造へ移行する時代の貴重なビルです。建物全体はシンプルなデザインながらも、正面3階窓のアーチ飾りや重厚感ある玄関などに、正面から見た姿を意識した細やかなデザインが見られます。
だそうです
上の説明文を引用した札幌市のサイトによると、このビルの竣工は大正13(1924)年だそうですから、この前に見物した旧札幌控訴院庁舎より2年古い。つまり、ほぼ同時期の建築です。
そういえば、旧札幌控訴院の建物は、
壁体を石と煉瓦の組積造とする一方、二階床は鉄筋コンクリート造とし、新旧の構造技術を織り交ぜる。
というものでした。
ちょうどこの時期、関東大震災(1923年)で、レンガ造りの耐震性の弱さが露呈したのでしたっけ…
古い鉄筋コンクリート造りの建物で思い出すのはこちら、
端島(軍艦島)にある「30号棟」で、1916(大正5)年に完成した日本で最初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅(社宅)です。
ちなみに、こちらのサイトによると、日本で鉄筋コンクリートが使われ始めたのは明治の初めのことで、全体が鉄筋コンクリート造として日本最初の建物は、1911年竣工の三井物産横浜ビル(現・KN日本大通ビル)らしい。
関東大震災をもくぐり抜けたこの建物は現存しているそうですから、いつか観に行かねば
さて、「南1西13」交差点で市電通りを渡り、通りの南側の歩道を進んでいきますと、道の反対側に行列のできた中国料理屋さんがありました。
このとき、写真のタイムスタンプによれば12:12で、まさに、腹を空かせた会社員がドッとオフィスから街に繰り出す時間とはいえ、スーツ姿の大勢の人たちが小さな店の入口に群れています。
調べると、ここは「ザンギの名店」として札幌市民に愛されているらしい「布袋 本店」でした。
この行列を見て、昼食にはまだ早い と歩を進めると、これまた道の反対側に気になるものを見つけました。
「懸社 三吉神社」という標柱の立つ神社です。
「三吉神社」とは、秋田市で生まれ育った私にとっては馴染みのある神社と同じ名前。
由緒書が見えますが、通りをはさんで読み取るのは無理です。
ちょうどうまい具合に、クルマの通りが途切れましたので、横断歩道がないにもかかわらず、道路を走って横断し、神社側のサイドに渡りました。
そして、由緒書を見ると、、
由緒 霊峰秋田太平山ノ山頂二祀ル太平山三吉神社ノ御分霊ヲ明治11年豊平川東詰ニ奉斎シ翌年現地ニ遷座ス
大正14年氏神トシテ幣帛共進指定セラル
あれまぁ~
ご本家は秋田の太平山三吉神社でした
もそっと詳しい由緒書がありましたので、こちらも転記します。
明治11年5月秋田県人木村藤吉、秋田の国太平山鎮座三吉神社の御分霊を豊平川東詰に奉斎、8日を祭日として武田萬水に託し鎮座祭を執行するが、「地所火除地に接近するを以て除宮すべし殊に廣く参詣人を許さず」との御達しがあり、翌明治12年4月鹿島通121番地(現中央区南1条西8丁目)に遷座す。
武田萬水高齢により札幌神社(現北海道神宮)禰宜若林嘉倫に依頼し、毎月8日に小祭を執行することとし、5月8日を例祭日とする。しかしこの日は雨が多いため、先々代宮司佐藤桂、大正13年に例祭日を5月15日に変更する。
「5月8日は雨が多いので、例祭日を5月15日に変更」と、意味がよく判りませんが、三吉神社の御神紋は、
「三ツ吉紋」で、太平山三吉神社と同じでした。
そして、社殿も、
ご本家の太平山三吉神社里宮と似た雰囲気です(ご本家の方がかなり大きい)。
但し、太平山三吉神社里宮の現社殿は1977年の竣工で、それ以前は神社のHPに載っている写真を見ると、現在のような大きな破風は無く、「切妻造・平入」のシンプルな流造だったようです。
ちなみに札幌の三吉神社の社殿も1977年の改築だそうですから、意匠を示し合わせていたのでしょうねぇ
実は私、太平山の山頂にある奥宮には、学校行事の太平登山の際にお参りしたことがありましたが、里宮には一度もお参りしたことがなく、この記事を書くにあたって、きょう、初めて里宮にお参りしてきました
社殿が立派なだけでなく、太平山はきれいに見えるし、
由緒その他をデジタルサイネージで見られるようになっているしで、
さすがは秋田市内で最もメジャーな神社だと思いました。
ところで、この二つの神社の御祭神を比べてみましょう。
まず、札幌の三吉神社は、
大巳貴神、少彦名神、藤原三吉神、金刀比羅宮、天満宮
そして、太平山三吉神社は、
大己貴大神、少彦名大神、三吉霊神
です。
このうち、藤原三吉神(ふじわらのみよしのかみ)と三吉霊神(みよしのおおかみ)とは、太平山三吉神社のHPの記述、
太平の城主藤原鶴寿丸三吉は郷人の面倒を良くみた名君であったが、他の豪族にねたまれ追い出されたため、世を捨てて太平山に篭り、太平山の神様即ち大己貴大神、少彦名神様を深く信仰し、修行せられて力を身につけ神様として祀られた郷土の神である。
からして、同一の神様だと考えられます。
ひとつ、調べても判らなくて、なんとも歯がゆいことがあります。
それは、三吉神社の鳥居の手前に建てられた2基の石柱です。
並べてみると、こうなります。
篆書体らしき文字で、右が「天□」、左が「地■」かと思うのですが、素養が無くて読めませぬ
もしかして右が「天長」、左が「地久」で、合わせて「天長地久」とか??
御存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示くださいませ。
つづき:2022/05/26 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #3-5