新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年2度目の関西遠征記 #3-1

2022-03-31 20:26:17 | 旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-4」のつづきなんですが、ふと、「#2-1」以降は「ダイジェスト」ではなく、旅行記本編だよなぁ、と気づき遠征最終日編は、「今年2度目の関西遠征記」に改めさせていただきます。
ずっとブログ更新をサボってたせいで、感覚が鈍っていたようです

   

遠征最終日の朝、カーテンと障子を開けると、

おぉ、東寺五重塔
東寺には今年1月に行きましたなぁ(記事)

今回のホテルは初めて使いましたが、和風電子化の融合といった感じ。

障子があるかと思えば、照明空調の操作や掃除の有無についてのメッセージ発信はベッドサイドにある一つのタッチパネルを使うという、私にとっては初めてのパターン
バスルームオシャレでした。

なお、朝食はブッフェスタイルで、可もなく不可もなくといった感じ。

   

この日の旅程は、

ホテル⇒徒歩京都駅地下鉄烏丸線四条駅・烏丸駅阪急京都線西院駅⇒徒歩西院駅嵐電(京福電鉄)嵐山本線太秦広隆寺駅⇒徒歩東映太秦映画村⇒徒歩太秦広隆寺駅嵐電嵐山本線西院駅⇒徒歩西院駅阪急京都線烏丸駅・四条駅地下鉄烏丸線京都駅東海道新幹線東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

と、訪問先は東映太秦映画村だけでした
でも、もともと大阪に1泊するだけの予定を変更して京都での1泊を追加したのは、「#2-1」で書いたように、東映太秦映画村に行きたいがためでしたから、これはこれで良いのです。東福寺はまたまた先送りになってしまいましたが…

で、ホテルをチェックアウトする前、東映太秦映画村のHPで営業時間その他を確認したところ、WEBチケットがあることを知り、さっそく購入しました。
ほんのちょっとだけ安く買えた(72円)のもさることながら、実際に行ってみると、WEBチケットを買っておいて良かったと思いました。

さて、私が太秦に出かけるのは2004年2月、2013年5月につづいて3回目東映太秦映画村に行くのは2004年2月以来 18年ぶりでした。

そして、今回は2004年2月と同じルートで向かいました。
ですから、阪急京都線から嵐電への乗換駅「西院駅」の読み方が阪急と嵐電とで異なっていることも存じておりました。

阪急「さいいん」で、嵐電「さい」なんですな。

この読み方の違いについては、Wikipediaに詳しく書かれていますが、以前、京都の某大学OBの同僚に聞いてみたところ、彼は「そりゃ『さい』でしょう」なんておっしゃっていましたなぁ

そういえば、京阪電鉄「七条駅」「しちじょう」で、市バス「七条京阪前」「ななじょう」
やはり、よそモンにとって京都の敷居は高い

それはともかく、18年前に電車を乗り換えたときと西院駅周辺がずいぶんと様変わりしていてちょいと混乱しました。

あとになって判ったことですが、こちらのサイトによると、嵐電・西院駅嵐山方面ホーム5年前移設されていたんですな。
さらに、18年前に印象的というか衝撃的だったこちらの看板姿を消していました

調べてみたところ、こちらのサイトによると、このギター教室(尚栄ギター教室)5年前に閉業して、建物も解体されてしまったそうです
18年前に撮ったこの写真レアものかもしれません。

さて、西院駅から乗った嵐電の車両は「ペコちゃん」仕様で、運転士さんの隣では、進行方向を向いた身長20cmほどのペコちゃん首をフリフリしていました。

実はこの「ペコちゃん電車」京都新聞のサイトによると、

京福電鉄(京都市中京区)は、嵐電嵐山本線が25日に開業110年を迎えたことを記念し、同じく今年創業110年となる製菓会社、不二家との共同企画で、京福電鉄の「あらん」不二家の「ペコちゃん」という両社のキャラクターをラッピングした車両の運行を始めた

だそうで、私は、嵐山本線の開業110周年の記念日に、ペコちゃん電車運行初日に乗り合わせたらしい
なんという巡り合わせなんでしょうか

このことは、この記事を書くにあたって調べたら判ったことでして、やはり「復習は大事です

というところで、まだ太秦到着していませんが、「#3-2」につづきます。

つづき:2022/04/03 今年2度目の関西遠征記 #3-2 

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今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-4

2022-03-30 10:39:41 | MISIA/旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-3」のつづきです。

「教育塔」を見学したあと、大阪府警本部前の交差点で上町筋を横断し、大阪歴史博物館 & NHK大阪放送会館の1階を通り抜け、ベンチでひと休み。
NHK大阪放送会館を見上げると、

なんとも賑やかで、いかにも大阪っぽい

さて、ボチボチ行こか、と谷町四丁目駅を目指して歩いて行くと、大阪合同庁舎が活況を呈していて、平日のワーキングアワーなのだと思い起こさせてもらいました。
と、この辺りの歩道のコンクリートタイルの模様がおもしろい

野球場をデザイン化したとしか思えないのですけど、それがどうしてこういう場所に使われているんでしょ?

それはともかく、谷町四丁目駅から大阪メトロ 中央線に乗り、本町駅四つ橋線に乗り換えようとすると、

なんか珍しい光景

かつては線路に向かい合うように置かれていたプラットフォームのベンチが、ベビーカーや酔客の転落事故を防ぐため、線路と平行に配置し直す駅が首都圏でも徐々に増えているけれど、それにしても、一列縦隊に椅子が並んでいる光景は珍妙です。なんだか順番待ちをしているみたい
もっとも、「ウイズ・コロナ」の時代には合ってますけど…。

   

地下鉄を肥後橋駅で降りて、フェスティバルホールに着いたのは14:10頃でした。

ホールの入口にはワクワクした雰囲気の多くの聴衆が集まっていましたが、、、あれ? まだ開場していない Why?

と、スマホのスケジュール表を見ると、、、あれま 私が開場・開演時刻を30分早く間違えてた
でも、逆に遅く間違えていなくて良かった…

そんなわけで、30分間ほど、フェスティバルホール周りで時間をつぶしたのですが、錦橋のたもとにこんなのを見つけました。

「浪華橋々繁盛見立相撲」とあって、「橋」の番付です。

これによると、最高位東の大関天神橋で、次いで西の大関難波橋

「横綱は?」とお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、この番付江戸時代末期の天保期のもので、当時、「横綱」「階級」ではなく「尊称」みたいなもので、番付に「横綱」が最初に載ったのは、大坂相撲が1868年(明治元年) 7月場所、東京相撲が1890年(明治23年) 5月場所だったそうな (Wikipediaより)

ちなみに、私、幼少のみぎりの愛唱歌は、祖母の影響を強烈に受けて、「王将」でして、

生まれぇ浪華ぁ~の 八百八橋ぃ~

と歌っては祖母とそのババ友たちから喝采を受けたものでした

「八百八橋」といえば、この番付に載っている橋の数は、808とはほど遠い250でございます

   

こうして時間をつぶしたあと、フェスティバルホール入場

そして、ホワイエへ上がると、こんなボードがありました。

そう、この日の 1st Stageが、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE通算100公演目だったのであります。
私、最初の緊急事態宣言発出(2020年4月7日)以降のMISIA公演として100公演目だった2021年12月12日の「MISIA星空のライヴ」東京公演 1st Stage にも参加しておりまして(記事はこちら)、幸いにも、しっかりと節目を押さえております

この日の私の座席は、前夜の席の二つ隣り
両日とも「グループ・ディスタンス」の座席配置でしたから、実質「隣り」です

この「良席から、前夜(記事)からの宿題となっていた「本編でのMISIAのネイル」を確認いたしました
すると、「MISIAのネイルは本編・アンコールとも同じでした。
それにしても、ステージ上のMISIAのネイルを注視したのは初めてでした 普段なら気にも止めないし…。

で、この日のライヴも、よかったぁ~

「曲数が少ない」なんて不満も散見されて、その気持ちは判るけれど、でも、ライヴが濃いなぁ~ と思います。

グループ・ディスタンスを確保した座席数を考えれば1日2公演も納得できるし、1曲1曲を全身全霊で歌うMISIAのことを考慮すれば、この曲数もやむを得ないと思うし、私としては満足です。

さはさりながら、今後のコロナの状況にもよりますが、河口湖ステラシアターでの「MISIA CANDLE NIGHT 2022 PEACE OF MIND」とか、7月東京と長崎での「MISIA星空のライヴ」追加公演は、フルサイズになるのではないかと期待しています。

   

ライヴ終了後、私は、地上を歩いて大阪駅へと向かいました。
途中、あの忌まわしい事件の現場前を通るときは、犠牲者のご冥福を祈って…

事件から3カ月以上経っても、現場となったビルは閉鎖されたままでした。
それにしても、こんな理不尽なことが起こるなんて…。
心が痛みます。

大阪駅でコインロッカーから荷物を取りだし、JR京都線(新快速)に乗って京都へ。

そして、京都駅八条口から5分ほど歩いて、19時前にホテルに到着しました。

予想外にオシャレエントランス、予想外に動線の長い、予想外に机の無い(テーブルはある)ホテルで、こういうところに泊まるのは初めて
かなり斬新なホテルなんですが、その周りは、住宅がほとんどで、京都駅から徒歩5分でこんなに「地方都市然」としてしまうとは と、京都の飾らない側面を視た気がしたのでありました。

夕食京都駅近くまで戻って一杯やりましたとさ。

つづき:2022/03/31 今年2度目の関西遠征記 #3-1 

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今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-3

2022-03-29 18:48:24 | 旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-2」のつづきです。

昼食を終えたのは13:30頃で、フェスティバルホールへは14:30頃までに着けば良いので、まだ余裕はあるけれど、さりとて大阪城公園以外を観光するには時間が無いという状況でした。

そこで、ミライザ大阪城見事な照明器具「鑑賞したあと、桜門周辺の巨石愛でたりしながらた~らた~ら大手門を目指して歩きました。

桜門というのは、二の丸本丸との間にある門で、多門櫓戊辰戦争中の火災で失われていますが、その枡形にある巨石「蛸石」が有名です。
でも、「蛸石」もさることながら、内堀に面した石垣の石もデカい

本丸の南側と東側の堀は空濠なので、桜門に繋がる土橋の両側の石垣一番下の部分も見ることができるのですが、その出っぱった角に使われている算木積の石のデカいのなんのって
「蛸石」板状の巨石ですが、石垣の角に使われている石は、おそらくL字型に加工されているのでしょうけれど、長さと厚みがハンパなく、その圧倒的なボリューム感「蛸石」にひけをとらないと感じられました。

   

このあと、二の丸にある石山本願寺推定地」の碑と説明板を眺めて

大手門へ。

大阪城の大手門(枡形)に来たのは何度目かでしたが、改めて広い と思いました。
どう考えても江戸城の大手門(枡形)より広い かなり広い

「本社」たる江戸城よりも「支社」の大坂城をより「戦いを意識したつくりにした江戸幕府の意図は何だったのでしょうか?
周りを親藩・譜代大名の領地でがっちり固めた江戸に対して、大坂は西と南には親藩と譜代大名を配しているものの、東は手薄だったことが影響しているのかな? と漠然と考えたりして…

ここで大坂城の「守備隊」になったつもりで、南側狭間から外を覗いてみました。

広すぎて、堀の外にいるに鉄砲の弾を当てるのは難しそうです。
この狭間は、敵の動向を探る覗き窓みたいな役割だったのでしょうか?

つづいて、西側の狭間から大手門前の土橋を覗くと、

こちらは、入城を試みるに銃弾を存分に浴びせることができそうです
なんか満足した気分で、高麗門から下城したのですが…、

関西遠征から帰って来てから、大阪城公園確認し忘れたことを思い出しました
こちらの記事で書いた大手門の高麗門に使われているという「謎かけの継手」を探すのを失念していたぁ~

宿題が残りました…

ところで、南側の狭間から見えた「塔」は何なのでしょうか?
時間に余裕があることですし、見物することにしました。

いかにも「皇紀2600年」っつうか「八紘一宇」っぽいデザインですが、「教育塔」と書かれています。

説明板によると、

この塔は、1934年第一次室戸台風によって多くの犠牲者を出したことを機に、大阪の教育界が提唱し、当時の帝國教育会によって、1936年10月30日に建立されました。
1948年、日本教職員組合が憲法・教育基本法の理念にたち、塔の維持・管理をうけつぎ、現在に至っています。(中略)
第60回教育祭にあたり、教育塔の補修工事を行いました。塔の高さは30m、面積は333㎡、塔の下の中央は162㎡、両側はそれぞれ86㎡です。外側は白色の花崗岩でおおわれています。芳名室には合葬された方々の名板がおさめられています。
 1995年10月  教育塔維持管理委員会

だそうで、やはり1930年代半ばの建築でした。
それにしても、こういうデザインの塔を日教組が維持管理しているとは、かなり意外でした。
さらにこの記事を書くにあたって知り、もっと意外だったのは、「教育祭」2007年まで「教育勅語」が発せられた「10月30日」に開催され、現在も10月の最終日曜日に開催されていること。
一方、こちらの資料によれば、「教育の日」を定めている自治体が、35都道県 102市 61町 10村 1区 (2015年12月現在) あって、

「教育の日」とされているのは11月1日が圧倒的に多く、その理由として都道府県教育委員会が発足したのが昭和23年11月1日であること、また前述した「教育・文化週間」の期間内であることが大きいようです。

だそうです。

なんとも初めて知ることが続出なもので、ここで一息入れます。
大阪城公園を出て以降、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」大阪公演 2日目の話などは「#2-4」で書きます。

つづき:2022/03/30 今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-4 

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今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-2

2022-03-28 19:42:30 | 旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-1」のつづきです。

現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻で、仮にウクライナがロシアの要求に従って「非武装、中立化」を受け入れたら、「大阪夏の陣の再現」は必至だと私は考えているのですが、Twitterを眺めると同様のことを考えている人が多いようです。
「冬の陣」の講和条件として堀を埋め立て二の丸・三の丸を破壊し、本丸だけの裸城になったところで、講和が破棄されて「夏の陣」落城…。

そんなことが現実とならないことを願いつつ、大阪城のこと。

現在の大阪城は、「#2-1」でもチラッと書いたように、徳川幕府豊臣期の大坂城跡の上に盛り土をして、更に大規模に新たに築いた城です。

天守の位置も変更されていて、現在の復興天守徳川期の天守があった場所で、

豊臣期の天守は、現在、「大手前配水池」になっている区域の北東隅付近にあったそうな。

で、復興天守のズレた石垣を見物したあと、配水池の北側に通路を見つけた私はそこを歩いてみました。

私以外にはご夫婦(と思われる)が1組いただけの閑散とした中、配水池を見上げると、東日本の城でお馴染みの盛り土みたい。
豊臣期の天守があったのはこの辺りなのでしょうか?

現役の上水道の配水池だけあって、「衛生上の理由」から柵が巡らされて立入禁止だったのが残念でした。

振り返ると、大阪城東側の眺めもなかなか

そして、豊臣期大坂城石垣発掘現場の横をとおり、ミライザ大阪城の脇を抜けると、お馴染みの大阪城天守の正面

中国からの観光客をはじめとして激しく賑わっていた5年前とは比べようもないけれど

通ってきた天守の北&東側とは打って変わってほどほどの賑わいです。

まん延防止等重点措置解除されたとはいえ、平日(木曜日)の昼ですから、観光客どっと繰り出すシチュエーションではありませんからねぇ

   

本丸広場に、「紀州御殿跡」の説明板がありました。

転記しますと、

この付近には明治18年(1885)から昭和22年(1947)まで和歌山城二の丸御殿から移築された通称「紀州御殿」と呼ばれる建物があった。それまでの大阪城本丸は明治維新の大火により御殿や櫓など主要な建物を失っており、当時大阪城を拠点にしていた陸軍はこの紀州御殿を庁舎として利用し、天皇行幸の折の行在所とした。昭和6年、本丸内に第四師団司令部庁舎が新築されると紀州御殿は大阪市の管理となり、同8年に「天臨閣」と改称された。終戦後、大阪城域が連合国軍の占領下にあった昭和22年9月12日、原因不明の失火により全焼した。

だそうな。

この説明を読んで思ったのは、大阪城(大坂城)の大規模な火災というのは、徳川氏の一強確定(大坂夏の陣:1615年)、明治維新(戊辰戦争中の不審火:1868年)、太平洋戦争終戦(占領下の失火:1947年)と、歴史の転換点に発生しているような気がします。
この他にも、いずれも落雷による天守(1665年)と大手口多門櫓(1783年)焼失なんてのもあるのですが…。

もう一つ、この説明板に出てくる「第四師団司令部庁舎」は、現在のミライザ大阪城で、ヨーロッパの古城を思わせる建物です。

この建物大阪城復興天守は、奇しくも、竣工したのがどちらも1931年
この眺め91年前に出現して今に至っているというわけなんですな。

と、ここでお昼になり、ミライザ大阪城昼食を摂りました。
食べたのは、その名も「大阪城弁当」

「弁当」とはいいながら、ご飯は温かいし、おかずも作りたて(っぽい)のものが大半で、これで1,000円とは、たいへんに結構でした。

というところで、「#2-3」につづきます。

つづき:2022/03/29 今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-3 

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今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-1

2022-03-27 18:45:17 | 旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #0 & #1」のつづきです。

今回の関西遠征のメインの目的は「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」大阪公演 2days (各 1 Stage) で、はじめは、せっかく大阪まで行くのだから、オープンしたばかりの大阪中之島美術館に行き、佐伯祐三の作品を観たいと思っていました。
ところが、開館記念の「Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり―」はきわどく3月21日で終わってしまい24日は休館と知って愕然 
そこで、大阪公演 2日目 (2nd Stage) が終わったら、さっさと帰ってくることにしました。
ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、東映太秦映画村「連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』展~ひなたの映画村へようこそ~」が開催(3月12~27日)されていることを知り、急遽、京都のホテルを予約し、帰りの新幹線のチケットを取り直し、2泊3日の旅程に変更したのでした。

それはよいけれど、2日目のライヴ(15:30開演)までの半日をいかに過ごすかが課題として残りました。
旅行前にも、旅行初日にも、そして当日の朝食を摂る間にも考えましたが、それでも行動予定がまとまりません

そして、結局、とりあえず大阪城公園に行ってみることにして、行動を開始しました。

ここで旅行2日目の旅程です。

ホテル⇒徒歩大阪駅JR大阪環状線大阪城公園駅⇒徒歩大阪城公園 (青屋門⇒梅林⇒極楽橋⇒山里丸⇒本丸ミライザ大阪城桜門⇒太鼓櫓跡⇒大手門教育塔)⇒徒歩谷町四丁目駅大阪メトロ 中央線本町駅大阪メトロ 四つ橋線肥後橋駅⇒徒歩フェスティバルホール (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE) ⇒徒歩大阪駅JR京都線(新快速)京都駅⇒徒歩ホテル

   

大阪城公園内での私のルートは下図のとおりで、今回は、意図することもなく、有料エリア大阪城天守閣西の丸庭園パスしました

さて、大阪城公園駅で電車を降り、大阪城ホール方向へ歩いて行くと、なにやら華やかなムードに包まれています。

何事か? と思ったら、この日、大阪城ホールでは大阪大学卒業式が行われるのでした。
私の大学の卒業式は学内の講堂だったよな…なんて思い出しながら、青屋門から二の丸に入ると、もう季節はずれとは知りながら、梅林に行ってみました。

案の上、ほとんどのウメは花が散り、わずかに遅咲きの「摩耶紅」が咲いているだけでした。
そりゃねぇ、もうサクラがちらほら咲いている時期なんですから… (下の写真は隠し曲輪でいち早く満開だったヨウコウザクラ)

それにしても、梅林辺りから眺める内堀と本丸の石垣は、何度見ても壮大です
堀の幅といい、石垣の長さといい、高さといい、これほどの城はそうそうありませぬ。
本丸の石垣は堀の水面から約24mもあるそうで、これは城の防御もさることながら、上町台地の北端に築かれた豊臣期の大坂城本丸を、徳川幕府意地になって地中に埋めたら、こんなに高くなってしまった、、という側面が強そうな気がします

さて、私が常々気に掛けている歴史的建造物北東角=鬼門の艮(うしとら)大阪城の山里丸はどうなっているのでしょうか?
これがねぇ~~、、、Google Mapでは、

こうなっていて、堀越しに見ると、

と、ぜんぜんおもしろくない
いや、もしかして、上の写真は北東角ではなく東北東角で、ここから右側に連なる直線部分が鬼門(北東)なのかもしれない…
でも、そんな「鬼門消し」は他に見たことがありません。

ちょっともやもやした気分極楽橋を渡って本丸の北にある山里丸「入城」しました。

山里丸の東半分では何やら工事中で、「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」碑は柵の内側でした

仕方ないので(?)本丸の北の石垣をしげしげと眺めてみました。

陽のあたらない、人目につかない石垣ということで、なんともワイルド

石垣の隙間に根を張ってが生えているではありませんか
なんとも雑草魂にあふれたけなげに思えるのですけど、下手したら、木の根の圧力で石垣が壊されそう

   

山里丸から石段に架けられた斜路を登り、山里口出枡形から隠し曲輪をちょいと眺めたあと、いよいよ本丸へ。

ここから真っ直ぐ天守の西側を進むのが「定番」だと思うのですが、ふと、天守の北側の「空き地」に、なにやら説明板が立っているのが見えました。

あれは何? と近寄ってみると、

「天守台石垣の爆撃被害跡」ですと

転記しますと、

昭和20年(1945)、陸軍の関連施設が集中していた大阪城は、終戦前日の8月14日を最大とする爆撃を数次にわたって受けた。これにより大阪城天守閣付近の石垣も大きな被害をこうむっている。天守台北壁から東壁にかけてみられる石垣の「ずれ」はこの時のもので、天守閣の北数メートルの地点に落ちた爆弾によるものである。昭和6年復興の天守閣は天守台に荷重をかけない構造だったため影響はなかったが、昭和39年にはひずみの進行を止めるための工事が行われた。

へぇ~ と、天守台の北東角を見上げると、

確かに算木積(さんぎづみ)の部分が手前(北)ズレています

「天守閣の北数メートルの地点に落ちた爆弾によるもの」ということは、石垣の北東角が崩れかかったということ?

こちらのサイトによると、

復興天守閣を永久的なモニュメントとするため、当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造りとした。しかもわが国では前例のない地上55mの超高層建築であり、設計には多くの困難があったが工事は順調に進み、昭和6年(1931)11月7日、歴史上3代目の大阪城天守閣が竣工した。

だそうで、ここでは書かれていませんが、基礎は天守台の下に打ち込まれていたのでしょうねぇ。

と、感慨にふけったところで、「#2-2」につづきます。

つづき:2022/03/28 今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-2 

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今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #0 & #1

2022-03-26 12:37:36 | MISIA/旅行記

3月23~25日の関西遠征から無事に帰って来まして、約1カ月ぶりのブログ更新です。

今年1月の京都遠征と同じく「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE絡みの遠征(遠征記ダイジェスト)だったのですが、今回の遠征は、出かける前から試練に見舞われていました。
というのも、今月6日の盛岡遠征からそのまま約2週間の帰省に突入していたところ、16日夜に発生した地震のため新幹線強烈なダメージを受け、長期の運休になってしまったから。
予定では、3月20日にお彼岸の墓参りをして、翌21日に新幹線Uターン(指定席を予約/購入済み)1日空けて、23日から関西へ遠征することにしていました。
ところが、17日朝のニュースを見ると、東北新幹線は白石付近で脱線しているだけでなく、高架橋も鉄筋が見えるほど損傷していて、とても3~4日間で運転再開できるとは思えません

そこで、まだ21日の新幹線の運行可否が不明の段階で新幹線での帰省Uターンに見切りをつけ、さっさと飛行機を予約しました。

この判断は大々正解 で、このあと間もなく、「秋田新幹線はとりあえず21日までは盛岡~東京で運休」が発表され、さらに数日後には、東北新幹線の全面運行再開は4月20日前後になることが発表されました。

そして、私が乗った21日の秋田⇒羽田便は、なんと、満席
路線を問わず、満席の飛行機に乗るなんていつ以来だったでしょうか
ましてや、コロナ禍では、新幹線も飛行機ガラガラばかりでしたから

そんなわけで、当初予定どおり、21日夕には本宅に戻り、余裕をもって準備して、関西遠征に出発することができたのでした

   

ということで、関西遠征 初日の旅程は下記のとおり。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅東海道新幹線新大阪駅JR京都線大阪駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩フェスティバルホール (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE )会食⇒徒歩ホテル

この日は、ホテルにチェックインするまでは、曇空で、新幹線から富士山が見えるくらいだったのですが、

ホテルからフェスティバルホールに出かける頃には雨 (小雨) が降りだしていました。
でも、梅田からフェスティバルホールまでは、ほとんどの区間、地下道(ドーチカなど)で行けるので、折り畳み傘出番は少なめでした

さて、この日のメイン「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE大阪初日 2nd Stageネタバレは極力避けますけど、幕開き早々、え" だった盛岡公演との「違い」ありゃま のサプライズありで、さらに、アンコールではもっともっとビックリ で、こちらのビックリ(一部メディアでネタバレ済み) には、私はマスクの下で声が漏れたし、場内もどよめいておりました

この夜の私の席は、某曲ラスト近辺でのMISIAの生声はもちろんのこと、ドラムスとかベースとかは、PAを通さない音を聴けるほどめちゃくちゃ前方でありまして(ベースはステージ上のベースアンプ経由)、アンコールでは、MISIAのネイル衣装としっかりとコーディネイトされていることが判りました
でも、本編でのMISIAのネイルがどうだったのかは、まったく気にしていなかったので判らず
これは 2日目の宿題に取っておくことにして、初日の会場をあとにしたのでありました。

つづき:2022/03/27 今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-1 

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