新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-4

2022-04-30 08:06:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-3」のつづきです。

中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館 1階の企画展を観たあと、優雅な階段を上がり、

 2階の常設展示室へ。

旭川市彫刻美術館 常設展示室の入口旭川市彫刻美術館のコレクションは、

この美術館では、悌二郎の作品をはじめ、悌二郎に大きな影響を与えたロダン荻原守衛の作品、同じ研究所で学んだ友人の石井鶴三堀進二の作品、悌二郎の影響を受けて彫刻家になった加藤顕清の作品などを所蔵しています。

と、館名のとおり、中原悌二郎とゆかりのある人の作品がベースで、加えて中原悌二郎賞の受賞者賞の選考委員の作品、さらに、旭川と関連のある作家の作品が中心となっているそうで、そのコレクションがずらりと並んだ旧旭川偕行社のメインホールは壮観でした。

中には、仙台や盛岡ほかでも観た舟越保武「原の城」(1971) とか、

「これはどう見ても佐藤忠良な作品(カンカン帽)とか、

舟越桂(父・保武と共に親子2代で中原悌二郎賞を受賞)の作品(そこだけの冬)とか、

中原悌二郎が絵画から彫刻に転じるきっかけとなった荻原守衛の作品(坑夫)など、

なじみ深い作家・作品がありました。

とは言え、初めてお名前を拝見する作家さんの作品がほとんどです

そんな中、なんとも印象的かつ楽しかったのが、きのこのようでもあり、三度笠のようでもあるこちらの作品でした。

大平實「Casa (家)」というタイトルは、おそらく Casa = カーサ = 笠 にかけているのでしょう
素材は「割って折った廃材、楓のフレーム」だそうで、質感面白い

質感といえば、福岡道雄「九頭竜ダム」もまた独特でした。

素材は「ポリエステル、木」だそうで、触ってみたい と思わせる、ゴツゴツかつちょっとヌメっとした不思議な質感です

   

最後に旧旭川偕行社資料室を見物しました。
「#2-2」に載せたこの建物の古写真はこの資料室で拝見したものです。

で、まずは、古典風の柱頭

説明板によると、

偕行社の外観上の大きな特徴となっている半円形のポーチは現在6本の柱で支えられていますが、このうち建物側中央の2本は明治44(1911)年に追加されています。
これらの柱はコリント式オーダーと呼ばれる様式で作られており、古典主義美術によく見られるアカンサス(キツネノゴマ科の植)の装飾が施されています。
この柱頭は昭和53(1978)年の工事の際に取り替えられ保存されていたもので、タモ材が使われています。

だそうです。
今にして思えば、玄関ポーチ周りの写真を撮ってこなかったことが悔やまれます
それでもなんとか、撮った写真を見つくろって、拡大すると、、、、この部分ですな。

こうして洋風を気取った旭川偕行社の建物は、当初は瓦葺きで、その棟瓦(むねがわら)の両端に乗せられていたのは、

純和風鬼瓦 feat.

まさしく和様折衷擬洋風建築面目躍如です

そういえば、2011年のGW期間中に見学した熊本ジェーンズ邸・日赤記念館も、こういう柱頭&鬼瓦の組み合わせ(記事) でしたっけ…

そうそう、「ジェーンズ邸・日赤記念館」は、2016年4月の熊本地震で全壊したと聞いていたのですが、

この記事を書くにあたって調べると、場所を移して再建工事中らしい
でも、工事の進捗過程は、再建工事を支援している同志社校友会 熊本支部のHPで詳細に知ることができますが、そこで「令和3年(2021)年度の完成を目指して再建工事が行われています」と書かれているものの、まだ完成のニュースは耳にしていません。
と、思ったら、こちらのサイトによると、2023年度の初めごろに復旧・公開予定です」ですって
公開されたら、熊本城復興状況の確認かたがた、また熊本に行かねば

おおっと、話が逸れた
「鬼瓦」に戻ります。

建築当初の偕行社は瓦葺きの屋根となっていました。この鬼瓦は棟瓦の両端に乗せられていたもので、師団建設のために臨時に設けられた瓦工場で製作されたものと考えられます。
昭和43(1968)年の復元改修の際に屋根が鉄板葺きに改められ、現在は鬼瓦の形を模した木製のものが乗せられています。

だそうです。

屋根瓦天敵凍結だと聞きます。
に染み込んだ水分凍結すると、体積が膨脹して瓦が自壊するという凍害北国では不可避に近いらしく、技術が進歩しているはずの現代でも、私の故郷では瓦葺きの家を見ることはです(瓦の重量への懸念もあるでしょうけれど)

「#2-2」で、

(旭川偕行社の)設計陸軍臨時建築部だそうですが、現地の自然環境を考慮せず設計したのか、第七師団側が、南国風の意匠を求めたのか、どちらなんでしょ

と書きましたが、説明板に臨時に設けられた瓦工場」とあること(≒当時の旭川では瓦の需要が無かった?)からしても、「現地の自然環境を考慮せず設計した」のが真相のような気がします

ところで、屋根瓦の中央の「★」は、開拓使由来の五稜星(サッポロビールのシンボルでもある)ではなく、帝国陸軍帽章に使っていた「星章」なのでしょう。表現が立体的ですし。
もしかしたら、五稜星と星章の両方にかけている可能性もありますけど…

なお、五稜星現在の北海道章については、2011年12月の記事正確な正七角形を描くのはほとんど不可能」で考察(というほどでもない)しておりますので、ご参考まで。

さて、きょうは「MISIA CANDLE NIGHT 2022 PEACE OF MINDを聴きに、河口湖まで出かけてきます。
交通手段は電車で、富士急行に乗るのは、人生初です。しかも、少なくとも往路は、特別列車「MISIA 星空のライヴ号」に乗る予定なのです
今回は日帰りですので、明日は、旅行記のつづきを書けるかもしれませんが、「日帰り遠征記ダイジェスト」(遠征記)になるかも知れませんので、お含みおきください

つづき:2022/05/02 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-5 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-3

2022-04-29 12:35:39 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-2」のつづきです。

外観をたっぷりと愛でた後、満を持して(?)「中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館」に入館しました。

旭川市彫刻美術館では、企画展「素材へのアプローチ -中原悌二郎賞受賞作家の金属彫刻から-」が開催されていました。

この展覧会は、

旭川市彫刻美術館が収蔵する中原悌二郎賞受賞作家の作品群から金属を素材とした彫刻を取り上げ、それぞれの作家がどのように素材を扱い作品を制作しているか、そして、素材の扱い方が作品の性質にどのように反映されているかを紹介いたします。

だそうで、最初の展示室に入ってビックリ

 

細い針金で構成された実物大のアルトサックスです

このCADデータのようなアルトサックスは、観たことがあります
ただ、もっともっともっと肥大化した作品

そう、北浦和公園音楽噴水に立つ「風の中で」です

行きつけの埼玉県立近代美術館シンボル的な作品のご兄弟(制作年はどちらも1988年)、遠征先の旭川で巡り逢えるとは、まさしく僥倖でした。

で、このサックスの作者、西野康造さんは、「平成31年4月1日から令和3年3月31日までの2年間において、国内で発表された日本人作家の彫刻作品」を対象とした第42回中原悌二郎賞の受賞者で、つい1か月ほど前(3月26日)に、旭川市彫刻美術館で賞状贈呈が行われたらしい。
そして、1階ロビーには、その日に設置された「Sky Memory 'spirit'」(2015)が展示されていました。

この「中原悌二郎賞」というのは、

中原悌二郎賞は、日本の近代彫刻史に優れた業績を残した旭川市ゆかりの彫刻家「中原悌二郎」を世間に広く知らせるとともに、日本の彫刻界の発展に貢献する目的で、1970年(昭和45年)に旭川市が開村80周年記念事業の1つとして始めた彫刻の全国賞です。

だそうで、「2003年(平成15年)の第33回からは、2年に1度開催するビエンナーレ形式となっています」とな。過去の受賞者一覧はこちら

じゃ、中原悌二郎って誰?」なんですが、Wikipedia では「大正期日本を代表する彫刻家の一人」として、略歴がさらぁ~と書かれているだけ。
Wikipedia よりも、新宿 中村屋のHPの方がはるかに詳しい

常設展示に中原悌二郎「平櫛田中像」があって、平櫛田中に師事したのかな? と思っていたら、「中原悌二郎資料室」に展示されている年譜を見ると、両者は「彫刻の盟友」(年齢は平櫛が16歳上)だったのでした。
そして、この「平櫛田中像」(1919)が中原悌二郎の遺作
なんと、中原悌二郎は32歳の若さで亡くなられていたのですと

そして、

悌二郎は、32年の生涯の中で、25点の作品を制作しましたが、自らの手で壊すなどして、現存する作品はわずか12点のみです。

とな
寡作にもほどがあります

ちなみに、平櫛田中は、中原悌二郎より16年早く生まれ亡くなったのは中原悌二郎没後 58年、つまり108歳(中原悌二郎の約3.5倍の生涯)大往生を遂げられた

   

話を美術館1階の、歴代の中原悌二郎賞受賞者 11名の金属彫刻が展示されていた企画展「素材へのアプローチ -中原悌二郎賞受賞作家の金属彫刻から-」に戻します。

私一番のお気に入りは、

鈴木久雄(第35回受賞者)「距離群」(2002)でした。

鍛造ステンレス鋼製の鉄筋の束のような作品で、室内の微妙な空調の風を感じて、かすかにシャワシャワを音をたてていました。

良く見ると、鉄の棒は縞々になっていて、

なんだかヤマアラシトゲ(毛)みたい…

もう1点、湯原和夫「門」(第3回優秀賞受賞作品)も良かった

外面のつや消しの黒と、内面の真鍮の曲面が放つ輝きとのコントラストがステキでした。
それにしても、まさしく「門」ですな。

というところで、「#2-4」につづきます。

つづき:2022/04/30 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-4 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-2

2022-04-27 17:27:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-1」のつづきです。

春光台 でバスを降り、最初の交差点を右折すると、井上靖記念館があり、その隣が「中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館」です。

おぉ、美しい建物

と、美術館の建物(旧旭川偕行社)の左に立つ、これまた白い下見板張り塔屋はなんでしょ?
意匠がそっくりなので、これも旧旭川偕行社由来の建物かと思ったら、ぜんぜん違っていました

説明板によりますと、

竹村病院六角堂
明治32年(1899)から一条五丁目で、博愛堂竹村医院を開いていた竹村鋋次郎は、明治34年(1901)に新しい病院を四条一二丁目に建設している。このとき病院の玄関に建てられたのが、この建物で住民に六角堂の名で親しまれていた。
昭和43年(1968)、同病院が解体されたために、現在地に復元された。

だそうです。
旧旭川偕行社明治35年(1902)の竣工ですから、まったく同時期の建物同士ですな
「病院の塔屋」といえば、記憶にも新しい、今年2月に山形で見学した「旧済生館(病院)本館」が思い出されます。

こちらの建物は、奇しくも札幌市時計台と同じ明治11年(1878)竣工ですから、かなり先輩です。

せっかくですから、まずは「竹村病院六角堂」をしげしげと拝見しました。
内部には入れませんので、外観だけです。

アーチ型三角形のペディメントが、各面 & 1階・2階併用されていて、はっきりいってハチャメチャではあるのですが、擬洋風建築ならではの遊び心にあふれています
アーチの上の飾りもなかなかだし、

腰壁のデザインもかわいらしい

と、竹村病院六角堂はこのくらいにして、次は旧旭川偕行社の建物を観察

まずは、説明板を転記します。

旧旭川偕行社
この建物は、旧陸軍第7師団が旭川に設営されたさいに、将校たちの社交場として、明治35年(1902)に建設された。設計は陸軍臨時建築部施工は大倉組である。
建物は、おもに師団関係者の会議、研修会、講演会、宴会、結婚披露宴、宿泊等に使用された。終戦後は、進駐軍が一時、将校クラブとして使用し、昭和24年(1949)、建物は国から旭川に移管され、その後、仮校舎などに使用された。
昭和43(1968)、この建物を博物館に転用するために、復原修理工事を実施し、市立旭川郷土博物館として使われ、さらに平成6年(1994) 6月、彫刻美術館となった。
建物は、木造二階建の規模の大きなもので、一階、二階ともに前面をヴェランダとし、柱間を開放している。正面中央には、半円形のペディメント、半円形平面の玄関ポーチをつけ、また煉瓦積の煙突を2本たててアクセントとしている。内部は二階に大広間をもち、玄関正面に設けられた階段室、窓廻りに意匠をこらしている。
この建物は、北海道における洋風の本格的なクラブ建築として特徴をもち、意匠にもすぐれていることから、平成元年(1989) 5月、国の重要文化財の指定を受けている。

です。

に廻ってみようとすると、勝手口(?)の屋根が弧状でめったに見ない形でした。

現代の建物では、金属製の骨組みとポリカーボネートでこんな庇を見かけるものですが…。

それにしても、日差しを浴びると下見板張り映えますなぁ

で、建物の裏側も、1階部分は柱がむき出しですが、2階にはベランダがありません

ところで、「偕行社」とはなんぞや? ですが、美術館の展示の中に説明がありました。

「偕行社」とは、明治10(1877)年2月15日に創立され、大日本帝国陸軍の将校たちを社員として、相互の扶助や親睦などの事業を行った全将校を包括管制組織のことを指します。
孔子が編纂したと伝わる「詩経」の一節に由来して、「偕(とも)に戦いに行こう」という意味を表します。(中略)
こうした組織のほか、偕行社が社交場や迎賓館として利用した施設も「偕行社」と呼ばれ、師団司令部が配置された地域にそれぞれ建物を構えていました。
北海道を管轄した第七(しち)師団司令部のあった旭川のほか、明治末には全国に19か所の「偕行社」が置かれていました。それらの建物の規模は同一ではなく、各師団の実情にあった施設が運用されていました。
偕行社の組織は、太平洋戦争の終結と共に昭和20(1945)年に解体されますが、昭和27(1952)年に陸軍OBの親睦的組織として再発足しています。

現存する旧偕行社の建物は、この旭川のほか、弘前金沢京都岡山善通寺6か所だとか。
このうち、旧金沢偕行社の建物は、2020年10月「国立工芸館」として再出発した東京国立近代美術館工芸館管理棟として使われていますし、旧岡山偕行社の建物は朝ドラ「カムカムエヴリバディ」「特別な場所」として登場していましたっけ…

この旧旭川偕行社の建物を最初に観たとき、私の目を惹いたのは、建物の前面を華やかにいろどるベランダでした。

でも、旭川のような街に、こんなベランダは合うのか? という疑問が浮かびました。
というのも、私が通っていた高校の校舎は、実におかしな造りで、南側にベランダのように開放廊下が通っていまして、になると、この廊下にが積もって、ほぼ使えないという…
この建物も、降雪期になれば、ベランダ無用の長物と化すのではなかろうか? と思ったわけです。

すると、展示品に、ブイブイ言っていた昭和初期の写真と、荒れ果てた昭和30年代の写真がありました。
まず、昭和初期がこちらで、

そしてこちらが昭和30年代の旧旭川偕行社。

なんと、2階のベランダ部分ガラス壁で覆われているではありませんか

そうだよねぇ~、雪国ベランダは合わないよねぇ~

設計陸軍臨時建築部だそうですが、現地の自然環境を考慮せず設計したのか、第七師団("だいしちしだん"と読むそうな)側が、南国風の意匠を求めたのか、どちらなんでしょ

ここまで、旭川市彫刻美術館の建物の話題に終始しておりましたが、内部の話、展示の話は「#2-3」で書きます。

つづき:2022/04/29 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-3 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-1

2022-04-26 19:26:36 | 旅行記/ニュース

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-2」のつづき、2日目の旅行記です。

朝、目覚めて、カーテンを上げると、

おぉ 大雪山「天使のはしご」
朝日を浴びる大雪山神々しい

さて、2日目は、夕方までに宿泊先の札幌のホテルにチェックインすれば良いというスケジュールで、一応、旭川13:00発⇒札幌14:25着特急 ライラック24号に乗ることを想定しつつ、さて、どこに行く?

1年半前に行った旭山動物園冬開園(~4月9日)⇒夏開園(4月29日~)端境休園だし、旭川市博物館常設展のみだし…
ネットで旭川市内の博物館・美術館を検索するとヒットした北海道立旭川美術館は、これまた企画展の端境期4月22日(金)まで休館中

そこで行き着いたのが、「中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館」でした。

正直、「中原悌二郎って誰?」でしたが、この美術館の建物が、1902年旧旭川偕行社として建てられたものだと知って、俄然、興味が湧いてきました。
市の中心部からはちょいと離れているものの、旭川駅前から路線バスに乗っていけるようで、よし、これで決まり

   

ホテルをチェックアウトし、荷物を旭川駅のコインロッカーに入れ、札幌までの自由席特急券を買い、バス停に行くと、、、ありゃま、バスの本数が少ない 次のバスまで30分以上も空いてる…
でも、ここでタクシーを使わない(今年1月の京都遠征でタクシーに乗ったのは例外記事)のが「私の流儀」でして、バスの発車時刻まで、旭川駅周辺をブラブラと散歩しました。
で、駅ナカのコンビニ(JR北海道はセブンイレブン)で買ったお茶が、
沖縄名物(?)「さんぴん茶」
まさか北海道さんぴん茶を買えるとは思わなかったさぁ~

なお、旭川駅前から旭川市彫刻美術館最寄りの春光園 までは、旭川電気軌道バス5番・80番・522番系統で行けます。
各系統とも、土日祝日だと、1時間に1本程度ですが、等間隔で運行されているわけではありませんので、ご注意

さて、30分間をどう過ごすか、ですが、一服しながら考えようと、旭川駅の喫煙ルームに行くと、コロナ禍の影響を受けて閉鎖 されていました

1年半前にこの喫煙ルームを使ったとき、ルーム内で「コロナなんて、札幌だけの話だ」と一人語りしているジサマがいて、危ねぇな と思ったものでしたっけ
そして、この北海道旅行後、旭川でもコロナ感染拡大が顕著だったわけでして、あの危機感ゼロジサマは、他の人にさきがけて感染したのではなかろうかと思ったのでした。

実は、現在、旭川市ではまたぞろ新型コロナの感染者数が激増中

なんだか、私が旭川に行くと、その後、感染が拡大するというパターンが繰り返されている感じですな

でも、私は新型コロナウイルス(COVID 19)感染症には罹患したことが無いし、今回はワクチン3回接種した上で出かけていますので、

私のせいではない と主張いたします

それにしても、COVID-19はいつになったら矛を収めるんでしょ

昨夜視た「映像の世紀 バタフライエフェクト」では、約100年前に世界中で推計5億人が感染した「スペインかぜ」は、約3年間を要して人類が集団免疫を得ることで収束したと言っていましたが、それまでに5千万人とも1億人以上ともいわれる死者を出したとな…
2019年12月中国・武漢で最初にCOVID-19が確認されてから2年4カ月日経のサイトによれば、現時点での世界全体累計感染者は約5億1千万人死者は622万人だとか。

   

路線バスを待った話からどんどん逸れてしまいました

約30分間ボンヤリと過ごした後、10:09発のバスに乗って出発

往復とも同じルートで、地図にルートを書き込むとこんな感じ。

旭川駅前⇔春光園前の距離は約6kmで、所要時間は20分強でした。
これで運賃220円だなんて、かなり安い
これがわがふるさとのバスだと、約3kmの距離で運賃310円もするのは、どうしたことだ

それはともかく、旭川駅前を出発してほんの数分市役所前を通過しまして、前夜「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」旭川公演のことを思い出したりして

ということで、COVID-19関連の寄り道があったため、まだ「中村悌二郎記念 旭川市彫刻美術館」に到着できていませんが、きょうはここまで。

つづき:2022/04/27 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-2 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-2

2022-04-25 17:37:15 | MISIA/旅行記

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-1」のつづきです。

旭川のホテルにチェックインして30分ほどで、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」旭川公演の会場、旭川市民文化会館を目指して出発しました。

旭川市民会館のHPによると、旭川駅からなら一本道「徒歩15~20分」だそうで、道に迷う余地は皆無だ と、歩いて行きました。
道中(?)は、真っ平らで、歩く道(緑橋通り)も、それと交差する道もだだっ広くて、そして真っ直ぐ さすがは北海道です。
私の歩くペース信号機のリズムと合ってしまったのか、信号待ちする機会がほとんど無く、ほぼ休むことなくひたすら歩き続けて、旭川市役所(新庁舎を絶賛新築工事中)に隣接する旭川市民文化会館に到着しました。

到着したのは、開演まで45分もあるタイミングでしたが、入場待ちの列が伸びていて、みんなこの公演を待ちに待っていたんだな…としみじみ…

この旭川公演は、当初の予定では202010に開催されるはずだったのが、コロナ禍20219月に延期されて、それがまた延期されてこの日を迎えたんですから。
私のチケットも、代金を払い込んだのは20214でしたから、1年間寝かせていたことになります。
MISIA20218苗場で放った名言、
 「コロナのバカヤロー
は、まさしくみんなの気持ちでしたなぁ

ちょいと旭川市民文化会館の入口付近をブラブラしたあとで入場しました。

そして、知った顔はいないかキョロキョロしましたが、見つけられませんでした。

ところが、座席につくと、周りに何人もいるんですなぁ、ミー友が…
MISIAのライヴに出かけて、知っている人の誰にも会わなかったなんてこと、ほとんど思い出せませぬ

   

さて、この日のライヴも熱かったぁ~
相変わらず「声出し禁止なのですが、その分、拍手熱い

そりゃ、小手先でごまかしたり流したりすることなく、いつも全力至高パフォーマンスを届けてくれるMISIA一座」ですから、聴衆だって、自分の感情(感動、賞讃、感謝 etc.) をステージにお返ししたくなりますよ

では、今週末に迫ったMISIA CANDLE NIGHT 2022 PEACE OF MINDではどうしたら良いのだろうか??
キャンドル手に持つ拍手はできないわけで、過去のCANDLE NIGHTでは拍手の代わり「ひゅ~ ひゅ~」と言、なんてことがあったけど、今回はどうする
なんとも悩ましいし、恨めしい

話をこの日のことに戻すと、私が厳選した(?) この日のMISIAのおことば」は、

でした。

   

ライヴ終了後、ミー友さん2人でひっそり飲み会を挙行しました。

歩行者専用道としてはあまりに道幅が広すぎる「買物公園」で、行き当たりばったりで入った居酒屋で、飲み放題のビールをかっぱかっぱ飲んで、ちょいと食べて、で、お会計衝撃2,200/
この居酒屋さん(チェーン)には、他のお客さんで儲けていただいて、事業を継続していただきたいものだと思います

飲み会終了後、外に出ると、

黒川晃彦さんの彫刻作品遭遇

黒川さんのサックスを吹く裸のおじさんの像は、日本のあちこちで観ることができて(ご参考)、私も45ヵ所目くらいのはずです。

実は、翌日も旭川市内でサックス絡みの「あ"~」案件が発生したのですが、それは#2-1で…。

それはともかく、このおじさんの隣りに座って、本物のサックスを演奏したりする人はいないのかな?

   

「酒の友」をしてくれたミー友さんと別れて、旭川駅前に戻ると、

南西の空に「ほぼ満月が浮かんでいました。
「ピンクムーン」と呼ばれる「ホントの満月翌17日未明だそうですから、まぁ、実質、この月が「ピンクムーンだと言ってよろしいでしょ。

ホテルに戻ると、大浴場でお湯に浸かって(部屋にはシャワーしかない)、この充実した半日を振り返っては、ニマニマしたのでありました。

つづき:2022/04/26 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #2-1

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-1

2022-04-24 16:51:18 | 旅行記

4月16日(土)~19日(火)に決行した「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行」旅行記本編を書き始めます。

北海道に旅行するにあたって、ちょっと考えたのは、服装をどうするか、でした。
関東近辺はの季節も終わり、かなり暖かくなりましたが、北海道寒いのは判りきった話ですが、旭川16日(土)朝の最低気温0℃で、翌朝は-1℃という天気予報を見ると、セーターを持っていくべきなのかどうか…
でも、日中旭川も札幌も15℃前後だというので、セーターは無しにして、ネルシャツとラグジャ、そしてパーカーを着ることにしました。そして、帰京してから本宅まではパーカーだと暑かろうと、薄いブルゾンをバッグにしまい込んで、出発

結論を書けば、出発前の羽田空港では、昼食にそばを食べたこともあってか、

パーカーを着ていると汗ばむくらいでしたが、旅行中、寒いとか暑いとかまったく問題はありませんでした
帰りの新千歳空港⇒羽田空港⇒本宅の区間だけ着た薄手のブルゾン正解

   

さて、初日は、昼ちょい前のんびりと出発しました。
天候は良好で、羽田⇒旭川のフライトでは、ひたすら眺めを楽しみました。
ダイジェストで載せたもの以外にも、筑波山とか、

上空から視るのは初めての岩手山とか、

競馬ファンなら知っている鵡川や門別とか…

と、ここで、以前にも見た不思議な風景を再び見ました

山並みを貫く白い直線です。
コレは何??
新幹線とか高速道路は通っていないし…

Googleマップ航空写真を見ると、バリカンをかけたように緑地帯が繋がっています。
そして、さらに拡大すると、、、

送電線でした。
とすると、富士山の裾野にある「謎の直線」もそうなのか?

こちらもGoogleマップの航空写真を拡大してみると、送電線でした。
ふぅ~ 胸のつかえが下りました

   

旭川空港へは、ほぼ定刻に到着し、

リムジンバスに乗って旭川市中心部に向かい、17:00ちょい前旭川駅前のホテルにチェックインしました。
ダイジェストに書いたように、1年半前「空振り旅行」のときと同じホテルでして、その時は北西向きの部屋で、眺めは可もなく不可もなくでしたが、

今回は反対側の南東向きの部屋で、しかも天気が良かったものですから、なんと良い眺め

大雪山十勝岳連峰もくっきりと見えて、旭川ぁ~ でした。
大雪山といえば、MISIA「EIGHTH WORLD」のアートワークとか、「EIGHth WORLD THE TOUR OF MISIA 2008」のツアーパンフを思い出します

とホテルでくつろいだのもつかの間、旭川でのメイン「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」旭川公演開場時刻になってしまいました。

今回は短めですが、ここで「#1-2」につづきます。

「MISIA星空のラジオ」の放送が始まることですし…

つづき:2022/04/25 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-2 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 ダイジェスト #3 & #4

2022-04-19 23:37:23 | 旅行記

「1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 ダイジェスト #1 & #2」のつづき、ダイジェスト版の完結編です。

きょうの夕方、羽田空港に着き、そこからちょうど2時間を要して本宅に帰着しました。

きのう(3日目)きょう(最終日)の旅程は、

【3日目】 4月18日 (月)
ホテル⇒徒歩大通公園⇒徒歩すすきの⇒徒歩ホテル⇒徒歩⇒札幌文化芸術劇場 hitaru (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE 1st Stage)⇒徒歩ホテル⇒徒歩札幌文化芸術劇場 hitaru (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE 2nd Stage)⇒徒歩プチオフ会⇒徒歩ホテル

【最終日】 4月19日 (火)
ホテル⇒徒歩札幌駅特急 北斗白老駅⇒徒歩ウポポイ⇒徒歩白老駅特急 すずらん南千歳駅エアポート快速新千歳空港飛行機羽田空港京急品川駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩本宅

というものでした。

最終日は、1年半前に国立アイヌ民族博物館「日時指定券」がとれなかったウポポイリターンマッチを予定していましたけれど、

まったく予定が立っていなかったのは、3日目「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSEまでの時間でした。

なにせこの日は月曜日
「ダイジェスト #1 & #2」で、

博物館とか美術館は休館日なんだよな…
さて、どうしましょ

と書いたそのまま、結論が出ないまま、夜が明けてしまいました

10:30近くまで、ホテルの自室で「ダイジェスト #1 & #2」を書いていましたが、せっかく札幌まで来て、15:00頃までジトぉ~と過ごすのは、いくらなんでももったいない

ということで(?)大通公園散策してみようかと思い立ちました。
小雨が降っているとはいえ、ホテルから近いですし…。

こんな思いつきで始めた大通公園の散策だったのですが、、、、、
自分で言うのもなんですが、私、一見、なんでもないところ楽しむ才能を持っているんじゃないかと思ったりして…

詳細は旅行記本編で書くつもりですが、大通公園にある記念碑の一つ一つがおもしろくて、例えば、1886年に建てたれた「開拓紀年碑」なんて、題字は王羲之なんですと

王羲之といえば、このブログでも何度もご登場いただいた「永和九年」史上最高峰とも称えられる達筆な方なのですが、問題は、その生きていた時期が4世紀だということ

説明板によれば、

大通公園で最も古い記念碑です。1982(明治15)年に開拓使が廃止された後、札幌神社の宮司らが中心となって募金を集め、1986(明治19)年に偕楽園内(現在の北7条西7丁目付近)に建立されました。1901(明治34)年に台座の修復を兼ねて、公的土地である現在の場所に移設されました。題字は中国の書聖・王羲之の書から5文字を拾い、刻まれたものです。開拓紀年碑のの文字は勅選または国家の公式の記録として制作された場合に使われます。

だそうで、いわゆる「サンプリング」ってヤツですな

この碑だけでなく、いろいろ面白いものを見つけたのですが、この日一番の掘り出し物(?)は、こちらの神社でした。

三吉神社

歩いていた通りの反対側の神社が目に止まりました。

「三吉神社」

私の故郷、秋田市には同名の神社があるよなぁ~ と思いました。

うまい具合に、通りを走るクルマが途切れたものですから、走って道路を横断し、由緒書を見ると、、、、、衝撃の事実が書かれていました。

由緒 霊峰秋田太平山ノ山頂二祀ル太平山三吉神社ノ御分霊ヲ明治11年豊平川東詰ニ奉斎シ翌年現地ニ遷座ス
大正14年氏神トシテ幣帛共進指定セラル

ななななんと、秋田の三吉神社から分霊されたとな

これには驚きました。

このあと聴いた「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE2公演とりわけ 2nd Stageは、これまでのツアー中で最高のライヴだったのですが、この札幌の三吉神社の存在を知ったことは、それにも勝るとも劣らない今回の北海道旅行での収穫だったと思っています。

まぁ、これは「ダイジェスト」ですから、この辺にしておきましょう

旅行記本編:2022/05/15 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #3-1 

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1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 ダイジェスト #1 & #2

2022-04-18 10:24:15 | MISIA/旅行記

現在、札幌のホテルに滞在中です。

今回の北海道旅行は、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE旭川公演&札幌公演がメインの目的です。
このうち、旭川公演は、コロナ禍がなければ、2020年10月末に開催されていたはずで、そこから一旦、21年9月に延期されたものの、それも延期になって、ようやく1年半遅れで開催された「涙モノの公演でした。

1年半前の旅行は、札幌のホテル「120日前予約でお得にSTAY 素泊り」プランだったためにキャンセルできず「空振りツアー」として決行したことはこちらとか旅行記ダイジェストで書いたとおりです。

まずは、ここまでの旅程です。

【初日】4月16日 (土)
自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅京浜東北線浜松町駅東京モノレール羽田空港第一ターミナル駅羽田空港飛行機旭川空港空港リムジンバス旭川駅前⇒徒歩ホテル⇒徒歩旭川市文化会館(MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE)⇒徒歩飲み会⇒徒歩ホテル

【2日目】4月17日 (日)
ホテル⇒徒歩旭川駅前路線バス春光園前中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館春光園前路線バス旭川駅前昼食旭川駅特急ライラック札幌駅⇒徒歩ホテル

両日とも天候に恵まれて、飛行機からの眺め良かったぁ~
福島市とか、

盛岡市とか、

六ヶ所村とか、

そして、北海道の山々

旭川のホテルは、1年半前と同じホテルで、前回の部屋と反対南東向きの部屋だったものだから、大雪山も、

十勝岳連峰もしっかりと見えて、まさしく眼福でした。

そして、夜には、わたし的には4週間ぶり多くの聴衆にとっては待ちに待ったMISIAの歌声に酔いしれて、ますます幸せぇ~

   

2日目は、昼下がりの電車札幌に向かうつもりで、さて、それまでどうする??
前回は、旭山動物園午前中を楽しみましたが(記事)、ちょうど今の時期の旭山動物園は、冬期開園シーズンが終わって端境期休園中(4月8~28日)なんです。
そこで出かけたのが、中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館でした。
正直、お目当ては、旧旭川偕行社復元した建物が7割展示作品が3割
ところがどうして、建物はもちろんよだれモノだったのですが、

展示楽しかった

それなのに、日曜日なのに、来館者は、私以外には誰もいませんでした

おっと、もう10時を過ぎてる

ブログ書きはこの辺にして、きょうの行動を開始しないと時間がもったいない
とはいえ、きょうは月曜日。博物館とか美術館は休館日なんだよな…
さて、どうしましょ

つづき:2022/04/19 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 ダイジェスト #3 & #4 
 旅行記本編:2022/04/24 1年半ぶりの旭川⇒札幌旅行 #1-1 

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約1年ぶりの関西旅行記 #4 [完結編]

2022-04-11 19:42:46 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行記 #3-7」のつづきは、2泊3日の関西旅行の最終日(21/11/22)のお話です。
「ダイジェスト」を読み返すと、なんだか書き足すことはあまりない気がするなぁ…
でも、まぁ、ボチボチと書いてみましょうか。

私の関西旅行の交通手段は、往復とも新幹線か、往復で飛行機新幹線を使い分けるパターンがほとんどなのですが、昨年11月のこの関西遠征は珍しく往復とも飛行機を使いました。
これというのも、羽田⇔伊丹往復で20,500円という安い航空券を買えたから。新幹線だと新大阪 or 京都⇒東京片道13,000円以上かかりますからねぇ。

で、最終日は、リムジンバスJR奈良駅前から伊丹空港まで行くことにしていまして、その出発時刻は12:55ですから、昼食前にバスに乗ることになりそう…
まずはJR奈良駅のコインロッカー荷物を入れようと、小雨の中、ホテルからJR奈良駅まで歩きました。
空いたコインロッカーはすぐに見つかったのですが、小銭が無い
両替機無いし、交通系ICカードを使うタイプのコインロッカーも無いし、代わってこんな無情貼り紙が…。

この近辺に両替ができるお店はありません。

とな

では、自販機お茶を買って千円札を崩そう と近くの自販機に千円札を突っ込むと、

釣り切れぇ~
別の自販機を使おうとすると、

ここも釣り切れ
動揺したせいで、写真がブレてしまいました

結局、近くのコンビニに行き、お茶(税込 108円)現金で購入して、コインロッカー代 (400円)をこしらえたのでありました

しかし、これってどうよ
わざわざ多言語貼り紙を作るくらいですから、小銭が無くてコインロッカーを使えない人が出現することは想定しているわけですよね。
なんとも、、、憮然

つまらないことで時間労力を使って身軽になった私は、JR奈良駅前から路線バスに乗って興福寺へと向かいました。

   

興福寺では、前日の薬師寺(東塔&西塔:三重塔) に引き続いて、五重塔の初層内部拝観(今年1月には東寺五重塔の初層内部も拝観しました:記事)「お約束国宝館堪能したのですが、この辺りは「ダイジェスト」でけっこう細かく書きましたので省略

南円堂の横を通り、石段で猿沢池に降りようとすると、南円堂の前に柑橘類を発見

説明板がありました。

右近橘 (うこんのたちばな)
ミカン科の常緑低木。台湾から日本列島の暖地の海に近い地方に自生する。日本に古くから野生した唯一の柑橘で、別名ヤマトタチバナともいう。(中略)
京都御所紫宸殿の「右近の橘」は「左近の桜」とともに、名高く、野生のタチバナの改良種であるといわれている。桓武天皇が紫宸殿の階の左右にサクラとタチバナを植えたのに始まり、左(東)は左近衛府、右(西)は右近衛府と警護の官人が詰めていたので、そうよなれるようになったと伝える。藤原氏の氏寺である興福寺ではサクラの代わりにフジが植えられ、「右近の橘」「左近の」と言われています。

だとか。

京都御所紫宸殿2017年7月に参観しましたなぁ

なお、「右」「左」は、京都市の区名と同様、紫宸殿上から見た場合の「右」「左」ですので、紫宸殿の左側に見えるのが右近の橘」です。

それそうと、タチバナの実はたわわに実っていました。
誰も採っていかないのかな?

このあと、三重塔愛でて興福寺をあとにしました。

   

「ダイジェスト」で、

ま、この話は旅行記本編で書くことにしましょ

と書いてしまったからには、「親愛幼稚園」にも触れておかざるを得ないでしょう

興福寺が立つ「段丘」を下ると、東向商店街があります。
その一角に、お寺っぽい建物があって、その門には「親愛幼稚園」と表札がかかっていて、「え" これが幼稚園と驚きます。
そして、説明板がありまして、

重要文化財 日本聖公会奈良基督教会
  会堂    昭和5年 (1930)
  親愛幼稚園 昭和4年 (1929) 平成27年7月8日指定
奈良基督教会の歴史は明治18年(1885)に遡ります。現在の建物は、県内の大工の家に生まれ古社寺修理の経験を持つ大木吉太郎の設計・施工により、昭和5年(1930)に竣工しました。
本格的な西洋式教会の形式に則りながら、奈良公園の風致景観と調和するよう、全て和風意匠とする点に大きな特徴があります。古建築の要素を駆使した内部空間も秀逸で、昭和初期の近代和風建築として高い価値があります。
会堂家具45点、正門1所、設計図面147枚もあわせて指定されています。

です。

正面に見えるのは日本聖公会奈良基督教会で、幼稚園は教会の左手に棟続きであるようです。教会の右手奥にかすかに屋根が見えるのは興福寺南円堂です。

いろいろ調べると、「帝国奈良博物館本館」(設計:片山東熊、竣工:1894年、現 奈良国立博物館 なら仏像館)が洋風過ぎ批判を浴びたことから、「奈良公園の景観」に合わない建物の建築が認められなかったという事情があるようです。

それはともかく、さきほど、私のビデオコレクションから、2015年6月27日放送の「ブラタモリ:奈良~奈良発展の秘密は"段差"にあり?~」で教会の素晴らしい内部を拝見させていただきました。

   

この後、ファストフード店でちょいと時間調整して、伊丹空港行きのリムジンバスに乗り込みました。

車内では、買い込んでおいた「柿の葉寿司」昼食

テーブルの無いバスの中での食事としては、柿の葉寿司うってつけでした

運転手さんによる車内アナウンスでは、阪神高速の工事通行止めの影響で、伊丹空港への到着が遅れる可能性があるとのこと。
そういえば、2日前に道頓堀からフェスティバルホールまで歩いたとき環状線ガンガン工事をしていましたなぁ。

一応、エクスキューズは頂きましたけど伊丹空港へはほぼ定刻に到着できました

そして、いざ、羽田空港

この日のフライト17時頃羽田空港に到着したのですが、11月下旬ともなれば、もう真っ暗でした。
でも、この日のルートは、ぐるっと都心上空半時計回りに飛ぶルート(本宅近くの上空も飛んだはず)で、東京の夜景を真上から楽しめました

写真は、スマホで撮影した動画から切り出したもので、この動画が、我ながら凄い
流れる低い雲がとても映画チックなんです
このブログでは動画載せられないのが残念

かくして、約1年ぶりの関西旅行は無事に完了したのでありました。

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約1年ぶりの関西旅行記 #3-7

2022-04-10 13:20:57 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行記 #3-6」のつづきです。

ダイジェストで書いたように、明日香村をあとにした私は、

飛鳥駅近鉄吉野線橿原神宮駅近鉄橿原線西ノ京駅

と移動し、薬師寺へと向かいました。
薬師寺の拝観は、2019年以降、なぜか毎年年末ばかり3年連続すが、今回のお目当ては、2009年7月から約10年間を費やした解体大修理完了した東塔「初層内陣公開」です。
2019年11月(記事)はようやく素屋根が半分ほど外された状態でしたし、

2020年12月は、素屋根こそ完全に姿を消していたものの、塔の周りにが巡らされ、近づけない状態でしたから、

東塔を間近に拝見できるのも、初層内陣を拝見できるのも、2011年3月(記事)以来11年弱ぶりです

そして、やって来ました、薬師寺

でも、あれっ?? 信じられないほど参拝客少ない

2011年3月東塔&西塔の初層内陣公開のときはとんでもない人出だったのに

やはり新型コロナウイルス感染症の影響なんでしょうねぇ
そういえば、2020年4月に予定されていた東塔の落慶法要は新型コロナの影響で延期となって、現時点でもいつ落慶法要が行われるのか発表されていないみたいです。
人々が鬱々としている中で慶事を挙行するのははばかれるということなのかもしれません

さて、「国宝 東塔 内陣特別開扉」 とはなりませんで、はやる心を抑えて、まずは東院堂聖観音菩薩にお参りしました。

写真は、東院堂の聖観音菩薩像から「型取り」して作られたというトーハクの聖観音菩薩像の後ろ姿です

東院堂金堂や東塔・西塔を取り囲む回廊(東側)にあるためか、ちょいと人目につきづらいのですが、鎌倉時代に建てられた建物も、白鳳or天平期につくられた御本尊(聖観音菩薩像)素晴らしいので、薬師寺に行ったら、こちらを見逃しちゃもったいないですぞ
ちなみに東院堂聖観音菩薩像国宝です。

   

東院堂ほっこりした後は、中門をくぐって回廊の内側に入り、東塔を間近に拝観しました。

解体大修理後というと、ピッカピカ生まれ変わると想像する方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことは無くて、漆喰塗りの壁こそまっさら ですが、再利用可能な材料は極力再利用するのが現代の大修理ですから、

垂木とか欄干とかは、そこだけ見ると、「修理したの?」と思えるくらい古色蒼然としています。

ちなみに今、私は「日本の歴史的建造物-社寺・城郭・近代建築の保存と活用という本を読んでおります。

さて、東塔の初層内陣は、待ち時間ほとんど無しで拝見できました。
2011年3月大修理直前東塔初層内陣を拝見したときは、

離れて観ると、1300年近い年月を感じさせない端正な姿の東塔ですが、その内部はかなりボロボロの印象でした。ほとんどモノトーンの世界で、柱の礎石はかなり沈んでいるし(明治時代の修理で、柱の下部が継ぎ足されている)、心柱には大きな亀裂が入り、鉄のバンドで補強されているしで、参観中の人が話していた「いま、大きな地震が起こったら、バラバラになってしまいそう…」が真実みを帯びていました。

だったのですが、心柱は、それこそド~ンと鎮座していて、おもわずニコニコ顔になってしまいました。

東塔の前には、真新しい「東塔縁起」が立てられていました。

後半を抜き書きしますと、

長い歴史の中で部分的な修理が幾度となく施され護られてきたが、近年の調査により心柱脚部の痛みが顕著であることが判明、文化庁及び奈良県の指導のもと、平成21年(2009)より各匠の技を結集し、史上初の全面解体による保存修理事業が行われた。
解体作業中、心柱の最頂部より佛舎利が発見され、再び同所に戻すに際し五重(玻璃、純金、青磁、籃胎漆器、紬織)の入れ子式の新たな舎利容器が、平成の名工の技により誂えられ奉安なされた。
令和3年(2021)春、全国からお写経・お浄財等が佛心として凝集、全面解体修理は無事に完了、東塔は壮麗な姿と共に、千三百年の歴史を今に伝えている。

だそうです。
共同通信の動画で、その舎利容器の奉安の様子などが見られます。

こういうのを視ていると、早く関係者や善男善女がみんな晴れ晴れした気持ち落慶法要ができたらいいなと思いますよ、まったく

このあと、西塔の初層内陣⇒金堂⇒講堂と拝観し、今回は玄奘三蔵院伽藍の参拝はパスして、

西ノ京駅近鉄橿原線大和西大寺駅近鉄京都線近鉄奈良駅

のルートで奈良市中心部に戻りました。

そして、奈良に来るとほぼ必ず食事しているレストランで、私としてはかなり早め夕食

今回はラムチョップをいただきました。
美味かった

そしてJR奈良駅近くのホテルに戻り、関西旅行3日目の行動を終えたのでありました。

つづき:2022/04/11 約1年ぶりの関西旅行記 #4 [完結編] 

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