新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

いつも赤信号な交差点 2019年1Q

2019-03-31 09:44:37 | タウンウオッチング

きょうで2018年度は終わり、明日から2019年度が始まります。
さらに今年の場合は、あと1か月「平成」が終わり、新しい元号スタートします。

そんなタイミングの記事といえば、、、、、そう、「いつも赤信号な交差点」シリーズです

まずは、2018年度1Q (2018年1~3月)「いつも赤信号な交差点ランキング」

「土支田」(笹目通り)が、またもやパーフェクト首位を守り、元祖「いつも赤信号な交差点」「世田谷清掃工場前」(環八)が2位

ここまでは「お約束」なんですが、御三家の残り一つ、「千歳台」(環八)は、前期につづいて5位に甘んじました
それでも、オールタイムランキング(n=1,192)では、「千歳台」「十中八九赤信号レベルをかろうじてクリアして(80.9%)3位を維持しています。

   

去年の今頃の記事、「いつも赤信号な交差点 2018年1Q (後編)」で、私のランキングでは「裏の渋滞スポット」になっている「観蔵院入口」(笹目通り)を取り上げました。

この記事では、

R246~笹目通りの通勤ルートのなかで唯一片側1車線しかないことに加えて、十字路ではなく横断歩道しかない交差点にしては赤信号の時間が長いという理由から「屈指の渋滞ポイント」になっていると踏んでいまして、私は「観蔵院入口」が混んでいると見たとき(かなり手前から井荻TNの左車線が詰まっていたりする)は、そのまま環八を進んで、「練馬北町陸橋⇒R245⇒新大宮BP」という迂回ルートを採っています。

として、2018年1Qに私が採ったルートを表にまとめて載せました。
それでは今年はどうだったかといいますと、こんな具合でした。

去年ほどではないけれど、今年も「観蔵院入口」渋滞を避けて環八・R246ルートに迂回することが多かったことが見えますな。

迂回ルート5kmほど距離が延びますが、所要時間は15分程度で、今期平均14分だった笹目通りルートさほど違いませんし、何よりも交差点の間隔が長くて赤信号で停められることが少なく、ストレスフリーなのが気に入っております。

   

さて、「観蔵院入口」が陰に隠れている渋滞ランキングは、

でございまして、まったく「イヤな交差点リスト」になっております

そして最後に、赤信号+渋滞ランキングを載せます。

これだけデータが集まって傾向が見えてくると、信号に捕まっても、自然渋滞に嵌まっても、ある程度「あきらめの気持ちが出てきて、たまたまクルマを運転して赤信号に捕まったり自然渋滞に嵌まっているドライバーよりも心の余裕はあると思う今日この頃です。

つづきのようなもの:2019/06/29 いつも赤信号な交差点 2019年2Q

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MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (2日目)

2019-03-24 20:38:04 | 旅行記

「MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日・MISIA編)」のつづき、福岡遠征記ダイジェスト最終回です。

きのうの18:30とは比べようもなく暗くなってしまった最寄り駅前に18:30頃到着し、自宅帰着しました。

帰りの飛行機では機体左側の窓側の席をとることができまして、景色を楽しむこともできました。

例えば、松山付近とか、

坂出・丸亀・善通寺・琴平辺りとか、

関空&神戸とか、

南アルプスとか、

富士山とか、

富士山

そして、今回のフライトでの最大の収穫となった伊豆大島とか…。

最後のオマケに、着陸直前のフルフラップ状態

   

旅行記ダイジェストとしては異例の展開をみせておりますが、例によって、きょうの旅程に行きましょう。

きょうは、福岡では初めてのところばかりを巡りました。
今朝、「MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日・MISIA編)」追記をアップしたあとでドタバタと巡る先を決めたもので、ムダな動きがあるかと思いますが…。

ホテル⇒徒歩博多駅JR鹿児島本線香椎駅JR香椎線香椎神宮駅⇒徒歩香椎宮⇒徒歩香椎宮前路線バス香椎参道⇒徒歩香椎宮駅西鉄貝塚線貝塚駅地下鉄箱崎線箱崎宮前駅筥崎宮筥崎宮前駅地下鉄箱崎線&空港線赤坂駅⇒徒歩長浜⇒徒歩赤坂駅地下鉄空港線博多駅(コインロッカー)博多駅地下鉄空港線福岡空港飛行機羽田空港空港リムジンバス最寄り駅前⇒徒歩自宅

というわけで、香椎宮と、

筥崎宮お参りして、

ラーメンの聖地長浜ラーメンを食べてきました。

写真は「元祖 長浜屋」さんですが、ご覧のとおりの行列で、行列嫌いの私は別のお店長浜ラーメンを食しましたとさ

旅行記本編いつ始まるのか私でも判りませんが、いつか書きたいと思っておりますです

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MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日・MISIA編)

2019-03-24 01:14:27 | MISIA

「MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日途中まで)」のつづき、っつうか、取り急ぎの記事です。

ついに「MISIA星空のライヴX」ツアーが終わってしまいました

つくづく、「ほんんんんっとに、良いツアーだった…と感じ入っています。

もう夜も遅いので、ひと言 & セットリスト(←クリックすると、全50公演のセットリストが開くはず)だけアップしておきます。

今夜のMISIAは、ほぼ完璧 でした。

おやすみなさい…

【追記】仕事関係のあまり面白くない夢を見てしまいましたが、とりあえず気持ち良く目が覚めました。

昨夜書いたこの記事をちょいと補完
ホントは「MISIA星空のライヴX」ツアー全体をふり返りたいところですが、まだ頭の中の整理がついていませんので、昨夜思ったことを断片的メモしておきます。

昨夜のライヴ終了後、ミー友さんたちと焼肉オフを楽しんだのですが、そのお店ではご厚意により「LOVE IS THE MESSAGE THE TOUR OF MISIA 1999-2000」「THE TOUR OF MISIA 2001」DVDが流されていました。その20年近く前のMISIAの歌声が、現在とかなり違うことを改めて認識しました。
現在のMISIAの歌声の厚みというか、響きというか何というか、歌声の密度が格段に高まっている感じ…
1~2年ほど前だったか、MISIA「今の自分の声の方が好き」と発言していましたが、さもありなん…です。

ベテラン歌手の中には、古い自分の持ち歌を歌うとき、テンポを振ってみたり、妙なアレンジ(フェイク)を加えてみたりする方がいらっしゃいます。「昔と違って、今は余裕を持って歌っているんですよ、ほらみたいなことをアピールしているかのようで、結構、鼻についたりするものです。
一方のMISIAREMIXバージョンとかアレンジを大幅に変えることはあっても、歌い方に小細工は使っていない って感じ。
例えば、昨夜のEverythingなんて、もう正攻法
CD音源と同じようでいながら、しっかりと進化している(いわゆる「口からCD音源以上」)んですから…
これは、実際にライヴでMISIAの生歌を体験しないと判らないことでしょう。
何度も書いたコトながら、生のMISIAを体験しないでいると、人生で損します

5月12日ニューヨークで開催されるライヴイベント「JAPAN NIGHT」に我らがMISIAが出演するそうです。
JAPAN NIGHT 2019
2012年3月の「全米桜祭り」以来7年ぶり2度目アメリカ本土でのライヴで、MISIAは何を歌うんだろ? と思うところです。
昨夜思ったのは、そのプレイリスト「君だけがいない世界」X ver.を入れて欲しいということ。
日本国内で「MISIAの代表曲」とされている曲もさることながら、あの「君だけがいない世界」現在のMISIA象徴するようなすばらしいデキだと思うのですよ。

今回のツアーで「名物」になったバンドメンバー紹介の際の「ミニ・カヴァー」、何度聴いても、お馴染みの曲の魅力を再発見しつつ、MISIAのシンガーとしてのとてつもない才能大感動しました。

そして、思ったのは、邦楽に絞ったカヴァーアルバムを制作してくれないものだろうか ということ(「MISIAの森 -Forest Covers-」期待ハズレでした)。
でも、一方で、あんな風MISIAにカヴァーされたら、オリジナルを歌ったシンガーにとってはなのではなかろうか? とも思ったりして…

というところで、福岡遠征2日目準備にとりかかります。
帰りの飛行機は別として、きょうの行動予定まだ決まっていないのですよ

(2019/03/24 08:30)

つづき:2019/03/24 MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (2日目)

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MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日途中まで)

2019-03-23 17:45:32 | MISIA/旅行記

去年6月から9か月以上にわたって繰り広げられてきた「MISIA星空のライヴX Life is going on and on」も、いよいよ今夜の福岡公演千穐楽 っつうことで、福岡に来ています。

今、ホテルの自室できょうの疲れ癒して 福岡サンパレスホールへの出撃に備えているところでして、今夜のライヴは土曜日だというのに開演は19:00と遅いものですから、のんびりとPCに向かっているというしだい。

まずは、ここまでの旅程から。

自宅⇒徒歩最寄り駅前空港リムジンバス(首都高5号線⇒竹橋JCT⇒都心環状線・外回り⇒1号線下り)羽田空港飛行機福岡空港地下鉄博多駅徒歩ホテル⇒徒歩博多バスターミナル⇒直行バスヤフオクドーム⇒徒歩福岡市博物館博物館南口⇒路線バス博多駅⇒徒歩ホテル

と、きょうの観光は福岡市博物館だけでした。

私が福岡市博物館を訪れるのは2011年7月(記事はこちら)以来2度でして、前回は地下鉄・西新駅から徒歩で行ったのですが、結構な距離だったもので、今回はバスにしました。

ところが、乗ったバスはヤフオク!ドームへの直行バス

方向こそ合致しているものの、福岡市博物館かなり手前でバスから降ろされるハメになりました。

ありゃぁ~ と、この時は思ったのですが、帰りに博物館最寄りのバス停から博多駅前に戻った時には約1時間もかかってしまい、往路でヤフオク!ドーム行きの直行バス(高速を走った)に乗ったのはかなりの時間短縮につながったのだと気づきました

しかも、百道浜橋のたもとでは、今年初めて満開サクラを愛でることができましたし、

韓国領事館中国領事館を警備する警察官たちから「こんにちは~と挨拶されたし、なかなかの歩きでした。

で、約8年ぶり福岡市博物館に到着。

福岡市博物館では「ジブリの大博覧会」が開催中で、ホワイエにはこんな展示が

真ん中のでっかい「空飛ぶ舟」は、プロペラとか(かい)が動いて、舟全体が上下するんですよ

私が福岡市博物館に出かけたのは「ジブリの大博覧会」お目当てではなく常設展を観るためだったのですが、これを観られただけで十分 って感じ。
「ジブリの大博覧会」は親子連れで大賑わい30分だかそこいらの入場待ちの状態でしたから、当然、当初の狙いどおり、常設展だけ観て帰ってきました

というとこで、そろそろタイムアップです。

Xファイナル出撃します

 つづき:2019/03/24
 MISIA★Xファイナル遠征ダイジェスト (初日・MISIA編)

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3週間ぶりの東京国立博物館

2019-03-17 21:19:52 | 美術館・博物館・アート

きょう、先月23日以来、3週間ぶり(前回の超簡単訪問記)に東京国立博物館(トーハク)に行ってきました。

今、トーハクでは平成館を会場とする大きな特別展端境期ですが(次の特別展は3月26日~6月2日の「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」展)、特別展 御即位30年記念「両陛下と文化交流 -日本美を伝える-」が開催中であることに加えて、恒例の「博物館でお花見を」が開催中ですし、私がプレミアムパスを購入したときにいただいたミュージアムシアタータダ券の有効期限が来週まで、っつうことで、出かけたしだい…。

私がトーハクに到着したのは11:00ちょいと手前でしたので、まずは、11:00からきょう最初の上演が始まるミュージアムシアター「風神雷神図のウラ -夏秋草図に秘めた想い-」から…。

この作品は、

(酒井)抱一晩年の最高傑作である「夏秋草図屛風」は、実はある屛風の“ウラ”に描くよう依頼された作品であることをご存じでしょうか。その屛風とは、抱一が長年憧れを抱き、自らの絵画制作の師と仰いだ名匠の手によるものでした。抱一はどのような想いを込めて、その裏側に「夏秋草図屛風」を描いたのか。バーチャルリアリティならではの視点で、オモテとウラの関係性に隠された秘密を探ります。

というもので、以前にも観覧した記憶が…
でも、せっかくのタダ券にするのももったいないし、なにしろ抱一っつうか琳派好きなもので…

酒井抱一傑作「夏秋草図屏風」は、いまでこそ別個の一曲二双の屏風に仕立て直されていますが、もとは、抱一心の師と仰ぐ尾形光琳「風神雷神図屏風」の裏に描かれた珍品

その「夏秋草図屏風」「風神雷神図屏風」(光琳版)との関係をVRで探っていこうというこの作品、ほんんんっとおもしろかった

今は一つの一曲二双屏風絵として、右隻・左隻それぞれの真ん中を奥に折って展示されるように表装し直された「夏秋草図屏風」が、真ん中を手前に折るようにしたらどう見えるか、ということだけでもワクワクなのに、今は黒ずんで「いぶし銀」になっている地の銀箔往時の輝きを取り戻したらどうなるか なんて楽しすぎます
そして、実際に、ギンギラギンの背景に変わると、葉っぱが、葉の表も裏もなんと鮮やかに見えることか

ここまででも、十分に楽しんでいるというのに、ここからが「風神雷神図のウラ -夏秋草図に秘めた想い-」真骨頂表の「風神雷神図屏風」裏の「夏秋草図屏風」との関係に踏み込んでいくと、これまた面白い

「風神雷神図屏風」の左隻「雷神(「夏秋草図屏風」の右隻)にはに打たれた夏草が、右隻「風神の裏には強風に翻弄される秋草が描かれていること(VR技術表裏一枚の絵のように見せてくれたのには感激)、これは、表の金地と裏の銀地対照的に使われていることと併せて以前から知っていた話ですが、抱一は、光琳が風神・雷神を描くのに使った緑(風神)白(雷神)赤(あちこち)を、見事に使い廻して「夏秋草図屏風」を描いていることに気づいて、あはぁ~~ でした(解説には出てきませんでしたけど…)

「夏秋草図屏風」右隻きょう初めて知った話としましては、「夏秋草図屏風」右隻右上に描かれているのような描写、いかにも琳派っぽいのですが、あれは川ではないのですと

でなく、が降ったあとの「水たまり」で、「にわたずみ」と呼ぶものなんだそうな

「にわたずみ」なんてことば、初めて聞きました

放っておいたらすぐに忘れる と思って、すかさずメモしたんですが、メモしておいて良かった。
メモを見なきゃ、マジで忘れて、この話は書けなかった…

できることなら、この機会に、「風神雷神図屏風 by 光琳」「夏秋草図屏風」の両方の現物を展示欲しかった…。
両作品ともトーハクが所蔵しているんだから…
それと、解説で、琳派「心の創始者」であり、「風神雷神図屏風」本歌を描いた俵屋宗達について触れられなかったのはちょいと… でした。

でも、この「風神雷神図のウラ -夏秋草図に秘めた想い-」は、ミュージアムシアターの作品の中でも傑出したデキだと思います。
今回の上演は来週末まですので、チャンスがありましたら是非 とお薦めです。

【追記】オリジナルの記事タイトルから「前編」削除しました。
「後編」を書くほどのネタがない
まぁ、今週末満開(のはず)サクラ見物かたがたトーハクに出かけるつもりですので、そちらの見聞録が実質的な「後編」ということで… (2019/03/25 21:56) 

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初春の信州旅行ダイジェスト (2日目)

2019-03-10 22:01:04 | 旅行記/美術館・博物館・アート

きょうの夕方、信州旅行から無事に帰着しました。

帰宅して、ビールを飲みながら、旅行中に撮りまくった写真を整理している頃、豊洲PITで開催中の「The Unforgettable Days at チームスマイル・豊洲PIT」MISIAサプライズ出演して、「ジュリアン」歌ったというニュースが飛び込んできて、大ショックを受けているところですが、8回目「3.11」を間近に控えた昨夜MISIA渾身「明日へ」を聴けたことですから、WOWOWでの再放送に期待しながら、きょうのダイジェストを…

   

まずは旅程です。

ホテル⇒徒歩松本駅特急「しなの1号」長野駅路線バス木町⇒徒歩松代象山地下壕⇒徒歩(象山神社)真田邸⇒徒歩真田宝物館⇒徒歩松代城址⇒徒歩松代駅前路線バス川中島古戦場川中島古戦場史跡公園八幡社川中島古戦場路線バス長野駅北陸新幹線(はくたか)大宮駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

私にとって2度目になる長野市、前回は長野駅善光寺との間を往復(徒歩)して、善光寺にお参りして、長野駅前ざるそば七味唐辛子食べただけで、滞在時間2時間ちょっとでした(旅行記こちら)

そこで今回は、以前から気になっていた松代に出かけてみました。

「気になっていた」と書きましたが、「松代」という地名を、真田家の松代藩、前の大戦末期の大本営移転構想などで聞いたことがある程度のことで、その「松代」長野県のどこにあるのかも知りませんでした 
ただ、「長野市の近くにあるらしい」ことは判ってきましたので、今回の長野旅行「準備の準備の段階で調べてみると、、、、あれま松代長野市の一部だし、こちらもどこにあるのか知らなかった川中島長野駅から松代向かう途中にあるではありませんか

それならば、松代川中島古戦場両方探訪してみよう と思い立ったわけです。

長野駅川中島古戦場を経て松代を結ぶ路線バスは、30分ごとに運行されていて、その所要時間は、おおよそ、「長野駅⇔28分⇔川中島古戦場⇔8分⇔松代駅前」といった感じ。

そして、松代川中島古戦場順番と、その時間配分を考えた結果、

9:09 松本駅⇒10:01 長野駅⇒バッファ 14分⇒10:15 長野駅⇒10:43 松代駅⇒松代探訪(2時間17分)⇒13:00 松代駅⇒13:08 川中島古戦場⇒川中島古戦場史跡公園探訪(1時間30分)⇒14:38 川中島古戦場⇒14:59 長野駅⇒バッファ 21分⇒15:20 長野駅⇒16:26 大宮駅

という計画を立てました。
「長野駅15:20発」北陸新幹線「固定」ながら、その他は成り行き任せ

   

結果からいいますと、松代での滞在が予定より30分間延び、その反動川中島古戦場史跡公園での時間が30分短くなって、もくろんでいた長野市立博物館を拝見する時間がなくなってしまいました

これというのも、松代見どころ予想以上だったのですよ

まず初っぱな松代象山地下壕が、あきれるほど広大で、とんでもない「施設」でした

第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。

というこの地下壕、「総延長10km」という長さもさることながら、その規模が、、、

幅5m 、高さ3mはあろうかというトンネルが延々と続いているのですよ

沖縄で見学した海軍司令部壕(記事はこちら)に比べても、仕上げはこれからの段階ながらも、そのスケールはこちらの方が相当デカい
そりゃ、「大本営、政府各省等」のみならず、皇居までも引っ越そうと作った地下壕の一部なんですから…

もう、驚くやら呆れるやら…で、「百聞は一見にしかず」そのものでした。

   

松代藩を治めた真田家お宝を収蔵している「真田宝物館」は、その名の怪しさとは裏腹に、なんだかニコニコしながら観覧できました。
展示されているものも楽しいものが多かったことに加えて、説明板タイトル文章がなんともcute

博物館説明板cute だなんて… と思われるかもしれませんけれど、これは実際に観ていただかないと理解できないでしょうな。
全然説明になっていませんが、こういうのも、絶対アリ です

また、「九代藩主・幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿で、「明治以降は伯爵となった真田氏の私宅となりました。」という真田邸は、

建物自体は天井の高い立派なお屋敷なんですが、こんな展示がありました。

初代松代藩主となった真田信之(信幸)お名前が書かれていますが、これは、なんと、

大河ドラマ「真田丸」で実際に使われた真田信之改名の書
ドラマの中では、関ヶ原合戦後、父・昌幸が石田三成方について敗れたことを受け、徳川方への配慮として信幸「幸」の字を「之」に改めた場面で使われた。

というシロモノで、NHKからの寄贈品だそうです。
「真田丸」大好きで、この書が書かれた場面もしっかと記憶している私としては、目ほげぇ~ となってしまいました。

と、ダイジェストにしては長くなりつつあるところで、おしまいにします。
つづきは、(いつ始まるともしれない…) 旅行記本編で書きます。

たった1泊2日の旅行ではありましたが、天候にも恵まれて、よい旅行になりましたとさ。

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初春の信州旅行ダイジェスト (初日)

2019-03-09 23:45:47 | 旅行記

「来週末の長野遠征の計画を立てる」で予告したとおり、松本に来ています。

市内観光を終え、土曜日にしては遅い19:00「MISIA星空のライヴX」松本公演の開演まで、ビールを飲みながらホテルの部屋でまったりしているところです。

私が松本に来たのは、2015年7月以来、2度目でして、前回も「MISIA星空のライヴVIII」(上田公演)の流れでやってきたのですが(記事はこちら)、考えてみれば、MISIAの長野公演も、2015年の上田公演以来(通算7公演目)なんですな

   

それは置いといて、今回の松本観光は、前回観られなかった場所、行けなかった場所に焦点を絞りました。

と、その前に、ダイジェストには欠かせない、ここまでの旅程を載せておきます。

自宅⇒徒歩最寄り駅武蔵野線西国分寺駅中央線立川駅スーパーあずさ松本駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩⇒松本城⇒徒歩(縄手通り)(中町通り)⇒(大橋通り)⇒(まつもと市民芸術館前)⇒松本市美術館⇒徒歩(あがたの森通り)ホテル

こういうルートでして、ここまでの歩数は約15,000歩

天候がすばらしく良く、ちょいと風は強いものの、日差しがポカポカと暖かく、セーターを着ずに自宅を出発したのは大正解でした。一応、念のため、セーターは持ってきていますけど…。

スーパーあずさ(来週にはなくなるお名前)は、車両で快適だし、眺めはイイし、

で、意気揚々松本に到着しました。

例によってホテルに荷物を預けて身軽になると、前回は長蛇の列に辟易して断念した松本城天守を目指しました(下の写真は「入場待ち60分だった前回の松本城天守)

2015年7月の松本城天守

   

松本駅前から最短っぽい道をつらつら歩いて行くと、思いがけない石標遭遇しました

「重要文化財 旧開智学校跡」とあります

「旧開智学校」には、前回の旅行で出かけて眼福をいただいて来ましたが、その元々の場所がどこなのかを旅行記「考察」したのですが、適当に歩いていたら、その跡地に出くわすとは

現地には、詳しい説明とともに、昭和30年代航空写真も添えられていました。

なんだか私はこれだけでも松本来た甲斐があった、と思い・・・ません
なにせ、今回の旅行の最大の目的MISIAのライヴなんですから

   

さて、松本城に入城。

青空北アルプスを背景に、松本城天守見事

そして、チケット売場に掲げられていた天守への「入場待ち時間は、、、

やったぁ~ 0分

そして、掛け値無しで行列皆無で天守に入城して、えっちらおっちらとんでもなくな階段を上り、最上層へ。

四方を眺めると、やはり西側が一番ですなぁ。

こうして満足のうちに松本城天守を楽しんだあとは、昼食を摂り(もちろん、そば)、次なる目的地へと歩きました。

あがたの森通りを歩き、今回の旅行のメインまつもと市民芸術館の前を通り、

やってきたのは、前回は時間がなくて素通りした松本市美術館です。

ぎゃぁ なんだ、これはぁ~

噂には聞いていましたが、聞きしに勝る「草間ワールド」ではありませんか

屋外展示だけならまだしも、建物の壁面も、ベンチも、

そして自販機や空き缶入れまでも草間っています

松本市美術館の自販機

すっごいなぁ~、やるなぁ~、松本市美術館

今回、私は常設展示だけ拝見しましたが、久しぶりに草間彌生さんの世界にどっぷりとはまれたし、他の展示おもしろかったしで、大満足でした。
これでJAF割引込み310円で観られたなんて、ありがたやぁ~ でございました。

さてと、今の時刻は、、、、17:30

まだ余裕がありますな。

でも、ダイジェストですから、この辺に留めておきましょう。

【追記】この記事、きょうの夕方にアップするつもりだったのですが、なぜか「本文に不正な書式が含まれています」と表示されてアップできませんでした。
なんとか先ほどアップしたしだいです。

【追記2】記事をアップできない現象への対処について、一つ前の記事「goo blogが変…」にながながと追記しました。 (2019/03/10 06:18)

ダイジェストのつづき:2019/03/10 初春の信州旅行ダイジェスト (2日目)

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goo blogが変…

2019-03-09 23:25:45 | 日記・エッセイ・コラム

せっかく「初春の信州旅行ダイジェスト (初日)」をアップした、はずなのに、却下されてしまいます。

私が悪いのか、goo blogイカれているか?

【追記】goo blogに記事をアップしようとしても「本文に不正な書式が含まれています。」と表示されてアップできないという問題、ググって同様の「症例」を探してみた結果、一応、原因と対処法が判りました。

どうやら、記事中でリンクを貼った先のURL「ハイフン (-)」が混じっていると「不正な書式」と判断されるらしいのですよ。

きのうの記事「初春の信州旅行ダイジェスト (初日)」の場合、歩いた通りに松本市の公式観光情報ポータルサイト「新まつもと物語」の該当ページにリンクを貼ったんですが、具体的には、「縄手通り」の紹介ページのURL、「http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/wordpress_index-p_183-htm」の最後、「index-p_183-htm」の部分が引っかかったらしい。

対処法としては、「ハイフン(-)」「%2d」に書き替えて貼りつければ良いらしく、「縄手通り」のページの場合、

元:「http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/wordpress_index-p_183-htm」
改:「http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/wordpress_index%2dp_183%2dhtm

にすると、投稿できるし、リンクもちゃんと貼られます。

本文やタグにある「-」はOKなのに、リンクURLの「-」NGなのはどうしてなのか、理解できませんが、記事をアップできない直接的な原因と対処法は判りましたので、とりあえず「良し」としておきます。

こちらのページが参考になりました。(2019/03/10 06:02)

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廃墟よりこちらが好き #2

2019-03-06 22:56:05 | 美術館・博物館・アート

「廃墟よりこちらが好き #1」(記事2本では完結しませんので、タイトルを 前編⇒#1 と変えました) のつづきです。

埼玉県立近代美術館(MOMAS)の企画展インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」の見聞録の2回目は、「東京都庁」観点から書いてみようと思います。

現在の東京都庁は、丹下健三御大の手になるもので、西新宿屹立しています。

この都庁、私は仕事で2~3度、訪問したことがありまして、あるとき、仕事を終えてエレベーターに乗ったところ、とある階から乗ってきたサンダル履き「いかにも都の職員が、すぐ下のフロアで降りて行きました。
乗り合わせた一般都民らしきおばちゃんの一団のお一人がぼそりと、

へぇ~、1階だけでもエレベーターに乗るんだ…

私も、このおばちゃんとまったく同じことを思っておりました

こんな思い出はとしても、私、今の都庁の建物はあまり好きではありません
旧ソ連風権威主義的過ぎるし、全体的にゴチャゴチャしているし…

そんな現都庁よりも、コンペ敗れ去った 磯崎新「東京都新都庁舎計画」(1986)の方が好きだな…

 磯崎新「東京都新都庁舎計画」断面模型

そういえば、磯崎新さん、「『建築のノーベル賞』と呼ばれる米プリツカー賞」を受賞されたそうで、おめでとうございます

それはさておき、この磯崎さんの「東京都新都庁舎」何かに似てませんか?

そう、これ に似てる

丹下健三「FCGビル」

お台場にある、通称「フジテレビ本社ビル」こと「FCGビル」(1996)です。

この設計者誰? と思ったら、、、、よりによって、磯崎新さんが都庁舎コンペで苦杯をなめた相手、丹下健三さんとな

こんなのありか???? と、鼻息も荒くWikipediaを読むと、、、

レム・コールハースが、建設中のFCGビルについて磯崎新「あそこに君の都庁が建っているじゃないか。コンペには負けたんじゃなかったのかい?」と勘違いともジョークとも捉えられるコメントを残している。東京都庁舎コンペに招待された磯崎は「錯綜体」案を提案し、結果としてコンペは磯崎の師匠である丹下が勝利を収めたという過去がある。

ですって。
やはりそうだよねぇ~

   

もう一作品、「幻の都庁舎」の展示がありました。

こちらは、今をときめく会田誠山口晃とのコラボ

右の山口晃「都庁本案圖」(2018)は、左の会田誠「東京都庁はこうだった方が良かったのではないか?の図」(2018)(タイトルが、チコちゃんに叱られる!「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」を髣髴とさせる…)に示された、

こうしたいくつもの指示に忠実に、場合によっては、会田の適当な指示よりも明確にアイデアを具体化したもの

です

これですよぉ~~

と、激しく盛り上がったところで「#2」はおしまい。

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廃墟よりこちらが好き #1

2019-03-05 23:43:15 | 美術館・博物館・アート

先週土曜日(3月3日)埼玉県立近代美術館(MOMAS)に行き、

開催中の企画展インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」を観てきました。

「インッポシブル・アーキテクチャー」、私なりに訳せば、「ありえなかった建築」になりますが、ポスターやフライヤーでは、「IMPOSSIBLE」「インポッシブル」には黄色の線が引かれていて、MOMASのHPでは、IMPOSSIBLE」「インポッシブル見え消しにしています。
これは…

MOMASのHPからこの展覧会の概要を抜粋しますと、

この展覧会は、20世紀以降の国外、国内のアンビルトの建築に焦点をあて、それらを仮に「インポッシブル・アーキテクチャー」と称しています。ここでの「インポッシブル」という言葉は、単に建築構想がラディカルで無理難題であるがゆえの「不可能」を意味しません。言うまでもなく、不可能に眼を向ければ、同時に可能性の境界を問うことにも繋がります。建築の不可能性に焦点をあてることによって、逆説的にも建築における極限の可能性や豊穣な潜在力が浮かび上がってくる-それこそが、この展覧会のねらいです。

だそうで、なるほど…なるようなならないような…

   

そんなことは展覧会を観終わってから気づいた話でして、建物好きの私はいそいそと階段を上って企画展示室のある2階へ…

と、階段を上った先(エレベーターの真正面)の壁面に映像作品がありました。

ちょっとやり過ぎの感のある桜吹雪の中、東京湾沿いのビル群実写映像が… あれっ、見慣れた建物の隙間に、実際には存在しない建築物が見えています

この映像作品は、ピエール=ジャン・ジルー「見えない都市 #パート1 #メタボリズム」

説明によれば、

ジルー3Dコンピュータ・グラフィックス技術を駆使し、かつてメタボリストたちが発案したものの、実現には至らなかったメガストラクチャーを、大都市東京に見事に出現させる。東京湾内にそびえ建つのは、DNAの二重螺旋構造をモデルにした黒川紀章の《東京計画1961-Helix計画》(1961)、都心に乱立するビル群の合間には、構造物全体を空中に形成するという奇抜なアイデアの、磯崎新による《空中都市-渋谷計画》(1962)も見え隠れする。しかしながら、そこに映し出される景観は、けっして完全なる架空ではない。銀座には、樹木の幹と葉から着想を得た丹下健三の《静岡新聞・静岡放送 東京支社》(1967)、お台場方面には、同じく丹下による《フジテレビ本社ビル》(1996)、そしてレインボーブリッジ(1993)など、今の東京で、実際に目にすることのできる建造物もしかと建っている。

という作品で、私はすっかり見入ってしまい、2回り鑑賞いたしました

CGの進歩は、建築の世界にもめちゃくちゃ大きな影響を与えているんじゃなかろうか… などと考えながら、インッポシブル・アーキテクチャー」本編に入ると、ここにもまた

本編最初の展示はウラジミール・タトリン「第3インターナショナル記念塔」(1919-1920)だったんですが、

《第3インターナショナル記念塔》は、当時世界で最も高い300mのエッフェル塔を100mしのぐ、400mにおよぶ構想とされる、ロシア革命およびロシア・アバンギャルドの象徴的プロジェクトである。

だったものの、1917年のロシア革命から間もないこの頃は、

当時はまだ内戦が続いており、経済的にも技術的にも当時のソ連に《第3インターナショナル記念塔》を実現する力はなかった

そうな。
ところが、壁面に映されていたのは、長倉威彦CG作品で、ロシアの街の中に「第3インターナショナル記念塔」存在していたら…というもの。

すげぇ~ と感嘆しつつも思ったのは、ジルー「見えない都市#1 #メタボリズム」に映し出されていた現実の東京の姿が、既に十分に「未来」だったのと対称的に、「第3インターナショナル記念塔」は仮に建設されていたとしても、始めから「廃墟」だったのではなかろうか? ということ。

「社会主義の夢」が実質的に否定され尽くした現代において、もしも「第3インターナショナル記念塔」が存在していたとしたら、巨大な墓標と化していたのではないのかな…

というところで一休みいたします。

つづき:2019/03/06 廃墟よりこちらが好き #2

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