新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2022年の美術館・博物館めぐりの振り返り [後編]

2022-12-31 11:32:32 | 美術館・博物館・アート

「2022年の美術館・博物館めぐりの振り返り [前編]」のつづきです。

ことし観た展覧会のお気に入りを選出する「振り返り」、「次点は次の6展としました。なお、順番は「前編」同様に「観た順」です。

体感!日本の伝統芸能 @東京国立博物館(トーハク)
日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱 @東京藝術大学大学美術館
野口哲哉展 -this is not a samurai- @ポーラミュージアムアネックス
東北へのまなざし 1930-1945  @東京ステーションギャラリー
国宝 東京国立博物館のすべて  @トーハク
響きあう名宝 曜変・琳派のかがやき  @静嘉堂文庫美術館

「野口哲哉展 -this is not a samurai-」は、昨年(次点)に続いてのランクインです。
群馬県立館林美術館で観た昨年の展覧会(記事)に比べてはるかにこぢんまりした展覧会なのに、なぜ 2年連続? なのですが、たまたま私がポーラミュージアムアネックスにでかけたとき、なんとなんと、野口哲哉さんご本人が会場で作品を製作中だったのです
こんなセレンデピティーなんて、そうそうあるもんじゃありません
今年最大級サプライズでした

   

それはそうと、今年は(今年も)ブログ書きが低調で、この6展のうち、見聞録を記事化したのは「国宝」展「響きあう名宝」展だけでした

その「罪滅ぼし」(?) として、ちょっくら思い出しながらプチ見聞録を書いてみましょう。

まずは「体感!日本の伝統芸能」

ユネスコ無形文化遺産に登録された日本の伝統芸能歌舞伎、文楽、能楽、雅楽、組踊-を一堂に集め、明治末期の洋風建築として重要文化財に指定されている東京国立博物館・表慶館という空間で、それぞれの芸能が持つ固有の美それを支える「わざ」を紹介します。

という展覧会で、歌舞伎以外にはで拝見したことのない私にとって実に興味深いものでした。
文楽の人形遣いさんはこんなクッション付きの高下駄を履いているんだ とか、
能面を着けるとこんなに視野が狭まるんだ とか、とか…。

また、知ってはいたけれど、舞楽面の多様性ときたら…
能楽面は、能面より大きく伎楽面より小さいらしいけれど、その多様性は能面や伎楽面をはるかに上回っていて、特に、雑面(ぞうめん)は、「面を打つのが本番に間に合わないので、とりあえずこれで…」という感じ

そうそう、この展覧会で、「現存最古の日本映画」として九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎による「紅葉狩」が公開されていました。このフィルムは、1899年に撮影されたオリジナルから1927年に焼き増しされたもの(重要文化財)。それが、私が拝見してから2か月後の今年4月もっと前に焼き増しされたフィルムが発見され、NHKの報道によると、

映像全体に赤みがかけられていて、複製回数が少ないため映像が鮮やか

なのだとか
となると、1927年版「重要文化財指定」はどうなる???
ま、今後の動向は、新発見のフィルムの詳細が判明してからのことでしょうな。

   

「東北へのまなざし 1930-1945」は、

本展は、こうした東北に向けられた複層的な「眼」を通して、当時、後進的な周縁とみなされてきた東北地方が、じつは豊かな文化の揺籃であり、そこに生きる人々の営為が、現在と地続きであることを改めて検証するものです。

とフライヤーには堅苦しく書かれていますが、東北人たる私としてはなじみ深い展示が多く、ホッコリする展覧会でした。

一方で、かのブルーノ・タウト秋田を訪れた際、勝平得之(私の小学校の大先輩)が案内役を務めて親交を深めたこととか初耳でしたし、なによりの眼福津軽「こぎん刺し」で、その精緻な仕事ぶりには感服いたしました。

   

現在、皇居東御苑内にある三の丸尚蔵館では、新しい建物が建設中です。

もともと三の丸尚蔵館は、その収蔵する作品の質と量に比べて、展示スペースがあまりにも狭かったですから、来年秋(一部)オープンが楽しみです。

で、ホームグラウンドが休館中「お宝が、「日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱」として公開されました。

近年、三の丸尚蔵館皇室が所蔵する美術品を拝見する機会がたびたびあって、そのたびに、そのレベルの高さほれぼれしていますが、この展覧会でも、「春日権現験記絵」とか、狩野永徳常信「唐獅子図屏風」とか、酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」とか、葛飾北斎「西瓜図」とか、並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」といった大好きな作品に再会できて、それはそれは幸せでした。
とりわけ、狩野永徳「唐獅子図屏風」(右隻)は、何度拝見しても、あの大迫力にはやられてしまいます。「百聞は一見に如かず」といいますが、何度写真で視たとしても、現物目の当たりにすることにはかないません

三の丸尚蔵館の新施設は来年(2023年)秋に一部オープンするそうですが、それに合わせて、三の丸尚蔵館の管理運営独立行政法人国立文化財機構へ、収蔵品管理文化庁に、それぞれ現在の宮内庁から移管されるのだとか。
この仕組みの変更が、三の丸尚蔵館所蔵作品を拝見する機会がさらに増える方向に作用してくれることを願っています。

   

最後に、「もう一息で次点」の展覧会を、タイトルとフライヤーだけ挙げておきます。

大・タイガー立石展 @埼玉県立近代美術館 & うらわ美術館
はじまりから、いま。1952-2022 アーティゾン美術館の軌跡
   @アーティゾン美術館
ポンペイ @トーハク
川瀬巴水 旅と郷愁の風景 @秋田県立美術館
みる誕生 鴻池朋子展 @静岡県立美術館 [探訪記]

来年は、観てきた展覧会の記憶が鮮明なうちに、見聞録として書けるよう、努力したいと思っていますが、さて…

ということで、今年のブログ書きはこれにてお開き
前年にひきつづきサボりまくりで失礼いたしました
来年はもうちょい踏ん張りたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。

それでは、良いお年をお迎えくださいませ。

つづきのようなもの:2023/12/28 「2023年の美術館・博物館めぐりの振り返り [前編]

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2022年の美術館・博物館めぐりの振り返り [前編]

2022-12-30 15:04:06 | 美術館・博物館・アート

毎年12月30日は、その年の美術館・博物館めぐりの振り返りとして、1年間に私が観た展覧会の TOP 3~4 次点の6~7展を選んでおりまして、今年も独断と偏見で選考いたしました

ちなみに、まったく参考にはなりません(私の嗜好とそのビミョーな変化が察せられるかもしれませんが、それこそ役にたたない)過去10年の記事の一覧を載せます。気がつくと今回が11回目なんですな

2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年
2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年

   

さっそく TOP 3、行きます
順番は、観た順番です。

琉球 @東京国立博物館

今年は沖縄が日本に復帰して50周年という節目の年。この展覧会はまさしく「沖縄復帰50年記念」と冠されています。
沖縄関連の展示だけで平成館の広いスペースを埋められるのか? なんて失礼なことを考えていましたが、まったくもって失礼な話で、展示替えを含め、なんともボリューミーな展覧会でした。
私が10年前の沖縄旅行では、首里城複製を拝見して(恐らくあの火災焼失)

「実物を観たいぃ~」と思っていた「玉冠(たまんちゃーぷい)」は、私が出遅れたせいで観られなかったの残念

でも、梵鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)を拝見し、鋳込まれた銘文(読み下し文と現代語訳)を読んで、もう…
(写真は首里城で観た「万国津梁の鐘」のレプリカ)

 琉球國者南海勝地而 鍾三韓之秀以大明為
 輔車以日域為脣歯在 此ニ中間湧出之蓬莱
 嶋也以舟楫為万國之 津梁異産至宝充満十
 方刹

漢文だけでもなんとなく意味が判る感じですが、この銘文の冒頭に書かれているのは、要は、「琉球は中国・日本と親密な関係をもち、その中間に湧き出た蓬莱の島。海洋貿易で万国の橋渡し(津梁)をし、国内には様々な宝であふれている」ということ。

この鐘は、1458年琉球王国尚泰久王(第一尚氏)が鋳造させたもので、その正式名称にあるように、首里城正殿(のどこか)に設置されていたのだとか。
1458年は、日本では室町幕府三代将軍義政の治政で、もう少しすると応仁の乱が起こって戦国時代になだれ込むという時代。ちょうど、太田道灌江戸城をつくった年でもあります。

と、「万国津梁の鐘」のことを書き連ねてしまいましたが、この鐘の銘文に触れることができただけで、「琉球」展TOP 3 に入れたに等しいのでご勘弁を

生誕100年 朝倉摂展
    @福島県立美術館

この展覧会のことはこちらの記事で書きましたのであっさりと…。

ひとことで言って、「新幹線で日帰り遠征までして観に行ってホントに良かった 温泉にも入れたし…」ということです。

鉄道と美術の150年
   @東京ステーションギャラリー

今年の美術館・博物館おさめとして今週火曜日に観てきたこの展覧会がTOP 3 に入りました。
まさしく有終の美です

今年は、「沖縄の本土復帰50周年」というだけでなく、「東京国立博物館の創立150周年」であり、また、「鉄道開業150周年」という節目の年で、この展覧会も、

日本初の鉄道が新橋-横浜間で開業したのは明治5(1872)年のことですが、奇しくも「美術」という語が、それまでの「書画」に代わって初めて使われたのも同じ年のことでした。鉄道と美術はともに日本の近代化の流れに寄り添い、時にはそのうねりに翻弄さながら150年の時を歩み続けてきたのです。この展覧会では、鉄道と美術の150年間にわたる様相鉄道史美術史はもちろんのこと、政治、戦争、社会、風俗など、さまざまな視点から読み解き、両者の関係を明らかにしていきます。

というもの。

ペリー艦隊からのお土産品・蒸気機関車の模型を描いた瓦版から始まり、日比野克彦によるポップ山陽電車ヘッドマークまで、質・量ともにどっしりした展覧会でした。
とりわけ印象的だったのは、150年前の鉄道開業式典を描いた錦絵でした。なんとも華やかで、当時の高揚ぶりが伝わってきます。
それにしても、蒸気機関車の模型がプレゼントされたのが1854年で、それから20年も経たずに本物の蒸気機関車が客車を曳いて新橋=横浜間を走り出すなんて、とんでもないスピード感です

他にも、ほわぁ~ となるファインアート(長谷川利行「赤い汽罐車庫」とか赤松麟作「夜汽車」とか、木村荘八「新宿駅」とか松本竣介「駅の裏」とか) があるかと思えば、大丸が販促品として作った「大阪電車 大丸呉服店 案内双六」(ふりだし:梅田停留所⇒あがり:大丸呉服店)とか、山下清が描いた我孫子駅駅弁掛け紙とか守備範囲が広い

ここで、おぉ と思った作品その1

うちで額絵を飾っている里見宗次のポスター「JAPAN」の現物
額絵を見慣れているせいで、デカい

ポスターといえば、やはり杉浦非水「東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通」は忘れられないし、何度観てもイイ

昔懐かしい「ディスカバー・ジャパン」のポスターも展示されていたのですが、その説明書きに、

「ディスカバー・マイセルフ」「美しい日本と私」というコンセプトは、若い女性旅行者たちを筆頭に一定の共感を得て社会に浸透した。<中略> しかし一方で、都市生活者による地方搾取という非対称な構造を看過していると非難の声も上がる。

とあって、「いつの時代にも拗れた人がいるものだ」と思わず眉間に皺が寄ってしまいました
「都市生活者による地方搾取という非対称な構造を看過している」って何だよ…
このキャプションは、ChimPom (私、嫌い)「LEVEL 7 feat.『明日の神話』」と並んで、いやぁ~な気分にさせていただきました

気分を変えて、おぉ と思った作品その2。

児島善三郎「下板橋雪景」は、赤羽線(現:埼京線)沿線の石神井川と中山道に挟まれた辺りから北方向を描いた作品で、遠くを東北本線の列車が煙をたなびかせて上野方向へ走っています。
この辺りは、通勤何千回と通ったところで、土地鑑ありです。

Googleマップで見るとこんな感じ。

この作品が描かれたのは1921年で、当時は田畑が広がって、東北本線まで見渡せますが、現在では建物だらけで東北本線なんて見えっこありません

以上で、今年私が観た展覧会のTOP 3の発表を終わりにしまして、あすの「後編」では次点の展覧会を選出します。

つづき:2022/12/31 2022年の美術館・博物館めぐりの振り返り [後編]

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静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (2日目・後編)

2022-12-28 21:48:57 | 旅行記/テレビ番組

「静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (2日目・前編)」のつづき、完結編です。

ここで静岡遠征2日目の旅程を…。

ホテル掛川IC東名高速(上り)沼津IC伊豆縦貫道大場・函南IC一般道大場川南R136四日町いちご街道県道136 (反射炉・富士見ロード)韮山反射炉県道136韮山時代劇場 (鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館)蛭ヶ島公園県道136いちご街道八日町R136三島市内R136南二日町R1三島塚原IC伊豆縦貫道長泉JCT長泉沼津IC新東名(上り)御殿場JCT東名高速(上り)東京IC環八笹目通りR17 (新大宮BP)自宅

で、韮山反射炉です。

炉は「連双2基4炉」2つずつ2組L字型に配置されています。
なんでこんな配置になっているのかはあとで判りますので、まずは特徴的な煙突について。
3段式ロケットのような、トラスで補強された煙突の姿が印象的ですな。
でも、現役当時の煙突は、煉瓦を積み上げて、表面を漆喰で覆っていたそうで、上部(2段目と3段目)のみ、鉄枠で補強されていたようです。
ここからは説明板を転記してしましましょう。

明治維新を経て、明治12年(1879)には反射炉の建つ土地が官有地とされ、この周囲が柵で囲まれ保存が図られます
明治14年(1908)には陸軍省により保存のための本格的な修理が行われます。この保存修理工事では、傷んでいた煉瓦の補修や煙突部の鉄帯補強等がなされました。
その後、昭和5年(1930)に発生した北伊豆地震により北炉煙突部最上段が崩壊する被害が生じています。この被害を教訓とし、昭和32年(1957)には、反射炉の外側に鉄骨製のトラスを設ける耐震補強が実施されます。平成元年(1989)に行われた保存修理でこのトラスはさらに強固なものに改修され、耐震性の向上が図られました。

だそうで、「遺産」を継承するのも大変です。

ところで、「3段式ロケット」のような煙突ですが、中の「煙道」は下から上までほぼ同じ太さ(人が通れる太さ)なのだとか。断面四角形なのか円形○なのかは判りませぬ
私、煙突というものは、単に煙を排出するための設備だと思っていたのですが、

煙突内で上昇気流が発生すると、煙突内に温かい空気が吸い込まれていき、燃料投入口からドンドン空気が流入するため、送風装置を使わなくとも、常に空気を送り込んでいる状態となり、その分、炉内の温度が上昇して、少ない燃料で高い燃焼効率が得られる。 (Wikipedia)

だって 知らなかった

さて、鉄を溶かすとき、「前編」に載せた「炉体断面図」を視ていただきたいのですが、石炭投入口から石炭を、

石炭投入口

鋳物鉄投入口から鋳物鉄を、

鋳物鉄投入口

それぞれ投入して石炭を燃やすと、千数百度の高温で熔けたは、傾斜のついた炉床を伝って、出湯口から流れ出るという仕組みです。

出湯口側

四角い大きな穴が一つと、小さな穴が二つ見えます。
大きな穴「方孔(ほうこう)」「熔解した鉄をかき混ぜたり、取り出して品質を調べたりするところ」、その右下の穴「出滓口(しゅっさいこう)」「熔解した鉄の上部に浮く滓(スラグ/かす)を取り出すところ」で、その左下の穴「熔解した鉄が流れ出てくる」出湯口(しゅっとうこう)

ここで、「連双2基4炉」L字型に配置されている理由が明らかになります。

反射炉の出湯口側と鋳台(跡)

このように、出湯口は一つの四角いエリアを向いています。
4つの出湯口から流れ出た鉄は、この四角いエリア(鋳台)に設置された鋳型に流れ込むようになっているんです。
現在は「砂場」みたいになっていますが、往時は、大砲の鋳型を置くための4.06m×4.06m×2.7mの凹みがあって、その上には、「前編」に写真を載せた「模型」で再現されているように、鋳造が終わった大砲の原型を吊り上げるための「シャチ台」と風雨から炉を守るための「覆い屋」があったのだそうです。

韮山反射炉は、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の構成資産の一つ。
もともと産業遺産好きの私にとってこの韮山反射炉の見学は予定外かつ予想以上楽しさでした。

   

満足感を胸に、「鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館」へと向かいました。

途中、銅像のある公園があって、あれ? と思いつつもクルマを走らせ、韮山反射炉からほんの10分ほど大河ドラマ館に到着しました。

前夜、「鎌倉殿の13人」最終回視られず、帰宅してから録画を視るつもりの私、ネタバレはないよな… とほんのちょっとだけ緊張しつつ入館しました。

まずは主要な登場人物のパネル

小池"尼御台"栄子さんってイメージより背が低いんだな と思ったものの、小栗"小四郎"旬さんと坂東"時政"彌十郎さんが共に180cm台大きいだけでした

大河ドラマ館で楽しいのは、実際に着用された衣装を見られることだと思っておりまして、まずは闇落ち前小四郎の衣装

と思ったら、草履だけが「撮影使用品」で、着物(松葉色地染め木綿小袖に若苗色地染め桔梗拮抗柄麻直垂)「複製品」でした

一方、八重さん千鶴丸くんの衣装は「撮影使用品」

八重さんの衣装の「前掛け」みたいなの「褶」がなんともキレイ

政子さんの衣装の説明によると、

「当時は小袖に『褶(しびら)』という布を腰に巻くスタイルが武家の女性に多くみられた」だそうです。

とかなんとかと見物しているうちに、かなり腹が減ってきました
まだ12:30なのに…

「地域クーポンが使える三島の鰻屋さんに行く前に、さっき気になった銅像を観て行くことにしました。
実は、あの銅像は、源頼朝が配流された「蛭ヶ島」と言われている場所に立っているらしいのですよ

そして蛭ヶ島公園の駐車場にクルマを駐め、さっそく例の銅像「蛭ヶ島の夫婦(ふたり)」を見物しました。

「蛭ヶ島の夫婦」とは、もちろん、源頼朝&政子夫妻のことで、この二人が本物の富士山を眺めている様子。
頼朝の配流地がこの場所だったという確証は得られていないようですが、雲さえなければ富士山がこんなにきれいに見える場所なら、流人ではあっても、また、しばしとはいえ、頼朝心穏やかな日々を送れたんじゃないかと思ったりして

なお、「蛭ヶ島公園」はいわゆる「島 (island)」ではありません

   

以上を以て静岡観光お開きにして、三島の鰻屋さんGo

そして、鰻重をいただきました

ふわっふわとろっとウナギでございました
これが地域クーポン+現金630円で食べられたなんて、全国旅行支援バンザイ\(^o^)/であります

   

新東名 & 東名は、交通量が若干多い地点はあったものの、渋滞は無く、14:40には多摩川橋を渡って都内に入りました。
まだ時間も早いし、首都高速でも大丈夫かな? と思っていたのですが、3号線と中央環状線渋滞しているようで、「昔取った杵柄」環八ルートを選択しました。でも、環八もしっかと渋滞していまして、東京ICから自宅まで1時間半もかかってしまいました。

1泊2日の「小さな旅」でしたが、なかなか濃い旅行でした。
とっぴんぱらりのぷぅ。

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静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (2日目・前編)

2022-12-23 19:58:01 | 旅行記

「静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・MISIA編)」のつづきです。

今回の静岡遠征では、「全国旅行支援」を使いました。もともとホテルを予約したのは「全国旅行支援」が一旦終了したあとのことで、貯まっていたポイントを使ってお安く泊まるつもりでした。
ところが、「全国旅行支援」が再開され、計算してみると、ポイントを使わず「全国旅行支援」を使えば、支払い済みの金額に数百円プラスするだけでホテルに泊まれて、しかも地域クーポン 3,000円分をいただけることが判り、すぐに予約変更した次第です。

で、地域クーポンを入手してみると、これを有効に使えるのか? と考えてしまうわけで、さっさと帰宅するのではなく、静岡県内で、地域クーポンを使って豪華な昼食を楽しむしかなかろう という結論に達しました。
そして、午前中の予定を検討しつつ、昼食メニューを考えるうちに思い出したのは、かつて、職場の人たちとウナギを食べに沼津だか三島までいったことでした。
当時の職場の先輩が富士市内勤務の経験者で、その先輩が何度か行ったことがあってお薦め ということで行ったのですが、そうだ、ウナギだ 地域クーポンにちょい足しするだけで豪華うな重にありつける
昼食前に、ちょいと気になっていた伊豆の国市大河ドラマ館に行けば、時間も有効に使える と、いうことで、トントン拍子に予定が決まりました。

   

そして、9:30頃にホテルをチェックアウト と、外に出たら、青空は広がっているものの寒い クルマの外気温表示は、前夜と同じ 2℃でした

掛川ICから東名高速(上り)に乗って、最初の休憩由比PA
出発して45しか走っていませんが、お茶を買うことと、富士山めでるのが目的の休憩です。

おぉ~富士山

次第に大きくなっていく中央道(上り)からの富士山の眺めも捨てがたいのですが、ずっとド~ン富士山が見える東名高速からの眺めもイイ
東名リフレッシュ工事によるスローダウンも、景色が良いと「これまた妙」なわけで、富士川SA手前では、「腰だめ」写真を撮ってしまいました

   

沼津IC東名から伊豆縦貫道に入り、大場・函南ICで高架下に降り、さらにR136南下しました。
それにしても、伊豆市伊豆の国市が隣り合わせにあるって、なんとも
調べると、両市は、2004年、2005年に相次いで成立していて、

伊豆市:修善寺町・土肥町・天城湯ケ島町・中伊豆町が合併
伊豆の国市:伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併

なのだとか。
先に成立した伊豆市「おいしい市名」を取ってしまったって感じでしょうか

さて、「鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館」伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅至近の韮山時代劇場にあることは事前に調査済みだったのですが(だからナビに目的地としてセットできた)、この「韮山」という地名が引っ掛かっていました。何かで聞いた気がするけれど、どうして記憶に欠片だけ残っていたのか判りませんでした。
それが、道路沿いの案内標識を見て思い出しました
そうだ、韮山反射炉があるところだ

日本史に、幕末、幕府がつくった製鉄施設として出てきましたっけ
写真では見たことがありましたが、こんなところにありましたぁ~

ここで好奇心ムズムズした私は、ナビの目的地は韮山時代劇場のままにして、案内標識に従って韮山反射炉に行ってみることにしました。それほど遠くないところのようですし…。
反射炉といえば、鹿児島・仙厳園薩摩藩の作った反射炉の遺構(土台)を見たことがあったっけ… (記事) 

と思い出しながらクルマを走らせました。

そして、さほど時間もかからずに、広い駐車場を備えた韮山反射炉に到着

この顔ハメパネル無理があると思う

考えてみれば私、幕末、幕府や雄藩反射炉というものをつくって大砲を鋳造した、ということくらいしか知りません
そもそも、反射炉にはどんな機能があって、なぜわざわざ火(熱)を直接ではなく「反射」させるのか、ほぼ知りません
さらに、どうして幕府伊豆の山中最新設備を作ったのかも不思議です。
ということで、「韮山反射炉ガイダンスセンター」でちょいと勉強してみることにしました。

さっそく、製鉄技術の歴史のパネルがありました。
でも、化学からっきしの私にはなかなか難しい。
鉄鉱石、銑鉄、鋳鉄、鋼鉄…う~ん判らん

でも超簡単に書けば、石見(島根)や南部(岩手)から運んできた鋳物鉄を溶かす施設(溶解炉)ということらしい。

ではなぜ「反射炉」かといえば、その炉の構造にあります。

リーフレットから転記しますと、

反射炉は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉体部と、煉瓦積みの高い煙突からなる。
石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し、一点に集中させることにより、鋳物鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温を実現する。このような、熱や炎を反射する仕組みから、反射炉と呼ばれたのである。

だそうです。
また、反射炉には、石炭に含まれる不純物が熔解中のと直接接触しないため、内部に入り込むのを抑えるという利点もあるらしい。

次に、「どうして韮山に?」は簡単で、幕府に西洋砲術の導入、鉄製大砲の生産を含む海防政策を進言したのが、天領だった伊豆国代官だった江川英龍で、代官所が韮山にあったから…。

この江川英龍という人はかなりの人物で、文武書画を修め、お台場(品川台場)築造するは、海外の文献をもとに反射炉の研究をするは、さらには「国防上の観点から、パンの効用に日本で初めて着目して兵糧パン(堅パンに近いもの)を焼いた(Wikipedia) とか。
世襲代官としては異例の出世を遂げて、勘定奉行任命直前まで行ったのだそうです。

なお、リーフレットによると、

反射炉は、当初伊豆下田港に近い加茂郡本郷村(現下田市)で着工し、基礎工事などが行われていた。しかし、安政元年(1854) 3月、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入する事件が起きたため、急きょ韮山の地に建設地を変更することとなった。
下田での建設のために用意されていた煉瓦や石材は韮山に運ばれ、改めて利用された。

そうな。

ガイダンスセンターでの紹介映像を視て、「へぇ~と思ったのは、大砲の製造方法でした。
反射炉で溶解した鉄を鋳型に流し込むまでは良しとして()、成形された砲身を水力を使って回転させて内側をくり抜いたのだそうです
始めからパイプ状に鋳造したら良さそうなものなのに、と考えるのは素人の浅はかさなのでしょうか
調べてみると(なかなか見つけられなかった)大砲小銃も、金属塊鍛錬した後、穴をくり抜く方法で作られているようです(猟銃の作り方)
やはり火縄銃(過去記事)とはわけが違います。

現在は反射炉が残されているだけですが、往時は、

砲身の鋳造から試射までが可能な「大砲製造工場」だったのだそうです。

最後に、竣工当時の模型を眺めて、

さぁ、いよいよ韮山反射炉を直接拝見します

ふぅ~~ ここまで書くのにかなり苦労した…

つづき:2022/12/28 静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (2日目・後編)

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静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・MISIA編)

2022-12-22 21:18:16 | MISIA/旅行記

「静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・後編)」のつづきです。

「MISIA THE GREAT HOPE」の会場、エコパの駐車場に無事に到着した私は、スマホで最新ニュースをチェック。
すると、東海道新幹線止まってる 停電とかで、運転再開見込みは16:30とか
新幹線に乗ってこのライヴに来る人もいるだろうに、なんてこと
ふと、大雪で会場に来られない人が続出して空席が目立った2014年2月15日「MISIA 星空のライヴⅦ -15th Celebration- Hoshizora Symphony Orchestra」横浜アリーナ公演を思い出しました。

でも、こればかりは私個人がヤキモキしてもいわゆる「ごまめの歯ぎしり」なわけで、とりあえず、私は楽しもう これしかありません。

で、事前にスマホで購入していたデジタルガチャの引き取りと、グッズ売場を冷やかしにエコパアリーナ前まで行ってみました。
クルマから出ると、陽が傾いているせいか、静岡市内よりはるかに寒い
毛糸の手袋は持ってきていましたが、帽子もキャップではなく毛糸のにすれば良かったかも…なんて思ったりして。

そして、会場の外ながら「チェックイン」を試したら、無事にできました

そしてそして、日本武道館 3 daysでは売り切れで買えなかった「アイノポテチ」をついに買えました

写真はきょう本宅で撮ったものです。
と、「メロンパン味」に加えて、「うす塩」ならぬ「のり塩」の通販がきょうから始まったぁ

 

ようやくエコパで「アイノポテチ」を買えた喜びも薄れてしまうわけですが、私はさっそく「オリジナルのり塩」をオーダーいたしました。
正月の帰省土産にします

それはともかく、1公演1個(回)買うことにしてきたデジタルガチャは、新モノポーチgetして、これまたホクホク

この時点ではまだ開場時刻まではまだ間があるし、ミー友さんも見かけられなかったので、一旦、クルマに戻ってぬくぬくすることにしました。
と、ここでこの日一人目のミー友さんに遭遇。
彼は 2 daysの参加だそうで、新幹線トラブル影響を受けていないとのこと。でも、帰りは大変だったんだろうな…

   

この日の私の座席は、前方けっこう左寄りで、日本武道館 3 days初日(左端)と3日目(右端)よりは良さそう

で、ライヴが始まると、 バンドメンバー交代と追加
そだよねぇ~、静岡だものねぇ~、あのお方はいるよねぇ~

と、となりのシニア・カップルがべちゃくちゃしゃべってる
このおしゃべりは、さすがにMISIAが歌っているときは休止しているけれど、曲間は、インストルメンタルがあろうとなからろうとしゃべりまくり
MISIAのライヴでは、バンドのインストルメンタルナンバーだって聴きどころ満載なのに、あ"~気が散りそう

私の座席の斜め前、つまりこのシニア・カップル前の席にはミー友さんが座っていまして、終演後に彼女と話していると、彼女もかなりこのシニア・カップルにはイラついたそうで、振り返って文句を言いたかったとか…。

まぁ、このシニア・カップルは、それほど非常識けしからん聴衆であったということです

ここで、初日からエコパ 2日目までセットリストを載せます。
例によって、クリック(タップ)すると、セットリストをご覧いただけます。

ここまでのところ、1~2曲の入れ替えはあっても、大きな変更はありませんな。

今回のツアーでは、大型スクリーンがあって、MISIAの表情とか、真正面からの映像が視られます(この程度のネタバレは許して)
でも、肉眼で視るのと、スクリーンで視るのとはあきらかに違う
私の座席の関係もあるのでしょうが、肉眼では、MISIAのヘッドドレスや衣装が照明を浴びてキラッキラしているのに、スクリーンではそれが見えない
やはり肉眼に勝るものはそうそうありません
MISIAだって、聴衆が自分ではない方向(スクリーンの方向)を向いているってのは、あまり楽しいものではないでしょうし…

   

今回のツアーが始まる前は、12,500円(税込)というチケット代についてブーたれる人がいましたが、始まってみれば、そんな声は皆無 で、逆に、もっとチケットをとっていればよかった という声を何人からも聞きました。
そりゃ、あんなステージ(ショー)創るにはコストがかかるし、チケット代も相応だと思いますよ…

先日、有明アリーナでの追加公演(23/3/31~4/2)が発表されましたけど、わたしゃ、3 daysに行きたいゾ

エコパ公演の感想はこの辺にしておきまして、きょう、NHK紅白歌合戦曲目が発表されました。

先立って、MISIATDS「君の願いが世界を輝かす」を歌うことは発表されていましたが、MISIAが「収録」の1曲だけで終わるはずはない と思っていたら、やはり、NHKホールから「希望のうた」を歌ってくれます

ここまでは、

これ(収録)が第一部の目玉で、MISIAは第二部でも生歌唱すると読んでいる。

という想定内ではあります

でも、MISIA歌唱順はどうなるのでしょうか?

今年の大トリ福山雅治さんらしいという報道があって、私もMISIAが3年ぶりに大トリから外れることには異存はありませんが、でも、あの「希望のうた」のあとに「櫻坂」ってのは… とも思ってしまいます。仮に、大トリ後に氷川きよしさんが歌うとしても、です。

さぁ、どうする NHK

つづき:2022/12/23 静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (2日目・後編)

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静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・後編)

2022-12-21 21:16:35 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・前編)」のつづきです。

「前編」で引用した「みる誕生 鴻池朋子展」概要のなかに、

多くの方々と手芸で綴る《物語るテーブルランナー》

というのが出てきます。
この「物語るテーブルランナー」というのは、ランチョンマットくらいの大きさの布に、パッチワーク刺繍「物語の一場面」を描いた手芸作品です。
鴻池さんが秋田・阿仁合奥能登タスマニアフィンランド大島を旅して、そこで会った人たちから個人的な物語を聞き取り、そこから鴻池さんが一場面を切りとって下絵を描き、基本的に語り手本人布や糸で作品を仕上げる、というプロジェクト。

なんてことのない日常を描いたものもあれば、「大事件もあったりするのですが、それぞれの作品が素朴かつ丁寧に作られていて、なんとも暖かいし、パッチワークや刺繍で構成されていますから、その立体感心地良い
惜しむらくは、一枚も写真を撮ってこなかった…

私の拙い筆力では伝わりづらいと思いますので、こちらのサイトをご参照ください。

「物語るテーブルランナー」は、こちらのブログによると、2020年6~10月アーティゾン美術館で開催された「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」でも展示されていたみたいです。
コロナ禍の真っ只中で開催されたこの展覧会、気がついたら終わっていたんだよな…

ところで、「あ"~という作品も展示されていました。

「武蔵野皮トンビ」を観に角川武蔵野ミュージアムに出かけたとき、KADOKAWAの直営書店「ダ・ヴィンチストア」で買ってきた池澤夏樹ワカタケルの装画の原画です。

この展覧会は、静岡県立美術館(静岡県美)の館内だけでなく、裏山も展示会場になっていまして、「前編」で書いた「皮トンビ」屋外に展示されていました。
この裏山会場(?)のMAPも鴻池さんの作品みたいです。

裏山に出る際、係員さんから、屋外展示をすべて観ようとすると40分くらいかかること、ルートの中盤はぬかるんでいることの説明がありました。
このあとの予定(MISIA)を考えると、Short Ver.にとどめておくべきだろうということで、展示作品全5点のうち、「陸にあがる」と、

「皮トンビ」(写真は裏側)2点だけにしました。

「皮トンビ」は、何枚もの皮をつなぎ合わせて作られているんですな。
そりゃ、こんな特大サイズ一枚皮なんて、からしか取れないですよねぇ

   

静岡県美には、別館として「ロダン館」がありました。
その名のとおり、ロダンの作品を展示している建物なんですが、

静岡県美 ロダン館その内部は、東京国際フォーラムのロビーギャラリーと似てる

ブロンズ彫刻というものは、同じ原型からいくつも「オリジナル」が造られるのが常で、ロダン館の展示作品も、国立西洋美術館ほかで観たことのあるものが多い印象でした。

ところで、本宅のキッチンにはJALARTカレンダーを吊しているんですが、今月伊藤若冲「樹花鳥獣図屏風」です。

この作品を所蔵する静岡県美に行くことになったというのは、ほんとに偶然です
残念ながら、この日、「樹花鳥獣図屏風」展示されておりませんでした。

   

以上を以て静岡県美の参観を終え、いざ、エコパへ~~

ナビに導かれるままに、日本平久能山ICから東名高速に乗って掛川ICを目指しました。

実は、私がスマートICを使ったのは、これが初めてでした。

知っていたことですが、スマートICでは一時停止を求められます。
どうしてなんだろ? と、NEXCO中日本のHPを見ると、

スマートICでは、開閉バーの手前で一旦停止した後、通信のやり取りが行われ、開閉バーが開くシステムとなっております。よって、ノンストップでの通行はできません。

という答えになっていない意味不明のFAQが載っていました。
正直なところ、係員不在IC「関所破り」をされたくないということなんだろな
普通の料金所でも30km/h以下での走行を求められるのも、非ETC車やカードが期限切れのクルマゲートで止められたときに追突を防ぐための措置なわけで、ETCの能力的には100km/hくらいで通過しても通信できるんだものねぇ。

それはともかく、日本平久能山ICからは30分ほど掛川ICに至り、一般道に降りました。時刻は15:02

いい頃合いじゃありませんかぁ

途中、エコパ掛川ゲートに、

渋滞予告 大規模イベント開催 12月17日▶18日

の看板が出ていました。
ここまでも、そしてエコパ袋井ゲートまでも、なんの渋滞もなかったのですが、この看板の意図を理解したのは、この約5時間後のことでしたとさ

ということで、15:15には無事に駐車場に入ることができました。

このあとのことは「初日・MISIA編」につづきます。

つづき:2022/12/22 静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・MISIA編) 

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静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・前編)

2022-12-20 17:55:49 | MISIA/旅行記/美術館・博物館・アート

12月18-19日1泊2日「MISIA THE GREAT HOPE」エコパアリーナ公演2日目に遠征してきましたので、備忘録的に簡単なドライブ旅行記を…。

私はエコパアリーナ公演 2 daysのうち2日目だけに参加で、18日(日)の朝 8:30頃、自宅で朝食を済ませた後に出発しました。
久しぶりにかつての通勤ルートで行こう と、首都高速には高島平から乗っかると、さすがに日曜日の朝とあって、交通量は少なく、すいすいと走れました。極めて快調中央環状線を抜けて、3号線を通り(三軒茶屋付近の上り坂はちょいとスピードダウン)東名東京料金所を通過したのは9:18
高島平から東京料金所までの所要時間はたったの27分でした
クルマ通勤していたときは、高島平⇒東京料金所の所要時間は、通常の混み方で45分、渋滞が酷いと1時間越えはザラにありましたから、やはり日曜日の朝はイイ 自宅を出発して1時間もかからずに横浜町田IC (かつての朝食スポット) を通過して鼻歌交じりです。

ただ、東名ではリニューアル工事が鋭意進行中で、大井松田IC⇒御殿場IC左ルート閉鎖されるなど、数か所で車線が絞られていました。そして、その片側2車線しかない吾妻山TNの中で事故があり、ここは通れるのが1車線しかなく、当然ながら渋滞しておりました。
調べると、吾妻山TNでは、今月だけでも4日と9日に事故が発生しているようで(9日の事故では1名死亡)、事故が起きがちな要注意地点っぽい

天候は、出発するときは曇っていたものの、次第に青空が広がり、なかなかのドライブ日和。とはいえ、富士山雲の中で、富士市を通過するまではほとんど見えず富士川SAでも、富士山雲のヘッドドレス(?)を纏っていらっしゃいました。

初日の私の旅程は、

自宅首都高速:高島平ランプ5号線(上り)いたくまJCT中央環状線大橋JCT3号線(下り)東京IC東名高速清水IC⇒一般道⇒静岡県立美術館 (みる誕生 鴻池朋子展)一般道⇒日本平久能山IC東名高速掛川IC⇒一般道⇒エコパ駐車場(P4)エコパアリーナ (MISIA THE GREAT HOPE)⇒一般道⇒ホテル

と、ほぼほぼ順調なドライブでした。
エコパの駐車場に入ったのは 15:15頃開場45分前で、時間を持て余すことも、間に合うかどうかドキドキすることもなく、ちょうど良いタイミングでした
ただ、ちょっと失敗だったかも…と思ったのは、ホテルが東名:掛川ICのすぐ近くで、閉演後の「エコパ渋滞ハマりっぱなしだったこと。
うまくすればNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回をホテルで視られるかもしれない だったのですが、ホテルに着いたのは20:24でございました。
ま、録画予約してあるから、自宅に帰ってから視ることにして、NHK+SNS封印しました
それにしても、クルマから降りると寒かった 毛糸の手袋とマフラータオル(あの曲のために持って行った)重宝しました。ちなみに、クルマの中は、今シーズン初めてシートヒーターをONにしていましたので、ぬくぬく

MISIA THE GREAT HOPE」エコパ公演 2日目のことは後日書く(こちら)ことにしまして、静岡県立美術館 (以下、静岡県美)のことを書いておきます。

数日前にこのドライブ遠征の予定を考えていたとき、静岡県美で鴻池朋子展を開催していることを知り、これは行くしかない と思い立ち、さっそく「12月19日 13:00~」を予約しました。
そして、静岡県美に到着したのは11:45

まずは、の~んびりと館内のレストラン昼食を摂りました。

リングイネがいかにも生パスタらしくモチモチで、おいしうございました
でも、1時間以上も粘ることは、性格的に難しい私、チケット売場で、「予約時間より早いのですが入れますか?」と尋ねてみると、すんなり入場できました

さて、「みる誕生 鴻池朋子展」は、

「みる誕生」とは、生まれたての身体になって世界と出会う驚きを表す鴻池の言葉です。視覚だけではなく、観客は作品を手で看(み)て、鼻で診(み)て、耳で視(み)て、そして引力や呼吸で観(み)て、眠っていた感覚を目覚めさせます。今回は、実際に裏山の小径を整備し、美術館という硬直した建築と、疎遠になってしまった自然界に、観客の身体と想像力とで新たな通路を開いていきます。
また一方、国立療養所 菊池恵楓園 絵画クラブ「金曜会」の作品、多くの方々と手芸で綴る《物語るテーブルランナー》という他者の力、人間以外の造形力である《どうぶつの糞》にも加勢してもらい、美術館のコレクションと豊かに対話させます。

というもので、鴻池さんの作品だけでなく静岡県美のコレクションをも含む他の人たちの作品、さらには動物たちの「落とし物」をも巻き込んだアートフェスみたいな、それこそ「おもちゃ箱をひっくり返したような」展覧会でした。

しかも、一部を除いて写真撮影だし、触れられる作品もあるという…。

エントランスのインスタレーションには毛皮(害獣駆除された動物のものらしい)が何枚もあって、いかにも鴻池さんっぽい。

2階に向かう階段の踊り場に展示されていたのが、ミラーボールというかミラーヘッドというか…の「アースベイビー」

鏡がモザイク状に貼られた頭がゆっくりと回転して、光の点を辺りにばら撒いています
MISIAの衣装にこんなのがあったっけ…

会場に入って最初に目に止まるのが、これまたアースベイビーの頭部が、白い人魂みたいに尾を引いて行ったり来たりする「振り子 アースベイビー初号機」(フライヤーの下半分でブレて写っているヤツ)で、これがなんとも楽しくて、いつまでも観ていられそうでした。
なお、この作品の展示スペースは撮影禁止エリア

最近の鴻池さんの作品で忘れられないのは「皮トンビ」で、去年、「武蔵野皮トンビ」を観に、角川武蔵野ミュージアムに行きました(記事)

この展覧会でも、館内に「大島 皮トンビ」が、

そして、美術館の裏山にも「皮トンビ」が展示されていました。

「皮トンビ」屋外に展示されてこそ命が吹き込まれる感じですな。

今回のドライブ遠征記はこの1本でまとめるつもりで書き始めたのですが、到底無理ぃ~~
っつうか、初日分だけでも1本では無理ぃ~~

ということで、「初日・後編」につづきます

つづき:2022/12/21 静岡までMISIAを聴きにドライブ遠征 (初日・後編) 

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ウン十年ぶりの弘前 [弘前城編 #3] 【完結編】

2022-12-11 15:22:10 | 旅行記

さぼりまくっておりましたが、ようやく「ウン十年ぶりの弘前 [弘前城編 #2]」のつづきです。

本丸の北東角「鬼門除け」を堪能した私は、北の郭にある武徳殿休憩所横の喫煙所で、落ち葉を眺めながら一服

すぐ脇にはハルニレの大木がそびえているけれど、この葉っぱはユリノキっぽいな… Why??

それはともかく、一服したのち、東口券売所の前を通って二の丸に戻り、丑寅櫓を眺めながら土橋で内濠を越えて三の丸へ。

この辺りは土塁の斜面がなかなか美しい

お城=石垣のイメージを持つのは、中部以西の人たちで、本丸石垣で囲われていたとしても、基本的には土塁に囲まれているのが東日本・北日本の城の特徴です。
江戸城だって、内濠に面している西~南部分土塁です。

   

弘前公園といえば、の名所として有名で、確かに巨木がたくさん植わっていました。ただ、どの木も相当に年季が入っていそうで、桜の世代交代をどうやって進めていくのだろうな… などと考えたりして…。

そんな中で、「日本一太いソメイヨシノ」という看板を見つけ、「緑の相談所」の中庭のようなところに、それを観に行ってみました。

おぉ、ドシッとしておられる
説明板を転記しましょう。

日本最大幹周のソメイヨシノ
 幹周 573cm (地上1.3mの幹周)
 樹高 約10m
環境省が実施している全国巨樹林調査により、日本最大幹周のソメイヨシノであるとされたものである。
植栽時期は最古のソメイヨシノと同じ明治15年の可能性もあるが、少なくとも明治34年には植栽されていたものと思われる。

だそうです。
調べてみると、青森県観光情報サイトによると、

ソメイヨシノの寿命は一般的に60年程度といわれるなかで、弘前公園では樹齢100年以上のソメイヨシノの古木が300本以上樹齢60年を超えるものは約1200本あり、今も美しい花を咲かせています。

ですって
関係者の皆さんはどれだけ丹精を込めて面倒をみていらっしゃるんでしょう

ソメイヨシノ樹齢100年「古木」と呼ばれるのに対して、種類が違うと「古木」の概念が異なるようで、「弘前城編 #1」で書いたイチョウ樹齢約400年、そして、「ネズコ(別名 クロベ)」の木の推定樹齢は「500年以上」ですと

説明板によれば、

種名 ネズコ (別名 クロベ) (ヒノキ科)
 幹周 573cm
 樹高 約20m
 推定樹齢 500年以上
青森県が自生の北限であり、築城以前から自生しているものと思われる。
この樹の皮は、昔、火縄銃の火縄として利用されていたということから、築城後もたいせつにされていたと思われる。成木になると、上部でたくさん枝分かれするのが特徴である。

だそうで、「築城以前から自生」ってのがロマンだし、樹皮火縄銃の火縄に使われたってのもまた染みます

   

と、緑の相談所の筋向かい辺りにレンガ造り門柱を見つけました。

実際に門扉があるわけでもなく、があるわけでもなく、表札もないのですが、こりゃどう見ても門柱でしょ
そして、近づいてじっくりと観察すると、目地かまぼこ状に盛り上がる「覆輪目地」を使うという凝りようです

こうした覆輪目地を使った門柱といえば、、、、小倉城趾で見た「旧第12師団司令部の正門跡」を思い出しました (記事はこちら)

何の説明もないけれど、弘前公園のこの門も旧陸軍関連施設のものだったのでしょうか?

帰ってから調べると、三の丸陸軍第8師団火薬庫と兵器部として使っていたそうで、この門柱はその当時のものらしい。
そして、戦後は陸軍に代わってこの地に陣取った弘前大学も、この門を使っていたのかもしれませんな。

それにしても、説明板充実している印象の強い弘前公園なのに、この門柱に何の説明も無いのはちょと解せぬ…

   

このあと、私は三の丸を南に進み、東門から退城しました。

東門を出たところの外堀を挟んだ反対側には改修工事休館中弘前文化会館がありまして、そこに、武将の銅像が立っていました。

津軽の殿様なんだろうな と思ったら当たりで、台座には「藩祖 津軽為信公」とありました。

それは良しとして、そんな大事な方の銅像が、どうしてお城から閉め出しを食ったような場所に置かれているのでしょ? しかもお城の方を向いていて、なにやら寂しそう

Wikipediaによれば、

戦前までは弘前城本丸にあった銅像は、戦時中の金属供出により撤去され、銅像出陣といわれている。2004年、新たな銅像が今の位置に設置された。

だそうで、金属供出で銅像が鋳つぶされた話は良く聞きます。
仙台城伊達政宗騎馬像(戦後に上半身だけ見つかった)とか、秋田・久保田城佐竹義堯像なんかも金属供出されたけれど、どちらも現在は本丸に復原されたものが鎮座しています。
でも、どうして津軽為信像は本丸に戻らなかったんでしょうか? 本丸にはいくらでもスペースがあるのにな…

そんなことを考えながら、今回の弘前ドライブの当初の目的だった弘前レンガ倉庫美術館は、次の機会にして、きょうはこのまま帰ろうと決め、駐車場を目指して歩きました。

途中のNTTの建物に、観光案内図が掲げられていたので、おさらいがてら眺めていると、、、、

間違いを見つけました
「丑寅櫓」寅櫓」と表記されているではありませんか

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、「生まれたのが寅年・寅月・寅刻」だからと三寅様と名づけられた後の4代将軍・藤原頼経が登場していますけれど(先週の山寺"慈円殿"宏一さんの長台詞素晴らしかった)「五寅」ないでしょ
「丑寅マニア」を自負する私にとっては許しがたいミスです

   

このあと、「建物編」で書いた建物ウオッチングの後半を愉しみつつ、駐車場に戻り、約2時間半の弘前探訪はおしまいにしました。
2時間半走って弘前に着いて、2時間半観光して2時間半かけて別邸に帰るとは、なんとも…。弘前で一泊することにすれば、もっと楽しめたのだろうなと思います

次回はもうちょっと準備してから行くことにします。

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今回も作ったMISIA「特製卓上カレンダー」

2022-12-10 12:50:43 | MISIA

いよいよ12月も中旬に突入して、年末年始に向けた準備が佳境に入って参りました。
おせち料理の調達を済まし、正月帰省のチケット(現時点では往路のみ)を確保し、別邸の灯油ビールの在庫は前回の帰省のときにたっぷりと確保したし、そして昨日は年賀状の版下(第1版)を完成させ、と、着々と準備が整いつつあります。

そんな日々の中、今年も作りました、MISIA「特製卓上カレンダー」

2015年度(2015年4月~2016年3月)に、自分の勤務カレンダーが判るように作り始めたこの「特製卓上カレンダー」も、2016年度2017年度2018年度2019年度2020年(この年から暦年に変更)、2021年2022年と続いて、9作目になります。
ということは、カレンダーホルダーは、2014年のMISIAの公式卓上カレンダーのものを使い続けていますので、10年目に突入です
ペナペナプリスチックシート製のホルダーですが、踏んづけたりしない限りは何年でも使い続けられそう

で、毎回、ある程度テーマを決めて作ってきたのですが、今回は「比較的新しめの画像」と、ちょっと緩く設定しました。

ということで、まずは2023年1~4月

つづいて5~8月

そして9~12月

12月の画像を除いて、11枚はすべて今年公開された画像で構成しました。
MISIAのサポーターなら、どの写真も見覚えのあるもののはずです。
で、12月のは、実際にカレンダーを使うまでは約1年ありますので、それまでに差し替える可能性も残っています。

毎年、PCソフト(いわゆるシェアウェア)で作っているこの特製卓上カレンダー、やっかいな点があります。それは、PCの画面上の色調と、実際に印刷したときの色調が違っていて、印刷してみると日付の数字が背景に埋没してしまうことがちょくちょくあるのですよ。
「色のプロ」なら感覚で事前に察するところでしょうが、素人の私は実際に印刷しては文字色を変えてもう一度印刷して…の試行錯誤の連続です。
これはなかなか難しい
それと、複数の月で、日付の最後の行がまるまる翌月分というのが散見されますが、これもまたこのソフトの特性です。これは、隠す方法を思いついたので、2024年版のときに試してみようと思っています。(が笑っているだろな)

ということで、これで安心して年を越せます

とか言いながら、18日は静岡・袋井で今年最後の生MISIA19日深夜「HAPPYクリスマス おもちゃ屋MISIA」、そして31日「NHK紅白歌合戦」と、楽しみはまだまだつづきます
っつうっか、お楽しみはこれからだ

つづきのようなもの:2023/11/26 「特製MISIA卓上カレンダー」も10周年 

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