新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

約1年ぶりの関西旅行記 #2-2

2021-11-29 17:08:42 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行記 #2-1」のつづきです。

まずは「#2-1」の最後に思わせぶりに書いた住吉大社の本殿4棟のうち、第一~三本宮と第四本宮との違いから。

正解(?)は、屋根からV字型に突き出した「千木(ちぎ)」です。

住吉三神をお祀りする第一~三本宮千木は先端を地面と垂直に切った「外削ぎ(そとそぎ)」なのに対して、神功皇后をお祀りする第四本宮だけ先端を地面と水平に切った「内削ぎ(うちそぎ)」の千木を戴いています。

なぜこういう組み合わせなのでしょうか?
「男神を祀る場合は外削ぎ、女神を祀る場合は内削ぎ」という説もあろうかと思いますが、Wikipediaでは「全くの俗説である」バッサリ説が紹介されています。

確かに、内宮は内削ぎ外宮は外削ぎと対照的な伊勢神宮(訪問記)内宮(皇大神宮)も外宮(豊受大神宮)もお祀りするのはどちらも女神だし、大嘗宮悠紀殿(内削ぎ)主基殿(外削ぎ)(見聞録)はどちらも特定の神様をお祀りするものではありません
ま、

なお、祭神による千木の形の区別については、神社本庁の公式見解では「必ずしもそうとは限りません」と控えめに言うに留めている。 (Wikipedia)

と受け止めましょう

   

住吉大社のHPに載っている「年間参拝者予測」によれば、どの寺社も同じだと思うのですが、初もうで1月最多なのは当然としても、11月単独2なんですねぇ。住吉祭のある7月ごく普通の人出なのに…

七五三があるからなんだろうけど、私自身、七五三のお参りに行った記憶が皆無なだけに、それほど「七五三」需要があるとは、ちょっと信じがたい気がします。

でも、実際に、この日の住吉大社は、土曜日ということもあってか、着飾った子どもを連れた参拝者で賑わっていました

と、その人混みを縫って、時代がかった姿の一団がやってきました

毛槍を伴った「奴さん」です
この後ろから大名行列がやってくるのかも との期待しましたが、、、、でした

ところで、大名行列の先頭を飾る「奴さん」たちは、どうして決まって「釘抜紋」なのでしょうか?
調べると、この奴さんの釘抜き紋「冷や奴」の語源になっている話はネット上に溢れていますが、肝心の「なぜ奴さんは釘抜紋?」の答えがなかなか見つかりません
いつも頼りにしているWikipediaも、

奴は、大きな四角形を染めた半纏を着ていることが多かった。この紋所は、「釘抜紋」と呼ばれる。

と素っ気ない
こちら「釘抜紋」の説明(出典:精選版 日本国語大辞典)には、

多く、中間、奴などのはっぴ、半纏などに用いた。

とありますから、この場合の「釘抜紋」家紋ではなく、職能を表すシンボルマークだったということでしょうか?
話の逸れついでに、「奴」についてWikipedia では、

武家に働く者の中でも低い身分にあたり、「中間(ちゅうげん)」「折助(おりすけ)」と呼ばれていた武家奉公人を、蔑むときの呼び名である。

と説明されています。
「中間」で思い出すのは「義母と娘のブルース」(2022年謹賀新春スペシャル楽しみ)のこのシーン。

麦田店長が作ったアルバイト募集チラシに書かれた「来たれ! 熱き中間(仲間) ブアイソウ(歩合給)あり!」「中間」に歴史好きの亜希子さんが敏感に反応していましたっけ…
この「参考映像」中間釘抜紋の袢纏を着てる

   

話を住吉大社に戻しましょう。

住吉大社の社殿は、「住吉造」と呼ばれる独特な形式です。
こちらのサイトによると、

住吉造は、直線構造で、切妻造妻入り(中央入口)で、内部構造は前後ニ室に分かれている。
これは、大鳥造と同じだが、奥行きが大鳥造の倍(四間)である。
細部は簡素だが、柱は朱壁は白に塗られている。
本殿の全体的な形は大嘗宮の悠起殿・主基殿に類似しているらしい。

とな。

極めて直線的で、屋根シュッとしています。
一方、直線的なイメージのある神明造伊勢神宮はどうかといいますと、

屋根の垂木は直線ですが、上部と下部とで萱葺の厚さが違って、微妙なカーブを描いています。

次に「類似しているらしい」と書かれた大嘗宮悠紀殿・主基殿はといいますと、一昨年11月の写真を取り出しまして…、

令和の大嘗宮は、経費節減の観点から、屋根は伝統的な萱葺ではなく板張りで建てられたそうですが、わずか1夜の神事のために建てられるパビリオンみたいなものですから、萱葺薄く葺かれたのでしょう。
それはさておき、直線的でシンプルな作りは、確かに住吉大社本殿と似ていますが、プロポーションかなり違う気がします。というか、かなりデカい
素人目には、直線的な切妻屋根妻入りという共通点しか判らないのですけど…

でもまぁ、神社建築の様式としては必ず挙げられる「住吉造」の現物を拝見し、また、なんとも珍しい本殿4棟の並びを拝見できたことで、私は満足したのでありました。

つづき:2021/12/04 約1年ぶりの関西旅行記 #2-3

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約1年ぶりの関西旅行記 #2-1

2021-11-27 18:59:43 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行記 #1」のつづき、旅行2日目(11月20日)のお話です。

この日の旅程は、「約1年ぶりの関西旅行記ダイジェスト #1 & #2」で書きましたので、ここでは省略。

この日は、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」大阪公演1st Show (15:00~) を楽しんだあとは、さっさと大阪を後にして奈良に移動することにしていたのですが、問題は14:30フェスティバルホールに着くまでの行動でした。

大阪の主な美術館で開催中の展覧会には食指が動かないし、長ぁ~い歴史を持つ四天王寺(まだ行ったことがない)には惹かれつつも新しい鉄筋コンクリートづくりの建物を見てもなぁ~と思うし、また大阪城に行くのもなぁ… と、なかなかアイデアが浮かびませんでした。
そんな折り、ふと「住吉大社」の存在を思い出しました
このブログでしばしば登場する「佐竹本三十六歌仙絵巻」には、三十六歌仙の肖像画に加えて、唯一、人物以外の絵が含まれていて、それが「住吉大明神」こと住吉大社でした。

9年前に東京国立博物館現物を拝見したときは(記事)

正直申し上げて、背景を知らなければ「どうしてこの作品が重要文化財?」と思いそうな作品でした。

と失礼なことを書いてしまうほど、薄ぼんやりした作品だったのですが(その印象は、2019年10-11月の「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」@京都国立博物館で拝見したときも変わりませんでした)、考えてみれば、そもそも私、住吉大社のことをほとんど知りませんでした
せいぜい、大阪にあって、「和歌の神様」崇められていたということくらいのもの…。

そこで、ホテルの自室で調べてみると住吉大社摂津国一宮にして、その創建(鎮座)「神功皇后摂政11年(西暦211年)」という「伝説的な神社でした
しかも、4棟ある本殿はいずれも国宝に指定されているという…
さらに、交通至便とあれば、こりゃ行くしかないでしょ

   

ということで、コロナ禍の影響でずいぶんと寂しくなったホテルの朝食を食べた後、荷物をまとめ、チェックアウトすると、まずは新大阪駅から大阪駅へと向かいました。

大阪駅では、前夜確認しておいた改札内のコインロッカーに荷物を入れ、大阪環状線に乗って、いざ、住吉大社へ

新今宮駅南海電車に乗り換えたのですが、大阪環状線新今宮駅発車メロディードヴォルザーク「新世界より」の一節で、おもわずニヤリ

新今宮駅発車メロディー【新世界より】

南海・新今宮駅から住吉大社駅までは、乗車時間7分程度なのですが、電車が来ない どうやら15分間隔くらいで走っているみたいですな。

やがてやって来たガラガラの電車に乗り込むと、すぐに住吉大社駅に到着。
改札を抜けて1階に降り、鄙びた薄暗い「商店街」を通り、を見ると、住吉大社の大鳥居が見えました。

そして、電車通りを横断すると、そのまま住吉大社の表参道。

大鳥居の手前左側に「遣唐使進発の碑」という碑がありました。

今でこそ、「陸地」住吉大社ですが、

昔の海岸線はずっとずっとにあって、というか、境内にあったこちらの図によれば、

住吉大社前の電車通りや南海電車が走っている辺りは「浜」だったそうな
住吉大社は上町台地南西端にあって、こちらのサイトに載せられた地図を見ると、現在のJR難波駅辺りさえも「浜」だったみたいです。

こういう地理的条件に加えて、

住吉三神(筒男三神)神功皇后新羅征討において皇后に託宣を下し、その征討を成功に導いた。そして神功皇后摂政元年、皇后は大和への帰還中に麛坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭い、さらに難波へ向かうも船が進まなくなったため、務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸に比定)で占うと住吉三神が三神の和魂を「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」で祀るように託宣を下した。そこで皇后が神の教えのままに鎮祭すると、無事海を渡れるようになったという (Wikipedia)

伝説の神社があるのですから、この地が「遣唐使進発」の地になったことになんの不思議もありません。

   

さて、住吉大社シンボル的な「反橋(そりはし)」を渡って、住吉大社の中心部へ。

住吉大社のHPによると、

正面神池に架けられた神橋は「反橋」と称し、住吉の象徴として名高く「太鼓橋」とも呼ばれております。長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度になります。この橋を渡るだけで「おはらい」になるとの信仰もあり、多くの参詣者がこの橋を渡り本殿にお参りします。現在の石造橋脚は、慶長年間に淀君が豊臣秀頼公の成長祈願の為に奉納したと伝えられております。

だそうな。

ここで境内図由緒書きを載せておきましょう。

本殿は第一~第四本宮の4棟あり、御祭神4柱おられて、それぞれ、

第一本宮 底筒男命 (そこつつのおのみこと)
第二本宮 中筒男命 (なかつつのおのみこと)
第三本宮 表筒男命 (うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)

がお祀りされています。
このうち、因数分解すれば(?)「(底+中+表)×筒男命」3柱がいわゆる「住吉三神」で、「息長足姫命」神功皇后です。

奈良の春日大社御祭神が4柱本殿が4棟ですが、春日大社は本殿が一列横隊で並んでいるの対して、住吉大社は、男神3柱を祀る第三~第一本宮が手前から一列縦隊で並び、第三本宮の右隣りに第四本宮並ぶという独特の配置になっています。(右の写真は住吉大社のHPから拝借しました)

4棟とも、基本的には同じつくりで、

屋根は桧皮葺妻入式切妻造(つまいりしききりつまづくり)。室内は外陣と内陣の二間に分かれ、柱は丹塗、壁は胡粉塗になっています。

と、住吉大社のHPに書かれていますが、弊殿第一本宮だけ他よりも一回り大きくつくられています。
私が訪れたとき、第一本宮の拝殿では結婚式が挙行されておりました。

第一本宮

もう一つ、第四本宮だけ他の3棟と異なっている点がありました。
まずは上に載せた第一本宮と、下の第二本宮(右)と第三本宮(左)の写真を見ていただいて、

そして下の第三本宮(左)と第四本宮(右)の写真を見ると、その違いに気づかれるのではなかろうかと…。

と、思わせぶりな書き方で、「#2-2」につづきます。

つづき:2021/11/29 約1年ぶりの関西旅行記 #2-2 

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約1年ぶりの関西旅行記 #1

2021-11-26 15:36:49 | MISIA/旅行/ニュース

先週金曜日から今週月曜日にかけて決行した関西旅行旅行記本編のスタートです。

1年前、去年12月の関西旅行は、こちらで書いたように、「MISIA So Special Christmas」神戸&大阪公演への遠征ついでとして、大阪2泊 & 奈良1泊で計画したものの、MISIA落馬事故ライヴは中止になるは、大阪新型コロナウイルス感染症蔓延「Go To トラベル」対象から外れるはで、いろいろ思案の結果、京都と奈良の観光旅行に変更して実施しました(旅行記ダイジェスト)

その後、今年8月に予定されていた「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE京都公演に行くつもりだったものの、こちらも来年1月に延期になってしまい、結局、1年越しの関西旅行になってしまいました。

   

さて、今回の旅行は、往復とも飛行機を使いました。
航空会社のキャンペーンで、羽田⇔伊丹の往復で約2万円というチケットを買えたからです。新幹線に比べれば、豪華食事代が浮く計算になりますから…

往路の飛行機からは富士山がキレイに見えました

奥に見えているギザギザの山は八ヶ岳かな?
また、こちら南アルプスの山々だと思います。

なんとも良い眺めと機内サービスの柳家さん喬さんの落語(天狗裁き)を楽しむうちに、伊丹空港に到着。

伊丹空港からはリムジンバスで新大阪駅に向かい、そこからは徒歩15:30頃にホテルにチェックインすると、そのままジト~っと、ライヴ(2nd Show)の時間までホテルの自室で過ごしていました。
というのも、大阪中心部に繰り出すには中途半端な時間でしたし、翌日の予定を立てなきゃならないという事情もありました。
ちなみに、この日泊まったホテルは、去年12月にキャンセルしたホテルです。その辺、けっこう私は義理堅いのです

それはともかく、もうひとつ、「ほぼ皆既月食」をホテルの自室から見物するという目的もありました。
うまい具合に私の部屋は東向きの高層階で、今回の月食の見物にはうってつけだったのです。

そして、17:00、既に半分欠けた状態の月が昇ってきました。

そして30分後

そしてそして18:00ちょい前の月。

この角度になると、部屋からの見物は難しくなってきましたので、月食の見物はこれまでにして、フェスティバルホールへの出撃の準備を始めたのでありました。

   

新大阪からフェスティバルホールへは、大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅まで行けば、あと1ブロックといったところ。
地上にでると、淀屋橋の上から月食を眺める仕事帰りの人がたくさんいました。
私は、太り始めた(?)月と、イルミネーションでお役所とは思えない雰囲気の大阪市役所の写真を撮って、

土佐堀川の右岸をフェスティバルホールへと歩きました。

そして、到着

そこで出会ったミー友さんからすぐさま「ネタバレを見た?」と聞かれました。

? 何のこと?
「きょうのネタバレは見てない」と答えると(実際、1st Showのセットリストも見ていなかった)「そう。きょう来てよかったねと…。
ますます、何のこと?

この会話が意味するものは、ライヴが始まってすぐに判りました

もう上等最高至高でした

何の話かは、伏せておきます
2週間後の東京公演もこうだといいな とだけ書いておきます

   

ライヴ終演後、大阪に来るたびにほぼ欠かさず行っているお店で夕食を摂ろうと新梅田食堂街へ行ったところが、早い店仕舞いとな
まだコロナ禍の影響は残っておりました

しかたなく大阪駅の改札を通り、翌日の準備として改札内のコインロッカーの場所を確かめた後京都線新大阪駅に戻りました。

そして、これまた良く行く新大阪駅ナカ串カツ屋で一杯やりました。

と、気がつくと22:00ではありませんか

この日22:00から公開のYouTube「THE FIRST TAKE」はホテルの自室で鑑賞するつもりだったのに、もう絶対間に合いません

でも、冷静に考えてみれば、この日22:00以降であれば、YouTubeはいつでも視られるわけで、そんなに深刻に悔しがる必要はありません
しかも、イヤホンはバッグに入れて持ち歩いているし、スマホでも視られます

ということで、串カツ屋のカウンターで「THE FIRST TAKE」鑑賞いたしました。

MISIA - 明日へ / THE FIRST TAKE

これまで聞いたことのない、歌い終わったあとのMISIA荒い息づかいを除けば、この夜、でMISIAの歌を聴いたばかり身にしてみれば目新しさみたいなものはあるはずもなく、に勝るものはない と思ったのでありました

   

MISIAのライヴで遠征した夜は、なかなか寝付けないのが常でして、この夜もなかなか眠れませんでした。

MISIAは、この夜のMCで、

とおっしゃっていて、私も、自宅を出発する際にY1000を飲んできたのですが、それでも、穏やかに眠りに落ちることはできませんでした

そして、ライヴ反芻したり、翌日はどこに行こうかと考えたりしながら眠れない夜を過ごしたのでありました。

つづき:2021/11.27 約1年ぶりの関西旅行記 #2-1

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「木組 分解してみました」展を最終日に観てきた

2021-11-24 19:54:53 | 美術館・博物館・アート

昨夜というかけさ、なんとも不快な夢をみて、5時前に目覚めてしまった私、二度寝する気にもなれずにTwitterを眺めていると、

国立科学博物館(科博)竹中大工道具館との共同企画展「木組 分解してみました」開催中で、きょう、11月24日が最終日だというTweetが目に飛び込んできました

こんな私好みな展覧会をやっていたなんてついぞ知らず「24日(水)は予約に空きがあります」という文言を見るや、いてもたってもいられず、まだ7時前だというのに、すぐさま予約を入れました

そして、9時前に上野に出撃

神戸にある竹中大工道具館には、3年前に行ったことがありまして、「大工の孫が騒ぐ」というのか、なんなのか、萌え上がりまくった記憶があります(記事)。そんな竹中大工道具館科博が組んで、「木組」を扱ったら間違いないという確信がありました。

その期待は、会場入口から現実のものになりました

入口を挟むように展示されていたのは、法隆寺五重塔(かつて科博が常設展示していたもので、22年ぶりの展示らしい)と、つい3日前に拝観してきたばかりの薬師寺東塔模型

「不快な夢」から始まったきょうは、なんとも意外な展開をみせてきます

   

この展覧会は、図録によると、「竹中大工道具館開館35周年記念巡回展」として、2019年末の神戸を皮切りに、2020年は名古屋⇒東京⇒広島と巡回して秋の札幌で千穐楽を迎えることになっていたようです。
ところが、コロナ禍のため、名古屋展(会場はトヨタ産業技術記念館)は1月11日~4月5日の予定が2月28日で打ち切り東京展1年以上延期されて今秋に…。広島展と札幌展はイベントの中止がありながらも当初予定どおり開催されたようです。
こうしてみると、名古屋の人が気の毒

   

さて、会場に入ると、まず目に留まるのは、シャープな切り出し杢目が美しい素木の組見本でした。

上に載せたのは、「柱の四方から横架材がそれぞれ継手・仕口をつくるもっとも複雑な木組」だという「四方差し」
ダボと木工ボンドで形づくる「組立家具」とはまったく異次元の世界です

お次は、「台輪留め」

台や床組の隅部分で使います。「留め」は45°同士で合わせるので、きれいな見た目になりますが、その分加工の難易度が上がります。

だそうで、そりゃそうでしょ

すでにパズルの領域に入っていますけど、下の二つの部材を組み合わせると、

なんでこうなる

これは大阪城大手門の継手だそうで、

大正12年(1923)に施された根継ぎの跡なのですが、前後面は蟻継ぎ、両側面は殺ぎ(そぎ)継ぎという不可解な継ぎ方で「謎かけの継手」として話題になりました。X線で調べたところ斜めに差し込むつくりと判明しました。

だそうな
大正の修理を担当した棟梁草葉の陰にんまりとしていることでしょうな。

お次は、鎌継ぎなのに引っ張ってみても外れません」という「四方鎌」

「なんと斜め45°にスライドさせると外れるという発想の転換が必要。すでに江戸時代からこのような遊びの継手が発明されていました」ですと

   

先日、TVを視ていると、山口の錦帯橋の維持・架け替えを担当されている大工さんの話題を取り上げていましたが、その錦帯橋1/2.5の模型も展示されていました。

横から見ると「ふ~ん。そうか…。」程度の感想でしかありませんが、下から見ると、

なんじゃこりゃぁ~ です
錦帯橋は、大水で流された場合のほか、定期的な架け替えが行われているそうで、最近では、2001~2004年に約50年ぶり架け替えが行われたそうです。
神社の式年遷宮・式年造替20年毎くらいの間隔で、一人の技術者・技能者一生に2~3回体験できますが、50年間隔だと、一生で二度携われればラッキーといえるでしょう。となれば、普段から現物を見て、過去の記録を勉強したり練習したりしてそのときに備えるんでしょうねぇ。
紙幣の原版を彫る人みたいだな…

   

これは何でしょうか?

真上から見れば、細長い薄板で編んだみたいですが、木片組み合わせたもので、「捻組み(ねじぐみ)」というのだそう

「木組」といえば「組子」とか「指物(さしもの)」も忘れるわけにはいきませんで、見事な組子屏風が展示されていました。

また、そんじょそこらにはない木箱の見本も。

いやはや、日本です

   

最後は好物斗栱

寺社などの古建築を観るたびに、どうしてこんな形なんだろ?
あの部材の役割は何? なんて思ってしまいます。

円覚寺舎利殿(まだ拝見したことがない)組物実物大見本と、

それを構成する部材を並べたものがまた…

こんな「組み立てキット」が販売されたら、目の色を変えて買ってしまいそうで怖い…

いやはや楽しかった

でも、「この展覧会は必見ですと言えないのが残念です。
きょうが最終日でしたので…

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約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #4 (最終日)

2021-11-23 19:38:03 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #3」のつづき、旅行最終日のダイジェストです。

まずはこの日の旅程。

【4日目(最終日):11月22日(月)】
ホテル⇒JR奈良駅(東口)バス県庁前興福寺(五重塔⇒国宝館⇒三重塔)徒歩ひがしむき商店街⇒徒歩JR奈良駅(東口)リムジンバス伊丹空港飛行機羽田空港東京モノレール浜松町駅京浜東北線赤羽駅埼京線最寄り駅⇒本宅

最終日は、ほぼ興福寺だけで終わりました。
2日目と3日目の疲れがたまっていましたし、模様でしたし、伊丹空港行きのリムジンバス13時ちょい前でしたし、奈良博休館日(月曜日)でしたし…と、やむを得ない諸般の事情がございました
でも、短くとも濃い時間を奈良で過ごすことができました。

   

興福寺五重塔は、来春から、屋根瓦の葺き替えを含む約120年ぶり大規模修理に入るのだそうで、その直前企画(?)として、内部拝観10月9日からきょう11月23日までの前期来年3月1~31日の後期に分けて開催中です。
加えて、10月末から先週まで10月12-13日を除く金曜日と土曜日には「夜間特別開扉」が行われておりまして、旅行2日目(一昨日)、大阪から奈良に移動してホテルにチェックインするなり、興福寺に出かけたのは、「夜間特別開扉」に併せて行われていたライトアップを観るためでした。

一昨日はライトアップされた外観を愛でるだけで、内部拝観はきのうにとっておいた次第です。

前日拝観した薬師寺東塔の初層内部は、法隆寺五重塔と同様に、お釈迦さまの生涯の重要シーン4場面立体再現でしたが、興福寺五重塔の初層は、心柱を背に、西に阿弥陀三尊像北に彌勒三尊像東に薬師三尊像、そして南に釈迦三尊像が安置されていました。
個人的に、お釈迦様と獅子に乗った文殊菩薩と象の背に乗った普賢菩薩三尊像以外にはときめきは感じませんでしたけど…

でも、彌勒三尊像の下の羽目板が外されて、心柱を拝見できるようになっていたのは眼福でした

それにしても、平日だというのに拝観者多いこと
この日に有休をとって4連休にした人も少なからずいらっしゃったのでしょうけれど、みんなコロナ禍我慢し続けていたんだろうな…

五重塔非公開継続中中金堂界隈でも十分に多いと思った拝観者でしたが、

つづいて訪れた国宝館は、ほぼコロナ前と同じくらいの人たちで、心地良い「密がかたちづくられていました

コロナ禍我慢をつづけてきたあとで、国宝館に並ぶ仏さま坊さまたちに向き合うと、そりゃ和む癒されますって

やはり、私の場合、年に一度は興福寺国宝館に足を運ばないとダメみたいです。

国宝館堪能した私は、興福寺から退去する前に、三重塔しげしげと拝観しました。

五重塔国宝館とは打って変わって閑散とした三重塔でしたが、それはそれで興福寺三重塔らしいとも言えます

興福寺の伽藍の中では地味の筆頭ともいえそうな三重塔、実は平安末~鎌倉初期に建てられた、興福寺では北円堂と並ぶ最古参の建物です。
建てられた場所が、他の伽藍より一段低いというので割りをくっているのかなぁ…

   

興福寺の立つ台地の西側「ひがしむき商店街」があります。
いつぞやのブラタモリでも紹介されていましたが、

東側はすぐ興福寺の境内となっている。この為、通りの西側にのみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていたため「東向」と呼ばれるようになったという。(Wikipedia)

そこにある幼稚園(親愛幼稚園)がある意味、「ひがしむき商店街」一番の見ものかもしれません。

興福寺北円堂の屋根を背景にしたお寺っぽい建物幼稚園だというだけでも驚きですが、よりによって(?) キリスト教系(英国国教会系)の幼稚園だというのですから

ま、この話は旅行記本編で書くことにしましょ

このあと、私はJR奈良駅まで歩き、空港リムジンバスの中で食べるべく「柿の葉すし」を購入し、モスでシェイクを飲んで時間を調整し、コインロッカーから荷物を取り出すと、バスに乗って帰途につきました。

と、まぁ、ダイジェストはこの辺でよいのかな?

では、また

旅行記本編:2022/04/11 約1年ぶりの関西旅行記 #4 [完結編] 

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約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #3

2021-11-22 09:05:09 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #1 & #2」のつづき、関西旅行3日目のダイジェストです。

きのうは予定どおり、好天の下、14年半ぶり明日香村を堪能してきました

で、旅程は下記のとおりです。

【3日目:11月21日(日)】
ホテル⇒JR奈良駅万葉まほろば線桜井駅路線バス飛鳥資料館⇒徒歩飛鳥寺路線バス⇒石舞台石舞台古墳⇒石舞台路線バス⇒高松塚高松塚壁画館高松塚古墳文武天皇陵飛鳥駅近鉄吉野線橿原神宮駅近鉄橿原線西ノ京駅薬師寺西ノ京駅近鉄橿原線大和西大寺駅近鉄奈良線近鉄奈良駅餅飯殿センター街⇒徒歩⇒ホテル

実は、去年12月「空振り関西旅行」の際にも、「13年半ぶり」「明日香村めぐり」を画策したのですが(記事)桜井駅まで行き、明日香資料館方面に向かう路線バスに乗ろうとしたところ、なんと、バスが無い ことが判明した暗い過去がありました。
明日香村内を巡るバスは、橿原神宮駅からはオフシーズンでも1時間に1本くらい運行されているのですが、桜井駅からのバスのダイヤはこんな具合

平日は朝・昼・夕の3本土日祝日は、春と秋だけ1時間に1本弱運行されているだけという厳しさだったのです。

今回は、1年前の轍は踏むまい と、事前にバスの時刻表を調べて、満を持して出撃したわけでして、おかげで効率的に動きまわることができました。

   

さて、今回、14年半前にも見物した飛鳥資料館飛鳥寺石舞台古墳3カ所を再訪したほか、

新たに、高松塚壁画館、高松塚古墳、文武天皇陵を見学しました。

そのかわり、酒船石、伝飛鳥板蓋宮跡、甘樫丘、亀石、天武・持統天皇陵パス

というのも、大修理が終わった薬師寺東塔初層の内部公開に行きたかったからです。
薬師寺東塔の内部は、2011年3月敢えて決行した関西旅行の際にも見学したことがあり(記事)大修理前と後を見届けるべきだろうと思ったわけでして…。

で、初層の内部を拝見する前に、すっかりと足場が外されてスッキリした東塔を奪われました

そのお姿(?)は、なんとも清々しくて、これを拝見できただけでも、薬師寺に来た甲斐があったと思いました。

そして、初層内部を拝見すると、10年前には無惨な姿に朽ちかけていた心柱ど~ん と生まれ変わっていて、これならあと数百年は大丈夫 と思わせる心強さでした。

というところで3日目のダイジェストはお終い。

旅行最終日きょうは、の中、こんどは興福寺五重塔「令和大修理前御開帳 初層四方の三尊像を拝す」という特別公開を観て、そしてお約束の興福寺国宝館を見学します。
一昨日興福寺に行きましたが、このときはライトアップされた五重塔を眺めるだけが目的でした
そしてそして、お昼にはバスに乗って伊丹空港に向かう予定です。

つづき:2021/11/23 約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #4 (最終日) 
旅行記本編:2021/12/07 約1年ぶりの関西旅行記 #3-1 

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約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #1 & #2

2021-11-21 07:33:51 | 旅行記/美術館・博物館・アート

昨年12月以来、約1年ぶりの関西旅行を決行中で、いま、奈良のホテルに滞在中です。

メインの目的は「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」大阪公演で、金曜日の2nd Showと昨日・土曜日の1st Showを堪能して、そちらの目的は完遂しましたが、あと1日半奈良を歩き回ることにしています。

せっかく気持ち良く目覚めましたので、ここでここまで2日間のダイジェストを書いておきます。

まず旅程。

【初日:11月19日(金)】
自宅⇒最寄り駅⇒埼京線赤羽駅京浜東北線浜松町駅東京モノレール羽田空港第1ターミナル駅羽田空港飛行機伊丹空港リムジンバス新大阪駅⇒ホテル(月蝕を観察)⇒新大阪駅御堂筋線淀屋橋駅フェスティバルホール(MISIA星空のライヴ)大阪駅京都線新大阪駅⇒ホテル

【2日目:11月20日(土)】
ホテル⇒新大阪駅京都線大阪駅大阪環状線新今宮駅南海本線住吉大社駅住吉大社住吉鳥居前阪堺線天王寺駅御堂筋線難波駅⇒徒歩(道頓堀⇒心斎橋筋⇒長堀通⇒四ツ橋筋) フェスティバルホール(MISIA星空のライヴ)大阪駅大和路快速奈良駅⇒ホテル⇒JR奈良駅(東口)バス県庁前興福寺⇒徒歩⇒ホテル

日頃の運動不足をおぎなう意味も込めて、とくにきのうは歩き倒しました
難波駅で地下鉄を降りて、道頓堀界隈を観光がてら昼食を求めて彷徨ったのち、時間に余裕があるからとフェスティバルホールまで歩いたのは、正直疲れましたが、それでも「歩きならではの発見がありました。

心斎橋筋から長堀通に左折し、四ツ橋筋を目指して歩いている時に見つけたのがこちら

このときは、「あれま リキテンスタインの大壁画だと思い、かつて、ニューヨークでたまたま遭遇した「本物」リキテンスタインの壁画を思い出したりしていたのですが…。

調べてみると、この壁画も本物のリキテンスタインの作品、「OSAKA VICKI」でした
まさか大阪にこんな巨大リキテンスタインの作品が存在していたなんて、まったく知りませんでした
軽々しく「リキテンスタインが好きなんて言っていられませぬ…。反省

と、ダイジェストにもなっていない段階ですが、きょうの準備(朝食を含む)にかかりますので、ここまで。

つづき:2021/11/22 約1年ぶりの関西旅行ダイジェスト #3 
旅行記本編:2021/11/26 約1年ぶりの関西旅行記 #1 

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「MISIA星空のライヴ」東京公演の出撃記

2021-11-04 20:06:11 | MISIA

10月22・23日、11月2・3日東京ガーデンシアターで開催された「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」6公演のうち、私は各日1公演=計4公演に出かけてきました。
そのお話を、ネタバレを極力排して、ちょっとだけ。

この東京4公演は、もともと去年の7月22・23日、10月3・4日NHKホールでの開催が予定されていたもので、私はこのうち、抽選に敗れ去った10月3日以外3公演に行く予定で、去年の4月には代金を払い込んでいたのですが、コロナ禍のせいで延期
去年7月の公演は、一旦去年の10月17・18日に延期(会場も東京国際フォーラムに変更)された上で、さらに今年11月2・3日に延期去年10月の公演今年10月22・23日に延期されてしまった経緯があります。(当初の会場だったNHKホールは、コロナ禍でキャンセルが相次ぐうちに、コロナ禍前から予定されていた改修工事に突入)

そして、空白になっていた11月2日の公演を申し込むつもりが、なにを勘違いしたのか、すでに 2nd Showのチケットを持っていた10月22日1st Showを申し込んでしまい、そして当選
私は、基本的に「1日1公演」にとどめておくつもりでしたので、そして、11月2日空白のままになってしまい、なかなかのショックでした。
それでも、11月2日の公演(1st Show)「主催者枠」(最後列が多い)getできて、これで東京 4 daysに行ける と喜んだのですが…。

ところが、ここでまたハプニング発生

10月22日1st Show11月2日の1st Showが中止になり、それぞれ、新規に設定された12月11・12日1st Show振替になってしまったのです

この中止・振替で、10月22日ダブり解消されたものの、ふたたび11月2空白になってしまいました

もう11月2日はあきらめるつもりだったのですが、10月22日の朝、ふとローチケのサイトを覗いてみると、11月2日のチケットの一般販売にまだ空きがあるではありませんか
もちろん、すぐに申し込みました。
その数分後には、「販売終了」になっていましたから、ギリギリでした

こんな紆余曲折を経て私がたどり着いた東京ガーデンシアターの座席を、座席表にプロットするとこんな具合。

CLUB MSAで取った座席と、一般販売の最終盤に取った座席とで、こんなに差がつくのかぁ~

東京ガーデンシアターは、こけら落とし去年7月という真新しいイベントホールで、収容人数は、あのむやみにデカい東京国際フォーラム ホールAを上回る、約8,000人という大ホールです。
そんな大ホールの後ろから2列目からステージを見下ろすと、

高ぁ~い
でも、ステージまでの距離感東京国際フォーラム ホールA2階席後方からより近いほどですし、各フロアの天井は十分に高くて、圧迫感ほとんどありませんし、音がこもることもありませんでした。
東京国際フォーラム ホールAにとっては強敵出現です

きのう、「『MISIA星空のライヴ』開催記念」としてMISIAの木」植樹・点灯式が有明ガーデンで開催されたのですが、これは「今後もご贔屓をという住友不動産(有明ガーデンのデベロッパー)からMISIA陣営ラブ・コールっぽい気がします。

もともと東京国際フォーラムとは相性の良くない私としては、東京ガーデンシアターの方がお好みです。
自宅最寄り駅から電車一本乗り換えなしで行けるメリットもありますし…

   

さて、肝心MISIAライヴのこと。

毎度のことながら、ライヴでMISIA深く・厚く・美しく響く歌声を聴くと、MISIA同時代を生きていて、歌声を聴ける喜びに胸が熱くなります
それにしても、なんであんなに歌えるんだろ?
2 days 4 showsの最後でも「普通」なんだものね。
強靱かつ繊細な声帯を持っているんだろな。でも、その声帯は、持って生まれたものをベースに磨き上げて、それを最新の注意を払って維持しているのだろうと思います。

と、ここで、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」ツアーセットリストを載せます。

4月29日の河口湖から9月26日の長野までのセットリストは「2ヵ月ぶりの『MISIA星空のライヴ』で長野遠征 #4 (完結編)」に載せましたので、ここでは10月8日の大阪(私は行っていない)から11月3日の東京までのを載せます。
クリックするとPDFが開きますので、ネタバレを避けたい方は、クリックしないよう、お気をつけ下さいませ。

さて、11月2日の公演嬉しかったのは、久しぶりに大好物「あ」の曲を、それも新アレンジで聴けたこと
さらに、11月3日の1st Showのセットリストには見当たらなかったのに、2nd Showでは再び聴けたこと、それも前日から更に変化したアレンジ
しかもどちらのアレンジも、音楽のジャンルを超越したおどろくべきもので、聴衆の多くは普段耳にすることのない「音楽」を聴いたんじゃなかろうか?
あんなにスリリングな音楽体験なんて、そんなにあるもんじゃありませんぜ
私の妄想なんですが、今年の紅白歌合戦MISIAが出場するならば、「あ」の曲あの方向性のアレンジ(間奏をちょっと縮めて)やってくれないものだろうか
かなりとんがったパフォーマンスになると思います

ツアーの中でアレンジが変わるのは、重実さん率いるMISIAバンドの頃にも珍しいことではありませんでしたが、それにしても大林さん率いる現MISIAバンド新アレンジの出現率たるや、メンバー全員が「前と同じ演奏はしないと誓い合っているのではないかと思うほど

これだから、何度でもMISIAのライヴに行きたくなるんだよなぁ~

というところで、「東京公演の出撃記」と題しているにしてはあっさりかもしれませんが、きょうはここまで。
私の次の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」への出撃は、今月19・20日の大阪公演です。
なかなか大阪での新型コロナの新規感染者が減らないのが気がかりではありますが、楽しみにしています

【追記1この記事を最初にアップした後、明らかな間違いや舌足らずの部分がいくつも見つかり、そのたびにチョコチョコと加筆修正しております。ブログ書きの頻度が下がって勘が鈍ってしまったようです。 (2021/11/04 22:00) 
【追記2 ネタバレ濃厚ですが、本家が上げているものですので、ご興味があればどうぞ。

(2021/11/12 22:13)

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