新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #4

2018-04-30 20:59:50 | MISIA

「THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #3」のつづきです。

「THE SUPER TOUR OF MISIA Girls just wanna have fun」4公演チケットには、S席SS席LUXURY SEAT、そして親子席があり、それぞれのお値段(税込)は、S:8,800円SS席:12,000円LUXURY SEAT:25,000円親子席:保護者 8,800円, 子 4,400となっていました。

私はCLUB MSA会員先行予約で、平日横浜初日LUXURY SEATその他3公演SS席を申し込みました。
すると、その抽選結果は、横浜初日LUXURY SEATのみ当選で、その他はすべてハズレ (つまり、1勝3敗)
その後、デジタル会員先行予約は、あっさりとエントリーを忘れてしまい、結局、一般販売大阪初日:S席大阪2日目:SS席横浜2日目:S席を購入することになりました。

THE SUPER TOUR OF MISIAでの私の座席

で、「#4」ではLUXURY SEATのことを書きます。

SS席2倍強S席3倍弱のお値段のLUXURY SEAT、当然ながら「特典」が用意されているわけで、公式サイトでは、

BOX席でゆったりとライヴをご鑑賞いただけます。
さらにLuxury Seatでは、たくさんのサービスをご用意しております。

    • 優先入場レーンからの入場ができる!
    • グッズが優先的に並ばずに購入できる!
    • ドリンク付き
    • スペシャルグッズ付き

と案内されていました。

さらに、メールで送られてきた「ご案内」には上記に加えて、

★MISIA等身大パネルの設置!
席のフロアには、MISIA等身大パネルとSNS用のフォトスポットを設置します。

さらにさらに、直前になって、ドラァグ・クイーン「お姉様」たちがおもてなししてくださるという情報まで入ってきました。

ということで、こんな「触れ込み」現実とはどれだけ一致していたのか、そのお話です。

   

まず、「優先入場レーンからの入場」

私が横浜アリーナに入場しようとした18:10は、「一般入場」ビッシリ詰まっている状況でしたが、LUXURY SEAT専用入口は待ち時間ほぼ無しで、加えて、

LUXURY SEAT用のPASS?  名札? そんなのを、ドラァグ・クイーンHOSSY MARGARETTEが一人一人の首に掛けてくれました

このお二人を「拝見するのは去年5月「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」のFC限定特別先行上映会(こちらの記事をご参照方)以来だし、間近にお目にかかるのは、2008年2月「THE TOUR OF MISIA 2008 EIGHth W0RlD Cocktail Party」以来です。

それにしても、MARGARETTEデカ

お次は「グッズが優先的に並ばずに購入できる」
これはさすがにまったく「並ばずに」購入することはできませんでしたが、それでも階段を昇って行列に並ぶ ようなことはなく、数人の行列に並ぶだけでグッズを購入できました。
これは結構有効な特典かも…

こうしてほとんど時間を要することなくグッズを購入した私は、喫煙所一服した後、自分の座席に向かおうとしたのですが、行き方が判らない
アリーナ席・スタンド席への案内表示はたくさんあるのに、LUXURY SEATの場所・方向を示す表示がまるで見つかりません
横アリ「スイート・ボックス」は、2009年2月のTHE TOUR OF MISIA 2009 DISCOTHEQUE ASIA横浜公演2日目(記事はこちらデキが悪い)以来2度目なのですが、「そんな昔のことは忘れた」でして、困った私は、近くにいらっしゃった横アリの係員さんに尋ねてみました。

すると、

 ご案内します

ですって (持ち場を離れても良いのか? です)
そして、係員さんは私を先導しながら階段を昇り「スイート・ボックス」入口の別の係員さんに引き継いでくれました。

さすがにHOSSY & MARGARETTEに席までご案内していただくのは無理だとは知りつつも、この「おもてなし」にはSpecial感があふれていました。
でも、LUXURY SEAT入口の係員さん、このツアーのメインビジュアルのMISIAのように、ベルガール風の衣装だったらもっとSpecialだったのに… と思ったりして。

と、ここから先は「#5」

つづき:2018/05/01 THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #5

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THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #3

2018-04-30 15:57:32 | MISIA

「THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #2」のつづきです。

THE SUPER TOUR OF MISIA大阪2日目開演直前に感じたこと、思ったことを「2018年最初の関西旅行 ダイジェスト(2日目)」でこう書きました。

そして、自席から、MISIA曰く彼女が20歳のとき(=デビュー間もなく)撮影したという「等身大」の写真(本人談)を見つめていると、「この写真を撮ったとき、MISIAは20年後=現在の自分の姿を想像できたのだろうか?」とか考えてしまって、胸が熱くなりました。

さらに、

しばしばMISIAは「20年間も歌い続けることができたなんて凄いこと」といった発言をしていますけれど、これほどの才能を持ったSinger 埋もれてしまっていたら社会の損失だったと思う一方、成り行きで浮かび上がるきっかけを掴むことができない 可能性はかなり高そうなわけで、やはり本人の才能+精進に加えて「運」も必要なのだろうなと思います

と続けたのですが、EMMAさんのDJプレイが心地良く場内を満たす中、若々しいのだけれど無表情「20歳のMisia」ご尊顔を拝していると、そんなことを考えてしまいました。

そんな私の思いに、MISIA横浜2daysのラス前のMCで、ある種の答を語ってくれました。
大意としては、

  • 11歳のときから歌手になりたいと思っていた。
  • デビューした後でも、自分は本当に歌手をしているのか判らない感じだった。
  • デビューから20年経ち、自分の人生の半分以上を占めるようになって、ようやく自分が今、歌手になれたという実感を覚えている。
  • ここまで続けてこられたのは、出会えた人々、自分の音楽に関わってくれた人々、そして皆さんのおかげだと思っている。
  • 私を歌手にしてくれてありがとうございました。

というもの。
MISIA自身、涙声でしたが、あのとき、横浜アリーナでは何千人の人かしたり胸を詰まらせていたことでしょうか
「日本を代表するSinger」と呼ばれて久しいMISIAが、最近になってようやく歌手をしている実感があるだなんて、自称「歌手」とか自称「アーティスト」には呆然としている方々も多いかもしれません。
もっとも、「そんなことを気にしていたらやってられねぇ」業界かとも思いますが・・・

 さらに、「ライヴに来てくれてありがとう」とか、「声援・拍手をありがとう」とか、「いつも支えてくれてありがとう」とかならまだしも、

 私を歌手にしてくれてありがとう

だなんて、、、、、、
しかも、聴衆に対してですよ
あのMC直後の聴衆の思い想像すると、こんな感じかな?

どんな場面でも、咳き込んじゃったり、くしゃみが出たり、はたまた余計なことを思い出して気を逸らしたりとかで、ちゃんと聞けなかった人っていると思うんですよ。

「え? なに? なに? 聞いてなかったぁ~ もう一回話してとかね

   

ところで、横浜2days10日後に控えた4月17日生放送されたNHK FM「MISIA 星空のラジオ」MISIA「誰、これ?」的な、ものの見事な鼻声で登場しました。
あと10日しかないのに大丈夫か?心配したリスナーが多かったことと思いますが、まさしく「Don't you warry 'bout a thing」で、翌週の4月24日の放送ではいつもの声に戻っていて、そして、横浜2daysでは、2週間前に風邪を引いていたとは思えないほぼ完璧歌声&MCを聴くことができました。

ホント、良かった

仮に不調でライヴで迎えたとしたら、リピーターなら「きょうは不調だな」であっさり受け流すところでしょうけれど、「噂に聞く生MISIAはどんなものだろうか?」胸躍らせ初めてMISIAのライヴにやってきた人だと、「ふ~ん、こんなもんか…とならないとも限りません。
そんな想像をしてみると、MISIAが順調に回復してくれて、ホント、ホント良かった

あす、5月1日の「MISIA星空のラジオ」生放送なのかなぁ?
来週は録音でいいから、明日「THE SUPER TOUR OF MISIA Girls just wanna have funのことを語って欲しいぞ 

【追記】「MISIA星空のラジオ」放送当日の夕方近くになって、こんなトゥウィート

公式Tweet

ひやぁ~ です。
MISIAが順調に回復してくれて、ホント、ホント良かった」なんて書きましたが、実は、けっこう無理していたのかもしれませんな。
そんな「無理」をライヴではまったく見せなかったMISIAプロフェッショナルです

さはさりながら、歌手自分の体が資本です。
じっくり休養をとっていただきたいです。 (2018/05/01 20:23)

つづき:2018/04/30 THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #4

コメント (2)
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THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #2

2018-04-29 21:52:54 | MISIA

「THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #1」のつづきです。

「THE SUPER TOUR OF MISIA Girls just wanna have fun」開幕の前日、私はオープニング曲の予想をトゥウィートしました。

オープニング曲予想デビュー20周年の記念ライヴだから、また、盛り上がりを考えても「つつみ込むように…」が大本命だろうと考えたのですが、結果は、、、、「THE SUPER TOUR OF MISIAのセットリスト」で書いたように、まさか「INTO THE LIGHT」でした

Into the Light~~!大阪初日、イントロが流れ、場内をが飛び交い始めると、すぐに、オープニング曲が「INTO THE LIGHT」であるとことがわかり、

  ウソ ホント ウギャ~

でした。
そして劇的MISIAの登場と、場内のすべての聴衆心を撃ち抜くようなMISIAヴォーカル、さらに初っぱなからキラキラテープ発射

キラキラテープ(大阪で採取)

これはアリだよねぇ~ やってくれるよねぇ~

「INTO THE LIGHT」はいつものように、本編最後アンコール最初に登場するだろうとみておりまして、完全にをかかれました

   

これまでにMISIAが発表したアルバムは、オリジナルアルバムに限ると、ミニアルバム2枚を含めて合計15枚あります。

MISIAのオリジナルアルバム

そして、「THE SUPER TOUR OF MISIA Girls just wanna have fun」4daysで歌われた21曲メドレー無しで21曲とは…)が、どのアルバムに収録されていた調べてみますと、、、、。

「SINGER FOR SINGER」「EIGHth WORLD」「MISIAの森 -Forest Covers-」除く 12枚のアルバムからまんべんなく歌ってくれたんですなぁ。

ちょっとここで寄り道

上の表を作っていて改めて書いておきたいと思ったのは、「めくばせのブルース」のこと。
「めくばせのブルース」は、なぜかオリジナルアルバムには収録されなかったものの(シングルCD「BACK BLOCKS」「c/w=B面」扱い)、ライヴではコール&レスポンス「定番になっていて、MISIAファンにはお馴染みの曲になっています。
そして、「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」ツアーでは、黒田卓也さんの手にかかってホーンセクションが加わると、ますます魅力的な作品になりました。
いやいや、「魅力的どころか、「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」ツアーでは私のお気に入り一二を争うほどのアレンジでした。
そんな「めくばせのブルース」は、ミニアルバム「MISIA SOUL JAZZ SESSION」収録されなくてオリジナルVer. と同様に悲哀を感じる取り扱いになってしまったのは、ホント、ホント残念です

でも、「THE SUPER TOUR OF MISIA」では、作詞担当のTiger姐さんのコーラスも加わった状態でクロタクVer.が演奏され、そして、場内大ノリだったのはうれしい限り。

   

MISIA代表曲勢ぞろいした感のある「THE SUPER TOUR OF MISIA」のセットリストだったと思うのですが、んん??? なのは、「忘れない日々」入っていないことくらいでしょうか?

でも考えようによっては、「忘れない日々」まで入れてHeavyなものっつうか、悪い意味で「Best Album」的なセットリストにしてしまうより、この辺りで留めておく方が、粋(いき)ってものかもしれません。
「忘れない日々」「MISIA星空のライヴX」お楽しみにしておきましょう。

あ" まだ「MISIA星空のライヴX」前半追加と後半エントリーをまだやってない

忘れずに明日エントリーしなくては

【追記】5月1日までのエントリーは、前半追加公演(レジェンド会員)のみでした。
お詫びして訂正いたします。m(_ _)m (2018/04/30 11:07)

つづき:2018/04/30 THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #3

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THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #1

2018-04-29 08:55:02 | MISIA

4月7-8日大阪4月27-29日の横浜4公演行われたMISIAデビュー20周年記念「THE SUPER TOUR OF MISIA Girls wanna have funのことをふり返ります。

THE SUPER TOUR OF MISIA

たった4公演ではありましたが、いやぁ~、20周年を記念するにふさわしいライヴでした
MISIA絶好調だったし、選曲"Singer MISIA"歴史を物語るものだったし、ステージセット衣装仕掛け豪華だったし、バンドダンサー盛り沢山だったしで、「THE TOUR OF MISIA 2018」ではなく(THE TOUR OF MISIAシリーズは終了宣言が出されていたんだけど…)、敢えて「THE SUPER TOUR OF MISIA」と名づけたのもうなずけるものでした

その「ふり返り」どんな構成で書こうかとしばし思案ののち、まずは会場のセッティングから始めましょう。

   

大阪遠征について書いた「2018年最初の関西旅行 ダイジェスト(初日・後編)」では、大阪公演のチケットが届いたときの、

3月25日の私のtweet

「結構萎えるという私のトゥウィートを載せ、そして、「(大阪)2daysの私の席を、一部想像と省略を交えてプロット」した図を載せたあと、

大阪2daysの私の座席

初日S席にしては良さそうな席であろうことは想像できますが、2日目SS席なのにこんな場所と思いますよね。
でも、これは、あれがこうなって、そうなるから、「良席」になるんですよ

と、ネタバレを極力避けるべく、奥歯にものの挟まったように書きました。
もう御存知の方が大半だと思いますが、今回のステージは、アリーナ席(横浜アリーナでいうセンター席)の中央部にメインステージと花道でつながったサブステージが設けられていたのです。
そして開演前にはサブステージ上MISIA巨大「等身大(MISIA談)のお姿が柱のようにそびえ立っていました(下の写真は横浜初日のLUXURY SEATからの眺め)

大阪城ホール横アリとは座席配列とか大きさが異なりますが(LUXURY SEATの位置も逆)模式的4公演の会場構成と私の座席を、横アリの会場図上プロットしますとこんな具合になります。

TSTOMの会場模式図

「45列目」だった大阪2日目の私の席は、サブステージからは4列目で、見上げるとこんな感じ

ライヴ冒頭にはこの角柱状の写真幕が落下して、中からリフト上に立ちはだかるMISIA様が登場したわけで、そのときの興奮ときたら…

「THE TOUR OF MISIA 2005 THE SINGER SHOW」のファイナルでは、私はステージバック席を選んだのですが、その席はほぼステージ真後ろ3列目でして、ライヴの初っぱな、物干し竿があれば届くくらいの距離にMISIAせり上がって来るのに大興奮したことを想い出しました

また、大阪初日S席も、スタンド席ながら、花道真っ正面に臨むことができて、しかもメインステージからも遠くないし、位置的には横浜初日LUXURY SEATよりは遙かに「良席」だったと思っています。

一方、横浜2目目S席は、ステージから遠くて、双眼鏡を使ってもメインステージは小さくしか見えなかったのですが、それでも、遠近感が面白くて、また会場全体を見渡せたし、とりわけ照明効果楽しめました ただ、横浜2日目サプライズ大量風船放出のときには、なぜか風船1個も落ちてこないという、ミステリアスエリアでございました。

   

このブログでTHE SUPER TOUR OF MISIAのことを書いた記事には、私がかつて愛用していたレコードプレーヤー2度登場しました。

なぜこのレコードプレーヤーTHE SUPER TOUR OF MISIA絡みの記事に登場したのかといいますと、メインステージが、レコードプレーヤーのターンテーブルがモチーフになっていたからなんです。
そして、このターンテーブル状のステージは、ターンテーブルのストロボスコープ用の大小4列の「点点」だけでなく、真上から見ると、アナログレコードを模したデザインになっておりました(会場内のディスプレイでの真上ショットで判りました)。

MISIAデビュー話にはアナログレコードが欠かせないわけで(こちらの記事とその元ネタをご参照方)、非常に意味深なステージだったと思います。

ところで、これまた横浜2日目サプライズ「逢いたくていま」は、そのアナログレコードを模したステージのレコードレーベル部分(ご丁寧に「33 1/3 rpm」と書かれている)が回転して、その上でMISIAが歌い菅原小春さんが踊ったのですが、その回転の方向半時計回りでした
レコードプレーヤーのターンテーブルは時計回り決まっているわけで、なぜ逆回転にしたのか、単なるミスなのか、敢えて意味を込めたのか、その辺りの事情を知りたいところです。

ということで、#2ではセットリストのことを書きたいと考えています。

つづき:2018/04/30 「THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #2」

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THE SUPER TOUR OF MISIAのセットリスト

2018-04-28 23:58:32 | MISIA

いやぁ~、最高 だった THE SUPER TOUR OF MISIA 横浜ファイナル、詳しくは明日書くとして、取り急ぎ4公演セットリストを載せておきます。

クリックするとPDFが開くはず。

では、お休みなさい。

つづきのようなもの:2018/04/29 THE SUPER TOUR OF MISIAをふり返る #1

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2018年最初の関西旅行 #1-7

2018-04-27 11:41:42 | 旅行記/美術館・博物館・アート

世の中から一足お先に、私はきょうからゴールデンウィーク(GW)に突入です。

何事もなければ10連休堂々たるGWだったのですが、残念ながら今年は休日出勤2.5日予定されていて、加えて、きょうは夕べ乗って帰った社用車を返しに会社まで行かなくてはなりません。

なんとも情けない今年のGWですが、こんなことになることは数ヶ月前から想像がついていまして、旅行も帰省も予定していなかったのはそんな事情がありました。

でも、「THE SUPER TOUR OF MISIA」横浜2days に、まさか2日とも会社から出撃することになろうとは思いもよりませんでした。

もっとも、横浜アリーナまでは、自宅から行くよりは近いので(会社は神奈川県内にありますから)、そこんところは良しとしましょう。

ま、そのうちに代休をとって旅行に行きましょうかねぇ…

   

ということで、「2018年最初の関西旅行 #1-6」のつづきです。

「#1-6」では国立民族学博物館(みんぱく)特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」で観たもののうち彫像編を書きましたが、きょうは「仮面編」です、、、なんですが、仮面の前に、ちょいとギクッ としたこちらの「笛」から。

インドのニューデリーgetしただそうですが、見るからに「骨」です。それも結構大きな骨
説明板を見ると、

ヒト大腿骨で作られた聖なる笛。チベット仏教圏で僧侶やシャーマンにより葬送の儀礼などに用いられる。

ですって

大腿骨というのは、「哺乳類の体では最も長く、体積があり、強靭な骨(Wikipedia)で、2本の大腿骨を交差させて、それに頭蓋骨を組み合わせれば海賊旗になります。

ある意味で「死」を象徴する骨なわけで、それでを作ってしまうとは凄い発想だと思います。
どんな音色なんでしょねぇ
ついついて、横溝正史「悪魔が来たりて笛を吹く」連想してしまいます。

で、仮面です。

まずは、いかにもインドネシアっぽいこちら

ガムランが聞こえてくるような気がします。。と書きたいところですが、これらはインドネシアではなくタイの仮面です。

また、こちらはネパールの仮面。

「#1-5」日本の仮面韓国の仮面とは全然違う なんて書きましたが、南アジア/東南アジアの仮面はどことなく似ている気がするのは、単に仮面に関する私の知識不足?

そういえば、マレーシアの木彫りの仮面は、ハデハデタイネパールの仮面とはだいぶ雰囲気が違ってプリミティブで、私としてはこちらの方がお好みです。

と、この木彫りの仮面を観ているうちに想い出しました
実家に、親戚から海外旅行のお土産にいただいた木彫りの仮面があった
あれはどこのお土産だったんだろうか
夏休みに帰省したらじっくりと観察してみることにします。

ということで、短めですがきょうはここまで。

「#1-8」では、みんぱく本館展示(常設展)のことを書きます。

つづき:2018/05/13 2018年最初の関西旅行 #1-8

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2018年最初の関西旅行 #1-6

2018-04-24 23:32:50 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2018年最初の関西旅行 #1-5」のつづきです。

国立民族学博物館(みんぱく)特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」から、彫像編をやってみましょう。

日本には土偶という世界に誇るべきユニークかつ完成された(かのような)造形、その古さ衝撃的彫像があります。
このブログでも何度も書いたように、私は土偶大好きでございまして、今年夏(18/7/3-9/2)には東京国立博物館特別展「縄文―1万年の美の鼓動」が開催されて、国宝土偶5点に再会できるというので、いまから楽しみです。
(JOMONのロゴの「O」は、遮光器土偶がモチーフになっているもよう)

そんな土偶にも負けないユニーク彫像が世界各地からみんぱくに参集していました。

まず、インドネシア悪霊は、

インドネシアフラッグキャリアにその名を冠するガルーダよりも良い感じ

でも、悪霊像にしてもガルーダ像にしても、おもしろいことはおもしろいのだけれど、まとまりすぎているというか何というか、意表を突くような衝撃度ない と断言してしまいます。

というのも、お隣のマレーシアから収集されたというこちらの彫像が、、、、、、

あへぇ

です。
一見、ポーズを決めているように見えますけれど、右腕は、腰から伸びて右肩を押さえています
いったいどうなってるの???????

この彫像と同じ、マレーシアクニャー族の神像をもう一体。

なんでしょ、この脱力感…

図録によれば、

クニャー族は、マレーシアのボルネオ島中央部で、陸稲を中心とする焼畑農業を営む少数民族。(中略) 彫刻や絵画など、美術工芸に優れた技術をもつことで有名である。

だそうで、上の神像は「部屋の守護」に、右の神像は「厄除け」に用いられたのだとか。

でもねぇ、これくらいで驚いていては身が持ちませんよ。
こちらをご覧くださいな。

アフリカ版百鬼夜行っぽいのですが、こちらはタンザニアマコンデの彫刻です。

なかでもこの2点凄い

口あんぐり…ですな。
図録によりますと、

マコンデは、東アフリア、モザンビーク北部からタンザニア南部にかけてひろがる高原に住むバントゥ系の農耕民である。マコンデがつくる彫刻品はそのユニークかつ大胆なデフォルメのありかたと精巧な彫りで知られ、今日ではアフリカを代表する民族芸術として人気がある。
マコンデはもともと、民俗の信仰に関連するお守りや祖先の像を彫っていた。(中略) しかしながら1920年代の半ばにはすでに、欧州の人間のまなざしを意識して製作された彫刻品もみうけられるようになる。その後、欧州のアート界からも高い評価をうけ、各国の博物館や美術館でマコンデ彫刻の展示会が開かれている。

だそうですから、多分に人の目を意識した作品群なんでしょうねぇ。
でも、このしなやかな形、良いなぁ

もうちょいと書き続けたいところではありますが、NHK FM「MISIA星空のラジオ」に集中するべく(もう半分過ぎてる)、きょうはここまで。

つづき:2018/04/27 2018年最初の関西旅行 #1-6

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2018年最初の関西旅行 #1-5

2018-04-23 21:20:43 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2018年最初の関西旅行 #1-4」のつづきです。

「日本万国博覧会世界民族資料調査収集団」(EEM)は、のべつ幕無く資料を収集したわけではなくて、「仮面」「神像」「その他」3つのカテゴリーに分かれていて、

集められた資料は、太陽の塔の地下に、「根源の世界」というテーマで展示された。進歩を象徴する空中調和を象徴する地上が、大阪万博の表のテーマであるならば、に集った世界の資料は、万博の文字どおりのアングラなテーマを担った。(フライヤーより)

だそうな。

#1-4で転記したEEMの活動や民族学博物館の設立に反対する声明文

人類の過去を展示するために低開発諸国に<収集団>を派遣し、仮面をはじめ各種の生活用具をあつめて来る計画

という表現は、全然わかっちゃいない と思うんだな…

「根源の世界」というテーマは、時間軸を巻き戻して昔を見せようというのではなく、人間の心や精神の奥底に入り込んで、日常生活には表れないモノを見せようという企画だったのではないかと思います。
ですから、そこには低開発国と先進国との違いは無いし、今・昔の違いもないのではなかろうか。

またまた堅苦しい話になってしまいました。

特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」の展示は、まず収集した地域ごとに展示した上で、最後の方には世界各地の彫像を集めたコーナー、世界各地の仮面を集めたコーナーという流れでした。

というわけで、最初は日本の展示です。

これは「田の神(タノカンサァ)」というもので、

田の神(タノカンサァ)は、田を守り、豊穣を約束する神様である。春に山から下りてきて田の神になり、秋に収穫が終わると山に戻り、山の神となる。田の神の信仰そのものは、稲作が盛んな日本の農村において広く分布するが、田の神の石像南九州独特の形態である。

だそうな。

かなぁ~りステキな神像なんですが、横に展示されていたパネルがなかなか衝撃的でした。

「主要農業機械の普及台数 及び 専業農家数の推移」のグラフなんですが、これによれば、1945年3274万戸だった専業農家は、1950~1955年の5年間30%も減少し、さらに1960~1965年の5年間40%減少しています。
つまり、1950~1965年の15年間では専業農家数が半減以下になったということ。
そしてその後はジワジワと専業農家が減り続けています。

それにしても、1950~1955年の5年間1960~1965年の5年間2段階の激減の原因は何だったのでしょう?

いわゆる高度経済成長1954年12月から始まったといわれていますから、1950~1955年の5年間の変化は高度経済成長によるものとは思えません。
逆に、専業農家の激減が、高度経済成長労働力を潤沢に供給することになったと考えるのが自然かと思われます。

一方、1960~1965年の5年間の方は、このグラフに顕著な変化が示されています。

それは「歩行用トラクター」の数で、1960年の514台から1965年には2940へとほぼ6倍増
その後、田植機とか乗用トラクターとか自脱式コンバイン(刈り取りと脱穀を一緒にやってしまうコンバイン)が普及して、専業農家は減る一方…。

日本の農業非効率だという主張はよく耳にするのですが、このグラフを見ると、機械化=効率化着々と進められてきた気がします。
もっとも、専業農家数の減少と同比率またはそれ以上に食料の自給率低下していれば、この見方も根拠を失うのですけど…。

   

それにしてもみんぱく見聞録、どうしてこうも理屈っぽくなってしまうのか、我ながら不思議です。

そんなわけで、#1-6以降はもうちょいと感覚的な記事にしていきたいと思っておりまして、その「渡り」として、「日本」の隣に展示されていた「韓国・台湾」コーナーから2枚の写真を載せておきましょう。

日本韓国・台湾とはすぐお隣で、東アジア周辺以外に住む人たち以外にとっては、それぞれ違う国だと知っていても、文化・民俗的な違いはよく判らないことと思います。

ところが日本人にしてみれば、韓国の仮面を見るだけでも、全然違うし、

台湾の神像を見ると、これまた全然違う

このあと、世界各地から集められた仮面がどっかぁ~ん と展示された「仮面」コーナーで日本の仮面韓国の仮面が並んでいるところを観ると、

右側(韓国)の仮面にはう~む…とならざるを得なかった一方、左側(日本)の仮面には安心感を覚えるというか何というか…。

距離が近いから文化・民俗的にも近いはずと考えるのは、単純な思い込み、あるいは、「願望」みたいなものではないでしょうかねぇ

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2018年最初の関西旅行 #1-4

2018-04-22 14:47:58 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2018年最初の関西旅行 #1-3」のつづきは国立民族学博物館(みんぱく)の見聞録です。

みんぱくを観るのはこれが3回目だったのですが、特別展を拝見するのは初めてでした。

普通、特別展ともなると1500~1600円くらいするものですが、いま、みんぱくで開催されている「国立民族学博物館開館 40周年記念」と冠する特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」は、通常の本館展示(常設展)と変わらず、420円特別展と常設展の両方を拝見できるという大盤振る舞い

それでいて、みんぱく好きの人間にとってはたまらなく面白い展示で、こりゃぁ行かなきゃもったいない

さて、特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」は、図録冒頭のみんぱく・吉田憲司館長の「ごあいさつ」を引用しますと、

70年万博の際には、岡本太郎の発案で、テーマ館の太陽の塔の下に人類の原点を示すというねらいから、世界の民族資料約2500点が収集され、展示されました。日本の歴史上はじめて、世界全体を視野に入れた器物の収集がなされたのが、1968年から1969年にかけて実施された「日本万国博覧会世界民族資料調査収集団」(Expo'70 Eythnological Mission,  通称EEM)でした。万博閉幕ののち、そのコレクションはみんぱくに寄贈され、当館に収蔵されることになりました。
今回の特別展は、EEMによって収集された仮面や彫像、生活用具のほか、それに関連した書簡や写真などを展示し、収集のプロセスをたどるとともに、その作業を通して、当時の世界を映しだし、検証してみようという試みです。(中略)
この特別展「太陽の塔からみんぱくへ-70年万博収集資料」が、1960年代から70年に至る、日本と世界の姿を今一度見つめなおすと同時に、その遺産を私たちがいかに受け継ぎ、次の時代につなげていくかを考える契機となることを願っています。(後略)

まぁ、いわば、今にして思えば(岡本太郎は初めからそのつもり)みんぱくスタート地点となる調査収集活動の成果をふり返ってみましょう、という特別展なんですな。

EEMの団員20名は、6000万円の資金1年間の時間を使い、47の国や地域を訪れて、2500点あまりの資料を収集したのだとか。

この活動が行われた60年代末というのは、日本の学生運動最後の盛り上がりをみせていたころ(だそう)で、展覧会の冒頭には、東大大学院の文化人類学コース自治会がEEM関係者に送ったという「万国博覧会協力反対声明」に同封されていた「お手紙」が展示されていました。

「反対声明」そのものは展示されていませんでしたからよく判らないのですが、「お手紙」には、

この声明で 私達が問題としていますのは 調査研究のための資金の出どころではありません。現在の社会に生きる以上は「きれいな金」などはありえないでしょう。問題なのは、むしろ、研究結果の政治による利用のされ方なのです。この点で 万国博覧会協力は 疑問が大変多いと 私達は考えます。

とあるのですが、観念的過ぎてホント理解できませんでした。

東大大学院自治会からのお手紙

図録によれば、反対声明には、

EEMの収集が、「人類の過去を展示するために低開発諸国にを派遣し、仮面をはじめ各種の生活用具をあつめて来る計画が着々と進行中のようである」といった批判がしたためられていた。

だそうで、この見方こそ、偏見と理解不足に満ちているように思えるのですが…

ところで、当時の学生運動の参考として展示されていたこの写真、

いやぁ~なんか懐かしい
私が大学生だった頃にも、学内に新左翼の残党がいまして、キャンパス内でこんな「アジ看」を見かけたものでした。
この独特のフォント「ゲバ文字」というらしいのですが、アジ看以外で見たことがないぞ、と思ってWikipediaを見たら、

2000年代以降も使われており、パソコンなどで利用できるゲバ文字フォントも存在するが、書いた内容に関係なく「運動」っぽさが出てしまうので利用できる場面は限られる。

ですって
Wikipediaによれば、

「働→仂」など略字を好んで用いていた。元々は謄写版で印刷時につぶれないように書かざるを得なかったことに由来するが・・・

だそうですが、私の記憶に強烈に残っている略字は、「うかんむり+R」
うかんむりの下にアルファベットのRと書いて「寮」と読ませるなんて、凄いなぁ。
こんな柔軟な発想ができる人たちが「革命」の幻想を捨てられないってのがねぇ~

で、みんぱくに話を戻すと、もう一度、図録から引用。

EEMの資料収集に対する反対抗議は、博物館設立の反対にもつながっていった。EEMの収集資料がおおむね到着した1969年5月に東海大学で開催された日本民族学会の研究大会において、民博設立の是非をめぐる議論がおこなわれたのであった。「民博は日本政府の帝国主義、植民地主義構想の一環ではないのか」といった質問に、答弁役であった明治大学(当時)の祖父江孝男はのちに、1時間にも及ぶ激しい問答に体中がグッタリとしたと述懐している。
その後、博物館の設立に反対する大きな動きはなかったようである。基本的に民族学博物館そのものに罪はなく、その設立の経緯、そして、何をどのような観点で収集し、それをどのように展示するのか、ということが問われたのだろう。EEMの収集にあたったメンバーと同世代の文化人類学にたずさわる人たちからこうした異議申し立てがあったことは、みんぱくの存在意義を考えるうえで、忘れてはならないことである。

 まぁ、批判的な見方重要かつ必要なことではありますけれど、先の大戦で負けてから四半世紀経ってなお「日本政府の帝国主義、植民地主義構想」なんて発想にとらわれていたというのは大したものです。

なんだか堅い話に終始した「みんぱく見聞録」でしたが、次回からは、楽しくってたまらなかった収集資料のお話を書きたいと思います。 

つづき:2018/04/23 2018年最初の関西旅行 #1-5

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2018年最初の関西旅行 #1-3

2018-04-18 23:18:52 | 旅行記

「2018年最初の関西旅行 #1-2」のつづきです。

万博記念公園内のEXPO'70パビリオンで開催中の企画展「The legacy of EXPO'70Ⅱ リバース-太陽の塔再生」には、貴重「ガラクタ」がいくつか展示されていました。

まずは、

ビルの階段室でよく見かける階数表示&照明灯ですな。
どこで使われたものなんでしょ? (説明板には書かれていなかった…)

お次は、スチール製の妙な物体です。

これは、「コロナ」というもので、

太陽の塔内部にひだ状に取り付けられており、生命のエネルギーを表現しています。塔内で流されていた音楽の拡散板としての機能もありました。

だそうな。
東京・南青山の岡本太郎記念館で観た太陽の塔内部模型を見ますと、

なるほど、こんな風になっていたんだ

そして、観光地にはお約束顔ハメ

もちろん太陽の塔「顔ハメ」でして、

 あなたも「太陽の顔」になれるよ

という次第。
「太陽の顔」の部分にはレンズっぽいものが取り付けられていて、この裏側にしゃがんだ人の顔はどんな風に見えるのだろうか?興味津々だったのですが、残念ながら私がこの辺りをウロウロしている間、この顔ハメ記念撮影する人は一人としていませんでした

というか、企画展「The legacy of EXPO'70Ⅱ リバース-太陽の塔再生」自体が閑散としていました。
外では葉桜を楽しむ人たちでかなぁ~り賑わっていたのwにネ

もっとも、興味深い展示もありましたが、これで300円の観覧料を取るのはどうか…と思う内容でしたから…

さて、ここでこの日の私のルートをマッピングしましょう。

赤い線が歩いたルートで、青い線国立民族学博物館(みんぱく)シャトルバスに乗ったルートです。

こうしてマッピングしてみて思うのは、なんと広大な敷地なんだろうか ということ
みんぱく万博記念公園ほぼ中央部にあるなんて、実際に歩いた感覚からすれば信じられません

大阪万博の会場を1日で回ることは、不可能とはいわないまでも、無謀なことだったに違いありませんな。
ましてや、すべてパビリオンや施設を見物しようとすれば、1週間あっても足りなかったに違いないと確信しています。

   

さて、EXPO'70パビリオン企画展常設展を観覧した私は、「夢の池」の畔にある喫煙所一服したあと、

夢の池

イサム・ノグチによるというオブジェ(噴水)を眺めながらみんぱくに向かったのですが、

劣化が著しい説明板に、「過ぎゆく時」を感じた私でございました。

ところで、私が万博記念公園に行った4月7日は、「万博記念公園桜まつり」(3月28日~4月15日)真っ最中だったはずですが、ご多分にもれず大阪でもサクラの開花が早くて、この日にはほぼ葉桜の状況でした。

そんな中、みんぱく近くで私が観たのは、

おわぁ きれい

見事に満開ピンクの花をつける木々がありました

何の木だろうと思ったところ、キクモモ(菊桃)だそうで、

観賞用のハナモモの一種で江戸時代からある品種です。
花が菊のようになるのでこのように名づけられました。

だそうな。

それにしてもキレイ

サクラも良いけど、ウメもイイし、モモもまたイイ

ほっこりしたところで、みんぱくへ…。

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