新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #3:完結編

2022-08-14 14:45:08 | タウンウオッチング

「ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #2」のつづきです。

ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだのは良いけれど、帰りの足がバスだと1時間電車だと1時間40分も待たなければならないという、地方都市にありがちな事態に至った私は、すぐに歩いて帰る決心をしました。
幸い、暑くなかったですし…。

夜風に吹かれつつ、後ろからかすかに聞こえる祭り囃子を聞きながら歩くというのもまた乙なもの
しかも、歩いているうちに暗闇に目が慣れ、星空も楽しめるというなかなかな徒歩きでした。
さすがに天の川見えませんでしたが、さそり座とかはくちょう座とかカシオペアとか北斗七星とか北極星とか土星に加えて、七夕のヒロインとヒーローベガとアルタイルまで見えました

ただ、竿燈会場から別邸まで歩くのに、ほぼ1時間かかってしまったというのは誤算でした
自転車で行けばよかったのかな…

   

ところで、時間をさかのぼって、竿燈の演技が終了し、竿燈会の演者の皆さんが観客を「お見送り」をしているときのこと。

私は竿燈大通りの北側の歩道から地下道を通って南側の歩道に移り、帰路につこうとしていたとき、自衛隊の竿燈会が目にとまりました。

自衛隊竿燈会の竿燈の提灯はシンプルな日の丸で、それは想定内だったのですが(昔からそうだった記憶あり)

太鼓を載せた車両が、まさに自衛隊の車両そのものだったことにビックリ
別邸に帰ってから調べると、1 1/2tトラック (通称:1トン半)」というものらしい。
そして、撮った写真をトリミングして、Tweetしました。

このTweetは妙にウケて6日夜にはいいね500を超えて、私自身、「うそぉ~って感じ。
ところが、これで終わらず、リツイートする人が出てくると、いいね飛躍的に伸びていき7日朝にはいいね2000を突破

ようやくいいね伸びは収まりましたが、この記事を書いている時点では、

いいね6,206リツイート1,976、そして「このツイートがTwitterで表示された回数」だというインプレッション数74万 となっています。

私がTwitterを始めて8年半弱になりますが、私史上空前絶後前代未聞の状況になって、あわわ… って感じです。

いくらなんでも、もう落ち着いたことでしょう…

   

3年ぶりとなった今年の秋田竿燈まつりは、8月7日朝「御幣流し」を以て終了しました。

この「御幣流し」は、竿燈の先端に取り付けられていた御幣を川に流すことで、街中の邪気や睡魔を払うという、竿燈まつりでは「眠り流し」以来の重要な儀式です。

私はテレビのニュースで見たのですが、小雨が降る中、各竿燈会の代表者たちが刈穂橋に集まり、御幣の一部を入れた封筒を旭川に投げ入れていました。
この封筒はハガキ大くらいの小さなもので、あのサイズでは、紙垂・麻・お札からなる御幣を1本でさえ入れることはできないでしょう。

ところで、この御幣流しが行われるのは、どうして刈穂橋なのだろうか? という疑問が涌きます。
というのも、竿燈大通りの東端は、同じ旭川に架かる二丁目橋ですから、そこから御幣流しをしてもよさそうなのに、そこから何本も下流刈穂橋というのが不思議なのです。

想像するに、羽州街道が秋田(久保田)の外町(旭川の右岸以西の町人町)に入るのが刈穂橋だからではなかろうか。
ちなみに、久保田藩の参勤交代ルートは、その手前の登町から羽州街道を離れて北上し、旭川の左岸側を通ります。
竿燈まつりが、外町のお祭りで、刈穂橋西詰からその北西側は、町内竿燈会の密集地でもありますし…。

ところが、こちらのサイトによると、御幣流しが刈穂橋で行われるようになったのは古い話ではなく、少なくとも1980年代までは、旧雄物川(秋田運河)に架かる新川橋で行われていたらしい。

う~む… です。

なぜに新川橋??
海に近いから??

よく判りませぬ

   

判らなくなりましたので話題を変えましょ

コロナ禍で行われた竿燈まつり、桟敷席をコロナ禍前よりかなり減らしたそうですが、まつりを見物する側には大きな影響はないわけで、それよりも重要な「対策」は、「声出し禁止」でした。

竿燈まつりでは、竿燈会関係者だけでなく、観客も「どっこいしょ~、どっこいしょと差し手に掛け声をかけるのがならわしなのですが、今年は禁止
代わりに、主催者側が、拡声器「どっこいしょ~、どっこいしょの掛け声を流していましたが、これは味気なかった…。

ま、仕方のないことでありますけど

コンサートでもスポーツ観戦でも竿燈まつりでも、声を出せる日が早く来るよう願ってやみません。

でも、竿燈のお囃子には胸を躍らせました

竿燈の差し手もそうですが、お囃子(太鼓2名、笛1名)も、演者が巧みに入れ替わって、シームレスに繋いでいきます。
まるでDJプレイみたいです。

竿燈まつりとか、土崎港曳山まつり(母の実家の街のお祭り)のようなお囃子を幼少の頃から聴いて育った人間にとっては、仙台の七夕まつり物足りなかったことといったらありませんでした

と、土崎港曳山まつりをググっていたら、こちらの動画を見つけました。

これって、母の実家すぐ前ではありませんか

土崎港曳山まつりは、お囃子もさることながら、車輪の軋む音とか、潤滑油の臭いなんかも魅力的でした
難点は、夜の戻り山では酔っ払いだらけってことかな?

   

ところで、私は一度も竿燈をやったことがありません

こればかりは、町内竿燈のある町で生まれるか、小さな頃にそんな町に引っ越すか、県内の大学に進学するか、職場竿燈のある企業・団体に就職するしかないのです

それでも、私が生まれ育った町でもお祭りはありまして、そのお祭り、鹿島祭りは現在も行われているようです。
こちらのサイトで出てくる「肝煎町」が私の町です。

私のところとは違う地域(新屋)のものとはいえ、国立歴史民俗博物館鹿島船を観たときは感激しましたっけねぇ

台車に乗せた鹿島船を引っ張り、お昼の休憩で、町内のお宅でカレーライスを食べたことを思い出しました。

話を竿燈まつりに戻しますと、1週間前の予報では、竿燈まつりの期間は雨が降りまくるはずだったのに、初日午前中の豪雨から奇跡的に天候が回復し、結局は4夜とも良い天気に恵まれたというのは、さぞかし竿燈会の皆さんの日頃の行いが良いのでしょうねえ

ということで、学生時代以来の竿燈まつり、たった1日だけでしたが堪能いたしました

来年も観たいゾ

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ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #2

2022-08-13 18:27:51 | タウンウオッチング

遅まきながら、「ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #1」のつづき、3年ぶりに開催された秋田竿燈まつり 3日目(8月5日)夜竿燈のお話です。

昼竿燈から戻った私は、1時間ほど別邸でくつろいだ後、既に汗にまみれた服を着替え、16:40頃、再度出撃しました。
昼は路線バスを使いましたが、時刻表を睨みながらの検討の末、今度は20分を要して最寄りのJRの駅まで歩き電車で街に向かいました。

秋田駅に着くと、改札口が長蛇の列
何事かと思ったら、乗ってきた電車は秋田駅から2つ目の新屋駅始発で、新屋駅も途中の羽後牛島駅も昼間以外は無人駅のため、定期券以外の人は秋田駅で精算する必要があるという
ちなみに、秋田エリアでSuicaが使えるようになるのは来春以降とのこと (新幹線eチケットは現在も使える)

そんなわけで、5分以上を費やして改札口を抜け、徒歩竿燈会場に到着するとちょうど竿燈を一斉に立ち上げるタイミングでした。

そして、すぐに、竿燈会会長の合図で、竿燈の演技が始まりました

せっかくのウン十年ぶりの竿燈ですから、近くで観ないと と、歩道橋を渡って、会場の竿燈大通りへ…。
歩道橋ではずらっと大勢の人が並んで進んでいて、代々木の第一体育館でライヴが終わったあとの周りの歩道橋みたいな状況でした。
そして、二丁目橋を渡ると、間近に竿燈を見上げることができました

手前の2本の竿燈のうち、左は下米町一丁目、右は寺町二区のもの。
空には半月が浮かんでいました。
月齢から想像がつくとおり、この日、8月5日は、旧暦だと7月8日
2009年の記事「七夕と『たなばた』」で書いたように、竿燈まつり仙台の七夕まつり青森のねぶたと同様、「七夕」のお祭りです。

竿燈起源についてWikipediaをみると、

合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされている。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるための一連の行事として現在の形になったとも言われている。

と書かれています。
わたしの祖父は、「竿燈」とは呼ばずに「ねぶり流し」と言っていましたっけ…

それはともかく、二丁目橋付近はスゴい人で、場所を変えるべく山王交差点方向へ歩き出したのですが、歩道は「右側通行」で、私がいる竿燈大通りの北側の歩道だと、立ち止まって竿燈を観ることは難しいことに気づきました。
そこで、会場の東端まで引き返して、南側の歩道に移動しました。

すると、予想どおり、西に歩きながら「この竿燈をじっくり観たい」と思えば、ちょっと車道側に身を寄せれば、歩く人の邪魔にはなりません

で、赤い将棋の駒白抜き「馬」は、向馬口労町(むかいばくろうまち)の町紋です。

小さい子たちもがんばっていました
一番小さな竿燈は「幼若」とよばれるもので、これでも長さは5m重さは5kgもあります(スタンダードサイズの「大若」は長さ12m、重さ50kg)

いくつか提灯の火が消えていますが、これは何度か竿燈が倒れた証
めったにありませんが、垂直に落下させると、竿の底が地面に当たった衝撃で、ロウソクが全消しになったりします

そうこうしているうちに、最初の「移動」
各町内・団体が時計回りに移動します。
つまり、これまで観た竿燈がやって来るわけで、このタイミングで、私はさらに西側に移動しました。

そして、第2ラウンド

今年の出竿団体は、町内竿燈が38町内学校・職場・企業竿燈が26団体だとか。
学校・職場・企業竿燈の提灯の図柄は校章やロゴマークがほとんどで、町内竿燈は、町紋が描かれた提灯の竿燈と、スポンサー企業のロゴマークの提灯の竿燈が混在しています(写真の馬口労町のスポンサーはJTB)
そりゃ、旧町名の狭い区域(例えば、私が入学した小学校の学区内には10近い出竿町内がある)で竿燈を出すのには住民からの寄付だけで賄うのは難しいですから…。そして、スポンサー企業の社員さんも、その町内の人たちに交じって竿燈を差せます。

そんな中で見つけた、初めて見る竿燈がこちらでした。

なにやらかわいらしい提灯です

日赤の竿燈らしいのですが、この図柄は何?
と、帰宅してから調べるとこちらのサイトに行き当たり、提灯に描かれているのは日赤のキャラクター「ハートラちゃん」なのだと判りました。
それと共に、日本赤十字社秋田県支部、秋田赤十字病院、秋田県赤十字血液センター、秋田赤十字乳児院、日本赤十字秋田看護大学・短期大学で組織する日赤竿燈会は、2020年から参加する予定だったものの、コロナ禍竿燈まつりが中止になってしまい、ようやく今年、初参加したというのですから、私が初めて観るのも当然です

一方、こちらは昔も観た記憶があります。
JR東日本は、JRマークではなく、秋田鉄道管理局時代からの「動輪マーク」を使っていました

2度目「移動」が終わり、最終ラウンド

スゲぇ と思ったのが、昼竿燈(妙技会)では見られない「口」で支える演技でした。

継竹を含めれば60kgはある竿燈をで支えるって、どんな顎の持ち主なんだ ですが、それだけではなく、ある人は口で竿燈を差しつつ、左右の手にそれどれ傘を差してるし、ある人は一番下の継竹に電飾を施しているしと、良い意味で外連味たっぷりでした。
あわわ と驚きながら写真を撮ったのですが、私の動揺のせいで、どちらの写真もピンボケ & ブレまくりで、載せることはできませぬ

一方、これは前途有望だ と思ったのが、
八日町小若 (2番目に小さな竿燈)でした。
継竹を何本も足して、こんなに長くして差しています
おそらく差し手は中学生だと思いますけれど、きっと良い差し手になることでしょう…

さて、私は、じわりじわりと西方向に位置を変えて行き、会場西端山王十字路から、北側の歩道に入りました。
そして、ここからどこまで東に進めるか と思ったところで、まつり3日目の竿燈がお開きになりました。

なんとも1時間があっという間でした。人混みの中、ほぼ歩き続けていたというのに、疲れなんぞありません
暑からず寒からずという好天だったのもあるでしょう。

で、会場を2/3周して判ったのは、東端の二丁目橋西端の山王十字路辺りは観客がとても多いものの、真ん中辺りではゆったりと観られるということでした。

今年の竿燈まつり4日間を通しての人出は、コロナ禍前に比べてかなり少なかったそうですが、次回観に行くときには、今回のように二丁目橋側から会場に入るのではなく、真ん中辺りから竿燈大通りに入るようにするつもりです。

で、竿燈大通りから川反通りに入り、三丁目橋を渡ったとき、時刻は20:40でした。
このタイミングだと、次のバス (終バス)21:40次の電車は更に遅くて22:27 (21時台に羽越本線の上り無い)

さて、どうする

その顛末と、落ち穂拾い「#3」で書きます。

つづき:2022/08/14 ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #3:完結編

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ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #1

2022-08-08 23:11:34 | タウンウオッチング

きのう(8月7日)朝の「御幣流し」を以てつつがなく終了した秋田竿燈まつりのお話です。

竿燈まつりは、毎年8月3~6日(旧暦の七夕)に開催されていて、就職して以降ずっとお盆ウィーク夏休みだった私は、この時期に帰省することができませんでした。無理ではないにしろ、夏休み直前に年休は取りづらいですから…
仕事を辞めたらぜぇ~ったいに竿燈まつりを観るぞ と思っていたのに、折悪しく、2020年・2021年コロナ禍中止

そして、今年は3年ぶりに竿燈まつりが開催されると知り、期待に胸をふくらませて8月4日に帰省してきました。

「期待に胸をふくらませて」と書きましたが、天気予報では、8月5日は晴れそうなものの、他の3日はいずれも
そして初日8月3日は、東北北部災害級大雨に見舞われて、秋田市午前中は雨が降っていたらしい。せっかくの3年ぶりの竿燈なのに… と思っていたら、昼から天候が回復し、初日は無事に開催されたというニュースを見て一安心

8月4日の帰省ドライブは、郡山付近から宮城県北部までずっと本格的な雨降りで、岩手県に入ると小雨になり、岩手・秋田県境ではで、そして、横手付近からは良い天気
秋田道の横手IC⇒大曲IC事故で通行止めというアクシデントはあったものの、昼前別邸に到着しました。

2週間半ぶりの別邸で一息入れた後、さて、竿燈2日目に出撃しようか? と思ったりして。
でも、2時起き7時間半のドライブを終えたあとですので、無理はせず、当初予定どおり、翌3日目に出撃することにして、この夜は早々に就寝したのでありました。

   

竿燈まつり 3日目の8月5日、別邸で昼食を摂ったのち、昼竿燈(妙技会)を観るべく、バスに乗って街の中心部に向けて出発

と、停留所でバスを待っている間、竿燈のお囃子が聞こえてきます。
どこからだろ??? と思いつつ、やって来たバスに乗り、ちょいと進むと、バス停から100mほどの場所で、地元の竿燈会竿燈を上げていました
ウン十年ぶり竿燈は、ほんの数秒間しか観られませんでした

そして、銀行を2行を巡ってヤボ用を済ませたのち、昼竿燈(妙技会)会場のエリアなかいちへ。

近づくと、竿燈のお囃子ドンドコ響いてきて、気持ちが高ぶります
そりゃぁねぇ、ものごころ着く頃から、年に数日とはいえ、耳にしてきて大好きだったお囃子ですから…

竿燈妙技会妙技会会場に到着

ふぉ~~

「エリアなかいち」での妙技会に出場しているのは、囃子方「大若」とよばれる、普通というかフルサイズの竿燈の差し手で、大若の基本的なサイズは高さ12m、重さ50kg
それに継竹をたして、どんどん高くなっていきます。

妙技会は、流し(バトンタッチ)、平手、額、肩、腰の基本技5人ひとくみで、その技の完成度を競うコンテストです。

今回、無料のパンフレットが配布されていて、それを読んで驚いたのは、差し手は利き腕一本を使うことが求められていること (両手を使うと減点)
地味に思える「流し」は、利き腕で竿をつかみ、それを滑らせて、次の差し手に継竹を足させて引き継ぐわけで、腕力だけでなく握力が求められます。
継竹1本につき3点、花笠5点、5点、「いさみ人形」と呼ばれる飾りが5点、それぞれ加算されます。
左の鐵砲町の竿燈の写真で、本体のすぐ下に見えるのが「いさみ人形(鐵砲町のシンボルのキツネ=与次郎稲荷)」で、その下にがあります。

継竹を何本も足して竿燈が高くなると、しなるしなる

八日町の竿燈は、このあとのせいかバランスのせいか、更にしなって、そして継竹はポッキリと折れてしまったのでありました

一方、囃子方も妙技会がありまして、太鼓2人・笛1人で、「流し囃子」「本囃子」で競います。

ウン十年ぶりの竿燈で一番驚いたのは、どの町内・団体も、囃子方の半分以上が女性だったことでした。

50kg以上もの重さのある竿燈を差すことは、女性には難しいようで、差し手に女性は皆無でしたが、太鼓も笛も女性が多かった

   

ところで、竿燈の演者(差し手&囃子方)おそろいの衣装を着ています。
背に町紋や団体のシンボルを染め抜き豆絞りの袖先半纏(地色はor藍)に、豆絞りの鉢巻白い半栲衣(はんたこ=短パン)、履き物は足袋に雪駄か地下足袋という竿燈ファッションなんですよねぇ~。

一方、竿燈の方は、先端に八幡秋田神社から授与された御幣をなびかせ、町内竿燈の提灯の場合、1段目2個が表:七夕、裏:町名2段目4個と3~8段目の各6個と9段目4個の表には町紋が描かれています。
2~9段目の提灯の裏は、「若」という一文字が多いものの、さまざま。
上に載せた鐵砲町の場合、表の町紋が「鐵」の一文字で、裏は「与次郎稲荷」です。

そうそう、八日町の半纏の背中の「八日町」の文字ふるふるで面白かった

この日の妙技会(予選2日目)は、15:30でお開き。
逆光で観る昼竿燈もまた乙なものでした。

ここで久しぶりにババヘラを食べました。

このババヘラ形はバラっぽいけれど、色合いはお堀で咲いているっぽかった。

千秋公園のお堀の蓮

さて、時刻は15:40、夜の竿燈本番まで2時間弱あります。
ちょいと迷った結果、ちょうどバスが来ることだし、一旦、別邸に戻ることにしたのでした。

夜の竿燈については「#2」につづきます。

つづき:2022/08/13 ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #2

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