新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-2

2024-02-29 19:14:38 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-1」のつづきは、朱鷺メッセにある新潟県立万代島美術館で観た「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」のこと。

私は朱鷺メッセに着くと、既に「MISIA星空のライヴXII」にやって来た人でごった返すエスプラナード(歩廊)アトリウムには目もくれず、まずは万代島ビル 5Fにある万代島美術館に向かいました。

この展覧会には、もともと行く気満々で、1月中に前売り電子チケットを購入しておりました。
そして、会期直前になって、MISIAの「X」公式アカウントからMISIAの衣装も展示されるという情報が流れて、ますます気分が高まったという次第。

それにしても、どうして新潟でコシノジュンコ展?? という疑問が…

この疑問は展覧会の冒頭の展示で解消されました。
コシノジュンコさんと新潟県見附市(長岡市と三条市に挟まれた市)が、30年以上も交流を続けてきたのですと。

見附市のHPから引用しますと、

1990年には国と県の補助事業として、見附ニット工業協同組合新商品開発事業に関する業務委託契約を締結し、1996年までの期間、市内での講演会や企業別訪問指導、デザインコンテストを開催するなど、見附ニット業界の産地力強化に貢献してきました。
他にも、同氏は見附市のコミュニケーションマークや、市立成人病センター病院(現市立病院) のユニフォームデザインを担当した他、市内の小中学校を会場としたファッションショー「見附コレクション」(91年、93年、96年)を実施。1997年から2002年にかけては市の「まちづくりアドバイザー」として、小中学生を対象としたTシャツデザインコンテストを毎年開催するなど、見附ニットの普及やまちづくりに深く寄与していただきました。

だそうです。
会場には、「見附コレクション」の写真や資料なども展示されていました。

   

展覧会の本編は、コシノジュンコさんが高校生の時に描いたというヌードデッサンでスタート
モデルはどうしたんだろ…などとつまらないことを考えつつ振り向くと、コシノジュンコさんの大々出世作が展示されていました。

1960年にコシノジュンコさんが史上最年少「装苑賞」を受賞したコートです。

インバネスコートケープ部分がそのまま身頃に繋がっているような面白いデザインです。
そして、目を惹くブルーモヘアっぽいモコモコの生地と、大きな4つのボタンキュート

1950年代後半~60年代前半の装苑賞受賞作品を見ると、当時、このような大きなボタンが流行っていたみたいですな

お次は、大阪万博ホステス(今でいうコンパニオン)」の制服。

当時29歳だったコシノジュンコさんは、左からタカラ・ビューティリオン館ペプシ館生活産業館を担当。

タカラ・ビューティリオン館のユニフォームの「裏地を見てのデザインは「羽織(羽裏)」的な発想なのでしょうか?
2015年春に東京国立近代美術館で開催された「大阪万博 1970 デザイン プロジェクト」展 (観に行きました) の図録に、コシノジュンコさんのコラムが載っていまして、これが面白い

生活産業館のコンパニオンのために私がデザインしたのは超ミニのワンピースに、大きなネクタイ、足には「地下足袋風ロングブーツ」という個性的なルック。
ところがこの「地下足袋風」に問題が勃発。コンパニオンの親御さんたちから、うちの子にそんな地下足袋なんて履かせられないとクレームが入ったことから、こんな若い人にデザインを任せていいものか、問題になったそうです。(当時は良家の子女がコンパニオンに抜擢されることが多かったのです。)
そこで月星ゴムさんにお願いして《ティッパレートシューズ》(実際親指は分かれていないのですが、そんな風に見えるストレッチロングブーツです。)と、名前をつけました。とはいえ、このブーツ、今でもウケるんじゃないかしら。

足元を拡大してみましょう。

バックの写真の方がより「地下足袋」っぽく見えます

   

'70年代のGSなどアイドルグループの衣装の話はすっ飛ばしまして資生堂とのお仕事が、コシノジュンコさんも資生堂も、さすが でした。
なかでも「わおっと思ったのが、こちら「資生堂ベネフィーク」の広告群。

いずれも、モノクローム大きな写真をメインにすえて、右下に商品のカラー写真チロッと載っているデザインで、なんともキャッチー、かつ、カッコイイ
なお、この広告群、モデルは「伝説のスーパーモデル」山口小夜子さん、アートディレクションは天野幾雄さんだそうです。

   

お次の「対極」は、大阪万博のペプシ館のユニフォームの流れを汲んでいるかもしれないのですが、のコントラストが強烈です。

この漆器がモチーフになっているんですな。

なお、私、コシノジュンコさんデザインの小鉢を愛用しています。

この小鉢は、かつて、ニューヨークの近代美術館(MoMA)のミュージアムショップでも取り扱われていたと聞いたことがあります。

   

隣の展示室は、一転して、今度は

床に貼られたアルミ板(?)に反射した照明、壁や天井に揺らめく光のさざ波を造り出していて、例えようのない雰囲気が漂っていました。

このダクトのような蛇腹になった長ぁ~い袖「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」ファイナルでのダンサーさんの衣装を思い出させます

それもそのはず、この展示室にありました

「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」MISIAが着用した衣装4点が展示されていました。
が、ここから先は「#1-3」で書きます

つづき:2024/03/01 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-3

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泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-1

2024-02-28 18:44:52 | 旅行記

「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #M」のつづきは、遠征初日のこと。

初日は、「ダイジェスト」に書いたように、本宅から新潟に移動して朱鷺メッセ「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」展「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」を楽しんで、新潟駅前の居酒屋ミー友さんと飲んだ、という一日でした。

私は11時ちょい過ぎに大宮駅発の上越新幹線で新潟に移動したのですが、大宮駅で地下の埼京線ホームから1Fに上がると、こんなポスターがありました。

「ガタガタ言うなよ! これからニイガタ!!」と、心の中で呟いたのですが、結局、新潟では、牡蠣ラーメン食べませんでしたです

   

私にとって違和感ありありだったのは、大宮駅を出発して10分たらずなのに熊谷駅で停車したこと。
もっぱら私が利用している東北新幹線「はやぶさ・こまち」だと、大宮を出発すると1時間ちょっと走り続けて仙台までノンストップで行ってしまうものですから、ヲイヲイって感じ…。
往路で乗った「とき317は、大宮から新潟までの停車駅が熊谷・高崎・長岡・燕三条の4駅という「(比較的) 速い新幹線」だったのですがねぇ。
ちなみに、復路に乗った「とき346号は、各駅停車でした

新潟に前日入りしたミー友さんによると、3連休初日23日の新幹線はかなり混んでいたそうですが、24ほどほどの乗車率で、私の隣りの席はずっと空席でした。

上越・北陸新幹線のお楽しみの一つは、群馬県内で見える山々です。

妙義山も、榛名山も、

どうしてこんなトゲトゲしているんでしょ

このように北関東良い天気だったのですが、川端康成「雪国」で書いた頃よりさらに長くなった国境のトンネル「大清水トンネル」を抜けると、、、

やはり「雪国でした。
そりゃぁねぇ、この時季の日本海側はこんなものですって

でも、雪景色は早々に終わり、長岡を過ぎると、ぜんぜん積雪がありませんでした

せっかく、雪道に強い靴を履いてきたんですけど…
でも、を体験しに新潟まで来たわけではありませんから、がないにこしたことはありません。

   

定刻に新潟駅に到着。

新潟駅の新幹線ホームは、車両の両側のドアが開くという、私鉄のターミナル駅みたいな構造で、後から開くドアから出ると、同じ高さの在来線ホーム(秋田行き特急「いなほ」が停車中)バリアフリーで乗り換えられるようになっていました。
もちろん私は、1フロア下の改札口から出たのですが、あれま 新潟駅が大変貌を遂げていました 新潟駅は、3年前に来た時にも、万代口で工事が行われていましたけど、コンコースがなんともきれいになっていました。
新しい駅舎はほぼ完成して、現在はバスターミナルを整備していました。

最近はもっぱら駅の近くのホテルをとることの多い私、今回も、万代口からほど近いホテル(ここに泊まるのは17年ぶり2回目) を予約していまして、これまたいつものように、チェックイン開始時刻よりかなり早いものの、ホテルまで行って荷物を預け、さぁ、行動開始です

まずは昼食

新潟といえば、やはりへぎそばでしょ
本宅のすぐ近くに、へぎそばを出すそば屋さんがあったんだけど、2年前に閉店してしまったんですよねぇ…

ということで、食べました

そば「小(1.5人前)」に、天ぷら「中」を組み合わせたら、なかなかのボリュームでした。

つゆが少ないな…と思っていたら、テーブルにつゆの入ったポットが置かれていて、自由に足せました ただ、これが判ったのが終盤だったのは不覚でした
へぎそばツヤツヤ&ツルツルしてコシのあるところ(なにせ「越の国」)は大のお気に入りなんですが、首都圏の濃厚ガツンとくるつゆに慣れてしまうと、ちょっともの足りなさを覚えます。でも、これもまたへぎそばです。

   

お腹が満ちたところで、朱鷺メッセに向かいました。

公称値「新潟駅から徒歩20分」と、歩くにはそこそこの距離ですが、天候は悪くないし、腹ごなしも兼ねて歩きました。
17年前も今回と同じホテルから朱鷺メッセまで歩いていきましたし、今回はスマホで現在地を確認できますから、ルート大丈夫

しかも、ほぼ中間点ANAクラウンプラザホテルの前まで来ると、私を待っていたかのように、朱鷺メッセのある万代島への案内板まであるのですから

そして、朱鷺メッセに到着

時刻は14:00ちょい前で、これから「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」展を観て、15:00開場「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」に臨むには、絶好のタイミングでした

朱鷺メッセでのあれこれは「#1-2」につづきます。

つづき:2024/02/29 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-2

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泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #M

2024-02-27 12:40:15 | MISIA

「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征」旅行記本編のスタートです。

まずは、「#M = MISIA編」ということで、この遠征のメインだった「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」新潟 2 daysのことから。

MISIAがデビュー26周年を迎えて最初のライヴになった新潟 2 daysは、去年7月に「MISIA星空のライヴXIIのツアースケジュールが発表になった時点では「ツアーファイナル」でした。
「いやいや、新潟で『ファイナル』はないだろと思いつつも、チケットを申し込んだら、ツアーが始まって間もない去年11月に有明アリーナ 2 days (3月2-3日)の追加が発表され、「やはりなぁと納得したのもつかの間、年が明けると、今度は海外公演(香港:3月17日 & 台北:4月4日)の追加が発表
ここまで来ると、4月か5月に「凱旋アンコール公演」まであるかも知れないと思ったりして…

   

そんな「幻のファイナル」新潟 2 daysは、盛り上がりましたぁ~
MISIAは相変わらず絶好調といってよい状態だし、会場からも実によくが出ていました。

新潟能登半島地震の被害が出ているところ。MISIAは、「ここに来ている人たちが歌で元気になって、その元気を周りの人たちに広げて行ってくれたら…」みたいなことをおっしゃっていました。これって、伝教大師最澄のおことば「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」に通じる気がします (こちらの記事をご参照方)

セットリストを載せます。

例によって、画像をクリック/タップすると、セットリストをご覧いだけます。
今回は、スペースの都合から、横浜・名古屋・新潟の6公演分だけ。
袋井(エコパ)から横浜までのセットリストは、横浜公演の振り返り記事をご参照ください。
有明アリーナ 2 daysが終わったら、全公演分を載せますね。

【追記】セットリストを誰でも見られるようにしました。(2024/04/07 17:37)

セットリストで注目すべきは、2日目に、このツアーで4公演目宮城 2 days、越前 2日目につづいて、「あの曲」を歌ってくれたこと。
最後のPAを通さない生声が胸に響きました… ああいった歌い方を聴いたのは初めてだったし…

   

ここで、私が厳選(?)した「MISIAのおことば」
まず初日

MISIA曰く「朱鷺メッセにはトキの雛が棲んでいる」そうで、いったいどういうこと? なんですが、MISIA「ちょっとキックしてみて」と催促されたTOMOさんがバスドラムをドン と鳴らすと、会場の後方から「ピヨという反響が…
床がコンクリートむき出しで、客席の横がすぐに壁になっていて(スタンド席が無い)極端に縦長朱鷺メッセ展示ホールの構造が、特定の音「ピヨと反響させるようです。
バスドラムの音も「ピヨを発生させますが、それ以上に、MISIAのMC大量の「ピヨを発生させていました
このMC以降、曲の途中でも「ピヨが気になってしまいましたとさ

つづいて2日目

ライヴ始めの怒濤の連発の途中で、ステージ上のMISIAの姿が、突然、私の視野から消えました 
何事 
転倒でした。
ほんのちょっとの間があったものの、MISIAは立ち上がって、何事もなかったように歌い続け、そして、怒濤の連発終了後に賜ったおことばが、私がポストしたものでした。

「アクシデント」「パフォーマンス」と言い換えるMISIAったら…

本人曰く、「ドライアイス(の煙?)が大量で、滑ってしまいました」「自分でも何が起こったのか判りませんでした」「ちょっとまだ動揺しています」だそうな。
その後のMISIAは、本来の意味でのいつもの「パフォーマンス」を披露してくれましたが、大丈夫だったのかなぁ 年輪を重ねると、痛みが翌日以降に出たりするものだから心配です。

安全はすべてに優先する です。

この前日の帰りのバスで、ミー友さん「職場の安全」の話をしたのは、この前触れだったのかねぇ… もちろん偶然です

   

新潟遠征記の「ダイジェスト」で、「あること」と書いた、この楽しかった遠征での例外事案は、初日公演でのことでした。

となりのおっさんが、とにかく酒臭かったのですよ

私の座席は、かなり前方の、ステージに向かってやや左( 2日目は同列の3つ左)で、ライヴが始まると正面に向かって40°弱の角度で右を向くことになるものだから、左隣りのおっさんからの酒臭さが私を直撃
16時開演のこのライヴ前に、どんだけ呑んできたんだろ
おっさんに文句を言っても仕方ないし、席を移ることもできないし、で、我慢&我慢の約2時間でした

不満ついでもう一つ。
前方の席の難点は、ステージと客席の間でうごめくカメラ
カメラ本体は人の背丈よりも高い位置にあるものだから、着席状態でカメラに割り込まれると辛い。しかも、「着席状態」の曲の場合、カメラは同じ位置に留まって撮影することが多いときたもんだ…

あのカメラは何のためのものなんだろ
ステージ後方のモニター画面用なんだろと思いつつも、モニター画面で「環境ビデオ(古いことば)が流れているときもステージを撮っているんだよねぇ
ライヴに必要なものだとしたら、黒子黒子らしく振る舞ってほしいぞ

   

最後に「お口直し」。

私は、MISIA星空のライヴXII」のツアーグッズ「ご当地メロンパンダ」のガチャを、1公演2回ずつチャレンジしていまして、横浜公演までに14回やって、全11種類中9種まで集まりました。
あと東京と名古屋の2種 まで来たのですが、残り2種、つまり、2/11の確率を引き当てるというのはなかなか難しい
新潟初日は、2個とも茶色系(北海道と福井)でダブりでした
そして臨んだ2日目に、ついに名古屋をget
そしてそして、1個のカプセルには紙片が入っていまして、開くと、「B賞」とな
「MSA限定 ロンT」を頂戴いたしました
正真正銘、「無欲の勝利」です。

この余勢を駆って、有明アリーナ公演では「雷門」を引き当てるぞ
でも、東京を引き当てた と思ったら、香港と台北が追加されたりして…

ということで、ごく些少な不満はあったものの、それを補って余りありすぎ良き新潟 2 daysでございました

ここまで、ずっとネタバレ回避で奥歯にニラかエノキダケがはさまったようにしか書けなかったこのブログですが、今週末はついに国内ファイナル
来週はたがを外します

つづき:2024/02/28 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #1-1 
別の意味でつづき:2024/03/06 「MISIA星空のライヴXII」の振り返り【前編】 

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泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 ダイジェスト

2024-02-26 18:27:13 | 旅行記

先週末の土日、「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」新潟公演1泊2日ででかけてきました。

今でこそ私、MISIAを追いかけて日本各地に遠征しておりますが、MISIA遠征」の最初の地が、この新潟でした。2003年6月の「MISIA星空のライヴII」@新潟県民会館以降、2005年3月の「THE TOUR OF MISIA 2005 THE SINGER SHOW」@朱鷺メッセ、2007年1月の「THE TOUR OF MISIA 2007 ASCENSION」@朱鷺メッセと、ほぼ2年間隔で、新潟へ泊まりがけで遠征したものでした。

そこからしばらくご無沙汰し、前回は2021年5月の「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」@新潟テルサで、このときは日帰りを敢行 日帰りとは言っても、新潟に着いてから、会場行きのシャトルバスが出るまでの3時間に、この18年前に気になった新潟県政記念館しっかり観光してきました(記事)

   

前置きが長くなりましたが、まずは、例によって、旅程です。

【初日 2月24日(土)】
本宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大宮駅上越新幹線新潟駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩昼食⇒徒歩朱鷺メッセ (新潟県立万代島美術館「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」展⇒展示ホール:MISIA星空のライヴXII)⇒シャトルバス新潟駅前徒歩⇒飲み会⇒徒⇒ホテル

2日目 2月25日(日)
ホテル⇒徒歩新潟駅:コインロッカー新潟駅前⇒観光循環バス白山公園前⇒徒歩(寺町⇒上古町⇒古町⇒古町花街⇒昼食餅屋さん 新潟市歴史博物館みなとぴあ柳都大橋)⇒朱鷺メッセ「MISIA星空のライヴXII⇒シャトルバス新潟駅上越新幹線大宮駅埼京線最寄り駅⇒徒歩本宅

2日間に巡った場所のうち、出発前から行こうと決めていたのは、メイン「MISIA星空のライヴXII」は当然として、他には万代島美術館新潟市歴史博物館みなとぴあだけでした。

先月下旬、万代島美術館では、2月24-25日にはどんな展覧会をやっているのだろうか? と調べたところ、2月23日から「JUNKO KOSHINO コシノジュンコ 原点から現点」展が始まるというではありませんか
MISIAのライヴ(THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST) の衣装を担当されたコシノジュンコさんの展覧会が、ピッタリのタイミングで、ライヴ会場と同じエリアで開催されるとなれば、これは行くしかない
ということで、早々に前売券を購入しました。

また、新潟市の観光スポットをネットで探すうちに興味を惹かれたのが、朱鷺メッセとは信濃川の対岸に位置する新潟市歴史博物館みなとぴあでした。
交通の便は悪そうですが、建物好きの私としては興味津々

さて、朱鷺メッセ(ライヴと展覧会)新潟市歴史博物館みなとぴあに行くとして、それをどのように2日間に配置するかを考えた末、コシノジュンコ展初日新潟市歴史博物館みなとぴあ2日目に行くことにしました。
それはよいとして、問題は2日目で、新潟市歴史博物館みなとぴあから朱鷺メッセまでは、のんびり歩いたとしても20分程度のものです。どのように時間を使おうか…と、遠征前にはほとんど考えることなく遠征2日目の朝、ホテルで頂いた「新潟市観光 mini MAP」(A3サイズの1枚もの)にらめっこして検討しました。
その結果、とりあえずバス白山公園前まで行き、そこから古くからの街を北東方向に、「新潟市観光 mini MAP」スマホのGoogleマップを頼りに、行き当たりばったりに歩いて、新潟市歴史博物館みなとぴあまで行くことにしました。

2日目白山公園前から新潟市歴史博物館みなとぴあ経由の朱鷺メッセまでの徒歩ルートがこちらです。

ほんとに行き当たりばったり足の向くまま気の向くまま歩きましたので、地図に軌跡をプロットするのが大変でした。「この地点からここまではどこを通ったっけ」とか…。
こんなにテキトーでも、ほぼ時間ピッタリ(約4時間)だったし、見どころが多く楽しい街歩きだったし、昼食美味しかったし、美味しい大福桜餅を買えたし(帰りの新幹線の車中で食べた)、我ながら見事な旅程だったと思っています

遠征全般を振り返っても、MISIAのライヴちょっとしたアクシデントはあったものの、ますます最高かつ最幸更新してくるし、コシノジュンコ展は予想以上に素晴らしくかつ楽しかったし、「あること」を除いて、良い遠征になりました。
危惧された天候も、傘が必須の雨が降ったのは、最後の最後、朱鷺メッセ⇒新潟駅最寄り駅⇒本宅の区間だけでしたし…

なお、旅行記本編は、MISIAの新潟 2 daysのことから始めます。

旅行記本編:2024/02/27 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #M

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1か月半ぶりの「MISIA星空のライヴXII」

2024-02-05 18:41:25 | MISIA

きのう・一昨日と、「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」横浜 2 daysに行ってきました。
私にとっては、これが今年最初の生MISIAになりました。

昨年夏、CLUB MSA枠のチケットエントリーが始まるとき、カレンダーを眺めながらいろいろと考えた末、1月の3都市6公演はパスすることしました。でも、いざ、昨年末の宮城 2 daysから1か月半も空くと、心細いというか寂しいというかなんというか…。
帰省兼宮城遠征から戻ってすぐは、「HAPPYクリスマス おもちゃ屋MISIA」「MISIA PEACEFUL PARK」TV放映が続いて、ライヴの余韻を保てたものの、「NHK歌合戦」が危惧したとおり なんとも散漫なパフォーマンスに終わってしまい、ここで一気に私の中のビタミンM切れてしまいました 
そして、大阪・福井(越前市)・福岡の6公演断片(喉のチューニングとか、即興の場つなぎとか…)「X」で知るたびに、「あ"~悲嘆…
ただ、MISIAが越前公演の翌日に奥能登に炊き出しに入ったことを、その日の夜に「X」で知ってほっこりしましたっけ…

そんな「ビタミンM欠乏症」を病みかけているときに飛び込んできたのが、「MISIA星空のライヴXII アジアツアー」のお知らせでした。

3月2-3日の東京・有明 2 daysがツアー・ファイナルになるのかと思いきや、3月17日に香港、4月4日に台北約6年ぶりの海外公演が行われるのだとか

今の香港には行く気はしないけれど台湾は久しぶりに行きたい と思いました。
前回の台湾旅行は、2008年8月の「THE TOUR OF MISIA DISCOTHEQUE ASIA」のときで(記事)、なんとなんと、成田空港からMISIA御一行様同じ飛行機で向かったのですよ (桃園空港の喫煙室重実さんと一緒になり、そして、入国手続きに向かうMISIAご本人にも至近で会えた)
チケットを取れるかどうかは判らないにしても、とりあえずは失効しているパスポート再取得するのが先決だろう と、リリースが出た1月26のうちに、戸籍謄本(全部事項証明)を秋田市役所に電子申請しました。
そして、チケット発売当日の2月2には、時差の存在を忘れていてあれ? となったり、チケット販売サイトのユーザー登録悪戦苦闘しながらも、なんとかチケットgetできました
そしてそして、次は、パスポート取得手続きのため、顔写真自撮りして、署名撮影して、マイナポータルから電子申請完了 (顔写真と署名写真を規定のサイズにするのが面倒でした)
さらに、飛行機のチケット(マイレージ優待)予約して、ホテル予約して、、、と、なんとも忙しい、けれど、充実した一日を過ごしました。
たまたまその日、CLUB MSA「チケット付き公式ツアー」が発表されたのですが、私の費用(ライヴチケット、燃油サーチャージ等、宿泊代)約2倍のお値段でしたので、してやったり でございました

   

こんな個人的な盛り上がりの中で迎えた「MISIA星空のライヴXII」横浜 2 daysは、2日目の私の席の近くにいたサイテーなグループ(インストルメンタルだからといっておしゃべりして良いわけがないだろ)を除けば、またもや最高かつ最幸を更新する素晴らしいライヴでした

で、横浜 2 days終了時点での、「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」ここまでのセットリストです。
クリック/タップすると、PDFが開くようにしてありますので、ご覧になりたい方のみ、どうぞ

【追記】セットリストを誰でもご覧いただけるようにしました。(2024/03/07 17:49) 

曲数基本の曲目も、既に固まった感がありますが、2 daysまったく同じセットリストだったのは、このツアーでは初めてでした
2日目収録用カメラが入ったことが、その理由の一つかもしれません。
でも、「まったく同じセットリスト」とはいえ、アレンジソロプレイは公演ごとに違うし、「生」ですから、思いがけないアクシデントがあったりして、甘く見ちゃいけません

横浜2日目は、ある曲の冒頭で楽器の不調があったらしくて、「やり直しが発生しました。
MISIAが演奏を止めた直後の「おことば」がこちら。

アクシデントにまったく慌てるそぶりもなく、こんな「おことば」を発することができるなんて…
さらに、準備できるまでの「場つなぎ」として、ピアノ/ギター/MISIAインプロビゼーションを聴かせてくれたのですから、アクシデントもまた楽し です。

なお、初日の「おことば」はこちらです。

「自粛」した部分は、まだツアーの途中ですのでMISIAのご要望に沿って、内緒とさせていただきます

さて、「X」でミー友さんたちのポストを拝見していると、私の空白期間でも、最高最幸を公演ごとに更新しつづけているらしいこのツアー、横浜 2 daysのMISIAも、またもや最高最幸更新してくれました(重要なことですので繰り返しました)
どの曲でも、MISIA深く・分厚く・美しい歌声は横浜アリーナの広い空間を満たして、聴衆異次元の世界に連れて行ってくれました
そんな中で、私が最も感銘を受けたのが、

という曲でした。
MISIAごく初期の曲で、低音から超高音を駆使する超難曲かつ超名曲です。
「劣化」というイヤな言葉がありますが20歳年以上も若い自分のために作られた曲を、こんなに高いレベル完璧に歌ってしまうMISIAには、まったく無縁の言葉に違いありません
MISIAにぴったりの言葉は「Ever Onward (限りなき前身)」だな

ここまで私が出かけた「MISIA星空のライヴXII Starry Night Fantasy」7公演で、残りは5公演。っつうことは、横浜 2 daysで、ようやく半ばを過ぎた段階です。
まだまだ楽しませていただきます

それはそうと、横浜2日目の収録は何用だったんだろ
TV? ディスク?
どちらにせよ、楽しみです

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久しぶりに平泉に行ってみたくなった

2024-02-01 20:34:15 | 美術館・博物館・アート

いま、東京ステーションギャラリーでは「みちのくのいとしい仏たち」展が開催されていて(2月12日まで)北東北(岩手・青森・秋田)「仏師でも造仏僧でもない、大工や木地師の手による」民間仏素朴でほんわかとした佇まいを見せてくれています(記事)が、そうしたいわばローエンドの仏さんたちとは対照的な、平安時代後期のハイエンドの仏さんたちが、これまた東北からドカっと東京にやってきています。

きのう、中尊寺金色堂建立900年を記念して東京国立博物館(トーハク)で開催されている「中尊寺金色堂」展を観に行ってきました。
この展覧会は、トーハクの特別展としては小規模ですが、なかなかどうして、見応え満載でした

中尊寺金色堂には、奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)ご遺体と四代目・泰衡の「首級を安置した3つの須弥壇が並び、それぞれに阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像6体の地蔵菩薩立像増長天持国天、都合11体×3チームが鎮座していて、そのうち、恐らく藤原清衡のご遺体が安置されていると考えてられている中央壇のチームがユニット(?)として上野にやっていらしたという次第です。

さて、会場の本館1F 特別5室に入ると、まずは幅約7mという巨大LEDディスプレイが観客を出迎えてくれました。

そこで視られるのは、「実物大の金色堂」
大量の超高精細の静止画像を再構成した8KCGで、実際に金色堂の中に入り込んだような体感です
いや、実際の金色堂は、覆堂の中でさらにガラスに囲まれていますので、実際に現地で拝見する以上にリアルに感じられました

そして、仏さまたちも素晴らしかった

奥羽の王たる奥州藤原氏が、その財力美意識を駆使して作り上げた浄土の世界は、それはそれは、あの世にいるみたい 行ったことはないけれど…
きっと、当世一流の仏師を都から招いて制作させたのでしょう あれほどまでにハイレベルの仏さまたち(後ろ姿までもが美しい) が一堂に会している仏堂は、なかなかありませんぞ

拝見していてちょっと不思議だったのは、四天王のうち、金色堂にいらっしゃるのは増長天と持国天だけ3ペアなのはなぜ? ということです。
須弥壇の後方を守護するはずの広目天と多聞天どこにいった???

それはそうと、この二天像が、8KCGで拝見した感じ、トーハクで展示されている中央壇の二像と、他の二像たちと、ずいぶんと雰囲気が違うことに驚きました。
中央壇の二像のダイナミックさが図抜けているのです。なんだか鎌倉仏っぽい感じです。
調査研究の結果、現在、中央壇にいらっしゃる二天は、もともと別の壇のご担当だったと考えられるのだとか。
他のお寺・仏堂でも、仏像の配置が造営当時と違っているというのはよく聞く話で(例えばこちらで書いた東大寺法華堂とか…)Wikipediaによると、

金色堂は江戸時代にも修理が行われ、元禄17年(1704年)には江戸にて金色堂諸仏の出開帳が行われており、こうした機会に仏像を移動した際に混乱の生じた可能性がある。

だとか
そんなぁ~ です。

   

仏さんたちだけでなく、仏具・経文も素晴らしい作品が展示されていまして、中でも、

「金光明最勝王経」の経文を、紺紙を二枚継いだ上に金泥によって塔の形に象り、その左右および下方に、さらに紺紙を継いで経文の内容を表す情景を金銀泥と彩色によって表したもの (「日本国宝展」図録より)

という「金光明最勝王経金地宝塔曼荼羅図」には、久しぶりに再会でき、しげしげと拝見しました。
この「経文の内容を表す情景」がまた、ニコニコしてしまうくらいイイのですよ

また、法会の際に導師が座られる台座「礼盤(らいばん)」が、一見、地味ながら、よくよく観ると、金具の細工とか螺鈿の象嵌がなんとも細かく、一切手抜き無し そりゃそうなんですけど…

唯一残念だったのは、金色堂の堂内の雰囲気を醸すべく立てられたとおぼしき円柱でした。
円柱には、それっぽいプリントが施されていたのですが、なんとも平面的安っぽかった
右の写真は、東北歴史博物館(多賀城市)で常設展示されている金色堂の柱のレプリカで、ここまで気合いを入れてほしい とまでは言えませんけれど、でも、あの「シールを貼ってみました的な柱もどきなら、不要だったんじゃないかと思った次第です。

そうそう、金色堂といえば、金ピカのイメージが強い人が多いかもしれませんが、螺鈿細工凄いのですよ

この「残念感補って余りある存在だったのが、この展覧会で唯一「撮影だった縮尺1/5「金色堂模型」
こちらは大変に良くできていました

仏さまたちは「不在」ですが、須弥壇精巧に再現されています

いやぁ~、ステキです
そうそう、金色堂の屋根は、瓦状に木材を細工した木瓦葺きです。
寒冷地には本瓦は適しませんからねぇ
現在の金色堂の屋根には金箔は張られていませんが、この模型では、半分だけ「金箔張り」です。

   

ところで、「センターユニット」ごそっ東京出張中中尊寺金色堂は、今、どうしているんでしょ
と、中尊寺のサイトを覗いてみると、、、

2024年1月9日より4月末日まで、金色堂内は通常と異なる仏像安置構成となります。
拝観は通常通り行えます。

ですと。
特別仕様の金色堂を拝観してみたいかも…
4月の帰省ドライブの際に、約9年ぶり平泉「途中下車」しようかな…

実は私、クルマでの帰省でも、新幹線での帰省でも、ひたすら平泉の近くを通過するだけで、平泉を観光したのは2015年8月一度きりです (記事)

毛越寺庭園中尊寺も、このエリアだけ平安時代が残っているようで、印象的でしたっけ…

金色堂の先代の覆堂(室町時代中期から1960年代まで金色堂を風雨から守ってきた建物)の中に入ってみたら、金色堂がこんなに小さなお堂なのだと実感できましたなぁ。
そういえば、金色堂は中尊寺の「金堂(=本堂)」ではなく奥州藤原氏「御霊屋」なんですよねぇ。

   

また書いてしまいますが「小さな特別展」ではあるけれど、この「中尊寺金色堂」展は、私の東北人としての血を騒がすというかなんというか、なんとも心動かされる展覧会でした。

会期は4月14日までと、まだまだ続きます。
もう一回行こうかな…
観覧料も1,600円と、最近のトーハクの特別展としてはお安めですし

最後に、芭蕉の句。

五月雨の 降り残してや 光堂

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