新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「MISIA平成武道館」のこと

2019-04-30 19:05:14 | MISIA

きょう、秋田の別邸(=実家)に帰郷しました。

模様の天候ながら、交通量はそこそこで、渋滞は軽いのが2か所だけでしたから、かなり順調だったと言ってよいでしょう(約600kmを約7時間。休憩を除く)
一方で、那須以北は、道路沿いのあちこちでサクラが咲いていて癒されました。

実家に着くと、2月末以来、無人状態だったというのに、庭にはたくさんのが咲いていて、あれまぁ~ でした。もっとも、雑草凄いですが…

仏壇に灯明とお線香をあげてお参りしたあと、家電をコンセントに繋ぎ、窓を開けて空気を入れ換え

そして、さっそく自室で、WOWOWで録画した「MISIA平成武道館」を、画像は小さなTV、音響はステレオセット鑑賞開始
右の画像は録画をBlu-rayディスクにダビングして実家に持ち帰るために急遽作成した特製レーベルでございます。

LBDオープニングアクトにボリュームを合わせて見始めたのですが、本編冒頭の音量に、あれまぁ~ でした(2回目)

   

ということで(?)、「MISIA平成武道館」3 daysをふり返ります。

この「MISIA平成武道館」というライヴ、THE TOUR OF MISIAとか星空のライヴと違って、4月26~28日3日だけ日本武道館だけで開催されるライヴということで、どんなライヴになるのか、想像できませんでした。
去年の4月に大阪と横浜で開催された「THE SUPER TOUR OF MISIA」は、MISIAデビュー20周年の記念公演でしたから、ある程度想像はついたのですがね…

そして蓋を開けてみると、平成30年間と、その中にすっぽり収まっているMISIAの活動ふり返るだけでなく、会場日本武道館そのものもメインテーマの一つになっていたことに、やられた~ でした。

日本武道館は、1964年10月3日、つまり東京オリンピックの開会式1週間前開館した施設で、その名のとおり、

日本武道館創建の目的は、我が国伝統の武道を、国民とくに青少年の間に普及奨励し、武道による心身の錬磨を通じて健全な育成を図り、民族の発展に寄与するとともに、広く世界の平和と福祉に貢献することにあります。

だそうです。
ただの大きなイベント会場ではないのですな。

ライヴ冒頭の映像には、日本武道館建設中の映像とか、東京オリンピックでの柔道競技の映像が差し込まれていて、あれ だったのですが、これだけではなく、MISIAMCの中で、上に載せた「日本武道館総研の目的」にも触れていて、MISIA武道館単なるライヴ会場とは捉えていないことに気づかされました。

さらに、MISIAがライヴで言ったとおり武道館武道の聖地であると同時に、ミュージシャンにとっても聖地でもあるわけで、武道館でライヴを行った外国人ミュージシャンに対する敬意、そして武道館でライヴができることへの謝意がひしひしと感じられました。

MISIAは、武道館で最初音楽の公演を行ったのがザ・ビートルズ、そして最初に演奏したのは前座のザ・ドリフターズであることを紹介していましたが、ビートルズが武道館で公演を行うことについてはいろいろ論議とは反対活動があったことを思えば、カバーするならクイーンよりドリフ、いや、ビートルズの曲の方が良かったのではなかろうか?
と、書きつつも、MISIAが歌う"We Will Rcok You"最初の発声からMISIARockされたのも事実です

   

「MISIA平成武道館」MISIAはアンコールを含めて4回「お色直しをしましたが、その「お色直し」の間、映像が流されていました。

1回目「MISIAの森 -Forest Covers-」収録曲をバックに、これまでに武道館のステージに立った外国人ミュージシャンの肖像(⇒クイーンのカバー)2回目「記憶」のインストルメンタル Ver. をバックに、「平成時代」出来事の写真+MISIAのHistory(⇒バラード・セクション)、3回目「太陽のマライカ」のインストルメンタル Ver.をバックにMISIAのアフリカでの活動の映像(⇒AMAZING LIFE)、そしてアンコール待ちの間は桜吹雪「平成 残り日」の文字が流されました。

この映像タイムは、MISIAファンにとってはもちろん、今回が初の生MISIAだった人にとっても、絶妙なつなぎだったのではないかと思います。
「武道館(BUDOKAN)」ミュージシャンにとっての聖地であること、観客それぞれが持つ「平成」30年間の「記憶」の呼び起こし、MISIAとアフリカとのつながり(MISIAが初紅白ナミブ砂漠から歌ったのには背景/理由があるんです)、こんな映像を観た後のMISIAの生歌、これはたまらなかった…

グダグダと書いていますが、要するに、「MISIA平成武道館」は、観衆それぞれが持つてんでバラバラの「平成」を自分の内側でふり返ることと、日本武道館という会場の歴史と重みを感じることと、そして、最高バンド最高ダンサー、そして最高の最高シンガーが創り出す至高エンタテインメント体感すること、これが本質ではないかと、そう思うわけでございます。

こんな観点から、私は「MISIA平成武道館」3 days堪能いたしました

欲を言えば、1回ステージバック席良かったかな…

というわけで、後日、追記するかもしれませんが(その可能性高し)、これを以て「MISIA平成武道館のこと」完結とさせていただきます。

今夜24:00に天皇陛下は退位され、元号平成から令和に変わります。
今夜のNHK FM「MISIA星空のラジオ」は、通常から10分延長して23:00~24:00と、「行く時代 来る時代」的どころか、平成のNHK FM掉尾をかざります。
しかも、生放送
ですから、聴くしかありませんぞ

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「MISIA平成武道館」千穐楽のこと

2019-04-29 01:07:03 | MISIA

「MISIA平成武道館」3 daysが終わってしまいました。

今夜(4/28夜)は、正直、泣きました…

3 daysのことは、夜が明けてから書くつもりですが、取り急ぎ3日間セットリストを…。

2日目の段階で想像がついたとおり、「日替わり」は、基本的にバラード・セクション4曲でした。

初日・2日目には、私の大好きな曲は私をときめかせそうでもない曲新しい魅力を感じさせてくれましたが、千穐楽は、千穐楽らしく、王道系3曲+新曲1曲

いやぁ~、浸みました…
泣きました…

のど自慢とかカラオケバトルとかでよく歌われる、一般的には「MISIAの代表曲」とされるEverything」は、これぞ本家 でしたし、「逢いたくていま」「明日へ」は、力ずくで聴衆の涙腺を絞りに来たような歌声でした。

なんでしょ、あの中味(?)が詰まっていて、パワーに溢れ正確無比で、美しいMISIAの歌声

絶対に「人間国宝級の存在ですよ、MISIA

そんなセットリストの中、ずっとずっと好きだった「BELIEVE」は、やっぱり、ほ~~~~んと大好き
ライヴで聴くたびに、幸せぇ~~ と感じていた「BELIEVE」ですが、「MISIA平成武道館」3 daysでも、やはり同じでした。
別れの歌なのに、どうしてこれほどの幸福感を私に持ってきてくれるのでしょうか、この曲

この辺りになってくると、「MISIA平成武道館」千穐楽のことだけではなく、3 daysのことだけでもなく、MISIAというシンガーそのものについても考えねばならなそうですので、今夜はここでとどめておくことにします。

ということで、今夜はこれまで

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「MISIA平成武道館」2日目のこと

2019-04-28 10:54:57 | MISIA

きのう、「MISIA平成武道館」2日目に参戦してきました。
初日も良かったけど、2日目良かったよぉ~

今夜の千穐楽初参戦の人、WOWOWでの生中継を楽しみにしている人も多いでしょうから、この記事もネタバレを極力避けて書くことにします。

   

昨夜のMISIAは、序盤はちょっとセーブしている気配。
でも、中盤からは、いつものようにパワー全開 で、いつものMISIAでございました。

「『MISIA平成武道館』初日のこと」で、以前、MISIA「3日間、ほぼ違う曲を演りたい」とおっしゃっていたセットリストについて、

個人的には、変える余地は少ない気がしているんですけど…

と書きましたが、実際どうだったかと申しますと、、こういうものでした。

望まない人にはネタバレにならないよう、左をクリックするとセットリストをご覧いただけます。

で、私の予想的中 でして、セットリストが丸ごと変わることはなく、一部の入れ替えがあっただけでした。

どちらかというと、私の好きな曲からそれほどでもない曲への入れ替わりが目立ったのですが、いやいやどうして、「それほどでもない曲」が、「え? こんなに良い曲だったっけとなってしまうのですから、めでたしめでたしです。

しかも、私がMISIA嵌まるきっかけとなった「あの曲」加わり、これまで何度もライヴで聴いた曲なのに、感激 いたしました。

一方で、別の「あの曲」はきのうも歌われませんでした
でも、初日⇒2日目のセットリストの入れ替え具合からすれば、WOWOWの生中継もある千穐楽の今夜は絶対 に歌ってくれると確信している私です。

    

次は座席の話。

初日は、アリーナ3列目(実質2列目)ほぼ左端の座席で、バンドメンバーは、ブラスセクションとパーカッション、そしてかろうじてコーラスの皆さんを拝見できる程度でしたが、きのうは、2階X列日本武道館最上層(=最後方)の座席(今夜も…)

ステージからは遠いけれど、ステージ全体を見られるだろうな と想像していましたけど、本当眺めがイイ

開演前セレモニー中の眺めがこちら (画像を一部修正しています)

ステージのほぼ全体が良く見えました
なにせ、ピンスポットの放出場所とほぼ同じ高さですから…

でも、当然ながら、MISIAを始め、ステージ上の人たちちっちゃ~い

久しぶりに双眼鏡を持っていきましたが、双眼鏡で眺めると、よく見えるものの、ブレブレで…

ま、細部は、WOWOWからの録画で楽しませていただくことにしましょ

そうそう、会場の後方って観客のノリが良くない、と聞くものですが、昨夜の私の席の周り(誰もいない後方を除く)はそんなこともなく、皆さん、曲によっては総立ちを出して楽しんでいらっしゃいました。

ところで、日本武道館は、1964年の東京オリンピック直前に竣工した古い建物です。
通路がめちゃくちゃ狭いとか、座席に奥行きがないとか、あちこちで設計の古さを感じさせてくれますが、これはこれで仕方がありません
でも、もうちょっとしっかりと掃除した方が良いのではないかと思ったりして。
X列の後ろはホコリだらけですし、天井からは長大綿ぼこりがぶら下がったりしていて

2020年東京オリンピックでは、柔道と空手の会場になるそうですから、それまではきれいにして、海外からの選手やお客さんをOMOTENASHIしていただきたいものです。

   

この「MISIA平成武道館」の会場前には、大量お祝いの花が並んでおりまして、時間に余裕のあった初日の開演前拝見しました。

毎度おなじみ松嶋菜々子さんを始め、MISIAとの縁公知になっている皆さんたちの中で異彩を放っていたのは、田中麗奈さんからの花でした。

麗奈さんが出演した映画・ドラマにMISIAの曲が使われたことはなかっと思うのですが、これはどういうこと?

2015年の「MISIA星空のライヴVIII」の東京公演では、石川さゆりさんとか森山良子さんからの花が飾られていて、

どういうつながりか と思ったものですが(こちらの記事をご参照方)、その後、このお二人は相次いでNHK FM「MISIA星空のラジオ」に出演され、その「ご縁」が明らかになったことがありましたっけ…。

もしかすると、田中麗奈さんが出演される新しい映画かドラマMISIAの曲が使われるのかもしれませんな

楽しみにしておきます。
麗奈さんは私お気に入りの女優さんの一人ですし…

   

ここからは、きのうの個人的なお話。

昨夜のライヴ後、ミー友さんたちと飯田橋の居酒屋でプチ宴会をしたのですが、ついつい時間を忘れて、気がつけば自宅最寄り駅まで行ける電車終わっていました

それでも行けるところまで行こうととったルートがこちら。

飯田橋駅中央緩行線神田駅京浜東北線南浦和駅

私、飯田橋駅から中央・総武線に乗り、秋葉原駅京浜東北線に乗り換えるつもりだったのですが、中央・総武東京行き(=秋葉原駅は通らない)があることを昨夜まで知りませんでした
で、神田駅京浜東北線大宮行き最終(危なかった)に乗った私は、南浦和駅で下車。
南浦和駅から自宅までは、歩けない距離ではありませんけれど、酔っ払っている寒いし…で、タクシーに乗って帰りました。

まぁ、タクシー料金は1,090円でしたから、これで良しとしましょう

   

さて、きょうは「MISIA平成武道館」3 days千穐楽

今夜も楽しみます

幸い、きょう久しぶりに好天ですし(ただし、相変わらずちと寒い)、早めに出発して、皇居東御苑散策して、久しぶりに東京国立近代美術館観覧してから日本武道館出撃しようかと思っています(残念ながら三の丸尚蔵館はざかい休館)

今夜は、セットリストはどうなるのか、とか、Finalならでは演出があるのか、ワクワクドキドキですけど、日本武道館に行かれる方も、WOWOWの生中継を観られる方も、平成最後のMISIA堪能しましょう

つづき:2019/04/29 「MISIA平成武道館」千穐楽のこと

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「MISIA平成武道館」初日のこと

2019-04-27 07:59:20 | MISIA

私にとって超大型連休(11連休)初日になったきのう「MISIA平成武道館」3 days初日に参戦してきました。
きょう or 明日、初参加される方が多いと思いますので、極力、ネタバレを避けつつ、その感想などをメモっておきます。

いやぁ~、良かった…

毎度、MISIAのライヴに行くたびに「いやぁ~、良かった」と思っているのだけれど、昨夜のライヴは、それに輪をかけて、超ド級良かった…

「MISIA平成武道館」のパンフレット何が良かったって、初日ですからセットリストも演出もほぼ白紙の状態であのブチ盛り上がりオープニングから、平成時代のMISIAをふり返る構成かと思いきやなんと だし、MISIAの歌声日本武道館の壁や天井を揺るがすどころか突き抜けるようなパワー & 館内に芳香を満たすような美しさ だったし、超一流のプロってこれだ と納得ささられるバンド&コーラス&ダンサーだったし、オープニングアクトは絶対にステップを上ったと思わせるLady Blck Dress (RYO)のパフォーマンスだったし(Drがアレックス Jr. )…とキリがありませぬ

そんな中で、さらに驚いたのは、ある意味、攻撃的 と思えるセットリストでした

昨年末レコード大賞とか紅白歌合戦を観て、「生MISIAとやらを体験してみよう」という観客が多いことが想像に難くないのに、あの選曲とは
初めてMISIAのライヴに来た人たちにとって、初めて聴く曲がほとんどだったのではなかろうか…

古参のファンにとっては、久しぶりに聴くあの曲やこの曲に記憶を蘇らせることが多かったと思いますが(某カバー2曲MISIA史上のお披露目)、まさか、あの曲歌わないとは…

以前、MISIA「3日間ともほとんど別の曲を歌いたい」と語っていましたが、残る2日間はどうなるんでしょ…
個人的には、変える余地は少ない気がしているんですけど…

   

昨夜の私の席は、アリーナの3列目、実質2列目でした。
アリーナ席としてはステージに至近だったのですが、いかんせん、角度がなくて、しかも、ステージ上に妙に巨大な機材(モニタースピーカーっぽかったけど、それにしてはデカ過ぎる)があるものだから、MISIAその陰に隠れることが多かったし、ステージに近すぎて(低すぎて)視界に入るバンドメンバー極めて少なかったのが残念でした

そんな昨夜の私の席に比べると、「注釈つきステージバック席」、それも1階席かなり良い席だったみたいです。
MISIAが気を配っていたこともあって物理的にMISIAに近いし(手と手でタッチできた人もいた)、しかもお土産つきだというし…

んでもって、きょうと明日の私の席は、2階のX列、つまりは最上層(=最後方)の座席です。

きのう、アリーナ席からその辺りを眺めてみましたら、なんとも高い 遠い
薄暗がりつつみ込むように…見えまして、なんだか、ナイトゲームでの甲子園球場の右中間や左中間最深部のような感じ…。
最上層(=最後方)の座席といえば、河口湖ステラシアターでのMisia Candle Nightなら「最良の席東京国際フォーラム ホールAなら「最悪の席だと考えておりますが、「MISIA平成武道館」最上層(=最後方)からどのように見えるのでありましょうか?

あ、一応、久しぶりに双眼鏡を持っていきます。

【追記】セットリストの間違いを修正しました m(_ _)m

つづき:2019/04/28 「MISIA平成武道館」2日目のこと

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トーハク「東寺展」は力が入っていました (中編)

2019-04-23 22:10:20 | 美術館・博物館・アート

「トーハク『東寺展』は力が入っていました (前編)」のつづきも特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」の見聞録です。

今回の「東寺展」目玉は、なんといっても東寺講堂立体曼荼羅21体のうち15体が展示されている「曼荼羅の世界」なのですが、私にとって「目からウロコ」だったのは、後七日御修法(ごしちにちみしほ)の展示でした

毎年1月8日より14日までの7日間、平安~江戸時代には宮中の真言院で、そして明治以降は東寺灌頂院(かんじょういん)で行われているという「後七日御修法」という儀式のことは、今回、初めて知りました。

新年、1月1~7日の7日間、宮中で行われる神事のあとを引き継いで、真言密教の法会として営まれているという後七日御修法(天皇)の御健康国家の安泰・繁栄を祈る儀式だそうで、完全に非公開の「秘法」。
その後七日御修法が営まれる灌頂院内部再現展示されているのですよ

ご本尊として掲げられる曼荼羅図、その前に並べられたお供物、壁に掲げられる仏画(五大尊像、十二天像)、そして、密教ならではの五鈷杵を始めとする法具が配置され(お坊さんはいない…)、一般人にはまったく縁のない聖なる空間はこんなものなのだ、というものを垣間見ることができました(という気がしました)

ところで、密教の曼荼羅図には、金剛界胎蔵界2種類あって、両方を合わせて「両界曼荼羅図」と呼んだりします。

灌頂院では、両端の壁に、それぞれ金剛界胎蔵界曼荼羅図が掲げられ、1年ごとにご本尊が入れ替わるのだそうな。
つまり、去年と今年とで、お坊さんたちがお祈りする方向が入れ替わるんですな。

後七日御修法道場略図

この話を知った私は、エンドごとにストーンを滑らせる方向がになるカーリング連想いたしました。
例えが適切か否か判断がつきませんけど…

立体曼荼羅は、東寺に行けば(現在のように仏様たちが出張中を除く)拝観できますが、後七日御修法の「会場」を実際に拝見することは、出家して、真言宗の高僧にならなければ叶わないわけで、もしかすると、今回の「東寺展」一番の見どころは、この展示かも知れないと思った私でございました。

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トーハク「東寺展」は力が入っていました (前編)

2019-04-21 21:54:56 | 美術館・博物館・アート

きょう、ここ4週で3回目トーハクに出かけてきました。

今回のお目当ては、この時期恒例の「平成31年 新指定 国宝・重要文化財」と、満開になっているだろう八重桜 

って、これはあながち間違いではありませんで、「平成31年 新指定 国宝・重要文化財」では、ひな鳥を背中に載せた水鳥の埴輪(重文:兵庫県池田古墳出土品)ホゲ~としたり、江の島ご本尊ともいうべき「重文:弁才天坐像(江島神社)の余りにも凜々しくお美しいご尊顔にまたまたホゲ~としたり、今年のサクラの季節の掉尾を飾るように満開の庭園のケンロクエンキクザクラとか、

新緑とのコントラストが美しいカンザンとか、

十分に楽しみましたが、きょうのホントのお目当ては、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」でございました。

フライヤーから引用すると、

本展は、空海にまつわる数々の名宝をはじめ、東寺に伝わる文化財の全貌を紹介するものです。
空海が作り上げた曼荼羅の世界を体感できる講堂安置の21体の立体曼荼羅のうち、史上最多となる国宝11体、重文4体、合計15体が出品されるほか、彫刻、絵画、書跡、工芸など密教美術の最高峰が一堂に会します。東寺が1200年にわたり、空海の教えとともの守り伝えてきた至宝をご堪能ください。

という、東寺・講堂の仏さまたちの大部分が東下されるという、一大イベントなのです

ということで、東寺展の見聞録です。

トーハクでの東寺展といえば、2011年夏「空海と密教美術」展が開催されて、私も観てきました。
…なんですが、この時の感想は、こちらの記事のタイトルのまんま、「マンダラのパワーを浴びきれなかった…」でございまして、要するにイマイチでした。

こんな暗い過去を頭の片隅に残した状態で見始めた東寺展でしたが、今回の東寺展アリ でした。

まず、8年前には、あまりの観客の多さ圧倒されて「割愛した国宝「風信帖」を拝見できました

風信帖 

しかも、「風信帖」の一つ手前に展示されていた「御請来目録」は、かの最澄直筆だと知ってわおっ です
空海直筆最澄直筆とが並んで展示されているなんて、これは現実か ですよ

トーハクが意図したのかたまたまなのか判りませんが、本館・国宝室(2室)では、4月9日から最澄の筆になる「羯磨金剛目録」が展示されています。

私は先週、この作品を拝見しまして、については見る眼も関心も薄い私ながら、やはり「三筆」の一人として奉られている空海の書には見劣りするな… などと、はなはだ失礼な感想を持ったのでありますが、「羯磨金剛目録」を拝見すると、結構うまいじゃないか…と、これまた上から目線の感想を抱きました。

でもでも、やはり「風信帖」を拝見すると、「風信帖」を構成する空海⇒最澄手紙3通それぞれに書体が異なっていて、それぞれがカッコイイ
まさしく、変幻自在って感じ。

イイものを拝見した なんですけど、どうして空海を代表するっつうか象徴するような「風信帖」を、展覧会で一番混み合う展示の始めの方(展示No.6)に置いたんでしょ?
観覧者がばらける中盤以降に展示していたら、もうちょい、に拝見できたんじゃないのかな…

でも、「風信帖」の現物を肉眼で拝見できたことだけでも良しとしましょう。

今回の「東寺展」の目玉であるところの「立体曼荼羅」の前に、観られて良かったぁ と心から思った展示の話は、また後日書きます。

つづき:2019/04/22 トーハク「東寺展」は力が入っていました (中編)

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嗚呼、ノートルダム大聖堂

2019-04-16 21:03:28 | 旅行記/ニュース

驚きました。

まさかパリのノートルダム大聖堂火災が起こるとは…。
そして、尖塔が焼け落ち、屋根2/3が焼け落ちるとは…。

着工1163年(日本ではまだ平安時代)で、竣工1225年(北条政子没年)ですから、700年近くパリ中心シテ島に鎮座していたノートルダム大聖堂ですから、パリ市民喪失感たるや想像に絶します…

私、12年半前欧州出張(ほとんど観光)でパリに行ったとき、ノートルダム大聖堂にも行ってきました。

もっぱらTVや雑誌で見かけるノートルダム大聖堂は、左に載せた私の記念写真同様に正面からの眺めが多くて、今回の火災で焼け落ちた尖塔は、「え? 尖塔があったの?」と思う方が多いかと思いますが、裏側から眺めると、しっかりとそびえ立っておりました。

それにしても不思議だったのは、石造りだと思っていたノートルダム大聖堂が、火事で焼けたという事実。

ニュースによれば、ノートルダム大聖堂は、基本的には石造りながら、柱や屋根には木材が使われていて、防火にはかなり気を使っていたのだとか。

でも、やはり、内部を観ても、やはり石造りっぽい…

ね、でしょ?
もう1枚、祭壇方面の写真を見ても、木材が使われている風には見えない…

と、ここで思い出した「私の1枚」

「ようこそ」ならぬ「よこそう」が気になってしようがなかった正面入口に掲げられたバナーの写真。

このバナーは、見紛うことのない、木製の扉に釘付けされていました

パッと見、完全石造り なのですが、木材もしっかりと使われていたのですな。

ところで、この火災天井裏付近から出火して、当時、ノートルダム大聖堂修復工事の真っ最中だったとか。

ここで思い出すのは、やはり修復工事中失火壁画が焼け落ちた 法隆寺金堂火事(1949年)です。
法隆寺金堂にしても、今回のノートルダム大聖堂にしても、モノがモノだけに、細心の注意を払って作業をしていたことでしょうけれど、失われたものの大きさときたら…

関係者にとっては、悔やんでも悔やみきれないだろうな…

再び立ち上がれ、ノートルダム大聖堂 です。

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トーハクでお花見がてら・・・

2019-04-13 19:09:34 | 美術館・博物館・アート

あまりの好天じっとしているのはもったいなさ過ぎるので、2週間ぶり上野に出かけてきました。

当初の目論見では、最寄り駅のホームに掲げられているポスターが電車の窓から目の前に見えていた、

特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」を観るつもりだったのですが、東寺展6月2日までやっている一方、特別展「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」(後期)の方は4月29日までだというので、きょうは「両陛下と文化交流」展(後期)だけを観てきました。

どちらもトーハクでやっているのだから、両方観ちゃえば? となって当然ですが、あいにく、トーハク「メンバーズプレミアムパス」特別展観覧券1枚しか持っていかなかったもので…
また、「両陛下と文化交流」展は、前期展3月17日に観てきたんですが、この展覧会は、前期(3月15日~31日)後期(4月2日~29日)とで展示の大部分が入れ替わるものですから、前期展を観たら、裏を返さねば という事情もありました。

   

さて、「両陛下と文化交流」展は、平成最後の記念、ではなく、「御即位30年記念」の展覧会で、

本展は、宮内庁が所管する皇室ゆかりの作品の中から、天皇陛下御即位の儀式に際して東山魁夷、高山辰雄が平成2年(1990)に制作した「悠紀・主基地方風俗歌屛風」や、天皇皇后両陛下が外国御訪問の際にお持ちになって紹介された作品などを展示するものです。
両陛下がお伝えになった日本文化を通して、海外の様々な人々が、わが国への理解と交流を深めてきました。御即位30年という記念すべき年に、両陛下が担われた文化交流についてご紹介します。

というもの。

この展覧会最大の目玉(フライヤーやバナーのメインビジュアルにも使われている)は、「悠紀・主基地方風俗歌屏風」2点だと思うのですが、この屏風2も、前期と後期に分けて展示されておりました。

ちょっと脇に逸れますが、この「悠紀(ゆき)」「主基(すき)」というのは、天皇即位の儀式の中でも最重要とされる「大嘗祭」にあたって使われるご飯としてだけでなく酒造にも使われる米の産地に選ばれた地方のことで、今上天皇の即位の際には、亀卜(きぼく)で京都以東から選ばれる「悠紀国」が我が故郷の秋田、京都以西から選ばれる「主基国」大分でした。
そして、「悠紀・主基地方風俗歌屏風」というのは、図録によると、

新しい天皇の代始めに制作される、特別な屏風がある。大嘗会屏風(悠紀・地方風俗歌屏風)である。この屏風を作る習わしは平安時代には確立し、途中、中断期を挟みながらも現代まで継承されている。(中略)
さて、大嘗会屏風が披露されるのは、大嘗祭の後の節会(せちえ)である。かつては漢籍に依拠する「本文(ほんもん)の御屏風」悠紀国と主基国の四季や歳時を詠んだ和歌を絵画化した「和歌の御屏風」の二種類があったが、後者だけが今日までその形を残している。これが冒頭で述べた悠紀主基屏風である。

だそうです。 

で、平成「悠紀・主基地方風俗歌屏風」のこと。

私、悠紀国秋田だったことは知っておりましたが、こんな平安時代からつづく「悠紀・主基地方風俗歌屏風」なるものの存在は知りません、ましてや、「悠紀地方風俗歌屏風」東山魁夷画伯が描いていたことなんてまったく知りませんでした

ですから、前期展では、「悠紀地方風俗歌屏風」が釘付け

そして、「左隻は冬の田沢湖と秋の抱返り渓谷で、右隻は夏の男鹿半島と春の角館だな」と思ったら、大当たり でした。さすがは秋田県人であります

一方、後期展で展示されている大分を描いた「主基地方風俗歌屏風」は、地元大分出身の高山辰雄画伯の筆によるもの。
これがまた意表をついて面白かった

なにせ、工場や、道を走るクルマも描かれているんですよ
こんな現代的なモノが描かれている屏風なんて、初めて観ました
髙山画伯「現在の大分を描きたかった」と語られたそうですが、大分出身だからこそできたことだろうなと思います。

ところで、令和の「悠紀・地方風俗歌屏風」はどなたが委嘱されたんでしょ?
私としては、山口晃画伯と奈良美智画伯の組み合わせを観たい気がしつつ、それでは怖い気もしつつ…です

   

きょう、「両陛下と文化交流」展(後期)を観て、泣きそうになったのが、

酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」でした

なんでしょ、この美しさ

季節さえ合えば全然珍しくもなんともない植物や動物が、なんとも(いき)洒脱で、そして上品に描き込まれています。
とりわけ、右下の「七月 玉蜀黍朝顔に青蛙図」に描かれた、トウモロコシの葉にちょこんと座るカエルの、なんとかわいらしいことか

「両陛下と文化交流」展の前期・後期を通じて、一番「お持ち帰りしたい作品は、この「花鳥十二ヶ月図」でした。

   

先日、開催された天皇陛下の即位30年を祝う祭典「感謝の集い」(MISIAも出演)で、北野武さんが祝辞の中で、

また、お土産でいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、今やわが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、ひとつ800円で売っております。

とおっしゃっておりました。
皇室の行事では、お菓子入れの銀製の容器(ボンボニエール)が引出物として参列者に贈られるものだということは知識として知っておりまして、Wikipediaにも、

近代以後の日本の宮中晩餐会では、金平糖を納め、細工を施されたボンボニエールが記念品として配布されるのが慣わしとなった。

とあります。
その「ボンボニエール」なるものが、どんなモノなのか、興味を持ちつつもイメージすら沸かなかったのですが、きょう、その現物を初めて拝見しました
しかも何種類

いやぁ~、あれほど毎回趣向を変えてボンボニエールを制作しているとは思いもよりませんでした
ホンモノハイソサエティ、いや、ハイパーソサエティ庶民の想像の及ぶところではない と痛感いたしました次第です…

というところできょうはおしまい。

2週間前に引き続いて楽しんだトーハクの庭園の植物の話は別立てにします。
が、満開になり、ソメイヨシノから主役の座を引き継いでいたイチヨウザクラの写真だけ載せておくことにします。

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トーハクでお花見 (前編)

2019-04-02 22:47:20 | タウンウオッチング

先週の日曜日、つまり、一昨日、2週間ぶりに花見がてら上野に出かけてきました。

満開のサクラを観ようという人たちで、JR上野駅の公園口もんのすごい人
もちろん、上野公園も、もんのすごい人…、加えて見事サクラ

私はこの人混みに背を向けて、トーハクへ…、、、、
と、その前に、これまた人で溢れる竹の台広場の屋台でラムチョップをいただきました。

私、羊肉好きなんですよねぇ~

このラムチョップ、良い焼き具合で、とても旨かったんですけど、500円っつうのは、ちょいと高いかな? これが400円だったら、満点をあげているところです。
ちなみに、別の屋台で見かけた「米沢牛の串焼き」は、1本1,000円でした。

   

トーハクでは、3月5日から特別展「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」開催中で、先週末からは特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」始まったのですが、一昨日の私のお目当て「花」でした。
「両陛下と文化交流」展は、2週間前前期展を観て(いつか見聞録を書きたいと思っています)後期展はきょう4月2日からでしたし、東寺展6月2日までの長丁場ですから、今は花を観ないと という次第です。

今、サクラ満開 ですが、満開なのはソメイヨシノを始めとする一部の品種で、

私が大好きオオシマザクラはまだ5~7分咲きだし、

イチヨウザクラはまだまだツボミだし、

カンザンに至っては、「枯木状態」で、

うれしいことに、サクラの季節当分続きます
「うれしい」といえば、トーハク本館前の噴水の両脇で観たこちらのサクラの花が、とてつもなく うれしかった…

かつてトーハク前庭「右近のユリノキ、左近のサクラ」と呼ばれた、かどうか知りませんが、トーハク名物の一つだったヨシノシダレ

5年前老齢化を理由に伐採されてしまいました(こちらの記事をご参照方)

トーハクでは、先代のヨシノシダレから若木を採って、後継に備えていたそうで、先代の生えていた場所と、噴水を挟んだ反対側のユリノキの近くにその若木が植えられていました。
そして、去年の春数輪の花が咲いているのを観て感激したものですが、今年は去年よりずっと多くの花をつけていました

それにしても、上に載せた「ユリノキ側」若木の方が、先代が植わっていた場所若木(右の写真)より樹勢が良いのはどうしたことか…

その辺は、ド素人の私には、知るよしもございませんな

それはともかく、春のトーハクに行くと毎度思うのは、サクラはソメイヨシノだけじゃない
ってこと。

それだけじゃなく、花はサクラだけじゃない
とも思うのだけど、その話は後編で書きます。

 

 

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