二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

問われるは、三月11日以後の庶民の生活、放射能の風と、計画停電、帰宅難民

2019年03月11日 17時27分56秒 | ニ言瓦版
三月11日は、津波の後、それが地獄だった。
地震、津波、そして、変な総理大臣のせいで、放射能汚染、そして、計画停電。
帰宅難民。

酷いのは、三月11日の津波で死んだ人と、原発崩壊と、
庶民は、日々、電力の停電は、歩いて、帰宅。
辛いのは、11日以後の庶民の生活だった。





「東日本大震災の発生から8年となる11日、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻に合わせて、出席者全員が黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。

政府主催の「東日本大震災八周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、遺族の代表らが出席しました。そして、地震が発生した午後2時46分に合わせて、出席者全員が黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。
首相「切れ目のない支援で復興を加速」
続いて安倍総理大臣が「震災から8年がたち、被災地の復興は着実に前進している。今後も被災者一人一人が置かれた状況に寄り添いながら、切れ目のない支援を行い、復興を加速していく。原子力災害被災地域においては帰還に向けた生活環境の整備などを着実に進めていく」と式辞を述べました。
秋篠宮さま「心を一つに末永く寄り添っていくことが大切」
また秋篠宮さまが「困難な状況の中にいる人々が誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう」とおことばを述べられました。
岩手県遺族代表「あの日を決して忘れない」
このあと岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の高橋勇樹さん(41)は、「8年前のあの日からずっと、母を待ち続けています。親孝行を何一つできなかった自分。一生このむなしさと悔しさを抱えて私はこれから生きていくのだと8年たった今でも心が忘れさせない。あの日を決して忘れない」と述べました。
宮城県遺族代表「心の中に大きな穴が開いたまま」
宮城県の遺族代表の今野昌明さん(52)は、「津波が一瞬のうちに、足の悪い母を飲み込みました。手がかりは全く見つけることができず、悔しさと無力さ、絶望の悲しみと辛さで、心の中に大きな穴が開いたままです。母さん、どこにいるのですか?世界中からの心温まる支援のおかげで、復興が目に見える形で進んでいますので、安らかに天から見守っていてください」と述べました。
福島県遺族代表「妻の分まで精いっぱい生きていく」
福島県の遺族代表の叶谷守久さん(79)は「うしろを振り返ると、真っ黒な壁のような津波が襲って来るのが見えました。山によじ登り、妻を引き上げようと手をひいているうち、瞬く間にのみ込まれ、その手が離れていったことを覚えています。妻がいなくなって8年がすぎました。最愛の妻の笑顔と、共に過ごした思い出を心に刻み、妻の分まで精いっぱい生きていこうと思っています」と述べました。このあと、追悼式では、参列者による献花が行われました。」




津波で、死ぬも、逃げなかった人が原因。
原発の廃炉か、電源、高台にしなかった。


それより、関東には、放射能の風は、流れていた。
それが、続くのは、一か月は、計画停電。
火力発電のおかげで、復活。


すべては、原発と、当時の総理大臣、官房長官の酷さ。

今日の地震があった。

問われるは、スマホと、Wi-Fiの基地局が、重要だろう。
放射能の風の流れ、の公開が、遅れたもおかしい、内閣だった。

あの人々、今は、野党で、平然と他人事。


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酷い市、県。今に、犠牲者が出る。

2019年03月11日 07時36分39秒 | ニ言瓦版
この市、おかしい。
宮崎県は、何しているのか。
いずれは、東日本大震災の二の前だ。

それは、安い家ができるは、まだ、湾だと、3mならば、まだ、二階の屋根、マンションの屋上も、避難できる。
でも、考えると、高速ビルなぜ、地域に建てない。
三階までは、防波堤の意味にして。

一戸建ては、それは、災害の死亡者が、増大。





「津波で浸水想定地区 半数近くで人口増 住宅新築も相次ぐ 宮崎
2019年3月11日 6時01分
南海トラフ巨大地震による津波で大きな被害が想定されている宮崎市で、一部もしくは全域で津波による浸水が1m以上と想定されている地区を独自に分析したところ、東日本大震災の発生以降、半数近くで人口が増加していることが分かりました。専門家は「行政側が災害のリスクについて情報を周知するとともに、防災対策を徹底させる必要がある」と指摘しています。
南海トラフの巨大地震では全国で深刻な被害のおそれがあり、宮崎県は、最も被害が大きい場合、津波での死者が3万1000人に上ると想定しています。

NHKは東日本大震災の発生のよくとしの平成24年と、ことしの、それぞれ1月時点での宮崎市の人口の変化を、行政上の区画、町や字ごとに独自に分析しました。

その結果、一部もしくは全域で津波による浸水が1m以上と想定されている76の地区のうち、47%余りにあたる36の地区で人口が増加していることが分かりました。

国は、浸水が1mを超える津波に巻き込まれた場合、ほとんどの人が死亡すると想定しています。

想定される浸水の深さごとに人口が増えている地区の数を見ると、
▽5mから10mまでの27のうち13の地区、
▽2mから5mまでの33のうち16の地区、
▽1mから2mまでの12のうち7の地区で、それぞれ人口が増加していました。

特に、広い範囲で2m以上の浸水が想定される宮崎市昭栄町では人口がおよそ12倍に急増しています。
津波1m以上想定地区に新築370戸
宮崎市で1m以上の津波の浸水が想定される地区では、半数近くで人口が増えるとともに、この5年間で少なくとも370戸の住宅が新築されたことがNHKの調査で分かりました。

宮崎市では南海トラフの巨大地震で最大16mの津波に襲われ、およそ1500人が死亡すると想定されています。

こうした想定に基づき、宮崎市は平成25年、津波で浸水する範囲や深さ、それに避難の方向などを示したハザードマップを公表しました。

ただ、宮崎市内では津波で浸水するおそれがある地域で住宅の新築が相次いでいます。

NHKは、ハザードマップの公表後の平成26年度からこれまでの5年近くの間に建物の建築主側が宮崎市に提出したおよそ9800件の「建築計画概要書」を独自に調査しました。

その結果、津波で1m以上の浸水が想定される地区に、戸建ての住宅が少なくとも370戸新築されていることが分かりました。

特に住宅の新築が目立つのが、人口が急増している昭栄町など宮崎港のすぐ西側の地区で、宮崎市が区画整理事業を進めています。

地区のほぼ全域で津波で1m以上の浸水が想定されていますが、少なくとも100戸の戸建て住宅が建てられていました。
市の区画整理事業が新築を後押し
津波の浸水のおそれがある地区で住宅の新築が相次ぐ要因の1つになっているのが宮崎市の区画整理事業です。

東日本大震災の8年前、平成15年に工事が始まりました。

それ以前には田んぼや畑が広がっていた地区に、最終的にはおよそ40万平方メートルの新たな宅地を作り出す計画です。

道路や公園の整備も進んでいます。

近くには大型のショッピングセンターがあり、整備された道路沿いに商業施設が建ち並んでいます。

この地区に新しい住宅が次々に建てられ、比較的収入が低い若い世代をターゲットに2000万円前後で販売されているものもあります。

東日本大震災の発生のあと、平成25年に宮崎市が公表した南海トラフの巨大地震を想定した津波のハザードマップでは、地区のほぼ全域で1m以上の浸水が想定されています。

宮崎市はこの地区の区画整理事業について、津波に対しては避難場所の確保や道路整備などの対応を行うとして事業の内容を変更することなく進めています。

宮崎市の計画によりますと、将来的にはこの地区に、区画整理が始まる前の5倍近くとなるおよそ6500人が住むとされています。
宮崎市「住宅建てるのは住民の判断」
宮崎市はNHKの取材に対し「津波に対しては、住民の命を守る観点から早期避難のための対策を進めている。ただ、津波の浸水が想定される地域に住宅を建てるかどうかは、それぞれの住民の判断だと考えている」としています。

宮崎市では具体的な対策として、津波避難ビルの指定や避難のための施設の整備、地域で行う避難訓練の支援などを、津波の浸水が想定されている地域で広く進めているということです。
住宅新築の住民「子の小学校 変えたくなかった」
仲田由佳さん(34)は区画整理が行われている地区に1年半ほど前に住宅を建てました。

4LDKの2階建てで、30代の夫や3人の子どもと暮らしています。

以前は賃貸住宅に住んでいて、この地区に住宅を建てた理由について「子どもたちの小学校が変わらないようにしたかった。近くに商業施設が充実し、買い物などが便利なところも気に入っていた」と話しています。

一方で、津波への備えについては、家族で話し合い、大きな地震が起きたときには津波避難ビルに指定されている近くのマンションに逃げることにしているということです。

ただ仲田さんは夫婦共働きで、子どもたちだけが家にいる時間もあり、「大きな地震が来たら、本当に逃げられるのか不安です」と話していました。
専門家「行政から住民に情報周知を」
災害の教訓を防災につなげる研究をしている東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は、防災上は原則として災害のリスクが高い場所に住まないほうがよいとしたうえで「地域の災害リスクについて認識していない住民がいる可能性もあり、行政の側から住民に対して情報を周知する必要がある。また、行政による避難経路の整備やリスクがある地域の住民の避難訓練など、ハード、ソフトの両面で地域全体の取り組みがとても重要だ」と指摘しています。

さらに、行政によるまちづくりと防災の政策については「住民の居住区域に関する政策と、災害の危険から住民を守るという政策は、行政の中で別々に考えられてきた面もあり、包括的に考えるよう仕組みを見直すべきだ」と指摘しています。」




問われるは、ひな場所か、一戸建て廃止か、それとも、他県すむことだ。

時代は、命を奪う、県には、すまないことだ。市には、行かない。


日々、スマホで、ニュースみるしか、生き延びる道は、津波、地震は、わいはいのある地域に住む。


Wi-Fi
「Wi-Fi(ワイファイ[1][2][3][4])とは、無線LANに関する登録商標である。Wi-Fi Alliance(アメリカ合衆国に本拠を置く業界団体)によって、国際標準規格であるIEEE 802.11規格を使用したデバイス間の相互接続が認められたことを示す名称。

歴史[編集]
オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)で天文学や宇宙科学を研究していたジョン・オサリヴァンがWiFiの父であるといわれている。オサリヴァンは当時CSIROで、ミニブラックホールの研究をしていた。原子ほどの大きさのミニブラックホールの爆発で生じる電波を検出する実験のために、ノイズなどの影響をなるべく受けないような方法が必要であった。そして彼はそのためのワイヤレスネットワークを作った。実験は結果としては失敗に終わったが、その副産物としてWiFiが生まれたのである[5]。
概要[編集]


Wi-Fiロゴ
無線LANが商品化された当初は、同一メーカーであってもラインナップの異なる製品間では相互接続は保証されていなかった。このため、購入検討にあたり実際に接続可能かどうかユーザーにわかりづらく、無線LANの一般への普及に問題があった。
Wi-Fi Allianceは、ユーザーのニーズを汲んで技術が成熟できるように、この問題を解決するための団体として1999年にWireless Ethernet Compatibility Alliance (WECA) という団体名でスタートし、2000年3月から認定業務を開始した。その後Wi-Fiの認知度が高まってきた2002年10月にWi-Fi Allianceに改名した。
ある製品が同じブランドを表示する他の製品と組み合わせて利用できるということをユーザーが確認できるようにするため、Wi-Fi AllianceはWi-Fi CERTIFIEDブランドを作った。認定された機器には、Wi-Fi Allianceの登録商標であるWi-Fiロゴの使用が許可される。
Wi-Fiの名称は、(たとえばIEEE 802.11などの無味乾燥な規格名称よりも)キャッチーな名前を求めてHi-Fi(ハイファイ、英: High Fidelity)の韻を踏んで命名された。「Wireless Fidelity の略である」という由来解釈は、「意味を持たないのはまずい」との理由から命名ののちに後付けされたものである[6]。
なお、当初は無線LANの個別規格ごとに別々の名称を使用する計画もあり、2001年当時にIEEE 802.11aに対して「WiFi5」という認証ロゴを与えるという発表がされ[7]、結局実際には規格ごとのロゴ付与は行われなかったが、2018年に至ってIEEE 802.11n、IEEE 802.11ac、IEEE 802.11axに対してそれぞれ「Wi-Fi 4」、「Wi-Fi 5」、「Wi-Fi 6」とロゴとナンバリング規格が付与されることが決定された。
「Wi-Fi」と「無線LAN」の差異[編集]
狭義の「無線LAN」[8](IEEE 802.11規格の無線LAN)と「Wi-Fi」との差違は、製品にWi-Fi CERTIFIEDロゴが表示されているかどうかである。Wi-Fi CERTIFIEDロゴを製品に表示するには認証を受ける必要があり、認証されていないものは機能が同じでもWi-Fiと名乗ることはできない。
たとえば、FON端末がWi-Fi認証を受けたのは2008年11月であり、それ以前のFONはWi-Fiとは名乗れなかった。逆にWi-Fi Allienceが定めたWPA version 1仕様はIEEE 802.11のドラフトをもとにした仕様であり、古いWPA version 1はIEEE 802.11を満たしていない(WPA version 2はIEEE 802.11を満たしている)。 」



命は、Wi-Fiあるか、問われる。
情報。


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頭でなく、努力かも。

2019年03月11日 07時31分11秒 | ニ言瓦版
この記事、時期、年齢で、違うのか、公務員の試験も、免許のように、
再試験の制度が必要かもしれない。

大学は、昔は、東大合格も、今は、降格の時代。



「東京大学二次試験に挑戦した堀江貴文が10日、試験結果について「不合格」だったことが発表された。

 『ドラゴン堀江』は高校3年生の夏の時点で“F判定”だったにも関わらず、東京大学文学部に現役合格を果たした堀江貴文が、売れずにくすぶっている若手タレントをわずか半年間で東京大学に合格させるべく奮闘する、型破りな“ガチ受験ドキュメント”。

 堀江は芸人・TAWASHIと共に“足切り”であるセンター試験を突破しており、2月25日から26日にかけて東大二次試験を受験。芸人・オバンドー吉川(鬼サンダー)とグラビアアイドル・わちみなみは惜しくも二次試験には残れなかった。


 堀江と共に東大二次試験を受験した芸人・TAWASHIの結果は不合格。過去、早稲田大学中退し、『ドラゴン堀江』に出演が決定してからは、1日12時間以上の勉強をしてきたTAWASHI。結果を発表され、数秒黙った後、TAWASHIは「……だめでしたね。東大は高い壁でしたね」と胸の内を告白。期待に答えられなかったことについて「すみません。申し訳ない」と謝った。

 続けて、TAWASHIは「結果、残念な結果でしたが、みなさんに協力していただいて、こういう機会をいただいて、本当にありがたかった。受験を通して勉強が楽しいと感じることができた。みなさんに純粋に『ありがとう』って言いたい。周りの先輩方にも応援していただいて。泣くとは思わなかった。びっくりしています」と涙ながらに語った。

 1日12時間を半年間、合計2000時間以上を勉強に捧げてきた芸人・TAWASHIと、多忙なスケジュールの合間を縫って合計57時間の勉強で東大受験に挑んだ堀江。この受験企画は約1年前に、堀江の「俺は(東大合格するのに)1年もいらない、1カ月でいい。1カ月で受かるから!誰だと思ってるんだよ」という一言から始まった。」



問題が違うのだろう。
一か月でも、育成の中で、学べは、受かるが。


問われるは、年齢でなく、日々、公務員は、学力と、能力の試験が必要かもしれない。酷い人材は、
東大でも、学ばない時代かもしれない。


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それより、大切なのはWiFiに基地だろう。

2019年03月11日 04時39分40秒 | ニ言瓦版
この記事は、そうだろうな。




「東日本大震災後に登場したLINE
 2011年3月11日の東日本大震災から8年。当時はまだスマホもほとんど普及しておらず、多くの人がガラケーを利用していた。LINEもなかった。連絡手段はほとんどが携帯電話のメールが主流だった。東日本大震災では電話が不通になってしまい、多くの人がメールやTwitter、FacebookなどのSNSは利用できたので、ネットが電話の代わりに利用されて、安否確認に大いに役立った。特にTwitterやFacebookで自分や周辺の情報を世界中に写真や動画で発信したり、メッセージ機能で個別に連絡を取り合っていた。SNSが震災時の安否確認に役立った世界初の事例として海外からも注目された。

 今でこそ、スマホが普及してLINEがコミュニケーションの中心になっており、LINEのない生活なんて想像できない人も多いだろう。だが、東日本大震災時にはまだLINEがなかった。東日本大震災から3か月後の2011年6月からサービスを開始。

 震災直後ということもあり、相手がメッセージを読んだ、つまり相手の無事を確認できる「既読」機能も搭載した。「既読」機能は現在ではFacebookメッセンジャーなどでも活用されている。

3年前にLINEが利用できなくなった時にはパニックにも
 そして現在では日本では誰もがLINEを家族や友人、知人らとの連絡手段とするほど普及している。日本国内で7800万人が利用しておりまさに「日本人のコミュニケーション手段の中心」になっている。「LINEする」という言葉が日常生活、メディアでも普通に使われるようになり、LINEがなくなっては生活も仕事もできないという人も多い。

 だがLINEは民間企業が提供するスマホのアプリだ。LINEが突然利用できなくなることも想定しておかないといけない。実際に、3年前の2016年3月11日(金曜)17:45から19:58までの約2時間15分間に渡ってLINEで障害が発生して、メッセージの送受信や通話機能などが使えなくなった。当時全世界で1億人以上、日本で6,800万人以上がLINEを利用しており、サービスが利用できなくなった。

 LINEがシステム障害で利用できなくなった3月11日は、東日本大震災からの5年目で14:46には日本中の多くの職場や学校で黙祷が行われていた。その3時間後にLINEが利用できなくなった。もう忘れてしまった人も多いかもしれないが、金曜の夕方から夜にかけてLINEが利用できなくて、連絡ができなくて、待ち合わせやコミュニケーションで困った人も多かった。

 世界規模で見るとFacebookメッセンジャーの急速な普及によって、かつてLINEがよく利用されていた台湾、タイ、インドネシアでも多くの人がFacebookメッセンジャーを利用しており、LINEの利用者は海外では減少している。日本でも多くの人がLINEだけでなくFacebookメッセンジャーも利用する人が増加してきた。それでも日本ではまだLINEが一番多く使われているコミュニケーションツールだ。

LINEだけに依拠しない代替コミュニケーションツールの確保
 2016年3月にLINEが突然利用できなくなって困った人も多かった。LINEの連絡先しか知らなく、電話番号やメールアドレス、SNSなど他の連絡手段を知らないので、LINEが利用できなくなってしまうと、どうやって連絡をしたらいいのかわからずに困った人も多かった。

 家族や本当に親しい友人、限られた仕事の同僚とは電話番号の交換をしているが、それ以外の人は連絡先はLINEしか知らないという人も多い。LINEが利用できなくても、電話番号やメールアドレス、FacebookやTwitterなど他にコミュニケーションできる手段を確保しておいた方がよいと思った人も多かっただろう。だが、その後にLINEが復活して、正常に利用できるようになると、多くの人は再びLINEだけにコミュニケーション手段を依拠している。

 世界中で1.7億人以上が利用しているとはいえ、LINEは民間企業が提供する無料のアプリで、ほとんどの人が無料で利用している。障害による一時停止だけでなく、いつサービスそのものがなくなるかもわからない。LINEはメッセージアプリとして日本では最大だが、世界規模で見たらWhatsAppやFacebookメッセンジャーは10億人以上の利用者がいる。メッセージアプリは競争が激しく新たに登場しては、すぐにサービスを停止してしまうメッセージアプリは日本や海外でも非常に多い。

LINEが使えなくなっても連絡できるように
 3年前にLINEが利用できなくなったとき、平時ですら多くの人がLINEが利用できずに困惑した。震災や事故などが発生した時に、LINEが使えなくなり、友人や家族と連絡ができなくなったら、もっと大きなパニックになるだろう。

 震災時だけでなく、平時でもLINEだけにコミュニケーションを頼らないで、LINEが利用できなくなった時には、他にも連絡が取れる手段を日ごろから確保しておくと良い。いざという時にパニックにならないためにも。友人や知人のメールやメッセンジャー、電話番号などLINE以外の連絡先を知っていますか?LINEが使えなくなっても友人、知人、家族と連絡とれますか。再度確認しておこう。」




でも、問題は、通信会社と、携帯の機種の会社と、WiFi。
国は、携帯「カラ系」、廃止して、スマホにすること。
WiFiをすべて、公共の施設で使えることが、先に見える。
WiFiの基地があれば、一番、生き残る道かもしれない。
老人には、スマホ。
小学生には、スマホ、もたせて、安否の確認の日々が必要だろう。




通信会社は、怠慢が原因。
なんで、規制ばかりして、通信は、自由になること、しなかった。
LINEと、同じ、危機管理の通信の標準化しなかった。


停電でも、WiFiの基地は、発電できる基地ならば、情報は、知る。

通信会社の怠慢と、私利私欲の利かないから、世界で、使えない、
機械が平然と日本で売られている。

使えて、標準の機種と、WiFiは、普通に国になる。
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交代か、新しい、新人が出てくる

2019年03月11日 04時21分33秒 | ニ言瓦版
知らなかったが。そろそろ、交代だろうな。
新しい、新人が、毎年、NHKには、入ってくる。
人事異動が、どうか。
交代の時期だろう。



「NHK朝のニュース番組「おはよう日本」のキャスターを務めている和久田麻由子アナウンサー(30)が結婚していたことが5日、分かった。

同局関係者によると、相手は一般男性。今年に入ってから婚姻届を提出したという。広報局は「職員のプライベートに関しては、お答えしていません」とコメントした。

 和久田アナは東大経済学部出身で2011年に入局。岡山放送局勤務を経て14年4月に東京アナウンス室へ異動するとともに「おはよう日本」の土日祝日のキャスターに抜てきされた。1年後の15年3月から現在の平日キャスターを務めており、“朝の顔”として全国にニュースを届けている。

 中学・高校では演劇部に所属し英語でのミュージカルに励んだ。一方、東大ではラクロス部のマネジャー兼トレーナーを務めた。明るく爽やかな笑顔で人気を集めている。」




勿体無いことだ。
結婚もいいが、朝も、今後、誰になるか。
面白い。
海外勤務でも、する時代が来ることだろうな。


また、
午前の五時のいろいろ担当している女子アナがするのか。
今後、新しい、新人が、朝に適用して、
結婚した人は、消えていく、離婚した人は、消えて、専門職か、記者になるのがいい。

時代は、淘汰の時代。
才能ある人は、専門の職が大学の教授になるくらい、
専門の分野に行くことだろう。

昔から、朝の番組は、多くの人が、見ている。
そして、その後、どんな番組と、分野に行くか。

深夜便を聞いていると、昔、活躍した人が放送している、
いろいろ、地方の経験と、専門部が、面白い、生放送。

夜のニュース番組も、交代の時代が必要。
人気の女子アナは、朝の「おはよう日本」から、始まるものだ。

民放の考えるべきだ。
育成するのは、朝の番組で、生のニュースは、読める、解説する能力、育成する。
それが、いずれは、機械でニュースで、すむ、時代になると、女子アナは、必要ない。

専門の女子の記者、専門家が必要だろうな。

本当は、NHKは、深夜放送こそ、新人の育成のために、担当させるのが必要かもしれない。
コンビニの24時間と同じに、世界のニュースは、解説、ニュース読める。
深夜から、生で、できる人材が、必要だろうな。

早朝は、激務なのは、ニュースの解説と、説明と、原稿の正しく、読める人材かもしれない。
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