二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

二千万か。かかるな。庶民は、かからない。知らないと。大変だ。

2021年09月30日 09時10分18秒 | ニ言瓦版
警備は、金かかる。
県は、大変だ。




「眞子内親王との婚約が内定している小室圭氏が、9月27日にニューヨークから帰国する見通しだと報じられた。小室氏は帰国後、2週間の隔離期間を経た後に眞子内親王と共に記者会見を行なうという。宮内庁担当記者が語る。
「小室さんの帰国は、眞子さまがご希望されたようです。日本に戻るとなれば、記者会見を開かなければならなくなるのは分かっていましたが、これまでは、宮内庁側が説得しても小室さんは会見を開くことになかなか同意しなかった。
 結局は小室さんと眞子さまの2人で記者会見を開く方向に決まり、事前に用意された質問に答える形で行なわれる予定です」
 実に約3年ぶりの帰国・記者会見にあたっては、膨大な費用がかかることが予想される。
「小室さんがNYに留学する前は、自宅マンション前にポリスボックスが建てられ、警察官が常に待機していましたが、現在の小室さんへの批判は大変過熱しており、留学前以上に厳重な警備が必要となります。
 上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんが結婚し、仮住まいしていた時の警備が20人近くだったことを考えると、小室さんには30人以上動員される可能性がある。警備費は1か月で2000万円ほどになるかもしれません」(皇室ジャーナリスト)
 そのほか隔離期間中のホテル代や混乱を避けるための送迎費などがかかるとすれば、さらに費用がかさむことになるが、これらはすべて宮内庁が負担する可能性がある。
 それでもなお小室氏の帰国を望み2人で会見を開くことを決心した眞子内親王を皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう評価する。
「そもそも婚約延期となったのは、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発端であり、本来であれば小室さんが1人で会見すればよいだけの話です。
 それでもお2人での会見に踏み切った。眞子さまの覚悟と小室さんへの深い愛情の現われだといえるでしょう」
 会見を無事に終えて、国民の祝福と共に海を渡ることができるだろうか。」



警備は、金のかかる。
そろそろ、自民党の大臣の交代するから経費、浮くかもしれない。
その分、使われるか。

派閥の闘いは、大臣を職、失う。
時代は、そして、警備は、金かかる。

そう、近所の人も、楽か、大変か。

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ふ2

2021年09月30日 02時45分34秒 | ニ言瓦版
目安箱は、調べた。面白い。



「一般的に目安箱といえば江戸時代の1721年(享保6年)に徳川吉宗が設置したものを指すことが多い[1]。「目安」とは訴状のことである[1]。目安箱の制度自体は過去にも見られる。例えば相模国の北条氏康も目安箱を設置しており、氏康が僧の融山に宛てた書状には諸人の訴えを聞くための「目安箱」の設置の記述がみられる[2]。
徳川吉宗は享保6年7月、和田倉御門近くの評定所前に毎月2日、11日、21日の月3回、目安箱を設置することを日本橋に高札を立て公示した[3]。目安箱には政治・経済から日常の問題まで、町人や百姓などの要望や不満を人々に直訴させた。幕臣の投書は当初許可されていたが間もなく禁止され、投書は住所・氏名記入式で、それの無い訴状は破棄された。箱は鍵が掛けられた状態で回収された投書は将軍自ら検分した。
評定所の式日(しきじつ)の翌日、本丸に差し出された。すなわち、老中の用部屋まで目付が付添い、老中が受け取って御側御用取次に渡す。取次は用部屋坊主に箱を持たせ談部屋に持込み、ここから時計間坊主肝煎が取次ぐ。さらに途中から張常坊主が付添い、小納戸頭取の部屋に持込むと、この先は御側用取次自身で持ち、休息間の下段中央に箱を置き両手をつき、小姓はいずれも起って次に下った後、将軍は守袋から目安箱の鍵を取出して手ずから箱を開くという流れであった。まず将軍が目を通し、疑問があれば御側御用取次より御庭番に命じて独自の情報を得た。必要に応じて老中にも下されていたが、直接将軍まで提出される性質の情報源であることから、老中他の幕閣を批判した内容のものもあったという[4]。
採用された例としては、享保6年12月に漢方医で町医者の小川笙船が江戸の貧民の窮状を訴えて施療院を建てさせる進言をして実現している(小石川養生所)[3]。このほか町火消が整備され、幕府が行っていた新田開発では、開発可能地の意見も参考にされた。吉宗が紀州藩主時代に和歌山城一の橋御門前に設置した訴訟箱が目安箱に繋がったと言われる。
なお、目安箱なる呼称は、明治政府の使用していた呼称で、徳川幕府においては、単に、「箱(はこ)」であり、目安箱なる呼称は一切使用されていないことに、留意する必要がある。「徳川実紀」の『御触書寛保集成』の中で、「名もなき捨て文を防止するために、評定所に「箱」を設置した。」と目安箱の名で載っていないことを示す内容が、この文献の中に記載されている。
2008年、徳川記念財団の調査により徳川宗家文書から訴状留(側近が訴状内容をまとめたもの)が発見され貴重な資料として注目される。」


今も適用する行為かもしれない。
庶民の意見、苦悩、知ると、対策ができる。
赤ひげ、
病院は赤ひげの物語が、本当。


【江戸時代】徳川吉宗の享保の改革を8分半で解説【小学生でも分かる歴史】



面白い。経済を知らない、武士は、よく、対策した。

今の内閣と、似ている。
財政は、使わないこと。
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考えると、何処でも、仕事、意見。昔の目安箱はいいな。今により、いい。

2021年09月30日 02時34分17秒 | ニ言瓦版
この記事、面白い。
これから、転勤はない。いる場所が、職場。そして、仕事は、日々、通勤も関係ない。

スマホ・パソコンで、世界で仕事。




「NTTグループは従業員の働き方を大幅に見直し、原則、従来のオフィス出勤ではなく、在宅やサテライトオフィスでのリモートワークに切り替えるとともに、転勤や単身赴任も廃止する方向で検討する方針を打ち出しました。巨大グループの新たな対応はほかの企業にも影響を与えそうです。
NTTは28日、澤田純社長が会見し、新型コロナ後を見据えて、働き方や組織を大幅に見直す方針を打ち出しました。

このうち働き方については、原則、従来のオフィス勤務ではなく、在宅やサテライトオフィスでのリモートワークに切り替え、社員が働く場所を選べるようにします。

来年度以降、サテライトオフィスを今のおよそ4倍の260か所以上に増やすほか、転勤や単身赴任については廃止する方向で検討します。

さらに、首都圏に集中していた本社や管理部門などを地方の中核都市に分散し、これまでの一極集中型からネットワーク型の組織に切り替えるとしています。
澤田社長は「社員一人一人の生活を考えると転勤はなくしていきたい。率先して変えることで世の中をリードしていきたい」と述べました。

新型コロナをきっかけに働き方を見直す動きが広がっていますが、国内で18万人の従業員を抱える巨大グループの新たな対応は、ほかの企業にも影響を与えそうです。」





考えると、これから、大学も、職も、その場。
そして、どうしても、必要なのは、機械のメンテナンス、監視カメラか。

後は、不正するものは、処分。

本当は、公務員、議員も、監視と、仕事、考える。
接待、賄賂ばかり、資料も、ろくにできないのは、首。



総理の会見も、官邸り総理の机でせい。
そして、質問は、インターネットで、して、答える。

記者の質問より、目安箱の質問がまだ、いい。江戸時代は、いい。
病院さくれば、作る。
町火消作るも、目安箱かな。

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白紙がいい。

2021年09月30日 02時04分57秒 | ニ言瓦版
こんなの、どうでもいい。
白紙しろ。
党も、力ないのは、何一つ、意味がない。




「国民民主党は、10月4日召集の臨時国会での首相指名選挙で、玉木雄一郎代表に投票する方向で調整に入った。立憲民主党は、昨年の首相指名選挙に続き
枝野幸男代表に主要野党の投票を一本化して共闘を演出したい考えだが、応じない方針だ。玉木氏が30日に枝野氏と会い、伝える見通し。関係者が29日、明らかにした。
玉木氏は記者団の取材に対し、昨年は衆院で立民などと統一会派を組んでいた状況を踏まえて枝野氏に投票したと説明。現在は会派が分かれているとした上で「衆院選を控え、党としてアピールしなければいけない事情もある」と述べた。
菅義偉首相が選出された昨年9月の首相指名選挙では、共産、国民、社民、れいわ新選組の各党が枝野氏に投票した。」



野党は、問われる。
白紙がいい。

もともと、議席が、少ない。
与党の党首選挙で、総理が決まるも、国会で、白紙がいい。

それが、すぐに不信任だして、解散。

選挙は、自民党の選挙ではない。
衆議院の選挙。
あんなに、不祥事のある公務員、官僚、そして、議員。
よく、解散と、不信任出さないのか。不思議。

選挙の買収、そして、感染の拡大の戦犯は、犯罪だろう。
感染で、死亡出した、内閣。


桜の見る会の不祥事。総理の息子の接待、あの司会者の女性官僚は、また、天下りかな。
不信任は、出さないか、野党の辞職がすれば、解散だろう。

すぐに、解散と、なんで、党員、増やせないのか。議員、増やせないのか、不思議である。

労働組合とか、いろいろ、あるだろう。支援と、人材。
不思議でならない。


「亡くなった人は、国内で感染が確認された人が1万7612人」
死んでいる。犯罪だと思う、この内閣、新しい内閣は、ふやするのか、感染拡大ではなく。死亡拡大。

癌、性病、赤痢、結核ならば、解る。
交通事故の死亡も、解る。

感染は、知らないで、治療しても、死んでいく。
犯罪だろうな。内閣の。
去年のgo to、今頃から、始まる、感染増殖。
菅内閣は、犯罪だと思う。ワクチン大臣も、問われる。


デジタル庁は、また、犯罪だろう。
総務省と、同じ。


新しい内閣は、問われる。
また、繰り返す、ことかもしれない。
すぐに、解散か、不信任。出すことだ。

普通、接待、賄賂、接待のみあげ、貰ったら、首だろう。
会社にしれたら。
総務が、接待。する。されるは、前代未聞の話だろう。



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面白い。最後は、どんな展開か。

2021年09月30日 01時03分35秒 | ニ言瓦版
この派閥、ろくな総理がない。
面白い、失態の多い時代か。



「自民党総裁選挙は、決選投票の結果、岸田前政務調査会長が河野規制改革担当大臣をおさえて新しい総裁に選出されました。
岸田文雄氏は、衆議院広島1区選出の当選9回で、64歳。(昭和32年7月29日生)。

総裁選挙は、去年の前回に続き、2回目の挑戦です。

同じ広島が地元の池田勇人元総理大臣によって創設されて以来、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一と、4人の総理大臣を輩出した派閥、「宏池会」を率いています。

祖父と父も衆議院議員の政治家一家に育ち、大学卒業後は、旧長銀=日本長期信用銀行に入りました。

その後、父親の秘書を経て、平成5年の衆議院選挙で初当選しました。

平成19年には、第1次安倍改造内閣で沖縄・北方担当大臣として初入閣しました。

自民党が野党転落後には党の国会対策委員長を務めました。

第2次安倍政権発足後は、4年半余りにわたって外務大臣を務めました。連続の在任期間では戦後最長で、この間、当時のアメリカのオバマ大統領の被爆地・広島への訪問実現や、慰安婦問題をめぐる日韓合意などに尽力しました。

平成29年には、党の政務調査会長に就任。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、事業者の賃料負担を軽減する新たな給付金の創設などに取り組みました。

かねてから総理大臣を目指し、良好な関係を保ってきた安倍前総理大臣からの後継指名に活路を見いだす戦略をとってきましたが、安倍氏辞任に伴う去年の総裁選挙では菅総理大臣に敗れ、要職から外れました。

8月下旬に立候補を表明した際には、心に残った国民の声を書き留めてきたというノートを紹介し、みずからの「聞く力」をアピールしました。

座右の銘は「春風接人」(しゅんぷうせつじん)。「春風のような優しさで人と接する」という意味のとおり柔らかい語り口や誠実な人柄は誰もが認める一方、「真面目すぎる」との声も聞かれます。

一方で、政界随一の酒豪としても知られています。外務大臣時代にはロシアのラブロフ外相とウォッカを酌み交わし、互角に渡り合ったというエピソードもあります。

プロ野球は、地元広島カープのファンで好きな食べ物はお好み焼きだということです。
岸田氏の経済財政政策は
岸田氏は、アベノミクスを評価しつつ、みずからの経済政策について、新自由主義的な政策からの転換を掲げました。

規制緩和や構造改革などを進める新自由主義的な政策は、経済成長をもたらしたものの、経済的な格差を生んだとして、成長と分配の好循環による「新しい日本型資本主義を創る」と訴えてきました。

具体的には、
▽科学技術の分野で競争力を高めるため、10兆円規模の基金の設立や、
▽経済安全保障の担当大臣を設けて、半導体などへの投資の強化、
▽それに、高速・大容量の「5G」の通信網を各地に早期に整備するなど地方のデジタル化を促進するなどとしています。

また、「令和版所得倍増」を掲げて分厚い中間層の復活を目指すとして、
▽企業に賃上げを促すための税制措置や、
▽子育て世代の負担軽減のため住居費や教育費への支援の強化、
▽さらに、医療や介護、保育といった現場で働く人たちの報酬の引き上げに向けた委員会の設置などに取り組むとしています。

19日、NHKの日曜討論に出演した際に岸田氏は、「利益や効率だけではない新しい日本型の資本主義を進めたい。成長の果実をしっかり分配し、広く所得を引き上げていくことを考えていかなければならない」と述べました。

また、新型コロナウイルスの経済対策としては、打撃を受けた企業や個人を支援するため、業種や地域を限定せずに事業規模に応じて家賃などを支援することを含め、数十兆円規模の対策を早急に取りまとめる必要があるなどとしています。

このため、当面は、積極的な財政出動で景気を下支えしていく考えを示しています。

一方で、悪化が続く日本の財政状況について、23日に行われた政策討論会では、「財政は国の評価の礎なので、日本の信頼が失われると海外から厳しく批判され、財政が混乱してしまう。財政安定化に向けてどういう考えを持っているのかを示すことが大切だ」と述べ、政府として財政再建の取り組みを明確にすることの必要性に言及しています。」



「大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一」

酷い総理だ。


池田勇人ぐらい。それでも、死に方は、

「1964年9月9日、国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院した。すでに癌は相当進行していたといわれる。病名は本人に告知されることなく、「前がん症状」と発表された。政治家、とりわけ首相や実力者が病に倒れた場合には政局変動の要因になるため、その病状がひた隠しされることが通例と言われる。池田の場合も池田派の側近議員らが癌であることをひた隠し通した上で、任期を残して退陣する演出を行った[260]。東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明、自民党内での後継総裁選びの調整を見守った上で11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名した(池田裁定)[261][注釈 4]。後継総裁選びを、退陣予定の総裁の指名に委ねた戦前・戦後を通じて最初のケースであった[注釈 5]。
その後、療養に努めたが、翌1965年8月13日に死去した。享年65。」


面白い、人の運は、池田氏、みると、五輪の時か。


所得倍増は、インフレだった。





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