というわけで、ぬたりがこの世で最も尊敬するプロレスラー、上田馬之助(とトシ倉森さんの共著)の本、「金狼の遺言」を購入。共著と言っても要は口述筆記で、馬之助は96年以降、胸下不随の身であり、自ら筆を執ることは叶わず、長年番記者をしていたトシ倉森さんが請われて(そしてやりたいと思って)筆を執った形だ。倉森さん自身の文章はほとんどない。
この本が刊行されたのは今年の8月。昨年12月に馬之助は天国に旅立ったから、名実ともに「遺言」になった訳だが、この文章はそもそも2006年から同じタイトルで新聞連載されていたものだ。掲載媒体は東京スポーツ。
マスコミ嫌いなぬたりが「それでもゴシップには存在意義がある」というのは、こういうのを連載してくれる恩義を感じているからだ。
プロレスラーの上田馬之助が文章を書きたいと言っている。こんなのは全国紙やお堅い出版社は見向きもしない企画である。だが、東スポは連載を許してくれていた。彼らでなければ、この文章は扱ってくれない現状がある。だからぬたりはゴシップ誌がなくなれなんて思わない。ゴシップ誌でなければ書けない(書いてもらえない)こともあるのだ。
そしてこの本。まさにこれは上田馬之助の人生が生み出した物凄い本である。
昭和プロレスファンにとっては、凶悪ヒールの馬之助が、実はとても優しく、人情の厚い人間であるという事は承知の事実である。福祉活動に熱心で、そのことをプロレス記者に記事にしたいと言われて「悪役のキャラが壊れるから絶対書かないでくれ」と頼んだり、サインを求めてきた子供たちを(危なくないように)蹴散らした後は、必ずスタッフにサインを「おじゃちゃんが何とかもらってきてあげたよ」と言いながら持っていかせた、なんてエピソードはつとに有名。自分が凶悪ヒールとして、そしてプロレスラーとして何をすべきかを真摯に考えてそれに人生をささげた男の言葉がここにある。
しかし神様は、そんな男に交通事故(しかももらい事故)による胸下不随という試練を与えてしまった。同じ車に乗っていた21歳のスタッフが死亡するという十字架まで背負わせた。
本の後半でこの事が語られるのだが、ぬたりは涙なくしては読めない。胸下不随のみならず、感覚の残る部分はわずかな空気の震えでも激痛が走る(音でも痛いらしい)。しかもこの痛みは治らない。そんな闘病生活を強いられたわけである。どうしてこんなに素晴らしい奴がそんな目に遭わなきゃいけないんだ!? と運命を呪いたくもなる。
不幸中の幸いとして、事故に遭った時には恵美子夫人と交際していたことである。恵美子夫人は本当に素晴らしい人で、必死に馬之助を支え続けていた。その様子はテレビのドキュメンタリー番組が取り上げたほどである。これだけは運命って奴に感謝してやってもいい。
更にはいわゆる「猪木クーデター未遂事件」についても馬之助が知る限りのことが書いてある。興味があるならぜひ買って読んでほしいので、内容については一切語る気はないが、なぜ馬之助が裏切り者呼ばわりされることとなったのか、あまりにも赤裸々に書いてある。昭和のプロレスを一度でも見たことのある人には、この部分だけでも必読の書だろう。
繰り返しになるが、プロレスというジャンルはもはや大手の出版社では扱わないものとなっている。それはそもそも今はニーズが少ない、という事を表している。
この本は本当に一人の人間の「生き様」が書かれていて、手に取ってもらえさえすれば多くの人の心を打つ本ではある。が、いかんせん興味を持つ人は少なかろう。今や上田馬之助という人を知っている人も少なくなりつつある。
それには忸怩たる思いがないではないが、それはこの際仕方がない事。それだけにぬたりだけは上田馬之助の「生き様」を心に深く刻みたいと思う。彼の闘い続けた壮絶な人生を。
ぬたりがあの世へ行ったら、あの世でも竹刀持ってリングで暴れているであろう馬之助の姿をいつか見に行きたいものだ。そして盛大にブーイングを送ってやるのだ。
「お前の生き様に俺は涙を流すくらいに感動したぜ」なんて心の内を見透かされないくらい、盛大にね。
1人でも多くの人に、この文章を読んで頂きたく思い私のfacebookにアップさせて頂きました。事後承諾ですが、ご理解のほど宜しくお願い致します。
トシ倉森
当ブログはどう扱ってもらおうと自由というスタンスですので、事後承諾は全く気にしません。
雑筆乱文につき、恥ずかしい部分もありますが、大変光栄です。
この場をお借りして、このすばらしい本をこの世に残してくれたことを感謝いたします。ありがとうございます。