山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

教育勅語を教材として用いることを否定しない政府答弁書、危険な道をひらくもの

2017年04月05日 13時39分29秒 | Weblog
安倍内閣は、民主党逢坂誠二議員の質問主意書に対する答弁書を3月31日閣議決定した。教育勅語を教材で使うことを否定しない内容を含むものだ。これを補足する形で菅官房長官は、「教育勅語をわが国の教育の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」としながら親孝行や夫婦仲良くなどの徳目は評価した。だが、勅語を唯一の指導理念としない範囲でなら、つまり副次的な理念として指導するのならば許されるという余地を残している。明らかに1948年の衆参両院での失効・無効決議に反することを菅官房長官はいっている
菅氏は、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」とも解説した。これを共産党宮本徹議員がとりあげ、「教育勅語の中で憲法に反しない部分は1か所でもあるのか」と質問したのに対し、松野博一文科相は、「(教育勅語の)どの部分が憲法に反する、反しないに関しての判断を文部科学省でするものではない」と逃げた。これもあきらかに1948年の国会決議をじゅうりんするものだ。1948年決議は、教育勅語を全面否定しており、良い部分もあるなどという立場はいっさいとっていない。
 そもそも、衆参両院での決議を、一内閣の閣議決定で崩しにかかるというのは許されることではない。

 安倍首相、稲田防衛相はじめこの内閣は、教育勅語礼讃をくりかえす日本会議に属する面々でほぼ占められている。稲田氏は、「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだ」と参院予算委員会で述べた(3月8日)。閣僚としての一線を越えた違法な答弁だ。
 右翼議員や右翼の人々は、教育勅語には親孝行や兄弟・夫婦は仲良くなどいいことがかかれているから全面否定すべきではないという。しかし友達仲良くは教育勅語を持ち出さなければ教えられないことではない。教育勅語は12の徳目を並べた後に「いったん緩急あれば、義勇公に奉じ、もって天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」とつづく。ここが12の徳目の土台の上に掲げられた臣民としての最高の義務だ。
 この部分の訳を右翼は「国家の非常事態発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と地震発生の時にはみんなでがんばろうみたいな意味だといっている。とんでもない。旧文部省図書局の通釈では「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい、一身を捧げて、皇室国家のためにつくせ」となっており、1941年の『初等科修身 四』では「もし国に事変が起こったら、勇気をふるいおこして、命をささげ、君国のためにつくさなければなりません。このように天地と共に窮(きわ)まりない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等臣民の務めであります」としている。
 もっと率直に訳せば、いったん戦争になったら、命を投げ出して、天地とともに永遠に極まるところのない天皇の威勢をお助けしなければなりませんとなる。
 道徳が教科になり、評価がつけられるようになる下で、教育勅語の教材としての使用を否定しないという閣議決定のねらうところは恐ろしい。親孝行や兄弟仲良くを教育勅語を持ち出して教えてもいいという流れを作り出す可能性がある。1948年の排除・失効決議の立場から、もっと国会で追及していなかければならない。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自民党 あまりにせこい。10... | トップ | 自主避難者が帰れないのは本... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
勅語から憲法違反 (shigeo)
2017-04-05 23:29:05
 勅語とは神である天皇の言葉。神である天皇イコール朕が汝臣民に命令した言葉である。
 日本国憲法は天皇は象徴であり国政に関与しないと明記。勅語自体が日本国憲法違反、象徴天皇からの逸脱で違憲である。
 父母に孝に、夫婦相和し、は明治憲法下の民法では、親子は対等ではない、夫婦も対等ではない。そもそも女性は選挙権がなく、一人前の人間扱いされていなかった。
 そういう対等の人間関係でない状況下で、父母に孝行にということは子どもはどんなにひどい親であっても一心に盡せというわけだから、父親からのレイプも我慢せよ、嫁ぎ先の父親のレイプにも耐え忍べ、ということだ。プロレタリア川柳作家の鶴彬の名句「修身にない親孝行で淫売婦」は教育勅語の「父母に孝に」の本質をよく表現し得ている。戦前は女の子たちは親孝行するために身を売った歴史をちゃんと教えよう。
 「夫婦相和し」も同じ。夫と妻は対等ではないのだから、対等ではない関係の場合の「相和し」は妻が無理を言う夫に無理やりに合わすということ。夫の浮気は容認されたが、女性には姦通罪があった。不倫の扱いに差別があったのだ。
 家族はその時代の権力関係の象徴でもある。家族という病という本があるが、社会で抑圧されている家長(父も母も)が子どもを抑圧する構図は社会の縮図であることに気が付かないといけない。
 教育勅語の徳目なるものは一方の側の抑圧を公然と是認するものと見抜かないといけない。そういう意味で教材化する必要があるのだ。
 民主陣営の側の反論にもっと深度を求めたいのであえて長文を記した次第。教育勅語を全面否定しない恐ろしい国日本。一番嘆いているのは日本国憲法を順守し、象徴天皇を厳格に守っている今の天皇だろう。
 日本は法治国家だ!最高法規の日本国憲法を守れ!

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事