4月25日、JR京都駅から近い東本願寺でおこなわれていた「第11回 非戦・平和展」(4・26まで)を見学しました。
「開催にあたって」ということばが、簡潔に理念を教えてくれていますので、以下に紹介します。
今年は、「韓国併合」、そして「大逆事件」から100年を迎えます。
100年前、日露戦争の戦勝に沸き立つ底に、貧しさに苦しむ者、苦界を強いられた女性たちの現実がありました。その世にあって、戦争に反対し、差別を問うた人々がいました。彼らは「社会主義者」とされ、国家の計った思想弾圧事件である「大逆事件」に連座することとなりました。その一人が大谷派僧侶・高木顕明師です。事実より思想がとわれ、罪が課せられた時代でありました。
その時代から100年を経た今日、まさしく末法の世を感ぜしめる様相を呈しています。世界では、民族や宗教の違いを利用した政治的な対立による戦争は止むことがありません。
このようなただ中にあって、浄土真宗を顕(あきら)かにされた宗祖親鸞聖人にあらためて出遭う大切さを思います。
私たちの宗門は、明治期以降、宗祖親鸞聖人の仰(おお)せにてなきことを仰せとして語り、戦争に協力してまいりました。侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに、多くの青年たちを戦場へと送り出したのです。そして、遺族のみならず、アジア諸国、とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。
さらに、安穏なる世を願い、四海同胞(しかいどうほう)への慈しみを説いたために、非国民とされた僧侶を見捨ててきたという歴史をもちます。
1995年、このことに対する懺悔の思念を旨として、「人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまない」(「不戦決議」)という誓いを表明いたしました。
本年の全戦没者追弔法要会は、「往生をねがうしるし 世をいとうしるし―歴史の闇に人を訪ねて―」をテーマにお勤めいたします。
「世をいとう」とは、現実社会の否定ではなく、そこからの逃避でもありません。どこまでも現実社会に生きる自らを問い見つめ、他と共に生きる世界を求めるということでしょう。
これまでの100年はどういう時代だったのでしょうか。そして私たちは、これからどういう100年を迎えようとするのでしょうか。
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を明年にひかえ、このたびの法要においては、これまでの宗門の歴史を真摯に尋ね、非戦の誓いをあらためて確認するとともに、自身の「世をいとう」姿勢を問い直していく大切な機会を共にいただきたいと思います。
2010年3月
真宗大谷派宗務総長 安原 晃
展示では、高木顕明師、竹中彰元師、河野法雲師、植木徹誠師らの反戦非戦の事績が紹介されていました。
私が、東本願寺がえらいと思うのは、「親鸞聖人の仰せになきことを仰せとして」戦勝祈願をし、戦争動員に協力してきたことを反省し、その罪責を告白したことです。しかもそれを一時の言葉とせず、「不戦決議」にもとづいて実践をしていることです。有事法制にも、イラク戦争に対しても明確な声明をだしました。東本願寺の実践に目をむけてほしいと思います。
「開催にあたって」ということばが、簡潔に理念を教えてくれていますので、以下に紹介します。
今年は、「韓国併合」、そして「大逆事件」から100年を迎えます。
100年前、日露戦争の戦勝に沸き立つ底に、貧しさに苦しむ者、苦界を強いられた女性たちの現実がありました。その世にあって、戦争に反対し、差別を問うた人々がいました。彼らは「社会主義者」とされ、国家の計った思想弾圧事件である「大逆事件」に連座することとなりました。その一人が大谷派僧侶・高木顕明師です。事実より思想がとわれ、罪が課せられた時代でありました。
その時代から100年を経た今日、まさしく末法の世を感ぜしめる様相を呈しています。世界では、民族や宗教の違いを利用した政治的な対立による戦争は止むことがありません。
このようなただ中にあって、浄土真宗を顕(あきら)かにされた宗祖親鸞聖人にあらためて出遭う大切さを思います。
私たちの宗門は、明治期以降、宗祖親鸞聖人の仰(おお)せにてなきことを仰せとして語り、戦争に協力してまいりました。侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに、多くの青年たちを戦場へと送り出したのです。そして、遺族のみならず、アジア諸国、とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。
さらに、安穏なる世を願い、四海同胞(しかいどうほう)への慈しみを説いたために、非国民とされた僧侶を見捨ててきたという歴史をもちます。
1995年、このことに対する懺悔の思念を旨として、「人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまない」(「不戦決議」)という誓いを表明いたしました。
本年の全戦没者追弔法要会は、「往生をねがうしるし 世をいとうしるし―歴史の闇に人を訪ねて―」をテーマにお勤めいたします。
「世をいとう」とは、現実社会の否定ではなく、そこからの逃避でもありません。どこまでも現実社会に生きる自らを問い見つめ、他と共に生きる世界を求めるということでしょう。
これまでの100年はどういう時代だったのでしょうか。そして私たちは、これからどういう100年を迎えようとするのでしょうか。
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を明年にひかえ、このたびの法要においては、これまでの宗門の歴史を真摯に尋ね、非戦の誓いをあらためて確認するとともに、自身の「世をいとう」姿勢を問い直していく大切な機会を共にいただきたいと思います。
2010年3月
真宗大谷派宗務総長 安原 晃
展示では、高木顕明師、竹中彰元師、河野法雲師、植木徹誠師らの反戦非戦の事績が紹介されていました。
私が、東本願寺がえらいと思うのは、「親鸞聖人の仰せになきことを仰せとして」戦勝祈願をし、戦争動員に協力してきたことを反省し、その罪責を告白したことです。しかもそれを一時の言葉とせず、「不戦決議」にもとづいて実践をしていることです。有事法制にも、イラク戦争に対しても明確な声明をだしました。東本願寺の実践に目をむけてほしいと思います。