山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

韓国検察だったら昭恵夫人は引っ張られる?

2019年10月29日 13時06分07秒 | Weblog

 「新婦人みなと」(新日本婦人の会港支部発行・2019・10・31)の「ぼそっとマツバラ」というコラムにおもしろいことが載っていた。

 10月22日の即位の礼は休日だったが、マツバラはフツーに働いていた。介護の訪問で利用者さんから「昭恵さんのあの洋服はひどい」「バッグ開けっ放しでだらしない」「なんで誰も注意してあげへんのやろ?注意しても聞かへんのか?」と何度も聞かされたそうだ。昭恵夫人の「白色のひざ丈で袖の部分がラッパのように広がった独特のデザインのワンピース」がドレスコードに違反しているのではとの声だ。他の内外の女性は長いドレス又は和服だったのに、昭恵さんは足に自信があるらしくそれをテレビに見せたかったのか、かつてメラニア夫人の隣ではひざ上のフレアスカートを着たそうだ。一説には、今回に限らず、周囲が手配しようとしても昭恵夫人がいっさい耳を貸さないので、誰も何も言えなくなっているのだとか・・・。

 ここまでは、テレビで映ったのと重なる。コラムでは、昭恵夫人について、「日本の検察が韓国の検察の様だったら、引っ張られてもおかしくないことしておきながら・・・」と付け加えた。はっとした。テレビでは韓国の法相一家のことを根掘り葉掘りし、韓国検察の動きを詳報してきた。たしかにもし日本に韓国検察がきたら昭恵夫人は引っ張られていただろう。しかし日本の検察は最高権力者忖度のお手本を示した。昭恵夫人も安倍晋三氏もますますつけあがるだろう。テレビは忖度し、腰を屈して久しい。韓国の権力者の不正追及には莫大なエネルギーを注ぐ。その10分の1でも日本の権力者を追及する気力があればと思わざるを得ない。

 日本のテレビも、ちょっと視点を変えて、もし韓国検察の眼で昭恵夫人・安倍首相・松井知事・森友学園・加計学園をみればどうかという観点で再検証してほしいものだ。

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萩生田文科大臣の差別的試験制度礼賛の「身の丈」発言

2019年10月27日 22時04分28秒 | Weblog

 大学入学共通テストで民間業者に丸投げの英語試験が、11月1日に共通ID申し込みが始まり、来年4月から試験が始まろうとしているもとで、その試験制度のあまりの不公正・不公平ぶりに怒りが高まり、延期・見直し・中止の声が沸騰している。そんな中、文科大臣の萩生田光一氏が、教育の機会均等くそくらえ、受験の公正公平など関心ないという発言をした。BSフジの10月24日の番組でのことだ。

 司会:英語については民間の試験を年2回まで受けていいと。英検やトーフルの民間の試験を使うと、お金や地理的な条件で恵まれている人が受ける回数が増えるのか、、それによる不公平、公正性はどうなのかと、これはどうなのか。 萩生田:そういう議論も正直あります。ありますけど、それを言ったら、「あいつ、予備校通っていてずるいよな」というのと同じだと思うんですよね。だから裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけど、そこは自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで、勝負してがんばってもらえれば。

 萩生田氏は28日、「身の丈」発言について、説明不足だったと弁明したが、じつに正直に彼の立場、政府の立場を説明している。司会が、不公平、不公正はないのかと問うたのに対し、そこは一切認めず、身の丈に合わせて規定通り2回勝負すればいいと答えた。筋違いにも予備校を持ち出したが、予備校・塾にも通ってべんきょうするか、通信教育を取り入れるか、自宅で自力で勉強するかは入学試験以前のやり方だ。今問題にしているのは試験制度だ。民間業者がくりかえしやる試験を特定の地域の裕福な家庭の子は、入試として各自が共通IDで指定した2回以外の試験も受け放題なのだ。同じテスト業者の同じ傾向の問題で何度も受験の練習ができる。貧しい家庭の子は「身の丈に合わせて」入試センターに報告すべき2回だけ受ければいいというのだ。会話のテストなど、何度も本番練習した生徒と初めて本番に臨んだ生徒とではその緊張度や試験準備の程度は雲泥の開きがあるだろう。そこを多くの教育関係者が心配し、テレビの司会者もふれたのだが、上から目線の強いもの・大手業者寄りの萩生田氏は、まったく心を寄せない。受験料はベネッセGTECの6820円からIELTSの25380円、TOEFLの235米ドルまで。地方や山村・離島の生徒は、それこそ萩生田のいう「身の丈」の2回だけ受けるのにも旅費宿泊費をふくめ大金になる。都会の金持ちの子はどれだけ有利か。これでは試験の公平・公正など保てない。萩生田は「あいつ、何度も受験できてずるいよな」というべきだ。そんなずるい制度を何の問題もないかのようにごまかしてごり押ししようとするのは許せない。

 このブログでは、本来入試センターが責任をもって一つの試験をすべての受験生に受けさせるべきなのに、教育の市場開放だけでなく、公平公正であるべき入学試験まで市場開放、金もうけ業者のために好き放題にさせることを厳しく批判してきた。7つの業者の試験をどう一つの物差しに統一するのか。これを正しいというならば、それは正しさに目をつぶっただけだ。

 

 

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安武ひろ子さんの最期の歌を鑑賞する

2019年10月26日 00時56分20秒 | Weblog

 日本共産党の参議院議員を2期12年(兵庫)つとめた安武ひろ子さんの最後の歌が新日本歌人協会の『新日本歌人』2019年11月号に載った。まず、表紙に「無為に過ごす日などあらざり命かけ戦への道に大手ひろげん」安武ひろ子 とある。この歌は安武さんの生涯そのものだったろう。表紙裏の「解説と鑑賞」によれば、この歌は2018年の歌集『あすに花束を』の「国会」の中の一首だそうだ。表紙裏には、さらに7首が載せられている。その中から4首。

 許せるが忘れはできぬと民族の痛みの歴史をガイドは語る    『いのち愛おし』「ソウルの空」

 歌いましょうと元慰安婦は鳩ポッポを巧みに歌う明るき声で       同   「ナヌムの家」

 「自衛隊イラクへ入る」と太き字で今日の日記は一行のみ書く      同   「閃  光」

 銃口を塞ぐ盾に我もならん街宣マイクはしかと握りぬ          同   「憲法の危機」

 安武ひろ子さんは、わたしがまだ若い教員になりたてで川西市に住んでいたころ、参院選の兵庫選挙区からすい星のごとく当選した。川西市では市会議員選挙などで4000票台しかとっていなかったのに、なんと12000票も取ってみごと当選したのだ。希望の星だった。

 安武さんは、『新日本歌人』に毎月投稿し、何首か掲載されていた。8月、安武さんの訃報を新聞で見た。『新日本歌人』11月号の楠山繁子さんの作品評に安武さんの歌と作品評があった。そのまま引用する。

 めぐり来ぬ「あす」という日を思いみるゆっくり朝の髪とかしつつ   安武ひろ子

 息絶ゆるその間際まで反戦を貫き通すと声にしてみぬ           同

 安武ひろ子さんは8月8日に亡くなったと新聞で知りました。その直後に届いたこの歌は、死を予期していたかのような、まさに辞世の歌と思います。「めぐり来ぬ『明日』という日を思う」とはどんな気持ちでしょうか。それでも朝の身支度をする。静かに毅然として。二首目の歌の通り、息絶えるそのときまで戦争に反対し、平和を求めて戦い抜いた生涯に敬意を表します。 

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大学入試の民間英語試験延期法案

2019年10月25日 08時36分30秒 | Weblog

 10月24日(2019)、野党が共同して「大学入試への民間英語試験の導入延期法案」を衆議院に提出した。民間試験というのは、来年4月から7つの民間英語試験を2回受けた成績を大学入学共通テストの英語成績にするという重大な制度変更だ。大学入試センターが責任をもって試験をやるのではなく、ベネッセなど営業拡大を狙う業者を含む民間試験に丸投げする。11月から受験に必要な共通ID発行が始まるが、開催場所や日程、大学の活用方法も不明ということがあまりに多い。

 この入試制度変更の問題の中心は、試験制度で最も大切にすべき公正、公平が保障されていないことだ。文科省は口で公正公平だというが、口ほど信用できないものはない。なにしろその口は加計学園問題での疑惑の張本人萩生田なのだから。7つの異なる試験の成績をどうして一つの物差しに統一するのか。できるはずがない。公正、公平が保障されない試験制度は試験としては失格だ。検証がすすんでいる公立高校の入試では、丁寧にやっても1点、2点のミスはありうる。発覚すれば公表する。それで処分された入試責任者がどれだけいることか。丸投げの試験の採点はミスの点検はしない。些細なミスのレベルからみれば、ちがう試験を一つのものとして扱うことなど、途方もない間違いを内包している。同じ試験でも回によって問題の難易度が異なる。これはセンター試験でも年によって同一科目で平均点が異なることで実証済みだ。同一試験でも平均点が大きく変動するのに、異なる試験間での得点の違いをどう統一的に把握するのか。試験というのは1点、2点で順位が入れ替わり、不合格になることがあるのだ。だから特別な配慮、厳格な公正さが求められる。ところが秘密の物差しをつくったといいながらその物差しは誰も見たことがない。信用しろというだけだ。人をだますのもいい加減にしてほしい。各試験の問題をすべて公表し、採点結果は本人に開示することを保証しない限り信用は一歩もすすまない。

 お金の問題、家庭の経済力による不公平、受験機会の不公平の問題も大きい。ベネッセの試験GTECは9900円で金がかかりすぎる。通常のTOEFLは235ドルで25600円もする。ベネッセは各県ひとつの会場だから、北海道など大変だ。離島の生徒含め、泊りがけで受験する。大学の本入試なら泊りがけはありうるが、一科目を2回受けるのに泊りがけは負担が多すぎる。地方の受験生を不当に差別する最悪の制度改変だ。英検(S-CBT)は230会場でやるが、他の試験は全国23、あるいは10会場ということで都会の受験生にだけ有利になっている。裕福な家庭の子は、早い段階からIDを取らずに、練習受験をすることができる。

 全国高校長協会は9月に、試験の延期、見直しを文科相に申し入れたが、文科省は問題点はなんとかするというごまかしで、つきすすんでいる。高校長協会はこの21日、東京でシンポジウム「英語4技能の民間資格試験は、混乱なく実施できるのか」を開いた。学校に相当食い込んでいる、教育を金もうけの道具にする点では天下一品のベネッセは、シンポジウムに欠席しトンズラをかました。

 校長協会とは現場の代表者の集まりではあるが、現場の中ではもっとも文科省に近い、普通は文科省に盾つくことはない。それが一致団結、抗議しているのは前代未聞だ。受験の公正・公平が確保されていないと、最も事情を知る関係者がそろって声を上げているのに、文科省は「会場の追加を実施団体に要請したい」という程度のごまかしでかわそうとしている。生徒が不安に駆られ、教員がこんな制度改変は見直せと道理を尽くして言っているのに聞く耳もたない教育行政とはいったい何者か。経団連のいうことが教育行政にそのまま流し込まれるいまの安倍政治は間違っている。狂っているとしか言いようがない。

 

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安倍首相の行政の私物化許さない

2019年10月22日 23時33分23秒 | Weblog

 安倍首相が首相主催の「桜を見る会」を私物化して下関市の後援者をもてなした違法行為について、何度か書いたが不手際で消えてしまった。気を取り直してもういちど。  

 『赤旗日曜版』2019年10月13日付けが放ったスクープは、安倍政治の本質を暴き出すものだ。2019年1月下旬、今年の総理大臣主催の「桜を見る会」の日程が発表された。すると下関の安倍事務所が後援者らに参加案内を送った。参加の意思を示すと2月下旬から3月上旬に内閣府から招待状が届いた。「桜を見る会」の前日4月12日朝、飛行機で東京へ。都内観光の後、ホテルニューオオタニで「桜を見る会前夜祭」が行われた。旅行自体は自費、この前夜祭は5000円の会費の「政治資金パーティー」だ。政治団体の収支報告書に記載しなければならないが、それがない。政治資金規正法違反だ。安倍氏の政治団体は『赤旗』の問い合わせに、「担当者がいない」と逃げを打った。翌日は集合場所のニューオオタニから、バス17台に分乗して新宿御苑に。一般招待客は並んで手荷物検査を受けるが、安倍後援者様は裏口から入って手荷物検査なし。なんという扱い。『朝日』の【首相動静】によると、首相は7時48分新宿御苑に入り49分から妻の昭恵氏とともに17台のバスの後援者と順に記念撮影。たくさんの芸能人やスポーツ選手も招かれ、下関の安倍後援者にとっては彼らと間近にふれあえる「桜を見る会」は夢見心地だろう。

 「桜を見る会」は1952年から総理大臣主催で公金=税金をつぎ込んで行われている。招待者は10000人程度だったが、安倍首相になってから大幅に増えた。政権浮揚の道具と化した。2018年招待者15900人、出席者17500人、予算は1767万円のところ支出は5229万円。2019年はもっと膨れて18200人、5519万円。予算はずっと1767万円だったが、財政規律無視の支出をしたのが安倍首相だ。これではいけないと支出を減らすのかと思えば、2020年の概算要求は5700万円にふやした。「桜を見る会」では飲食し放題だ。たくさんのテントがあり、いろいろ食べて酒を飲む。安倍首相の後援者は、税金で酒食のもてなしを受け、名所新宿御苑で桜を鑑賞できるのだ。法治国家でこんなことが許されるのか。

「桜を見る会」は税金で運営する国家行事だ。招待者には基準がある。「桜を見る会」の開催要領では、「招待の範囲」は「皇族、元皇族」「各国大公使等」「衆参両院議長・副議長」「最高裁判所長官」「国務大臣」「副大臣・大臣政務官」「国会議員」「認証官」「事務次官等・局長等の一部」「都道府県のちじ・議会の議長等の一部」「その他各界の代表者等」となっているそうだ。安倍首相後援者はどこに入るのだ。すでにこれは『赤旗』スクープで大問題になっているから、首相官邸ではどうごまかすか騒いでいるだろうが、「各界の代表者等」の「等」に入るというのだろう。だがどうして安倍後援者が各界の代表者なのだ。バス17台分の下関の安倍支援者が、どうして各界の代表者なのだ。安倍事務所が案内を出し、その名簿に従って内閣府が自動的に招待状を出すというシステムは、どこから考えても行政の私物化だ。「森友学園疑惑」「加計学園疑惑」と同じく行政の私物化だ。ここに安倍政治の本質がある。

 『赤旗日曜版』10月20日付けは続報で、会計検査院の複数の関係者を取材している。元調査官は、各界の代表者等の「等」を根拠に自分の後援者を招待しているようだが、この拡大解釈は不適当だと断言している。また別の関係者は、開催要領や予算にもとづかない支出をした場合、税金が無駄になった「不当事項」になりうる、招待者数を開催要領は約1万人としているのに、要領や予算を無視して大幅超過はおかしいと指摘している。

 森友学園疑惑で8億円の国有地をタダ同然での払い下げに大活躍した安倍昭恵氏もこの「桜を見る会」でも大暴れだ。スキーや、農業や、酒造りの仲間をどっとご招待している。萩生田光一や世耕弘成、稲田朋美ら安倍一派もこの行政の私物化のご利益あやかっている。税金の私物化は絶対に許さない。証拠は山ほどある。証言者はたくさんいる。

  

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粟屋憲太郎さんの死を悼む

2019年10月18日 09時45分01秒 | Weblog
 今日の朝日新聞の訃報欄に粟屋憲太郎さんが載っていた。立教大学名誉教授で日本近現代史学者だ。9月11日に亡くなっていた。75歳。
 東京裁判研究の第1人者で多くの業績を残した。読み込むところまではいかなかったが、ずいぶんお世話になった。去年亡くなった経済学者の森岡孝二さんは74歳、粟屋さんは75歳。あまりにも早い死で残念だ。
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オリンピックは真夏にやるな

2019年10月17日 23時06分08秒 | Weblog
 IOC国際オリンピック委員会が、16日、来年の東京オリンピックマラソンと競歩について、会場を札幌に移すと発表した。賛成する。
 だが、そもそも8月の東京でオリンピックをやること自体が間違っている。人の健康に反している。いまよりずっと涼しい、夏でも30度にいくことがそう多くなかった前回東京オリンピックは、8月は不適切だとして10月に開いた。いまや灼熱地獄と化している7月末から8月の東京は(もちろん大阪も、他の都市も)長時間屋外で運動する環境ではない。だが、6年前、安倍政権の政権浮揚策として、東京招致をすすめた。8月の東京は温暖で(真実は灼熱地獄で)最高のパフォーマンスを発揮できる理想の気候(真実は最悪の気候)ですとウソの宣伝して。
 そもそも金もうけ、商業主義の固まりとなったIOCが、オリンピック開催期間をテレビ放映権料が多く取れる7月末から8月と指定していることが間違いだ。カタールのドーハでのマラソンが深夜開催にもかかわらず、女子の4割が途中棄権したことから、このまま東京開催したらとんでもないことになってIOCに非難が集中すると考え、今回、強権的に変更指示した。
 オリンピックは涼しい季節にやれ。
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ますますひどくなる台風被害。しっかり対処しつつ、政治の根本転換を求める

2019年10月13日 16時02分47秒 | Weblog
 2019年台風19号は、南北に長い日本の広い範囲に甚大な被害をもたらした。東海、甲信越、関東、東北へと記録的大雨が広がった。死者の数もどんどん増え、15日には74人にも達した。
 気象庁の予報も改善され、詳細になり、自治体の避難情報も行き届いたものになってきた。それでもこれだけの犠牲者が出たのは、台風の威力が桁外れだったから。
 とくに長野県の千曲川では10か所以上の越水、そのうえで決壊に至った。千曲川は堤防のかさ上げ工事もすすんでいたという。にもかかわらず越水、決壊した。この千曲川に今の台風の威力と被害の姿が象徴されている。当面は被害者救援に集中しつつ、堤防のかさ上げと川底を低くするなどの改修が全国的に求められる。政権浮揚のために莫大な国費を無駄遣いするのはやめて、災害対策に回すべきだ。
 風台風15号が千葉を、去年は台風21号が大阪を襲ったが、暴風被害も連続するようになった。いずれも、太平洋の海水温の上昇を元にした巨大台風が頻発していることによる。気候変動、地球温暖化に目を向けなければならない。9月の国連気候行動サミットは、77ヵ国が2050年に温室効果ガス排出をゼロにすると宣言した。日本とアメリカは消極姿勢ゆえに発言機会は与えられなかった。ここ数年の台風被害、豪雨被害を考えると、温室効果ガス削減へ世界の先頭を切る覚悟が求められる。根本的な政策、政治哲学の転換が必要だ。
 16歳のグレタ・トゥンベリさんの警告が日本のマスコミでも一時は取り上げられたが、その後は冷たい態度だ。とくにテレビは視聴率がとれないとなると見向きもしない。ジャーナリズムの資格が問われる。
 この2、3年国民が経験したことから、気候変動の異常は誰でも理解している。根本的転換への議論をまき起こそう。
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表現の不自由展」再開を喜ぶ。ひきょうな萩生田・ぶざまな河村

2019年10月09日 08時12分20秒 | Weblog
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が10月8日再開されたのを喜ぶ。安倍首相官邸・右翼連係プレーによる表現への抑圧を広範な世論、芸術家の結束によって押し返し、再開にこぎつけたことは、日本の民主主義にとって重要なことだ。
 再開にあたって、会場周辺に右翼活動家が集まったようだ。その中で主催者でもある名古屋市長・河村氏が再開に抗議の座り込みをした。座り込みの映像も流れた。再開は「表現の自由という名の暴力だ」とハンドマイクでしゃべった。暴力?この人の言葉はいったいどうなっているのだ。だがテレビを引き込んでの座り込みはたった7分だった。大村知事の人権と民主主義を擁護する冷静な発言に比べ、河村氏の幼稚で個人の右翼信条むき出しの発言はあまりにも落差が激しい。民主主義擁護を放棄する河村氏は首長としての資格を欠く。
 今朝(10月9日)のMBSのワイドショーで、落語家の志らくが自分は河村市長の横に座りたいと立場を表明して、芸術監督の津田大介氏とやり合った。津田氏は作品内容と表現の自由を保障する民主主義とを区別しつつ擁護する立場を丁寧に語った。河村氏風にいつも横柄な物言いをする志らく氏が河村と同じ考えだったとは。
 名古屋・河村、大阪・松井氏らに後押しされた右翼活動家の妨害・脅迫によって中止に追い込まれたものを再開するのは大変な苦労があっただろう。実際、再開展示は、2時間ごとに30人を抽選で入場許可する、手荷物をあずかる、金属探知機で検査する、展示の撮影・SNS拡散禁止など厳しいものだった。暴力分子の妨害を食い止めるためには正しい措置だ。人数はもっと増やしていいと思うが、手荷物・探知機は今後の参考になる。撮影禁止は当たり前だ。どこの展覧会でも寺院の仏像でも撮影禁止はもとよりだ。作品と作者の権利擁護の観点から。おもしろいことに中国では自由だが。開けないように妨害するという脅迫は警察の管轄で、厳格に取り締まるだけだ。そうすれば表現に自由は保障できる。今回、きっちり再開できたことにより、萩生田がもくろんだ、お友達右翼が騒げば補助金を停止するという路線の定着を阻止できそうだ。
 平穏に展示が再開できたのだから、萩生田・文化庁は補助金再交付を審査すべきだ。議事録をつくって。
 再開にかかわるコメントでやっぱりと思ったのが萩生田光一文科相だ。「わたしから文化庁になにかを指示したりということはありません。」萩生田といえば90数億円の補助金支出にかかわる加計学園疑惑の中心人物だ。あのときと同じフレーズで逃げるつもりだ。文化庁内部から勇気ある人、出でよ。
 もともと議事録をつくること前提で審議委員会を開いたのに、すべての文化庁補助金案件すべてで議事録がありませんでしたという怪事件。それも7800万円を「あいちトリエンナーレ」に見せしめ的に交付しないために上からおしつけたためだ。文化庁としては議事録をつくりようがない決定内容だから議事録なし。トリエンナーレだけなしでは理屈が通らないから、すべての補助金案件も議事録なし。もう民主的手続きも、コンプライアンスもへったくれもない世界だ。テレビの志らくも、萩生田さんは手続きとかいわずに内容が気に入らんからだとはっきり言った方がいいといったくらいだから、気に入らんから全部私が命令したと率直に言え。一番の黒幕・萩生田を逃がしてはいけない。萩生田のふんどしを後ろで握っているのは安倍晋三だ。国会答弁で安倍氏は政府文科大臣の責任に触れず、文化庁が勝手にやったことと逃げを打っている。
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愛知トリエンナーレ補助金7800万円不交付決定議事録なし。恐るべき安倍政治

2019年10月03日 12時45分47秒 | Weblog
 共産党の本村伸子衆院議員が、「あいちトリエンナーレ」補助金全額不交付について審査議事録を請求したのに対し、文化庁が「審査の議事録はございません」と回答してきた(「赤旗」2日付け)。表現の自由という憲法にかかわる公金7800万円の支出を撤回するという決定を、「事務的な業務」として行ったというのだ。いまだかつて交付決定したものをあとでいちゃもんをつけて不交付にしたことは一度もなかったのに、前例のない決定を、「事務的な打ち合わせで」やった、だから「通常の手続き通り、議事録は作成していない」のだそうだ。介護保険の申請の扱いと同じだと言いたげだ。とんでもない。さらにびっくりするのは、採択が決まった26件のうちトリエンナーレをのぞく25件も議事録はないという(「朝日」3日付け)。とんでもないことだ。
 だが、文化庁の補助金採択についての審査委員会があり、審査して決定に至っているのだから、議事録がないというのはあり得ない。子どもの学級会以下ではないか。委員を務めていた野田邦弘・鳥取大特命教授が2日、辞任した。野田さんは「一度審査委員を入れて採択を決めたものを、後から不交付とするのでは審査の意味がない」といっている。野田さんに不交付の連絡があったのは文化庁が9月26日に発表した後のことだったという。審査委員ないがしろだ。
 文科省の行政文書管理規則では、補助金交付について、打ち合わせも含め交付に至る過程の記録を作成すると定めている。法治主義をくつがえす異常事態だ。
 9月26日の不交付決定自体が、その前日に愛知県の検証委員会が「表現の不自由展・その後」再開の方向を示したのに対抗してあわてて行った節が見える。文化庁が管理規則違反を承知で、あらかじめ議事録は作らないと決めて審査委員会を開くということはあり得ない。萩生田文科相が上から命令して不交付を押し付けたものに違いない。道理がないゆえに議事録をつくれない。不交付決定の議事録がないとなると、交付決定のすべてについても議事録がないといわないとつじつまが合わなくなる。
 文科大臣に最もふさわしくない人物をつけた害悪がもう全面展開だ。加計学園疑惑で悪の限りをつくした萩生田氏のやりそうなことだ。4日からの臨時国会で徹底追及して、萩生田罷免と補助金復活を実現しなければならない。
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N国党首の「虐殺」暴言は絶対許せない

2019年10月02日 21時09分40秒 | Weblog
 N国党の立花孝志党首が「ユーチューブ」の動画サイトで「アホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう」「ある程度賢い人だけを生かしといて、後は虐殺して」と発言した。
 非人間的暴言で許せない。立花氏は憲法遵守の義務を負う国会議員だ。差別を煽り、虐殺をそそのかすなど、考えただけでも震えがくる言葉だ。領土問題は戦争で解決しろと言った丸山穂高・元維新議員を政党交付金をとるために取りこんだのも憲法の精神を踏みにじるものだ。
 とにかく安倍政権が、憲法を踏みにじる、立憲主義を破壊する行為をくり返すもとで、なにをやっても許されるという風潮が日本に蔓延している。維新もそうだし、N国もそうだ。SNSの世界でも自分の名前も姿も隠して人権侵害を平気でやるのもひどすぎる。
 このN国党立花投手の差別虐殺発言は絶対放置してはならない。国会の見識が問われる。日本の民主主義の質が国際的に問われる事態だ。
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