山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

捏造文書人物と維新の会が以前から接触していた

2012年03月31日 05時25分13秒 | Weblog
 3月28日『朝日』夕刊は、捏造文書を維新に持ち込んだ元非常勤職員が「維新政治塾」に応募していたことを報じた。1次選考から漏れていたそうだが、「維新に共感して文書を捏造した疑いも出てきた」とある。捏造文書をかかげて市議会で質問をした杉村幸太郎議員は、以前から当該人物と接触を重ねていた。
 杉村議員は、当該労働組合への事実確認もしておらず、勝手に信ぴょう性が高いといって、議会質問の根拠にした。落ち度ないとか、見抜くのは至難の技だといって、責任逃れをしているが、許せない。民主党の国会議員は捏造メールをつかって国会質問をして政治生命を絶たれた。そんな性格の問題なのだ。責任を取らさなければならない。
 この捏造文書をテコにして、橋下市長は組合攻撃を強め、憲法違反の思想調査にまでのりだした。橋下市長も維新の代表として責任をとるべきだ。
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退職記念?の湯治

2012年03月31日 03時33分50秒 | Weblog
 定年退職につづいて、4年間つとめた再任用もこの3月末で退職となった。たくさん余ったままの休暇をとって、初めての温泉湯治にいった。
 行き先は、群馬県の万座温泉・日進館に3泊、同じく群馬の四万(しま)温泉・積善館1泊。万座は海抜1800メートル、日本最高地の温泉で、硫黄の濁り湯だ。館内の木造の湯殿にある露天風呂だけでなく、80メートル離れたところにぽつんと建っている露天風呂もあって野趣たっぷり。もうすこし歩くと湧き出た湯が溜まっている湯畑もある。湯畑の周辺だけは雪が全くない。地熱で雪景色にぽっかり穴があいている。
 この日進館の湯けむり館という建物は湯治客用だ。平日3泊以上の人は、1拍2食で5400円。15泊以上というコースもある。ただし部屋には洗面・トイレはない。昔の6疊アパートだ。わたしなどはにわか湯治客だが、朝、廊下で顔をあわせる人たちは年季の入った湯治客だ。万座はスキー場があるので少しだけ滑った。
 群馬では四万温泉の積善館の温泉も有名だ。「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった旅館だ。玄関付近の建物は元禄時代のものというからすごい。新しい建物もあるが、わたしが泊まったのは赤い橋の見える玄関に近い部屋だ。この積善館も昔は湯治湯だった。だから木造の古い部屋は1泊2食6400円だった。酒は持ち込み可という驚きのシステム。布団の上げ下げは自分でというのも日進館と同じだ。
 万座で気付いたことだが、鳥がほどんどいない。硫黄のにおいが一面おおっているのだから、鳥のすむ世界ではないのだろう。四万温泉の川には魚が棲んでいないそうだ。温泉成分のせいだ。

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捏造文書を使って他を攻撃、謝罪もしない維新・橋下

2012年03月26日 02時27分20秒 | Weblog
 大阪市交通局の労働組合にかかわる文書が、捏造文書だとわかった。捏造した人物の刑事責任ははっきりさせなかればならない。
 それよりも問題は、これが政治問題として労働組合攻撃の最大の道具として使われてきたことだ。この2箇月、橋下市長はこれを梃子に組合攻撃、契約を無視して事務所を追い出す、さらに職員の思想調査という憲法違反の犯罪行為にまで及んだ。
 捏造文書の真偽を確かめることもなく、これを使って議会質問をした維新の会の責任は重大だ。以前、民主党永田議員は捏造文書で国会質問をしたことで、政治生命を絶たれ辞職した。橋下維新の会代表は自らをしつこい人間といってはばからない。他人にはしつこいが、自分には甘い。
 橋下氏は「(維新議員が)議会で取り上げるのは当然」とかばいだてしている。自分はその党の代表ではないか。責任の自覚ゼロ。維新市議団長は「議員の調査権には限界がある。リストがある以上、市議会で質疑するのは議員の義務だ」「謝罪する気持ちはない」といった。あきれてしまう。犯罪文書をつかって議会という公の場で他を攻撃する、これに政治責任をとらず、謝罪もしない、こんな勢力がはびこることが日本の民主主義をどれだけ侵食するか。
 橋下氏は、12月、交通労組に対し、謝罪の挨拶にも来ず、文書ですまそうとするのは最低だ、子どものときからのしつけもできていないとののしった。この犯罪文書での議会質問は自分に跳ね返ってくる。政党代表として謝罪し、当該議員を議員辞職させることがけじめのつけかただ。これがわからないのは子どものときからのしつけの欠如、人間としての脂質に欠ける。
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春は菜の花

2012年03月24日 05時00分28秒 | Weblog
 ふきのとうのの天ぷらも苦味が美味しいが、やはり春は菜の花だ。あるかないかの苦味がいい。
 このところ毎日、菜の花を食している。それというのも、菜の花の茎は固いようにみえて、じつは柔らかい。だからついつい煮すぎて失敗がつづいたからだ。1分半からせいぜい2分でいい。火を止めて出汁をふくませる。
 ほのかな苦味が生きたのは、火を止めて、菜の花をバットに並べて加熱を完全に止めたやり方だった。さましてから出汁にもどす。少し手間だが、これが風味を活かす方法のように思った。
 以前は、菜の花はおひたしか炒め物オンリーだったが、薄味の煮物はなかなかいい。
 炒め物は、これもあっさりと、塩味のみ。ただしニンニクを効かせる。菜の花を4,5センチの長さに切る。太めの軸はさらに縦に切る。ニンニクひとかけを包丁でつぶしていくつかに切る。中華鍋に油をしき、ニンニクを入れて香りが出たら、まず軸を入れて炒める。つぎに葉の部分をいれ、軽く塩コショーをし、水分が出る前に火を切る。塩とニンニクが青菜の美味しさを引き出す。
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維新の八策原案を切る(2)

2012年03月17日 09時57分21秒 | Weblog
   維新の八策を切る(2)
 自立は人間にとって大事なことだ。自立した市民が社会を形成していく。だがここでいわれる「自立する個人」は社会保障に頼らないという意味の自立なのだ。「旧来の日本型国家運営モデルの時代は終わりました」「国民総努力が必要です」と説いている。憲法25条のもとで生存権を保障する国家像をすてて、個人個人が自分で努力してやれというのだ。みんな努力している。でも病気や失業などやむにやまれぬ事情を抱えた人を助け起こすのが、戦後、理想にかかげた国家像だ。これを転換するというのだ。
 維新がめざす国家像には「自立する個人」とともに「自立する地域」がかかげられている。この地域=地方の自立というのが、究極の地方切り捨てだということを理解しないとだまされる。自立はいいことだから、個人も地域も自立は当然じゃないかとのんきなことをいっていると、地獄に突き落とされる。道州制・地方交付税交付金の廃止とセットになっており、いくつかの大都市以外は自立の名の下で切り捨てられる。
 坂本竜馬にあやかって船中八策といっているが、竜馬を利用するなという人も多い。
 八策の大項目の(1)が「統治機構の作り直し」だ。中項目の一つ目に「中央集権国家から地方分権国家へ」がある。地方分権国家が全ていいことかというとそうでもない。松下政経塾出身の政治家を中心に、今叫ばれる地方分権国家は、地域住民福祉型ではない。地方に権限を移すがその地方政治はきわめて権力主義的なものを構想するのが特徴だ。「国の政治力を強化するため国の役割を絞り込む」「内政は地方・都市の自律的経営に任せる」がその内容だ。国政は軍事・外交、地方は内政というのだ。ここに道州制がセットされる。国が国民の生存権保障から手を引き、道州や基礎自治体に丸投げする。国が手を引くとどうなるか。医療にしろ、保育にしろ、教育にしろ、国が定めている最低基準がなくなってしまう。地方が勝手にやるということは底の抜けた状態になるということだ。もうすでに橋下維新はこの八策につけくわえることをいいだした。3月16日、橋下氏は「ある部分では法律を上回るような立法権を道州に与えることが重要だ」「地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定することができる」と定めている憲法94条を改定することを原案に付け加えることを言い出した。すでに教育基本条例案は憲法94条違反だ。橋下氏がいうのは「保育所の面積基準の問題も、条例で定めることができれば、義務付け・枠付けの問題もいっさいでてこない。法律とか関係なく条例で定めることができる」と保育所の基準切り下げを勝手にやることができるようにしようと狙っている。地方分権というが、医療・福祉・教育などあらゆる面で国民を丸裸にすることが組み込まれている。
 中項目のなかに「被災地復興は被災地によるマネジメントで」がある。東日本大震災の復興でもまず復旧というのがすすまず放置されているが、ここでいう被災地によるというのは当然として、後で出てくる「地方の仕事は地方の財布で」というのと重ねると怖い話だ。被災地復興は、被災地が自分で、自分のお金でという形が見えてくる。
 二つ目の中項目は「統治機構」だ。まず「都市間競争に対応できる多様な大都市制度(大阪都構想)」を議論項目とし、「道州制」「首相公選制(天皇制との整合性・デメリットへの反論)」「参議院改革(最終的に廃止も検討)」「参議院議員と首長の兼職」「衆議院の優越の強化」などが並ぶ。
 多様な大都市制度として大阪都をあげているが、問題は道州制との関係だ。もともと橋下氏は知事になった当初、道州制をかかげ、大阪府はいらないといっていたが、平松大阪市長・大阪市攻撃を始めたとたん、道州制は後継にしりぞき、大阪都をいいだした。ついで、大阪都問題で知事・市長ダブル選挙をやり、大阪都実現のために国の法改正を要求、要求に応じなければ近畿で衆議院に候補を立てると表明。だがどんどん変わって、衆院選に300人立てるといい、政権をもねらっている。今は橋下氏や維新の地方議員は国会議員になるつもりはないといっているが、これまでの嘘と詭弁からすれば信用できない。立候補を宣言してから、あと追い的に政策を議論している。出てきたのが八策だ。だがマニフェスト、公約にすると責任を問われるということで、あいまいな項目羅列のレジュメだ。でもそのレジュメ=八策原案は橋下維新の地金=本質があらわれている。道州制案では全国9つに分けるのが有力だが、都でひとつの州になるのは東京だけだ。大阪の方は関西州だから、大阪都は即廃止だ。だったら、なんのための大阪都か。橋下維新がのし上がるための道具としては、実に大仕掛のものではある。
 平成の大合併で地方では多くの市町村が姿を消した。もと役場があった町や村の中心地も今やさびれている。この上に道州制の導入はいったいどんな結果をまねくか。平成の市町村合併で疲弊したふるさとの姿を見た地方の人々は道州制の夢物語にはだまされないだろう。道州制は財界のための国家の改造であることは国民はうすうす感じている。近いはずの府県がなくなることは政治が遠くなることであり、道州の中心都市だけが潤い、輝き、道州の周辺部は吸い上げられるのみで、吸い上げた財源は財界のためのインフラ整備につぎこまれる。周辺部が捨てられ、すたれることは目に見えている。吸い上げない、捨てないというなら、なにも道州制などやる必要はない。
 首相公選制、参院廃止は憲法問題そのものだ。民主党政権が、普天間基地撤去、製造業への派遣労働の禁止、後期高齢者医療制度廃止、障害が重いほど負担が重くなる障害者自立支援法の廃止などの公約をことごとく裏切ってきたことへの深い失望が国民にはある。大手新聞・テレビなどは裏切りよりも、消費税増税でもたもたすることを批判し、橋下維新もこれに乗って、政府批判からすすんで議院内閣制への攻撃に的を絞ってきている。あたかも憲法の議会制度、議院内閣制に不幸の根源があるかのように錯覚させる手法に打って出ている。目指すは強権的内閣制度だ。都道府県の首長が参院議員を兼ねるかたちにして、勢力を伸ばしてきた新自由主義派の首長が国会をも制覇する、あるいは参議院を廃止することで財界の思いがストレートに通っていく政治制度に持っていこうというのだ。衆議院の優越の強化もそうだ。いずれも憲法を変えることが前提だ。首相公選制にかかわって、天皇制との整合性を問題にしている。憲法の天皇条項について、公選制にすれば、天皇が国会の指名にもとづいて総理大臣を任命するとなっているのを変えなければならない。天皇条項をいじるのは恐れ多いと思って特別に検討課題にしているのだ。だが問題は、憲法全体を大改悪し、財界の思いがストレートに通る国家へと改造すること自体にあるのだ。




















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MBS(毎日)テレビよくやった 橋下教育改革検証

2012年03月17日 02時21分46秒 | Weblog
 昨日(2012・3・17)夕方の、MBS報道特集で「橋下教育改革検証」をやった。テレビではめずらしい批判的な内容だった。前に、毎日のニュース番組でやったアメリカ取材も折り込み、また橋下氏が3年前高校生と討論した際に、日本の教育制度がいやだったら日本から出て行け、自己責任だといって高校生を泣かせた場面もいれ、よく練った内容だった。大阪の教育基本条例がブッシュの「教育改革」=落ちこぼれゼロ法と瓜二つだということも示された。ブッシュ教育改革の下で教育は破壊され、学校は廃校と民営化がすすんだ。廃校と民営化は橋下の狙いと同じだ。東京の三鷹高校の校長だった土肥さんに対する非常勤不採用もとりあげていた。わたしもよく知っている高校教員たちが土肥さんを招いてシンポジウムを開いたこともとりあげていた。
 毎日以外のテレビは連日、橋下祭りの大騒ぎだ。朝日の「キャスト」という夕方の報道番組は橋下を取り上げない日はない。しかも橋下氏の特別顧問の古賀氏や橋下系列の人物がコメンテーターとして出演している。橋下氏を総理大臣にまで押し上げようという狙いがあるのだろうと思ってしまう。ローカルスターのやしきたかじん(現在病気休演中)のいくつかの番組も橋下礼賛で徹底している。先週だったか、「たかじんの胸いっぱい」(関西テレビ・フジ系)が、職員の思想調査問題をとりあげたのはいいが、憲法違反だとはいわずに出演の芸能人に賛成反対の札をあげさせ、全員が賛成、思想調査は問題ないといわせた。こんな調子だから橋下支持が維持される。
 橋下氏は、思想調査という憲法違反の行いをしながら、君が代の起立斉唱はルールだ、ルール違反を監視するのは当然といいつのる。法律に反する条例をつくってはならぬという憲法に違反して教育基本条例をつくる。自分はルールどころか法律、憲法を無視して平気というのだから、この人の議論は信用できない。でも彼の一方的な議論だけを聞くと取り込まれてしまう。だからマスメディアの批判的報道が必要なのだ。
 ちょっと話がそれるが、橋下氏の友人で民間人校長の中原徹氏が口元調査をしたことにかかわり、橋下氏は「教員は社会経験が少ない人が多い」といい、だからうんぬんといっている。何の証拠があってそんなことをいうのか。教員は社会で生活していないのか。教員以外は社会経験が多いのか。まったくのデマだ。教育という仕事を分担しているが、市民としての責任も引き受け社会生活をしている。わたしは働きながら大学に行き、いろんな仕事を経験した。29歳で教員に採用された。高校の他の多くの教員も他職経験者だ。22歳で採用される人はほとんどいない。わたしは採用が遅いから、年金も満額で183000円だ。共済年金・厚生年金は22、23万円だといわれ、公務員はどうのといわれるが、聞いてみると多くの教員は大した額ではない。






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君が代で口のあけ方まで監視 

2012年03月11日 17時27分58秒 | Weblog
 府立和泉高校の中原徹校長が、卒業式での君が代斉唱に際し、職員の口の動きまでチェックしていた。教頭に命じて全職員を監視させたら、3人の口が動いていなかったという。瞬時に口の動きがわかるとはすごい能力だ。口を動かさずに歌う人もいるのに。口が動いていなかった3人を呼び出して確認したという。ここまでやる神経は私には異常としかおもえない。府教委に報告するだけでなく、橋下大阪市長にも報告したという。
 「国旗国歌法」をつくったときここまで想定していただろうか。思想良心をふみにじって口の中まで権力が介入する。そのうち声量を問題にするだろう。
 それにしても、この校長は卒業式をなんと考えているのだろうか。3年間を振り返りその卒業を心から祝うのが卒業式だ。だのに、全員の口の動きを監視しろと命じ、全神経をそんなところに集中するその神経がおかしい。卒業式の精神とは無縁、いや逆だ。背筋が寒くなる。橋下流監視社会のモデルがここにある。
 中原氏を取り上げたのは2回目だ(昨年10月25日)。朝日放送のキャストという番組に出て、自分の学校には5%3人のD評価の教員がいる、さらに府立高校にはどこの学校でもD評価の教員は必ず5%いると、見てもいないのに断言した。全府立高校の教員に対する名誉を毀損した。
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維新の八策原案を切る(1)

2012年03月11日 08時32分40秒 | Weblog
 大阪維新の会が維新の八策原案を発表した(2012・3・10)。これから、その全体にわたって検討していきたい。新聞に載った全文をみても単なる項目の羅列で、その意味するところが不明なものが多い。マスコミへの対応ばかりで、肝心の大阪維新の会のHPには載っていない。古い大阪に関する政策?があるだけでじつにいいかげん。
 項目の羅列で、かってに推測してくれというようなことだが、これはきっちり検討しなければならない。橋下氏は、大阪都構想でも結局くわしい政策を示さず選挙で人々をふりまわした。マニフェストはださない、詳しいことは示さないといっている。どうとでも解釈できる、いつでも変更できる、言い逃れできることをみとおしてやっている。これが彼のやりくち。系統性がないほうがマスメディアをひきずりまわせる。
 この原案は、維新政治塾のレジュメだというのだ。国政に進出する政策だとはいわない。
 日本の社会をリセット、再構築する、給付型公約から改革型公約へとことばが前文のほとんどだ。いいかえれば、新自由主義的、新保守主義的に日本社会の構造をつくりかえようというのだ。つまり憲法にのっとった国づくりを根本からひっくりかえすということ。
 ◆維新がめざす国家像
 維新がめざす政治理念は、「自立する個人」「自立する地域」「自立する国家」を実現することだという。自立する国家とは、アメリカ従属からの自立?どうもそうではなさそう。米軍事同盟から日米豪軍事同盟へという方向だから、非同盟中立的自立ではない。橋下氏は自立核武装でなければ日米同盟というスタンスだからなんのことか。おそらくそのニュアンスは、国家が福祉的な役割から脱却して、つまり自立して?産業基盤や軍事・外交だけをやる国家になる、究極の小さい国家への変身ということだろう。
 自立する個人は自己責任の世界に国民をいざなうということだ。努力した人が報われる社会というスローガンと同じ。小泉構構造改革いらいの考えだ。この言葉にはインチキがある。努力した人がむくわれる、努力しなかった人はむくわれない、だが、報われないひとは努力しなかったとはいえない。ここにインチキがある。低レベルのインチキ論理。努力しても報われない人が実はたくさんいるのだ。これが資本主義社会だ。だが、とにかく自分のことは自分で。社会保障にたよるな、自立しろと。資本主義が自由主義の段階で貧富の差、格差がひろがり、不平等がおおいがたくなった結果、ロシア革命、ドイツ革命後のワイマール憲法などの影響があり、世界的に生存権・労働基本権などを柱とする社会権の考えがひろがった。自由主義の修正だ。このなかに日本国憲法が位置づけられる。この日本国憲法の生存権の確立はアメリカGHQとは別の経路のものだ。鈴木安蔵・高野岩三郎らを中心にした憲法研究会の提案、これを戦後の国会(最後の帝国議会)がすくいあげ、修正で憲法25条に組み込んだのだ。GHQは生存権への理解がとぼしかった。アメリカ憲法自身がいまでもこの点が弱いことと関連している。まさに日本国憲法の生存権は、右派の人々がいう押しつけ憲法でも何でもなく、日本人のなかの最良の知性が生み出した宝なのだ。これに基づいて、朝日茂さんの人間裁判といわれた生存権裁判などをへて、国民的努力でこれが定着してきた。
 ところがこれをくつがえし、否定しようというのが、小泉以来の自立する個人の考えだ。小泉政治を純化・進化させた橋下政治らしいスローガンだ。(時間の関係で1終了、つづく)
 
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なつかしい源助だいこん

2012年03月06日 05時25分53秒 | Weblog
 石川県特産の源助大根を煮て食べた。煮くずれないのがいい。最近の青首大根はやわらかすぎる。すこし長く煮ると、とろけそうだ。
 源助大根は短めで太い。組織がしっかりして、切るときもバリッという音がする。煮物、おでんにぴったり。おすすめだ。だが青首に押されて、生産はわずか。大阪まで流通しない。
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いかがわしい橋下・野村弁護士に悪乗りする みのもんた

2012年03月06日 04時08分32秒 | Weblog
 3月6日、「みのもんた朝ズバ」は、憲法違反の思想調査の謝罪もしない橋下配下の野村弁護士を登場させた。
 大阪市バスの営業所で卓球台やトレーニングマシン、ダンベルなどが置いてある、税金を使ってやっている、こんなことを許していいのか!というのだ。野村弁護士に対して、みのもんたさんはおべんちゃらをいい、同調した。
 ちょっと待ってほしい。テレビでもいっていたが、トレーニングマシンなどは職員が持ち込んだものだ。営業所の一定のスペースを利用しているという意味では税金を使ったということになる。だから違法行為になるのか。そうではないだろう。
 これは労働者の福利厚生の問題だ。秘密が守られる更衣室、休養室、談話室、レクレーションルーム、食堂などは福利厚生としてあたりまえではないか。労働環境整備のために必要なことだ。営業所長もバス運転手の腰痛を防止するために運動をすることが必要だとインタビューに答えていた。野村弁護士は勝手に占拠してマシンを置いていると攻撃したが、営業所長の承認のもとに設置されている福利厚生施設がなんで不法占拠なのか。日本では、いつから福利厚生が違法になったのか、野村「弁護士」に質問したい。福利厚生の費用を使用者側が負担するのは当たり前だ。労働者が自費でやるのは福利厚生でもなんでもない。
 TBSテレビでは、福利厚生はないのか。休養室、談話室、レクレーションルーム、食堂はないのか。最近、テレビで社員食堂を紹介することが多い。ずいぶん綺麗で、豪華料理、あるいはタニタのように健康料理を、格安で提供している会社が多い。これは使用者側が設置運営をしている。
 バスの営業所には、このような食堂はないだろう。建物の一角に運動する部屋があって何が悪いのか。利用率が低いから、別の運動ができるように変えたほうがいいとか、という改善提案ならば納得できる。そうではなく、全てを取り払う、福利厚生はいらないというのが橋下・野村の姿勢だ。
 TBS、みのもんたさんももうちょっと考えて報道をしてほしい。昨日はほとんどデマ報道といっていい内容だった。
 それにしても、この野村弁護士は労働者の人権を剥ぎ取ることに執念をもやす弁護士らしい。橋下弁護士とおなじだ。中央大学の教授でもあるらしい。中央大学法学部といえばあこがれの大学だったが、憲法違反・人権剥奪をなりわいとする人物を教授にしているとは・・・

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