山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

真相封印がすべて、ぶざまでもなりふり構わぬ。赤木さん森友改ざん裁判

2021年12月16日 10時42分35秒 | Weblog
 2021年12月15日夜、おどろきのニュースが飛び込んだ。森友問題で財務省に文書改ざんを強いられて死に追いやられた赤木俊夫さんの妻・雅子さんが、国に損害賠償を求めた裁判で、国は全面的に争っていたのをひるがえし、責任を認め1億700万円の損害賠償をすると大阪地裁に申し出たのだ。原告の請求をみとめることを「認諾」というらしい。これが裁判所の調書に記載されると裁判は終わる。
 赤木雅子さんは、金が欲しくて裁判をしたのではない。夫を死に追い込んだ真相を明らかにするためにたたかってきたのだ。ところが、裁判がすすむなかで、財務省の幹部や赤木さんの直接の上司らが証人として呼ばれる段階になって、国は裁判の勝敗よりも、真相、真実が明らかになることをなんとしても阻止する、そのためにはどんなそしりを受けようとも、どんなにぶざまでも真相解明だけは阻止するという態度に出たのだ。金額が多くてもおかまいなし。
 雅子さんは、「お金を払えば済む問題ではない」「こんな形で裁判が終わってしまって、悔しくてしょうがない」という。代理人弁護士は「不意打ちで不誠実で、きわめて卑劣だ」と国を批判した。(『朝日新聞」12月16日付け)
 国は豹変「認諾」の理由として、「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではない」といったのだ。お笑いだ。いたずらに長引かせてきたのはどちらだ。「赤木ファイル」にしても、あるかないか答える必要がないなどと長引かせることに執着してきたのに。しぶしぶ出しても大事なところは黒塗りで真相に蓋をしてきた。
 テレビやコメンテーターは、「野党は批判ばかり」とよくいうが、森友8億円疑惑は決着なしにまかり通り、公文書改ざんは天下御免の状態だ。これでは中国や北朝鮮をうんぬんできない。日本政府もバイデンの「民主主義サミット」出たが、胸を張れるか。明治14年、北海道開拓事業を薩摩出身の五代友厚らに安く払い下げする「官有物払い下げ事件」が起きた。「明治14年の政変」となる教科書では太字の大事件だ。森友8億円国有財産払い下げ事件はそれに匹敵する。もし日本の民主主義が明治よりもすすんでるのならば、いまのように安倍晋三・昭恵・財務省・国交省はおとがめなし、もうそんなことはなかったかのように「野党は批判ばかり」と真相究明を抑え込む、こんな事態にはならないだろう。
 真相究明の手を緩めてはならない。


























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「毎日」の品位を落とした山田孝男「風知草」(その2)

2021年12月14日 11時18分34秒 | Weblog
 山田氏は、共産党が政権協議に加わる、政権を争う選挙で役割を演じることそのものを忌避しているのだろう。そういうところに加わる立場ではないだろうと。しかし山田氏の論は、どうかんがえても偉そうな議論だ。共産党が政権協議に加わったのは、情勢が求めた結果に過ぎない。
 山田氏は、自民党ともうひとつ第2自民党との2大政党間での政権交代がありうべき姿であり、反体制政党の共産党がその一方に加わるなどとても容認できないという立場だろう。
 かつて90年代半ばの政治改革論議はまさにそういうところを目指していた。自民党政治の金権腐敗に対しても、共産党を排除したうえでの政権選択がすすめられた。巨大マスコミがそろって、あからさまに共産党排除とセットの政権論議をすすめた。
 その結果、曲折を経て2009年の民主党政権に至る。だが未熟さもあり3年で幕を閉じる。安倍元首相は自らの失敗もあずかって民主党政権に至ったのを逆恨みして、政権回復後ことあるごとに「あの悪夢の民主党政権」とののしりつづけた。しかし悪夢といった経済は、リーマンショックの真っ盛り、東日本大震災によるものだった。それを悪印象を塗り付けることばをいいつづけた。そのやり方はとてもフェアなものではなかった。実際は民主党政権時が谷底で、はっきり持ち直し上向きになったときに安倍政権が返り咲いた。経済循環のお得な時に権力を握ったに過ぎなかった。
 安倍氏の極右性、根性の悪さは尋常ではない。秘密保護法、共謀罪、そして集団的自衛権行使だ。日本国憲法に対するシロアリ作戦そのものだ。立憲主義という民主政治の根底が覆された。70年間、憲法9条のもと認められないとしてきた集団的自衛権を一転容認するという犯罪的な憲法解釈を強行した。こんな解釈が正しいというなら、安倍菅内閣肝いりで始まる「論理国語」なる科目では安倍さんは確実に零点をとる。
 憲法論では180度反対の、国語的にもなりたたない論理破綻の集団的自衛権行使を閣議決定し、それにもとづく安保法制を2015年強行した。極右安倍氏の暴走だ。これが、以後の日本政治を路線を決める基軸となる。
 憲法もある程度は尊重する、穏健な2大政党制として民主党も尊重するという姿勢が安倍氏にあれば政治情勢は現在とは違ったものになっていただろう。
 憲法を完全に破壊した安保法制強行を前に、70年間憲法に親しんできた国民の世論は沸騰した。政治集団としての市民連合が名乗りを上げた。その市民連合がリードする形で民主、共産、社民が参加する野党共闘が成立した。「野党は共闘!」の大合唱が国会前に鳴りひびいた。民主党は昔も今も安保容認だが、その安保を極東安保から世界安保に膨張させ、専守防衛の自衛隊を米軍との集団的自衛権行使の軍隊に変身させたことに対しては、当然のことながら容認できない。当時の安倍首相の子供だましの説明はテレビで繰り返し宣伝されたが、だまし切ることはできなかった。
 ここから出発した野党共闘は安保法制を廃止することを軸に政策を発展させ、選挙協力をつくりあげ、今度は政策・政権・選挙の3点セットでの共闘に成長させた。
 共産党が参加する政権協議ができたのも、もとはといえば、安倍政権の憲法を真っ向から破壊した悪行にあった。穏健な保守としての自民党であれば、ここまで政治情勢が発展することはなかっただろう。極右・憲法破壊・立憲主義破壊の安倍政権のもたらした帰結だ。その後も自民党は反省の片りんも見せず居直り続けているから、この対抗関係はつづくだろう。
 山田氏は安倍首相とねんごろに会食を繰り返していたのだから、見通しのある記者ならば、安倍氏にあからさまな憲法破壊はしてはいけないと何度も忠告すべきだった。ところが山田氏は、逆に共産党の方を向いて、綱領を捨てよと忠告する。政権参加をねらうなら綱領を変えよという。安保廃棄を持ち込まないと断言しているのに、安保容認に路線変更しない限り政権論議に入る資格はないという。何という横柄。自らの立ち位置が安保のガードマン、自民政府の用心棒ということを告白したようなものだ。
 「風知草」の後段で山田氏は、太平洋戦争開戦と共産党綱領を同一線において首をかしげる論を展開する。
 太平洋戦争では、常識を見失った指導者の、過去の成功にとらわれた慢心、無敵無謬の過信、意思疎通の欠如、責任回避が教訓だという。その教訓は現代政治、与党は言わずもがな、共産党綱領にも当てはまるという。「安保や天皇をめぐる共産党綱領の現実離れも、私から見れば度を越している」というフレーズはここで出てくる。
 だが考えてみたい。共産党を批判するために、あろうことか、アジア太平洋戦争をもちだすその無神経を。中国侵略・アジア太平洋戦争に命をかけてたたかった共産党を批判するその根拠を太平洋戦争に求める。共産党への最大の侮辱であろう。批判するにもそれなりの作法が要る。
 安保条約を廃棄して平和友好条約をという綱領が、常識を見失い、慢心、過信、意思疎通の欠如を表し現実離れしているというのだ。
 だが、安保が安保の枠をはるかに超え、世界安保になってることを検証もせずに現実を見失っているのは誰か。自主的判断力を失って米軍に付き従っているこの20年だけでも不法な戦争がどれだけの命を奪い、中東の国家を破壊し、地域情勢を不安定にしてきたか考えたことがあるのだろうか。安保は常識だ、安保廃棄は度を越した非常識だというのならば、これらの現実について、山田氏は「風知草」で検証結果を報告すべきだ。安倍菅氏らは辺野古新基地を提供しないことは日米同盟の信頼を揺るがせ、その崩壊つながるという。これこそ安保の提起する現実の問題だ。山田氏はこの現実を問題視せずにどれだけの月日を過ごしたのか。県民投票で圧倒的な意思が示されたのに、自公政府は
沖縄県民を押さえつける。この権力の慢心、意思疎通の欠如は戦後これほどのものは見たことがない。
 フィリピンが米軍基地を撤去してちょうど30年になる。当時は衝撃的に受け止められたが、外国軍基地があることは主権を犯す度を越した事態なのだ。核兵器禁止条約が国際法となり国連の常識となった。だが核安保に固執する被爆日本政府は核保有国が参加した後に条約に参加するのだ。核禁条約忌避と安保は日本政府においては一体だ。山田氏は大切にする現実、現状追随の核が日米安保・軍事同盟だ。これに固執する限り世界の常識となった核禁条約には接近できない。なぜなら日米同盟の中軸戦略が核抑止力だから。
 山田氏は共産党批判の手立てとして綱領の安保・天皇制を問題視するが、開かれた議論においては、当面の課題と将来の展望を関連させつつ区分けすることは、理論的には当たり前のことだ。ところが課題を提起することだけで退場しろとばかりの論をいいたてる。およそ理論的にはありえない、きわめて政治的なものいいだ。山田氏は市民連合の諸氏といちど議論してみたらいかがか。





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トルコ産のマツタケ

2021年12月13日 17時43分59秒 | Weblog
 業務スーパーにトルコ産のマツタケを売っている。3本のパックで600円だ。小さめで傘が開いている。でもしっかり匂いがする。丹波産など日本のマツタケを買ったことがないので比べようがないが。
 4、5日前に買った。うち一番大きいのを裂いて焼いた。残り二つのうちひとつを蓮根饅頭に入れた。袋入り蓮根のうち大きいのは筑前煮に使い、細いのをすりおろし、足りない分をカブをすって混ぜた。団子を3つ作り中に切ったマツタケを入れた。ラップで包んでチンし、お椀に蓮根饅頭を置き、最後の1本の薄切りマツタケを出汁で煮てつゆを張った。なかなかの出来だ。トルコを見くびってはいけない。
 だが、レンコンをすりおろすときに、中指の第1関節もすりおろしてしまい、
いまも傷が癒えない。
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「毎日」の品位を落とした山田孝男「風知草」

2021年12月11日 15時06分09秒 | Weblog
 2021年衆院選は「自公VS野党共闘」を軸としてたたかわれた。野党は、20項目の共通政策、政権協力、選挙協力を選挙直前までずれ込んだがつくり上げた。政権交代のとっかかりができた。閣外ではあるが共産党が加わる政権への展望がひらかれた。
 これに対し、攻撃の先頭に出たのが安倍前首相だった。「共産党の力を借りて立憲民主党が政権をとったら、日米同盟の絆、信頼は大きく損なわれてしまう。その瞬間に日米同盟は終わってしまう」と。自民党だけでなく公明党・創価学会、さらに補完勢力というより突撃隊の維新も、野党共闘攻撃、その中心としての反共攻撃を展開した。
 単なる批判勢力としての時より、政権交代をかかげた選挙での連携した反共攻撃はその効果は大きかった。結果は政権交代はならず、比例選挙での後退となった。だが今後への確かな成果を上げたとうのが共産党の評価だ。共闘が成立したうち59選挙区で勝利し、甘利幹事長や石原元幹事長らの大物議員を落選させた。さらに33選挙区で自民候補を僅差まで追い上げた。共闘の効果が十分あったことは自民候補自身がよく知っているはずだ。
 だが選挙翌日から、自民党からマスメディアがバトンを受けついで、共闘は失敗だったという攻撃を展開し始めた。そのなかで満を持して登場したのが、「毎日新聞」のコラム「風知草」だ。執筆は山田孝男特別編集委員だ。毎日の主筆だ。山田氏は、かねてから安倍前首相とねんごろな関係を築いてきた。安倍首相とのお食事会の常連だった。そんなんでいいのかと、つねづね思っていたが、やっぱりなあという結果を披露した。
 山田「風知草」は、野党共闘解消を立憲民主党代表選に期待したがそこまでいかなかったことを残念がる。そして共産党が政権参加をねらうなら綱領を捨てよという。何新聞?「産経」?「読売」?
 「共産党の綱領には、将来の課題と断ってこそいるが、日米安保条約廃棄、自衛隊解消、天皇の制度の存廃の解決と書いてある」「安保や天皇をめぐる共産党綱領の現実離れも、私から見れば度を越している」という。
 いずれも憲法上の問題だ。山田氏は、安保条約をもはるかに踏み越えた日米同盟という名の軍事同盟、海外で戦争をやることをうたうものに、安保条約からも憲法からも問題を感じないのだろうか。今の自衛隊が防衛のためをとおりこして米軍との共同作戦を、さらに国際法違反の先制攻撃=敵基地攻撃能力をめざしていることに何も感じないのだろうか。将来の課題として問題を見据えることが誠実な態度であって、いつの間にか問題を忘れ現実追従を生きるすべにするのは歴史を忘れないものには通用しない。
 天皇制については憲法第1条の規定であって、共産党の綱領では「現行憲法の前文をふくむ全条項を守り」としており、天皇制の廃止を主張をしているものではない。民主的平和的憲法といわれる現憲法をめぐってはその大切な部分が山田氏の大好きな現実追従によって破壊されていることが大問題であって、憲法をこれ以上破壊させない、まして明文改憲など断じて許さないことが国民的課題だ。だから天皇条項をいじることなど共産党にとってもありえないことだ。遠い将来、日本国憲法ではもう民主化が進まないというほどに社会が進歩した時に、より民主的な憲法が求められる時に天皇条項が課題となるだろう。山田氏は国民の8割が支持しているのに共産党はかけ離れているというが、時代をとびこえた議論で攻撃するのはまったくフェアではない。
 どの党を選ぶかは議会制民主主義の下での国民の権利だ。どんな党の組み合わせで連合を組むか、今の国民課題への姿勢に共通性がある党で組むのは当然だ。だが、山田氏は、政権交代をかかげるのなら、共産党は綱領を撤回するのが前提だという。山田氏はいつから、アメリカ帝国主義・日本財界・自民党を守る奉行になったのか。
 「政権参加を狙うのなら現綱領の絶対視は改めるべきだ」と山田氏はいうが、問題にする3点は将来の民主主義革命の課題であって、現下の政権をめぐる緊急課題ではない。政権交代が実現したとしても、まして閣外からそのような課題を要求はしないと明言し、政権協議でも確定した問題だ。それを時代をとびこえてさもとんでないことが起きるかのようにいうのは、安倍前首相の攻撃の口調と同じだ。
 だが実際には、安保に手を触れないとしても、20項目の共通政策には安保法制、秘密保護法、共謀罪法など憲法違反の法を廃止し、核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバー参加、沖縄辺野古新基地建設中止をかかげる。これだけでも山田氏にとっては驚天動地の事態だ。
 50年か、100年先の天皇制議論が怖いのではなく、いまの日本の、ここ10年ほどの自民党の信じられないような憲法違反の、住民の権利無視の政治を少しでも是正する、元に戻すことに我慢ならないのだ。野党の共通政策が怖いがゆえに、天皇制廃止が明日にでも来るかのように不安をあおっているのだ。だが、憲法第1条天皇条項ををふくむ憲法を断固擁護するのが共産党だ。いちばん頑固に憲法擁護をいっているが共産党であることは日本のすべての人が知っている。
 山田氏が安保に酔いしれている下で、日米軍事同盟は安保条約をはるかにとびこえて世界を股にかける軍事同盟になっているではないか。条文上は極東安保となっているのに、いまや世界安保に変身している。同時多発テロで、テロリストは国際的な包囲網で刑事裁判にかけるべきものを、「戦争だ」といいつのってアフガンに攻め込み、さらに直後、国連の査察が完了する直前にイラクに侵略したアメリカ帝国主義に日本政府は追随した。その結果は数十万の命がうばわれ、中東はテロの温床と化した。過ちの代償はあまりにも大きい。山田氏は、安保を踏み越えてはいけないといったことがあるのだろうか。集団的自衛権を容認した安保法制は、何年たっても合憲性がない。山田氏はそんなことはもういい、合憲違憲は問題ではないというのだろう。辺野古に新基地を否が応でも押し付けるのを、今更問題にすべきではない、沖縄のことと忘れようというのだろうか。でも辺野古が目に見える安保なのだ。
 山田氏は、共産党には政権に加わる資格がない、なぜなら安保・自衛隊・天皇制を綱領に掲げているからといういい方で、共闘を分断しようとしている。だがこれらは共闘には持ち込まないと確認済みだ。前提条件だ。その前提に立った政策が安保法制や辺野古新基地などの20項目だ。山田氏が恐怖を感じているの共産党の3点ではなく、20項目なのだ。20項目を掲げることは資格がないとはいえないので、共産党攻撃に集中することで目的をはたそうとしている。私から見れば、山田氏の現実追随はもはや度を越している。







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うおぜ、鯛、せせり

2021年12月07日 13時19分04秒 | Weblog
① 業務スーパーに最近「うおぜ」がよくでている。10センチからせいぜい13センチの大きさだ。銀色でカワハギのような形だ。頭を落とし、三枚に開く。真ん中の小骨を抜く。銀色の皮をすこしづつ剥いて行く。これを4つくらいに薄切りして、わさび醤油、ポン酢で食べる。うおぜは塩焼き、煮物の紹介が普通だが、刺身がとても美味しい。
② 「鯛」も業務で丸のまま売っているのを買った。35センチ大きさでの800円。安かった。これも刺身にしたら2枚取れるので割安だ。しかし実際下ろしてみるとその身は小さい。刺身にして売っている鯛は相当大きいのだ。小さいので骨を抜いて、背と腹に分けずに、皮を残して湯引きにした。皮と身の間に美味さがあるので小さめの鯛はこれだ。鯛の湯引きつくりは最高だ。残った頭と中骨は荒炊きにした。でもやはり小ぶりだ。
③ 「せせり」は鶏の首の骨周りの肉だ。15センチくらいある。骨も一部混じっている。残っている骨を包丁で削り取りながら、3,4つに切り分け、串にさす。軽く塩コショウして、コンロのグリルで焼いた。竹串の持つところに銀紙をおおったがそれでも串は黒くなった。せせりは鶏肉としては一番おいしいのではないか。7本分取れたが、これで300円弱だから格安焼き鳥だ。
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「身を切る改革」は民主主義破壊の詐欺的内容

2021年12月07日 10時11分22秒 | Weblog
 大阪維新の会が、12月府議会に府議会議員定数を88から79に削る条例案を提出しようとしている。維新はこれを「身を切る改革」だといっている。
 そもそも「身を切る」とは、自分の体を切る、身銭を切る、自腹を切るという意味だ。人の身を切るのは傷害罪になる。身を切るというのはあくまでも自分を犠牲にしてという意味で使わないと詐欺的用法になる。議会を削るというのはどうか。議会は民主主義の重要な制度だ。断じて維新の所有物ではない。ところがこれを自分の所有物のように見立てて、身を切るというのだ。まさに詐欺だ。
 議会制度は、表現の自由、参政権の上に立つ民主主義を保障する重要な制度だ。決して個人や、政党の所有物ではない。恣意的に扱うものではない。敬意をもって対応しなければならない。
 維新はかねてから議会は小さければ小さい方がよいという考えに立ってきた。橋下氏はかつて、横柄な態度で、鳥取県は人口が少ないから県議会は6人でいいといった。鳥取県から猛批判を受け撤回したが、ここにすべてがあらわれている。
 こんど大阪府議会を79人にしようと狙っているが、人口当たりでは最も議員が少ない自治体になるだろう。問題は、1人区が70%にまで増え、議席につながらない死票が大量になる。そして住民の多様な意見が議会に反映されなくなる。4人区が3人区にされ、批判勢力の排除を進める狙いがある。
 これに対し、石田法子・大阪弁護士会元会長らが削減反対の女性アピールを出し、女性の声がより届きにくくなると警告を発した。東京都議会は女性議員が41人(32%、全国1位)だが、大阪府議会は6人(7%、36位)でさらに悪化するのは目に見えている。
 多様な意見を議会に集めるのは民主主義の基礎だ。より独裁に近づける制度改変はとんでもない。議会制民主主義を壊すのを「身を切る」といわせてはならない。議会は維新の所有物ではない。

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