2021年5月27日、全国学力調査が小学校6年生と中学校3年生それぞれ約100万人対象に行われた。この調査が児童生徒の学力調査を目的にするなら、数年に一度の抽出調査でいい。これが最善の方法だ。統計学的に証明されている。毎年、100万人もの答案を集めてどうするのだ。分析する時間もない。学校と生徒を権力の下にがんじがらめにするための手段として教育の国家統制のためにやっている。これこそ安倍政治だ。これによって全国の学校は点数競争に巻きこまれている。大阪で声を上げた久保敬校長の提言のポイントはここにある。点数競争から教育を取り戻そうと。
小さな無料塾の生徒から中3国語の問題を見せてもらった。国語教育が専門ではないが、大人としての常識から問題を解いてみたが実に難しい。
大きい問題が4つある。問題はA4・17ページに及ぶ。1問4ページだから、ページをめくったり戻ったりの繰り返しとなる。しかもすっと答えられない難問だ。だから私はどれだけ問題文をめくったかわからない。それを面倒くさがったらほとんど正答できない。
1番目の問題はある市の中学校の代表生徒たちが司会者含めて4人で地域清掃活動についてテレビ討論をしたという設定だ。疑問に思う問いは、さらに討論を続けたとして4人のうち誰がどのようなことについて発言するとよいと考えるか、そう考えたのはなぜか書きなさいという記述式の問題だ。ただし条件①・問題文の討論をふまえ、どのようなことについて発言すればよいかを書くこと、条件②・①のように考えた理由を具体的に書くことという条件に従って答える。
誰が発言するか、どのように発言するかを自由記述的に答えてもいいようにも見受けられるが、条件①②のしばりがあって、限られた時間ではじつに難しい。正答例では70字あまりの文章となっている。
2番目の問題はSNSに関する文章を題材にした問題で、これも50字余の正答例がある。
3番目は夏目漱石の『吾輩は猫である』からの問題だ。80字の正答例がある。
4番目は、中学生が焼き物について調べる際に、「焼き物館」との間でわりと長いメールのやりとりをしたのがあって、3通目のメールの「なお書き」であなたが二つの確認事項について焼き物館に訊ねる文案を書けというものだ。
確認事項は、焼き物館を訪れるにあたっての持ち物と服装、写真撮影の許可についてだ。これは尊敬・謙譲語をつかって手紙を書くもので、国語の学力を図るには適切な問題だ。120字。
問題のページ数は大部なものだが、問題の数は多くはない。だが時間を要する記述式が4つもあるのは、問題として不適切だ。しかも回答するのに条件をいろいろつけて思考を維持するのを難しくさせている。国語的なあるいは文学的なセンスを問う問題はなく、論理の力にもっぱら焦点をあてた問題だ。
学力調査なら国語力全般を調べるのが筋だろう。広く基礎的な力から調べるべきだ。ところがそんな姿勢は文科省にはない。漢字の読みの問題は2つ。漢字の書き取りはなし。書き取りなしにはおどろいた。採点が面倒というのもあるだろうが、いまやパソコンの時代で漢字は書けなくていい、パソコンが代わりにやってくれるというのだろう。ここに文科省の学力観が示されている。
基礎的な問題は出さずに、論理操作を中心にした難しい記述式がメインとなっている。記述式中心はバランスを欠く。
大学入学共通テストで英語民間試験とともに記述式導入が懸案となっていたが、実施中止となった。記述式については「公正な採点体制が困難」だから。
大学入試は20日間で50万人分を採点しなければならないが、無理だということだ。採点はベネッセなどの業者に丸投げするのだが、公正さを担保できるか怪しいのだ。主婦や一部学生のアルバイトにやらせるのだろうが採点はむずかしい。高校入試では、限られた採点者が打ち合わせをして採点し、疑問のある答案が出てきたら採点を中断して、打ち合わせをし直す。ところが50万人の大学入試でも公正さを保てないのに、100万人の学力調査では上からの指示書はあっても、打ち合わせはありえない、まして疑問答案、採点基準のずれが生じても対応はできない。学力調査は3か月ほどかけて採点するそうだから時間的には可能だろうが、公正な採点は不可能だとわたしは思う。採点者に国語の専門的な能力があり、議論に参加して採点基準を練り直す権限が与えられないのであれば、じつにいい加減な採点といわざるをえない。
もちろん記述式の問題は必要だ。だが大規模なテストでは採点の公正が保てない。生徒に身近な学校のテストで記述式をどんどんやればいいのだ。
全体として文科省の学力調査の問題は、これから学校で教育する内容をどこに引っ張っていこうとしているかを示している。基礎的な学力をすべての生徒に保障するという姿勢は放棄している。抽象的な論理操作にすぐれた一部の生徒を育てることをもっぱらとするものだ。
高校の教育課程の改編で、論理国語と文学国語の選択を生徒に迫り、学力調査では論理国語一辺倒の問題文をみせつけ、国語教育を論理教育に変質させようとしている。
生徒間のそして学校間の点数競争を極限まであおり、学校を新自由主義の市場と化す戦略は着々と進んでいる。こんどの学力調査の問題をみて、その路線があらゆるところで強引に進められていることがわかった。入試と違って反発が出にくい、批判意見が発表されないことをいいことに、こんな乱暴なやり方で教科教育を変質させるのは許せない。