山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

映画「パンケーキを毒見する」がおもしろい

2021年07月31日 21時28分00秒 | Weblog
 封切り2日目に「パンケーキを毒見する」をなんばパークスシネマで観た。予想通り面白い。パンケーキおじさんの真の姿をえぐろうというものだ。案の定、自民党の先生方、その取り巻きの評論家先生などは取材拒否だ。自民党では石破茂、村上誠一郎両氏だけがインタヴューに応じ、思いを述べている。これくらいの度量があっていいと思うのだが、いまの日本の与党勢力の狭い根性にはあきれるばかりだ。
 映画では、菅首相の国会答弁の論点ずらし、ごはん論法が上西充子法政大教授の解説付きで詳細に描き出される。これがじつに面白い。観客から思わず笑いが漏れる。笑いが出るのは寅さん映画以来だ。菅首相の最初の大仕事が学術会議の会員任命拒否だった。小池晃議員、辻本清美議員がわかりやすく質問するが、これに対する答弁が菅という人物のあほさ加減と厚顔無恥をみごと暴きだす。
 権力に切り込むべき大手記者がパンケーキをふるまわれて軟弱になる。その中で敢然と切り込むのが「赤旗」。大手が「桜を見る会」のお祭りにいっしょになって酔いしれているとき、赤旗は税の私物化の視点で地道な調査を続けた。やがて安倍菅政権の本質を暴く。カメラは赤旗日曜版編集部に潜入する。編集長がマスコミの現状を説明するのが説得的だ。さらに今年、領収書なしで買収でも何にでも使い放題の官房機密費を菅氏が官房長官時代に1日307万円、計86億円使ったというスクープ。自民党総裁選の時の機密費の支出が、総裁選買収に使われたであろうと推察されるドキュメントだ。政権交代で闇を暴かなければならない。
 製作・川村光庸、監督・内山雄人。慰安婦問題を扱った「主戦場」もよかったが、「パンケーキを毒見する」は大手の映画館でのロードショーでもあり、多くの人に見てほしい。日本のマイケル・ムーア登場だ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼったくり男爵バッハ会長の、ひとつだけいいなと思ったこと

2021年07月29日 09時03分43秒 | Weblog
 ぼったくり男爵、オリンピック帝国主義者ともいうべきバッハ会長だが、ただひとつだけ「これはいいこと」と思ったことがある。それはオリンピック開始直前の何かの会合で、バッハ氏のために椅子を引こうとした係員に、彼はそれはいいと手で制したことだ。
 現代の貴族というべきバッハ氏が、椅子に座るとき係員が丁重に椅子を引くのは当たり前だとふるまうのかと思ったらそうではなかった。自分で椅子を引いて座った。当たり前のことだが、ちょっとだけ常識を持っていることに私はびっくりした。
 これで引き合いに出されるのが、吉村大阪知事だ。この吉村という人物、大阪府庁内の会合で自分か座るとき、かならず部下の職員に椅子を背後で引くサービスをさせる。こんなことをしてもらっていいのは結婚式の新郎新婦だけだ。ひとを下男下女のごとく使うのは人として許されない。この吉村氏、会議では正面に一人だけ座る。本来なら執行部側として副知事や局長らは知事と同列に座るべきだ。府議会や国会などもそうだ。ところが府内の会議では正面には吉村氏だけ。副知事も局長も下手に座る。内閣の各種会議でもそんなことはない。吉村氏は自分がどれだか偉いと思っているのか。一人正面に座るのは私の記憶では、徳川慶喜の大政奉還と天皇の小御所会議、御前会議しかない。
 世界の貴族バッハと大阪の貴族吉村。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪中止世論、東京で50%

2021年07月15日 11時48分47秒 | Weblog
 「読売」7月9~11日実施の世論調査によると、五輪開催のあり方について、東京都民は「中止する」がなんと50%に達した。全国でも41%だ。政府がろくな説明も質問への回答もできないまま、開催への既成事実を積み上げてきた結果、また尾身会長も中止提言を封じ込めて、やるなら無観客へと提言内容を変更したこともあって、「中止」世論は減少してきた。「読売」5月調査では「中止」59%、6月48%だった。
 しかし、冷静に見ると、開会2週間前という直前の調査で、「中止」世論が41%、地元東京では50%が中止を望んでいるというのはおどろきだ。東京都議選での議論と結果もおおいに関係しているだろう。都議選では、共産党が1月以来いい続けてきた、五輪は中止してコロナ対策に全力をあげようというスローガンが浸透した。
 五輪とコロナは問題の裏表だ。その先にあるのが総選挙で、菅与党が勝利することが最大の命題となっている。総選挙そのための五輪、これをつつがなく実施する範囲でのコロナ対策という関係だ。これでは問題が全く逆だ。
 コロナの新規感染者が7月14日、東京があっというまに千人を上回り、1149人に達した。沈静していた大阪も349人へと急拡大している。高齢者はワクチンの普及もあり少ないが、それ以下の層があぶない。デルタ株だ。ワクチンが普及したアメリカでもデルタ株により感染が急速にぶり返している。開会まであと1週間。オリンピック本番中はコロナデルタ株が爆発という状況だろう。想定していなかった、緊急事態下のオリンピック。
 世界的パンデミックの下でそもそもオリンピックはやるべきではない。専門家の一致した意見だ。それを無視して、ここまでごり押ししてきたが、政治的思惑優先の結果、大切なものを押しつぶしている。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国学力調査の問題内容に重大な疑問

2021年07月10日 11時03分16秒 | Weblog
 2021年5月27日、全国学力調査が小学校6年生と中学校3年生それぞれ約100万人対象に行われた。この調査が児童生徒の学力調査を目的にするなら、数年に一度の抽出調査でいい。これが最善の方法だ。統計学的に証明されている。毎年、100万人もの答案を集めてどうするのだ。分析する時間もない。学校と生徒を権力の下にがんじがらめにするための手段として教育の国家統制のためにやっている。これこそ安倍政治だ。これによって全国の学校は点数競争に巻きこまれている。大阪で声を上げた久保敬校長の提言のポイントはここにある。点数競争から教育を取り戻そうと。
 小さな無料塾の生徒から中3国語の問題を見せてもらった。国語教育が専門ではないが、大人としての常識から問題を解いてみたが実に難しい。
 大きい問題が4つある。問題はA4・17ページに及ぶ。1問4ページだから、ページをめくったり戻ったりの繰り返しとなる。しかもすっと答えられない難問だ。だから私はどれだけ問題文をめくったかわからない。それを面倒くさがったらほとんど正答できない。
 1番目の問題はある市の中学校の代表生徒たちが司会者含めて4人で地域清掃活動についてテレビ討論をしたという設定だ。疑問に思う問いは、さらに討論を続けたとして4人のうち誰がどのようなことについて発言するとよいと考えるか、そう考えたのはなぜか書きなさいという記述式の問題だ。ただし条件①・問題文の討論をふまえ、どのようなことについて発言すればよいかを書くこと、条件②・①のように考えた理由を具体的に書くことという条件に従って答える。
 誰が発言するか、どのように発言するかを自由記述的に答えてもいいようにも見受けられるが、条件①②のしばりがあって、限られた時間ではじつに難しい。正答例では70字あまりの文章となっている。
 2番目の問題はSNSに関する文章を題材にした問題で、これも50字余の正答例がある。
 3番目は夏目漱石の『吾輩は猫である』からの問題だ。80字の正答例がある。
 4番目は、中学生が焼き物について調べる際に、「焼き物館」との間でわりと長いメールのやりとりをしたのがあって、3通目のメールの「なお書き」であなたが二つの確認事項について焼き物館に訊ねる文案を書けというものだ。
確認事項は、焼き物館を訪れるにあたっての持ち物と服装、写真撮影の許可についてだ。これは尊敬・謙譲語をつかって手紙を書くもので、国語の学力を図るには適切な問題だ。120字。
 問題のページ数は大部なものだが、問題の数は多くはない。だが時間を要する記述式が4つもあるのは、問題として不適切だ。しかも回答するのに条件をいろいろつけて思考を維持するのを難しくさせている。国語的なあるいは文学的なセンスを問う問題はなく、論理の力にもっぱら焦点をあてた問題だ。
 学力調査なら国語力全般を調べるのが筋だろう。広く基礎的な力から調べるべきだ。ところがそんな姿勢は文科省にはない。漢字の読みの問題は2つ。漢字の書き取りはなし。書き取りなしにはおどろいた。採点が面倒というのもあるだろうが、いまやパソコンの時代で漢字は書けなくていい、パソコンが代わりにやってくれるというのだろう。ここに文科省の学力観が示されている。
 基礎的な問題は出さずに、論理操作を中心にした難しい記述式がメインとなっている。記述式中心はバランスを欠く。
 大学入学共通テストで英語民間試験とともに記述式導入が懸案となっていたが、実施中止となった。記述式については「公正な採点体制が困難」だから。
大学入試は20日間で50万人分を採点しなければならないが、無理だということだ。採点はベネッセなどの業者に丸投げするのだが、公正さを担保できるか怪しいのだ。主婦や一部学生のアルバイトにやらせるのだろうが採点はむずかしい。高校入試では、限られた採点者が打ち合わせをして採点し、疑問のある答案が出てきたら採点を中断して、打ち合わせをし直す。ところが50万人の大学入試でも公正さを保てないのに、100万人の学力調査では上からの指示書はあっても、打ち合わせはありえない、まして疑問答案、採点基準のずれが生じても対応はできない。学力調査は3か月ほどかけて採点するそうだから時間的には可能だろうが、公正な採点は不可能だとわたしは思う。採点者に国語の専門的な能力があり、議論に参加して採点基準を練り直す権限が与えられないのであれば、じつにいい加減な採点といわざるをえない。
 もちろん記述式の問題は必要だ。だが大規模なテストでは採点の公正が保てない。生徒に身近な学校のテストで記述式をどんどんやればいいのだ。
 全体として文科省の学力調査の問題は、これから学校で教育する内容をどこに引っ張っていこうとしているかを示している。基礎的な学力をすべての生徒に保障するという姿勢は放棄している。抽象的な論理操作にすぐれた一部の生徒を育てることをもっぱらとするものだ。
 高校の教育課程の改編で、論理国語と文学国語の選択を生徒に迫り、学力調査では論理国語一辺倒の問題文をみせつけ、国語教育を論理教育に変質させようとしている。
 生徒間のそして学校間の点数競争を極限まであおり、学校を新自由主義の市場と化す戦略は着々と進んでいる。こんどの学力調査の問題をみて、その路線があらゆるところで強引に進められていることがわかった。入試と違って反発が出にくい、批判意見が発表されないことをいいことに、こんな乱暴なやり方で教科教育を変質させるのは許せない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『自由』の危機――息苦さの正体」(集英社新書)を読む

2021年07月08日 14時00分22秒 | Weblog
 2021年6月22日発売の「『自由』の危機――息苦しさの正体」(集英社新書)を読んだ。去年10月1日、日本学術会議の新会員に任命にされるべき人文系学者6名が正当な手続きを経て推薦されたにもかかわらず、菅首相によって拒否された。戦前の滝川事件に匹敵するような、日本の学問の自由への重大な侵害だ。
 この第1報は「赤旗」が10月1日付けで報じた。そんな関係もあり、共産党の雑誌「前衛」がこの問題に関する識者の論文を連続して掲載してきた。
 本書はトップバッターとして、コロナ以来一躍論壇のヒーローとなった藤原辰史さん、2番姜尚中さんから、堤未果さん、内田樹さんまで26人の筆者が登場する。ヤマザキマリさん、桐野夏生さんら文化芸術関係の論者も執筆し、全体としては実に広い視野から問題をとらえようとしている。それゆえ、普通の新書の2倍の分厚さだ。
 教育研究者の鈴木大裕さんは安倍政権下での教育への政治介入を論じている。第1次安倍政権は全国学力調査を43年ぶりに復活させた。小学校6年生と中学校3年生全員対象に行った。調査ならば抽出式で十分正確な結果は入手できる。全員ということは、学力の「調査」は名目であって学校統制、教育内容の統制目的だった。民主党政権下では抽出式で調査がおこなわれた。だが、第2次安倍政権では再び全員へと戻すしつこさを見せた。学力の推移、単元別の特徴、どこでつまづいているか、指導法をどう改善すればいいかなどを研究するのに、それぞれ100万人の答案は必要ない。じゃまだ。
 安倍政権は、指導改善の研究のための学力調査の結果を、教育委員会の判断で学校別の成績開示ができるようにし、学校間の序列化をすすめ、点数競争をあおった。大阪では、市さらに府が全員対象のテストをおこない、1年中テスト漬けの生活を子供たちに強いている。学校は結果責任を求められ競馬の馬のような状態になっている。中学2、3年生では入試の内申点の学校ランク付けに紐づけされるチャレンジテストがある。自分がテストを受けたら平均点を下げるから休むという生徒がいっぱいでている。自治体ぐるみのいじめ・差別だ。安倍学力調査が、いまやとどまるところを知らないほどに異様な様相を示している。経済は弱肉強食の新自由主義で格差社会も行きつくところまで行った。経済の格差を子供たちの世界には持ち込んではいけないと、教育関係者は昔から努力し、どの子も平等に、どの子ものびるようにと努力してきたが、いまや教員の努力を無にするような教育施策が次から次へと下ろされてくる。新自由主義の教育だ。学校に行きづらい子はいっそう行けなくなる。国連の人権委員会から日本の教育が抑圧的だと是正勧告が出て20年にもなるだろう。だが、子どもを点数と競争であおる学校制度では不登校はふえるばかりだ。松井市長は、将来、競争社会を生きぬくために、小学校の時から学校を競争社会にし、点数で競わせ、抑圧をかけて耐える力をつけようという。
 ふりかえると、民主党政権はまっとうな対応をした。しかし、安倍晋三氏は、ことあるごとに「あの悪夢の民主党政権」と口を極めて攻撃してきたが、学力調査問題を見れば、安倍政権こそ「悪夢の政権」だ。
 5月27日全国学力調査がおこなわれた。小さな無料塾の生徒から中3の国語の問題をもらった。見てびっくり、これは子どものための、指導改善のための調査ではなく、財界の求めるグローバル世界で生き抜くための全く新しい学力観へと無理やり引きずっていくためのテストだと思った。もちろん、できない生徒を引き上げるにはどうしたらいいのかは考慮の外だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松井市長、都議選でウソまきちらす

2021年07月07日 17時39分44秒 | Weblog
 吉村、松井両氏が、大事な仕事を放って都議選支援に行った。松井氏は、演説で「大阪では公務員を減らしてきたけど、公務に支障は出してません」といったようだ。たしかに公務員を目の敵にして、それを人気取りの手段にしてきたのが大阪維新だ。その結果、公務に支障は出ていないか。ウソだ。大阪のコロナ死者がどれだけ多いか。東京どころか関東圏合わせたほどの死者を出している。在宅のまま放置されて、あるいは施設から病院に搬送されないまま死んだ人がどれだけ積みあがったか。それへの反省も痛みも感じていない悪辣な発言だ。270万大阪市で保健所は1か所だけ。電話しても通じない、何日も自宅療養という名の放置が実態の保健行政だった。第4波では完全に医療崩壊していたのに、それを認めようとしない厚顔無恥。
 コロナ対策では公立病院の役割が決定的だ。コロナ患者を受け入れることが公立病院の使命だ。だが維新政治は猛烈な反対の声をおしつぶして、住吉市民病院をつぶした。この病院があったならばすこしは患者を救うことができたことは間違いない。住吉市民病院をつぶしたことについては、あの橋下氏でさえ反省の弁を述べた。維新政治はまた看護学校もつぶした。行政の公的な役割、
仕事を徹底してないがしろにする、削る、これが維新政治の本質だ。
 東京に行ったら、誰も知らないと思ってデマを飛ばす。だが、松井氏が車に乗るときに、「早う帰って仕事しろ」とヤジが飛んだそうな。東京の人もわかってる。そのとおり。松井氏は石原・元都知事と通じていただけあって、週に3回しか登庁しない。それなのに、公用車に乗って役所の周辺をぐるぐるまわって車内でタバコを吸っている。若い時からの喫煙習慣からぬけられない。一般職員が庁内で吸えば処分される。公用車はいいらしい。
 大阪では維新はトランプのごとき存在だ。超右翼的政治思想から新自由主義的政策までトランプ流だ。だが維新メンバーは殺人未遂から詐欺、役所私物化など犯罪、不祥事のオンパレード。府民市民の側からけじめをつけないといけない。都議選では、維新はあまり相手にされなかったようで、当然といえば当然だが東京の人の良識を感じた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉村知事、選挙のために公費出張?

2021年07月04日 11時54分12秒 | Weblog
大阪の吉村知事が首相、大臣に要望を伝えるために上京した。ワクチンがひっ迫したために、大都市中心にワクチンを集中投与すべきだとの新たな思いつきをテレビカメラにしゃべったのを伝えると言ってた。待て!地方も含め全国でワクチン供給が決まり、着々と進んでいるのに、わがまま勝手なことをいう。何様や!
で、7月2日河野大臣に面会した。こんなことのために、わざわざ上京しなくていい。電話という便利なものがある、間違った意見を伝えるために出張などするな。
ところが、上京の真の理由がすぐ分かった。翌日3日、都議選の維新候補の押し上げの行動に集中した。松井市長もいっしょに。松井はコロナでも週に3日しか登庁しないから、暇は余るほどあるけど。
なんのことはない。維新押上のため、東京出張を作ったということだ。往復とも公費なのか、行きだけなのか不明だが、不要な公務を無理やりでっち上げて、私的な政治に利用したことは事実だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする