山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

安保条約破棄をにおわして迫るトランプ。屈服するだけの安倍

2019年06月28日 23時01分59秒 | Weblog
 トランプ大統領が6月25日の報道で、「日米安保条約破棄を検討している」、在沖縄米軍基地の移転を「土地の強奪だ」として金銭的補償を求める、移転対象の土地には100億ドルの価値がある、と発言していたことが明らかになった。安保条約は日本側に米国防衛の義務を課していないためにあまりに一方的だとも述べた。
 安倍首相はこの問題は封じ込めたかったが、トランプ大統領は平然と自説を展開した。トランプ、インドのモディ、安倍の三者会談の場で外人記者が日本語で、トランプの安保破棄発言をどうするのかと問うたのに、政府関係者が記者を引きずり出して、安倍は事なきを得た?。とにかくトランプ発言はなかった、知らないで逃げるということで。
 トランプはG20の閉幕後の記者会見で、安保条約は「片務性」があり「我々は変える必要があると安倍首相に伝えた」「不公平な条約だと、過去6か月間、安倍首相に伝えてきた」と公開の場で証言した。安倍首相に伝えたのは今度もなのかどうかは今一つ不明だが。
 6か月前から伝えてきたというのに、国民にはなんら明らかにされてこなかった。安倍政権幹部は29日、「安倍首相に伝えた」というトランプ発言は「全くない」と全面否定した。トランプ側は、B20前の25日に情報を流し、本番でも公然とくりかえす。安倍首相の面子まるつぶれだ。
 トランプは安保条約は片務的だというが、日本の米軍基地が攻撃された場合、自衛隊が共同行動をするという双務的な内容にじつはなっている。実際にそうならなかったのは、憲法9条が生きていたからだ。だが、安倍内閣が2015年安保法制を強行採決し、集団的自衛権行使を法定したときから状況は変わった。アメリカ政府の要求に屈して憲法違反の集団的自衛権行使に踏み切った。ここにトランプの事実認識の間違いがある。
 もうひとつ。普天間移転を土地の強奪だというが、強奪したのはアメリカ帝国主義ではないか。戦時国際法は、占領国は占領地の法を守らなければならず、住民の財産を奪ってはならないことが定められている。沖縄の基地は、ただのひとつも県民がすすんで提供したものはない。すべて米軍が強奪したものばかりだ。100ドルの価値があるというのは不動産屋トランプならではだ。
 さらに、安保条約は不公平だというが、条約上の義務を大幅に超えて財政負担をしているのが日本だ。何の義務もないのに、1974億円も負担している思いやり予算を入れたら、基地経費の7割は日本国民が負担している。在日米軍基地は、アメリカ本土に置くよりも圧倒的に安上がりになっている。安倍はこれくらいの反論したのかね。トランプに脅されて、安倍政権は、イージス・アショア2基4389億円、1機150億のF35ステルス戦闘機を100機爆買いする。アショアはハワイ、グアム防衛のためだ。アメリカを守っているではないか。ステルス戦闘機はレーダーをかいくぐる戦闘機だ。北朝鮮の攻撃があると2017国難選挙で安倍は叫んだが、日本防衛のためになぜステルス機が要るのか。ステルスはよその国に侵略するために必要なのだ。すでに日本の安保法制は侵略的に変貌している。実は、安保条約をのり越えて侵略的な法整備がすすんでいる。
 トランプの脅しは、農産物などの貿易交渉で安倍首相をめった打ちにする武器になるだろう。
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マクロ経済スライドは基礎年金2万円減らすことを安倍首相告白

2019年06月25日 23時36分58秒 | Weblog
 党首討論で志位委員長のマクロ経済スライドによらない減らない年金提案に対して、安倍首相が7兆円要るといったのは、じつはマクロ経済スライドの結末をおもわず語ったことが判明した。
 7兆円年金給付が削られると、国民年金(基礎年金)が40年保険料を納めても満額が6万5000円にすぎないのに、なんと4万5000円になり、2万円も減るのだ。国民年金を満額もらっている人はすくないが、2万円も減らされると、とんでもない事態になる。100年安心の年金は、年金制度が100年つづくことをいったのであって、もともと支給額のことを言ってはいないと自公関係者は弁解している。勘違いした方が悪いといわんばかりに。
 だが、マクロ経済スライドの結末が、国民年金制度の実質的破壊そのものだということはひた隠しにしてきた。それが志位委員長のマクロ経済スライド廃止論にばかげた案と反発するあまり、おもわず今まで秘密にしてきた国民年金制度破壊の結末をしゃべってしまった。
 さあどうする。報告書を受けとらないという話どころではない、自ら舞台裏を明かしてしまったのだから、逃げるわけにはいかない。破滅的マクロ経済スライドで地滑り的年金生活破壊の道を滑り落ちるのか、立て直しをはかるのか、正面から議論するのが参院選の課題だ。
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令和は国書に基づくという安倍鼓吹の空疎を突く。『毎日』下定論文

2019年06月22日 21時41分05秒 | Weblog
 6月6日(木)『毎日新聞』夕刊に下定雅弘・岡山大学名誉教授の令和騒ぎの虚妄をつく論文がやっと載った。やっと載ったというのは、下定氏の大学時代の友人で私の友人でもある人から、下定氏の寄稿論文が『毎日』に載るらしいという話を5月始めに聞いてから待ちに待ったからだ。
 国民は、令和が国書にもとづくものだと、安倍先生から万葉集のにわか講義を聴かされ、みんな「ああ、ついに国書から元号をとるまでになったか」と感慨にふける時間を十分にとったのがこの間の推移だ。安倍自民の選挙対策の歴史的大芝居でもあった。下定論文を採用したのは『毎日』の見識だが、それにしても興奮が静まって、いまさら議論が巻き起こらないではないかという時期まで、公開をのびのびにさせる。日本のマスコミの忖度も相当なものだ。
 友人から下定氏の論文のコピーを入手していたが、実際に新聞に掲載されたものは、すいぶん圧縮されたものだった。でも簡潔にして要を得た論文だ。下定氏を招いた講演会では、逆に分厚い資料を頂戴した。
 安倍首相は、ついに国書による元号を制定したと勝ち誇ったように宣言していた。だがすでに識者から『万葉集』の「初春令月、気淑風和」は後漢の張衡「帰田賦」(『文選』所収)に「仲春令月、時和気清」に拠ると指摘されていた。下定氏も当然これをいいつつ、「令」「和」は「帰田賦」のみに登場するのではないという。
 下定氏の中国古典文学者としての学識はさらに典拠を示し、多数の用例をあげる。「令和」は多く字(あざな)として用いられた。字は男子が成人する時に付ける別名だ。六朝・後魏(368~534)の官僚趙邕(ちょうよう)の場合は、邕は和らぐさまを表し、字の令和の令は善の意をもつ。令和が字として中国では重宝されたことを示す例をいくつもあげて、国書にこだわる安倍首相らの系譜にやんわりと警告を発する。
 下定氏は、令和は人間関係を和やかにし、民生を平安にすることを意味して、中国古典に登場しているという。令和は現代の社会に最も必要な共生の思想を具現したものとして漢字文化圏の共通の標語にふさわしいという。氏の『毎日』論文は「漢字文化が生んだ麗しき心性の結晶」という表題だ。
 安倍氏の一派は、令和の提案者(提案者を一派に含めるのは正しくないが)を利用して、ここらで中国古典から縁を切って国粋的な方向に路線転換したいという強い願望があったようだ。だが、下定氏らの研究によって、そのような視野の狭い考えは中国と日本の古典の世界には存在しないことが証明された。逆に漢字文化圏の懐の深さ、「麗しき心性」まで浮かび上がらせた。1000年以上にわたる漢字文化圏の共通の思想を20世紀前半の侵略の半世紀と安倍政権下の中国蔑視の鼓吹で汚してはならない。権力の政治的思惑で伝統を曲げてはならない。
 下定氏は、中国の文人も日本の例えば江戸前期の契沖に代表される学者も、朝鮮の学者も、甲乙つけがたい高いレベルの漢字文化の学識に到達していたことを指摘する。じっくり考えるべきことがらだ。












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国会の議論から逃げ、ご飯論法で論点をそらし、相手の論を理解しない(できない?)安倍首相

2019年06月21日 22時29分02秒 | Weblog
 安倍首相の議会制民主主義破壊はきわだっている。憲法53条は、総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会を召集しなければならないと定めているにもかかわらず、安倍首相は何カ月もこれを無視して開かなかったのに、解散するためだけのために臨時会を開いたのも記憶に新しい。今年の国会では、首相の出席を拒むためだけに、3か月も予算委員会を開かない。国会軽視も甚だしい。
 たった1回の決算委員会で、年金問題で大火事になった。なおさら予算委員会からは逃げる。総時間45分の党首討論を形ばかり開いて、これで国会での追及をかわして、選挙に突っ込もうというのだ。
 そのなかでわずか5分しかない共産党志位委員長の討論には意味があった。年金が自動的に減少をつづけるマクロ経済スライドを廃止して、減らない年金にするための具体的提案があった。マクロ経済スライドでは2000万円たらないどころがさらに1600万足らなくなる。年金保険料は年収1000万円が上限となっている。これを健康保険と同じ年収2000万円まで引き上げ、高額所得者の年金給付の伸びを抑制するようにすれば、年1兆円浮く。これを使えば減らない年金への道が開けるというものだ。
 目が開かれた思いだ。どんなに所得が多くても1000万が上限とは。健康保険と同じにするという提案は、自民公明維新でも文句なかろう。じつに常識的な案だ。麻生大臣が自分が年金をもらっているかどうか知らないといったように、年に何億もの収入がある人は年金給付額をそんなに高くしなくていいだろう。年金に頼って生活している高額所得者はいないだろうから。志位さんの提案は実にいい。
 ところがどうだ。安倍首相が、この提案を全く理解しなかった。理解力がなかったのかもしれない。私の友人などは、安倍首相の知的能力、理解力そのものを問題にする。極右の人々、安倍首相、藤岡信勝氏らは、信仰告白的歴史認識を披露するが、マクロ経済スライドについてもこれを相対化してみるという知的余力はないようだ。
 安倍氏は、「給付と負担のバランスを図っていきたいと」「もう一度申し上げますが、これ(マクロ経済スライドをやめる)はばかげた案だと思います」と締めくくった。だが議論では、志位さんの提案に全く触れなかった。そんな提案はなかったかのように。えっ、そんなやり方があるのかと目を開かれるような案なのに、とにかく無視。それに触れようものなら、自分の立論が崩れてしまうという予感が走ったのか。
 安倍氏は、共産党の「くらしに希望を、3つの提案」と財源7・5兆円を大企業や富裕層の減税をやめることでねん出する案を、この日のマクロ経済スライド財源と混同したらしく、7兆円の財源があるとみなさんは言うが、それは簡単ではないなどといった。
 相手の議論を無視し、論点をそらし、信仰的な論を平気でくりかえす。見抜かなければならない。
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成金の傲慢、ホリエモンがデモ参加者を見下す

2019年06月19日 22時21分42秒 | Weblog
 年金不足額2000万円問題をめぐり、政府に制度の改善を求めたデモの参加者を税金泥棒よばわりした超大金持ちがいる。ホリエモンだ。
 6月16日、東京で行われたデモに対し、「ほんと、そんな時間あったら、働いて納税しろや。税金泥棒め」とデモ参加者を罵倒した。さらに、「親切に教えてやるよ。このデモに参加しているやつの大半は、実質的に納税している額より、給付されている額の方が多いんだよ。それを税金泥棒というんだよ」
 ホリエモンといえば日本有数の大金持ち。金持ちは心も広くゆったりと構えているのかと思えはとんでもない。とてつもなくせこい。根性汚い。年に数億収入の橋下なにがしと同じだ。
 ホリエモンよ。労働者が労働時間以外に何をしようが自由だろう。労働者は働いたら一円のごまかしもなく納税している、天引きで。これが日本の税制だ。なにをぼけたことを言ってるのだ。そのどこが税金泥棒なのだ。いい加減なことをいうな。デモ参加者には定年退職して再任用やアルバイトもやめて純粋の年金生活者もいるだろう。私も今はすべてリタイアした。体調にも問題があるので養生しているというところだ。こんな人がデモに参加していたら何か問題があるのか。ホリエモンよ。たしかに納税額よりも年金給付額の方が多い。当たり前だ。そうでないと1日も生きていけない。年金は生活保障のためのものだ。いったいホリエモンは何を言いたいのか。社会保障制度そのものをひっくりかえすための低級なごまかしをいっているにすぎない。 
 さらにホリエモンの言うところはえぐい。それは、障碍者や生活保護受給者などをそうとは言わずに、やり玉に挙げているのだ。こうなると戦後日本社会の根本をくつがえすことを狙っており、極めて悪質だ。社会保障制度を無駄だ、社会に甘えていると存在自体を否定しようというのだ。ヨーロッパや途上国アジアにもみられない今の日本の意地汚さ、心の狭さにさらに追い打ちをかけるものだ。
 ところでホリエモンの納税額を聞いてみたい。いまは多額納税者の税額を発表しないからつまらない。ホリエモンへの感謝の気持ちも生まれない。株の収入はどんなに多くても課税は一律20%だ。累進課税ではない。これは不公平税制だ。他の収入と合算してそれに課税する総合課税にすべきだ。でないと一般労働者はあほらしくてやってられない。高額所得者への所得税の減税も行き着くところまで来た。だから消費税をこんなに取っているのに、国の税収は伸びずに減っている。税金泥棒というならこんな連中のことをいうのだ。自民党政治家に献金して、法人税、所得税の最高税率の引き下げを迫る。この行為を税金泥棒というのだ。ホリエモンよ。ヘタな理屈で人をだませると思ったら大間違いだ。
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公明党が都構想賛成に回ったことの内部での説明

2019年06月18日 21時50分18秒 | Weblog
 友人がその親戚に創価学会員がいるので、今度、なぜ都構想賛成に転換したのか、公明党からどう説明があったの?と聞いたらこう答えたという。
「公明党は国民に寄り添う政党だから、大阪の選挙の結果を尊重するのだ」と。
 維新は、知事・市長・府市会議員選挙中、都構想・住民投票問題は封印し、逃げ回った。大阪市をなくすなの声に、松井代表などは「この高島屋の前がなくなりますか」などと何の説得力もない、頓珍漢な反論をしたものの、これはやばいと思って、選挙中、封印逃亡を決め込んだ。だから知事市長選挙は都構想での世論調査とは全然違う。
 なのに、公明党は(自民党渡嘉敷もそうだが)、早々に維新にひれ伏して、住民投票に賛成、それだけでなく都構想の中身にも賛成と全面屈服だ。では自らがこれまで主張したことは間違っていたのか。どこがどう間違っていたのか、維新がどう正しかったのか、はっきりさせなければ筋が通らない。ころっと変わるのは、政党として無責任極まりない。ことばを持たない党だといっていい。国民に寄り添うのは大事なことだ。だが多数派の意見に従うだけなら、公約も政見も意味がない。
 国民に寄り添うのが公明党なら、沖縄の辺野古新基地建設に県民は何度も選挙や県民投票で明確な意思表示をしているのに、公明党はなぜ寄り添わないのか。この一事をもってしても、都構想での変節に何の説得力もないことははっきりしている。
 都構想の件は、大阪でというよりも東京で首相官邸と創価学会本部との間で決まったのではないか。維新と一体の首相官邸、首相官邸と一体なのが学会本部という構図だ。
 国民に寄り添うのは結構なこと。消費税増税反対の世論に寄り添う方が、日本経済のためにも、生活苦にあえぐ庶民のためにもいい。年金問題での国民の不安にも寄り添った方がいいのでは。
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逃げるな安倍首相!選挙に都合が悪かったらあるものもないことにする。森友といっしょ。

2019年06月13日 10時30分34秒 | Weblog
 麻生金融大臣が自分で諮問した報告書の内容が選挙に都合がわるいとなったら、受け取らない、なかったことにするというご都合主義には恐れ入る。でも初めてではない。国有財産をただで払い下げした森友疑惑でも、あったことをなかったとしたのを忘れてはいない。年金だけでは2000万円足らないというのだが、足らないというのはみんな日々わかっている。でも公式に認めたのが、大反響を呼んだ。これでは選挙闘えないと蓋をする。安倍・麻生政府が国民をバカにし、手玉に取る政治にけじめをつけなければならない。
 2か月も予算委員会を開かず、議論から逃亡を決め込んだ安倍首相。芸能人を手なずけるためにお花見や会食ばかり。国会に出てこい。年金だけでなく、消費税10%の大問題、イージス・アショア問題、沖縄辺野古、失敗同然の日露交渉、さっぱり相手にもされない日朝交渉など重大問題が放置されたままではないか。何も問題がないかのように装って選挙に逃げ込む。逃亡を許してはいけない。
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731部隊軍医将校の学位授与(京都大学)の検証を求める。サルが頭痛を訴えた特殊実験

2019年06月11日 12時13分28秒 | Weblog
 2019年6月1日、京都大学・吉田南4号館であった「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって連続企画」に参加した。報告は、731部隊を究明し続けている松村高夫・慶応大学名誉教授だ。その報告を紹介し感想を述べるのは字数を要するし、時間も相当かかるので、ここでは学位授与に限定して触れたい。
 2018年7月26日、「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」が京都大学総長山際壽一氏に「旧満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます」という要請書を提出した。
 平沢正欣(まさよし)軍医将校は1945年5月31日、京都大学に医学博士の学位申請をした。主論文は「イヌノミのペスト媒介能力について」。6月6日教授会で学位審査が行われ、9月26日、学位授与された。平沢氏は途中で死亡しており、死者に学位が与えられた。
 問題は、論文に「特殊実験」の項がある。戦時中そして論文審査の時には「特殊実験」とは人体実験であったことは関係者の常識だった。平沢氏ら731部隊は少なくとも3000人の中国人らをマルタと称して、人体実験を行い十数種類の細菌研究をおこなった。論文では実験動物は「さる」と書かれているが、これはじつは「ヒト」ではなかったか。いや「ヒト」だったろう。これがヒトだったならば、論文は実験報告のねつ造をしたことになり、実験が非倫理的・非人間的だということになる。もしヒトだったら医学博士学位と両立しない。学位をはく奪すべきだ。
 論文中に、「発症サルは付着後6~8日にして頭痛、高熱、食欲不振を訴え」とある。サルが高熱かどうかは測ればわかる、食欲不振も分からないことはないだろう。でも頭痛をサルはどのようにして訴えるのだろう。ヒトを無理にサルに置き替えた結果だ。
 2018年7月の要請に対して、京都大学・野田副学長は7月26日当日、「1、皆さんの要望書を深く受け止める。2、過去を変えることはできないが、未来に生かすようにしたい。3、未来に生かすということは、現在の問題としてとらえ、過去の検証をすることも含まれている。みなさんの言われたことを執行部で検討する。5、9月上旬に大学執行部で検討し、その結果を会に報告する」と回答した。
 9月18日、「『京都大学における公正な研究活動の推進等に関する規定』及び『京都大学における研究活動上の不正行為に係る調査事項』を準用し、当該論文に関する調査を実施することといたしました。お持ちの関係資料がございましたら、平成30年9月25日(火)までに、研究倫理・安全推進室までご提出いただけますでしょうか。それをもちまして、予備調査を開始いたします」との回答があった。
 ところがだ。要請を深く受けとめ、過去を変えることはできないが、未来に生かすといっていたのに、態度を急転させた。
 2019年2月8日、「京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)」が発せられた。「結果:本調査は実施しない。理由:貴殿から提供のあった資料及び現在の学術的な観点から、研究不正の合理的根拠とされている『発症サルの頭痛を把握するのは不可能ではないかということ』及び『発症サル中1(10匹附着のもの)が39度以上を5日間持続したこと』について検証を行い、以下の結果を得たため。(詳細は、https://war-kyoto-university.jimdo.com/をご参照ください)というものだ。
 「詳細」によると、サルにもヒトと同様に頭痛があると考えることは神経生理学的に妥当である。動物モデル研究はマウス、ラットなどで行われており、そこでは頭痛様行動(活動量低下、鼻を膨らませる等苦痛表情)があげられている。確かに霊長類を対象とする頭痛モデル文献は見いだせないが(探してもないのだ!)、行動観察によって頭痛が生じていると判断する手法は不完全であるにせよ、一定の妥当性をもって現在も用いられている(現在は用いられているだろう。まさか平沢論文の時代に用いられていて、現在も用いられている、ではないだろう。ごまかしてはいけない)。対象論文に関する実験において、当時、著者がどのようにしてサルの頭痛を判断したのかは記載されていないが(判断の根拠を記載しないのは学術論文としては失格だ)、何らかの行動指標によって頭痛が起きているものと判断していたと推察することができる(根拠を示していないのに何らかの行動指標によって判断したと勝手に推察した?驚愕の結論だ。現在でもサルの頭痛の研究論文はないのに74年前にサルの頭痛を判断する行動指標を平沢軍医はもっていた?答えはサルではなくヒトだから)。「以上を総合すると、サルの頭痛を評価することはできないということを根拠として対象論文が『サルを対象とするものではなかった』と断定することはできない。」これが結論だ。サルだったと断定できたのか?この博士論文がサルを実験対象としながら、サルといってもいろんな種類があるのに、何ザルか一切書かれていない。体重、年齢すべて不明。とにかくサルだという。こんな科学実験、論文は通用するのだろうか。通用するとすれば、人体実験を当たり前のこととしていた共同体の中だからだ。
 これは戦争責任の問題と直結する。731部隊の軍医将校は戦争犯罪人としての訴追を免れた。それはアメリカ帝国主義が、人間として絶対してはいけない人体実験の膨大な研究結果を受け取ることと引きかえに免責をしたからだ。だからといって戦争責任が消滅したわけではない。その軍医将校に学の倫理、人間の倫理に反して学位を与えたことは戦争責任をさらに拡大させたことになる。戦後の京都大学が731部隊の軍医らをその責任を不問にして復帰をすすめたことのけじめはつけられていない。今の京都大学がこの戦争責任に真剣に向き合うチャンスが今回与えられたにもかかわらず、70年前とかわらず問題を不問に付す態度に出たことは厳しく批判されなければならない。

 京都大学ともあろうものが、これか。なさけない。

 
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長島愛生園歴史館、朝日訴訟資料室を訪ねる

2019年06月10日 21時20分57秒 | Weblog
 大阪府立高校退職教職員の会で6月6~7日、岡山県を旅した。メインは、長島愛生園歴史館と朝日訴訟資料室の訪問だった。1930年につくられた愛生園はハンセン病の療養所として有名だが訪ねたのは初めてだった。ツタの絡まる元の本館が歴史館として、来訪者の教育のために活用されている。愛生園にはもうハンセン病患者はいない。完治した人たちの後遺症の治療、生活支援が役割だ。
 愛生園の初代所長は光田健輔氏。ハンセン病の権威とされる人だ。だが、徹底した隔離策を提言推進した人だ。戦後、特効薬が出た後も強制隔離を推進した。ハンセン病者には子どもを持たせないために断種手術も推進した。だが彼は文化勲章受章者だ。
 光田の強制隔離策が国家あげて推進されるまでは、群馬県の草津温泉で自然治癒をすすめる温泉療法がやられていた。江戸時代からの治療法だ。患者が木賃宿に滞在して暑い温泉に浸かり、体の抵抗力をつけて菌を抑え込んでゆく。軽快した患者は、旅館の手伝いで少し収入も得ながら、さらに温泉療法を続ける。ところが強制隔離が押し付けられて、温泉療法は息の根を止められた。強制隔離の下、全国で無らい県運動がすすめられ、ハンセン病差別がはびこることになった。自然治癒の温泉療法の時代は、患者と一般客とが混在し、差別がはびこることはなかった。
 歴史館の学芸員の方にハンセン病について説明を受け、所内の案内をうけた。逃亡を企てたり、規律違反の人などを法的手続きもなく収容した監房跡がとくに印象に残った。
 ツアーの一番の目的は、人間裁判と言われた朝日裁判の碑と資料室を訪ねることだった。2日目午前はあいにくのどしゃ降りだった。通称「王山」という山の上にある国立療養所に行く途中にあるときいていた「人間裁判碑」はじつは王山のふもとにあった。太い道路からさあ王山へというその時、左手に大きい「人間裁判碑」が現れた。碑文を読み、みんなで碑の前に並んで、その瞬間は傘を閉じて濡れながら記念写真を撮った。この写真のために来たのだから。人間裁判の筆は朝日茂さん自身のもので、じつに力強かった。
 写真の後は朝日訴訟資料室だ。岡山民主会館の一室にあった。予定より15分早く着き、「朝日訴訟の会」事務局長の川谷宗夫さんから1時間半にわたって説明をうけた。ツアーの前に朝日茂さんの手記・再刊『人間裁判』大月書店、2004年を読んでいたが、川谷さんのお話では、そこに盛られていない事実、裁判を受け継ぎその後の運動の牽引車になった朝日健二・君子さんにかかわる詳細なご報告を聞いた。資料室には、朝日さんの遺品、捨てられそうになった裁判資料なども展示されていた。朝日さん勝訴の第1審判決(浅沼武裁判長)の起案を担当した小中信幸主任裁判官の起案文が資料室に寄贈されていた。展示されていたのはそのコピーだが、浅沼裁判長の詳細な追加修正の書きこみがあった。熱意が感じられた。和紙に丁寧な字で書かれた朝日さんの遺書も展示されていた。死を前にして感謝の言葉を述べたものだった。
 資料室訪問がツアー日程の最後で、あとは一路大阪に向かった。今度のツアーは、そのほかに、牛窓の朝鮮通信使の記念館(海遊文化館)、竹久夢二生家、倉敷美観地区も訪ねた。
 二日目の昼食は倉敷紡績の工場跡を改装したアイビースクエアで摂った。倉敷紡績の社長大原孫三郎は、労働環境改善、労働者の宿舎の改善、学校に行っていない労働者のための夜学の開設をし、孤児救済のために今の数百億に上る利益をつぎこんだ。また社会改革のために、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所(大阪市夕陽丘のち法政大学移管)、倉紡中央病院などをつくった。ツアーでは時間がないため入館かなわず門の前で集合写真だけ撮ったが、大原美術館は民間美術館としては最大最高を誇る。大原孫三郎は慈善事業家石井十次の影響を受けキリスト教の洗礼を受け、上記一連の事業をした。大阪にかかわっては、夕陽丘の大原社研(跡地はのち大阪府立夕陽丘図書館に)から上町台地を日本橋の方へ下る一帯の貧民街救援事業として、石井十次に協力して保育所、夜学校、今の愛染橋病院の設立運営に尽力した。大原孫三郎は、紡績業の資本家として、イギリスのロバート・オーエンにもなぞられられる。ロバート・オーエンは、サン・シモン、フーリエとならぶ空想的社会主義者として有名だ。空想的社会主義がやがて科学的社会主義へと発展してゆく。ロバート・オーエンは産業革命を経た後のイギリス紡績工場のあまりにブラックな労働環境を改善すべく、自らの工場を改造した。その工場跡は今、世界遺産になっている。大原の工場もそのような雰囲気を感じさせた。ひるがえって、今の日本の大資本家連中の強欲ぶりにあぜんとする。その大資本家をお友達とする安倍友達政治には怒りがつのる。
 
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安倍右翼政権と吉本興業の癒着

2019年06月09日 19時45分07秒 | Weblog
 安倍首相は吉本芸人を何人も首相官邸に呼んで芸をやらせ、テレビカメラにも収録させた。選挙中に大阪に来た時も、吉本新喜劇に乱入して人気取りをした。安倍が芸人をとりまきにする作戦を始めて相当の年月が経つが、権力にすり寄る方もすり寄る方だ。
 笑いは、本来、権力を皮肉り笑い飛ばすのが、古今東西常識だった。ところが、吉本の笑いは、弱者や立場の弱いものをあざけるのが主流だ。その笑いの手法は、子どもの世界でいじめの手法につながっている。
 国民栄誉賞をことわったイチローのようにとまではいわないが、芸人のみなさんにも芸人としての心意気をもってほしい。
 安倍首相は、2020年憲法改悪を公式に表明している。吉本だけではなくTOKIOなどもペコペコしている。ぜんぜん魅力がない。改憲の国民投票のときに、安倍は芸能人・芸人をずらりと並べ、「あたらしい令和の時代に新しい憲法を、吉本も応援してます」とテレビコマーシャルをやろうというのだろう。みえすいたやり口にまんまと載せられる芸能人の名前を首相動静欄で見るたびに苦々しい思いを禁じ得ない。
 一方で、芸人9条の会で活動する一群の人々の心意気には敬服する。その権力批判の芸はスカッとする。

 
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まだの方はぜひ!映画『主戦場』慰安婦問題まるわかり

2019年06月05日 13時43分31秒 | Weblog
 2週間ほど前、十三の第7芸術劇場で話題の映画『主戦場』を観た。慰安婦問題をインタヴューで究明していく映画だ。慰安婦は売春婦だ、性奴隷だなんてとんでもないという杉田水脈、藤岡信勝、櫻井よしこ、ケント・ギルバードらが思いのたけを述べる。従来、彼らが言い続けてきた、わかりやすい人権侵害言説だ。これに対して中野晃一、吉見義明氏らが明快に、歴史修正主義者の言説を切る。
 インタヴューをかみ合うように切って、構成しているから論点が明確になりわかりやすい。結果、杉田水脈や藤岡信勝氏らの馬鹿さ加減が、いやというほど明らかになる。
 おすすめ映画だ。比較的若い人も、高校生も見に来ていた。慰安婦問題のみちびきの糸になる。もうそろそろ上映終了ということであわてて行ったのだか、好評のようで、ずっと続映が決まった。慰安婦問題を避けている人、売春婦説に影響を受けている人にぜひ見てほしい。本を読むより楽に両者の説に触れることができる。
 ところが、藤岡、桜井氏らがこの映画の上映差し止めを求める声明を出した(5月30日)。学術研究だから協力したのに、商業映画への出演は承諾していない、グロテスクなプロパガンダ映画だと。これに対し、ミキ・デザキ監督は「合意書」「承諾書」を示し、学術研究とは書かれておらず、ドキュメンタリー映画と明記されていて、藤岡らの指摘は当たらないと反論している。
 藤岡、桜井は映画を見て、よほどこたえたのだろう。見ればわかる。その論はあまりに粗末で、その姿は哀れだから。でも彼らがインタヴューで言ったことはずっとこれまで右翼雑誌で、あるいは歴史修正主義の本でいい続けてきたことだ。
 だが違うのは、歴史学者のインタビューと並べて聞くことができた、ここだ。だからインチキが浮き彫りになる。わたしには痛快な映画だった。高校生には、真実の究明はいかにすべきかを学ぶことができる。
 私は、直接ではないが、いささかかかわりがあった藤岡信勝大先生の、ずいぶん太ったお顔を久しぶりに拝見した。1993年ころ、東京裁判史観でも大東亜戦争史観でもないといって自由主義史観なるものをかかげて、南京大虐殺否定をふりまきはじめた。アメリカ留学中に、ブッシュの湾岸戦争凱旋パレードの紙ふぶきにうっとりして、学問の根本を宗旨替えした人物だ。最初は右翼ではない、自由主義だといっていたのに、すぐに真正の右翼・歴史修正主義者になった。慰安婦でもこれは売春婦だと平気で言う。
 一つの映画で慰安婦にかかわる論点をほぼ網羅できる。努力せずに全体がわかる。おすすめだ。
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まいった!陶工・河井寛次郎

2019年06月03日 15時07分37秒 | Weblog
 6月1日、731部隊の生体実験を使った研究に対する京都大学の学位授与の検証を求める研究会に出席の前に、京都国立近代美術館で開催中(6月2日まで)だった「陶工・河井寛次郎」展を観た。ひと言でいうと、まいった!だ。
 京都国立近代美術館が所蔵する河井寛次郎作品は425点。すべて河井と親交があり、その作品を収集した故・川勝堅一(高島屋総支配人)から寄贈されたものだ。展示品もとても多く、生涯を網羅していた。
 河井寛次郎はいうまでもなく柳宗悦を思想的リーダーとした民芸運動の作家・陶工だ。富本健吉、濱田庄司、バーナード・リーチらとともにその代表的作家だ。川勝コレクションだけでも十分多いが、その生涯の作品量は膨大なもののようだ。
 その作品はひと言でいえば、生命力にあふれている。大胆で力強い作品群だ。壺、大皿、陶板、陶彫。陶芸作家で一流といわれる人でも、自分の作風の枠を跳びだすことはむつかしい。自ら編み出したデザインや作風を極めるだけでも一生かかるということでもある。ところが河井は形も、釉薬も多彩で、実験的と言える作品群をつくっている。それが全体として河井寛次郎の作風となっている。だからその世界はとても大きい。腰を抜かすゆえんだ。まん丸でない形のゆがんだ扁壺(へんこ)が多いのも河井の特色だ。満足した展覧会だった。
 生命力という点では、版画家の宗形志功と相通じる。ちょうど展覧会のチラシが棟方志功の「川勝コレクション 河井寛次郎鐘渓窯 京都国立近代美術館」という版画で彩られていたから余計にそう思った。
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