山上俊夫・日本と世界あちこち

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核抑止論について――広島・長崎市長の核抑止論批判を支持する

2023年08月21日 14時11分12秒 | Weblog
1、2023年8月、松井広島市長は、「核抑止論は破たんしているということを直視」するよう世界中の指導者に求め、鈴木長崎市長は「核抑止への依存からの脱却を勇気をもって決断」するよう核保有国と核の傘のもとにいる国のリーダーに
訴えた。核抑止論の破たんの直視と核抑止論からの脱却がいまこそ求められている。
 核抑止論とは何か。核兵器を使用した場合、相手側からさらなる破滅的な核による反撃を受けることが自明であり、結局、核の使用は思いとどまらざるをえないというのが核抑止論だ。
 強烈な核攻撃、破壊を覚悟しない限り、核攻撃に出れない。このことが核戦争を抑え込んできたという。これが防衛を目的とした抑止で、核はよいとは言わないが必要なものだという。となると、永遠に核抑止にたよることになる。これが一番の安全保障だとなると、これまで核を持たないできた国でも核武装する国がでてくるし、それを批判する根拠がなくなる。核抑止論に立つ限り、新たな核保有国を批判することは不可能だ。すべての国が核開発、核保有するか、核の傘に入るところまで行きつく。これは核抑止論の破たんそのものだ。
 核の問題を冷静に考えるには、核使用の実相に立ち戻らなければならない。核兵器は通常兵器による殺害とはまったく異なる。広島・長崎の原爆投下では、服も皮膚も焼けただれ、影だけを残し蒸発した人もあった。核爆発による空気の膨張=爆風によって壁や地面にたたきつけられ、目玉や腸までもが飛び出した。さらに放射能被害は遺伝子にまで影響を及ぼした。通常兵器なら逃れるすべもあるが、核兵器ではきわめて広範囲に、しかも一瞬に焼きつくし、殺しつくす。
 核抑止論者は、この広島・長崎の実相に思いをいたすことなく、単に有用な大量破壊兵器として核兵器を脅迫と勢力均衡の道具として位置付けている。

2、最終・究極の脅しとしての核と実際に使用した核とは、同じ線上で比較しえない。大量殺害であればあるほど、残虐であればあるほど、兵器として大きい役割を果たしたことになるのが核兵器だ。
 原爆投下に先立って、1928年に不戦条約が侵略戦争を禁止した。しかし、日本の満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争は、戦争ではない衝突、あるいは自衛の戦いだとして国際法をあざむいた。アメリカの原爆投下は無防守都市への無差別爆撃、不必要な苦痛を与えてはならないというハーグ陸戦法規に違反する犯罪である。
 第2次大戦後、国際連合は武力による威嚇と武力の行使を禁じ、自衛権は認めるが、国連安保理が必要な措置をとるまでの間とした。武力行使においても、やって良いこととやってはいけないことを定めた国際人道法を発展させた。
 だが核保有国はその被害の実相を直視することなく、大量破壊・残虐兵器としての有用性から、核兵器を中心にした軍事戦略を立ててきた。
 細菌・生物兵器、毒ガス・化学兵器、地雷、クラスター爆弾と、残虐兵器に対してつぎつぎと禁止条約がつくられてきたのに、最大・最悪の核兵器だけは、禁止への道のりは妨害つづきだった。それをのりこえ、2021年に核兵器禁止条約は発効した。

3、核抑止論者は先制不使用をなぜ言わないか。非核保有国への不使用をなぜ言わないか。先制不使用は核抑止論の範囲内のことだ。核抑止論が成り立つとすれば先制不使用はその中心に位置づくものだ。しかし、核保有国の多くはこれを言わない。言わないということは、先制使用がありうるし、自らの手をしばらないということだ。すべての核保有国が先制不使用を宣言すれば、核兵器の体系は必要なくなる。
 非核保有国への不使用をなぜ言わないか。非核保有国への使用は二重に人道に反する。残虐兵器を持たない国に対して残虐兵器を使うことは、国連人道法の歴史から言っても絶対許されない。倫理的に最低のことだ。だがこれも言わない。つまり、相手が誰であれ、丸腰の者にも遠慮なく使うということだ。
 中国とインドは先制不使用宣言を維持している。北朝鮮も先制使用を控えるとしている。先制不使用に反対の国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、パキスタンだ。自国の領土に対する侵略、攻撃があった場合、核保有、非保有のいずれにも核を使用するとしている。2016年、オバマ大統領は先制使用禁止政策の採用の検討をしたが、閣僚から説得されてとりやめた。日本の安倍内閣も足を引っ張る役割を演じた。被爆国の政府にあるまじきことだ。
 それは、核兵器をもっとも有用な兵器だとして、核抑止論をのりこえ、あからさまな核脅迫に道にすすむことを意味した。核兵器を柱にして軍事戦略・国家戦略を組み立てているがゆえに究極的な残虐性があると指摘されても決して見直さない。
 核が最悪の残虐兵器であることを認めれば、先制不使用政策をとることは理性的判断となる。強力な軍事国家であっても、残虐兵器を先制使用することは人道にもとる政策であることは明白で、国際的な尊敬と支持を集めることは不可能だ。残虐兵器を禁止してきた延長線上に核兵器を位置づけることが、国際法、国際人道法の発展に沿う道だ。そこで受け入れなければならないのが、先制不使用政策と非保有国への不使用だ。
 広島・長崎の被爆者や反核運動の人々は、この被爆者の訴えが78年間核兵器を使わせなかった力だと考えている。だが核抑止論者は、核抑止論こそが核兵器使用を押しとどめてきたという。
 核5大国にだけ核保有を認め、それ以外には認めないというNPT(核不拡散条約)体制は不平等条約だ。だから、NPTを抜け核開発に走る国が出てくる。これを止める論理は核抑止論には内包されていない。核開発は永遠にふえつづけることになる。ただしNPT第6条は「核軍備の縮小に関する効果的な措置につき・・・誠実に交渉を行う」ことを義務付けている。2000年の再検討会議では、「核兵器廃絶を達成する核兵器国の明確な約束」を盛り込んだ最終文書を採択した。核保有国がその義務を誠実に履行しておれば、NPTの正統性はかろうじて保たれる。しかし現実は、第6条無視が公然とまかり通っている。
 核抑止論は脱却するしかない。だが、核抑止論の線上にも核廃絶の道があるようにいう論者もいる。核兵器を上回る大量破壊兵器が開発されれば、核保有国もすすんで核を放棄する、これが核廃絶への一番の近道だと、ある箔抑止論者は述べている。もっとひどい残虐兵器の登場によって核も抑止論も必要なくなるという。とんでもない核兵器救済論だ。

4、核抑止論は、ロシアのウクライナ侵略がやられている今、かつてなく勢いを得ているように見える。核を絶対悪として核抑止論をのりこえてきたはずの日本においても、ロシアからの核脅迫がくりかえされているもとで、核の傘を越えてアメリカとの間で核共有をすべきだとの公然とした議論が維新の会から出されている。だがこれへの国をあげた反論がまきおこっている状況ではない。抑止論に従う世論も強まっているだろう。
 ロシアはかねてより先制使用を政策としてかかげている。アメリカも同様ではあるが、ウクライナ戦争がさらに長引いて困難な状況に陥るとき、戦術核の使用にふみ切って局面打開をはかる可能性はありうる。その時点で核抑止論はこっぱみじんである。
 ロシアが戦術核を使うのに対して、米・英・仏が反撃で核使用をすれば、これは新たな問題を生む。第1に、ロシアが核使用によって放射能を含む悲惨な状況をつくるのと同様に、これまで人権と民主主義を旗印にしてきた米・英・仏が、被爆者をあらたにつくりだし、その責任を負うことになるのである。
 第2に、反撃はロシアからワシントン、ロンドン、パリへさらなる核攻撃を招くことになり、この核政策は自国民を破滅に追いやることになる。拍抑止は成り立たない。
 ロシアの核脅迫がくりかえされ、実際に核使用の危険性が強まっているもとで、核抑止論は破たんした。事態の可能性冷静に考えれば、抑止論に希望があるとするのはまったく馬鹿げている。広島・長崎市長の主張は正しい。世界のリーダーはこの主張を深く検討し、核抑止論をのりこえるべきである。

5、プーチンは、ロシアは「世界で最も強力な核保有国の一つ」だと公言し、抑止力の「特別態勢移行」を命じた。プーチンの姿勢は、核抑止――核によって核使用が止められるとの理屈が偽りであることをあらわにした。核は、抑止とは無縁の脅迫と支配、侵略の道具だ。NATOの核共有がロシアの核使用を抑止しえないこともはっきりした。
 ロシアは、核先制使用方針をかかげている。先制使用で打撃を与えて戦争を有利にすすめるという方針だ。プーチンは、2022年2月27日、核抑止部隊高度警戒体制への移行を指示した。4月27日、「もし必要になるならば、われわれは脅すだけではなく、使用する」と断言した。これはウクライナ、NATOに対してだけでなく、全人類への脅迫である。
 すでに2020年6月には、「核抑止の分野におけるロシア連邦国家政策の基礎」を公表し、非核兵器による攻撃であっても、核兵器による反撃を想定している。通常兵器によってロシアが侵略され国家の存立が危機的になったとき核使用すると定めている。
 2022年9月21日、プーチンは、核の脅しは「はったりではない」と明言した。12月7日、「核戦争の脅威が高まっている」といった。
 現在、戦争がさらに長期化している。プーチンが追いつめられれば、核を本当に使うのではないかとの不安が高まっている。
 実際のところ、仮にプーチンがうくらいなで戦術核を使っても、4のところで検討したように、米国をはじめとするNATO諸国はなかなかロシアへの核による報復ができないのではないか。米・英・仏がロシアに核攻撃すれば、ワシントン、ロンドン、パリにロシアの核が飛んでくるだろう。核抑止が破たんしたあとの姿だ。




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セミもあまりの暑さにやられた

2023年08月16日 10時49分06秒 | Weblog
 8月12日(土)の朝、ケヤキの大木のあるマンションに行くと、さぞうるさいと思って近づいたのに何とセミの鳴き声がまったくない。その1週間前の朝はあまりのうるささに頭が変になりそうだった。もちろん大阪はクマゼミだ。じょじょに減っていくのは体験的にわかる。だが、ただの一匹も鳴かないのだ。
 どうも気温が35度を超えるとセミは鳴かなくなるらしい。1週間から2週間しか地上では生きないのに、この暑さではその2週間も全うできない。何年もの地中生活から順に穴を開けて這い出して、さあ大声で鳴いて交尾して卵を産み付けてと思っていたのに、遅れて這い出したセミはあわれ、異常な暑さにやられた。
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核兵器に固執する岸田首相の哀れな姿、広島・長崎市長の前では形無し

2023年08月11日 22時49分10秒 | Weblog
 広島・長崎での岸田首相と広島・長崎両市長との政治的対比はあまりに鮮明で今の日本のそして世界の核をめぐるアプローチが正反対であることを見事に示した。
 松井一実広島市長は「核抑止論は破綻しているということを直視」することを呼びかけ、日本政府に「核保有国と非核保有国との間に生じている分断を解消する橋渡し役を果たしていただきたい。そして、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となり、核兵器廃絶に向けた議論の共通基盤の形成に尽力するために、まずは本年11月に開催される第2回締約国会議にオブザーバー参加していただきたい」と要望した。
 岸田首相はかねてから核兵器禁止条約は核廃絶には役に立たない、分断を深めるだけだ、なぜなら核保有国がこれに反対しているから、したがって日本は核保有国と非保有国の橋渡しをするこれが核なき世界への一番の近道だといってきた。ところがいっこうに橋渡しをしない。自分はアメリカの核の傘の下にいてアメリカの従順な下僕的ふるまいを常々しながら、橋渡しといっても非保有国からは信用されない。具体的に橋を架けようとした節は見られない。被爆地広島で「核軍縮に関する(核廃絶ではない)G7広島ビジョン」を発した。これは広島を利用して核抑止論を発信したもので、被爆者が憤ったのは当然だ。ビジョン曰く「われわれの安全保障政策は、核兵器は・・・防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争と威圧を防止すべきとの理解に基づく」と。核廃絶の考えは一切なく、あくまで核兵器に固執するとの宣言だ。
 平和式典での岸田首相のことばには、核軍縮はあっても核廃絶はない。当然のように核兵器禁止条約はない。コメントしない、コメントできない。
 松井市長は橋渡しと核兵器禁止条約の締約国となることを要求しながら、まずは11月の第2回締約国会議にオブザーバー参加していただきたいと述べた。核保有国側にいながら橋渡しといっても、信用されていないのだから、本当に橋渡ししようという気があるのならば、自由に参加が許された締約国会議にまずは出席してみて橋渡しの具体策を考えるのが筋道だろう。アメリカの木の根っこにしがみついている日本政府としては、そんなところに出席すること自体、怖くてできないというのが本心だろう。そろそろ情けない態度から脱却したらどうか。
 松井発言以上に正直おどろきをもって読んだのが鈴木史郎長崎市長の平和宣言だ。
「しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという『核抑止』を前提としています。核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。」「今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気をもって決断すべきです。」「唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。そして憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジアの非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。」「被爆者は思い出すのもつらい自らの被爆体験を語ることで核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった『抑止力』となってきたのではないでしょうか」
 まさに被爆者の訴えが核兵器を使わせなかった一番の力だ。その訴えが国連の中で圧倒的な世論となり、2017年9月核抑止力論を乗り越え122か国が賛成して核兵器禁止条約が採択された。50国の批准で国際条約として2021年1月発効し、2023年1月現在68か国が批准している。
 核抑止論にとらわれている間は核なき世界は来ない。いざとなったら核を使うことを前提にした脅しで成り立つものだからだ。核固執の抑止力論の立場から核廃絶運動や核禁条約を揶揄しても、国民世論や世界の反核世論から尊敬されることは金輪際ない。
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維新・馬場代表の民主主義否定発言を許してはいけない

2023年08月01日 14時22分42秒 | Weblog
 日本維新の会の馬場伸幸代表がネット番組で「共産党はなくなったらいい」と民主主義否定の発言をした。共産党小池晃書記局長はすぐに「他の党の政策について批判する権利はどの党にもある。しかし、存在そのものを否定するのは民主主義を根本から否定する暴論」と述べ、発言の撤回を求めた。ところが維新は平然と撤回しないと居直った。馬場氏ら維新のもとからの持論だが、しかし民主主義を否定する議論なのはまともな政党や政治家にはわかりきったことなので、そんな気分を持っている人でも口にはしない。それをあえて、平然と口にし、極右勢力にアピールしようとパフォーマンスするのが維新だ。
 民主主義、議会制民主主義を肯定し、議会政治に身を置いている政治家・政党そしてマスメディアはその根本を否定する暴論にはこぞって批判すべきだ。維新の主張するところは、戦前の治安維持法下の共産党を迫害弾圧し、党関係者を治安維持法をも無視し、法の手続きなしにつぎつぎと殺していったあの暗黒政治をほうふつとさせるものだ。
 許してはならない、忘れてはならない。
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