よのなか研究所

多価値共存世界を考える

受益者はどこにいる、

2013-01-30 10:52:16 | メディア

                                                Photo ( バンコクの中国人街、タイ )

国会での新首相の所信表明演説がありました。キーワードは「強い経済を取り戻す」だそうだ。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略、を「三本の矢」と呼ぶのだそうだ。懐かしいような、なにかそぐわないようなおかしみを覚える。

デフレを終結させるために軽度のインフレを起こすということで、物価上昇率2%を目標とする政府と日銀の共同声明がなされた。

なぜデフレ状況が続いているのか、それは労働配分率の恒常的低下、つまり会社員や現場労働者の給与が十余年にわたって上がらず、むしろ相対的に低下し、それゆえ大半の消費者がより安い商品を買い求めざるを得ないようになったからである。それは自分の生活を顧みても、また周りの友人や同級生や親戚と話をしてもごく一部の金持ちを除けば同様であることがわかるのである。そのために、小売業は厳しい低価格競争を繰り広げている。「ひゃっきん(百均)」と呼ばれる店舗が駅前や大通りにある光景は、あまり品の良い光景とは言い難い。

結局、増税は常に大衆がより多くの税金を負担することになる。税制改革案には高額所得者の税率アップも盛り込まれているが、同時に各種の減税策も盛り込まれていて実質的に金持ちは優遇されている。消費者の増税と対照的に大きな企業はさらに優遇されることになる。一昔前なら、企業収益が上がれば経営者は社員の給与を上げ、結果個人消費が上がって景気も上向く、と説明されていたが、現在の経営者団体は「定期昇給の凍結」を主張し、中には「賃下げ」を唱えている者もいるありさまである。どうしてデフレが克服されることになるのだろうか。

大企業の集まる経団連が「政党の通信簿」を発表するのも不遜なことだが、これら企業のかなりの数が外資比率30%超であり、さらに50%超の企業も少なくない。つまり、外国資本の影響下にある企業やその団体が国の政治に口を出し、政党をランク付けしているのである。このことを指摘する報道機関は少ない。

今日では外国資本といっても特定の企業ではなくファンドであることが多い。ファンドは投資顧問会社や機関投資家の扱う金融商品のことを指したが、今では「投資事業有限責任組合」という良く分からないグループのことを指す。このために多くの法律が作られているが、複雑になればなるほど抜け道がでてくる。どこのだれが出資しているのか、正確なところは分からないことが多い。

近年のファンドの出資者には中国企業、台湾企業、香港企業、また中国人個人が多く含まれている。その出資比率は年々高まっているのだろう。経済力が二位になっているのだから当然といえば当然である。今回の税制改革や超大型赤字予算案で大企業にカネが流れ、それがファンドにも還流するとなれば、世界の投資家が潤うことになる。その中の中国・台湾・香港系の投資家も受益者となる。中国にとってもアメリカにとっても悪い話ではない。新政権の狙いはこの辺にあるのかもしれない。

前回の安部政権は「お友達内閣」と呼ばれ、結局「学級崩壊」した。今回の内閣はどこに核があるのか分からない「鵺ヌエ内閣」ではなかろうか。正体が分からぬままである。

訪米の手土産に、また中国との仲直りのためにこれらの政策が進められているとしたら、世界は少しは安定するかもしれない。しかし、現実の国内での生活格差はますます拡大することになることが懸念される。

(歴山)

 

 


武器はどこから、

2013-01-23 22:27:36 | 時事

 

                                 Photo ( 広島平和公園からのぞむ原爆ドーム )

アルジェリアでの多国籍からなる武装集団によるBP(ブリティシュ・ペトロリアム)社の天然ガスプラントでの人質事件と、これに対するアルジェリア政府の現場襲撃は何ともやりきれないものがある。日本企業の海外事業史上最も大きな悲劇であった。一昔前なら中東・アフリカでイスラーム武装勢力の襲撃事件があっても日本人が狙われることはないと、との思い込みがあったが、小泉政権下でのイラクへの自衛隊派遣・駐屯、自衛隊の補給艦による米軍を主体とする多国籍軍艦隊への燃料補給以来、そんな考えは通用しなくなった。

歴史をひもといても、日本が中東・アフリカの国土に攻め込んだことはなく、領土争いに加担したことも、奴隷貿易にも関与したことはほとんどなかったはずである。国境線が縦横の直線や不自然な斜め線であったりするのは、西欧列強の支配地区を基に線引きされたものである。今回の事件で被害者を出した英・仏・米ら欧米諸国と我が国の間には明らかな差があった。アフリカの地にこれまで実害をもたらしたことはなく、各国の資源輸出のためにその開発・建設を手伝う、又、資源探査を行うという仕事で日本の数社がアフリカで業務に従事しおり、数百人規模の専門家と作業員が駐在しているのである。外務省はじめ、政府関係部署に、日本人は安全との思いがあったとしたら反省するときではないか。

それにしても、映像を見る限り武装勢力も政府軍に負けないほどの大量の重火器を持っていたようだ。報道各社の一致するところでは、リビアのカダフィ政権が倒れた時に、大量の武器弾薬が周辺地域に流出し、その一部が今回の武装集団に回っていたとのことであるが、現実には複雑な背景があるのだろう。現在シリアにおいても反政府武装勢力が政府軍に対抗して内乱状態になっている。彼等の武器はどこから来ているのかは報道でも余り聞くことがない。不思議なことに、シリアにおいては反政府側を欧米諸国及び日本が支持していることである。主権国家の政府を信任しないということであれば、先に国家不承認を伝えるべきではなかろうか。一応の終結を見ているスーダン内戦では、スーダン政府がイスラーム政権であったのに対し、南部の元英国支配地域のキリスト教急進派が反乱を起こし、長い内戦の後に南部の自治権が認められ、さらに住民投票の結果独立が認められた経緯がある。

共通していることは、いずれの場合もそこに大量の武器が流入していることである。アフガニスタンには1979年のソ連軍の侵攻で大量の重火器と戦車が持ち込まれ、これに対抗してアメリカがパキスターン経由で対戦車地雷、対空ロケット弾などの武器を大量に運び込み当時のムジャヒディンに提供した。現在アメリカはじめ有志連合軍が手を焼いている相手はこの時の兵器を現在も使用している。

世界中に兵器が散乱しているのは合法非合法の武器商人の手によるが、その出どころは武器輸出国である。スウェーデンのストックホルム世界平和研究所が毎年発表している「SIPRIリポート」 2012年版の武器輸出国ランキングは以下の通りである。

1アメリカ、2ロシア、3フランス、4中国、5ドイツ、6イギリス、7イタリ―、8スペイン、9スウェーデン、10オランダ、そしてこれ以下で意外な国は11イスラエル、13スイス、などがある。ここでも国連安保理の常任理事国五カ国とドイツのG6が上位を占めているが、米・ロの数字が他を圧している。軍事費では二位の中国は輸出額は意外に小さいことがわかるが、単価の低い兵器を大量に輸出していると推測される。


民主党政権下に「武器禁輸三原則」の緩和が決められたが、民主党の三年間を全否定している自民党やその支持者たちもこれは評価しているようだ。日本の兵器の改良技術は優れており、本格的に取り組めば日本製の兵器が世界各国に売られ、それがやがて闇市場に出回り、今回と同じような反政府組織の手に渡ることは容易に予想されるところである。これまで自国製の兵器で死傷される兵士・民間人は欧米諸国がほとんどであったが、ことがこのまま進めば日本人が日本製の兵器で傷つく日がやってくるのかも知れない。

かつて盛んに議論された「軍縮」というテーマは、近年では出る幕を失しなったかに見える。非対称の戦闘はますます増えていくとの予測がなされている中、本来なら、今こそ我が国が「反核」と並んで「軍縮」を世界に向けて発信するときではないか、そうでないと尊い命を失った同胞の霊魂は浮かばれない。合掌!

(歴山)

 


ダイヤモンド安保?

2013-01-16 21:50:29 | 時事

 

 

                  Photo ( インド国会前の襲撃者撃退用土嚢、ニューデリー )

 新政権が動き始めていろんなことが発表されているが、ことばのみが先走っている感を受けるのは私一人だろうか。首相は訪米が実現せず、かわりにベトナム、タイ、インドネシア訪問へと旅立った。首脳陣の相互訪問は良いことだが、あて馬のように来られても困る国もあるだろう。

首相は「戦略的外交」という言葉が好きなようで、その具体的な行動の一つは「自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共有する」国々と連繋を強める「価値観外交」とのことのようだ。ちょっと耳にするともっともなように聞こえるが、今回最初に訪問するベトナムはれっきとした共産党一党独裁の国である。自由市場経済社会主義を民主主義とするなら中国はその先輩格である。こんな基本的な「ミス」をすら官邸の取り巻きは指摘することができないのだろうか。童話に出てくる「はだかの王様」を連想する人もいることだろう。

かと思えば、首相はウェブサイトProject Syndicate上に「ダイヤモンド安保構想」なるものを発表している。はじめは何のシャレかと思ったが、しごく真面目な構想のようである。その内容が16日付けの東京新聞朝刊に掲載されている。日本と米国ハワイ州とオーストラリアとインドを結ぶとほぼ菱形になる。この菱形ダイヤモンドに含まれる海域の安全について四カ国が連携すべく働きかけていく、というものである。あくまでも構想であって、実行性はまた別なのだろう。

一足先に東南アジア、豪州を訪問した岸田外相と会談した豪州のカー外相は「日豪関係は中国を封じ込めるものではない。日本との関係強化は豪中、日中の関係強化と共存できる」と日本の出方を牽制した(同紙)。 

菱形の尖がりのひとつはインドである。この国がこのような申し出に同調するかと問われれば、とてもそうは思われない。インドは日・米・豪と洋上での軍事共同訓練を行ったと思えば、すぐに中・ロと陸上の軍事共同訓練を行う国である。昨年六月には相模湾沖でインド海軍と海自の共同訓練があり、外務省・防衛省はこれを大いに評価していた。インド海軍は多くの国を友好訪問し、また訓練をしているのである。

現実に貿易額を比較しても、インド-中国間取引がインド-日本間の数倍規模となっている。「中国封じ込め」という用語が日本の政界とマスコミの独りよがりであることは、外国メディアに目を通すと容易に理解できる。

インドは確かに中国、パキスタンと戦火を交えた経緯がある。それゆえ、現政権は慎重に両国との外交関係を平静に保つべく最大限の努力しているところである。国防の基本は兵器の国産策であるが、先端兵器は広く多く国から輸入し、リスクの分散を図っている。つい先日もロシアからMig-29Aの導入を発表している。 

インドは外交交渉に長じた国であり、「価値観外交」と言われれば表向き賛意を示しながら、内心「なんじゃ、それは」と感じることだろう。核実験の強行に見られる通り、自国の信念を貫くに他国が口を挟むことを拒否する。「是は是、非は非」であり、友好国にも正面切って異議を唱え、また敵対している国であっても評価すベきところは正しく認める、そんな国である。

中国での暴動で日本の小売業や工場が甚大な被害を受けたことは記憶に鮮烈だが、その少し前にはインドで日本の自動車工場で暴動あった。最近インド国内での女性の暴行被害が続出してニュースになっているが、これまで問題化されなかったことが明るみに出てきた、という方が正しいだろう。基本的人権は大いに侵害されている。「自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共有する」国々と連繋を強める「価値観外交」は響きは良いが、これを真に受ける国があるだろうか。

政権が何度代わっても、日本の外交センスは「ひよわな花」のごとくである。世界の外交舞台で周回遅れで走っている、と言ったら言い過ぎだろうか。

(歴山)

 


「国家に真の友人はいない」

2013-01-09 22:09:40 | 歴史

                                                                            Photo ( 江南の運河地帯、中国 )

1958年版外交白書に「国連中心主義」という用語が登場し、それ以降長く国内言論界で幅を利かしていたかに見えた。遡れば1957年2月、国会での施政方針演説でこれを説いたのが岸首相である。岸は「わが国は国際連合を中心として世界平和と繁栄に貢献することを、外交の基本方針とする」と述べ、この基本方針は「自由主義諸国との協調」及び「アジアの一員としての立場の堅持」と並んで日本の外交三原則とされた。

その前年に悲願の国連復帰を果たした日本の国民にとって、「国連」という言葉は明るい未来を約束するような響きがあった。だが、文言を良く読むと、安保条約の改定を目指す岸政権の国民に向けての「耳に入りやすい」政策用語であったと理解する向きもある。他方に、岸は本質的にはアジア主義者であった、との見解もある。

それはともかく、マスコミではその後も長く我が国の外交の要諦は国連中心政策である、と報じられたが、それは米ソ対立の冷戦構造が国内にも近隣諸国にも色濃い中でバランスを取るために使われていた一面があった。その後、「国連中心主義」と「日米安保」が我が国外交の両輪である、といった使われ方をしていた時期もあった。「国連中心主義」の用語がほとんど聞かれなくなったのは、ソビエト崩壊による冷戦構造の終結以後のことである。実は、この時が「日米安保」解消についての協議をはじめるタイミングでもあったのだが、長く続いた自民党政権下でこれを言い出す閣僚も議員も既にいなかったわけである。

これに並行して進められていたのが、原子力政策であった。1968年、「日米原子力協定」が締結され、そこでは日本国内に「プルトニウム及びウラン233並びに高濃縮ウラン」の保存が義務付けられた。協定の付属書には「六ヶ所」、「大間」、「もんじゅ」の文言が登場する。米ソはそれまで数万頭ある、と言われた核弾頭を相互に削減することになるが、それでも現在五千から一万発を保有していると推測されている。核弾頭は長期保存に適せず、劣化に伴い定期的に核燃料を交換し続けなければならない。そのためには安全な、適切な保存施設を必要とする。考えようによっては、米国が使用済み核燃料の再処理・プルトニウム抽出を日本にのみ認めた、という考えも成り立つ。日本が米国にとって抜き差しならない関係になっていることは、2012年8月のアーミテージ元国務長官ら知日派と称する人たちに寄る対日政策提言で「日本が原発から撤退することは同盟関係にとって大きな損害である」と警告?していることでもわかる。アメリカも複雑な国で、議会にも政府内部にも日本よりも中国により重きを置く人たちがある。アーミテージらの警告も、国内向けに発せられた感もある。

 

 さて、安倍内閣である。明快な、単純な言葉で政策を指し示し、滑り出しは上々のようである。株価も上がり、邦貨円の対外レートは下がり、経済界・財界からも好意的な意見が目立つ。首相の言葉には「自主憲法」を制定し、自衛隊を「国防軍」へと変革し、「集団的自衛権」を行使する国にする、との内容が含まれている。自主憲法の内容のすべては不明だが、仄聞するに米国との間の従来の距離感から少し離れる、と受け止められても仕方がない印象を受ける。とすると、米国は六十七年間、事実上のProtectorate(保護国)、あるいは濃度を薄めた Trusteeship(信託統治国) と見なしてきた国の変化をそのまま見過ごすであろうか。すでに、米国の財政状態がこのような小事にかまっておれないほど悪化しているのだろうか。「尖閣問題」についても、外交交渉により平和的に解決することを望む、との発言がクリントン国務長官はじめ米政権内から相次いで聞こえている。はっきり言って、中国のほうが大事なのである。日本の政権内には米国の内政・外交・財政に明るい人たちが多数いるであろうから、このレベルまでは大丈夫、と読んで政策を進めているものと推測する。そうでなければ、この首相はまたもや「暗愚の首相」の名称を贈られて葬られることになりかねない。

-― 国家に真の友人はいない -― はフランス大統領であったドゴール将軍のことばと伝えられる。また、同時代のチャーチル英首相は「全ての外国は仮想敵国である」と語ったそうだ。歴史上の偉人の文言を引用して文章を飾るのは気が引けるが、二つの文言ともかなり古い時代から東西にて使われていたようである。いわば「よみ人しらず」のようなものである。それゆえ、かなり真理に近い文言であり、現代人が適宜引用することは許されると思う。

一人ひとりの人間は複雑であるが、国家も同様に複雑である。

<歴山>

 


人口と国家、  

2013-01-03 08:21:50 | メディア

 

                      

                                           Photo ( 過疎の村の廃屋、鹿児島県宇検村 ) 

元旦の新聞各紙に目を通し、さほど気の利いた特集は気がつきませんでした。ベタ記事の中に、「昨年末の日本の人口が前年末に比べ21万2千人減った」と報じられていました。すでに2006年から減少に転じた人口推移は、これから坂道を下り落ちるように減り続け、2050年に一億人を割り込み9515万人に、やがて6千万人台、4千万人台へと向かうと予想されています。総務省統計局や生命保険会社の将来の人口予想数は、調査の度に減少幅が拡大しているところに問題の根深さが見てとれます。

さらに深刻なのは、生産人口の減少です。すなわち、人口が減るのみならず高齢化が促進することで、生産人口は2030年に6740万人、2050年には4930万人となるとの予想です。

1960年代から世界にもまれな経済成長を成し遂げた日本ですが、今度は世界にもまれな人口減少という状況を世界に披露することになるわけです。

しかし、悲観だけしている場合ではではないのです。人口が縮小していくのは日本だけではありません。先進国は移民の国アメリカ合衆国を除けば全て減少しています。手厚い社会保障で知られる北欧諸国、たとえばスウェーデンでも人口は減っています。現在人口の増加傾向が続いているのは、南アジア、中近東、北アフリカ、中南米諸国と言われています。そのなかでも、現在人口世界一位の二位の中国とインドもやがては人口減少に向かうと予想されています。中国は2016年にピークを迎え減少に転じるとの予想ですが、残る三年後ですね。インドはさすがにまだまだ人口は増え続け、2025年に14億人でピークを迎える、とされています。なにしろ、中国が「一人っ子」政策を採っているのに対し、インドは独立以来「四人家族」を推奨する政策、つまり子供は二人まで、という政策が取られていました。それはまた、「コミュナル」と呼ばれた大家族制度や地域主義や階層からの脱却をも合わせて進める政策でした。インドがピークを迎えても、バングラデシュ、パキスターン、インドネシアは引き続き人口大国として残ります。

こうしてみますと、この先日本の国家経営は厳しい状況が続くことは確かですが、考えようによっては世界に先駆けてこれへの対処方法を構築することができれば、そのことが世界のお手本となることができます。国会で、また報道機関たるメディアが議論すべきことはこのことなのです。マスコミは部数競争、視聴率競争で忙しいですから、地味だが本質的で長期的な問題は扱いが小さくなります。そこでは、「戦争が出来る国に」とか、「地域経済連携協定に乗り遅れるな」とか、「今年は株価が上がる年」といったテーマに、スポーツ中継や芸能人の楽屋話しの方が経営に寄与します。本当に論ずべきことが何であるかは後回しになりがちです。

これは、日本だけの問題ではなく、マスメディア、とくにテレビという「魔法の箱」(今では「魔法の板」か)を生みだした人類の共同の問題なのです。

メディアは「何かを伝える」機能と「何かを隠し通す」機能とがあり、為政者や権力者は後者を好む傾向があります。私企業であるメディア各社も最後は「カネ」の前には無力です。経営が破綻してはメディアの責務を果たせなくなりますから、ある意味では当然です。メディアが権力者と広告主からの圧力をかわすことは困難であることを理解してやる必要があります。

(歴山)