よのなか研究所

多価値共存世界を考える

太平洋諸国とAPEC、

2012-05-30 16:04:30 | 戦略

                       Photo (太平洋から打ち寄せる波、奄美大島)

 「太平洋・島サミット」が開催された。

島国である日本がアジア諸国同様、太平洋の島々と手を携えて安定と繁栄を目指すことは重要である。沖縄県名護市での開催も意義があると思われる。特に今回は、東日本震災の教訓を踏まえた自然災害対応で協力を拡充することが議題にとなったとのことである。

 「太平洋・島サミット」はオセアニア地域の協力機構「太平洋島嶼フォーラム(PIF)」加盟国の首脳らを招き、日本が1997年に東京で開催し、それ以降三年ごとに開催してきている。その点では日本の行動は速かった。しかしその後会議の場での協力確認や体制づくりを進めてきたが実体ある支援は乏しかった。そこに経済力を強めた中国が割り込む形で存在感を増してきている。

 今回出席した太平洋諸国13カ国の中にはかつては台湾を承認していた国が多かった。現在も数カ国が台湾を独立国としている。そんな背景もあって、中国は2005年から09年の間に6億ドル(480億円)の経済援助を実施してきた。幾つかの国は中華民族を代表する主権国家として台湾から中国に乗り換えてきている。財政基盤の弱い途上国が資金や技術を必要とするのは世界中どことも同じである。中国が発展途上国に資金を援助し、低金利の貸付けを行うことはむろん評価すべきことである。他方、日本はこの地域への政策が遅れていることは否めない。

中国は、トンガやフィジーとは軍事交流も進めている。これを非難することは今の日本には出来ない。経済力を背景にアメリカが中南米をはじめ、アフリカ、中東、東南アジアの途上国で行ってきたことの焼き直しであり、中国が経済力を背景に同様の行動をとるに至った、ということである。

遅ればせながら、今回の第六回太平洋・島サミットで、日本政府は今後三年間に計5億ドル(約400億円)に上る政府開発援助(ODA)を拠出する意向を表明した(27日、各紙)。また、今回豪州、ニュージーランドに加え初めてアメリカが参加したことも注目された。ただ、今回米政府が送り込んできたのは閣僚級ではなく、筆頭国務次官補代理、Principal Deputy Assistant Secretary for East Asian and Pacific Affairs、という立場の人物にとどまっている。あきらかに抑制された力の入れ方と見える。

日本がODAによる支援を表明したのも、狙いはこの地域で影響力を強めている中国への対抗心である、とも報じられている。また、「航行の自由」の確保を含めた海洋ルールの順守、を首脳宣言で初めて打ち出したのも、中国を意識したものであるとされている。

中国は東シナ海や南シナ海で海洋権益の拡大を計っているが、鉱物や海洋資源などを狙い、太平洋諸島に関与を深めていくことになるのは間違いない。太平洋の広い海域で中国とアメリカが対恃する事になるかもしれない。

 ここで気がつかされるのは、APEC「アジア太平洋経済協力会議」にこれらの国々は出席していないことである。なぜ太平洋の諸国がアジア太平洋の会議に招かれていないのだろうか。APECは経済協力を目的としているから経済未発達の国は関係ない、と言うことだろうか。経済規模が小さすぎて論ずるに足りない、と言うことだろうか。

「アジア太平洋」と呼びながら、太平洋の国々を排除していたことは、APECの欠陥であり、単なる落ち度では済まされないものがある。その目的とするところが地域の安定や協力ではなく、大国同士の勢力争いの場であるに過ぎないことを如実に物語っている。日本政府はAPEC加盟の時点で、これら太平洋諸国の加入について提言をすべきであったし、今になってそのことを悔やんでいるのかもしれない。

アメリカが「アジア太平洋」への関与を高める、と云い、中国が海上権益の確保は主権国の権利である、と主張する時代を迎え、自主的外交戦略の構築が期待されるのだが。

(歴山)  


誤ったメッセージ?

2012-05-23 08:56:16 | 歴史

               photo(米軍機による弾痕が残る奉安殿、徳之島伊仙町)

 最近の政治家がよく使い、官僚がむやみに使い、報道機関がたびたび引用する用語に「誤ったメッセージ」というのがある。「そんなことをする(言う)と相手に誤ったメッセージを与えることになりかねない」という文章で使われる。このように、もともと日本語としてはあまり使われていなかったような表現がなぜか登場してくる時は、たいてい外国語の翻訳であることが多い。

 この文言は英語で”It gives them a wrong message.“ というフレーズで使用されるものを訳語で聞き及んだ役人が、そして政治家たちが使いはじめたものと推測される。

 似たような用語にもう一つ、「不可逆的な」という日常ではまず使われることのない物理・化学の専門用語が出てくることもある。これは”irreversible“の略であり、英語でも専門用語に属するだろう。この言葉は主として北朝鮮問題で使われるが、“Complete Verifiable and Irreversible Dismantlement” 略してCVIDすなわち「完全で検証可能で不可逆的な(装備の)廃棄」という文章のなかで使われている用語である。 平たく言えば「後戻りのできない」、という意味である。こちらのほうはさすがに他の局面で使われることは少ないが、「誤ったメッセージ」の方は政党間や政党内の対立でも使われ、それがサラリーマン社会でも使われることがあるようだ。

 「誤ったメッセージを与えかねない」という文言が登場するのはやはり外交や防衛の交渉の場が多い。それでは誰に誤ったメッセージを送る、というのだろうか。マスコミでは、北朝鮮、そして最近はイラン、アフガニスタンのタリバーン、時に中国に対してである。すなわち、メディア関係者が「悪玉」、もしくは「好もしからざる相手」と決めた相手に対してである。それは国家であったり、特定の集団であったり個人であったりもする。悪いイメージを植え付けられた相手に対してはこの言葉を使って誰も反論することはしない。

 だが、実際には味方と考えている相手に対しても「誤ったメッセージ」を送っていることは多い。当然のことだが仲間内でも言葉も行動は慎重考えてに行う必要がある。敗戦後日本がやむなく日本安全保障体制を築いたのは一時しのぎの政策であった。吉田茂は経済の復興を優先するために「耐えて」米軍の駐留を認めてきた。それは、調印時の吉田の態度に表れており、吉田自身は経済力が付いたら当然自立を考えていた。それを覆したのが六十年の岸信介らによる新安保条約とその後の政策であった。そこでは、米軍に長期に貸与するために基地を整備し、米軍兵士やその家族、軍属に対し国家主権の一部を放棄し、あげくに「思いやり予算」を計上して相手の要求を殆ど呑んできた。世界中に米軍にとってこれほど居心地の良い環境はない、と揶揄されるまでになった。

 これがアメリカ政府に、アメリカの政治家たちに「誤ったメッセージ」を送ることになる。アメリカはヴィエトナムで、イラクで、アフガニスタンで兵力を浪費し、国の疲弊をもたらした。

 イラクに進攻してその国土の大半を制圧した時にブッシュは、「われわれは大戦後日本で成功したようにこの国も統治する」という主旨の発言をし、後にその発言を撤回した。それは本音だったのだろう。つまり、アメリカの支配者たちにとつてこれまでの歴史で日本ほど意のままに支配した国はなかったということを示しているのである。

 日本人があまりに従順で、その後の政治家もほとんどいいなりになっていたことを示している。それは現在も進行中だ。日本政府は、「米軍のグアム移転費用の一部を負担する」ことにし、すでに予算執行している。外国の軍隊が自国の支配地域に基地を作る費用の半分以上を負担しようとするのである。これは国会の参議院で否決されたものを衆議院の三分の二条項を使って強行に推し進めた政策のひとつであった。こんな事例は世界史を繙いても少ないであろう。

 歴代の自民党政府、自公政権、そして今の民主党政権と、日本政府はアメリカへの物分かりの良さを示し、結果的に彼らに誤ったメッセージを送り続けている。あまりに理解の良い態度は、相手に複数の選択肢を考慮する機会を失わせ、自省の気持ちを忘れさせる。

 ことばを替えて言えば、今日の米国の衰退の因の一端は日本にある、ということになる。もしこれが世に知られぬ一戦略家の考えた長期計画であったとすれば、あまり褒められたことではないという気がする。

(歴山)


仏足石の吉祥紋様

2012-05-16 10:18:07 | 思想

                                         Photo (瑠璃光寺拝殿前の仏足石、山口)

 久しぶりに大きな仏足石を見ました。インドのブダガヤで見て以来です。

中国路を巡る旅で山口市香山の瑠璃光寺に参拝した時に拝殿の前にありました。瑠璃光寺は京都醍醐寺、奈良法隆寺の五重塔と並び日本の三大名塔の一つとされる五重塔で知られています。たしかに趣のある庭園に、大きく立派で国宝に相応しい塔が立っていました。瑠璃光寺は曹洞宗の寺院で、山号は保寧山、本尊は薬師如来です。

 仏足石とはいつごろ、どのようにして登場したのでしょうか。

お釈迦様は偶像崇拝を認めなかったといわれます。釈尊つまり釈迦牟尼仏世尊がなくなられて弟子たちはその言葉を記録に留めようと結集(会合)を開いて経典をまとめていきました。しかし、大衆相手には文字とお話しだけではなかなか教えを広めることができません。そこで、もともと亜大陸で盛んであった紋章、偶像などの造形物を利用することになります。しかしながら、釈尊の姿かたちをそのまま造形するわけにはいきません。釈尊が、自分の姿を描きあるいは彫刻にしてはならない、と言い遺していたからです。弟子たちは、はじめ、菩提樹の大木や法輪(チャクラ)を造形し、それをもって釈尊を象徴することにしました。その後、平面の石に釈尊の足跡を彫り込む、あるいは盛り上げる造形が登場します。生き物としての人間が土に遺した形だけを造形するのであれば、本人のお姿を写すことにはならないだろうと考えたのでした。

 姿かたちを遺さない、という点では世界宗教は一致しています。仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラームのいいずれも、その初原では神や救世主を造形することをしませんでした。現在、イスラームとユダヤ教だけがそのお教えを守っているのであり、この二つが真の宗教である、という考えも成り立ちます。

 当時の仏教は広く中央アジアまで広がり始めていました。その中で西暦一世紀にインド北西のガンダーラ地方で仏陀や菩薩(修行中の仏陀)の塑像が作られ始めます。その地はかつてアレキサンドロス大王の大軍がインド世界に攻め入り、インダス河を前にしてそこから引き返した辺りに位置します。すなわち、ギリシャ彫刻の技術を持った人たちが残って定住していたとされています。距離の離れたこの地に定住していた彼らの間では仏陀の言葉そのもの重要性は薄れていたとされています。「法(教え)」よりも「戒(行動規範)」や「僧(僧侶)」が重要視されていたと考えられます。しかし、現実には同時期にカンガー(カンジス河)の支流ヤムナー河畔に位置するマトゥラ地方でも仏像の造形が始められていました。つまり、地理的な郷里や人種の違いよりも、時間の経過の方が釈尊本人の戒めを希釈していたと考えられます。

中央アジア経由の大乗とベンガル湾を渡ってセイロン島と東南アジアに伝えられた上座部(テーラワーダ)と、両方の流れに乗って多くの仏像、仏教美術が各国各地に伝えられて行きます。そんな中でも、仏教の教えを学ぶ人たちの中には仏足石の意味を理解して寺社内に安置し礼拝の対象とする僧侶も多くいたのでしょう。

ともかく、その後仏像彫刻が盛んとなり多くの信者を集めることになりました。しかし、やがてインドでは仏教は衰退していきます。バラモンの流れを汲む集団が仏教やジャイナ教の教えを一部取り入れてヒンドゥ教として復活させていったのです。たちまちに仏教は追いやられ、さらに十世紀頃からはイスラームの進出によりほとんど消えてしまいました。

 瑠璃光寺の資料によれば、日本最古の仏足石は天平勝宝六年(七五四)造の奈良薬師寺のもので、それ以降江戸期までの八百年はほとんど造られなかったとのことです。江戸時代の文化・文政頃から多く作られはじめ、明治大正昭和と今日まで全国に三百基の仏足石があるようです。

 仏足石の中央に彫り込まれた千幅輪(せんぷくりん)は、お釈迦様の印である法輪の八本の幅()を千本にしたものです。お釈迦様の足の裏にはこの千幅輪を中心に瑞祥七相の紋様があったと伝えられています。

一つの石に過ぎないこの置きもの、その形、そこに刻まれた紋様など、が一つの信仰の流れのある時の凍結した形であることが分かると興味を引かれるものがありました。

(歴山)


西方浄土―アフガニスタン

2012-05-09 07:21:45 | 歴史

                              Photo (ウズベキスタンの古都ヒワの夜明け)

 アフガニスタンは美しい国だった。峻険なヒンドゥクシュ山脈からの清流が豊かな沃野を満たし、ポプラ並木と葡萄棚の集落が点在していた。古代都市の城壁に囲まれた街区の史蹟が点在していた。この国を描いた図書、映画は多い。関心のある人は『バクトリア王国の興亡』(前田耕作著)、『カンボジア号幻影』(恵原義之著)を読んでもらいたい。

もともと地政学的な要所であったが、この地が近年混乱に巻き込まれたのは1979年のソ連軍の侵攻に始まる。これに対抗して米軍が隣国パキスタンから武器弾薬をアフガンのムジャヒディン(聖戦士)に供給し、彼らがソ連軍を打ち破った。当時ムジャヒディンの代表者数人はホワイト・ハウスに招かれ、レーガン大統領から勲章を受けたりした。ソ連軍は去ったが、米ソ両国の大量の最新兵器が残された。そこから内戦状態に入って行く。

 アフガニスタンの現状はなかなか分からない。地形的にも歴史的にも非常に入り組んだ国である。つまり、空間的にも時間的にも把握が容易でない国である。古代よりこの地の貴石ラピスラズリを求めて王の使者、冒険家、商人たちが行き来した土地でもあった。

一世紀頃、北インドからパキスタン、アフガン、ウズベクあたりまでを統一していたのがクシャーン王朝であり、その最盛期のカニシカ王が仏教に深く帰依して、カンダーラ美術が登場した、とされている。

現在もアフガンのジャララバード近郊と、隣国ウズベキスタンの国境の町テルメズでは日本隊による仏教遺跡の発掘作業が続けられている。ウスベクからアフガン、パキスタン、インドと続く道は玄奘三蔵をはじめ多くの仏僧が歩いた仏教伝来の行程でもある。

一世紀に北インドで生まれた阿弥陀経がこの地を経て中国、朝鮮半島を経て日本へと伝えられることになる。西方浄土の地上の場所として象徴的な土地の一つといえるであろう。日本人にも馴染みの深い「阿弥陀仏」の「アミターブAmitabh」は「光」を意味し、インド世界の男子には今も多い名前の一つである。ボリウッド映画の大御所アミターブ・バッチャンがその代表格である。

 この国についての先進国のメディア報道は不明瞭な点が多い。同国出身者、また近在国から日本に来ている人たちの話を聞くと、政府は幾つかの都市とこれを結ぶ幹線道路だけを支配しており、したがって外国報道陣もその地域のみが取材可能であり、それ以外のことは現地スタッフに取材させているという。この国はこの先どこに向かって進んでいくのだろか。カイザル大統領が「カブール市長」と揶揄されようとも、国家元首としての言は尊重されなければならない。 同国に駐屯する国際治安支援部隊軍(ISAF)はタリバーンの猛攻に防戦一方のようである。兵士の間にも不平不満が高まっており、先の米軍兵士の銃乱射事件も背後には駐留軍の置かれた立場の苦境があるようだ。大統領も一定期間後の外国軍の撤収を国民に約束している。

そんな中、フランスの大統領選挙で社会党前第一書記のオランド氏の当選が伝えられ、また、アフガニスタンで国際治安支援部隊軍(ISAF)による誤爆で子供五人を含む民間人六人が死亡したことを同国のヘルマンド州当局者が発表した記事が小さく掲載されていた。米軍の無人兵器による民間人誤射事件は続いている。相次ぐ市民の犠牲にアフガン市民の外国部隊に対する反感が高まっていると報じられている。(東京新聞5月8日)

仏大統領に選ばれたオランド氏は、選挙戦でアフガン駐留仏軍3300人の年内撤退を公約している。新大統領の就任直ちに時刻兵士の撤退を開始すると予想されている。

 もとはと言えば、この国の混乱は大国同士の代理戦争の前線として兵士、兵器、弾薬が大量に注ぎ込まれたことに起因している。戦火が止まり、あの美しかった沃野に麦が、葡萄が、ハリブザ(馬頭瓜)が、イチジクが稔るようになる日を期待したい。その実現の兆しがないでもないが、安定までには数年かかるだろう。個人的にも四十年余の時間を超えて再訪したい国である。

(歴山)


原発と原爆、

2012-05-02 08:35:06 | メディア

                                        Photo (世界のグランド・ゼロ、広島原爆ドーム)

 原爆の悲惨さについて日本人はよく知っている。たいていの場合、小学校から高校までの間に一度は修学旅行で広島を訪れ、爆心地と平和記念博物館を見学することになる。そうでなくとも大学生、社会人として、あるいは家族でここを訪問するひとも多い。筆者も先日広島を訪問し鎮魂礼拝してきた。

核兵器には反対するが、原発は容認する、というのが一年前までのほとんどの日本人の態度だった。それが東日本大震災による福島原発事故により風向きが変わってきた。

辞書を引くと、核兵器はNuclear bomb、原子炉はNuclear reactor、原子力は Nuclear powerと出ている。核兵器と原子力は分裂fissionと融合fusionの違いはあるが、原子核Nuclearの反応をエルネギーとして引き出して利用していることに違いはない。

自然界にも態度の差はあれ、放射線量が存在しているのだから原発を頭から拒否するのは科学的でない、という説明にも一理はある。「原子力発電はクリーン・エネルギーであり、火力発電による地球温暖化傾向を止めることができる」、「きちんとコントロールされていれば放射線が漏れることない」などとも説明されてきた。

みんなが放射線についての議論をしているところに、他にも深刻な大きな問題が存在していることが徐々に明るみにでてくるようになってきた。原子炉は高温を生み出すから冷やしながら運転していることは知っているが、炉を冷却するためにその周りを循環しているのは海水である。その量は百万キロ・ワットの原発一基で、毎秒70トンだそうだ。もちろんこれより小さな発電所もあるが、それでも毎秒何トンという水が原子炉を回って冷却の機能を果たし、約7度上昇して海に戻されているのである。一秒にトン単位の量の水が7度上昇して海に帰されるのであるから、一分間では、一時間では、一日ではどれだけのエネルギー量になるかは計算できる。ともかく膨大な熱量が海水に加えられている。原発で作りだされる熱の三分の二は海に捨てられていることになる。

以前に日本海側にクラゲが異常発生して若狭湾の原発でその対応に急遽網を張ったり、柵を設けたりしたことがあった。つまり、原発の吸水口からはクラゲのみならず、小さな生物がたくさん吸い込まれているのである。 冷却用の管の中に生物が付着したり、錆が出たりするのを防ぐために薬品が投入される。海草や海藻やプランクトン、貝やカニやイカ・タコや魚介類の卵や稚魚や小魚が給水口から吸い込まれ、熱と防錆剤とに曝されてその大半は死滅して海に戻されているのである。

 近年の世界的な異常気象は、主として自動車や工場や発電所からの排気ガスによるものと説明されてきた。それゆえに原子力発電が推薦されてきたのであるが、実際には原発が海水温上昇の大きな原因でもあることが知られてきた。

日本の沿岸漁業は不漁が続いており、さらに近海漁業にも影響がでてきていることの原因は何か。局地豪雨、豪雪、突風、竜巻、夏の異常高温などが近年多いのはなぜか、世界的な現象となっている。海流はぐるりと大洋をまわって近隣諸国や対岸までも影響が及ぶことになる。

これまで語られなかったことが徐々に語られるようになってきている。つまり、海水の温暖化とこれに伴う白化現象などの海の中の異変、それに、産卵され浮遊している魚介類の卵や稚魚、稚貝類が 減少している。海辺に住んでいる人びとの生活のための漁が最も影響を受けている。

 

 原子力空母、原子力潜水艦がいち早く実用化されたことの背景にも、海水を吸水し排水するのが容易であるというところにあった。原子力潜水艦はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、つまり国連の常任理事国五カ国が保有している。それに、近年インドが保有していると伝えられている。核兵器と同じ構造である。

原子力空母を保有している国は、現在11隻保有しているアメリカと1隻のフランスの二国のみである。アメリカ海軍の原子力空母が横須賀を母港としており、寄港するたびに当局は放射能洩れを検査して、基準以内であり問題ない、という発表がなされている。これも目晦(くら)ましみたいなもので、上述のとおり、より長期的な問題は海水温度の上昇と海洋生物の減少とをもたらしているところにもあるのである。

(歴山)