よのなか研究所

多価値共存世界を考える

小心者たちが戦争を始めたがる

2012-07-30 20:37:16 | 歴史

                Photo (日本人捕虜が建設に尽力したナヴォイ劇場、タシケント、ウズベキスタン)

 勝海舟が西郷隆盛との会談の場にて、「戦争は小心者によって起こされる。」と言ったという話が伝えられている。だが、これと同様の文言は古来、東西の識者によって幾度か発せられてきたものらしい。近年では、ブッシュ大統領がイラク攻撃を開始した時にも良く聞かれたものである。

 さて、このところわが国の為政者や官僚や学者やマスコミ界でこんな小心者が跋扈しはじめた感がしませんか。ほんの少しではあるが、なにやらきな臭いものが漂っています。いずれ埋没してこのまま消えてしまうことになるとは思いますが。

原発事故を受けて幾つかの法律・組織が作られたのはいいが、その中で「原子力規制委員会設置法」なるものが出てきた。なんと、その附則で「原子力基本法」を変更するという異常な事態が進行しているにもかかわらずマスコミ論調でこれを指摘しているのは少ない。つまり、原子力基本法第2条に1項を追加して、「わが国の安全保障に資することを目的として行う」と書きこんでいるのだが、特に深読みしなくとも「核武装」を可能にすることを明文化したいとのたくらみが見え隠れしている。

並行して「海底宇宙航空研究開発機構法」という法律も、宇宙開発を「平和の目的に限り」(第4条)の現在の規定を削除する方向に動いている。これまで徹底してきた平和主義を今になって急に転換するのは何のためが、ここにも「戦争のできる国」を目指す一連の動きが見られる。

集団的自衛権にまつわる発言でも、これまで長年守られてきた政策を突然転換する動きが見られる。複数の政党の好戦派と見られる政治家とその取り巻き連中が、なぜか意見が合致し、なんとか国民の声の壁を突き破りたいようである。

自治体の長としての職権を越えて、他道府県に所属する島嶼群を税金で購入する、と発表した知事がいて、そのことを再び税金を使って海外の新聞社に意見広告を出したらしい。いったいだれが費用負担し、だれが利益を得ることになるのだろうか。

海外の紛争地に派遣された自衛隊員に戦闘行為を認めさせよう、と発言している議員連中がいる。その顔触れを見ると確かに子供の頃にいじめられた子だったのか「すさんだ」人相風体をしているのが多い。真面目に専守防衛のために精を出している自衛官が気の毒である。

ネット空間でも「某国を懲らしめろ」、「某国からの攻撃に備えよ」などの勇ましい書き込みが目につく。自分の満たされない気持ちを他を攻撃することで憂さ晴らしをしたがる人種も古今東西後絶たない。中には具体的に「○国と一戦交じえるべし」、「弱腰外交を排す」などという発言も見られる。その昔、「主戦派」と形容された一団のせりふである。

最近のネット情報の取締り強化策や、静かな集団デモへの過剰警備など、ある種の人々は、なんとか混乱事態を作り出し、個々の国民の監視強化、大衆行動の統制強化を狙って動き出しているようだ。なんとか戦争をしたい小心者たちは、環境が整えられつつある、との感を持っているのだろうか。

戦争に「勝者となる国」はない。勝っても負けても国家は疲弊し、経済は停滞し、人びとは刹那に走る。ひとり勝者となるのは各国の「防衛関連産業」、「軍事産業」である。そして、軍事産業にとって小心者の政治家、評論家、学者、マスコミ企業の経営者はよき友であることが多い。これこそ「オトモダチ作戦」である。それゆえ、その世界で目立つ新しいパフォーマーを絶えず探している。それらが新聞紙面を、テレビのワイドショーをにぎわすのである。

 勝は、権力を扱う者には、途方もない胆力が必要なのだと説いている。幕末、江戸の戦火ギリギリのところで西郷が登場したことが日本の歴史の上で幸運だった、とも書いた。江戸城無血開城会談は、勝にとって人生最大の一場面だったのだろう。戦いを避けることで名を残す人物は「真の勇者」である。古来、まれにして尊い人たちである。

(歴山)


パキスタンで聞くアフガニスタンの話、

2012-07-23 07:44:30 | 時事

                     Photo (パキスタンの大統領官邸、イスラマバード)

 今月の初めに訪問したパキスタンの旅は厳しいものでした。ラホール、ラワルピンディ、イスラマバード、タキシラ、いずれも一年で最も暑い時期で、気温45度を超える日もあった。特に炎天下タキシラでの仏教遺跡視察は苦行に等しいものだった。なかなか「悟りの境地」に達しないのが俗人の悲しさである。

当地で一緒に動いてくれたガイドのフェズ君は、母語であるフンザ語にウルドゥ語、パンジャービ語を話し、日本語と英語を学んでいるというなかなか勉強熱心な三十代の男だった。博物館やバザールや寺院や遺跡を巡る合間の休憩時間にはいろいろな話をした。こちらの質問にも丁寧に応えてくれた。また、バザールで知り合った学生、もと小学校校長で現在ボランティアで遺跡の管理・案内役している人とも意見交換することができた。

彼等は「チョール」と言う言葉を良く使った。パキスタンのみならずインドでも「チョール」とは「泥棒」と言う意味だ。しかし、語感としては「盗っ人」という軽い感じがする。

「ザルダリはチョールだ。だがミスター10パーセントは言い過ぎだ。せいぜい3パーセントだろう。今度首相になったアシュラフもチョールだ」などという。前の大統領も首相も、また州の首相も軍の幹部も「チョール」だという。語り手によって表現は違ったが、意味するところはほぼ同じだった。

タキシラへの道は白い山肌に灌木がちらほら、インダスの支流の両岸には沃野が広がる。ここから少し西にまで行くとアフガニスタンとの国境の街ペシャワールだ。光景はアフガンと殆ど同じである。道路際に難民らしいテント暮らしの集団が見える。

筆者がその昔アフガンへ行った話をすると、フェズ君は、「アフガニスタンのカルザイが最大のチョールだ。彼の弟はガンジャ(麻薬)の取引で有名だったが去年護衛官に殺害された。この一族のお陰であの国は末端の役人、警官までチョールなんだ。パキスタン人ならみんな知っている」という。学生のアッサーム君も元小学校校長のペルヴェズ氏も同様のことを話していた。

たしかにハーミド・カルザイ大統領の経歴は公表されているだけでも、タリバーン政権の国連大使としてアメリカに滞在し、外務次官を務め、その後2011年の「同時多発テロ」事件のあとは米当局の協力者としてタリバーン政権の打倒に活躍している。一時はメジャー「ユノカル」の顧問を務めていたことも分かる。スピーチの英語はアメリカン・アクセントが強い。

筆者が帰国して体調が戻った頃に東京で「アフガン復興会議」が開催された。外国の政治指導者の汚職などいちいち気に留めてもおられないと思うのだが、会議の主たる議題が「国家に蔓延する汚職体質の改善」というのだからあきれた国際会議である。会議は2015年までに総額150億ドル超の経済支援を行うという「東京宣言」を採択して閉幕した。日本はそのうちの30億ドル、別途パキスタンに10億ドルを今後五年間に支援することを表明している。これを伝える日本の新聞もさすがに「アフガン支援会議 活きる支援課徹底検証を」(産経新聞2012.7.10)と書いていた。

アフガニスタンが重要な国であることは間違いない。またそこがいろんな意味で難しい国であることを筆者は自分の目で確かめている。歴史的にも、英国が苦戦して引き下がり、ロシアが敗退した国だ。地元の政策は「ジルガ」という長老会議で決める伝統が生きていたし、現在も続いている。

北にロシアと中央アジア、東に中国、南東にインド、パキスタン、西にイラン、中東諸国と、話題に事欠かないプレイヤーが並んでいる。豊富な地下資源が眠り、その規模は未だ解明されていない。日本人にとっては、仏教伝来の経路にあたり、日本チームが遺跡発掘に従事しているがまだまだ全貌は掴めないほどである。

パキスタンでアメリカの評判が良くないのは、無人機による誤爆で大勢の一般人の犠牲者が出ていることなど傍若無人な態度によるが、「アフパックAF-PAC」というアフガニスタンとパキスタンを一括りにした呼称で軍事作戦を展開していることへの反発もある。

この国の未来は誰の手にかかっているのか、それが問題となる。米国はカルザイ政権の汚職体質を嫌い次の指導者を用意していると伝えられるが、ここまでこの国の汚職体質を助長した責任は免れない。今となってはカルザイ大統領としては気前の良い日本が一番の頼りだろう。

アフガニスタンは中国とロシアが主導する「SCO上海協力機構」の準加盟国に格上げされている。中国は銅鉱山の開発を進めている。アフガニスタンと中国はワハン回廊という細い地域で繋がっているのである。「アメリカの疲弊を待つ」という中国の戦略をここでも見ることができる。

世界平和に貢献するために、主権国家としての日本の為すべきことは何であるか、を考えたいものである。本格的な ”Disarmament” を唱えるときである。かつては絵空事と言われたが、今日の監視・偵察技術、情報分析技術をもってすれば「国際監視のもとの軍縮」は出来ない相談ではない。

(歴山)


ピューリタンの潔癖症   

2012-07-16 07:16:49 | 歴史

                                               photo(オールド・メンズ・バンド、ニューオルリンズ)

ロンドン五輪の米選手団のユニホ―ムが中国製であることが明らかになり、米議会の議員らが「米国の製造業の雇用が中国に奪われている」と猛反発していると報じられている(7月15日朝日新聞ほか)。民主党の上院院内総務ハリー・リード氏は12日、記者会見で「五輪委員会は恥を知れ。彼等は全てのユニホームを集めて燃やし、やり直すべきだ」とまくしたてた。この会見はテレビ・ニュースでも流された。

アメリカという国は大国であって一側面を見て全体を論じることは無理がある。しかし、その地下水脈にピューリタンの潔癖症が流れ、そのもたらすヒステリックな一面があることは疑いがない。それを証明する事例がその歴史に山とある。最たるものは二十世紀初めの「禁酒法(Prohibition)」だろう。曲折はあったが、全土で盛り上がった禁酒運動により上院が提出した憲法修正法第18条が四分の三以上の州で批准され、憲法修正条項が成立した。これにより消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が禁止された。1920年1月に施行され、1933年まで続いた。当然のごとく、密輸・密売・密造が隆盛し犯罪の温床となる。後から考えると「中学生の正義感」みたいなものだが、当時は社会全体が大まじめだったのである。「高貴な実験(the Noble Experiment)」と揶揄されたが、その後も同様な自己中心的な、子供だましのような「正義感」は時々でてくる。

戦後になって、「マッカーシズム」と呼ばれた「レッド・パージ(Red Purge)」が始まった。日本語の「赤狩り」の用語は日本国内でも威力を発揮したし、今日にもその残滓がある。1950年2月、米上院で共和党のマッカーシー上院議員が「中央省庁に共産主義者が職員として多数勤務している」と告発したのを機に、ハリウッド映画界などでも「ブラックリスト」が出回り、メディアを巻き込んでの騒動に発展した事件である。「偽リスト」が乱発され、取締りには自白や密告が強要された。当時、中国の内戦で中国共産党が国民党に勝利し、ソビエト連邦が核実験に成功し核の独占が打ち破られた時期にあたる。漠然とした不安感を利用して政治的メッセージをもって大衆を動かそうとする人物が出てくるのはいつの世にも変わりはない。

余談ながら、いまだ日本で評判の高いジョン・ケネディ元大統領も議員時代にはマッカーシーを支持し、また後に彼ら対する問責決議が提出された時には、これに抗議して投票を棄権している。また、多くの映画関係者がパージを推進した非米活動委員会を憲法違反として反対運動に加わる中、後に大統領となるロナルド・レーガンはウォルト・ディズニーやゲイリー・クーパーらとともに告発者として委員会に協力したことで良く知られていた。この経歴が後に共和党の大統領候補として浮上してくることに繋がったとされている。

「潔癖症」は「独善」「一人よがり」になりがちである。また、他者を異物として排除しようとする力が付いて回る。日系人だけを収容所に送り隔離したのはその典型である。もともとそこに居た住民(Native Americans)の多くは居留区(Reservation)と呼ばれる指定された場所に押し込められている。それはまた核兵器の独占を狙い、他国がそれを保有することを禁ずる考えとなり、かつては自国が最大のクジラ捕獲の国でありながら、一旦反捕鯨を唱え始めるとそれを無条件に世界に強いる考えであり、近年の禁煙運動などにもピューリタンの思考が見え隠れしている。これらは皮肉にも中世旧教下での魔女狩りや異端審問に通じるものがある。世界の裏側まで自国の軍隊を送り込んでも「正義」を、「自由」を、「公正」を、広めようとする行為は、仮にそれが正しい行いであるとしても本当そこまで追求するのは潔癖症か、あるいは特定の宗教か、はたまた邪な政治思想をもったものにしか出来ない行いであろう。ともかくご苦労なことである。「ヒステリック・アメリカ」の声が登場する背景はこんなところにある。

われわれの年代は小学校で「アメリカはピューリタンを中心とするピルグリム・ファーザースが建国した国である」と教えられて育った。ピューリタン、すなわち「厳正な人」が転じて「清教徒」になっているわけだから、上記の現象はそれほど不思議なことでもない、ともいえる。今もアメリカ人の一部のこころの拠りどころとなっているのだろうか。

オリンピックのユニホーム問題はほんの一断片にすぎない。愛国心が関わるとそこに居合わせた者はだれも「大人げない」などとは言い出せない。今回のユニホームをデザインしたラルフ・ローレン氏は13日、2014年のソチ冬季オリンピックのユニホームは米国製にする、と発表したそうだ(上記紙)。これで騒ぎが収まるものかどうか、アメリカの政治家やメディアの「大人度」を測る一つの尺度となるだろう。

(歴山)


日本のマスメディアの特殊な事情

2012-07-09 08:34:49 | メディア

                                       photo (日本の新電波塔・東京スカイツリー)

 日本の報道ジャーナリズム、これを支えるマスメディアの特殊性・異常性については従来より多くの指摘がなされている。これこそが「ガラパゴス現象」である。およそ以下の三点が挙げられている。          

一、記者クラブ制度、  二、(新聞の)再販制度、  三、クロス・オーナーシップ、

 前の二つは字義通りで良く知れており、これ以外にも全国紙の「押し紙」の問題などもあるが、ここではクロス・オーナーシップを取り上げたい。

それはメディア間の株式の持ち合いのことである。特に新聞社がテレビ放送を支配する構造を指している。報道の先進国では、新聞事業と放送事業などメディア同士はお互いに距離を保つべきである、とされてきた。

日本にも規制法があるにはあるが骨抜きされており、現実はひとつの企業体が新聞と放送と出版とを系列化している例さえみられる。これにより、多様な表現、多様な意見の表出が制限されることになる。すなわち国民の「知る権利」が毀損されているわけである。

この問題を取り上げる個人や集団が出で来ると、既存のマスメディアは自分の首を絞めることになりかねないから、それら批判勢力を徹底して排除することに動く。過去にも何人かの政治家や言論人がこの問題に取り組んできたが、メディアによるネガティヴキャンペーンの対象とされて立場が危うくなることがしばしばであった。日本でフリージャーナリストが育ちにくい背景がこんなところにもある。

テレビ放送と新聞との系列は以下の通りである。(NHKは法律により設立され、受信料で運営されている公共放送であり、ここでは対象にせず別途論じたい)

〔商業放送(チャンネル順)―新聞社〕

日本テレビ ― 読売新聞

テレビ朝日 ― 朝日新聞

TBS     ― 毎日新聞 

テレビ東京 ― 日経新聞

フジテレビ  ― 産経新聞

まことに分かり易い構図である。この系列については多くの国民が知っていることだろう。新聞社が親会社となっていることが多い。このなかで比較的相互関係が薄いのはTBSと毎日新聞である。これにはTBS設立の経緯があるのだが詳細は避ける。これらの傘下に、出版社があり、音楽出版、映像制作、アニメーション制作、イベント制作等々のコンテンツ会社を抱えている。これらはまた、親会社の幹部の天下り先ともなっている。

クロス・オーナーシップの問題は、経営の自由度が制限されることでもあり、また事業(ここでは報道)の自由度が束縛されるところにある。すなわち、系列内で一つの論調が幅を利かせることになりがちな点にある。特に政治的課題について、特定の経営者、経営幹部の指示の下にグループ内に特定の論調が展開するのを読者、視聴者はたびたび見ることになる。そこには編集権の独立などはない。

既にテレビの事業収入(すなわち広告売上)が新聞のそれを上回って久しいが、報道・論説においては新聞社が上位にある。テレビ各社も自社で記者を採用し、取材網を敷き論説委員を育てているが、長い歴史を有する新聞社にはかなわない。テレビで「○×新聞ニュース」が流されていることでもわかる。親会社が取り上げようとしないニュースはテレビでもほとんどニュースにならない。また、ある新聞の一面トップに汲んだニュースはその系列テレビ・ニュースでもトップに置かれ、多くの人たちが重要なニュースと認識する。

最近の例をあげるなら、「消費税率引き上げ」、「原発再稼働」、など、世論調査では圧倒的に反対の声が大きいことは自社の調査でも分かっていながら、一部新聞を除いては、政府の強引な議会運営に異を唱えることをしない。「やったが勝」である。与野党の三党合意でいくつかの重要案件をほとんど審議されることもなく成立したが、この間の各紙・各テレビの報道は一部を除いて争点としての指摘がなされなかった。原子力規制委員会設置法といういかにももっともな法律が成立したと思いきや、その目的に「わが国の安全保障に資する」という文言が盛り込まれていことを知ったのは小さな記事であった。これまでの原子力利用は「非軍事」で関係者全員が一致していた。その上位の法律である原子力基本法は、自主・民主・公開の三原則を謳ってきた。「平和目的に限る」としてきたのである。まるで百八十度の方向転換である。それが、国民に知られて騒ぎが起きる前に法律を通してしまう、という政治勢力と国会議員たちに一部メディアが協力して推進したものと思われる。そのことを公然と発言する新聞社のトップすらいるのである。メディア側の有力者がこれに介在していることが窺い知れる。

日本のメディアに救いがあるとしたら、最近の地方紙の活躍である。それぞれ多くの課題を抱える地方は、新聞もテレビも独自取材が多く、全国紙、全国ネットのテレビとは違った視点での報道・論説がなされている。我々はもっと地域に密着した地元の新聞、ブロック紙、県紙、郷土紙などに注目すべきではないかと感じる。

しかし、ブロック紙、地方紙でも記者クラブ制度、新聞再販制度の問題はあり、一部の地域では、地元有力者によるメディア支配という問題がある。株式の持ち合いも程度の差はあるものの存在する。これについては改めて書きたい。

(歴山)


「大乗非仏」説の展開

2012-07-01 06:46:11 | 信仰

 

                        Photo (比叡山の麓、滋賀県坂本の律院に立つ写経塔)

 わが国には明治以前から各地に藩校が建てられで将来の人材を育成する仕組みができていたが、商都と呼ばれた大阪では一般の町人、商人が設立し運営する教育機関があった。

良く知られている緒方洪庵が開いた「適塾」(適々斎塾)は天保9(1838)年の設立であり、ここからは橋本佐内、大村益次郎、福沢諭吉らが巣立っている。

これに先立つ享保9(1724)年に商人たちの支援で「壊徳堂」が設立され英才を輩出した。富永仲基(とみながなかもと)や山片蟠桃(やまがたばんとう)らが知られる。なかでも富永仲基の「大乗非仏説」はその影響が今日に及んでいる。

一口に言えば、世に広がっている仏教すなわち大乗仏教というものは後の時代に書き換えられたものであり、ゴータマ・ブッダその人の教えから大きく離れている、というものである。当時の日本では常識破りの論であり、それを公に発表したことは驚きをもって迎えられたことであろう。

 もともとブッダもイエスも自らは何ら書き物を残していないらしいから、その発言記録はまずは弟子たちが書き残し、その後、信者や研究者たちが次々と書き足していった。それが今日残されている膨大な宗教書群である。

富永の「大乗非仏説」とは「加上論」と呼ばれている。富永は仏教、儒教、道教に関する膨大な書物を渉猟し、研究を続けてこれらを比較し、大乗批判を書いた。

科学や哲学、思想の世界では、先人の研究を踏まえて後の人が書き加え、新しい論や学説を発表して進化していくと理解されている。それが人類社会の進歩をもたらしているのであれば非難されるべきものではない。だが、こと宗教について、特に教組のいる宗教にあっては、後の人たちがそれぞれ勝手な解釈をもって、名を騙り次々と新しい宗教書を送り出していくことに富永は異を唱えたのである。現在も世界中で数気限りなく新興宗教が登場し、また宗派が出てきている。その多くが集金力を背景に拡大し、やがて世俗的な力を持つに至っているのも各国で見られる現象である。彼等に共通するのは、民衆の不安や悩みを宗教で解決すると称して金品をせしめるところにある。それは、ブッダやイエスやムハンマドの説くところはまるで相容れない。最近の言葉で言えば「真逆(まぎゃく)」の存在である。宗教の本質は「教え」にあって、教団の規模や建物や見た目のきらびやかさを競うものではない。それが経済力至上の世界でゆがめられていることは否めない。

ブッタの説いた教えは、つきつめると「慈悲」のこころにある。仏典にも「愛」の用語・文字が登場するが、キリスト教のそれとは多少差があり必ずしも良い意味合いばかりでは使われていない。それは「愛憎」「愛欲」「偏愛」「愛執」などの意味合いを伴った言葉である。おそらく、究極の「愛」は「母性愛」であり、それすなわち「慈悲」のこころなのだろう。

 今日、世界の多くの国では憲法で、あるいは国是として「政教分離」を謳っているが、現実はそうではない国が多い。もともとイスラーム圏の多くの国は、「イスラーム共和国」と名乗っているから「政教分離」とは程遠い。カソリックの多くの国では聖堂で国の行事が行われることがたびたびある。プロテスタントの国でも大統領就任式で大統領が聖書に手を置いて神に宣誓する国もある。そこでは政治と宗教は一体であり、分離されてはいない。

 大乗仏教の経典に意味がないわけではない。それらはその時々の多くの僧たちが修業し研鑽した後に知恵を振り絞って書かれたものである。ブッダその人の教えからは離れているものもあるが、それぞれの価値があるからこそ数百年を生き延びてきているのだろう。五十年百年ほどの時間経過しか持たない新宗教の教条や宗旨や論理体系にはどれほどの価値があるのか、まだ分からない。現代の富永仲基たちが論陣を張っているがなかなか大きな声にならない。相手の資金力に蹴散らされてしまうほどに新宗教は大きな力を持つに至っている。ファンドが経済を動かす世の中になっているのである。

適塾と壊徳堂とを源流に持つ教育機関などが統合し、曲折を経て国に移管されたのは1931年のことで八番目の帝国大学となった。西には京都大学が設立されていたから大阪大学の設立は遅れたとも言われている。ともかく、適塾は医学部に、壊徳堂は法学部、文学部にその命脈を保っている。富永らの「官に立ち向かい世間の常識に挑戦する」学風が残っている。戦後、新制大学として改組し、2007年には大阪外国語大学と統合し、一学年当たりの学生数3245人は、東大を抜いて日本で最大の国立大学となった。私事ながら筆者もそのOBのひとりである。

(歴山)