よのなか研究所

多価値共存世界を考える

国民栄誉ショー

2013-05-10 07:53:40 | 時事

 

           Photo (少年たちの草野球は見ていてすがすがしいが、横浜市青葉区)

(ブログ休止のきっかけとなったマシン・ラブル、ネット・トラブルが解決しました。多くの方から継続を要望され、よろこびと同時に安易な休止を反省しました。引き続きご叱正をいただけますと幸いです。)

さて、メディアに乗っかって世の中に流布するニュースにはトンチンカンなものが多いと感じませんか。よのなか「PRの時代」とは言っても、不自然な演出が横行し訳のわからないニュースが散見されます。

先日の東京ドームでの「国民栄誉賞」授与式というのでしょうか、「国民栄誉ショー」というのでしょうか

どこか変でしたね。従来の同賞とはかなり様子が違がっていました。

問題は、こんなトンチンカンなネタを、夕方のニュース、夜のニュースのトップに据える報道責任者の感覚です。国民栄誉賞が時の権力者の意向・思惑で決められていれることはうなずけるとしても、ここまであからさまな選考、そしてその演出は、賞の品格を大いに落としたことは間違いありません。

民主主義は世界で主流の政治制度として多くの国で採用されていますが、その運営においては日本も米国もEUもタイ国もフィリピンもインドも、それぞれ多くの問題点を抱えています。それは運営する側の問題なのか、あるいは、制度そのものが内蔵している問題なのか、判断が付きにくい状況にあります。

一人一票の多数決原理では、多くの信任を得んがために、政策そのものより、大衆に訴える表現技法が力を発揮します。そこでは、文案家(コピーライターともいう)、図案家(ビジュアル・アーチストとも)、写真家(フォトグラファーとも)、動画家(ビデオ・アーチストとも)、が大いに力を発揮しています。加えて、特定の目的のために議会やマス・メディアの周りで工作をする活動家たち(ロビーイストともいう)がいます。アメリカではロビーイストが職業として成立していて、公然と議会周辺で依頼主(クライアント)のために多数派工作を行い、彼らの中には平の議員よりも強い影響力を持つ者も少なくありません。

ロビーイストは政治的信念などもっていては務まりません。依頼主がどこの国のどんな組織のどんな人物であろうが、お金をいただけれは大抵は引き受けてくれるのです。

ロビーイストに比すれば小物になりますが、メディアの周辺には、依頼主の意向を受けて特定の考えを社会で大きな動き(ムーブメント、またはブーム)にするためにいろいろな活動・工作を働いている人たちが沢山います。卑近な例でいえば、あるタレントや歌手や若手作家や引退したスポーツ選手を人気者に仕立て上げることをやっている人たちです。また、ある社会的問題に「その道の第一人者」とか「その世界の事情に詳にしい」という文化人タレントを有名人に仕立て上げる人たちです。そこには特定の指向性が見てとれます。

さて、先の元プロ野球選手二人の同時受賞の裏にも複雑に入り組んだメディア演出のプロ、情報操作のプロ、活動・工作を専らとする人たちが動いていたようです。それは、この発表に際して、「日米関係を優先して、」と総理大臣がもらしたことに集約されています。今回受賞の二人の野球選手が所属していたチームはあるメディア複合体の傘下にあり、また今のプロ野球コミッショナーは駐米大使だった人物です。BS放送での大リーグ中継の低視聴率と高額放送権料に悩むNHKにもこれは格好のテーマでした。期せずして(あるいは期していたか)相乗効果が生まれることとなりました。「三方よし」のめでたし、と言ったところでしょうか。

プロ野球に詳しい友人の解釈を引用しますと、これまでの日本のプロ野球選手をその累積実数、通算の平均値、それに獲得タイトル数などを勘案して「大相撲番付」風に並べるなら、今回受賞の元監督は前頭筆頭クラス、大リーグでも活躍した外野手は前頭の幕尻か十両の筆頭クラス、とのことでした。つまり、この二人より先に表彰されるべき選手が沢山いるということです。そんな中で、なぜ今、急いで表彰することになったか、ここから先はみなさん考えてみてください。登場した人物のだれが目立ったか、がヒントです。居酒屋談義のネタにはなるでしょう。

再開一号にしては、少しまじめすぎる話題となりました。あしからず。

(歴山)

 


いらないものを売りつける

2013-04-10 08:42:51 | 時事

                 Photo ( 穀物を満載して走るトラクター、マハーラシュトラ州、インド )

入口は広く開けられていて、誰もがちょっとやってみようか、という気にさせる。世の中に跋扈する詐欺師(fraud)の手口はだいたい似たようなものである。高金利の闇金融は最初の一定期間は「金利ゼロ」と謳い、数字の『〇』を大きくあしらったポケット・ティシュが大量に配られ、特に不自由していない人もおカネを借りた時代がありました。若者の集まる街頭で甘い言葉で勧誘し、自分の空間に引き込むと要らないものを売りつける、いわゆるキャッチ商法も同様である。

これらが問題となるのは、出口がないことである。あってもそこに到達するのが大変困難なことである。「イリバーシブル」(irreversible)つまり、取り消すことができない、引き戻すことかできない、の専門用語(term)は国際政治や経済交渉でもよく使われる。この単語が出てくる時は要注意であることは言うまでもないが、通常は文言としては書かれていないことが多い。現実に引き戻すことができない交渉事項が多い。知らず知らずに引き込まれていく、という点ではもつとたちが悪いのかもしれない。

インドの有力紙The times of India や、The Hindu, The Statesmanなどでたびたび目にする社会問題に、「綿農家の悲劇」というのがある。デカン地方といえば綿(わた)の産地であり、綿花産業で長年栄えた土地であった。ここで近年破産する農家や農園が頻出し、多くの自殺者が出て離散家庭が増えていると報道されている。それは遺伝子組み換え農作物(GM=Genetically Modified Organism)で圧倒的なシェアを持つ化学メーカーM社のGM種子を導入したことに始まる。害虫に強く耐菌性に優れ、低農薬で良質の綿が大量に採取できる、ということで、またたく間にこの地方一帯に広がった。農夫たちは喜び、M社の農薬や化学肥料も同時に購入した。収穫の後、農夫たちは当然のように一部の種子を次のシーズン用に保存しておいた。ところが、M社は、その使用を知的財産権の侵害として訴える、と告知した。農家は毎年同社の種子を購入することになった。年を経るにしたがい耐菌性は低下し、収穫量も低下していった。しかし、元には戻せない。

インド中央部のアンドラプラデシュ地方は豆(インドでは豆のスープが毎日食卓にのぼる)、雑穀、菜種などの多品種栽培の土地柄であったが、換金性の高いGM種子の登場で単作農業となり、土地はやせ、少しの天候不順で不作が繰り返されることになった。

M社といえば過去にはサッカリンやDDTを実用化し、ベトナム戦争では枯葉剤を開発し、その後もPCB等の製造で知られる多国籍企業である。特許や知的財産権を縦に、各国で訴訟事件を引き起こしている企業であり、裁判に長けた弁護士や会計士を多数抱えている。しかし、企業だけを非難することはできない。

1998年、世銀(WB)の構造調整プログラムに参加する形でインド政府は種子部門を多国籍企業(MNC)に解放する政策を採った。農民代表は、「どの農家にもあり、本来無料であったはずの種子が商品として売買されている」と批判し、その矛先はインド政府にも向けられている。今のところインド政府は「不作は天候不順、特に雨量の過少によるものだ」として保障や多国籍企業との再交渉に前向きではないようだ。しかし地方選挙では大きな争点の一つとなっている。

国際機関が主導する経済的枠組み、また数カ国に亘る経済協定など、入ってみると後戻りができないものが多い。「ホワイト・ハッカー」ならぬ、「ホワイト・フラウド(White fraud)」でも採用してシミュレーションを行えると良いのだが、役所ではできないだろう。参加するとどんな事態になるのか、担当者の想像力と推理力が試されている。

(歴山)


相手にされないニッポン、

2013-04-03 08:16:36 | 時事

                                Photo ( 艦真和上も上陸した大陸交易の拠点坊津、鹿児島県 ) 

インドの有力紙「ザ・ヒンドゥ」の編集長シダールタ・ヴァラダラージャンが来日し、筆者も講演を聞く機会があった。その前日、南アのダーバンで開催されたBRICS首脳会議で「ブリックス銀行BRICS Bank」の設立が発表されたこともあって会場は満席、質疑も時間が超過する熱気ぶりだった。

ヴァラダラージャン氏はインドのもう一つの有力紙「ザ・タイムズ・オブ・インディア」の編集にも関わっていた経歴を持つジャーナリストであるが、米国のニューヨーク大学、カリフォルニア大学で教鞭をとっていたこともあり、広い人脈を持つ人物である。エネルギー問題、金融問題、核の軍事・民生利用、海賊対策など今日の世界の抱える問題点に触れながら国際政治のダイナミズムを語ったが、残念ながら日本について触れたのは最後にほんの数分であった。

同氏の世界理解はG2(米国と中国)にインドが加わることで、トライアングル(三角形)を形成し、安定をもたらすことができる、と言うものである。

「メジャー・プレイヤー」は米・中・印にEU、ARC(地域協力機構、ASEAN、アフリカ連合など)であり、一国としての日本は、経済規模は大きいものの世界の舞台では「ジュニア・パートナー」である、と言いたかったようだ。
一緒に聞いていた知人の一人は、「主催者が日印関係について喋るということを伝えておかなかったのではないか」と感想を述べたが、ヴィラダラージャン氏は世界のどの国に出向いても話す内容を変えはしないだろう。

 

一見、順調に船出したかに見えた自民党政権であったが、世界の新聞を見る分にはほとんど出番がない。むしろ、日本に逆風が吹き始めていているのである。政府関係者と一部の政治家の言動と行動、マスコミの主張はむしろこの国を孤立の道へと誘導している。

たとえば、日本政府が「日米豪連携」を呼びかけているさなか、オーストラリアのギラート首相は今週外相、貿易相ら過去最大の代表団を引き連れて中国を訪問中である。ギラートは「中国封じ込め策は拒否する」と公言して日本の提案に反対している。

今回は海南島、上海、北京を訪問しているが、海南島では中国版ダボス会議「ポアオ・フォーラム」に参加することになっている。

安倍政権が暴走気味に突っ走っているTPPについては、米国自動車連盟はじめ幾つかの有力団体が「日本の加入に反対」の意向を表している。財政赤字のため予算執行を議会の許可を得て徐々に進めているアメリカのオバマ政権は国防費の削減を余儀なくされており、在日米軍が例年開催してきた「市民友好祭」もそのあおりを受けて開催できないほどである。米国内にもいろいろな意見があり、日本から自国軍隊の撤退を主張している議員も団体も存在する。オーストラリアのみならず、アメリカの政界やマスコミの中でも日本よりは中国を大事なパートトトナーとする人が意外に多い。今でも農村部に住むアメリカ人は中国と日本の区別のつかない人がほとんどである。それはヨーロッパでも同様である。よほどの高学歴者か、日本や中国と直接かかわりのある人でないと両者の区別もつかないのが現実である。

これらに輪をかけているのが、特定の外国人を誹謗・排斥するシュプレヒコールを連呼するデモ行進が首都東京で毎週行われていることだろう。見るに耐えかねる「ヘイト・メッセージ」は街頭のみならず、ネット空間で飛びかっている。このような光景やネット空間でのメッセージが他国・他人にはどのように映っているのか想像力が働かないのだろう。一度刷り込まれたら、他の思考が入り込む余裕のない脳味噌の持ち主たちなのだろう。外国人排斥行はfヨーロッパでも見られるが、それゆえヨーロッパの人たちはこのような事象に敏感である。

そんな中、「憲法改正」や「国防軍設立」などを国会に提出しようという議論が浮上してきている。サンフランシスコ講和条約締結六十年を祝おうという話も飛び出してきた。現在の政権の首脳たちが考える国政の優先順位は理解が難しい。取巻きにはアイデアマンが揃っているようだが、「アイデア倒れ」となる思いつきレベルのものが多い。

戦争ができる国にしたい、といっても、アメリカはもちろん、中国も、ロシアも一国で立ち向かうには余りに大きな国である。せいぜいアメリカの後ろに立って大国に小手先のちょっかいを掛けるのが関の山である。ヴァラダラージャン氏が「ジュニア・パートナー」と言ったのはそういうことを指しているのではなかろうか。

聖徳太子の言とされる「和を以て貴しとす」を掲げて、世界に向けて「軍縮」を呼びかけ、各国がそれを実行する環境を整えることに協力することが、この国にできる国際社会への貢献ではなかろうか。

(歴山)


武器はどこから、

2013-01-23 22:27:36 | 時事

 

                                 Photo ( 広島平和公園からのぞむ原爆ドーム )

アルジェリアでの多国籍からなる武装集団によるBP(ブリティシュ・ペトロリアム)社の天然ガスプラントでの人質事件と、これに対するアルジェリア政府の現場襲撃は何ともやりきれないものがある。日本企業の海外事業史上最も大きな悲劇であった。一昔前なら中東・アフリカでイスラーム武装勢力の襲撃事件があっても日本人が狙われることはないと、との思い込みがあったが、小泉政権下でのイラクへの自衛隊派遣・駐屯、自衛隊の補給艦による米軍を主体とする多国籍軍艦隊への燃料補給以来、そんな考えは通用しなくなった。

歴史をひもといても、日本が中東・アフリカの国土に攻め込んだことはなく、領土争いに加担したことも、奴隷貿易にも関与したことはほとんどなかったはずである。国境線が縦横の直線や不自然な斜め線であったりするのは、西欧列強の支配地区を基に線引きされたものである。今回の事件で被害者を出した英・仏・米ら欧米諸国と我が国の間には明らかな差があった。アフリカの地にこれまで実害をもたらしたことはなく、各国の資源輸出のためにその開発・建設を手伝う、又、資源探査を行うという仕事で日本の数社がアフリカで業務に従事しおり、数百人規模の専門家と作業員が駐在しているのである。外務省はじめ、政府関係部署に、日本人は安全との思いがあったとしたら反省するときではないか。

それにしても、映像を見る限り武装勢力も政府軍に負けないほどの大量の重火器を持っていたようだ。報道各社の一致するところでは、リビアのカダフィ政権が倒れた時に、大量の武器弾薬が周辺地域に流出し、その一部が今回の武装集団に回っていたとのことであるが、現実には複雑な背景があるのだろう。現在シリアにおいても反政府武装勢力が政府軍に対抗して内乱状態になっている。彼等の武器はどこから来ているのかは報道でも余り聞くことがない。不思議なことに、シリアにおいては反政府側を欧米諸国及び日本が支持していることである。主権国家の政府を信任しないということであれば、先に国家不承認を伝えるべきではなかろうか。一応の終結を見ているスーダン内戦では、スーダン政府がイスラーム政権であったのに対し、南部の元英国支配地域のキリスト教急進派が反乱を起こし、長い内戦の後に南部の自治権が認められ、さらに住民投票の結果独立が認められた経緯がある。

共通していることは、いずれの場合もそこに大量の武器が流入していることである。アフガニスタンには1979年のソ連軍の侵攻で大量の重火器と戦車が持ち込まれ、これに対抗してアメリカがパキスターン経由で対戦車地雷、対空ロケット弾などの武器を大量に運び込み当時のムジャヒディンに提供した。現在アメリカはじめ有志連合軍が手を焼いている相手はこの時の兵器を現在も使用している。

世界中に兵器が散乱しているのは合法非合法の武器商人の手によるが、その出どころは武器輸出国である。スウェーデンのストックホルム世界平和研究所が毎年発表している「SIPRIリポート」 2012年版の武器輸出国ランキングは以下の通りである。

1アメリカ、2ロシア、3フランス、4中国、5ドイツ、6イギリス、7イタリ―、8スペイン、9スウェーデン、10オランダ、そしてこれ以下で意外な国は11イスラエル、13スイス、などがある。ここでも国連安保理の常任理事国五カ国とドイツのG6が上位を占めているが、米・ロの数字が他を圧している。軍事費では二位の中国は輸出額は意外に小さいことがわかるが、単価の低い兵器を大量に輸出していると推測される。


民主党政権下に「武器禁輸三原則」の緩和が決められたが、民主党の三年間を全否定している自民党やその支持者たちもこれは評価しているようだ。日本の兵器の改良技術は優れており、本格的に取り組めば日本製の兵器が世界各国に売られ、それがやがて闇市場に出回り、今回と同じような反政府組織の手に渡ることは容易に予想されるところである。これまで自国製の兵器で死傷される兵士・民間人は欧米諸国がほとんどであったが、ことがこのまま進めば日本人が日本製の兵器で傷つく日がやってくるのかも知れない。

かつて盛んに議論された「軍縮」というテーマは、近年では出る幕を失しなったかに見える。非対称の戦闘はますます増えていくとの予測がなされている中、本来なら、今こそ我が国が「反核」と並んで「軍縮」を世界に向けて発信するときではないか、そうでないと尊い命を失った同胞の霊魂は浮かばれない。合掌!

(歴山)

 


ダイヤモンド安保?

2013-01-16 21:50:29 | 時事

 

 

                  Photo ( インド国会前の襲撃者撃退用土嚢、ニューデリー )

 新政権が動き始めていろんなことが発表されているが、ことばのみが先走っている感を受けるのは私一人だろうか。首相は訪米が実現せず、かわりにベトナム、タイ、インドネシア訪問へと旅立った。首脳陣の相互訪問は良いことだが、あて馬のように来られても困る国もあるだろう。

首相は「戦略的外交」という言葉が好きなようで、その具体的な行動の一つは「自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共有する」国々と連繋を強める「価値観外交」とのことのようだ。ちょっと耳にするともっともなように聞こえるが、今回最初に訪問するベトナムはれっきとした共産党一党独裁の国である。自由市場経済社会主義を民主主義とするなら中国はその先輩格である。こんな基本的な「ミス」をすら官邸の取り巻きは指摘することができないのだろうか。童話に出てくる「はだかの王様」を連想する人もいることだろう。

かと思えば、首相はウェブサイトProject Syndicate上に「ダイヤモンド安保構想」なるものを発表している。はじめは何のシャレかと思ったが、しごく真面目な構想のようである。その内容が16日付けの東京新聞朝刊に掲載されている。日本と米国ハワイ州とオーストラリアとインドを結ぶとほぼ菱形になる。この菱形ダイヤモンドに含まれる海域の安全について四カ国が連携すべく働きかけていく、というものである。あくまでも構想であって、実行性はまた別なのだろう。

一足先に東南アジア、豪州を訪問した岸田外相と会談した豪州のカー外相は「日豪関係は中国を封じ込めるものではない。日本との関係強化は豪中、日中の関係強化と共存できる」と日本の出方を牽制した(同紙)。 

菱形の尖がりのひとつはインドである。この国がこのような申し出に同調するかと問われれば、とてもそうは思われない。インドは日・米・豪と洋上での軍事共同訓練を行ったと思えば、すぐに中・ロと陸上の軍事共同訓練を行う国である。昨年六月には相模湾沖でインド海軍と海自の共同訓練があり、外務省・防衛省はこれを大いに評価していた。インド海軍は多くの国を友好訪問し、また訓練をしているのである。

現実に貿易額を比較しても、インド-中国間取引がインド-日本間の数倍規模となっている。「中国封じ込め」という用語が日本の政界とマスコミの独りよがりであることは、外国メディアに目を通すと容易に理解できる。

インドは確かに中国、パキスタンと戦火を交えた経緯がある。それゆえ、現政権は慎重に両国との外交関係を平静に保つべく最大限の努力しているところである。国防の基本は兵器の国産策であるが、先端兵器は広く多く国から輸入し、リスクの分散を図っている。つい先日もロシアからMig-29Aの導入を発表している。 

インドは外交交渉に長じた国であり、「価値観外交」と言われれば表向き賛意を示しながら、内心「なんじゃ、それは」と感じることだろう。核実験の強行に見られる通り、自国の信念を貫くに他国が口を挟むことを拒否する。「是は是、非は非」であり、友好国にも正面切って異議を唱え、また敵対している国であっても評価すベきところは正しく認める、そんな国である。

中国での暴動で日本の小売業や工場が甚大な被害を受けたことは記憶に鮮烈だが、その少し前にはインドで日本の自動車工場で暴動あった。最近インド国内での女性の暴行被害が続出してニュースになっているが、これまで問題化されなかったことが明るみに出てきた、という方が正しいだろう。基本的人権は大いに侵害されている。「自由、民主主義、基本的人権といった価値観を共有する」国々と連繋を強める「価値観外交」は響きは良いが、これを真に受ける国があるだろうか。

政権が何度代わっても、日本の外交センスは「ひよわな花」のごとくである。世界の外交舞台で周回遅れで走っている、と言ったら言い過ぎだろうか。

(歴山)