(バングラデシュ国会議事堂)
先般行われた第17回統一地方選挙は東北大震災と東電福島原発事故の後ということもあり、いろいろな議論があったにもかかわらず低投票率に終わりました。前半の41道府県議選が48.15%、12都道県知事選は52.77%、後半の市長選は52.97%、市議会選50.82%、町村長選70.56%、町村議選66.57%でした(総務省発表)。これらの投票率は過去60年間ほぼ一貫して下降してきています。簡単にいってしまえば、都道府県の首長と議員を選ぶのに2人に1人、町村の首長と議員を選ぶのには3人に2人しか投票していないということになります。国政も近年はほぼ同様で60%台の投票率で推移しています。これが日本の民主主義の実態です。
ところが、このような時にも必ず投票に足を運ぶ特定の集団があることはよく知られています。今回の選挙もいくつかの集団は熱心な投票行動を組織的に行ったようです。もし、投票率が50%と仮定すれば、5%の支持基盤を持つ集団が全員投票に行けば、得票率は10%ということになります。このような人たちは友人知人をはじめ周囲のひとたちに積極的に特定の党・人物への支持を呼びかけるのが通例のようですから、実際には13%から15%くらいの票を獲得しているようです。時にはもっと多いかも知れません。こういう集団が議員を多数選出し、首長選挙にも大きな影響力を発揮することになっているわけです。このような事象は日本だけのことではなく、濃淡はあるもののアメリカでも、ヨーロッパでもみられる傾向だそうです。
このようにして選ばれた議員たちによって税金の使途が決められ、議会と首長によって政策が進められていきます。
民主主義の基本は全員参加の平等性と多数決の原理でなっています。民意は議会における議員の数によって示されます。つまり、数の論理によって政策を決定する政治システムであるということです。多数派の独断専行を回避するために、少数派を尊重し、その意見を政策に反映させる仕組みを考えてあります。現実には意見が対立するひとたちがどれだけ議会で討議を続けてもなかなか歩み寄るということはありません。最後は強行採決、という光景をたびたび見るのはそのためです。
現在の民主主義のもう一つの基本は代議制、そして政党政治ということになります。特に国会や都道府県議会ではほとんどの議員がいずれかの党派に所属しています。選挙民は、自分と意見の近い党派や候補者とを選び、代弁してもらうことになります。実際には、党員ひとりひとりの議員があらゆる議案についてすべて同じ意見であるということはまずあり得ません。しかし政党内では議決に当たっては統一行動をとるのが決まりです(例外的に自由投票ということがあります)。リーダーたち(党の幹部)にとって重要とされる議案については「党議拘束」なるお触れが回ります。議場では、不承不承それに従う議員の姿を見ることになります。政党自体が大きな権力機関となっていきます。二大政党制となると、ますます政党の横暴が幅を利かせることになります。現実に、日本ではこの十五年ほどひたすら二大政党に向けて選挙制度を改革してきました。その結果は現在見る通りです。
現在国民的議論の的となっている原子力発電も、一応は議会の承認を得て推進されてきたものです。これが非となるのであれば、われわれはその責を負わねばなりません。事業者側の説明が不十分だったとしても、重要問題に関して選挙民は情報を熟読し、思慮深い判断が求められます。メディアは情報を提供する責任があります。
「民主主義は最低の制度だ。ただし、今のところこれよりましな制度がない」
元英首相のチャーチルが1947年11月の下院での演説で語ったと伝えられます。それ以前にも同様のことばを吐いた人物がいたのかもしれないが、ともかくウィットとユーモアが好きだったというこの人物に相応しい科白です。
これを真に受ければ、近い将来「現在の民主主義よりましな制度が登場するかもしれない」という期待感を持っていたのではないか、と考えることもできます。
(歴山)