よのなか研究所

多価値共存世界を考える

大国の墓場

2011-02-21 20:49:29 | 比較文化
この一ト月の中東での動きを見ていると、やはり世界の潮目が変わりつつあることを感じざるを得ない。端的にいえば、アメリカという20世紀帝国の没落がようやく始まるということだろう。
 
アフガニスタンは若い頃に訪問して、その後再訪を果たしていない国のひとつだ。十年前に南アジアの国に滞在していた間に何度か入国をこころみたが、仕事の日程上なかなか実現しなかった。加えて入国続きの繁雑さがあって結局行けなかったのは心残りだった。
この国から産出するものに輝く石「ラピスラズリ(青石)」がある。遠く五千年前のエジプト王の顔料にも使われていたものという。この貴石を求めて古代より近世まで王の使者や軍団を率いた掠奪者や商人や冒険者たちがやってきた。そこは国土の大半が峻険な山岳地帯であるから侵入者たちはなかなか目的を達せなかったようだ。
 
自分があの国を放浪して十年後の1979年に当時のソヴィエト軍の進攻という事件があった。その経緯についてはいろいろな書物が刊行されているから、関心のある向きには読んでもらいたいと思う。一口にいえば、相手国に入り込んだ間諜が政権内に賛同者を得て、これが力を得、やがて軍事顧問という形で相手国の軍に影響をもつようになる。挙句に、相手国の要請という名目で自国軍を派遣した、という世界史上によく出てくるパターンである。ハワイ王国という小さな楽園を瞬く間にせしめたアメリカ合衆国のやり方とほとんど同じであった。
この国の地政学上の重要性をよく知るアングロ・サクソン軍が隣国のパキスタンを支援すると称して大量の武器弾薬をパキスタンからアフガニスタンへ送り込んだ。もともと山岳に群居していて部族たちは狩猟に長けていたから、その最新式の銃を与えられると当時世界最強と言われたソ連軍を打ち破ったのである。
敵は去った。のみならず、その十年後にはソヴィエトという国家が消滅してしまった。国土を縮小し、その昔のロシアという国名に戻った。
この百年ほど前には、帝政ロシアとこの地の覇権を争ったイギリス帝国が同様にアフガニスタンから手を引き、その後国威が衰退に向かったのである。
そして今、アメリカが苦戦しているのである。アフガンとイラクで手古摺っている間に今回の北アフリカからサウジ半島への政権崩壊の騒動となってしまった。まだまだ結末はどうなるか分からないが、近世史でこのアフガニスタンという国に攻め込んだ二つの大国、大英帝国とソヴィエト連邦がいずれも後に国家の衰退をもたらしたことから推論すれば、アメリカ帝国もまた同様の道をたどることになるのかもしれぬ。
 
アフガニスタンに関心をもったのはいろいろなものがあったが、その一つに地元で「ブスカシュ」と呼んでいる騎馬競技があった。「騎馬民族」というグループが本当にあるのかどうか知らないが、あるとしたらこの国の人々を指すのではないだろうか、と感じた。かれらは子供から老人まで「不撓不屈」と顔に書いてあるような表情をしていた。勇猛果敢に人たちが群居していた。
アメリカは無人偵察機を無人爆撃機にモデルアップしてアフガンとパキスタンで「対テロ戦争」と称して民間人を多数殺害してきた。米軍は旧ソ連の徹を踏まないように、人的被害を最小とするべく作戦を変更しているようだが、それとてもこの国に攻め込んだ以上衰亡は免れないのだろう。もともと自分たちがばら撒いた武器で攻め込まれているのだ。
世の中にはこういうこともあるという新しい見本となるだろう。(了)