よのなか研究所

多価値共存世界を考える

「国家に真の友人はいない」

2013-01-09 22:09:40 | 歴史

                                                                            Photo ( 江南の運河地帯、中国 )

1958年版外交白書に「国連中心主義」という用語が登場し、それ以降長く国内言論界で幅を利かしていたかに見えた。遡れば1957年2月、国会での施政方針演説でこれを説いたのが岸首相である。岸は「わが国は国際連合を中心として世界平和と繁栄に貢献することを、外交の基本方針とする」と述べ、この基本方針は「自由主義諸国との協調」及び「アジアの一員としての立場の堅持」と並んで日本の外交三原則とされた。

その前年に悲願の国連復帰を果たした日本の国民にとって、「国連」という言葉は明るい未来を約束するような響きがあった。だが、文言を良く読むと、安保条約の改定を目指す岸政権の国民に向けての「耳に入りやすい」政策用語であったと理解する向きもある。他方に、岸は本質的にはアジア主義者であった、との見解もある。

それはともかく、マスコミではその後も長く我が国の外交の要諦は国連中心政策である、と報じられたが、それは米ソ対立の冷戦構造が国内にも近隣諸国にも色濃い中でバランスを取るために使われていた一面があった。その後、「国連中心主義」と「日米安保」が我が国外交の両輪である、といった使われ方をしていた時期もあった。「国連中心主義」の用語がほとんど聞かれなくなったのは、ソビエト崩壊による冷戦構造の終結以後のことである。実は、この時が「日米安保」解消についての協議をはじめるタイミングでもあったのだが、長く続いた自民党政権下でこれを言い出す閣僚も議員も既にいなかったわけである。

これに並行して進められていたのが、原子力政策であった。1968年、「日米原子力協定」が締結され、そこでは日本国内に「プルトニウム及びウラン233並びに高濃縮ウラン」の保存が義務付けられた。協定の付属書には「六ヶ所」、「大間」、「もんじゅ」の文言が登場する。米ソはそれまで数万頭ある、と言われた核弾頭を相互に削減することになるが、それでも現在五千から一万発を保有していると推測されている。核弾頭は長期保存に適せず、劣化に伴い定期的に核燃料を交換し続けなければならない。そのためには安全な、適切な保存施設を必要とする。考えようによっては、米国が使用済み核燃料の再処理・プルトニウム抽出を日本にのみ認めた、という考えも成り立つ。日本が米国にとって抜き差しならない関係になっていることは、2012年8月のアーミテージ元国務長官ら知日派と称する人たちに寄る対日政策提言で「日本が原発から撤退することは同盟関係にとって大きな損害である」と警告?していることでもわかる。アメリカも複雑な国で、議会にも政府内部にも日本よりも中国により重きを置く人たちがある。アーミテージらの警告も、国内向けに発せられた感もある。

 

 さて、安倍内閣である。明快な、単純な言葉で政策を指し示し、滑り出しは上々のようである。株価も上がり、邦貨円の対外レートは下がり、経済界・財界からも好意的な意見が目立つ。首相の言葉には「自主憲法」を制定し、自衛隊を「国防軍」へと変革し、「集団的自衛権」を行使する国にする、との内容が含まれている。自主憲法の内容のすべては不明だが、仄聞するに米国との間の従来の距離感から少し離れる、と受け止められても仕方がない印象を受ける。とすると、米国は六十七年間、事実上のProtectorate(保護国)、あるいは濃度を薄めた Trusteeship(信託統治国) と見なしてきた国の変化をそのまま見過ごすであろうか。すでに、米国の財政状態がこのような小事にかまっておれないほど悪化しているのだろうか。「尖閣問題」についても、外交交渉により平和的に解決することを望む、との発言がクリントン国務長官はじめ米政権内から相次いで聞こえている。はっきり言って、中国のほうが大事なのである。日本の政権内には米国の内政・外交・財政に明るい人たちが多数いるであろうから、このレベルまでは大丈夫、と読んで政策を進めているものと推測する。そうでなければ、この首相はまたもや「暗愚の首相」の名称を贈られて葬られることになりかねない。

-― 国家に真の友人はいない -― はフランス大統領であったドゴール将軍のことばと伝えられる。また、同時代のチャーチル英首相は「全ての外国は仮想敵国である」と語ったそうだ。歴史上の偉人の文言を引用して文章を飾るのは気が引けるが、二つの文言ともかなり古い時代から東西にて使われていたようである。いわば「よみ人しらず」のようなものである。それゆえ、かなり真理に近い文言であり、現代人が適宜引用することは許されると思う。

一人ひとりの人間は複雑であるが、国家も同様に複雑である。

<歴山>