よのなか研究所

多価値共存世界を考える

口から出ると現実となることば

2011-06-30 17:06:02 | 思想

         photo: 聖樹の下のクンプ(聖水壺)と花飾りのガネーシャ(聖象)

スホーツ選手がインタビュアーに答えて「今日は必ず勝ちます」と言っている。またマイクを向けられた応援席の観客も判で押したように「絶対勝ちます」と同じように答えている。これから起こることに「確実」、「絶対」はない。二人の、または二チームの戦いであれば勝利の確率は二分の一である。絶対と言えるのは八百長の場合のみである。選手が言いたいのは「自分(あるいはチーム)が勝つように必死で力を発揮します」ということであり、観客が言いたいの「自分の応援する選手(あるいはチーム)が勝つように必死の思いで応援します」ということだろう。この「必死」の「必」が転じ「必ず」になっているものと推測される。「必死」の言葉の由来を知ったならは、とてもこんなことばを使わないことだろう。 

 

日常の生活でも、職場でのやりとりでも、またメディアに登場する自治体の首長から国会議員から省庁のスポークスマンまで、また企業のトップ、財界のボスから産業界の指導者までができないことをできる、ということがある。この世界には「大風呂敷」という言葉がある。特に政治家という人種は選挙となると、「とてもできない」と誰の目にも明らかなことを「私がやります」、とか「いついつまでに成し遂げることを約束します」などと言う。一例をあげると、安部元首相は在任中に「来年の三月末までに〈消えた年金〉の最後のひとりまで必ず明らかにします」と選挙演説でも国会でもぶちあげた。現実には今もって解決していない。特に時間を区切る約束には細心の注意が必要なことは二、三年でも職場で仕事をしたことのあるひとなら誰でもわかることだろう。問題は職場で実際の仕事をした経験のない人たちが多く政治家となって国会に議席を得ていることかも知れない。仕事の場での約束ごとは、直ちにわが身の上に降りかかってくるから、言葉選びには慎重に成らざるを得ない。

 

「原子力は絶対に安全です」という標語が全国にあふれていた。教科書には「石油はやがて枯渇するから今から太陽光などの自然エネルギーや原子力発電へ取り組む必要があります」と書かれていた。当時、「太陽光などの自然エネルギー」と「原子力発電」を並べる、という細工に気がつくものは少なかった。

何時の世にも口舌で世を渡る人種はいる。ガマの油売りや寺社での香具師の仕事には社会の一員として憎めないものがあったが、近年の詐欺師、催眠商法や呼び込み詐欺やネット詐欺などは「人の善意を逆手に取る」という点で人道地に落ちた、と言われる所以がある。

 

 

国語辞典にも出ている「サティヤグラハ」というヒンディ語がある。サンスクリット系の単語のようだ。一般の辞書には、「《真理の主張の意》マハトマ=ガンディが唱えた非暴力抵抗運動のこと。」と説明されている。デーバナーガリー文字で示すことができないのが残念だが、アルファベットで書くとsatyagrahaとなり、これを分節するとsatya「真理、真諦」、graha「把握」とに分けられる。

辞書にあるように、ガンディ翁がこの言葉を英国に対する独立運動の一環として展開した「不服従非暴力」運動の標語とした。

現地での響きは、「satya」は「サッティヤ」に近い。「サッティヤ」は辞書に書かれているとおり「真理」の意であるが、古くは「真実を述べることで神に近付く」、あるいは「神に近付くことができる言葉」という意味合いがあったという(ここにいう神はGodにあらずして、ヒンドゥの神デヴァターDevataである)。

常に自分が行うこと、実行できる範囲のことを述べる、口にした約束は守る、という行いを守っている人の言葉は、次第に神の声に近づいていてくる。ついには、この人の語る言葉は必ず実現することになる、ことになったという。うっかりした言葉が実現しては大変なことになる。それゆえ慎重になる。

 

われわれ凡人でもこのような状態に近づくことはできる、と教えてくれたのはハリドワール(ガンガー上流の聖地)のグル(ヒンドゥ指導者)だった。

言ったことは実行する、できないことは口にしない。約束は守る、そのためには口にすることばは控えめな表現とならざるを得ない。すると、それらは当然のように実現していく。実現した時の充足感が大げさな表現を自然と避けるようになり、これが習慣となる。確かに、ものごとが大きく展開する可能性は減じられる。会議の席では大きな、目新しい目立った発言をする人の陰に隠れてしまうことになりがちである。しかし、たとえ小さな仕事でも確実に成約していくことになる。かくしてこの人物は「サッティヤ」を獲得した人間となる。経済社会での評価がどれほどのものとなるかはさておいて、「口から出ると現実となることば」を持つ人物へ近づいていく。デヴァターに近づいていくことになる。

(歴山)


無人島への関心と無関心、

2011-06-25 00:06:55 | 島嶼

波打ち際まで領土です。

 

皆さん、馬毛島(まげじま)と硫黄鳥島(いおうとりしま)がどこにあるかご存じですか。いずれも日本の領土ですよ。

この国は島が多いといいますが、全部が島国ですからね。日本は「島嶼国家」です。

島が6852あるとされています。その中で有人島は本州、北海道、九州、四国、沖縄本島を含めて437、残る6415が無人島ということになります(海上保安庁「海上保安の現況」昭和62年)。

島が多いということは似た名前の島も多いということです。「大島」という名前の島は北端の渡島大島(おしまおおしま)をはじめ、奄美大島、伊豆大島、紀伊大島、周防大島、新居大島、…と数え上げるときりがない。硫黄島という島も多いし鳥島という島も多い。

 

さて、問題は無人島である。先のふたつの島はいずれも無人島です。

都会に住む人の中には無人島といえば白い砂浜に芽をふいた椰子の実がころがっていて、ヤドカリが歩いているような映像を思い浮かべるひとも多いことでしょう。こんな島もあるにはあるが、大半の無人島といえば断崖に囲まれた岩場の島が多いのです。

少子高齢化の波は特に小さな離島において顕著であり、現在無人島化が懸念されている島も幾つかあります。

鹿児島県吐喝喇(とから)列島の臥蛇島(がじゃじま)が無人化したのは昭和45年(1970年)のことでした。その隣の諏訪之瀬島は現在人口が四十数人になっているそうです。四年前に吐喝喇列島の中之島と悪石島を訪れたことを思い出します。無人化が懸念される島がほかにもありました。

 

しかし、無人化したからこれをだれかがどう使おうが勝手というわけではありません。たいてい周辺は漁場であり、希少生物が生息し、ときどき学術調査が入り、採集者や探険好きの人たちが上陸したりしています。地下資源の可能性もあります。どの島も固有の景観があり、また地質学的な、生物学的な特徴を備えています。以前有人島であった頃の遺構を残している島も少なくありません。

 

621日、米国ワシントンで開かれた日米安全保障協議委員会で鹿児島県西之表市の馬毛島を米陸上空母離着陸訓練(FCLP)場とすることが発表されました。驚きです。むろん地元では反対の声が上がっています。

地元の南日本新聞はこう報じています。

「地元の市民団体や観光協会、医師会など11団体は22日、連名の抗議文を発表。「政府は地元住民の意向を完全に無視した」と非難しFCLP移転について「到底受け入れられず今後も断固反対する」と訴えています(623日)。
この島は種子島の西に浮かぶ小さな島ですが、何を以て航空母艦への離着陸の訓練上にする必要があるのか疑問ですが、防衛省も外務省も無人島ならいいじゃん、くらいに気軽に考えているのでしょうかね。無人島に最も関心を持っているのは米軍かも知れませんね。報道のされ方に問題があるのかもしれません。

 

この一ト月前の5月中旬には、沖縄の最北端に位置する硫黄鳥島に米軍の射撃場を作る話がもちあがりました。現在同県の鳥島にある米射爆撃場で行われている対地射爆撃訓練を移す、という案が検討されていることが報じられました。沖縄政策協議会の基地負担軽減部会の席で北沢俊美防衛相が明らかにしたとのことですが、加えて新たに米軍機の中継給油地として伊江島補助飛行場の活用を考えているということですから、負担軽減どころか沖縄の負担大幅増となるわけです。

硫黄鳥島は奄美群島の徳之島の西に位置していますが、琉球王朝時代からその版図に入っていました。それはこの島が琉球にとっては硫黄が採掘される唯一の島だったから、ということのようです。現在も行政上では久米島のある久米町に属しています。以下、沖縄タイムスから一部引用します。

現在使われている鳥島射爆撃場では大量の劣化ウラン弾発射、250キロ爆弾が投下されており、有害物質で島中が汚染されているといわれています(というのも、近年日本人がこの島に立ち入っていないのでよく分からないのです)。また米軍機による漁船への操業妨害など多くの事件・事故も発生しています。あまりに激しい爆弾投下で、島が消滅するのではないか、といわれているほどの射爆撃訓練です。漁業・観光に与える経済的損失も大きく、町は長年早期返還を求めてきのですが、これが実現するとこれらの事件・事故もそっくり移転することになります。

 

この二つの無人島へのあらたな米軍施設の建設が発表されても都会に住む日本人の大半はさほどの関心もないようです。それは、これまでの原子力発電所の建設推進の構図と相似形をなしています。

 

他方、アメリカの議会では財政立て直しのために軍事予算の大幅削減を提案する議員たちが活発に動いていると伝えられています。ある議員は「米軍海外基地は多すぎる」として兵力と施設の米本土への帰還を主張しています。

米軍の日本駐留、沖縄駐留継続を主張しているのは一部の米軍関係者と日本政府ということかも知れません。日本の民主党現政権は六十余年も続いた自民党政権、その末期の自公政権と同じどころか、それ以上にアメリカ寄りの政策を採っています。まるで相手の要望を先読みし、相手の要望するところ以上のものを提供するように心がけているかのように見えます。こういう言説をこそ「相手に誤ったメッセージを送ることになる」という紋切型文言がピッタリです。

 

だが、親米派も離米派も激しく対立することもなくなるかも知れません。意外とアメリカ側の都合で段階的に日本の駐留米軍が撤退していくことになるかも知れません。日本政府や大多数の国民にとっては「想定外」のことがやってくる可能性がないとは言い切れません。むしろ、想定外の事態が起った時への対応を考えておくのが本当のリーダーというべきです。自国を自国民の手で守る、ということは世界では至極当たり前のことなのです。

 

街に住む人々にもこの国土を構成している無人島、有人島を問わず小さな島々にもっと関心を持ってもらいたいものです。一部のテレビ番組で「行けばなんとかなる」島として、たびたび遊びの対象として取り上げられている南の島がありますが、現実はそういうことではありません。島民たちはまじめに切実な日常を送っています。島国ニッポンに生きてきた人びとの本来の姿、家屋、集落の形、労働、祭祀、行事、家族、生業などを伝えている島々なのです。

(歴山)

 


現代の「貪・瞋・痴」は、

2011-06-19 09:57:00 | 信仰

 (写真はクリックすると拡大するはずです)

六月四日、東京愛宕の青松寺にての東大寺東京講座で北河原別当による「観音経をよむ」という講話を拝聴する機会がありました。

今回取り上げた経典は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品 第二十五」でした。ご存じの方もいると思いますが、このお経は苦悩や災難を乗り越えるに「南無観世音菩薩」の名号を唱えることを説いています。その中に大水に流される、また大火に見舞われるといったたとえ話が取り上げられました。東日本震災の災禍がまだ生々しく、その復旧の遅れが云われている折のお話でしたから、いっそう有難味がありました。

 

「普門品(ふもんほん)第二十五」の中に、人間世界を蔽っている欲望や邪念について、これを夜叉羅刹のしわざとして説いている部分があります。原文はこうです。

「若三千大千国土満中 夜叉羅刹 欲来悩人 聞其称観世音菩薩名者 是諸悪鬼 尚不能以 悪眼視之 況復加害」

文字を眺めているだけでなにやら意味が伝わってくるような気がしますね。本当は縦書きにできるといいのですが。

「観世音菩薩」とはすなわち、世の人々の発せられる音(声)を観く(聴く)菩薩さん、という存在のようです。音が空気の振動であるので、その振動をすべて感知し理解する菩薩さんがいてくれるのでしょう。

 

仏教にもいろいろな宗派があり、経典の解釈については差がありますが、基本的に共通している部分も大きいのです。たとえば「貪瞋痴 (どんじんち)」という言葉があります。自己本位に陥った人間の考え、振舞いのことです。ここから逃れるべく精進することを説いているのが仏教の経典といっても過言ではありません。

「貪(どん)」は「貪欲」や「慳貪(けんどん)」などのことばで日本人には知られています。この字は「財」に蓋をしてひたすら守っていることを示しているそうです。

「瞋(しん)」は「怒り」、「憎しみ」などを意味しています。

「痴()」は「愚か」、「痴れる」のことですから誰にも理解できます。

 

別当のお話の中で人間世界を蔽っている欲望や邪念について」触れられたことの意味あいは、自己保身に走る昨今の日本の一部の商人、マスコミ人、政治家、役人、経済人、ビジネスマンそして一般人たちへのメッセージだったのか、と後で気が付きました。

ちなみに仏教では「貧(ひん)」は「財」を分け与えて一時的に財貨が乏しくなっているさまを示し、悩むことでも恥ずかしいことでもありません。むしろ前向きであることを示しているようです。

 

おそらくキリスト教やイスラームにも同様な教えがあると思います。どなたか教えてもらえるとありがたく存じます。

(歴山)


わが国のノーメンクラツーラ、

2011-06-15 00:04:07 | 組織

                    (トプカピ宮殿の軍楽隊、イスタンブール)

ひと昔前、マスコミをにぎわした言葉に「ノーメンクラツーラ」というのがあました。「能面蔵面」ではありません、ロシア文字キリル文字номенклату'раと書くそうです。当時のソヴィエット連邦の官僚機構を指していました。辞書的な意味は、ソ連における指導者選出のための人事制度を指します。それがやや拡大して当時の社会主義国におけるエリート・支配層階級、またそれを構成する人びとを指します。判り易く言えば「特権階級」のことです。

この言葉は本来、ラテン語の”nomenclatura”(名簿)から来ているようです。つまり党機関が役職につける人物の承認や罷免のために用いた一覧表を指す言葉でしたが、やがてその一覧表を用いた制度や、承認された人物やその縁者を指す言葉として用いられるようになったようです。これに似た制度や組織や人物は世界中にわんさとあります。西欧社会でいう「エスタブリッシュメント”establishment”」に近いでしょうか。

 

今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、わが国にも「ノーメンクラツーラ」に匹敵する特権階級が多数存在することが徐々に明らかにされてきました。上級役人、その退職者の公益法人への天下り人種、民間企業へ天下りしてさしたる仕事もないが社会的通念からにすれば法外な報酬を得て恬として恥じない人びとを指します。彼らが官界、産業界、時に学会、軍事や科学技術に繋がっていることもあります。

その人びとの仕事といえば、自分の出身省庁と企業や団体との間に立って橋渡しをすることですが、その人物がいなくても特に支障を来たさないところに特徴があります。つまり、無くともだれも困らない、という点が共通項です。

現在問題となっている原子力発電にまつわる各種組織・団体は以下のとおり二十数団体に及んでいるそうです。

 

()原子力安全基盤機構 (JNES)、()日本原子力研究開発機構 (JAEA)、()原子力環境整備促進資金管理センター (RWMC)、()原子力安全研究協会(NSRA)、()原子力安全技術センター(NUSTEC)、()原子力国際技術センター (JICC)、()日本原子文化振興財団 JAERO)、()原子力研究バックエンド推進センター(RANDEC、()日本原子力文化振興財団(JAERO)、()原子力発電技術機構(NUPEC)、()原子力国際協力センター(JICC)、()原子力環境整備促進・資金管理センター(RWMC)、()原子燃料政策研究会(CNFC)、()日本原子力産業協会(JAIF)、()日本原子力学会(AESJ)、()日本原子力技術協会(JANTI)、()火力原子力発電技術協会(TENPES)、(認可法人) 原子力発電環境整備機構(NUMO)、原子力委員会(JAEC)(内閣府)、原子力安全委員会(NSC)(内閣府)、原子力安全 保安院(NISA)(経済産業省)

 

はっきり言って区別が難しいですよね。これらに役人が毎年天下っているようです。また専業の職員も何をしているのか良くわかりません。 

庶民感覚としては、これだけのいろいろな組織が存在し、そこに慧智が集まっていながら何故事故を防ぐことができなかったのか、もし防ぐことは困難であったとしても、せめて事故の可能性を指摘できなかったのか、という疑念が生じます。一つくらい、大きな地震や津波で事故がおこることを指摘する組織があってもよかったのではないか、というのは後知恵でしょうか。もしそうなら、これらの自称エリート諸氏は普段は何をしているのでしょうか。

 

ソヴィエット連邦は階級の存在しない社会であることが建前とされました。また民主主義社会では、役人は「公僕(public servant)」ということになっていました。しかし実際には多くの国で、統治は選挙によって選出された政治家ではなく役人によっておこなわれています。共産党による一党独裁制度の元では政治に携わる人物は全て党の任命と承認を受けた人物である必要がありました。そのため党が役職と役職に就く候補者の名前を一覧表にして用意するシステムが行われていました。それはそれで意味がありました。

しかし、日本は曲がりなりにも民主主義国と認め、認められている国です。そこで、実は巨大な官僚機構が組織保存のため、勢力拡大のため、さらには自己の身分と報酬を確保すめたるに働いている、ということを知ったら国民はどのように考えるでしょうか。また、どのように行動するでしょうか。

現実には、たいしたことは起こりません。今も起っていませんね。その昔の絶対君主がいた時代の話しではありません。せいぜい政党や、一部の有力政治家の欠点を論うことで、マスコミも国民も満足しているようです。

 

日本という国が良くなることに異存のあるひとは少ないと思います。だが、その思いを行動で示す人が少ないとは思いませんか。自分の日頃の行いを反省することの多い昨今です。

(歴山)

 


ガンジー翁の「七つの罪」の再登場

2011-06-08 22:33:53 | 時事

                           ウォーリ(水盆)のハスの花

 

 

最近ガンジーの「七つの社会的罪」ということばがたびたび登場していますね。なんでも京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が参議院行政監視委員会に参考人として出席した際に引用したことで広く知られるようになったようです。それ以降、他のメディアにも多数登場しているようです。内容をあらためて記しますと、

 

七つの社会的罪   Seven Social Sins

1. 理念なき政治  Politics without Principles
2.
労働なき富    Wealth without Work
3.
良心なき快楽  Pleasure without Conscience
4.
人格なき学識  Knowledge without Character
5.
道徳なき商業  Commerce without Morality
6.
人間性なき科学 Science without Humanity
7.
献身なき信仰  Worship without Sacrifice

 

ということで、今日の資本主義社会、代議制民主主義、大衆主義(ポピュリズム)、科学信仰を六十数年前に鋭く批判しています。これについては異議を唱えるひとは少ないことでしょう。

 

モハンダス・カラムチャンド・カンジー(正しくはカンディと思われるがここではカンジーを用います)が「二十世紀の世界の偉人」の一人であることは論を俟ちません。そしてその写真、映像も日本はもとより世界中で見ることができます。「マハトマ(偉大な魂)」の尊称は詩人タゴールによると伝えられていますが最近は異論もあるようです。

 

ガンジーについてわれわれが持っている勘違いのひとつは、カンジーが小柄で痩せた老人であったとのイメージを勝手に抱いていることです。実際のガンジーは骨格のしっかりした大柄な人物でした。世に伝わる写真が高齢になってからのものが多いので、背中が曲がり痩せた裸体姿になっていますが、それでも立ちあがると英国の官僚・官憲たちと遜色ありません。背の高さも軍靴を履いた軍人と裸足のカンジーが並んでさほど差がありません。彼の大胆な発想と行動力の背景を見る気がします。

もう一つは、彼が人生の初めからおしまいまで聖人君子として生きた、と思われていることです。どんな偉人も生涯の中には他人に触れてもらいたくない出来事も状況も多々あるものです。

 

ガンジー翁(突然「翁」がつきました)はなんと13歳で結婚して新婚生活を送りました。自ら性欲が強く長く性愛生活にふけっていたことを書き残しています。五人の子供を儲けました。父はグジャラート州の藩王国のディワーン(宰相)を務めた家柄で裕福であったので、当時凡庸な学力しかなかったにも拘わらず英国留学をして弁護士の資格をとりました。

この後彼が南アフリカに行くことになったのが「一旗あげる」つもりであったことは想像に難くありません。現実には、そこで英国人たちから激しい人種差別を受けることになれます。それまでエリートとして常に上位にいたつもりの自分が、アフリカの果てで差別を受けたことは屈辱であったことでしょう。彼は社会の、世界の矛盾や非条理を身をもって体験し、失意のうちに帰国しました。やがて彼は社会運動家として民衆の、非差別集団の権利の取得へと活動を向けていきました。特に英国がローラット法という、令状なしの逮捕、裁判なしの投獄を認める治安維持法に対して立ち上がりました。これ以降の活動は歴史の教科書に書かれているのでほとんどのひとがご存じでしよう。

 

「インド独立の父」として、ガンジー翁の誕生日(102日)は「ガンディー・ジャヤンティー(Gandhi Jayanti)」として法定休日となっています。なんと大国インドに国の祝日は126日の「共和国記念(Republic Day)」と815日の「独立記念日(Independence Day)」と併せて三日しかないのです。それ以外は各州や各宗派によって決められます。

102日はまた、国連総会で「国際非暴力デー(International Day of Non-violence)」と決議されています(20076)

 

最近アメリカでガンジー翁に関する一冊の伝記が発刊されました。その本の中では、晩年のカンジー翁の非社会的行為をほのめかす記事が引用されているようです。ジョーゼフ・リリーベルド著「Great Soul: Mahatma Gandhi and His Struggle with India 」という著書ですが、これがどこまで事実であるかはまだ判断がつきません。

ガンジーの生地西部グジャラート州ではこの本の販売を禁止し、その動きは他の州にも広がる気配があります。ガンジー翁がこんな話を聞いたら「何もことを荒げることはない」とおっしゃるでしょう。少なくも「良心なき快楽」ではなかったと思われます。ともかく、ガンジー翁の歴史上の功績をなんら退色させることはないでしょう。

 

カンジー翁の銅像は世界各地にありますが、デリーの大統領府の裏手(こちら側が表なのかもしれませんが)に「塩の行進」の十数人の人物像があります。その先頭に立って運動を引っ張っているガンジー翁は片手に棒杖を持ち、大股で歩いています。それは老年にさしかかったカンジー翁の活力あふれる姿を現しており、今も彼の精神がインドを引っ張っていることを象徴しているようです。

(歴山)