Photo(上海の旧街区打浦橋Dapuchanのブティック街)
先日、久しぶりに中国上海へ行ってきました。旧街区にできたブティック街には小さなブランドショップが並び、アルファベット表記が目立っていました。ただし、ブランド名に限られたもので、やはり中国は漢字の国、大半のビルや商店は漢字で大きく表記されていました。
帰国してみると、新聞に年末恒例の歌合戦というテレビ・イベントの出演者と歌のタイトルが掲載されていました。つらつら見るに、アルファベットとカタカナが多いですね。一覧表の文字のどちらが歌手(またそのグループ)で、どちらが歌のタイトルであるかが判然としません。自分が年をとった所為ですかね。
カタカナ言葉が増えていることは以前からたびたび指摘されていますが、外国から新しいモノやコトが入ってきて、これを音声表記するのは悪いことではありません。
これに便乗して不必要にカタカナやアルファベット表記が氾濫することが問題です。カタカナにするとなにか目新しい感じがするらしく、芸能・スポーツや広告関係、それにイメージ一新を狙う企業や役所の方が使う傾向が強いようです。
コンビュータ業界やネット関連産業、スポーツや芸能の世界はさておいて、官公庁と政治家がわざわざカタカナ用語を使うのが気にかかります。
「インフォームド・コンセント」とか「スクリーニング」とか「アメニティ」とか言われてみなさんすぐに分かりますかね。わたしは良く分かりません。東電福島第一原発のニュースでも、「ヒューマン・エラー」、「アセスメント」、「フェールセーフ」などをよく耳にします。事態の深刻さを薄めるために使っているとは思いたくありませんが、日本語で言ってくれた方が地元の人たちにも分かり易いと思います。一時避難所や仮設住宅には高齢者や子供も多いのです。
政治家もカタカナ用語の愛好者ですね。以前には選挙の際にある政党が「マニフェスト」という新しい用語を多用しました。今になってみると、「公約違反」と指摘されるより、「マニフェストを守っていない」といわれる方が確かに柔らかくなりますね。政治家たちがそこまで見通していたとしたらたいしたものですが。
新しく登場するカタカナことばもその大半は自然消滅していきますからさほど心配するほどのものではありませんが、公官庁が使うとあたかもそれが社会に公認されたかのような錯覚に陥ります。役所の自己アピール、組織防衛のために無理して使っている例が多々見られます。これから世に出てくる子供たちや若い世代がまっとうな日本語として記憶していく可能性があります。大人の有権者や消費者や視聴者はそんなことはとうに見透かしていると思うのですがね。
また、学生の一部はカタカナ用語を使うことが外国語習得の近道であるかのように、率先して使おうとする傾向がみられます。彼らと接していると、言葉を探すときにカタカナ用語を先に引っ張り出してきます。その言葉が明らかに外れているときは訂正しますが、そうでなければ無理に直すこともしません。大半は三年生、四年生と進むうちに社会の言語を習得して自然とカタカナ用語を減らしていきますが、そうでない学生もいます。
安易にカタカナ語を多用することが、日本人の外国語力を劣化させていると思いませんか。よく使う英語やフランス語からをきた用語の意味をかなりずれて理解しています。
「モノカルチャー」という英語を正しく理解している学生は少ないですね。「ワンセグ」とか「エンタメ」とか「セレブ」などの用語を頻度高く使っているのに、英会話の中で同じ用語を正しく使える人は少ないのが現実です。
サラリーマンになっても「アバウトな数字じゃダメだ」とか、「サプライズ人事じゃん」とか喋っている人はなかなか英語の力は向上しません。外国語を習得するためには、母国語の基本を正しく習得することが前提となることは多くの言語学者が指摘しています。
中国の街で見かける「超市(スーパー)」や「中心(センター)」や「電脳(コンピュータ)」といった文字も、見慣れればごく自然に見えてくることが意外でした。
(歴山)