(photo : ヘレニズム時代の遺構 Izmir, Turkey)
前二世紀にヨーロッパ的考えとアジア的考えの対決、つまり東西文明の思想を代表するような論争がありました。いわゆる「ミリンダ王の問答」です。
場所は、現在のアフガニスタン(当時はバクトリア)からパキスタン北部(ガンダーラ地方)を経て北西インドまでを支配していた「インド・グリーク朝」、人物は国王ミリンダ(弥蘭陀)と、比丘ナーガセーナ(那先)です。
ミリンダはギリシャ名ミナンドロス、かのアレキサンドロス大王の東方遠征の後バクトリアの地に興ったギリシャ人国家がインドのマウリヤ朝の衰退に乗じて北西インドに進攻し成立した王朝の第八代目の、最もよく知られた王でした。
権力の絶頂にあったミリンダ王は富と知を兼ね備え、世の識者に出会うとこれに論争を挑んでは論破しておりました。王様に敵うものはいませんでした。
ところが仏教の長老ナーガセーナに出合い、論争を繰り返すことになりますがなかなか論破できません。この論争の中に、ヨーロッパ文明の源流とも云われるヘレニズム文化とインド文化との考え方の違いを見ることができます。
たとえばこんな具合です。
王「尊者よ、輪廻して再生するものは前世で死んだものと同じですか、異なるものですか」
長老「それは同じものでもなく、また、異なるものでもありません」
王「譬えを述べてください」
長老「例えば牛から絞られたミルクがしばらくすると発酵乳になり、発酵乳からチーズになり、チーズからバターになりますね。大王よ、そのとき〈ミルクは発酵乳と同じであり、チーズと同じであり、パターと同じである〉と語る人があるとすれば、その人は正しいことを語っているのでしょうか」
王「尊者よ、そうではありません。ミルクに依存して他のものが生じたのです」
長老「大王、それと同様に、法の継続性は整えられるのです。生じるもの(=再生するもの)と滅びるもの(=死んだもの)は別ではあるが、〔後のものは〕前のものではないように、〔前のものは〕後のものではないかのよう整えられるのです。こうして、それは、同じものでもなく異なるものでもないものとして、最後の意識に収められるに至るのです」
………… (この後も幾つかの比喩が述べられる。)
(P37-38)(木村清孝「仏教の思想」放送大学 2005)
この話は、原文はパーリ語経典にあるようですが後に漢訳経典『大蔵経』の「那先比丘経」に収められて「弥蘭陀王問経」として伝えられています。説一切有部の中の、自我(アートマン)をその担い手とすることによって説かれる輪廻の思想を説く経典に依る考えです。ナーガセーナは、執着を捨てない限り行為(業)が力となって死後も存続し、その新たな名色(名称と形態)による心身を獲得して輪廻し、生死を繰り返すと説いたのでした。
ミリンダ王はこのように論争を繰り返すうちに仏教に帰依するようになり、ついには出家して阿羅漢(修行僧の最高位)に就いたのです。
昨今のニュースはEUの経済問題で埋められています。ギリシャ・ローマの流れを組むヨーロッパ文明はルネサンス、産業革命を経て世界に乗り出し、植民地を収奪して富を築きあげました。そこから新大陸に移住した人たちは思わぬ幸運に出あって、豊かな国を築きました。第一次大戦後はアメリカ合衆国が大国となり、ソ連邦の崩壊以降はやりたい放題をやってきました。
今年は欧州と米国の経済の衰退とそれによる政治の不安定化のニュースで締め括くられそうです。アジア諸国の経済連携や太平洋をまたぐ連繋の話しが出てきましたが、これらはためにするニュースのようにしか感じられません。
五百年近く世界を引っ張ってきたヨーロッパ文明、その根本のところの考え方が見直しを迫れているのは間違いないところでしょう。
(歴山)