よのなか研究所

多価値共存世界を考える

これもインド、あれもインド、

2011-09-29 21:45:03 | 時事

    

                 Photo(デカン高原の都市バンガロールのIT地区)

 

こないだの国連総会で最も多くの聴衆(各国代表のこと)を集めたのはパレスチナ暫定自治政府代表のアッバス議長だったようですね。

議長は923日、バンギムン国連事務総長に「独立国として国連への加盟を申請する」書類を手渡し、その後、総会で演説しました。その時に加盟申請の書類をみせながら「パレスチナ国家の樹立と国連への正式加盟は地域の平和に繋がる」と、各国に対して支持を訴えると会場はほとんど総立ちになり、拍手が鳴りやまなかった、と各紙は伝えています。

オバマ大統領は、一年前には「パレスチナの国連加盟を支持する」と演説しましたが、その間何があったのか、ここにきて「イスラエルとパレスチナの和平交渉が優先されるべき」といいだしました。そして、アメリカの友好国とされる各国に、パレスチナ提案に反対するように働きかけています。安保理事会でひとり拒否権を行使するとアラブ諸国のみならず、アジア・アフリカの多くの国からいよいよそっぽを向かれかねないので、理事会にかける前に沈静化させようということでしょうか。このまま安保理事会にかかるとなれば中国とロシアが賛成し、英仏は棄権ということになりかねません。するとますますアメリカが浮き上がってしまいます。日本政府は総会にかかれば棄権すると、というのが各紙の見通しのようです。

 

そこに強力なパレスチナの味方が登場しました。非常任ながら安保理の理事国であるインドです(任期は二年)。マンモハン・シン首相は国連総会で演壇から「パレスチナの国連加盟を心待ちにしている」と語りかけました。非同盟主義を貫いているインドであれば当然ともいえますが、近年のアメリカとの結びつきの進展を考えるとどうなるか、とその変心を予想する向きもあったようです。しかし、「是は是、非は非」を明確にするのもインド人の性向です。アメリカは原子力開発に関連してインドにいろいろな便宜を与え、日本や豪州と共に軍事訓練などを行って親近感を演出しているのですが、《御しにくい国》であることは十分に理解しているようです。これこそまさにインドなのです。現実主義者のインドです。

 

インドの「非同盟・全方位」の外交政策は、今日本でも政治課題となっている「次期主戦闘機(FX)」の選択交渉でも縦横無尽に発揮されています。いわゆる、第五世代戦闘機の選定です。

インドの兵器は独立後長らくロシア製の装備が中心でした。それでも全方位の方針で、他の国からも武器を調達していました。純粋に価格と機能・品質を比較し、相手国との外交関係などは二の次、三の次です。アメリカからも武器を購入し、今年に入ってからは輸送機C-17の購入を発表しています。海軍は長くイギリスのシーハリアーを配備してきました。

 

次期戦闘については、日本がボーイング社のFA18E、ロッキード・マーチン社のF35、英・伊・西・独共同開発のユーロファイターの三機種から選定するのに対し、インドは米のロッキード・ボーイング、ロシアのミグ、同じくロシアのUAC、フランスのダッソウ、スウェーデンのサーブとEADS、上記のユーロファイターなど6航空機メーカー・グループから選ぶことになります。

選定にあたって最大の比重を持つのは、先端技術の移転と共同開発による自国の産業への波及効果の大きさということのようです。ロシアが有利と見られている背景には、成約すればあらゆる主たる技術を移転する、と約束しているところにあるようです。これに対応すべく、南部の都市バンガロールには航空・宇宙関連の企業が集まっており、工科系大学卒の多くの若い技術者を全国から集めています。

これに倣えば、日本の場合はこれまでブラックボックスに入っていて関係者も覗くことのできなかった戦闘機の先端高度技術を移転し、共同開発をするといっているユーロファイターが断然有利となりますが、結果は分かりません。いつもは政府の外交政策に従う産業界も今回は微妙な立場のようですね。

インドは世界最大のスラムを抱える一方で、軍事大国のひとつでもあります。中国に次いで米ロと並ぶ百万人以上の兵力を保有し、軍事費では10位(ストックホルム国際平和研究所SIPRI2009年)ですが、その対GDP比率ではアメリカと並ぶ3.1%ぶあり、中国の 1,8%はもちろん、日本の1.0%をはるかに超えています。

超現実主義のインドです。

 

「わが国以外はすべて仮想敵国である」と言ったのはチャーチルのようですが、インドの非同盟・全方位外交とは、それを裏から見ているようなものかも知れません。

インドとはこういう国なのです。

多極化するこれからの世界を強かに生きて行く国家というのは、このような確固たる《国家意志》を持つことが求められていると感じます。

(歴山)

 

          参考図書 「砂マンダラ -インド人間模様-  


中国も空母で疲弊するか、

2011-09-24 10:03:23 | 戦略

 

                                           Photo (東シナ海に浮ぶ慶良間諸島) 

 

 

しばらく前に中国が空母を持つことになる、との記事が流れていました。これに呼応して日本でも空母が必要だ、との論評も一部に出始めています。中国がアメリカの空母群に対抗しようとするのも無謀ですが、これに日本が対抗しようとするのもまたあまり感心しませんね。

空母の保有が手段から転じて目的化しているような観があります。航空母艦というのが今日の実戦では脆弱な戦闘部隊であることはもちろん、平時でもさほど効果のある存在ではないことは軍事専門家でなくとも知っていることのようです。

戦時となると、潜水艦や対艦ミサイルの格好の標的となります。その大きな図体は護衛艦で守るには限界があります。空母戦闘群は攻めに強いが守りに弱いのです。

空母の利用価値は、平時から相手国の近くに公海上から威嚇を与え続けることであり、それは相手国が攻めてこない、という前提の上にたっているのです。また地域紛争での兵力の輸送や、後方支援活動などでこそ価値が認められるのです。ただし、その大きな存在感は実態とは関係なくその保有国が強力な国家として認められる源泉とはなりえます。つまり「こけおどし」という日本語が当てはまります。西洋風にいえば「トロイの木馬」でしょうか。

 

中国の新華社通信によれば、大連港で改修工事が続けられていたのはソ連時代に建造が始まりながら、ソ連邦の崩壊で宙に浮いていたウクライナ型空母「ワリヤーグ」で、八月に試験航行を行ったようです。中国はこれに続いて独自の空母戦闘群建設を本格化させることになる、というのが報道機関のほぼ一致した解説となっています。おそらく数年以内に国産の航空母艦を進水させ、外洋に出てくることになると予想されます。日本のみならず、南シナ海で領有権と国境問題を抱えているヴィェトナム、マーシア、フィリピン、インドネシアにとっては脅威となります。

これによって中国がいよいよ大国となるか、といえば必ずしもそうとは言い切れないものがあります。むしろ、中国は二十年後には今のアメリカと同様に国家財政が破たんすることになる可能性があります。それほど空母というのは金喰い虫なのです(もちろん空母だけではありませんが)

 

大きな組織に属しているサラリーマンや公務員なら分かると思いますが、5000人規模の組織を動かすのは大変であり、おカネがかかります。それだけの人間が一つの船に乗り込んで仕事をしている姿を想像してみてください。船を運用するのに3000人、航空機を運用するのに2000人は必要とされています。

米会計検査院GAO98年報告によれば、空母の年間の運用費・維持費は平均で通常動力型22250万ドル、原子力空母で29764万ドルとされていました。現在はさらに大きな経費を必要としています。邦貨換算で、ざっと空母一隻で一日一億円かかっていると言われています。国の安全のためなら、おカネは問題ではない、という見方もあります。そう言って、世界の大国を自任する国々が競争して軍事力を拡張してきたのがこれまでの世界でした。

 

ここにきて、アメリカとEUの一部の国の経済破綻が世界の各国に不安を与える事態となっています。先進国と途上国とを問わず自然災害が続いています。加えて日本の原子力発電所の事故は被害が徐々に近隣諸国まで広がってきています。軍備どころの騒ぎではありません。

アメリカの世界での影響力は低下の一方です。パレスチナの国連加盟の動きへのオバマ大統領の説得工作も何ら力を発揮できず、安保理事会で拒否権を行使すると圧力をかけていますが、もはやこれに怖気づく国はありません。

日本政府は中国の軍備増強を抑制する外交交渉に力を注ぐ時なのですが、自国内に巨大な外国軍基地を抱えていては説得力がありません。案外、国民には知らせていませんが、空母群を建造し、外洋で運用する中国の疲弊を待つ作戦なのかもしれません。

日本政府も国民もつねづね「唯一の被爆国」を強調しますが、それなら世界に向けての「軍縮」運動こそが今日の日本の務めではないか、と感じられます。これなら、「核軍縮」を掲げているオバマ大統領政権の政策とも整合性があり、アメリカの顔色をうかがう必要もないのです。現在では、戦争に勝利する国はないのです。軍事産業が唯一の勝者なのです。

(歴山)

 


日本を潰すに刃物はいらぬ、

2011-09-17 09:14:27 | メディア

                           Photo (南九州薩摩半島、坊ノ津港)

 

企業でも役所でも教育現場でも、「発想の転換」ということがたびたび言われます。実際に発想の転換ができる人は多くはありません。特にマスコミと呼ばれる人種は、毎日膨大な情報に接しているためか、ひとつ一つのネタに深く考えることをしません。彼らの活動とその言説を身近に見ている者として断言してもよいほど、彼らの思考は硬直しています。ひとつ、実践を試みてみましょう。

 

震災と欧米の経済危機の陰に隠れていますが、TPP(環太平洋戦略的経済連繋協定)という議論があります。この協定はもともとは2006年にブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4カ国が参加する自由貿易協定でした。いわば、太平洋に面した「経済的な小国」による連合体でした。加盟国間のもろもろの制度、サービス、人の移動、基準認証などにおける整合性を図り、貿易関税については例外品目を認めない形の関税撤廃をめざしていました。それは経済規模のさほど大きくない国々の集まりでしたから可能なことでした。

どういうわけが、2010年にこれにアメリカが加盟して主導権握ることになりました。現在、先の4カ国に米、豪、ヴェトナム、マレーシア、ペルー加えた9カ国が交渉参加国となっています。先日来シカゴで開催されていた第8回交渉会合では、関税撤廃の方法や知的財産の分野などで相違があり、協定草案の合意は次回以降に持ち越しされた、と916日の共同電は伝えています。また、交渉参加国からは、日本の参加判断の遅れに懸念が示された、とも報じられています。余計なお世話、と考えるひとも多いと想います。

韓国は一時TPP加盟に積極的でしたが、検討の結果「自国に不利」と判断し、これへの参加を見送り二国間のFTA(自由貿易協定)へと方向転換しました。アメリカとも韓米FTAを協議し、妥結しています。日本も同様な方式で進めてもだれも困るわけではありません。

G2としてアメリカと並べられる中国は不参加を表明しています。つまり、環太平洋といいながら、極めていびつな形となっているのです。

 

TPPではいろいろなことが謳われていますが、関税に関して例外品目なく100%自由化がその骨子となっています。関税権は独立国の主権の一つであり、それを半ば放棄することは主権の放棄でもあります。

 

もし日本が参加となれば、加盟10カ国のGDPの九割を日米が占めることになります。つまり、実質は日米FTAの変形ということになります。なぜ、日本の政治家や財界人がこれを推し進めようとしているか、そして、マスコミがその論調を張っているのか、確かに一部の産業には有利になるのです。

特に、競争力のある工業製品を輸出するという点ではやや有利な面もあります。しかし、経済的な効能だけを見ていては全体を見失うことになります。発想を転換しなければなりません。

食糧の確保という点で大きな不安が残ります。基本食料たる米、野菜が輸入品に圧倒阿されて国内での生産が減少することは政府も経済界も予測しています。地方の経済は破綻することになり、その景観も変わっていくでしょう。中小企業の多くは生き残ることができず、街は疲弊していくことは自明です。食糧を輸入で補うことで事足りると考えているようですがそうなる保証はありません。

 

インドという国は経済成長の真っただ中にありますが、「基本食料の自給」を政策の柱にすえています。それは、一旦世界が食糧不足になれば、価格が高騰し、輸入が減少し、自国内で食糧騒動が引き起こされることを予測しているからです。先進国ではそんなことはあり得ない、と考えている人がいるとしたら、六十数年前の日本の状態を学ぶ機会がなかった人か、想像力の欠如した人かでしょう。もし、ある国を潰そうと考える邪な人たちがいるとしたら、その国に「緩慢な食糧危機」を作りだすことを考えるでしょう。

 

TPPという、出所のよく分からぬ政治課題は、独立国としての主権の問題と、国民の生存権の問題とを考えるよい機会を提示していると思います。

(歴山)

 

 

          参考図書: 「ひらめきのマジック」斎藤善久著

 


一民族滅亡のはなし

2011-09-09 10:47:14 | 歴史

 

                     

                                                    photo(British Museum, London, UK)

 

イギリスの植民地がオーストラリアに作られたのは1788年にシドニーにおいてであった。よく知られるように、それは囚人を送り込むためのもので、イギリスからみて地球の裏側である豪州が最適と考えられていたからである。次いで、イギリスは1803年にタスマニア島への植民を始めている。それは、その地の価値を見出したというよりは、植民地争奪戦を繰り広げていたフランスが先に領有することを恐れたからであった、という(高坂正堯『世界地図の中で考える』)。

 

1803年にタスマニア島に上陸したイギリス人は、役人3人、兵士7人、囚人25人に自由人6人であり、これに相当数の家畜が伴っていた。その後、42人の囚人が送り込まれ、15人の軍人が補強されている。さらに、1807年には植民者の数は増強された(同著)。

 

土着の人々と侵入者との間に激しい戦いが展開されることになるのは自然のなりゆきであった。先住民はタスマニア人と呼ばれることとなった(タスマニアの名は1642年にこの地を発見したオランダ人アベル・タスマンの名に由来する)。彼らが侵入者たちに敵意をもったのは当然だが、それ以上にイギリス人たちは彼らを野蛮人としてこれを撃ち殺すのをなんとも思っていなかった(同様なことはオーストラリア大陸のアボリジニに対しても行われていた)。

最初の衝突は植民者がこの島に上陸してすぐに引き起こされたが、その責任はイギリス側にあったことは研究者たちが認めるところである。それは容易に想像されるところでもある。イギリス人植民者たちは1907年には簡単な武器しか持たない先住民の襲撃と、食糧不足から一時的に非常な苦境に立たされたが、ほどなくイギリス人たちは襲撃に出てタスマニア人を追い詰めていく。

1830年には5千人ほどいたタスマニア人は203人に減って保護区に囲われることになる。1842年には44人、1854年には16人と減り続け、1876年に最後の一人が76歳で亡くなってタスマニア人はこの地球から姿を消したのであった(同著)。

 

この史実は大戦中には国民学校の教科書に載せられ、「大東亜戦争が西欧の白色人種のアジア侵略を撃退するのだ」という考えのもと、「鬼畜英米の悪行」の典型的な事例として語られてきた。そして、戦後は一転してこの歴史的事実は高校の教科書にも載っていない。小学生に教えるには確かに早すぎるかもしれないが、高校生にも教えなくていい、ということではないだろう。

 

その後、タスマニア人絶滅の経過について、ポーランド人ルードヴィッヒ・クジヴィツキーの研究が発表された。概略、以下のような内容である。

「タスマニア人は白人に勇敢に戦かったが、その数が数千から数百に減ったときに降伏した。かれらは羊を与えられ保護区に入れられ、生活は安定した。あすへの不安の代わりに豊かさを保証された。しかし、彼らは減り続けた」

「生活条件の変化が彼らの内面的生活を破壊した。森から森へ移動の生活、共同の狩り、集会、儀式などはその生活の単調さを破り、創造をかき立て、感情を豊かにし、生活に魅力を与えた」

「長い闘争の後、タスマニア人たちは近くのフリンダーズ島に移された。狭い土地に押し込められ、先祖たちの生活を長年にわたり形作ってきたすべてのものと切り離された。次第に望郷の念が強まった。ときどき、天気の良い日にはタスマニア島をはるかに見ることのできる高い丘に登り、絶望的に彼らの土着の島を見た。老婆が熱心に彼方を指差して、ベン・ロモンドの雪をいただいた峰を見ることができるかと男に訊いて、涙を流して言ったものだった。あれが私の国、と」

 

強い文明が弱い文明を圧倒していった。近代の歴史において西欧諸国の果たした役割はある程度認められるが、<功罪>の罪のほうも多い。それは、技術を伝達し、布教し、戦い、征服し、搾取する歴史でもあった。

たとえば、今イラクの本当の姿はどういうことになっているのだろうか。アメリカを打ち負かしたヴェトナムは自国の歴史を刻んでいるようだが、アフガンは、ソマリアは、キューバは、ボスニアは、制圧された国の人々の生活はどうなっているのだろうか。

 

日本はどうであろうか。都市部を焼夷弾で絨毯爆撃され。原爆を投下され、その後長く進駐軍に支配され、今日もその残滓としての外国軍が駐屯している。人びとの精神生活に影響がないことはないだろう。この国の衰退のすべてと言うことはできないが、ある程度の原因はここにある。原発事故、天下り役人の既得権益、若年層の貧困、財政危機、年金、教育、産業の空洞化、などなど。ことここに至っても、現状維持で良い、という人びとがかなりの数に上るというのもまた事実である。

 

昨今、「がんばれニッポン」、「日本再建」の声が大である。豊かな生活と思われていたものの実態がいま次々と露呈してきているが、それでもなにか行動を起こすという人はごく少数派である。

こんな時、タスマニア人の末路に思いを巡らし、国の近未来について考えることも意味があると思う。

(歴山)

 

         ※参考図書

        『世界地図の中で考える』(高坂正堯著、新潮選書) 

 

 


領土としての島とTPP

2011-09-03 21:17:41 | 島嶼

                                                     Photo(鹿児島県大島郡宇検村、焼内湾)

 

ある島でひと月あまり仕事をしています。

日本に6847(本州、九州、北海道、四国、沖縄本島を除く島嶼の数)あると言われる島の一つにあって、現在の島嶼の置かれている状況をいろいろと学んでいます。

 

この集落には青年、壮年の男たちが集まる時間と場所があります。夕方、浜辺寄りの空き地に置かれた長椅子や台座に誰ともなしに集まり、手にしたビールを飲みながら話が始まります。話しネタは、村の行事にまつわるものと、生業の農業・漁業に関するものか中心です。なかでも食い扶持に関わってくる各自の仕事の話は毎回繰り返されています。この亜熱帯の島ではサトウキビ、花卉類、タンカン・ポンカンなど柑橘類にスモモ、パッション・フルーツ、マンゴー、島バナナなどの果物作りが盛んで、本土へ出荷されています。ものによっては島内消費のほうが多いものもありますが、大半は本土へ運ばれます。漁業の方はほとんどが自家消費であり、余れば近隣へ配り、また保存されます。

 

この日は台風12号と大潮が重なって堤防からしぶきが飛んでくる環境下でした。集まった七人のうち四人は二十代から三十代にかけて関東圏、関西圏で仕事をしていた男たちでした。世に優良企業として知られる会社の社員や営業マンや技師だったものもいます。かれらはいろんな事情で田舎に戻っていますが、その多くは親の介護にからむものです。

村では四十五歳までが青年団員で、六十五歳までが壮年です。この日の参集者は半々でした。話は農業への株式会社導入の是非や、土地改良事業や耕作面積の統合拡大などが論じられました。なかには熱く議論するものもいますが、やがて焼酎が回ると一人の「よしわかった」の声でなんとなく議事が進行し終息に向かいます。次回へ持ち越しです。

 

これらの島では他のニュースはともかく、現在政府が進めている各国とのFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)のニュースついては敏感です。地元の新聞に載載される関連記事を細かく読み、一部はネット情報に精通しており議論が続きます。そこでは、特定国との二国間協定については個別の意見はあるものの大筋承諾の方向に落ち着きます。それは、将来の改定が可能であるからです。しかし、昨今出てきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には真っ向から反対であり、これについては彼らのみならず、地域のすべての自治体、この島を含む県が反対を表明しています。産業構造の異なる多くの国と同一の協定を合意することの不自然さには誰もが何らかの作為を感じています。

 

各地域の第一次産業は「効率」や「経済性」や「価格競争力」では論じられないものがあります。もしTPPを導入すれば、これらの島々での農業も畜産も成りたたなくなります。このような苦難を乗り越えて競争力のある作物を作る努力をせよ、と説く評論家たちがいますが、そんなことが可能かどうかは現場を踏めばすぐにわかります。

競争力とは所詮「為替レート」という極めて作為的で流動的、かつ脆弱性をもつ数字の上で比較検討されているものであり、本質的な価値・価格の比較ではないのです。こんなことを根拠とする貿易で競争力を持たない産業は淘汰されて当然である、との論理がマスコミでは通用しているようです。それでだれが利を得、だれが損失を受けることになるのか、よくよく考えるてみることが求められます。

 

島々に生きている人びとの生業を市場原理に任せるとしたら、たちまち人口は半分になり、少子高齢化が促進され、やがて限界集落となり、そして無人村への道を転げ落ちて行くことになるでしょう。それでも良い、という日本人も多いでしょう。国民投票をすれば、こちらが多数派になる可能性があります。「ワン・フレーズ・ポリティックス(複雑な問題の一局面に焦点を当てて社会問題化する技法)」が再び使用されることが懸念されます。それでも、市町村議会、道府県議会ではそうはならないでしょう。そこに、民主主義、政党政治、代議制、議会制、多数決原理などそれぞれの仕組みの微妙な差が現れます。

島々は貴重な、そして重要な国の領土であることを再認識する必要があります。この国土の生業が衰退し、村々が無人化していくことで得をするのはどこの誰でしょうか。

国家存続の根幹にかかわる食糧問題を議論することになると、何をもって「民主主義」と呼ぶのかの基本的問題が問われているような気がします。

(歴山)