よのなか研究所

多価値共存世界を考える

あやしい金融業界とLIBOR問題

2012-08-28 21:16:50 | 時事

 

                                     Photo (遠望する新宿方面のオフィスビル群、東京)

 ものごとをやたら複雑にして一般人には容易に理解できないようにする。そこに官と民の専門家が登場し、マスコミで都合のよい情報を流し、学会も巻き込んで解説する。原発のことではない、金融の世界でこそ展開されているのだ。

どの新聞にも「LIBOR問題」の解説記事が掲載されている。いくら記事を読んでも良く分からないというのが一般の受け止めようのようだ。端から自分たちは関係ないことと感じている者もいる。

「ライボー」という言葉をはじめて聞かされたのは、国内の某大学ビジネス・スクールに通っていた時だ。当時の教授の講義は現実味に乏しく、その説明はなかなか理解できなかった、仕事の現場でも直接関係がなくほとんど忘れていたところに「LIBOR問題」なることばが出回り記憶を呼び戻した。LIBORとはLondon Inter-Bank Offered Rateロンドン銀行間取引金利のことだった。

英国銀行協会が集計して発表する、複数の有力銀行から報告された11:00時点のレートの平均値、それで、正確には ” BBA LIBOR “ というらしい(BBA:British Bank Association)。これが「資金調達コスト」の基準として用いられることになる。それゆえ、0.1、否0.01の数字の変動でも大きく経済活動に影響を及ぼす。

こんなものが不正に操作されていたことが判明したとなれば問題は大きい。公正な市場活動をゆがめた不正行為で利益を生み出され、その分われわれを含め世界中が被害を受けていることになる。以前から疑いの目で見られていたらしく、訴訟・提訴が相次いでいたようだ。疑惑は日本にも飛び火し、東京市場でも不正が行われていた可能性があるとして操作に入っていると伝えられる。

銀行や保険会社と云えば最も固い会社組織であり、その社員も信用に値する人たちと考えられてきた。ことにわが国では銀行の信用は今も高い。たしかに今も現場の社員たちはそれなりに信用のおけそうな人が多いが、経営陣はそうではなかった。

為替や株式の取引は0.0000…1秒の取引で億円単位の利益を生み出す技術が確立されており、そこに国籍の定かでないファンドが登場して荒稼ぎをしている。ほとんど「やりたい放題」である。租税回避地(タックス・ヘヴン)に法人登録することでほとんど納税していない。

捕捉できないほどの巨大な資金を有するファンドが特定の企業に市場で「カラ売り」を仕掛けると、その企業は極端に株式価格が低下し、市場での信用を失い、倒産か売却を迫られる。今、日本の有力家電メーカーにもその危機が迫っている。

さすがに欧州では「空売り規制」、「ファンド活動の制限」が議題に上がっている。その声は主として英米系の金融機関に向けられている。日本ではその声はなかなか大きくならないどころか、発言すらはばかられる雰囲気がある。

他方、そのファンドの出資者はどういう人なのか。そこに中国、台湾、インド、ロシア、サウジ、ほかの資産家や資産運用会社が入っていない、とは言い切れない。いったい誰が利益を享受しているのか、それすら複雑になっている。

金融関係の一部の経営陣は収奪を合法的に行うために、つぎつぎと新しい金融商品、取引の仕組み、その評価会社、格付け会社まで生み出していく。デリバティヴ、レバレッヂ、最近猛威を振るっているのがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という商品ということになる。その名の通り、債権や社債の焦げ付きを予想してそのリスクを売買するオプション取引、つまり債務の不履行や経営破綻などによる「焦げ付く」可能性のある債権を束ねて多様な商品とし、それに名前を付けて取引する。極めて投機性の高い商品であることは間違いない。昔の日本人なら「人の不幸を金儲けのネタにする」ということだろう。

あたらしい商売のネタとはこういうものなのだ。一般投資家には理解できないほどに複雑な形態とし、企業の財務担当者たちがやっと理解できるほどの仕組みでおカネをかき集める。訴訟が起こされてもこれを十分に理解して判決を言い渡すことのできる司法関係者は少ない。やっと覚えた頃にはまた新しい商品が登場して世間を惑わしているだろう。

ビジネス・スクールで机を並べた某社財務担当者も、「いくら金儲けのためとはいえここまでやることはないと思う」ともらした。

(歴山)


インドは組みやすい相手ではない

2012-08-21 06:40:31 | 比較文化

 

                                Photo ( インドのロング・セラー・カー、スズキ・マルチ800 )

 インドで成功している日本企業としてスズキ自動車が有名です。新興国に進出した日本企業として最も成功している企業といっても過言ではないでしょう。なにしろ、あの広大なインドの自動車市場で現在も四割以上の市場占有率(シェア)を保持しています。九十年代まではシェア五割を誇っており、その後世界の主要メーカーの参入で一時は三割を切りましたが、その後盛り返して現在に至っている優良企業です。インドへ進出を考える企業にとってお手本とされてきたのがスズキのインド会社マルチ・スズキでした。

そのスズキが先月18日、労使間のものごとが暴動に拡大し、焼き討ち破壊され、死者負傷者がでる騒ぎとなりました。人事担当の責任者が低カーストの労働者を侮辱するような発言をしたことがきっかけと伝えられています。スズキでは過去にも三度ほどストライキがありしたが、これまでは大きな騒動に至らず乗り切ってきました。

中国や韓国に比べ新聞・テレビ等で報道されることが少ないので知らないひとが多いのですが、インドは労働争議が多発する国でもあります。その背景には分離独立以来の政策があります。「労働者の保護」を前面に出しており、各政党も選挙公約にこの文言を入れています。政党は支持母体としての労働組合と連携し、その勢力拡大に公務員や企業・団体の組合支援に入り込み系列化しています。企業活動については州の権限が強く、州政治の与党、州政府の首長の所属政党もまちまちです。そんなこともあいまって、労働争議の背景も複雑です。

未確認ですが、今回の騒動にはインド共産党(マオイスト派)が介在としているとの報道もあります。インドの共産党は西ベンガル州やケララ州、また東北地方のトリプラ州では長年政権を担当してきており、現在も州議会で多くの議席を有しています。それは偶然にもキリスト教の信徒が多い地区にほぼ重なり、地元の支持者の受け取るとめようは「弱者救済の党」のイメージです。

共産党を名乗る政党は複数あります。独立後長く政権を担ってきたコングレス(国民会議派)に同調したCPI(インド共産党)に反発する人たちが作ったのがCPI-M(インド共産党-マルクス主義)です。これに加えて六十年代に西ベンガルで起った「ナクサライト」農民蜂起が極左運動として勢力を拡大し、これがインド・マオイスト共産党となりますが、ややこしいことにこれも略称はCPI-Mとなります。そこで、インドのニュースでは単に「マオイスト」と呼ばれる訳です。これを「毛派」とか「毛沢東派」と書き、あたかにも中国の影響下にあるかのように書くのはためにする議論です。毛沢東の革命思想の影響を受けたインドの活動家たちによる独自の政治運動です。むしろ東北地方の民族独立運動の影響が色濃く見られます。日本の報道はあやふやな感じがします。

新聞やテレビに登場するコメンテーターや評論家と称する人たちはしばしば「インドは民主主義の国」とか、「日本との間に歴史的問題がない」とか、「日印連携で中国に対抗し」などと、あたかもインドは日本の友人であるかのように発言しますが、インドは特定の国とだけ仲良くすることはありません。現実のインドは大変複雑でふところが深く、日本にとっても日本人、日本企業にとっても難しい国です。現在も膨大な貧困層が存在しており、この国最大の課題です。インドでの工場や事務所の運営においては社会的弱者への配慮はもちろんですが、地域性を考慮することが重要であり、これについてはよくよく学習する必要があります。これらを怠ると経営を揺るがす問題が派生することになりかねません。

英語で “ Adaptation precludes adaptability. “ という決まり文句があるようです。「過剰適応は適応能力を殺ぐ」、つまり「ある環境に過度に適応していると、小さな変化にも対応する能力が落ちることになる」ということのようです。おそらく、フランス語やドイツ語や他の言語にも同様の言い回しがあるのでしょう。日本語ではやや異なりますが「過ぎたるは及ばざるがごとし」が近いでしようか。

インド社会にもっとも適応した企業とされてきたスズキの主力工場の生産停止は一ト月以上に及びました。やっと再開のめどが立ったようです。今回の事件を見聞して、その社会にうまく適応しているとみられた組織にも弱点があることを見ました。ある市場での優等生企業が、突然襲われる危機、そこには現地に十分に適応したが故の脆弱性があることを示しています。

どの国にあっても、細心の注意を払ってもカントリー・リスクからは逃れられないものですね。

(歴山)


マスコミ界のわざとらしい言葉

2012-08-14 07:11:11 | メディア

 

                                                Photo (栄光の国立競技場、東京)

 「へんな言葉」を大人たちが使い、それが社会で受容されるようになっていると思いませんか。テレビの大画面にアップで映し出されたオリンピック選手たちが「まじかよ」、「やべぇ」とことばを交わしていた。若者らしく見せようとふるまっているのだろうか。アナウンサーは横でにやにや笑っていた。

普段はラジオと新聞とネットでニュースをチェックしているが、この二週間はテレビを見ることがままあった。昨今マスコミ世界に流れている言葉の洪水に出会った。時代とともに言葉が変化していくことは百も承知してはいるものの、社会的に影響の大きな立場の人間には「ことばや文章」に少しは配慮してもらいたいものだ。こんなことを言えるのも非常勤でぼちぼち仕事をしている高齢者の特権と考え、反発を承知で書いています。

取材陣のわざとらしい質問には選手たちも困惑しているのが手に取るように分かった。「メダルを手にして今どんなお気持ちですか」と何度も問われて、いまさらどんな答えをすればいいというのだ、という顔をしている選手たちも見受けられた。映像を伴うテレビというメディアは他にも増して「人情話」を好むことがわかる。いゆゆる「ヒューマン・ストーリー」仕立てと言うものだろう、インタビュアーは選手の感極まるシーンを期待しているようだった。実際、ある選手が話しながら応えに詰まって涙がにじんでくると、カメラはそこをアップでながながと捉えていた。試合を終えたばかりのボクシングのミドル級選手は「今はまだ頭がくらくらしてなにも言えません。明日お答えします」とインタビュアーを諭すように回答を拒んだ。これこそ、ゴールド・メダリストの対応だった。 

最近のテレビ各社のインタビュアーやコメンテーターは一つのセンテンスを言い切らない質問で相手の答えを引き出そうとする者が多い。「この喜びは真っ先に、、、どなたに、、、」と語尾を不明瞭にしていき、相手は質問の真意を探りながら応えている。「試合の間、苦しい練習のことなど思い出しましたか、…」などと誘導尋問もどきをする記者もいるが、こんな人物が優秀な記者としてはるばるロンドンまで送り込まれてきていたのだろうか。

何も五輪放送だけではない。それは質問なのか、感想なのか、意見なのか判然としない、完結しない発言が良く見られる。とくにベテランとされているアナウンサーに多いように感じられる。まるで自分のいいたいことは分かるだろう、と言わんばかりの態度である。取材相手の「的を得た」回答は事前に打ち合わせをしているのだろうか、それともよほど想像力、推察力のある人を選んで登場させているのだろうか。

一本のセンテンスさえまとめきれないレベルの人たちが、ニュース原稿を書いたり、番組の全体構成を考えたりしているのだろう。今日のテレビ全体の視聴率低下は、低予算のみならずこのあたりにあるのではないか。ことばの影響は中高生から大学生たちに如実に現れる。学生の集団と会話すると、「…というか、」、「…かな、」、「みたいな…」で終わるセンテンスに接することがたびたびある。ひとつの構文が「、」のままで、なかなか「。」がつかない。自分の意見を述べていながら、そのおしまいが「かな」では、結局どうなんだ、と言わざるをえなくなる。そんなことをすると、評判の悪い教員となってしまう。今の大学は学生による教員評価を重視している。学生には時間があれば東西の古典を読み、もって言葉を覚えるようにと勧めているが、それは自省の念にかられてのことでもある。

 マスコミ界には彼らの好むいろいろな新語もつぎつぎと登場する。最近の例で言えば、「絆」、「頑張ろう!ニッポン」、「トモダチ作戦」、などだろうか。「頑張れ!」と言われて具体的に何をすればよいのか、一昔前の「根性!」とさほど変わらない気がする。いずれもはじめは小さく取り上げられたものが、自然に、あるいは不自然にいつしか大きな見出しで取れ挙げられるようになる。ひとつひとつ反論するのも虚しいが、その語を造り出す力学、それを世に流通させる力学が働いていることは確かと思われる。すなわち、誰かがなんらかの目的をもって出てきているということだろう。

意図的な言いかえが無批判にメディアに流されることも多く見られる。ただの「増税」を「税制と社会保障の一体改革」と言い換える、などはあまりに分かり易い事例だ。それが大量にメディアで流れることで一般に定着していく。何枚ものオブラートに包んで劇薬を処方するということだろう。それが毒薬でないことを祈るばかりである

近い将来、「生活保護費」も「生活おもいやり予算」と呼ぶことになるかも知れない。

(歴山)


原爆搭載機とオスプレイのはなし

2012-08-06 07:38:49 | 歴史

 

                                                       Photo (真近に見る原爆ドーム、広島)

広島と長崎に米軍が原爆を投下して67年となる。三分の二世紀が経過しているわけだが、その張本人の軍隊が今もこの国に駐留していることはよくよく考えると驚くべきことである。首都圏に広大な外国軍の基地があるのも世界的に珍しいが、その上空を覆う広大な横田ラプコン(空域)は米軍の管制下にあり、どのような航空機でも自在に横田基地を離発着しているのである。

さすがにNHKは毎年八月に入ると特集番組を組んで原爆の、戦争の悲惨さを映像で丁寧に伝えているが、それを投下した相手を糾弾することはほとんどない。「戦争が悪である」という主語、目的語のはっきりしない論調で語られることが多い。

今年は、原爆投下を最終的に命令したトルーマン元大統領の孫が来日して被爆者と面会し、また式典に出席するとかでニュースになっている。近年、駐日米大使が式典に出席しているが、特にメッセージが発せられることはない。今回は私人であるから、メッセージが発せられてもさほどの意味はないだろう。

原爆投下の半年ほど前に「焼夷弾」という「木と紙でできた日本家屋を効率的に燃焼させる」爆弾を開発し、これをアリゾナ州の砂漠で原寸大の住宅群を建てて繰り返し実験し、そして実際に住宅密集地を狙って投下した。それまでの目標を絞っての爆弾投下から、火災を引き起こすことを目的とする「無差別爆撃」、「絨毯爆撃」へと転じたのである。「東京大空襲」は良く語られているが、大阪でも名古屋でも、横浜でも富山でも佐世保でも、全国の住宅密集地で無数の焼夷弾が炸裂したのである。

筆者が休みを過ごしている小さな島の小さな集落(現在95世帯、戦時中約200世帯)にもグラマン機が飛来して焼夷弾を投下し、その後に機銃掃射で村人を狙った、と現在七十歳代以上の住人は語る。山腹の防空壕に逃げ込んだ従兄姉は、操縦席にいる敵兵の顔が見えた、と語る。

これらの行為は、戦争行為を規定した「ジュネーヴ協定」違反であることは明白であるが、米軍が裁かれることはないままに今日に至っている。当時の国際的規約が欧米主体で決められ実行されていたのであるから、力のないものにはこれはできない相談であったのも事実である。

今年四月はじめて広島原爆資料館を訪ね、広島への原爆投下を実行したB29の飛行ルートを知った。それは、徳島県東南海岸から香川県を横断して瀬戸内海に抜け、三原市を通過して広島市上空に出、目標としていた丁字型の相生橋の上空で投下したことになっている。他に二機が飛行していたから「陽動」行為もあったのかも知れない。その後、右旋回して中国山脈沿いに飛び、再び瀬戸内海を越えて四国を縦断して離脱飛行に就いている。

最近の新聞記事に出ている「オスプレイ」(Ospreyは「オスプリィ」と書くべきだが、ここでは新聞の記述に従う)の飛行予定ルートの中の「オレンジ・ルート」は、その原爆搭載機が飛んだルートとほぼ同じであることに驚かされる。オスプレイの日本への配備が何のためなのかは未だ良く分からないが、まさか一部に言われているように「欠陥機の開発費用の回収」のため、ということではなかろう。超低空で日本の国土を縦横に飛行して何の訓練になるのであろうか。その機体を真近かに見、その爆音と風圧に曝された人びとが、「こんなものに立ち向かうことは出来ない」と半ばあきらめの気持ちにさせることが目的なのか、と一連の防衛省と外務省の高官の発言、一部マスコミの論調を読んで考えさせられる。

相手に「恐怖感terror」を与えることにより自らの政治的軍事的目的を達成すること、これが「テロterrorism」の本質である。

(歴山)