Photo (コロッセオColosseo内のアリーナArena、、ローマ)
スポーツ選手のチーム間の移籍のニュースが新聞やテレビをにぎわしていますね。サッカー選手も話題になりますが、日本ではまだまだ野球選手のほうが大きく扱われています。こういう時はショービジネスの本場アメリカ発生のスポーツが目立ちます。
アメリカのプロ・スポーツにはたいてい「ハーフタイム・ショー」があります。プロのみならず、アマチュア・スポーツでもやっているようです。
友人の一人につねづね、競技場でのショーは邪道だ、と言っている熱血根性スポーツマンがいます。なかなか説得力があるのでその言を引用しますと、「競技が充分に面白ければ不要なもの。競技だけでは観客を満足させることができないから余計なショーを見せているのだ」と言うことになります。
日本では学生スポーツに伝統的な応援合戦がありますね。特に対抗戦につきものであり、応援団、という立派な仕組みが出来上がり学内外で幅を利かせてきました。ただし、それは観客席でわがチームを応援する人たちを指揮するためたに機能しているものであり、彼らがグランドに降りて芸を披露するわけではありません。そのため、猛練習に明け暮れる応援団やチァリーディングの成果を披露し競い合うための競技大会が開催されるようになりました。国内でも野球やアメリカン・フットボールやバスケット・ボールなどアメリカ生まれの競技では、ハーフタイムにグランド上でチァリーダーたちが演技を見せるようになっています。
ともかく、ハーフタイム・ショーの本場はアメリカです。若い女性たちの健康な躍動を楽しみにしてくる観客もいるようです。プロ野球では六回裏が終わるとグランド整備となり、その間を利用してショー・タイムがとられています。興業側としては少しでも空いた時間でファンサービスを、と考えているのでしょうが、たいていの観客は小用に立ったり、食事をとったり携帯電話をかけに客席の裏手に回っています。
背景には、競技場の巨大化とメディアの発達があります。多くの観客は、競技を楽しむというよりもイベントとしてのスポーツを楽しみに来ているのでしょう。食べたり飲んだりしながら施設内でのスポンサーによるいろいろな催しを楽しんでいます。アメリカでは野球場は「ボール・パーク」と呼ばれるわけです。観客動員数が増えればテレビ放映権料も騰がることになります。興行主たちはあらゆる手を使って話題を盛り上げようとします。競技場の改修や、監督の交代や選手の獲得や交換、それにともなう金銭の多寡などもニュースにして盛り上げの道具と化します。いわば、これもハーフタイム・ショ―なのです。
ヨーロッパ起源のスポーツ興業はこの点すこし異なります。テニス、クリケット、ラグビー、ポロ、ホッケー、ゴルフ、などにはグランドでショーを見せることはあまりないですね。その代わり、これらの競技会場内にはホスピタリティ・コーナーがあり、ある種の社交の場が形成されています。そこには酒肴が盛られ美女たちが居並んでいます。土地の有力者や競技関係者、スポンサーや招待客、いわゆるセレブたちだけの空間が用意されています。そこは階級社会の長い時間が濃く投影されています。古代ローマの王侯貴族たちの娯楽としての剣闘士の戦いの時代からの伝統が連綿として続いているわけです。
その点でいえばアメリカのスポーツは民主的です。そこは〈貴族〉のいない世界、〈おカネ〉が唯一の尺度の世界であり、投資家・起業家たちのタガがはずれて営利行為が過剰となりがちです。MLB(野球)も、NFL(フットボール)も、NBA(バスケット)も自己利益の最大化のみを求める巨大ビジネス集団と化していることは知れ渡っています。スポーツそのものが金儲けの手段と化している一面があり、そんなところにアメリカ系のスポーツが世界で広まらない背景があるようです。
FIFA(サッカー)も金儲け集団であることには違いはありませんが、理事会は五大陸からの各国代表で構成されており、世界各地で競技の普及、青少年育成には力を入れているところに大きな違いがあります。その息の長い活動は成果が上がっているようです。
野球少年たちには気の毒ですが、野球が競技としてオリンピックに復活することは難しいようです。あるとしたらMLBが国際競技団体の下部機関となる時かもしれませんが、その可能性はもっと低いと思われます。
(歴山)