よのなか研究所

多価値共存世界を考える

「二大政党制」は民主主義に反す、

2011-10-30 23:27:11 | 政治

                                                             Photo(カルナタカ州政府庁舎、インド)

 

我が国で小選挙区制度を導入した時に「二大政党による健全な政治が実現する、云々」ということが宣伝されました。

小選挙区では一つの選挙区で一人しか当選しません。その結果、大きな政党が有利となり、確かに民主党と自民党という二大政党体制が出来上がりました。三位以下の政党の候補者の当選は極めて難しくなります。比例区で中小政党の主張を尊重すべく仕組みを考えてある、とのことですが、果たしてこれが健全な民主主義といるのでしょうか。

 

わが国にはこの二つ以外に十に近い全国政党があります。現在、民主党と国民新党が与党を組み、それ以外が野党とされています。この線引きもすこし変ですね。各党の選挙の際の政策(「マニフェスト」)や日頃の主張・行動などを見る限り、事態はもっと複雑なような気がします。

 

そもそも、二大政党が民主主義政治の発展に寄与するとの根拠はどこにあるのでしょうか。「二大政党による政治」といえばイギリスとアメリカとをお手本として説明されることが多かったのですが、イギリスでは先の選挙で第三党が勢力を伸ばし、保守党、労働党、自由党が三つ巴の戦いをしました。アメリカでは民主、共和の二大政党に飽き足らない人びとが「オキュパイ(Occupy)」の掛け声で大都市に集結し、社会を揺るがしかねない運動体となっているようです。どちらも、長年の二大政党体制が疲弊していく中で政府や国会に届かない声を代弁して脚光を浴びているのではないかと思われます。

 

現在、わが国の衆議院議員選挙において有権者は小選挙区では候補者を、比例区では政党を選んで投票用紙に書いています。2009年の総選挙では、第一党となった民主党が選挙区で五割の得票率で七割の議席を占めた、といわれました。正確には、47.4% の得票率で63.7%の議席を占めたのです。その前の衆議院選挙では逆の現象がありました。かように、小選挙区とは小さな票数の変化が拡大されて投影される不安定な制度なのです。

 

有権者にとって選択肢が二つしかないということは社会全体にとって不幸なことです。また、二つの政党は与党と野党に分かれ、争点をはっきりと、白黒を決着させようとする傾向がでてくることは避けられません。そうでないとマスコミで報道されないし、政党も政治家は注目を浴びる機会が少なくなります。それゆえ、さほど差のない論点をことさら大きくしてみせる傾向が見られます。その結果ひとつの論点を極端へと進めることで、政策がゆがめられることになります。こうして、皮肉なことに本来の民主主義とはだんだんと離れて行くことになるのです。

メディア操作に長けた権力者が政権党の主導権を掌握すると、世論誘導しそれを背景に重要案件に党議拘束をかけて自分の主張を押し通してしまう恐れがあります。つい数年前に実際にわが国でもあった事象です。

 

政党とは離合集散の集団であり、時代とともに変幻に形を変えて行くところに意味があります。この中に入って自己の政治的信条を貫き通すことは極めて困難なことのようです。

聞いた話ですが、政治の世界に飛び込んだ政治家は、一個人としては政党への不本意な服従を強いられ、政党内での派閥争いに巻き込まれ、時に変節し、また自分の信条を裏切るか政党への反逆へと至たり、ついには除名されることになりかねません。そしてその結果として周囲の失望を買い、一族郎党知人友人へのお詫びの連続となるらしいのです。

 

七億人の有権者がいるインドの政治のあり方は興味深いものがあます。わが国の政治の将来への参考になるかもしれません。2009年の総選挙では33の政党が争いました。

 

自分と近い政党とゆるい連合を組むのですが、何から何まで同じということはあり得ませんから、争点となるイシューの中でも重要な政策で同盟を組んで選挙戦に臨むことになれます。コングレス(国民会議派)UPA: United Progress Ally統一進歩同盟、BJP(インド人民党)NDA: National Democratic Ally国民民主同盟という連合体を組み、さらに統一国民進歩同盟、左翼戦線などが選挙を戦います。

 

UPAの主な参加政党は、もともと会議派から分派した全インド草の根会議派と国民会議党、ドラヴィダ進歩党、全インド統一ムスリム評議会、インド連盟ムスリム連盟、さらにケラーラ、ジャンムー・カシミール、ジャールカンド州などの州単位の政党が続きます。

 

対するNDAにジャナタ・ダル(統一会派)、シヴ・セナ、アカリ・ダル、全国ローク・ダルにラダック、ナガランド、ウッタラーカンド、ミゾラム、テランガナ、などの地域政党が参加しています。

第三戦力としてはジャンタ・ダル世俗派、インド共産党マルクス主義派、テルグ・デサム、全印アンナ・ドラヴィダ進歩同盟、大衆社会党、などがあります。

 

新しい政治的問題が持ち上がると組み換えが微妙に変わっていくところにインドの政党政治の特徴があります。小さな政党も発言力が強いのです。少数意見が国政に反映されています。急激な変化は起こらないが、安定的に推移しています。

議論の分かれている案件を与党の指導者が党議拘束で強行する、などしてもあまり意味がないのです。

 

政治の組み合わせがたびたび変わることは悪いことではありません。首相も国民が必要とするのであれば、一年どころか半年ごとに代わっていくのもいいでしょう。自国の真の国益、国民の福祉の向上のためであれば、政党も政治家も常に変化し前進してもらいたいものです。

(歴山)

 


再び主役となるユーラシア、

2011-10-23 19:23:41 | 政治

         Photo: (サマルカンドのウルグベク・メドレセ、ウズベキスタン)

 

ユーラシアといえば陸続きであるヨーロッパとアジアを一つの大陸として捉えた概念です。その昔、世界といえばすなわちユーラシアだったわけです。古代文明の発祥地の中でナイル河畔のエジプト文明はアフリカですが、それ以外はすべてユーラシアです。黄河と長江の中国文明、インダスとガンジスのインド文明、チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明、やや時代が下ってギリシャ文明、ローマ文明と続き、その後ルネサッスと産業革命を経て、勢力図が東から西へと移動した、と教科書にも書かれています。

 

ユーラシアを旅すると何ごとも大きいことに驚かされます。その内陸部に行くといろいろなことに圧倒されます。ふところの大きな存在です。

問題となるのは、厳密に「ユーラシア大陸」と云った場合、その極東にある日本と、極西にあるイギリス、アイルランドなどの島国が入らないことでしょうか。むろん、アフリカ、オセアニア、南北アメリカ大陸は入りません。しかし、一般には日本はアジアに属し、イギリスとアイルランドはヨーロッパと考えられていますから、「ユーラシア」と云う場合は中に入れることが多いようです。

 

ある金融会社の試算では、2040年代にGDPの上位十カ国は、大きい方から中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシア、ドイツ、イギリス、フランス、南アフリカ、となるそうです(現在の国家単位として計算)。この中の七カ国はユーラシア諸国というわけです。その時、かれらの世界経済に占めるシェアは大変大きなものになっていると予想されます。

幸か不幸か、これらの国々が一団となって世界的に統一行動をとることは少ないと思われます。かつて米国が世界の経済の半分近くを占めていた時代に「世界の警察官」を自任していたようなことは起こらないでしょう。大国となる中国はインド、ロシアと長い国境線を持っており紛争の芽を抱えています。それでいて、中国とロシアは国連の場において欧米諸国と対峙する時、共同歩調をとってきました。両国を中心に発足したSCO(上海協力機構)にインドはオブザーバーとして参加しており、いずれ正式メンバーとなると予想されています。

 

19世紀の初めまで、世界経済の中心はアジアでした。中国、インド、インドシナ、日本、ベルシャ、中東諸国などの豊かな産品が流通し、またアラブ商人の手を経てヨーロッパ世界にも持ち込まれていました。

ひと頃話題になったアンガス・マディソン著「世界経済の成長史1820-1992年」(金森久雄監訳、東洋経済新報社)によれば、PPP(購買力平価)ベースで、1820年のGDPは中国が29%、インドが16%と、この二国で半分近くを占めています。もっとも、同年に人口も中国36%、インド20%ですから、民衆の生活が図抜けて裕福であったと云うことではなさそうです。ちなみに、同著によれば、1820(文政3年、将軍は徳川家斉)の日本はGDPも人口も3%となっています(現在はGDP8%、人口約2%)

 

現在の経済成長率、また潜在力から考えて、世界の成長センターがアジアに移っていることは大方の経済分析家が認めているところです。西欧諸国、特に米国の地盤低下は否めません。経済力と軍事力がほぼ比例して推移するのも現実として受け入れる必要があります。

日本政府が国民のため、地域のためを考えるのであれば近隣諸国との通商体制をしっかりとしたものにすることが求められます。なにしろ世界で最も生産能力が高く、消費性向が高い地域がすぐそこにあるのです。足りないものがあれば近くから調達するのが経済合理性にもかなっています。現実的に言えば、〔アセアン+3〕の枠組み、あるいはインドを加えての〔アセアン+4〕の枠組みがまずあって、その上でさらに遠い国々との貿易自由交渉に取り組む、というのが自然な流れでしょう。

その場合であっても「国家主権としての租税権」を確保しながらひとつひとつ交渉をしていくことが必須です。十把ひとからげで税率や条件を決めてしまうという乱暴な取り決めをすると、その改正、解消にまた十年、二十年の時間を浪費することになりかねません。突然政治課題として登場してきたTPPなる案件はその内容をよくよく知る必要があります。

  

すくなくとも、こちらがあわてて乗るものではありません。あせっているのは相手方です。成長センターであるアジアとの取引を望んでいるはアメリカ、オーストラリアであり、またその間で優位を確立したいと考えるシンガポールくらいのものでしょう。中国も、韓国も参加していません(二国間で個別に進めていますが)。インドは環太平洋ではありませんから、最初から入っていません。われわれは、まずは高みの見物と行きましょう。

 

これを推し進めようと画策している官僚や政治家や評論家や企業人は、明治の政治家たちが幕末に結ばされた不平等通商条約の改定にどれだけ苦労をしたか、に思いを巡らせてもらいたいものです。次代の人たちにわざわざ苦労を引き継がせることはありませんよね。

(歴山)

 

 


ビールをもっと大切に、

2011-10-18 23:09:39 | 比較文化

                 Photo(カウンターに並ぶアルコール飲料)

 

ビールという飲み物をもっと丁寧に扱ってもらいたいと感じるところがありました。

スポーツの秋真っ盛りでおおいに結構なことですが、気にかかったのは、プロ野球のリーグ優勝の祝賀会でビールをかけ合っているシーンです。テレビのニュースや新聞の写真でいやが応にも目につきます。アメリカの大リーグの地域優勝の祝賀会ではシャンパンをかけあっていましたが、もともとあちらから来た習慣ですかね。両方のシーンを見て、室内で大勢で飲み物を掛けあうとは趣味が悪いと感じるところがありました。

 

優勝を祝うのにアルコール飲料を空中に撒くという行為はヨーロッパのモータースポーツにその起源があるようです。F1やルマン24時間耐久などで、表彰台に上った勝者が、勝利の盾(shield)や花輪(garland)を受け、最後にシャンパンの大瓶を手にして一口飲むと、それを大きくゆすって吹き出る泡を周囲の人たちに掛けて神の祝福を分け与えるというわけです。屋外で行われるこんなシーンを記憶の方も多いのではないでしょうか。ここに登場するシャンパンは主要なスポンサーが提供しており、自社商品のメディア露出を意図しているというわけです。

しかし、その場で振りかけるシャンパンは一本か、せいぜい数本です。無数の瓶を空けてそれらを振り掛けるというのでは品位に欠けます。この後に、個々人のパーティで騒ぐのは勝手ですが、モータースポーツの祝賀会はこれでおしまいです。あとは個人のパーティです。

ここに登場するシャンパンは高級品です。バッカスからの贈り物なのです。ビールが一本数百円なら、高級シャンパンは一本一万円から数万円しますからポンポンと栓を抜いて手当たり次第に掛けまくる訳にはいきません。

 

他のスポーツ競技の表彰式でアルコール飲料がどのように使われているのかは良く知りませんが、日本のプロ野球に関して言えば、優勝祝賀会でのビール掛けは恒例イベントとなっているようです。ビール・メーカーとしては大量消費してくれる良いお得意さん、ということになるのでしょう。アメリカのプロ野球界の祝賀会では安価なシャンペンを使っているようですね。映像を見てブランドまでは分かりませんでしたが、広い会場の床に水溜まりができるほど掛けまくるのに、高級品を使うこともないでしょう。

野球が団体競技であり、祝賀会となると選手とスタッフと関係者で百人を超える人が参集することになると思われますから、シャンパン数本程度では済ませることはできないのでしょう。

ともかく、日米ともプロ野球は祝賀会の品の悪さが競技としての地位を低からしめていると感じるのは私だけでしょうか。選手たちが勝利の美酒に酔いたいのであれば、その飲み物にも敬意をはらわなければなりません。アルコールであれば何でもよい、ということで容量単価の低いものを、ということはおそらく球団の事務方が考えたことでしょうが、ビールは立派な飲料です。長い歴史があり、歴史の中にも寓話がたくさんあります。最高の飲み物でありながら、その単価が安いということであのような無駄が許されるのでしょうか。元酒好きの筆者としては、もったいないということのみならず、酒の神への冒涜ではないか、と感じられるのです。「とりあえずビール」というセリフも好きではありません。

 

プロの選手たちは「勝利の美酒」に相応しい飲み物を選び、それを味わう時間を大切にしていただきたい、と思うのです。マスコミ受けするようなイベントではなく、選手が本当に美酒に酔い、心地良く自分たちの祝賀の場へ、あるいは家路へと付くことができると思うのですが、それはスポーツ界への幻想なのかもしれませんね。

(歴山)

 


「媚中」と「媚米」はおなじ思考の上にある

2011-10-12 00:35:52 | メディア

                              Photo(奈良、東大寺二月堂)

 

先日、新聞をすみずみまで目を通していると、よく目立つ広告見出しに行きあたりました。

新聞の記事の下段にある雑誌広告の一つに、大きな文字でこう書かれていました。

中国をつけ上がらせた歴代媚中大使の「大罪」

一瞬わが目を疑いましたが、劇画タッチのコピーが並ぶ中でも真ん中の目立つ所に白抜き文字で書いてありました。「惹句(じゃっく)」という言葉があるとおり、見出しや宣伝文句は「目を惹くフレーズ()」でなければ意味をなしません。それにしてもひとつひとつの言葉はやや問題ありですね。少なくとも上品な文章ではありません。

街に出たついでにこの雑誌を手にとってみました。さすがに本誌の見出しや記事はずつとおとなしいものでした。実際の記事タイトルと、その広告との文言が違うことにどういう折り合いが付くのかわかりませんが、編集者にしてみれば主旨は一貫しているのでしょう。

雑誌は新聞や放送に比べると制約の少ないメディアです。政府による補助や支援もほとんどありません。だからといって何を書いてもよいというわけではありません。スポーツや芸能に特化した雑誌ならいざしらず、時事問題を扱う定期慣行物の記者、編集者には報道人としての矜持があることと思います。そして、報道人としての基本的な知識、すなわち、不偏不党。自主独立、権力やおカネ(たとえば広告主、など)との間に一定の距離を保つこと、などを弁えているものと推測します。

さすれば、一主権国家を過度に貶める表現を慎むくらいの訓練は受けていると考えられます。また、特命全権大使である中国大使、それも歴代の大使を相手に「大罪」と形容することの重大さに気が付いているものと思われます。特命全権大使とは天皇が直接辞令を交付し、天皇の名代として相手国に赴任しているひとを指します。この人物を誹謗することはすなわち天皇に累を及ぼすことなりかねません。

かつてドゴールは「国家に真の友人はいない」と言いました。またチャーチルは「すべての外国は仮想敵国である」と述べたそうです。これがリアリストたちのものの見方というものでしょうか。今現在仲がいいとか、悪いとか、取引が多いとか少ないとか、といったことは、国家存続の命題の前には小さな条件のひとつにすぎません。

さきの記事を書いた記者、それ採用した編集部、そして大見出しに取り上げた編集長の方々は、別の雑誌の広告に次のような大見出しが出ていても驚くことはないでしょう。

米国をつけ上がらせた歴代媚米大使の「大罪」

これも上品な文章ではありませんね。しかし、先の編集者や発行人がこれに驚くようであれば、自分は公平性を著しく欠いているということを自覚する必要があります。「媚中」とか「媚米」とかいう用語を使う人たちは同じ思考、論理の上にあります。実は同じ種類の人たちなのです。

 

現在、日本の主要な月刊雑誌の発行部数は数万から数十万部で推移しています(ABCリポート)。他方、新聞各紙は数百万部の部数を誇っています(これは日本の特異現象ですが)。新聞の読者の大半はこの雑誌を手にすることはなく、新聞広告の見出しを読むだけと思われます。件の広告は複数の新聞に掲載されているようですから、恐らく全体で二千万部を超える紙に掲出されている計算になります。雑誌の発行部数か二十万部とすれば、その比率は百分の一ほどということになります(大きくは離れていないでしょう)。つまり、新聞でこの見出しを見る人の百人に九十九人は見出しを読むだけであり、それで何かを理解する、ということでしょう。ただし、新聞の読者が一紙当たり一人がこの広告を見るとの前提ですから、率はもう少し高くなるのかもしれません。それでも知れています。

もし、雑誌の広告の文案。レイアウトを制作している人たちが、多く人は雑誌を手に取ることはないが、新聞の見出しは読む可能性が高い、したがつて、本当に大衆に訴えたいメッセージは新聞広告の大見出しに掲出すればよい、というふうに考えているとしたら邪道というものでしょう。先の見出しもそのような計算から出てきたものかもしれません。そこに出版社、編集者、そしてライターの思惑が交差しているとしたら報道人としては大いに問題です。

 

仏典に「有質礙(うぜつげ)」ということばがあります。

中身の詰まったもの(murta)同士は同時に同じ位置を占めることはできない。互いに排除し合う。(『勝宗十句義論』)

という意味のことを説いています。こだわりを持つと、まわりの人と平穏に暮らすことが難しくなる、との解釈が可能です。

報道人たるものは、移り行く世の事象を先入観、特定のこだわりを持って見ていては客観的な視点を失ってしまいます。生きた人間たるもの、こだわりから逃れられませんが、社会の公器と呼ばれるメディアにあっては、できる限り偏りなくあることを望みたいものです。

(歴山)

 


「競争原理」主義は生き残るか、

2011-10-05 21:23:30 | 信仰

                           Photo(タイ国バンコックのカオサン通り)

 

経済発展の著しいタイの首都バンコックで、ビルの谷間を托鉢してまわる若い僧侶を目撃したことのある人も多いと思います。

タイは仏教国ですが、日本や韓国、中国の東北アジアの仏教とはやや異なります。ご存じのとおりわれわれが大乗仏教であるのに対し、タイやスリランカをはじめラオス、カンボジア、ミャンマーは上座部(テーラヴァーダ)仏教です。

上座部のことを「小乗(hinayana)」と呼ぶこともありますが、それは大乗部が自己を「大乗(mahayana)」として上座部をおとしめて呼んだのであり、現在では使用しないことになっています。「自己の修練により自己一人が救われる」との教えは小さな乗り物(考え)である、との大乗側の付けた呼称でした。

また、伝播の経路から「南伝仏教」と呼ばれることもあります。中央アジア経由で伝えられ、またそこで作られた大乗仏教は「北伝仏教」というわけです。キリスト教に旧教と新教があるように、イスラームにスンニ派とシーア派があるように、世界宗教には背景は異なつてもいろいろな分派がある点は似ています。あたかも、それが世界の大宗教の条件であるかのようにも見えます。

上座部と大乗との教義や戒律の差異については別の機会に記すとして、その社会について触れてみたいと思います。

 

タイに旅行したことのある人の中には、この国に入るとゆったりしている感を持った方も多いでしょう。仏教国ということもありますが、気候風土のなせるわざかもしれません。人びとのこだわりの度合いが少なく、他人の振舞いにとやかく言う人もいません。もちろん貪欲な人種もいれば、ビジネスの社会では厳しい競争が繰り広げられていますが、まだまだ市民生活ではこだわらない生活習慣が残されています。

物欲を抑える考えがあります。モノを分かち合う精神が生きています。「少欲知足」の考えが息づいている感じを受けます。キリスト教社会にも「貧しい人びとは幸いである」(ルカによる福音書)ということばがあるようですから、根底には同じ考えが横たわっているのかも知れません。

 

1960年代から、世界各国からわけのわからない放浪者たちがこの街のホワランポーン駅の回りに集まるようになりました。筆者もその中の一人でした。ネパールのカトマンドゥ、アフガニスタンのカーブルとバンコックが彼らの三聖地とされていた時期もありました。70年代に入って「バックパッカ―」という言葉が広まって、怪しげな雰囲気はやや減り、薬物依存のヒッピーたちは他の土地を求めて去っていきました。

バンコックのカオサン通りには現在も国籍不詳、職業不詳、年齢不詳の男たちと女たちがたむろしています。その昔は先進国の「ドロップアウト」つまり、落後者呼ばわりされている人たちが大半でしたが、昨今ここにたむろしているのは文字通り「人種のるつぼ」の感ありです。身なりが一昔前と比べて小ざっぱりしています。低価格の宿に長期滞在し、またここを拠点として国内の他の地域や近隣諸国へと足を伸ばしているようです。

その多くは、「ドロップアウト」ではないものの、先進国の過当競争の経済社会から距離を置いて人生を生きているひとたちでした。口をそろえて「資本主義は終りだ」という欧米諸国から来ているグループとも話をする機会がありました。タイの仏教寺院で瞑想修行でも受けて、一時的に覚醒しているだけなのかもしれない、と感じました。

 

ニューヨークのウォール街を「Occupy(占拠せよ)と書いたプラカードを持って集まっている人びとの映像を見て、三年前のバンコックでの一日を思い起こしました。もしかしたら、あの時のだれかが映像の中に写っていたのではないか、と感じるところがありました。そうだとしたら、一時的な精神の高揚ではなく、長く考え、ながく行動した結果の行動なのかもしれない、そんなことを連想させられました。

(歴山)