よのなか研究所

多価値共存世界を考える

国民への「見せ方」が第一。

2013-05-16 21:16:29 | 戦略

             Photo ( 江田島上空より広島市街を望む、広島県)

 「見た目」は大事ですよね。しかし、見た目だけで内容がなかったり、見た目と実体がかけ離れていたりすると見るものを誤らせます。見誤る側にも責任があります。

メディア社会では、「映像と文字(Visual and Text)」が大きな影響をもたらします。煎じ詰めると、パフォーマンスとフレーズです。

先の総選挙では「日本を取り戻す」というフレーズが、その前の総選挙では「国民の生活が第一」というのが流行りました。そして、次の選挙に向けて各政党のフレーズと演出がちらちらと見え始めています。そこには、自称「選挙のプロ」たちが暗躍しています。アメリカには「スピン・ドクター”Spin doctor”」と呼ばれる専門家がいます。昆虫や蝶を蜘蛛の巣に取り込むように民衆をある方向に導く、という意味のようです。

 宣伝や広告は人類が集団生活をはじめて以来の歴史がありますが、近代産業としての宣伝・広告は20世紀に飛躍的に発達し、その規模を拡大しました。いわば、「前世紀のシステム」ですね。しかし、サイバー時代を迎えても衰えるところがありません。むしろ、あたらしいメディアの登場に合わせてつぎつぎと新しい技法を開発している感があります。

大量生産(mass production)したモノは大量消費(mass consumption)させないと大量の在庫、つまりゴミ(Trash)となるだけです。それで大量伝達(mass communication)が必要となります。そのためにカタログ冊子が登場し、ラジオが商用化され、やがてテレビが登場する要因となりました。伝達技術が発達し、広報・PRといった産業が興りました。マーケティング”Marketing”の時代となったのです。

大量の中では「目立つモノ」が勝ち残ります。伝達する側はよりよい「見せ方」の技術を競い合います。前世紀の後半から「メディア産業」と「広告産業」が飛躍的に拡大発展した背景にはマーケティング産業がありました。「見せ方(presentation)」競争に拍車がかかることになりました。

依頼主、つまりクライアント”Client”からの指示に従い、最適な「見せ方」を競い合うようになります。その対象となる商品について徹底的に長所を取り上げ、競合商品の短所を拾い集めてあげつらうことになります。さすがに過度の競争の弊害が出てきて、規制がかかるようになりました。現在はその網の目を潜り抜ける競争となっています。

マーケティングの定義はいろいろありますが、今の金融資本主義下においては、「要らないモノを売りつける」のであり、また「無駄遣いをさせる」ことでもあります。「買ったものをそのまま捨てさせる」などはマーケティングの最高ランクです。

宣伝やPRのプロには政治家も商品にすぎません。したがって、我々は知らぬうちに要らない政治家を選んでいるのであり、無駄な投票行動をしているのであり、自分が投票した政党や政治家を捨て去ることになっているわけです。それこれも、政治家たちが自分の身体や言説の「見せ方」に気配りしている間に、専門家の手に乗せられてマーケティングの一商品となっているからなのです。

 政党や政治家の選択を誤ると、やがてわが身に降りかかってきます。

派手な身振り手振りの政治家、目立つ衣装の政治家、先鋭的な言説を振りまく政治家、発表や記者会見のタイミングを無理に夜のニュースに合わせている政治家、つまりマーケティング技法に乗っかっている政治家たちを見分ける力が必要な時代となっています。

(歴山)



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