よのなか研究所

多価値共存世界を考える

「国土強靭化構想」とタゴール

2013-05-30 10:11:48 | 思想

                       Photo (美しい日本の海岸線、屋久島安房、鹿児島県)

中学・高校の教科書で大戦と大戦の間に数回開かれた「軍縮会議」というのを習った記憶があると思いますが、この言葉最近はあまり聞きませんね。ところが、めったにニュースになることもないが「軍縮会議日本代表部」という組織が外務省内にあるのですね。特命全権大使以下がスイスのジュネーヴを拠点に活動しているようです。

そのHP(ホームページ)を見ますと、「軍縮・不拡散」(Disarmament and non-proliferation)の文字が登場します。内容も「核軍縮と核不拡散」についてであり、通常兵器の軍縮についてはほとんど触れられていません。つまり「核兵器」についてのみ発信しているのです。

これは何を意味しているのでしょうか。日本政府は国際政治の舞台で「核軍縮、不拡散」を主張するが、通常兵器については口をつぐんでいるということです。現実に世界の紛争地帯では銃器であふれています。銃器の製造国から取引国を経て各国の兵器が飛び交い、それが新たな戦場を作り出しているのです。不必要な戦闘が生みだされているのです。

現政権は、「わが国を取り巻く安全保障環境の変化に伴い」海上保安庁の機能の拡充、海上自衛隊の戦力向上を進めています。大きな流れとして「国防軍の創設」を謳っています。さらには「集団的自衛権」を行使し、いつでもどこでも戦闘に参加できる国へと転身を遂げようとする勢力が台頭しつつあります。「国土強靭化構想」の名のもとによこしまな動きが見て取れます。不思議なことに、メディアがそのことを国民に詳細に伝えることを憚っているように見えます。

近代の戦争には勝者なく、双方が深く傷つくだけである、ということは世界の多くの人びとが知るところとなりました。戦争の勝者がいるとすれば、それは武器の製造、兵站の運営、後方支援、通信網の管理などを担当する「軍需産業」です。事実、彼らは世界経済の不況下においても毎年利益を伸ばしてきました。このところ戦闘規模が縮小しているようですが、紛争の要因は世界中に散在していますから不況知らずというところです。

今の日本の役割は、世界に向けて通常兵器を含む「軍縮」の発信です。世界最大の軍事国家のアメリカが財政難で軍事費を減らしているわけですから、同盟国として他の国にも軍事費の削減を提案することに遠慮する必要はありません。今日の偵察技術、画像分析技術、地震波解析技術をもってすれば、各国の軍事開発の状況は把握が可能なのです。

かつて軍事増強を続けていた時代に正面から日本を批判した人がいました。アジア人として初のノーベル賞受賞者でもある詩人ラビンドラナート・タゴール(原語読みは、ロビンドロナート・タクゥル、1861-1941)です。彼はもともと自然との共存を図る日本人の美意識を高く評価し、岡倉天心らとも親交があり、五度も来日した人物でした。

タゴールは、日本の対華21か条要求を「西欧列強の植民地主義を真似するもの」として非難し、またそれは「日本の伝統美の感覚を自ら壊すもの」として嘆きました。

彼は1924年の来日時に、講演会でこのように語りかけました。

「もとより私は、日本が自己防御のための現代的な武器を取得するのを怠ってよいというつもりは毛頭 ありません。しかし、このことは日本の自衛本能の必要最小限以上に決して出てはならぬものであります。まことの力というものは武器の中にあるのでは なく、その武器を使用する人々の中にあることを、日本は知るべきであります。もし人々が力を求めるに急なあまり、自分自身の魂を犠牲にしてまで、武器を増強しようとしたならば、危険は敵の側よりも、その人たち自身の側にますます大きくなっていくものであるという事実を日本は知らなければなりません」 (来日講演「日本の精神」より引用)

果して、彼の懸念は的中するところとなりました。そして、おそらくアメリカにも当てはまり、やがて中国にも当てはまることになるであろう。

わが国の「軍縮会議日本代表部」には、「軍縮会議」の場で通常兵器の軍縮についても堂々と主張してもらいたい。それが、アメリカや中国やロシアやEUとの差異となり、通商貿易はもとより文化・スポーツ外交の場においても相手国の信頼を得ることにつながるのです。

(歴山)


この国の何がヘンなのか、

2012-10-03 21:14:05 | 思想

 

             Photo (日本人はこんなものを作って来た。岩国の錦帯橋、山口県)

 オリムピックの大騒動が一区切りついたと思ったら、続いてノーベル賞の発表の季節がめぐってきました。今年は日本人は何人受賞するだろうか、だれが候補に上がっているのか、との記事が目につきます。発表の前からこれほどまでに新聞各紙が記事にしてくれるのは我が国くらいのものです。もちろん、日本人の受賞者が出れば目出たいことです。しかし、まるでメダル獲得競争の再現のようなメディアのお祭り騒ぎは頂けません。少しヘンですね。

ノーベル賞の受賞者発表は世界中でニュースになりますが、学術的な表彰制度として客観的な形で報道されます。スウェーデン、ノルウェーはじめ欧米諸国でもこれほどの大きな扱いはしていないようです。

ストックホルムを中心に開催される受賞式典の荘厳な雰囲気と、その後の華やかな晩餐会の光景は、たしかに古き良きヨーロッパの香りに満ちています。闇雲に西欧にあこがれるタイプの日本人には、この世に実在するおとぎ話の世界のように映るのでしょうか。

この時期、はやくも「ボジョレ・ヌーボー」の案内広告が目立ちはじめました。もはや、季節の風物詩の観があります。筆者はあらゆるアルコール飲料を好む者ですが、このボジョレ・ヌーボーなるものは未だ飲んだことがありません。もしかしたら、知らないうちにどこかで飲まされているのかもしれませんが、ともかく、それと知って味わったことがないので、味覚についてもなんともいえません。

国内では全国どんな地方へ行ってもパチンコ店が目立つのもこの国のヘンな所です。むしろ、地方へ行けばいくほど多いような気がします。誰でも気安く入られるプチ・カジノが住宅地のすぐ傍にあるのもヘンですが、こんなにも多くの店の経営が成り立っているのが不思議です。同様に、キャバクラという営業形態も日本独自のものでしょう。

たまにテレビに目をやると、揃いの派手な衣装の十代らしい女の子たちが大勢で歌い踊っている。これにつられて全国の若い女性がその衣装や化粧を真似し、異常に長いまつ毛が共通項となっている。彼女たちを支えているかのように学芸会のような芸を競う大人たちが毎晩チャンネルを変えて出ている。

以上、いずれもメディアが作りだしている、あるいは協力している社会現象です。すなわち日本のヘンな現象はほとんどメディアがらみである、ということができます。

ところが、日本の大衆の知識レベルは実は世界最高水準にあるのです。こんなにモノをよく知っている国民はいません。世界の大学のランキングなどが発表されますが、それは上位一パーセントほどを比較しているもので、上位の大学といえど全体のレベルはさほど高くはありません。身を以て体験している人も多いと思います。筆者もその一人です。

いわゆる知識人とされる文化人タレントや評論家、コメンテーターやニュース解説者よりも、居酒屋で談義している普通のサラリーマンやフリーターのほうがよほど世界の事情に通じているし、物ごとを良く見ています。それは男女を問いません。マスコミ人種は移動に時間を取られて勉強するが足りないのでしょう。そう語った人物がいました。ましてや、政治家や企業経営者の知識と思考の水準は言うまでもありません。みんなで選んでいるのであり、責任は優秀な国民にあります。

とは言いながらも、この国はまだまだ捨てたものではない。やや落ちたとはいえ世界第三位の経済力を誇っています。技術開発でも最高水準にあります。

人びとは相対的にまじめで正直で働きものであり、なべて手先が器用であり、創意工夫に富んでいる国民です。山河の景観はまだまだ美しく、街の治安は世界で最も良いとされています。

だから日本に来たがる外国人は多いのです。塾や町中のセンターや公民館での英会話の教育に従事する外国人がとくに目につきます。その多くは当然ながら英語圏の国から来ていますが、彼らの異口同音に、「住みやすく、人びとが優しい」というのです。優しすぎるのも問題ですが。

我が国はヘンな所があるが、それはマスコミの誘導により社会風潮となったもの、意図的に作りだされた事業や催事が多いのです。すなわち、ジャーナリズムと広告の手に依って作りだされている、ということです。

しかし、なによりヘンなことは、他国に指示されて政策が方向づけられ実行されていることです。他国政府や私企業の意向で地方行政が左右され、民衆が苦労するような事態が発生していながら、他の地域の人々の関心がなかなかそこに行かないことです。これもマスコミの努力不足でしょうか。マスコミには「知らせる義務」があります。

主権国家としての自覚を取り戻しさえすれば、この国は人口減少にも高齢化にも打ち勝つ知恵があるはずです。引き続き「豊葦原ノ瑞穂国」として栄えていくと思います。

 (歴山)


仏足石の吉祥紋様

2012-05-16 10:18:07 | 思想

                                         Photo (瑠璃光寺拝殿前の仏足石、山口)

 久しぶりに大きな仏足石を見ました。インドのブダガヤで見て以来です。

中国路を巡る旅で山口市香山の瑠璃光寺に参拝した時に拝殿の前にありました。瑠璃光寺は京都醍醐寺、奈良法隆寺の五重塔と並び日本の三大名塔の一つとされる五重塔で知られています。たしかに趣のある庭園に、大きく立派で国宝に相応しい塔が立っていました。瑠璃光寺は曹洞宗の寺院で、山号は保寧山、本尊は薬師如来です。

 仏足石とはいつごろ、どのようにして登場したのでしょうか。

お釈迦様は偶像崇拝を認めなかったといわれます。釈尊つまり釈迦牟尼仏世尊がなくなられて弟子たちはその言葉を記録に留めようと結集(会合)を開いて経典をまとめていきました。しかし、大衆相手には文字とお話しだけではなかなか教えを広めることができません。そこで、もともと亜大陸で盛んであった紋章、偶像などの造形物を利用することになります。しかしながら、釈尊の姿かたちをそのまま造形するわけにはいきません。釈尊が、自分の姿を描きあるいは彫刻にしてはならない、と言い遺していたからです。弟子たちは、はじめ、菩提樹の大木や法輪(チャクラ)を造形し、それをもって釈尊を象徴することにしました。その後、平面の石に釈尊の足跡を彫り込む、あるいは盛り上げる造形が登場します。生き物としての人間が土に遺した形だけを造形するのであれば、本人のお姿を写すことにはならないだろうと考えたのでした。

 姿かたちを遺さない、という点では世界宗教は一致しています。仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラームのいいずれも、その初原では神や救世主を造形することをしませんでした。現在、イスラームとユダヤ教だけがそのお教えを守っているのであり、この二つが真の宗教である、という考えも成り立ちます。

 当時の仏教は広く中央アジアまで広がり始めていました。その中で西暦一世紀にインド北西のガンダーラ地方で仏陀や菩薩(修行中の仏陀)の塑像が作られ始めます。その地はかつてアレキサンドロス大王の大軍がインド世界に攻め入り、インダス河を前にしてそこから引き返した辺りに位置します。すなわち、ギリシャ彫刻の技術を持った人たちが残って定住していたとされています。距離の離れたこの地に定住していた彼らの間では仏陀の言葉そのもの重要性は薄れていたとされています。「法(教え)」よりも「戒(行動規範)」や「僧(僧侶)」が重要視されていたと考えられます。しかし、現実には同時期にカンガー(カンジス河)の支流ヤムナー河畔に位置するマトゥラ地方でも仏像の造形が始められていました。つまり、地理的な郷里や人種の違いよりも、時間の経過の方が釈尊本人の戒めを希釈していたと考えられます。

中央アジア経由の大乗とベンガル湾を渡ってセイロン島と東南アジアに伝えられた上座部(テーラワーダ)と、両方の流れに乗って多くの仏像、仏教美術が各国各地に伝えられて行きます。そんな中でも、仏教の教えを学ぶ人たちの中には仏足石の意味を理解して寺社内に安置し礼拝の対象とする僧侶も多くいたのでしょう。

ともかく、その後仏像彫刻が盛んとなり多くの信者を集めることになりました。しかし、やがてインドでは仏教は衰退していきます。バラモンの流れを汲む集団が仏教やジャイナ教の教えを一部取り入れてヒンドゥ教として復活させていったのです。たちまちに仏教は追いやられ、さらに十世紀頃からはイスラームの進出によりほとんど消えてしまいました。

 瑠璃光寺の資料によれば、日本最古の仏足石は天平勝宝六年(七五四)造の奈良薬師寺のもので、それ以降江戸期までの八百年はほとんど造られなかったとのことです。江戸時代の文化・文政頃から多く作られはじめ、明治大正昭和と今日まで全国に三百基の仏足石があるようです。

 仏足石の中央に彫り込まれた千幅輪(せんぷくりん)は、お釈迦様の印である法輪の八本の幅()を千本にしたものです。お釈迦様の足の裏にはこの千幅輪を中心に瑞祥七相の紋様があったと伝えられています。

一つの石に過ぎないこの置きもの、その形、そこに刻まれた紋様など、が一つの信仰の流れのある時の凍結した形であることが分かると興味を引かれるものがありました。

(歴山)


同盟国の不寛容、

2012-02-07 09:50:51 | 思想

   

 

                                                             Photo ( 比叡山延暦寺戒壇院 )

 

「慳貪と嫉妬の者餓鬼道に堕つ」

恵心(えしん)僧都の言葉とされる。すなわち、『往生要集』の著者源信である。平安時代天台教学を学び、宗派を超えて評価されている僧だ。「止観」すなわち禅を修めた人物である。

源信には有名なエピソードがある。若くして村上天皇により法華八講の御前講師の一人に選ばれるが、そのときの下賜の品々を郷里の母に送ったところ、その母は和歌を添えて品々を送り返してきたという。その和歌、

「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

 源信はこの歌に仏に仕える初心を思い起こし、栄達の道を捨てて横川にある比叡山恵心院にこもり、ひたすら念仏求道して過ごしたという。

「慳貪(けんどん)」とは、欲深いことである。また他人への思いやりのないことである。荒っぽいことである。また物惜しみすることである。

 

唯一の超大国を自他ともに認めていたアメリカはすでに過去のものとなった。それまでのアメリカは経済力第二位の日本を手下において、世界経済の半分を支配し軍事力を増大してきた。この間日本が収奪された富は計り知れないものがあるが、幸か不幸か日本国民も政治家も官僚もこのことに気がつかず、あるいは気付いていても「アメリカのやることなら仕方がない」との物分かりの良さで追求されることもほとんどなく済んできた

 

ところが経済力世界第二位の地位に中国が登場してきた。この国はなかなか思いのままには動かない。一位と二位の意見が分かれれば、どこかで妥協を余儀なくされる。厄介なことに中国は軍事力でも二位にのし上がってきた。防衛・外交の分野でも第二位が意のままにならなくなってきた。冷戦の終焉以降世界政治を一人で動かしてきたつもりのアメリガが初めて体験する事態が出来したのである。

 

在日米軍基地は、特に沖縄の基地は中国の標的にされる可能性が高い、ということでグアムやハワイへ移転するようであるが、従順な日本からまだまだ金が引き出せるから撤退を交渉のカードとして使いながら進めているように映る。移転に際して原状復帰費用は借り手が払うことは世間の常識であるが、これを踏み倒しするのみならず、移転分担金と称して立ち退き料を要求している。ヤクザの振舞い、というのが言いすぎなら街の与太者の行動と同じである。

 

欲深いだけではない。最近になって、日本で米国産の自動車が売れないことにいろいろと難癖をつけてきた。税率をさげろと要求して、税率は実質0%である、と応えると、今度は軽自動車の優遇制度が問題であるから廃止せよ、と言ってきた。欧州車は日本でなぜ売れているか、の分析もしない。相手国の道路事情、田舎の高齢化・過疎化、相手国の所得分布や家族構成の変化などを全く考慮しない、他人への思いやりに欠ける振る舞いである。ひとつひとつ数え上げればきりがない。

 

イランを経済制裁するとして、日本企業が交渉の末に多額の権利金を払って獲得した採掘権を放棄せよ、と命じて日本政府にそれを受け入れさせた。荒っぽいしわざである。それでも足りず、今度はイランとの原油取引を削減しろ、と要求を付けてきている。

同様の立場にあるインドはアメリカからの要求をきっぱりと断り、取引を継続し、さらにはイラン・インド間の原油取引決済をドル以外で行うことを決めたようだ。なぜインド政府にはできて日本政府にはできないのだろうか。

 

事ここに至って、自動車産業、機械産業、医療、資源エネルギー産業等にもアメリカのやり方に眉を顰める人たちが出てきている。これまでは農業団体や労働組合や市民団体が反対しても経済界はアメリカの言い分をほとんど受け容れてきた、今もアメリカの言い分をなんであれ是とするのは経団連の幹部くらいのものだろう。欧州においても、ドイツ、フランスを中心に、米国の独断にはつよく意見をするようになった。

筆者もアメリカとの友好関係は続けるのがよいと考える一人である。

日本は古来より「和」を尊しとする国である。むやみな武力紛争の後方支援をすることは、アメリカに「誤ったメッセージ」を送ることになる。現実に数十年に亘ってそのメッセージを送り続けてきたのが日本なのだ。

 

仏教の本質は「足るを知る」であり、「欲望を去る」ことにある。足るを知らず、欲望を抑制することのできない国家は「餓鬼道」に落ちないまでも、いずれ衰退していくことを教えるのも日本にしかできない役割である。

(歴山)

 


「ギリシャ 対 インド」論争

2011-11-25 20:44:19 | 思想

         (photo : ヘレニズム時代の遺構 Izmir, Turkey

 

前二世紀にヨーロッパ的考えとアジア的考えの対決、つまり東西文明の思想を代表するような論争がありました。いわゆる「ミリンダ王の問答」です。

場所は、現在のアフガニスタン(当時はバクトリア)からパキスタン北部(ガンダーラ地方)を経て北西インドまでを支配していた「インド・グリーク朝」、人物は国王ミリンダ(弥蘭陀)と、比丘ナーガセーナ(那先)です。

ミリンダはギリシャ名ミナンドロス、かのアレキサンドロス大王の東方遠征の後バクトリアの地に興ったギリシャ人国家がインドのマウリヤ朝の衰退に乗じて北西インドに進攻し成立した王朝の第八代目の、最もよく知られた王でした。

権力の絶頂にあったミリンダ王は富と知を兼ね備え、世の識者に出会うとこれに論争を挑んでは論破しておりました。王様に敵うものはいませんでした。

ところが仏教の長老ナーガセーナに出合い、論争を繰り返すことになりますがなかなか論破できません。この論争の中に、ヨーロッパ文明の源流とも云われるヘレニズム文化とインド文化との考え方の違いを見ることができます。

 

たとえばこんな具合です。

  

王「尊者よ、輪廻して再生するものは前世で死んだものと同じですか、異なるものですか」

長老「それは同じものでもなく、また、異なるものでもありません」

王「譬えを述べてください」

長老「例えば牛から絞られたミルクがしばらくすると発酵乳になり、発酵乳からチーズになり、チーズからバターになりますね。大王よ、そのとき〈ミルクは発酵乳と同じであり、チーズと同じであり、パターと同じである〉と語る人があるとすれば、その人は正しいことを語っているのでしょうか」

王「尊者よ、そうではありません。ミルクに依存して他のものが生じたのです」

長老「大王、それと同様に、法の継続性は整えられるのです。生じるもの(=再生するもの)と滅びるもの(=死んだもの)は別ではあるが、〔後のものは〕前のものではないように、〔前のものは〕後のものではないかのよう整えられるのです。こうして、それは、同じものでもなく異なるものでもないものとして、最後の意識に収められるに至るのです」

………… (この後も幾つかの比喩が述べられる。)

            (P37-38)(木村清孝「仏教の思想」放送大学 2005

 

この話は、原文はパーリ語経典にあるようですが後に漢訳経典『大蔵経』の「那先比丘経」に収められて「弥蘭陀王問経」として伝えられています。説一切有部の中の、自我(アートマン)をその担い手とすることによって説かれる輪廻の思想を説く経典に依る考えです。ナーガセーナは、執着を捨てない限り行為(業)が力となって死後も存続し、その新たな名色(名称と形態)による心身を獲得して輪廻し、生死を繰り返すと説いたのでした。

 ミリンダ王はこのように論争を繰り返すうちに仏教に帰依するようになり、ついには出家して阿羅漢(修行僧の最高位)に就いたのです。

 

昨今のニュースはEUの経済問題で埋められています。ギリシャ・ローマの流れを組むヨーロッパ文明はルネサンス、産業革命を経て世界に乗り出し、植民地を収奪して富を築きあげました。そこから新大陸に移住した人たちは思わぬ幸運に出あって、豊かな国を築きました。第一次大戦後はアメリカ合衆国が大国となり、ソ連邦の崩壊以降はやりたい放題をやってきました。

今年は欧州と米国の経済の衰退とそれによる政治の不安定化のニュースで締め括くられそうです。アジア諸国の経済連携や太平洋をまたぐ連繋の話しが出てきましたが、これらはためにするニュースのようにしか感じられません。

五百年近く世界を引っ張ってきたヨーロッパ文明、その根本のところの考え方が見直しを迫れているのは間違いないところでしょう。

(歴山)