よのなか研究所

多価値共存世界を考える

アセアン新興国への期待と懸念

2013-04-24 09:50:45 | 歴史

 

                       Photo (ホーチミン市を流れるサイゴン河、ヴェトナム)

先週、さる金情報会社の勉強会でアジア新興国の現状について講演を聞く機会がありました。新興国、というのは経済分野で新しく興りつつある国、ということであり、国家としてはいずれも長い歴史を有しています。中国の次の投資先と期待されたインドもなかなか日本企業が利益を出すには時間がかかりそうだ、というので再び東南アジアに目が向けられているのでしょうか。もともと1960年代から日本の製造業がいち早く海外進出したのがインドネシア、タイ、そしてマレーシア、シンガポールでした。

一口にASEAN 10(アセアン10カ国)と言っても国の大きさ、人口、人口密度も経済成長の度合いまで様々であり、平均値にはほとんど意味をなしません。人口だけを見ても、2億4千万人のインドネシアもあれば、数十万人のブルネイまで様々です。シンガポールのような小さな島嶼国家もあります。また、域内の言語・民俗・人種・生活文化・宗教信仰は複雑で説明するには時間を要します。

それでも、全体のボリュームとしては意味があります。EUや北米と並ぶ経済単位となる可能性を秘めています。多くの国で乗用車や電気製品、通信機器、日用雑貨の販売は好調のようです。ここ十年の経済成長率を見る限り、地域単位では最も高い成長率を示しています。筆者も1980年代からこれらの国々を見てきましたが、近年の街や村の変化には驚かされるばかりです。

当然のことながらリスク要因も多く抱えています。個々の国の経済規模は十分に大きくないため、自然現象の影響をまともに受けてしまいます。2011年に首都圏が洪水被害に見舞われてタイはとたんにマイナス成長に陥りました。比較的安定的に推移してきたマレーシアは現在建国以来のリーダーの交代期を控えて停滞していると言われています。日本企業が多く進出しているインドネシアは、経済成長に伴い外貨準備が低下し、貿易収支が悪化しています。国の政策によってインフレ、為替レートが変動する脆弱性が残っています。

そんな中で最近注目されているのがミャンマーとヴェトナムです。この二国は知られざる大国と言ってもよいでしょう。人口を見ると、ミャンマーが6,400万人、ヴェトナムが9,040万人と、国内市場の大きさを示しています。面積はミャンマーが67万平方キロ、ヴェトナムが33万平方キロで工場立地や流通拠点建設にも十分な広さがあります。

ミャンマーは長年の軍事政権から複数政党を認める政策へと転換し、ヴェトナムは共産党独裁を維持しながら民間企業の活動を活発化させる政策を進めています。両国とも農業生産は盛んで、食糧を自国内で賄い、かつ輸出しています。シンガポールとブルネイを除けばアセアン諸国は基本食糧を自給しています。

アセアンの諸国の中で今話題のTPP交渉に参加しているのはシンガポール、ブルネイ、ヴェトナムとマレーシアの四カ国です。地図を見れば一目諒然ですが、北米三カ国にANZ(豪州、ニュージーランド)に南米のチリ、ペルーにアジアからこれら四カ国が入っています。もともと、ブルネイとシンガポールがチリ、ニュージーランドと経済連携を検討し始めたのが「環太平洋」という大げさな表現になったものでした。

各国とも事情は複雑ですが、米国とカナダ、豪州とニュージーランドは「カズン・ブラザーズ」と呼び合う間柄であり、グループを作ることは予想されるところです。豪州のアデレードやメルボルンではインド人や中国人の留学生や移住労働者が暴力被害に遭うことがたびたび伝えられています。勤勉で社会的地位を上げていく外国人を排斥する動きが見られます。

もともとASEAN+3、つまり、アセアン10カ国に日本、中国、韓国の三カ国が連携する構想がありましたが、どうしたことか実現しませんでした。

わが国の長期的な安定と繁栄のためにアジアの国々との協調を他に優先されるべきと感じるものです。

(歴山)


対中と対米と対インド、

2013-02-12 10:36:25 | 歴史

                                 Photo ( 五つ星ホテルは宮殿風、ベンガルール、インド )

 対中国問題が熱を帯びてきて、これに不安を覚える日本政府と一部政治家は日米同盟深化(深刻化?)とともにインドとの連携、などと唱えているようだ。この政治家群はこの機に武器輸出規制を緩和することで兵器産業を起こし、並行して集団的自衛権の承認を国会に迫る動きを見せている。

そんな中、マスコミの論調の中にも、「日印で中国を封じ込めよ」などと主張する評論家やコメンテータがみられたが、このところ鳴りをひそめているようだ。外交関係者や政治家がインド側に働きかけてもなんら期待する返答が得られないからである。それでもオピニオン雑誌とネット言論ではいまだインドを巻き込んで中国との駆け引きを有利に導く、との主張をするものが見られる。筋違いの言説であるのだが。

言うまでもなく、インドという国は核保有国である。またヒンドゥ教徒が八割、ムスリム(イスラーム信徒)が一割強の国である。インドネシア、パキスタン、バンクラデシュに次いで世界四位のイスラーム人口を誇る国でもある。

インドは1998年5月11日、13日に計五回の核実験を行った。すると、二週間後の28日、30日にパキスタンが計三回の核実験を行った。両国は事実上の核保有国となった。ともに核に関するデータは充分に取得したと伝えられる。

この時、両国に対し強い経済制裁を行ったのがアメリカと日本だった。当時インドとパキスタンはNPT核不拡散条約にもCTBT包括的核実験禁止にも加盟していなかったから、国際的な制限が課せられることはなかったのである。他に制裁に加わった国はあったが、それらは微々たるものだった。インドもパキスタンも日本が強い経済制裁に出たことに失望した。

2001年に同時多発テロが起こるとアメリカはパキスタンの協力を得るためにパキスタンへの制裁を解除した。同時にインドに対する制裁も解除せざるを得なかった。日本政府はこれに追随して同様に解除したのだが、ソフトウェア産業を中心に急成長するインドの経済力無視できなくなっていた点も見逃せない。つまり、まったくのその場しのぎたったのである。

インド政府は核実験の強行を非難されると次のように自己弁護した。つまり、「だれが核を保有する国と、保有してはならない国を決める権利があるのか」と問うのである。原則論をかざして一歩も引くところがない。世を覆う「現状肯定」の風潮に与せず、長いものに巻かれない、のが政治も経済もインドの基本的態度である。

 2012年6月には相模湾で日印海上共同軍事演習行われた。あいにくの暴風雨ではあったが、それなりの成果があったと報道された。一部の識者やジャーナリストは、これで日印間の連携が強化された、と記事にした。相模湾での演習の後、インドの艦隊は中国を親善訪問している。これは日本の報道ではごく小さな記事になったのみで知る人はほとんどいない。

インドという国は特定の国と過度に付き合うこと避ける傾向がある。長年ソ連(現ロシア)と友好関係にあってことは事実だが、欧米先進国ともAA(アジア・アフリカ))諸国とも友好的に付き合ってきた。現在それら諸国で働くインド人の数も多い。日本も友好的な国の一つに過ぎない。むろん、タゴールと岡倉天心の交流、日露戦争後のインド人青年たちの日本への渡航、大戦時のチャンドラボース、パール判事、戦後のネルー首相の訪日と上野動物園へのゾウの贈呈など、特別な関係も多々ある。日本の最大のODA供出国でもある。しかし、外交の場では「ワンノブゼム」の扱いであることは否めない。

アメリカは日本に軍隊を置いているが、中国とも戦略的互恵関係を謳っており、日本人が受け止めているほど日本に好意的ということではない。G2ということばも定着しつつある。アメリカ人は本能的に中国人が好きであり、先の大戦も日本が大陸に進軍したことからアメリカが参戦した、との見解もなり立つのである。現今のアメリカ国内も複雑で有り、特にオバマ大統領はこれまでの枠組みを基本から組み直か考えが見てとれる。不可能と思われた国民皆保険に取り組み、二期目に入って銃器規制を手始めに国防費の大幅削減に手をつけて議論となっているのは報道に見る通りである。すなわち、日本が期待するインドは御しがたい国であり、また、頼りにしているアメリカも徐々にその基本政策を変えつつある中にわれわれは生きているのである。

インドは外交上手であり、どの国に対しても外交的礼儀を以て対応している。パキスタンとの間でも常設の話し合いの場を持っている。中国とは経済的関係が強まっており、国境問題を棚上げして共存していくと方針と考えられる。

(歴山)


「国家に真の友人はいない」

2013-01-09 22:09:40 | 歴史

                                                                            Photo ( 江南の運河地帯、中国 )

1958年版外交白書に「国連中心主義」という用語が登場し、それ以降長く国内言論界で幅を利かしていたかに見えた。遡れば1957年2月、国会での施政方針演説でこれを説いたのが岸首相である。岸は「わが国は国際連合を中心として世界平和と繁栄に貢献することを、外交の基本方針とする」と述べ、この基本方針は「自由主義諸国との協調」及び「アジアの一員としての立場の堅持」と並んで日本の外交三原則とされた。

その前年に悲願の国連復帰を果たした日本の国民にとって、「国連」という言葉は明るい未来を約束するような響きがあった。だが、文言を良く読むと、安保条約の改定を目指す岸政権の国民に向けての「耳に入りやすい」政策用語であったと理解する向きもある。他方に、岸は本質的にはアジア主義者であった、との見解もある。

それはともかく、マスコミではその後も長く我が国の外交の要諦は国連中心政策である、と報じられたが、それは米ソ対立の冷戦構造が国内にも近隣諸国にも色濃い中でバランスを取るために使われていた一面があった。その後、「国連中心主義」と「日米安保」が我が国外交の両輪である、といった使われ方をしていた時期もあった。「国連中心主義」の用語がほとんど聞かれなくなったのは、ソビエト崩壊による冷戦構造の終結以後のことである。実は、この時が「日米安保」解消についての協議をはじめるタイミングでもあったのだが、長く続いた自民党政権下でこれを言い出す閣僚も議員も既にいなかったわけである。

これに並行して進められていたのが、原子力政策であった。1968年、「日米原子力協定」が締結され、そこでは日本国内に「プルトニウム及びウラン233並びに高濃縮ウラン」の保存が義務付けられた。協定の付属書には「六ヶ所」、「大間」、「もんじゅ」の文言が登場する。米ソはそれまで数万頭ある、と言われた核弾頭を相互に削減することになるが、それでも現在五千から一万発を保有していると推測されている。核弾頭は長期保存に適せず、劣化に伴い定期的に核燃料を交換し続けなければならない。そのためには安全な、適切な保存施設を必要とする。考えようによっては、米国が使用済み核燃料の再処理・プルトニウム抽出を日本にのみ認めた、という考えも成り立つ。日本が米国にとって抜き差しならない関係になっていることは、2012年8月のアーミテージ元国務長官ら知日派と称する人たちに寄る対日政策提言で「日本が原発から撤退することは同盟関係にとって大きな損害である」と警告?していることでもわかる。アメリカも複雑な国で、議会にも政府内部にも日本よりも中国により重きを置く人たちがある。アーミテージらの警告も、国内向けに発せられた感もある。

 

 さて、安倍内閣である。明快な、単純な言葉で政策を指し示し、滑り出しは上々のようである。株価も上がり、邦貨円の対外レートは下がり、経済界・財界からも好意的な意見が目立つ。首相の言葉には「自主憲法」を制定し、自衛隊を「国防軍」へと変革し、「集団的自衛権」を行使する国にする、との内容が含まれている。自主憲法の内容のすべては不明だが、仄聞するに米国との間の従来の距離感から少し離れる、と受け止められても仕方がない印象を受ける。とすると、米国は六十七年間、事実上のProtectorate(保護国)、あるいは濃度を薄めた Trusteeship(信託統治国) と見なしてきた国の変化をそのまま見過ごすであろうか。すでに、米国の財政状態がこのような小事にかまっておれないほど悪化しているのだろうか。「尖閣問題」についても、外交交渉により平和的に解決することを望む、との発言がクリントン国務長官はじめ米政権内から相次いで聞こえている。はっきり言って、中国のほうが大事なのである。日本の政権内には米国の内政・外交・財政に明るい人たちが多数いるであろうから、このレベルまでは大丈夫、と読んで政策を進めているものと推測する。そうでなければ、この首相はまたもや「暗愚の首相」の名称を贈られて葬られることになりかねない。

-― 国家に真の友人はいない -― はフランス大統領であったドゴール将軍のことばと伝えられる。また、同時代のチャーチル英首相は「全ての外国は仮想敵国である」と語ったそうだ。歴史上の偉人の文言を引用して文章を飾るのは気が引けるが、二つの文言ともかなり古い時代から東西にて使われていたようである。いわば「よみ人しらず」のようなものである。それゆえ、かなり真理に近い文言であり、現代人が適宜引用することは許されると思う。

一人ひとりの人間は複雑であるが、国家も同様に複雑である。

<歴山>

 


イスラムとカソリックの共存 in ミンダナオ島

2012-10-17 22:23:35 | 歴史

         Photo  (朝食準備中の屋外食堂街、バンコク)

フィリピンのミンダナオ島の南部にイスラム自治政府の発足を目指す和平への「枠組み」作りにフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)とが合意し、合意文書に署名したと報じられた(朝日ほか、10月16日)。合意では、現在のミンダナオ・イスラム自治区を廃止し、イスラム系住人が広範な権限を持つ自治政府を2016年に発足させることになっている。キリスト教が主流の国家の中にイスラム自治政府が登場すれば、文明共存の新しい扉が開かれることになるかも知れない。

この国は多くの島からなっている。北からルソン島、ビサヤス諸島、そしてミンダナオ島である。島の数は七千ともいわれる。ミンダナオ島南西のサンボアンガ半島の先にスル―諸島が続きボルネオ島とは一衣帯水の距離にある。海洋交易と共に伝わったイスラムがこの島に伝わったのは自然の成り行きである。それは、ミンダナオ島が中国と東南アジアの交易の中継点となり、中国商人たちが北から、マレー商人たちが南からやってくるなかで、マレー系のムスリム(イスラム信徒)たちが14世紀の後半にもたらしたとされている。地図を見るとフィリピン全土、つまりルソン島がイスラム化しなかったことがむしろ不思議に思えてくるのである。

日本人にとっては、ルソンといえば秀吉の時代に豪商として名を馳せた呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)を連想するなど、ルソン島までは台湾の南に位置するとの感覚があるが、ミンダナオ島まではなかなか思いが回らない。南海の奥まったところにある島というイメージであり、筆者もルソン島までは行ってもミンダナオ島へは渡ったことがない。長らく渡航地域として制限されていたことによるが、マニラの下街の宿泊先周辺に銃器を持った男が多くたむろしていたことにもよる。

しかし、その昔この島のダバオはマニラ麻の一大集散地であり多くの日本人がいた。二十世紀の初めにルソン島のバギオに至る道路建設に数千人の日本人が厳しい労働に従事したのちにその多くがミンダナオへ移住したといわれている。ダバオには日本人経営の農園と工場が多くの日本人を雇用し、戦争前には民間人二万人が居住しており、日本軍もここを重要拠点の一つとしていた。マッカーサー大将率いる連合国軍は、すでにルソン島を制圧して北へ向かう所、この島で徹底的な掃討作戦を展開し、日本人の多くは死亡した。戦史に「ミンダナオの戦い」として記録されている。マッカーサーはフィリピン制圧の功で日本占領の際の総司令官の地位を得た、とされる。彼の親の代からフィリピン支配階層との結びつきがあったことは良く知られている。

ミンダナオ島には、デルモンテ社のパイナップル工場、ドール社のバナナ工場があり、世界に輸出している。しかし、商品作物、単一作物の農園が広がる一帯では、農民は自分たちの食糧を自給することができず、工場労働者となって賃金を得て米も小麦も芋もスーパーマーケットで買うことになった。決して生活が豊かになったわけではない。このような社会状況が、MILFが民衆の中に溶け込んで活動してきた背景となっていた。

今回の「和平構築合意」を双方が順守し、自治政府が成立することになれば、フィリピンのみならず地域の安定に貢献することになるが、まだまだ容易ではないと思われる。

フィリピン政府は1991年の冷戦終結を機に駐留米軍を撤退させた。1992年までにクラーク空軍基地、スーピック海軍基地を閉鎖して産業特区、住宅街開発、観光施設として再開発を進めているが、「中国の脅威」を理由に、一部を基地として復活し、期限付きの米軍の使用を認めている。ミンダナオにはフィリピン軍と米特殊部隊が訓練を行なっているがこの先どうなるか予測がつかないものがある。。

同じ島国として、フィリピンの真の自立自尊を祈念したい。

(歴山)


むかし「三国同盟」、今「日米同盟」、そして次は、

2012-09-26 17:00:38 | 歴史

 

                        Photo (構想から約半世紀、着工から16年を経て竣工した国会議事堂 )

 世の中移り変わりが激しいですね。つい先年まで世界の経済を牽引すると報じられていた中国経済は減速し始めた、とか、同様にインド経済も頭打ちだ、とか言われはじめました。次の投資先はヴィェトナムだ、カンボジアだ、という識者のコメントが紙面に掲載され、テレビの画面から聞こえてきます。

友好国と固く信じてきた台湾の漁船団と警備艇が尖閣へやってきて海上保安庁の警備艇と水掛け合戦を繰り広げました。火器を使わず水で応戦、これこそ「冷戦」ですかね。

アメリカでは大統領選挙が迫ってきてにぎやかですが、「小さな政府」を唯一の売り物としている感のある共和党候補は、他方で中東での戦線の維持拡大を唱えていますから、「小さな政府・大きな軍隊」の代表選手のように見えます。支持団体の一つである「ティー・パーティ」は「無駄な海外派兵は停止せよ」と主張しているようですね。すなわち、兵力は温存するが、国内に留めて出費を抑える、というわけです。大統領予備選を戦ったロン・ポール上院議員は最後まで「米軍の海外基地の撤収」を主要な政策に掲げてきました。

現今の日本では、「急速に軍備増強を続ける」中国を対処すために、軍備の増強は急務だ、とのマスコミ論調が目立っています。そこで、そのためにも日米同盟のさらなる強化が必要だ、続きます。そんな中、野党自民党の新総裁には、「海兵隊を創設する」、「核兵器の保有は当然の権利」などと主張した候補が就任するようです。もっとも他の候補者たちも大同小異であったようですが。彼らは、かつて日本がドイツ、イタリアと同盟を結んでいたこと、そして結果どうなったのか、ということを学ぶ機会がなかったのでしょうかね。

当時のナチスドイツは、日本と軍事同盟を結びつつ、他方で仮想敵国としての日本への作戦研究も怠っていなかったのです。自立し存続し続ける国家としては当然のことです。現在のアメリカもまったく同様に日本を仮想敵国として対応を常に考えています。アメリカは世界の全ての国を仮想敵国として、それぞれに作戦を作り常時更新しているのですからご苦労なことです。イギリスもアメリカと同盟関係にありますが、仮想敵国アメリカへの対応を対応する部署があり、人員が配置されています。国際政治の冷酷な一面です。

このことは国際政治を学ぶ者には常識ですが、報道機関の編集責任者たちが紙面で、画面であえて語ることはありません。

日米同盟の維持強化という点でては、民主党政権の現首相も同じです。本来なら、国の将来を考える政治家であれば、「あらゆる可能性を排除しない」思考を展開すべきです。しかし、将来の「米軍の日本からの撤収」、あるいは「日米安保の廃棄の可能性」という問題については<思考停止>状態にある、といってよいでしょう。頭に浮かんでも、そこから先を考えることをしない、ということが党派として、一政治家として固定してしまったとしたら、それは「脳波の停止」と同じです。さすがに、このさき二十年も三十年も巨大な外国軍隊を日本の国土に置いたままでよいと考える政治家は少ないと思われます。しかし、何時、どのように、といいう所までは考えが浮かばないのでしょう。

現実の国際政治を考えれば、米中関係が今後どのように進展するかは予断を許さないものがあります。何年後かには外交面でも連携しているかもしれません。日・米は長い付き合いがありますから、友好関係は維持するのがよいでしょう。しかし何時まで米軍がいるつもりなのか、あるいはいつ撤退をはじめるのか、は全く予測がつきません。いかなる場合にも国家を維持できる体制を構築しておくのが独立国としての基本です。「こういうことは起り得ない」、「あの国は助けてくれるだろう」などという考えをもつ国は独立国とはいえません。「最悪に備え、最善を尽くす」のがリスク・マネジメントの基本です。

次の総選挙で自民党が勝ったりして、自衛隊の「国防軍」化が実現し、海兵隊が作られ、核兵器の保有へと進む、などということになれば、その時米国は対日政策を大きく転換することが考えられます。米軍の方から日本の基地から部分的撤収を言いだすことも考えられないわけではありません。これから先十年の東アジアの、南アジアの動きは急展開の兆しがあります。経済環境も大きく変わっていくことは間違いありません。

もし、アメリカが日本から軍を退出することになるなら、日本国内で基地として使用していた土地の「原状復帰」は責任をもってやってもらいたいものです。さて、その時、「日米同盟」のあとにくるのはなんでしょうか、「非同盟」でしょうかね。案外日本が「非同盟諸国会議」の議長国になっている、かもしれませんね。

 (歴山)