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遊爺雑記帳

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中国の外交担当高官がまた「失踪」、今度は劉建超が拘束?英米派にして知日派、習近平に排除されたか

2025-08-21 01:23:36 | 中国 全般
 ウォールストリート・ジャーナルの特ダネ(8月9日)で中聯部長(党中央対外聯絡=連絡=部、党中央の外交管轄トップ)の劉建超が7月末に拘束された、と報道された。間もなく、今度はロイターが中聯部副部長の孫海燕も拘束された、と報じた。
 孫海燕のロイターの報道は、誤報ということになるが、劉建超はまだ「失踪」状態が続いている。
 劉建超はどういう理由で失脚したのか。それが中国の外交にどのような影響を与えるのかと、福島 香織さん。
 
中国の外交担当高官がまた「失踪」、今度は劉建超が拘束?英米派にして知日派、習近平に排除されたか | JBpress (ジェイビープレス) 福島 香織 2025.8.20(水)

 ウォールストリート・ジャーナルの特ダネ(8月9日)で中聯部長(党中央対外聯絡=連絡=部、党中央の外交管轄トップ)の劉建超が7月末に拘束された、と報道された間もなく、今度はロイターが中聯部副部長の孫海燕も拘束された、と報じた

 
孫海燕は15日に、北京で開かれたインド独立記念日のレセプションに出席したことが確認されており、ロイターの報道は一応、誤報ということになるが、劉建超はまだ「失踪」状態が続いている

 秦剛が2023年夏に外相を解任されて以降、中国外交当局内部で権力闘争が生じているという噂が絶えないが、だとしたら
劉建超はどういう理由で失脚したのか。あるいは復活しうるのか。それが中国の外交にどのような影響を与えるのか

 劉建超は私が北京駐在の記者時代、外交部で最も英語がうまいと評判の若手外交部報道官だった。当時の外交部と外国メディア記者は今と違って、比較的良好な関係を保っており、プレスツアーや会食などを通じて、多少の交流もあった。私の印象としては、
劉建超はイギリス英語を操り、紳士的で人当たりもよく、報道官時代の定例記者会見の応答もユーモアがあった人物。欧米人記者たちからも人気があった

 
たとえば、2008年12月18日、ブッシュ米大統領(当時)がイラク訪問中の記者会見でイラク人記者から靴を投げつけられた事件についての質問が出た時、外交部として用意されていた想定問答の回答に加えて、「私としては、国家指導者に対しては最低限の敬意を払うべきだと思う。

 また、
記者会見で誰が手を挙げて質問しているのか見るだけでなく、誰が靴紐をほどいているのか、私も気を配るべきだと気付かされたと語ったのは、欧米記者たちにおおいにうけていた

 また
2006年のハノイAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議の時、劉建超は胡錦涛・プーチン会談についてのブリーフィングが見事であった会談開始時間がCCTVのニュース番組「新聞聯播」の放送開始30分前というぎりぎりであったが臨機応変に会談途中で出せる情報を即座に吟味し、まるで米国の報道官なみのスピードでブリーフィングしていった

 北京の締め切り時間は日本メディアの締め切り時間でもあり、日本の記者たちはこの対応に感動したものだった。

■習近平のお気に入りだったが…

 
彼は実は知日派でもある学生時代の1984年、日本人青年3000人訪中交流に中国側の接待役として参加している。また1999年の中国百人青年訪日団メンバーとして徳島県の農家に4週間ホームステイした経験もあり、それを良き思い出として後に語っている

 劉建超の略歴を簡単にいうと、1964年吉林省生まれの61歳。北京外語大学を卒業後、1986年に英オックスフォード大学に留学し国際関係学を学んだのち、87年に外交部入りして翻訳室からキャリアをスタート。いったん遼寧省興城市副書記に転出したのは、それだけ党として丁寧に育成しようとしたからだろう。

 2002年から出世コースの外交部新聞司(報道局)の報道官に38歳の若さでなった。当時、歴代で最も若い報道官と評判だった。06年には報道局長。その後、フィリピン大使、インドネシア大使を歴任。習近平政権になった2013年に外交部長助理として王毅外交部長につかえた。

 2015年1月、秦剛が外交部報道局長から礼賓局長に異動になったので2回目の報道局長を3カ月間兼務したのち、中央規律検査委員会国際協力局長、国家腐敗予防局副局長に抜擢され、いわゆる「キツネ狩り」(海外逃亡の汚職官僚を追跡逮捕する政策)の責任者に任命された。

 容疑者の引き渡しなどに関わる外国政府との交渉を、外交部での経験と人脈を活かしてこなした。2017年初めまでに100人の指名手配犯のうち51人の身柄を中国に返還させている。

 2017年には習近平の古巣である浙江省書記兼浙江省監察委員会主任となり、この時点で劉建超は習近平に信頼され、新たに之江新軍(習近平派浙江閥)のメンバーとなった、とも言われていた。2022年に党中央外事工作委員会弁公室副主任(閣僚級)に昇進、同年6月に中央対外聯絡部長(中聯部長)となった。

 国務院外交部が政府の外交を担うならば、党中央の外交を担うのが中聯部長だ。外交部長が西側諸国の外相をカウンターパートとするなら、中聯部は社会主義国家との外交や政党外交を担当する。

 西側国家との外交実務は外交部長が重要だが、中国においては党中央と政府が表裏一体という共産党独裁体制のロジックでいえば、中聯部長の方が格式においては上だろう。

 2022年、58歳の劉建超が中聯部長、同年暮に56歳の秦剛が外相となった。当時、楊潔篪が党の外交政策全般の責任者である党中央外事弁公室主任で、王毅が外交担当国務委員になった。2023年1月には楊潔篪に代わって王毅が党中央外事弁公室主任となった。

 劉建超と秦剛は外交部内でも目を見張るスピード出世で、彼らの出世を後押ししたのは楊潔篪だと言われている。ちなみに知日派・アジア派の王毅は、英米派の楊潔篪から見れば外交部主流派ではないと見なされ、王毅はずいぶんと嫌がらせを受けたと言われている。

 ただ、劉建超は、知日派外交官の代名詞的存在でもあった唐家璇からも可愛がられていた。そういう意味では王毅の弟分的な立場でもある。
 
 つまり
習近平に気に入られ、外交においても反腐敗キャンペーンにおいても数々の功績をあげ、英米派にして知日派のオールマイティな外交官の劉建超が失脚する理由が、ちょっと想像つかないのである

■王毅外相の対米戦狼外交とは真逆の姿勢

 
一般に中聯部長は社会主義国家や政党間外交を担当するが、劉建超は対米外交などでも活躍している2024年1月、珍しく中聯部長の立場で訪米し、ワシントンとニューヨークで米中関係における安定の必要性を説き、その魅力的なスピーチで称賛を得た。劉建超は、中国企業への投資リスクや、欧米企業に対する中国の取り締まりなど、中国の政策に対する懸念に真摯に耳を傾け、それに外交官として応えようとする姿勢を見せていたという。

 この米国訪問で、劉建超はアジアソサエティなどの米国シンクタンクや、ブラックストーンCEOスティーブン・シュワルツマンやブリッジウォーター・アソシエイツ創業者のレイ・ダリオら投資家、当時の国務長官アントニー・ブリンケンらバイデン政権関係者と意見交換していた。この時、中国側の官僚たちが、劉建超を次期外交部長、とブリンケンたちに紹介していたという話もある。

 
ひょっとすると、この訪米が劉建超失脚の遠因になったのではないか、という見方もあるたとえば、正式に発表されていない人事を勝手に米国官僚側に漏らしたことに因縁をつけられたのかもしれない。あるいは米国の政財界人たちが感激した劉建超のスピーチ内容が、習近平の思惑と違った可能性もある

 というのも
王毅外相は対米戦狼外交姿勢を維持しており、これは劉建超のスピーチ内容と真逆の立場なのだ。劉建超は今年7月3日に清華大学で行われた世界平和フォーラムでスピーチし、「中米開戦はありえない」と強調その後、シンガポール、南アフリカ、アルジェリアの外遊から帰国したとたん、当局に連行された、という。
 
 今、
劉建超が拘束された理由として3つの見方がある

 
一つは、外交部内の権力闘争、つまり王毅派(戦狼外交派)が劉建超派(対米融和派、台湾武力統一反対派)の台頭を妨害しようとしているという見方もう一つは、習近平が外交部エリートたちに対する忠誠心を疑い始めているという見方だ。

 
劉建超の欧米人受けする流暢な英語やウィット、当意即妙の受け答えが、米国に宥和的すぎて、習近平にしてみれば裏切り行為、スパイを疑うきっかけになったかもしれない。劉建超の息子が米国留学中という噂もある。

 
3つ目は習近平の反腐敗キャンペーン・狐狩り計画の責任者だった劉建超自身が、中国の政財界人の資産の海外移転を手伝っていたのではないか、という噂だ

 
一説によると、劉建超は狐狩り計画の中で、米ウェルズ・ファーゴの華人幹部・茅晨月と昵懇(じっこん)になり、その関係を通じて中国の企業家や官僚の資産を米国に移転する手伝いをしていた、という話がある。それが習近平からみれば違法な資金洗浄、違法な中国資金の米国への移動と受け取られたのではないか、という。

 裏取りはできていないが
携帯電話メーカー大手・小米(シャオミ)の総裁である雷軍は50億ドルをこの方法で米国に資金を移動していたという噂もある。米国籍の茅晨月は7月中旬から中国当局に拘留され調査に協力中であることは確認されている。

 
3つ目の理由が今のところ一番注目されている。というのも目下、ネットでトレンドとなっている楊蘭蘭事件とも関係があるという噂が流れているからだ。

■外交の路線対立が背景か

 
楊蘭蘭事件は、簡単にいえば弱冠23歳、なぞの大富豪華人女性・楊蘭蘭が運転していたロールス・ロイス・カリナンが7月27日未明、オーストラリアの高級住宅街ローズベイ郊外の道路を逆走し、メルセデス・ベンツと正面衝突し相手運転手に瀕死の大けがを負わせた事故事件だ。

 
女性は酒気帯びだったらしいが、警察の酒気帯び検査を拒否し、すぐに保釈され、15日に行われた初公判でも直接出頭せず、3人の弁護士が法廷で対応した。本人はネットで法廷とつながっただけで、ほとんど発言はしなかった。

 
明らかにただ者ではないネット世論はこの女性が楊尚昆のひ孫娘だとか、習近平の姪っ子だとか、とにかく中国共産党指導部の重要人物の家族だから、このような特別待遇を受けているのだ、と噂しあい、中国指導部への不信感を増幅させている

 この楊蘭蘭は国籍も明らかにされておらず、身元不詳。SNSのアカウントもない。彼女の乗っていたロールス・ロイス・カリナンはパナマに登記されているペーパーカンパニーの名義になっている。
この楊蘭蘭も茅晨月を通じて、資産を海外に移転したという噂がある

 ただ、劉建超を少し弁護しておくと、劉建超の立場で、米国金融機関の華人幹部と昵懇になることは、中国浸透工作の一環として通常の任務で、たとえば小米など中国企業のCEOとウェルズ・ファーゴの華人幹部を取り持つこと自体はおかしなことではない。まだ中聯部の公式サイトで劉建超の名前が消されていないということは、劉建超の拘束も正式逮捕ではなく、ひょっとすると無罪放免で終わるかもしれない。

 だが、
もしそこに王毅vs劉建超、戦狼外交vs穏健外交に象徴される中国外交路線をめぐる対立があれば、習近平の外交路線に対する思惑が劉建超の運命を決定する劉建超を有罪とするか、いや、たとえ復活しても、劉建超が忠実な戦狼路線の外交官になるかもしれない

 
そうなれば今後の中国外交がより厳しい試練を迎えることは確かだ秦剛に続いて優秀なリアリストで英米通の外交官は今の中国でほとんど消えてしまった西側先進国と中国の対立激化を回避できる人材は、もう中国にいなくなる

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福島 香織(ふくしま・かおり):ジャーナリスト
 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。

 劉建超は福島さんが北京駐在の記者時代、外交部で最も英語がうまいと評判の若手外交部報道官だったのだそうで、イギリス英語を操り、紳士的で人当たりもよく、報道官時代の定例記者会見の応答もユーモアがあった人物。欧米人記者たちからも人気があったのだそうです。

 たとえば、2008年12月18日、ブッシュ米大統領(当時)がイラク訪問中の記者会見でイラク人記者から靴を投げつけられた事件についての質問が出た時、外交部として用意されていた想定問答の回答に加えて、「私としては、国家指導者に対しては最低限の敬意を払うべきだと思う。
 また、記者会見で誰が手を挙げて質問しているのか見るだけでなく、誰が靴紐をほどいているのか、私も気を配るべきだと気付かされた」と語ったのは、欧米記者たちにおおいにうけていたと、福島さん。

 また2006年のハノイAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議の時、劉建超は胡錦涛・プーチン会談についてのブリーフィングが見事であった。会談開始時間がCCTVのニュース番組「新聞聯播」の放送開始30分前というぎりぎりであったが、臨機応変に会談途中で出せる情報を即座に吟味し、まるで米国の報道官なみのスピードでブリーフィングしていったのだそうです。

 彼は実は知日派でもある。学生時代の1984年、日本人青年3000人訪中交流に中国側の接待役として参加している。また1999年の中国百人青年訪日団メンバーとして徳島県の農家に4週間ホームステイした経験もあり、それを良き思い出として後に語っていると、福島さん。

 習近平に気に入られ、外交においても反腐敗キャンペーンにおいても数々の功績をあげ、英米派にして知日派のオールマイティな外交官の劉建超が失脚する理由が、ちょっと想像つかないと、福島さん。

 一般に中聯部長は社会主義国家や政党間外交を担当するが、劉建超は対米外交などでも活躍している。2024年1月、珍しく中聯部長の立場で訪米し、ワシントンとニューヨークで米中関係における安定の必要性を説き、その魅力的なスピーチで称賛を得たのだそうです。

 ひょっとすると、この訪米が劉建超失脚の遠因になったのではないか、という見方もある。たとえば、正式に発表されていない人事を勝手に米国官僚側に漏らしたことに因縁をつけられたのかもしれない。あるいは米国の政財界人たちが感激した劉建超のスピーチ内容が、習近平の思惑と違った可能性もある。

 というのも王毅外相は対米戦狼外交姿勢を維持しており、これは劉建超のスピーチ内容と真逆の立場なのだ。劉建超は今年7月3日に清華大学で行われた世界平和フォーラムでスピーチし、「中米開戦はありえない」と強調。その後、シンガポール、南アフリカ、アルジェリアの外遊から帰国したとたん、当局に連行された、という。

 今、劉建超が拘束された理由として3つの見方があると、福島さん。

 一つは、外交部内の権力闘争、つまり王毅派(戦狼外交派)が劉建超派(対米融和派、台湾武力統一反対派)の台頭を妨害しようとしているという見方。もう一つは、習近平が外交部エリートたちに対する忠誠心を疑い始めているという見方だと。
 劉建超の欧米人受けする流暢な英語やウィット、当意即妙の受け答えが、米国に宥和的すぎて、習近平にしてみれば裏切り行為、スパイを疑うきっかけになったかもしれない。劉建超の息子が米国留学中という噂もあると、福島さん。

 3つ目は習近平の反腐敗キャンペーン・狐狩り計画の責任者だった劉建超自身が、中国の政財界人の資産の海外移転を手伝っていたのではないか、という噂だと。

 一説によると、劉建超は狐狩り計画の中で、米ウェルズ・ファーゴの華人幹部・茅晨月と昵懇(じっこん)になり、その関係を通じて中国の企業家や官僚の資産を米国に移転する手伝いをしていた、という話がある。それが習近平からみれば違法な資金洗浄、違法な中国資金の米国への移動と受け取られたのではないかと。

 3つ目の理由が今のところ一番注目されている。というのも目下、ネットでトレンドとなっている楊蘭蘭事件とも関係があるという噂が流れているからだと、福島さん。

 楊蘭蘭事件は、簡単にいえば弱冠23歳、なぞの大富豪華人女性・楊蘭蘭が運転していたロールス・ロイス・カリナンが7月27日未明、オーストラリアの高級住宅街ローズベイ郊外の道路を逆走し、メルセデス・ベンツと正面衝突し相手運転手に瀕死の大けがを負わせた事故事件だ。
 女性は酒気帯びだったらしいが、警察の酒気帯び検査を拒否し、すぐに保釈され、15日に行われた初公判でも直接出頭せず、3人の弁護士が法廷で対応した。本人はネットで法廷とつながっただけで、ほとんど発言はしなかったのだそうです。

 明らかにただ者ではない。ネット世論はこの女性が楊尚昆のひ孫娘だとか、習近平の姪っ子だとか、とにかく中国共産党指導部の重要人物の家族だから、このような特別待遇を受けているのだ、と噂しあい、中国指導部への不信感を増幅させていると、福島さん。

 まだ中聯部の公式サイトで劉建超の名前が消されていないということは、劉建超の拘束も正式逮捕ではなく、ひょっとすると無罪放免で終わるかもしれない。

 だが、もしそこに王毅vs劉建超、戦狼外交vs穏健外交に象徴される中国外交路線をめぐる対立があれば、習近平の外交路線に対する思惑が劉建超の運命を決定する。劉建超を有罪とするか、いや、たとえ復活しても、劉建超が忠実な戦狼路線の外交官になるかもしれないと、福島さん。

 そうなれば今後の中国外交がより厳しい試練を迎えることは確かだ。秦剛に続いて優秀なリアリストで英米通の外交官は今の中国でほとんど消えてしまった。西側先進国と中国の対立激化を回避できる人材は、もう中国にいなくなると、福島さん。



 # 冒頭の画像は、拘束されたと報じられた中聯部長(党中央対外連絡部、党中央の外交管轄トップ)の劉建超氏。


  この花の名前は、ブーゲンベリア


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