遊爺雑記帳

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崩壊すると言われながら崩壊しなかった中国経済がついに崩壊し始めた

2019-02-20 01:21:42 | 中国 全般
 崩壊すると言われながら長い間崩壊しなかった中国経済がついに崩壊し始めたと説くのは、東京大学准教授の川島博之氏。
 中国の経済発展と日本の発展はよく似ている。なので、中国が今後どのような道を歩むかを考える上で、日本のバブル崩壊後の歴史が大いに参考になると。
 
バブル崩壊後の日本がマシに見える中国のこれから 政治体制はそのまま、悲惨なディストピア時代へ | JBpress(日本ビジネスプレス) 2019.2.19(火) 川島 博之

 崩壊すると言われながら長い間崩壊しなかった中国経済がついに崩壊し始めた。一時は、「中国崩壊説の崩壊」などと揶揄されていたが、やはり不自然なことはどこかで限界に突き当たる。

 
バブル崩壊後の中国について考えてみたい。それには日本のバブル崩壊がよい教材になる。

 
中国の経済発展と日本の発展はよく似ている。(1)官僚主導、(2)低賃金労働を武器にした輸出主導、(3)技術を盗んだと欧米から非難されたこと(中国は日本からも非難された)、(4)末期に不動産バブルや過剰融資、それに伴う金融不安が問題になったこと、(5)いずれ米国を抜いて世界最大の経済大国になると言われたことまで、そっくりである。

 そう考えれば、
中国が今後どのような道を歩むかを考える上で、日本のバブル崩壊後の歴史が大いに参考になる。

■ワンレンボディコンが踊り狂った日本のバブル
 
中国経済成長は日本より25年から30年程度遅れている。中国の2019年は日本の1989年から94年に相当する。歴史に完全なコピーなどはないから、5年程度の誤差は仕方がない。

 
現在の中国が日本の90年代前半と同じような段階にあると考えると、“爆買いから、こと消費”などと言われていることも合点がゆく。プラザ合意(85年)で円が強くなると、多くの日本人はヨーロッパに出かけて、ルイ・ヴィトンやグッチ、セリーヌなどブランド製品を買いあさった。しかし、90年代の中頃に入ると買い物には飽きて、秘境(たとえば電波少年と猿岩石、96年から)やヨーロッパの田舎を訪ねることがブームになった。

 日本のバブルを語る上で忘れてはならないのはディスコの「ジュリアナ東京」であろう。若者、特に女性がワンレンボディコンと呼ばれるバブルを象徴するファッションで「お立ち台」と呼ばれる舞台に登り、朝まで踊り狂った。
 ジュリアナ東京は91年に開店し94年に閉店している。経済的なバブル崩壊は90年なので、ジュリアナ東京が開店したのは厳密にはバブル崩壊後である。だが、多くの市民はバブルが崩壊しても、バブルは永遠に続くと思っていた。
 しかし、さすがに94年になると皆がこれはおかしいと思い始めた。
日本人全員がバブル崩壊したと確信したのは山一証券などが倒産した97年であろう

■経済が変曲点を迎え、政治も官僚機構も変革した日本
 昨今、中国の電子工業界からの受注が急減したと言われるが、その一方で、日本製の高級化粧品の売り上げは伸びている。また、訪日客も増えている。この現象は、日本の1990年代初頭を思い浮かべれば、容易に説明がつく。

 あの時期、
日本政府は景気を回復させようと躍起なって公共事業を行ったが、中国も同じことをやっている。だから、鉄鋼やセメントなどの需要は底堅い。

 
90年代の日本を語る上で最も重要なことは、政権が大きく揺れ動いたことだ。55年の保守合同以来、初めて非自民政権(細川政権、93年)が誕生した。94年には、現在の政治状況を昭和とは大きく異なるものにした衆議院の小選挙区制度が作られた。その後、自民党は政権を取り戻すために長年の政敵である社会党と連立を組み、首班が社会党の党首になるという驚愕の事態が出現した(94年)。

 高度経済成長を牽引したとして絶賛されてきた官僚機構が、新たな状況に対応できていないとして批判にさらされた。ノーパンしゃぶしゃぶ事件(98年)などによって、多くの官僚が処分され、官僚は地位も権力も失っていった。官僚の中の官僚と言われた大蔵省は特に強く攻撃された。金融部門を分離されて、名称も歴史と伝統を誇る大蔵省から財務省という一般的な名称に変更させられた(2001年)。もはや多くの官僚にとって、昭和の日本では当たり前だった「天下りで美味しい老後」など、夢のまた夢だろう。

 
経済が変曲点を迎えると、政治も官僚機構も変革を余儀なくされた。日本は21世紀の日本にふさわしい理念として「官から民へ」「規制緩和」「内需主導」などを選び、それに対応する体制が求められた。


■中国のバブル崩壊が政治変革につながらない理由
 
中国共産党による経済運営は、地方政府の財政赤字、無駄な公共事業、非効率な国営企業などによって立ち行かなくなっている。そのあり様は、見方によっては昭和の日本にそっくりである。そのために、その改革の方向は日本と同様に「官から民へ」が主要な課題になろう

 ただし、
中国の今後を考える上で重要なことは、体制の受益者が日本とは異なることだ。

 
日本には曲がりなりにも民主主義が定着していた。政治の受益者は国民である。選挙がある以上、国民に不人気な政権は存続できない。だから、バブルが崩壊した時に国民から大きな変革を求められると、政治も官僚機構も変革せざるを得なかった

 現時点において、我が国において改革が十分に進んだと思っている人はいないと思うが、それでも多くの制度は昭和とは異なったものになっている。現在を生きる日本人にとって「平成」は不本意な時代であったが、後世において、それほどの混乱なくして新たな体制を作り上げた偉大な時代と評価されるのかも知れない。

 一方、
共産党独裁が行われている中国はここが大きく異なる中国の政治体制の受益者は約9000万人とされる共産党員である。共産党員の中の有力者は、政府、地方政府、人民解放軍、武装警察、そして国営企業の幹部として美味しい思いをしている。その幹部は日本のサラリーマンが想像できないほどの所得を得ており(反汚職運動が喧伝されているが、それでも相変わらずグレーな収入が多い)、かつ各種の特権を謳歌している。そんな共産党幹部(全共産党員の5%と仮定しても450万人もいる)を支持基盤として習近平政権が成立している。

 
選挙がない中国では、バブルが崩壊しても、それが政治変革につながることはない。経済が低迷すれば習近平のやり方に文句のある連中(非主流派である共青団や江沢民派)の発言権は増すことにはなろうが、彼らが政権を取ったところで、共産党員が享受している利権を台無しにするような改革はできない。習近平が国営企業を重視する所以もここにある。ゴルバチェフがソ連を改革できなかった理由もまたここにある。

■民衆の不満を徹底弾圧、ディストピア化する中国
 しかし、
何もできずに手を拱いていると、共産党員でさえも共産党ではダメだと悟るようになる。そうなれば、旧ソ連のように共産党体制が崩壊することになろう
 とはいえ、それには時間がかかる。それまでは習近平、あるいは次の独裁者が無理矢理にこれまでの体制で突っ走って行かざるを得ない。

 
今後、不動産価格が下落し、企業倒産が増え、給料が上がらず、失業者が増えれば、多くの人々が政権に不満を抱くだろう。しかし、選挙はないから民衆は政権を変える手段を有さない。デモを行うことも、政治集会を行うことも許されていない。

 
習近平は自分と自分の家族、そして共産党を守るために文句を言う人々に対して徹底的に強硬な手段に出る。中途半端では、かえって反発が強くなる。そして、一度、強硬な手段を取ると後戻りできない。ある中国人は、現在、新疆ウイグル自治区で行われている非人道的な政治は、実験であり、いずれ中国全土に波及することになろうと言っていた。

 今年の春節は700万人もの中国人が海外で過ごした。日本各地を呑気に観光してバブル末期の生活を謳歌していた中国人たちも、バブル崩壊に伴い所有する不動産価格が下落したり経営する会社が破綻したり、また失業する可能性がある。その際に、政権への不満をちっとでも漏らそうものなら、インターネットを監視して盗聴器を張り巡らしている当局によって拘束されて、学習施設(収容所)に連れて行かれることになろう。そこで習近平思想を徹底的に学ばされる。
これから中国に、とんでもないディストピアが出現する

 これは悪意に満ちた予想だと思われるかも知れない。しかし、独裁の欠点を知れば、それほど的外れな予測とは言えない。
今後、中国で大きな悲劇が発生した時、我々はウインストン・チャーチルの名言民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばという言葉を思い起こすことになろう

 中国経済成長は日本より25年から30年程度遅れている。なので、現在の中国は、日本の1989年から94年に相当する。
 日本の経済的なバブル崩壊は90年。しかし、バブルの象徴の「ジュリアナ東京」は、91年に開店し94年に閉店。94年になると皆がこれはおかしいと思い始めた。日本人全員がバブル崩壊したと確信したのは山一証券などが倒産した97年。

 当時、日本政府は景気を回復させようと躍起なって公共事業を行ったが、今、中国も同じことをやっている。
 
 90年代の日本を語る上で最も重要なことは、政権が大きく揺れ動いたことだと川島准教授。
 初めて非自民政権(細川政権、93年)が誕生。94年には、衆議院の小選挙区制度が作られ、自民党は政権を取り戻すために長年の政敵である社会党と連立を組み、首班が社会党の党首になるという驚愕の事態が出現。

 高度経済成長を牽引したとして絶賛されてきた官僚機構が不祥事もあり解体され、官僚の中の官僚と言われた大蔵省は、金融部門を分離され、財務省に変更となりました。(2001年)
 経済が変曲点を迎えると、政治も官僚機構も変革を余儀なくされましたが、日本は21世紀の日本にふさわしい理念として「官から民へ」「規制緩和」「内需主導」などを選び、それに対応する体制へ向かうことが出来た。

 翻って、今の中国はどうなのか。
 中国の今後を考える上で重要なことは、体制の受益者が日本とは異なることだと川島准教授。
 政治の受益者が国民の日本は、選挙がある以上、国民に不人気な政権は存続できず、バブルが崩壊した時に国民から大きな変革を求められると、政治も官僚機構も変革せざるを得なくなり、「官から民へ」の改革が進められた。

 中国共産党による経済運営は、地方政府の財政赤字、無駄な公共事業、非効率な国営企業などによって立ち行かなくなっている。
 しかし、共産党独裁政治の中国は、政治の受益者が約9000万人とされる共産党員。なかでも共産党員の中の有力者に富が傾注されている。
 選挙がない中国では、バブルが崩壊しても、それが政治変革につながることはない。(天安門事件が発生したことはありましたが。)
 反習近平の共青団派や、江沢民の上海閥が政権を取り返すまでの力は無くなっていますが、政権に返り咲いたとしても、共産党一党支配体制を変えることはない。
 中国経済の発展の祖の鄧小平の流れを継ぐ共青団派の李克強は、民の活力導入を模索しようとしましたが、習近平独裁体制の今は、国有企業優先。
 
 今後、不動産価格が下落し、企業倒産が増え、給料が上がらず、失業者が増えれば、多くの人々が政権に不満を抱くだろう。しかし、選挙はないから民衆は政権を変える手段を有さない。
 独裁体制を確立している習近平は、不満分子を弾圧する強権政治を強化しています。
 一度、強硬な手段を取ると後戻りできないと川島准教授。

 毛沢東でさえ失脚した独裁政治。広く世界の歴史を観ても、独裁政治が永続することはなくなってきています。

 今、米中や米と北朝鮮、日露の北方領土の交渉で、選挙による任期制限のない中朝露と、選挙や任期制限のある日米とでは、選挙や任期制限のある日米が、時間勝負に持ち込まれ苦戦しています。
 
 川島准教授が引用されている、チャーチルの名言「民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」

 強権で支配者層を護る中朝露と、選挙で変化する日米など自由主義陣営との対立が顕在化し始めている世界情勢で、どちらが覇権を握るのか。要注目です。
 鍵は、選挙のある自由主義陣営の野党の資質如何かと考えます。
 (対中覇権争いでは共和党も民主党も一致する米国。何が何でも政局争いに持ち込み足を引っ張るが、政策議論をする資質に欠ける日本の野党。)



 # 冒頭の画像は、習近平批判の落書き




  タラヨウの実





竹島に関する動画 / 政府広報 - YouTube

杉原由美子氏による絵本「メチのいた島」読み聞かせ - YouTube


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写真素材のピクスタ


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竹島は日韓どちらのものか


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-08-08 06:05:04
飯塚幸三を許すな
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