遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

南京事件にも、植村隆に類似の役割記者がいた

2015-04-17 23:58:58 | 中国 全般
 従軍慰安婦問題は、吉田清二というピエロを育てた植村隆によって捏造された虚像が、朝日新聞と韓国メディアのキャッチボールで膨らませられた作り話が定着したものですね。
 ところが、中韓が歴史問題として繰り広げるテーマのうち、中国が注力しているものに、「南京事件」があります。なんと、こちらでも、事件を脚色した作り話を世界に広めた人物がいたのだそうですね。
 植村記者が捏造した目的が何だったのか、太平洋戦争犠牲者遺族会会長として、日本への補償を求める活動家であり、義母でもある梁順任(ヤン・スニム)が娘を使ったハニートラップにひっかかったのか、単に、貴社としてスクープ記事を書きたい一心での捏造だったのか、または別の動機か明らかではありませんが、南京事件の捏造プロパガンダは、蒋介石が世界世論工作戦略で仕掛けた宣伝戦に登用された記者によるものだったのだそうですね。

 
【歴史戦】「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明 - 産経ニュース
 
終わらぬプロパガンダ(4) (4/16 産経 【歴史戦】第10部)

■南京事件を広めた本の著者・ティンパリー、執筆前から月1000ドル受領
 中国国民党の党史館に所蔵されている「秘密」史料で、国際宣伝処英国支部による工作の「責任者」としての活動の詳細が判明したハロルド・ティンパリー。史料によると、国民党側は英国人を「保守的」と分析したうえで、「個人の接触を重視」する方針を打ち出し、ティンパリーに英政府要人らと面会するよう指示した。
 ティンパリーはいつの時点で国民党のエージェントになったのか。
 米コーネル大図書館の史料からは、ティンパリーが日中戦争初期の段階から、宣伝工作に関与していた実態が浮かぶ。史料は1930~40年代にかけて、米海軍の情報将校や武官として上海や重慶に駐在したジェームズ・M・マクヒューがまとめた。

 国民政府が37年11月に漢口(湖北省)に移転する前、ティンパリーは、中国・国民政府のトップである蒋介石夫妻の私的顧問だった同じオーストラリア人ジャーナリストのウィリアム・ヘンリー・ドナルドから宣伝工作に参加するよう勧誘された。
 いったんは断ったが、国民政府側に宣伝工作の監督や調整への関与を自ら働きかけ、国民政府の元財政部長、宋子文から月額1千ドルを受け取ることで合意した。
 国際宣伝処長だった曽虚白は、自伝で次のように記している。
 「われわれは漢口で秘密裏にティンパリーと長時間協議し国際宣伝処の初期の海外宣伝計画を決定した」
 「目下の国際宣伝では中国人は絶対に顔を出すべきでなく、国際友人を捜して代弁者になってもらわなければならないと決めた」

 ティンパリーは38年6月、『戦争とは何か』を英国で出版した。同書の執筆の経緯はどうだったのか。曽は自伝で次のように記した。
 「手始めに、金を使ってティンパリーに依頼し、南京大虐殺の目撃記録として本を書いてもらい発行することを決めた」
 曽の述懐の通りであれば同書は第三者の外国人ジャーナリストとしての客観的立場からではなく、国際宣伝処の意向を受けて執筆されたことになる。
 これに対して、一部の中国人学者らは約50年が経過した段階での、曽の回想の信憑(しんぴょう)性を疑問視する。学者らは南京の公文書館にあるとされる史料などを根拠に、「ティンパリーが書き上げた原稿を国際宣伝処が買い取って発行した」と主張する。
 もっとも、米コーネル大所蔵のマクヒュー報告書が示したように、ティンパリーは同書執筆前の段階で、すでに中立的な人物でなかったことは明白だ。

■「百人斬り」脚色、裁判に影響
■宣伝痕跡消し去り、外国人記者利用


 台北にある国民党の党史館が所蔵する「極機密」の印が押された史料「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」には、「本処(国際宣伝処)が編集印刷した対敵宣伝書籍」として、オーストラリア人記者、ハロルド・ティンパリー著の『戦争とは何か(WHAT WAR MEANS)』(1938年出版)の中国語版名が記載されている。
 中国語版の序文を書いた文化人の郭沫若は、日中戦争勃発にあわせ、中国共産党や国際共産主義運動組織コミンテルンの支援で亡命先の日本から極秘帰国し宣伝を行っている。
 国際宣伝処は同書を反日世論工作のための「宣伝本」として位置づけ、中国語版『外人目睹中之日軍暴行』を出した。他にもニューヨーク、日本、コペンハーゲン、パリでもそれぞれの言語で出版された。英米版は12万冊出版されたという。
 同書は「南京大虐殺をいち早く世界に広めた本」(南京大虐殺記念館長の朱成山)だといわれ、連合国による戦犯裁判にも影響を与えたと指摘されている。

 国民政府が開いた南京軍事法廷の複数の判決書には『戦争とは何か』が登場する。
 特に「百人斬り」を実行したとして訴追された向井敏明、野田毅の両少尉に対する裁判では、ティンパリーによる脚色や中国語訳版における事実の書き換えが影響し、死刑判決が下ったことが立命館大特任教授、北村稔の研究で明らかになっている。
 同書は旧日本兵による放火、強姦(ごうかん)、殺人といった数々の暴虐行為を記すが、伝聞も多く含まれる。
 「4万近くの非武装の人間が南京城内や城門付近で殺され、うち約30パーセントは兵隊になったことのない人々だ」
 「少なくとも中国中央部の戦闘だけで中国軍の死傷者は30万人に上り、ほぼ同数の民間人の死傷者が発生した」
 これらはティンパリーが南京で自ら見聞きした内容ではなく、自身は当時、上海にいた。執筆材料としたのは、南京にとどまっていた匿名の欧米人や南京安全区国際委員会の報告で、それらをまとめ、「編著」の形をとった。後に分担執筆者の一人と判明した米国人、マイナー・ベイツは国民政府の「顧問」でもあった。

 日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年7月)勃発後、中国・国民政府のトップ蒋介石は国際宣伝の強化を図った。同年11月に設置された国際宣伝処は翌年2月に国民党中央宣伝部に移管されたが、実態は蒋の直属組織だった。宣伝の狙いは国際世論を味方につけ日本を孤立させること。
 対外宣伝工作を取り仕切ったのは、米ミズーリ大でジャーナリズムを専攻後、米国の新聞社で記者として経験を積み、上海で英字紙の編集長を務めた経歴を持つ董顕光。蒋の英語教師を務めたこともあり、蒋の信頼が厚い人物だった。
 「一切の宣伝の痕跡を消し去り、外国人を利用して各国での宣伝工作を推進する」
 中央宣伝部副部長に起用された董はこの方針に基づき、それまでのキャリアの中で培った人脈を駆使して、中国に同情的、あるいは中国を支持する外国人記者を国際宣伝処で雇った。
 国際宣伝処は外国特派員が中国内で発信する電報を検閲し、中国に不利な情報の流出を防ぐ一方、ロンドン、ニューヨーク、パリをはじめ各国の主要都市に支部を設け、中国に有利なニュースを現地で発信した。
 ティンパリーは董が大きな信頼を寄せた外国人記者の一人だった。董は自著の中で、ティンパリーをこう紹介した。
 「彼は中国の勝利が民主主義世界にとって重要だとの信念を持って、私のスタッフになった」

 ティンパリーは国際宣伝処の英米支部の開設に大きく貢献し、1938年7月には国際宣伝処の顧問に就任、9月にはマンチェスター・ガーディアンを辞職した。その後の活動は党史館にある秘密文書「中央宣伝部半年中心工作計画」に示された通り、国際宣伝処の対外宣伝工作のキーパーソンとなった。
 台北の史料館、国史館に所蔵されている蒋介石の日記などをまとめた『事略稿本』によると、ティンパリーは41年5月13日、蒋介石に面会し、夫人の姉である宋慶齢が「(対日)抗戦に役立っていない」と、蒋に苦言を呈した。それほどティンパリーが重用されていたことがうかがえる。
 宣伝工作の「責任者」として、国民党と蜜月関係にあったティンパリーだったが、やがて仲たがいしていく。
 董は自伝で、ティンパリーが専用のクルーザーや車を要求するなど高慢な態度を取るようになったと批判した。ティンパリーは41年後半以降、同処との関係が悪化、徐々に「宣伝工作の戦線」から姿を消す。(敬称略)=第10部おわり

 この企画は池田祥子、岡部伸、河崎真澄、田北真樹子、田中靖人、原川貴郎、矢板明夫が担当しました。

--------------------------------------------------
南京事件 宣伝戦の実態 
(4/17 産経 【編集日誌】)

 昨年4月にスタートした「歴史戦」シリーズは、きのう終了した「終わらぬプロパガンダ」編で10部を数えました。
 今回は第9部に続いて南京事件をとりあげましたが、
台北の田中靖人支局長は、「南京事件」を世界に広めたハロルド・ティンパリーの実像を示す史料を発掘しました
 ティンパリーは、1938年6月に南京事件を告発した
「戦争とは何か」を英国で出版し、一大センセーションを起こします。しかし、このとき既に国民党側から月1000ドルの活動費を得ていたのです。当時の1000ドルはかなりの高額で、ジャーナリストではなく、工作員
といった方が実態に近いでしょう。
 「南京事件」はいまだに謎の多い事件ですが、欧米を舞台にした宣伝戦で日本は完敗したわけです。いまも日本は「宣伝戦」で、大きく後れをとっていますが。(編集長 乾正人)


 南京事件については、虐殺されたとする人々の人数が話題になり、事件の内容や背景について語られることが少なく、ついつい勉強不足になりがちと言いつつ、放置し、不勉強な遊爺でした。
 しかし、蒋介石が対日プロパガンダに中国人は表に立たないで、外国人による外国人へのフロパガンダという奥の手を使い成功していたとは、初耳でした。

 高額で外国人ジャーナリストを雇い、外国人に外国での宣伝をさせる。素晴らしい戦術ですね。しかも、宣伝目的は、十分すぎるほどに世界に広まっている。今、この作り話の恩恵にあずかっているのは、その蒋介石・国民党を台湾へ追い出した、中国共産党と言うのも皮肉な話ですね。

 慰安婦問題で、中韓のプロパガンダが世界を席巻していますが、自民党、民主党それぞれの時代に問題解決を先送りしてきたからです。
 補償については、日韓の国家レベルでの協議では、日韓基本条約、日韓請求権並びに経済協力協定により解決済なのです。それを、朴槿恵は千年続けると言っているのでした。

 「南京事件」については、中国が力を入れて日本を責める道具としてこれから広めてきます。
 慰安問題で、米国ほかの国際世論を説得するには、米国ほかの国に応じた人々の手助を借りればよいと唱え続けています。
 蒋介石がこの戦術を採り、成果を挙げていたとは驚きですが、日本も真似て、この戦術を採用していただきけることを願っています。



 # 冒頭の画像は、ハロルド・J・ティンパーリ




  フユイチゴ


↓よろしかったら、お願いします。






Fotolia






コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月16日(木)のつぶやき | トップ | 4月17日(金)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2016-11-04 20:04:34
冒頭の画像は、ゾルゲですよ。
返信する
ハロルド・J・ティンパーリ (遊爺)
2016-11-05 17:23:20
> 冒頭の画像は、ゾルゲですよ。

 ご指摘をありがとうございます。道理で知らない人なのに見覚えのある顔だと思っていました。
 言い訳になりますが、ネット検索して、以下のふたつがヒットしましたので引用させていただいていました。
 http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp234257

 http://osakacocorosan.seesaa.net/upload/detail/image/E383BBE3838FE383ADE383ABE38389E383BBE38386E382A3E383B3E38391E383AAE383BCE3808074b1c0e01bb78d3d69ab0bf9c925440c.jpg.html

 今回は、以下から引用させていただきました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/13168400.html
 【歴史】「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明

 http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/46543099.html
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中国 全般」カテゴリの最新記事