生きること・・・・・

2015-06-13 13:57:25 | 日記
「待っとったんで。11時になるの(笑)」
数日前に訪問したときよりも、ひとまわり小さくなったかな?と感じた

「今日は、デートしてほしんよ。サーバーまで行って ポカリ買いたい」




幼少の頃、長崎で被爆・・・・
「被爆者の会、役員しとるんやけど、年々集まる人も少のうなってな。あの人も、この人も、ここ悪い、あそこ悪い(笑)
 薬の数や種類の自慢するようになったわ」

肺がんをわずらっている。もうステージは4・・・・まさに末期だ。
夫婦二人ぐらしで、奥さんは深刻な認知症。
週末は、ショートステイのサービスを受けているため、生活を支援するヘルパーが旦那さんを支える。

食事や掃除というサービスも、もちろん大切な仕事だが、シンプルな言葉だけで会話できなくなった夫婦の苦悩
心配して訪ねてくる娘や息子の話・・・などなど、愚痴や 直面する死への不安 自分の気持ちをもてあますのだろう

「うちのかあさん、なんべん言うてもわからんのや。夫婦二人やねんから ごはんは2合でええ言うてるのに 3合たきよる」
しょうもないことだが、このやりとりが繰り返し繰り返しふたりの間におこる。
認知症でないご主人にしてみれば、自分の病気とも戦いつつ、奥さんの病気とも戦っている。

もう、そんな奥さんを大きな心で ゆったりと受け入れる余裕がないのだ。

「お母さん、今までがんばって働いてきたんやから、もう好きなようにさしたったらええねん(笑)」

「・・・・・そうやな」・・・・・はかなげな笑顔が、ちょっとさびしくなる。

アジサイ咲く公園で、ひと休みした。
公園のベンチで、見上げる空には、羊のようなまるい雲が、たくさん浮かんでいる。
吹く風を感じて、野鳥のさえずりに耳をかたむける。

いつまでも、いつまでも、こんな時間が続けばいいのに・・・・

いま、この一秒一秒が・・・アジサイの色に感動し、葉っぱの手触りに驚いたりすること

がっつり働きづめだった自分自身の時間を、ねぎらってほしいと感じる1時間だった。



訪問介護の仕事は、「きたない・安い・きびしい」と言われるけれど

人が人として生きていくことを、サポートできる仕事

心に寄り添い、共に生きているこの時間を大切にしたいと感じさせてくれるものだと思う

出会いがあり、別れがあり、もう二度とあえない別れになることもたくさんあるけれど

「人間としての心」をはぐくむことができる


・・・・・・・・・・この仕事が、本当に大好きだ・・・・・・・・・・