峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

西方浄土からのハガキ

2021年11月17日 | 暮らし
近親者が亡くなった翌年の正月は喪に服し、年賀状を出さないことを年賀欠礼と言い、喪中であることを伝え、年賀状を辞退するために送る書状を年賀欠礼状と言うそうですね。
世の中、知らないことばかりです。
11月に入り、その年賀欠礼状が、ぽつぽつ届くようになりました。

そして今日、西方浄土から一葉のハガキが届きました。
女房どのの伯父の長男、つまり従兄からのものです。

「諸行無常
私、現在地は西方浄土。旅も行くところがなくなり、ついに西方浄土にきております。」
彼は、奥さんを早く亡くしたこともあり、退職後は年中、世界各地を旅していました。

このように始まるハガキは、先生、同級生、仕事仲間、旅友や家族親戚に対する感謝の気持ちを表す言葉へと続き、さらに、
「西方浄土には家内も親父もお袋も、先代も一緒におりまして、楽しい地であります。」
「この地でご一緒できることと思っております。まだまだ、先のことでしょうけどね。」と冗談を挟み、
「ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。令和3年11月15日再拝」と結んでありました。

そして、毎年の賀状が海外の旅先の写真一色であったように、最後の一葉も仏陀が涅槃に入ったとされているインド・クシナガラ・涅槃堂の涅槃像の写真でした。
合わせてにこやかに合掌する彼の姿もそこにあります。

女房どのの従兄ですから、そんなに近しい間柄でもなく、結局、私は彼と直接会う機会を持つことはありませんでした。

ただ、三女が製薬会社を受験する際、研究職の先輩としてメールでアドバイスをもらうことがあったり、年に1度ですが、賀状のやり取りで、そこから感じる何かがありました。

それに、私のブログを見てくれていたようでした。それについて賀状で触れてくれたこともあり、確かなご縁があったのだ、と西方浄土からのハガキを受け取り改めて感じました。

「私が作った葉書を、お世話になった方々へ送って欲しい」彼の遺言だったそうです。

「生前の父への色々なご厚情に感謝申し上げます。お陰様で、父は幸せな人生とその最後を迎えることが出来ました。本当にお世話になりました。寒くなる時節柄ですので、どうぞご自愛ください。」

葉書のおもて面半分下に、小さな文字で綴られた、このハガキのいきさつを記した文章の終わりに、幼い頃、彼が可愛がったであろう彼の娘さんからの言葉が添えられていました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天使からの贈り物 | トップ | 感謝を胸に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

暮らし」カテゴリの最新記事