峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私のせい

2019年04月14日 | 暮らし
先日、糸葉さんらと近所の公園の桜を見に行った帰り道、高校時代の友人だったY君宅の駐車場前で彼にばったり出会った。
ふたことみこと言葉を交わしての別れしな、町内会長を辞めるタイミングで町議選に出るものだとばかり思っていたよと彼が言った。

2年前の3月、12年間務めてきた町内会長の役割を後任に引き継ぐことができた。ちょうどその年の6月に町長選と町議選が行われたのだが、会う人会う人にY君と同様のことを言われたものだ。町長選に担ぐからとまで言ってくれる人もいた。
火の無いところに煙は立たぬと言われるが、そうとばかりは限らないことを身をもって知った。

縁あって、町内会長から町内会連合会の会長などの役割りを担った。しかし、もともと私は、そのような柄ではない。いわんや、町議とか町長などの役割に興味もなければ野心もない。何より能力がない。それらは、私とは全く無縁のものだ。

もとより、地域や国を変えるのはリーダーではなく、個々人の知性だと私は考えている。良い社会を実現するためには個々人が確立されなければならない。
もし、この社会が良くないのであれば、それは決してリーダーのせいではなく、社会を構成する私たち個々人の問題なのだと考える。

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