yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

四国八十八ケ所 第四十七番札所 八坂寺

2014年09月29日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第8回  

平成26年7月28日 天気雨  第四十七 熊野山 八坂寺を参詣しました

八坂寺は  修験道の開祖 役行者小角が開基と伝えられ

701年 文武天皇(在位697〜707)の勅願により 伊予の国司、越智玉興公が 

堂塔を建立し このとき 8ヶ所の坂道を切り開いて 創建したことから 

寺名とし ますます栄える いやさか(八坂)に 由来されているといわれています 

815年弘法大師が 荒廃した寺を 再興し  霊場と定められ 

その後修験道の根本道場として栄え 紀州から熊野権現十二社の分霊を

移して祀り 熊野山 八坂寺と呼ぶようになったそうです

八坂寺境内

 

極楽橋といっしょになった山門    天井に阿弥陀如来と極楽浄土の絵が描かれています

山門をくぐって右に 庫裏 と納経所

 

宝筐印塔(ほうきょういんとう)石造層塔

  鎌倉時代の作で 松山市の 文化財に指定されています

救いの手

山門をくぐって 本堂にあがる石段の下から10段目の左側に 

救いの手の霊石があり 足や目の病に効験あると伝わっています。

鐘楼

「お遍路の 誰もが 持てる 不仕合(ふしあわせ)」 白象 

 愛媛県温泉郡重信出身の 高野山管長 森寛紹大僧正の句

御子息を亡くされ 巡拝された時 詠まれたそうです

本堂の右に 権現堂

 十二社権現紀州の熊野大権現が祀られています

 

正面の石段を上ると 本堂                        内陣                         

ご本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代の 浄土教を築いた 恵心僧侶源信の作と伝えられ

県の重要文化財に指定 秘仏で50年に一度のご開帳で 次は2034年だそうです

本堂地下に 万体阿弥陀仏が安置されています  

本堂と大師堂との間に 閻魔堂

堂の両側に小さな トンネルの道があり 右が極楽の道 左が地獄の道と名づけ 

内部壁面に極楽界 地獄界の絵が描かれています

 

  大師堂                           内陣

  

         両手で宝壺をお持ちです お地蔵さん?  カールでロングヘアー ひざ元に大きな石 ?仏さん 

  

  

境内左 駐車場奥に いやさか不動尊(不動三尊)を安置

世界平和 商売繁盛 家門繁栄 を願い建立されています

毎年4月29日の八坂寺大祭には 柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)

 火生三昧(かしょうさんまい) 火渡り修行がされているそうです

 奉納された赤い幟が立ちならぶ 静閑な八坂寺をあとに

  つぎ48番札所 西林寺まで 約5km バスで約10分です

 おしまい


EASTマリン敬老会

2014年09月28日 | 日記

9月25日 老人福祉施設 EASTマリン デイサービス の敬老会が行われ

3B体操ベル遊びのボランティアに行っている指導者の先生と

今年も 3B体操を踊って 敬老会を お祝いしました

 職員さん達の 面白いアイディアと熱演には 

いつも  笑わせてもらって楽しい ひと時を過ごさせてもらいます

 

利用者のみなさんで作った 飾りつけです

  

軽やかなリズムに乗って ひげダンス 

 

元気な おばあちゃんの ねらいうちダンス

 

今年はHさんのハーモニカのボランティアもあり 「故郷」「もみじ」「赤とんぼ」など

懐かしいこどものころに思いをはせ みんなで 合唱をしました

おしまい


四国八十八ケ所 第四十六番札所 浄瑠璃寺

2014年09月26日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝  第8回 

平成26年7月28日 天気雨   第四十六 医王山 浄瑠璃寺を参詣しました

浄瑠璃寺は 708年行基菩薩が仏教布教のため この地を訪れ 仏法を修行する 適地として

伽藍を建立 薬師如来像を刻み本尊とし 脇侍に日光・月光菩薩と十二神将を刻んで安置して

寺名を薬師如来の別名である 瑠璃光如来にちなんで浄瑠璃寺と名づけました 

807年唐から帰国した 弘法大師がこの地を訪れ 荒廃した伽藍を修復し 霊場に定められ

その後 荒廃と再興を繰り返し 1688~1704年に 火災でほとんどの堂宇など焼失

1785年地元の庄屋から住職になった尭音(ぎょうおん)が 托鉢をしながら

全国を行脚して その浄財で現在の本堂 その他の諸堂を再興されたそうです

浄瑠璃寺境内

  

浄瑠璃寺は 山門はなく道路から数段の石段を上るとすぐに境内になります

 

            納経所                       手水場

  

本堂に向かって左手前に 仏足石

お釈迦さんの足裏「千福輪」が刻まれた石を 素足で踏み

お釈迦さまの ご真言「のうまくさんまんだ ぼだなんばく」を3回唱えると

健脚 交通安全にご利益があるそうです

 

七福神の一つ弁財天を お祀りしている 一願弁天堂 

一つの願いを叶えてくれます

一顧弁才天は美貌、智慧、福徳、芸術 安産にご利益があるそうです

 

境内に入ると 正面奥に 本堂 幕はキルトです

ご本尊は 薬師如来  ご真言 おんころころ せんだりまとうぎ そわか 

病気を治し 長命 衣食を満たして下さり 特に眼病に 霊験があるといわれています

 

本堂の右に 大師堂                         大師堂の内陣 

 内陣の布で出来ているものは 紺地に真言宗豊山派のキルトが施されています 

 

          太師堂に お大師さまの誕生佛       本堂の縁先に おびんずるさま

     抱っこしたら 優しい 温かな気持ちになれます

  

境内に入ると右に 鐘楼 「薬師十二願の鐘」と呼ばれています

 撞けば12の願いが叶うそうです

      

仏手石

お釈迦さんの指紋に 手を当てて 知恵と 技能の上達を祈願します 

 指の間に張られた水かきのお釈迦様の手で 漏れなくすくって下さるといいます

 

鎮魂の皿  第二次世界大戦で戦死された方達の供養塔です

お名前や戦争のこと 家族のことなど書いた 300枚のお皿が塔にはりついています

  

イブキビャクシン と もみ大師

弘法大師が加持したといわれる 樹齢1000年の大樹 松山市の 天然記念物に指定されています

もみ大師は 現物の籾にお大師さまが描かれ 本堂?大師堂?に奉納されているそうです

これは 拡大複写の石像だそうです  五穀豊穣 延命のご利益があるそうです

水子地蔵

    

燈ぼさつ

人生に知恵の灯を照らしてくれる ご利益があるそうです

 

説法石

お釈迦さんが説法をした霊鷲山の石を封じ込んでいる 説法石は

石に腰を掛けて祈願するそうです

 

九横ふうじ石

九横ふうじ石 は九つの災難 不治の病・暴力・非行・淫酒・火傷・水難

・獣蛇にかまれる  崖から転落・毒あたり・飢え渇きの 災難を封じ込めてくれるそうです

写経を埋納し供養します

 

万霊塔 土台に 「生きとし生けるもの 命永久に 安らかに」 と書かれています

人間のために犠牲になった総ての生き物の供養塔です

六地蔵尊

六地蔵は 悩み苦しむ人々を救ってくださる 六種類の地蔵菩薩さまです

お地蔵さまは人間界だけでなく 六道と呼ばれる六つの世界

地獄道 餓鬼道 畜生道 修羅道 人間道 天道を 救済する菩薩さまです

   

境内にはさまざまな縁起の 石像や石碑が 配され たくさんの利益をいただける浄瑠璃寺さんです

  つぎ47番札所 八坂寺まで 約1.2km バスで約4分です

 おしまい

  

       

 

 

 

 

左に本坊と納経所

 

巡拝の礼儀作法
1.お大師さまの出迎えに対する礼儀として、山門で合掌一礼。
2.門内に入り、手洗いで口をすすぎ、手を洗い、身を清める、鐘楼堂にて、特に決まりを書いていない場合はゆっくりと二打する。
3.本堂に参り、納め札または写経を所定の場所に納める、お賽銭、お供え物等をあげ、蝋燭(1本)をあげ、線香(3本)をあげ、合掌して経本にしたがってお参りをする。
4、大師堂に参る、本堂と同じ順序でお参りをする。
5.他のお堂もお参りする。
6.お参りが終わってから、納経所でお納経を受ける。
7.お大師さまのお見送りに対する御礼として、寺を出る時、山門にて合掌一礼。・・これが巡拝の礼儀作法だそうです。

 


四国八十八ケ所 第四十五番札所 岩屋寺

2014年09月23日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

 第8回は 平成26年 7月28日 天気雨 44番から50番の7ヶ寺を巡り

交通事情などの都合で 最初に 愛媛県上浮穴群久万高原町七鳥

 第四十五番 海岸山 岩屋寺 を参詣しました

岩屋寺は 815年 弘法大師がこの地を訪れた時 この山に 法華(ほっけ)仙人いう 不思議な

神通力をもった 女性が 山術を極めていましたが 大師の修法に深く感銘 一山を大師に 献上して

往生をされ 大師は木と石で2体の不動明王を刻み 木像は本尊として本堂に安置し 

石像は奥ノ院として岩窟に祀り 山全体を本尊として護摩修法され 山号 寺名は

大師の詠まれた歌 「山高き 谷の朝霧 海に似て 松吹く風を波に たとへむ」から

海岸山 岩屋寺と号し 霊場に定め 以来 修行の道場として継承されているそうです

 

岩屋寺への上り口には数軒のお店が並び お茶などお接待があります

石柱の上に 小さな仁王像が立って 石柱には 「如)実知自心」 「方便爲究竟」と書かれています

ありのままの自分(本当は思いやりのある 助け合う 優しい心を持っている)を知り

その極みまで近づく為の ここからは仏の聖地ですよ・・・かな?

 

岩屋寺境内

   

      少し坂を上ると先ず 山門 昭和9年の再建です 大師の詠まれた歌にちなんだ「海岸山」の額

風格のある山門は 久万高原町の指定文化財 です

. 

山門をくぐると うっそうとした 老樹 巨木が生い茂る参道には 両脇に

「南無大聖不動明王」と書かれた赤や青の幟が延々と立てられています

山門をくぐり 参道を上って行くと、左の 岩の上に小さく不動明王が見えます

さらに坂道を進むと 右手に大師像 

 

参道に架かる 紅い欄干の 極楽橋

ここから本格的に 石段 坂道の参道が始まります

 

極楽橋を渡ると  のぞみ弥勒のお堂

 

お大師さんに見守られているたくさんの石仏が並んでいます 

さらに坂道を上り 曲がり角に虚空蔵堂 1898年の火災から免れたと言われれています 

     

虚空蔵堂から さらに上る参道右手には 観音さんや お地蔵さんに見守られて 

整然と並らんだ無数の石仏群です

 

虚空蔵堂裏側の苔むした岩肌に 道開き不動像が祀られてます

物事を始めるときや 行き詰ったときに導いて下さるといわれています

   

「南無大聖不動明王」の幟 石仏群に 癒されながらやっと 

奇岩が覆いかぶさるような 庫裏 納経所に辿り着きます

納経所の手前に手洗場 岩場から清々しい水が落ちています

本堂への石段の左手に水子地蔵尊

水子地蔵の左に 鐘楼

 

本堂への石段の右下に 大師が掘った 修行の行場 穴禅定(あなぜんじょう)の入り口と

  

穴禅定に入った正面          右 独鈷の霊水が湧いているそうで 

中は暗く 足元がじゅくじゅくです

昭和2年 再建の本堂 ご本尊は不動明王

ご真言は

のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

大日如来の化身として 衆生の悪を滅ぼし 人々に福と繁栄をもたらして下さいます

     

本堂に向かって 右手の梯子を登ると 法華仙人の行場跡の洞窟があり10帖程の広さがあるそうです

 

本堂の左へ 少し上がった所に大師堂があります

大正9年(1920)に再建され 西洋建築様式を取り入れ 近代仏堂の作として

国の重要文化財に指定されています

 

 大師堂から左に行くと歴史の深さと風格を感じる 奥ノ院への楼門

楼門をくぐって  坂道を上り 岩場を 鎖と梯子で上ると 本堂からは 600m上に 大師の行場跡

迫割 禅定(せりわりぜんじょう)があり 山の頂上には白山権現が お祀りしてあるそうです

標高785mの巨岩の中腹560mの所に 本堂や大師堂など 堂宇が 岩壁に囲まれるように建ち

寺域全体は 国の名勝地として また県立の自然公園に指定されています

      

住職さんが作詞・作曲され 芹 洋子さんが唄っています

 

 交通事情などの都合で つぎ44番札所 大宝寺へ 約10km バスで約20分です 

おしまい
 


安芸分区 敬老会

2014年09月19日 | 日記

今年も安芸分区(旧安芸町)日赤奉仕団のお世話で敬老会が

9月15日 ホテルタマイ大ホールで開催されました

来賓のお祝辞をはじめ 保育園児の可愛い踊り 小学生の微笑ましい作文に目を細め

中学生の素晴らしい吹奏に耳を傾け 先生の「故郷」の唄に聞きほれ

高校生の手話による「この街で」の 心に伝わる唄に感動!

また 宴たけなわとなると 日赤奉仕団さん 民謡サークルさん 3B体操さんの

余興で宴を盛り上げて下さり 命のセンタクをし 元気をもらった 楽しい敬老会でした

安芸市日赤奉仕団 安芸分区長さんから

お招きと長壽のお祝いの お言葉をいただきました

県立安芸高校生 三人の 感情のこもった 素晴らしい手話による「この街で」を動画にしました

中心に居る坂本君は 新聞 テレビでもご存知

全国高校生の手話によるスピーチコンテストで 1位に輝かれた V王です

♪ 「この街で」 をクリックして下さい

お世話して下さった 日赤奉仕団の皆さん ご苦労様有難うございました

おしまい


四国八十八ケ所 第四十四番札所 大宝寺

2014年09月14日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝  

平成26年7月28日 天気雨  四国八十八ケ所霊場のちょうど半分 中礼所

 第四十四番 菅生山(すごうざん) 大宝寺 を参詣しました

大宝寺は大和朝廷の時代 百済(朝鮮)から来た僧が この地に質素な小屋を建て

携えてきた十一面観音像を安置 701年 安芸の国(広島)から来た 明神右京・隼人の狩人兄弟が 

萱草の中から 十一面観音像を見つけ 小堂を建て安置し 当時の文武天皇(在位697〜707)が

この話を聞き 勅命で寺院を建立し 寺名は当時の年号にちなんで 大宝寺と 名づけられ 

その後 822年 この地を訪れた弘法大師が 密教を修法されて

天台宗だった宗派を 真言宗に改め 四国霊場の中札所として定められたそうです  

大宝寺境内

 

陵権現(みささぎごんげん)                       勅使橋           

後白河天皇は 1156~1159に 病気平癒を祈願したところ 成就したので

 勅使をたてて大宝寺の伽藍を再建し妹宮を住職に任じられ 橋もその当時の名残り 

妹宮はこの地で亡くなられ 堂宇と五輪塔を建立して 陵権現として祀られていたそうです

現在は堂宇 五輪塔すら見えず その跡と思われるところに 木札が立っています  

 

坂道の途中曲がり角に 地蔵堂

  

仁王門

明治7年の火災で焼失 昭和31年に再建されたそうです  

  

 百年に一度取り替えられるという 健脚を願う大草鞋は 

仁王門に入りきれないほどの大きさで 奉納されています

金剛力士像は焼失を免れ  再建されて仁王門に据えられたそうです 

 

 仁王門をくぐって進むと 右手に不動明王

 

     

坂道を上りきると 子地蔵           手水場 

  

 納経所 があります

     

  本堂へはさらに石段を上る 上り口右に

 山頭火句碑 「朝まゐりはわたし一人の銀杏ちりしく」と詠っています

 

 石段を上ると 鐘楼が2つあります 左の鐘楼は平和の鐘と呼ばれ

 第2次世界大戦で亡くなった 地元の 英霊を供養するために建てられたそうです

 右側は古くからのものです

 

本堂  

ご本尊は十一面間世音菩薩

ご真言 おん まか きゃろにきゃ そわか 

四方八方にお顔を向けてすべての人々を救って下さいます

 

本堂から右に階段を上がったところに  御影堂 (大師堂) 昭和59年に再建されています

本堂と大師堂の間に立つ十一面観音像

        

平和の鐘の奥に掘出観音堂があるそうです

昭和9年の正月 石田そよさんが 何かが乗り移ったように突然 

「我管生山の金の性じゃ、掘り出せ!掘り出せ!」と口走るようになりその年の5月7日に 

寺は人夫を雇い そよさんの示すところを掘ると 地中から七体の 金銅仏が掘り出され

昭和31年にも そよさんの養子の山本猛六さんが もう一体を 掘り出し 

計八体の(3cmから10cm位)金銅仏がお堂に祀られて 

体から病気や悪霊を掘り出し 才能を掘り起こしてくれるといわれ 信仰されているそうです

  

大師堂右下段に興教大師堂

興教大師覚鎖(こうぎょうだいしかくばん)上人は 1095年 肥後の国に生まれ 早くから聡明で 

8歳の時から僧侶になると誓い 真言教学をきわめられ 坐禅観法を修法されて 

高野山の復興を志され 真言宗の高僧となられた  覚鑁上人が祀られています

     

樹齢800年の杉や檜の巨木の立ち並ぶ 参道は昼なお暗く 

参道脇には 小さなお堂 石仏がお遍路を迎え見送るかのように佇んでいます

          

大宝寺は 3度の火事のわざわい

           1度目は仁平2年(1152)の失火 1156年後白河天皇の寄進で再建

           2度目は天正年間(1572~1592)の長宗我部の兵火1688~1704の雲秀法師が再建

           3度目は明治7年(1874)の失火  地元の寄進で再建 されています 

                     つぎ46番札所 浄瑠璃寺まで 約42km バスで約50分です

                      浄瑠璃寺に着くと お寺の前の旅館 で昼食

おしまい

 


四国八十八ケ所 第四十三番札所 明石寺

2014年09月11日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

平成26年6月22日 天気雨 第四十三番 源光山 明石寺を参詣しました

明石寺は6世紀の半ば 欽明天皇(在位532〜71)の勅願により 

円手院正澄(えんじゅいんせいちょう 行者)が千手観音菩薩像を安置 七堂伽藍を

建立して開創 その後734年に 役行者小角から5代目の寿元という行者が

紀州熊野から12社権現を勧請 十二坊を建立して 修験の道場となっていました 

その後822年に弘法大師が この地を訪れ 荒廃した伽藍を整え 嵯峨天皇(在位809〜23)に

申し出 勅命で 金紙金泥の『法華経』を納めて 諸堂を再興し霊場に定めました 

その後 鎌倉時代に再び荒れ果て 1194年に 源頼朝が伽藍を修復 恩人の 池禅尼の

菩提を弔って 阿弥陀如来像を奉納 経塚を築いて 山号の「現光山」を「源光山」に改めたそうです

境内図

30段ほどの石段を上がると右手に 納経所 本坊

 

 

  左に 手水場

単層の 仁王門

 

仁王門の天井に大草鞋が掛かっています

仁王門をくぐると右に 地蔵堂 

さらに石段を上ると 正面に  赤茶色屋根の 本堂

 

 

 

           本堂                    お賽銭入れが 床に切りこまれています

 

仏足跡

お釈迦さまの足跡を印したもので 仏足跡を礼拝した手で

身体の悪い所を撫でると 罪障が消え 願が成就するといわれています 

 

大師堂

 苔むし 文字も読めない大きな石碑が

本堂脇から大師堂の前まで10基ほど並んでいます

大師堂の前に鐘楼

大師堂の右に 夫婦杉

 本堂左の石仏

 

本堂に向かって左隣に 権現堂

明治の神仏分離までは 習合の寺であり 熊野権現が祀られています

この権現堂の裏に源頼朝の命の恩人 池の禅尼の 菩提のための

経塚(五輪宝塔)建立されているそうです 

          

 昔若い娘が大きな石を一夜のうちに山の上に運ぼうとしたところ 天邪鬼が鶏の

鳴きまねをしたので 娘は夜明けと思って驚き消え去ったという 伝説があり大きな石を 

担ぎ上げた 「上げ石」 から 「明石寺」の寺名の由来となったそうです

明石寺を最後に 7回目の巡拝の打ち止めです 

おしまい


 


安芸納涼市民祭 踊りの披露

2014年09月08日 | 日記

第59回安芸納涼市民祭が9月6日に行われました

台風11号の影響と 例年にない 来る日も来る日も 雨 雨 大雨のため

延期になっていた納涼祭を 心配されるおお天気のもと決行 途中から雨が降ったり止んだり

 踊り子さん達は 雨を吹き飛ばすかのように 元気いっぱい、笑顔いっぱい パワー全開

残念ながら 毎年行われる  餅投げ  くじ引き抽選 花火大会は 中止となり 

踊りだけの納涼祭となりました

 

元気ハツラツ シニア元気漣

 

他を 動画にしました ご覧下さい

祭屋ーSaiya-よさこい踊り子隊 をクリックして下さい

安芸子ども会連合会 ” あき童子” 

東陣 

JA土佐あき~あきあいあい~ 

安岐町子ども会連合会team  

ひとひら 

まいや 

安芸商工会議所踊り子チーム「舞人」 

おしまい


押し花展 女性の家NO15

2014年09月06日 | 日記

 

 

草花や葉を 押し花に まるで絵画のように 表現されている

素晴らしい 作品をご覧ください

(額のガラスに外の光が反射して 作品に申し訳ない!)

 

小駕和子さん作

宮脇敬子さん作

 

   有澤久美子さん作                          宮脇敬子さん作

 

小駕和子さん作

中村綾子さん作 

 

  

        小駕和子さん作                            宮脇敬子さん作 

 有澤久美子さん作 

  

         中村綾子さん作                         宮脇敬子さん作

宮脇敬子さん作

 中村綾子さん作

 有澤久美子さん作

 中村綾子さん作

 有澤久美子さん作

藤崎陽子さん作

宮脇敬子さん作 

小駕和子さん作

      

      宮脇敬子さん作                 中村綾子さん作                中村綾子さん作

 ステキな作品を 見にi行ってくださいね。

 女性の家からのお知らせです

おしまい


24時間テレビへ お地蔵さんのお賽銭を

2014年09月06日 | 日記

今年も8月30~31日 24時間テレビ 「愛は地球を救う」で 安芸市では

ボランティア団体の協力で 土佐黒潮ごっめんなはり線 安芸駅前で

テントを張って 愛の募金をあつめていました

朝夕散歩するコースに 路傍の小ちゃなお地蔵さんいます そのお地蔵さんの

お賽銭を預かって 愛の募金へ 寄付しました それには ちょっと訳があります

ここをクリクして下さい

お寺や神社のお賽銭箱ごと持って行く ヤカラの居る昨今

お賽銭袋をぶら下げても無駄 思案した結果 預かることにしました

ボランティアさんに 数えてもらったら 336円ありました

お地蔵さんも「これでよかった」と思っていて くれるかもしれません

今日も12円 預かって 早速箱の中に入れました

おしまい