yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

あき・元気フェスタ! 福祉ふれあいバザー!

2014年10月29日 | 日記

  

 

 

県立安芸中・高等学校吹奏楽部のみなさんの 軽快なリズムにのって オープニグセレモニー

楽しい 迫力のパフォーマンス演奏 と 「北酒場」の演歌を熱唱した彼に 大拍手でした

おなじみ 前田  郁子先生の

ラジオ体操を 正しいやり方で体操効果アップ!のご指導

福祉 ふれあいバザー

安芸市の美味しいもんがどっさり 雑貨 衣類 生活用品等々も テントを並べて出店

体験 相談 健康 紹介 コーナから ごく一部を ピックアップ

          

みんなでショータイム 安芸保育園児のおどりを 動画にしました

 男子 クリックして下さい

 女子 クリックして下さい

赤ちゃんから お年寄りまで みんなが 安全 安心 ふれあい ささえあい

そして自慢の 安芸市です 

おしまい


ファミリー釣り大会

2014年10月26日 | 日記

10月25日 「港で 親子釣り大会をしゅう ボラが おおぐいや~」と

聞いて ブログで紹介しようと 早速 モーターで走る 残念!

釣る時間は7時から8時30分までで終わり 豆太公望の雄姿を撮ることができなかった 

背中に 「育成」と書いたベストを 着たお父さんやお母さん達が お世話に頑張っていました 

主催?と聞くと「子供会」と云っていました 今年で42回目を迎え180名(親子で?)の参加だそうで 

審査は魚の数の多さ 種類の多さ 長さなどを競い    

ちなみに 今回は34センチのボラを釣り上げた ボクが第1位でした 

 

釣りは終わって  表彰を 待つ 豆太公望達

表彰よりも 釣りが 楽しい ボク

ボラは早朝に釣れるそうで お日さまが上がると コノシロが よく釣れていました

  

表彰 賞品をもらって記念撮影

お天気に恵まれ 早朝の澄み切った空気の中 家族とふれあい リフレッシュされ 

ステキな時を過ごされたことでしょう

おしまい

 


日本シリーズ ガンバレ!阪神タイガース!!

2014年10月25日 | 日記

10月25日(土)から 日本シリーズか始る

セ・リーグ 阪神タイガースと パ・リーグ ソフトバンクの対戦だ~~

タガータウン 安芸市役所前に 掲げている 応援の看板

1985年の日本一  あれから 待ちに待った 2度目の栄冠が目の前に ぶらさがった

応援するぞね!  頑張りよ!阪神タイガース!!  

おしまい


 四国八十八ケ所 第五十二番札所 太山寺

2014年10月23日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝第9回 

平成26年8月25日   第五十二 瀧雲山(りゅううんざん)太山寺を参詣しました  

太山寺は 587年 九州 豊後の国 真野長者が 商いのため大阪に向かって航海中 

高浜沖きで暴風雨に遭い 長者は日頃から信仰していた 十一面観音さまに 一心に祈願したところ 

瀧雲山に観音さまの光明が輝き 海は穏やかになり 観音さまのお蔭と 豊後に帰って 

木組をした建材を 瀧雲山の山頂に運び 一夜で建て上げ 一夜建てのお堂と呼ばれ 

それが太山寺の始まりと言われています その後739年に聖武天皇 

(在位724~749)の勅願で行基菩薩が十一面観音像を刻み 真野長者が

瀧雲山で見つけた小さな観音像を 胎内に納め 本尊にしたと伝えられていまず

弘法大師は824〜834年この地を訪れ 護摩供の修法をされ 

それまでの法相宗から真言宗に改宗し 霊場に定められています

太山寺境内図

標高200mの経ヶ森の山腹にある 大山寺 

 バスから下りて 上り坂の参道がつづきます

参道の左上段に 一畑薬師堂

目の病気に 霊験があると言われ 自分の年の数だけ「目」「め」「メ」の文字 

または目の絵を書いて供え 薬師如来の ご真言 (おんころころ せんだり

まとうぎ そわか)を唱えると ご利益があるそうです 

 

参道右に 中門 奥に 納経所 庫裏 客殿があります

上り坂の正面に 手水場

 

手水場の周辺にはi色々な石仏が あります 左に十三仏と 大日如来像

一字一石」黄色の篭の中の小石一つにお経の一文字を書いて納めると 願い事が叶うそうです

  

     修行大師像                      子育て地蔵

 

   水子地蔵                       観音像 

赤帽子は延命地蔵   その隣?愛嬌のあるお顔しているので拡大

右に折れて石段を40数段上ると 三の門 

 

           四天王が安置され 多聞天                持国天  

境内から 三の門

三の門をくぐると正面に本堂、左手上に 大師堂が見えます

二の門 仁王門は 撮れていませんが 鎌倉時代の特徴の 入母屋造り

単層の八脚門で 1485年の建築 国の重要文化財です

 

厄除け大師堂 休息所にもなっています

鐘楼 

梵鐘は1383年に鍛造の 県の有形文化財です

護摩堂稲荷堂 前に修行大師像

近くに聖徳太子堂の 法隆寺と同じ夢殿 があるはずですが・・・

(先達さんも?時間がなく 見失い!)

毎年1月15日 太師祭には 多くの参拝者が しゃもじをもって訪れ

幸福をすくいあげる お祀りがあるそうです

 

三の門をくぐると 正面に壮大な本堂の 屋根が目を見張ります

長者建立から三代目の 重厚風格のある本堂は 1305年の建築

 松山城主 河野家が寄進されたもので 国宝に指定されています

ご本尊は十一面観世音菩薩 

喜怒哀楽のお顔をもち 全ての人々の悩みを救って下さり  災難除けの仏さまです

 

本堂の左上壇に 大師堂

 

大師堂の右に 長者堂

太山寺 創建者と言われる真野長者(九州 豊後の人)が祀られ

「長者}の号は天皇からの贈り名だそうです

 

大師堂の 右に この寺の三重塔の礎石があり タワシでこすると 

大腸 痔の病気に霊験があるそうです

  

礎石の奥に左の石像は? 十一面漢世音菩薩 つぎのお堂は?

つぎ53番札所 円明寺まで 約2.5km バスで約10分です

 おしまい 

 


JA土佐あき ゆず収穫祭

2014年10月22日 | 日記

 天高く ゆず香る季節となりました ゆず生産日本一を誇る JA土佐あきは

全国はもちろん 地球の裏まで ゆず製品を出荷されているそうです

早摘みゆずは 10月下旬から2週間ぐらい収穫し 少し青さが残っていて

香が強く 果汁が多といわれています  そんな早摘みの ゆず収穫祭が 

安芸市東浜の JA土佐あきゆず工場の広場で 「安芸のうまいもん」が大集合 

楽しい イベンントも満載で 開催され 広場いっぱいの人出で賑わいました

 

ゆず収穫祭の 進行役 おなじみ”土佐 かつお”さん  

 高知県 ゆずイメージキャラクター ”とさ ゆずのやま” 柑橘相撲界の横綱さんです

  

会場は右手を奥へ 工場の北広場です              餅投げは 南側   (餅ゲット2個だけ)

 

巨大ゆず蛇口から ゆずジュース 紙コップ一人一杯でセルフサービス   ゆず玉の 足湯

 

早摘みゆずの ふるまい鍋 限定300名に整理券を配ってくれました

  

        ゆず 手しぼり体験             早摘み ゆず皮の詰め放題

 

 

バルーンアート  ミスターサメボンさん 子ども達に大人気

 

  テントの下では 家族連れや 友達と 

早摘みゆずの香りいっぱいを胃袋に収めていました 

ゆず農家のみなさん これからの繁忙期 頑張ってください

                                おしまい


老人クラブ体育大会

2014年10月17日 | 日記

天高く スポーツの秋 安芸市 と 芸西村老人クラブ の体育大会が 10月17日に行われました。

 今年も 約250人の仲間が 健康と 体力を持ち寄り  そして応援オンリーの人も

参加することに 大きな意義があり 老人クラブの 絆つくりと 交流を深める一日でした

開会式 

 

元気に 準備体操

 

    プログラムNO1は スプーンレース         やさしく愛して(風船割り)

  

        幸せコロコロ                         長生きしましょう 

  

    矢ノ丸保育園児のお菓子拾い よーいドンで走って すきなお菓子を ゲット   「これ?」「ちがう・・・」

                                                      色々あって 迷っている ボク

               

 

玉入れ 

 賞品は プログラムによって 1位だったり 3位や ピリがもらったりします 

お昼は プログラムにかかわらず お昼時間がきたところで 1時間  

それぞれの地区で お弁当をたのんで 「あんたく 何処の お弁当?」 などと 

老人クラブならではの和気あいあいの お弁当タイムでした

安芸市老連 なでしこ会は 「あき夢音頭」を 踊って華を添えました

結果は 井口 栃ノ木チームの連続5年の優勝でした

「久しぶりに おもいきり体を 動かしたちや・・・」

楽しく 遊んだ 運動会はおわりました

また来年も元気で逢いましょう!!

競技の準備 進行など お世話になった元気館 社会福祉協議会の 

職員さん ご苦労様でした ありがとうございました

おしまい


四国八十八ケ所 第五十一番 石手寺

2014年10月15日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

第9回目は 平成26年8月25日 51番から56番の6ヶ寺を巡りました

今回も朝車中では雨・・・が松山に着くと お日さまは出たり入ったりの参拝日和にめぐまれ

最初に 愛媛県松山市石手 第五十一番 熊野山 石手寺 を参詣しました

石手寺は 728年に聖武天皇(在位724〜749)の勅願で 伊予の国主 越智玉純が 

熊野12社権現を祀り 鎮護国家の道場として伽藍を建立し 翌年行基が 

薬師如来像を刻み 本尊に祀って 法相宗の 安養寺と名付け開創されされました

813年 弘法大師が この地を訪れ荒廃した宇を整え 真言宗に改宗 

四国霊場に定められたと伝えられています 寺名は892年 城主河野家に 

小石を握った子が 誕生したのにちなんで 石手寺と改めたといいます 

石手寺 境内図

仁王門までの参道は 回廊になっていて両側に土産店が並び 

俳句や連歌 絵などの額が掛っています

 

仁王門

1318年に河野通継によって建てられた 二層の楼門で 高さ7m 間口三間 横4m

日本最古の建築様式で 1952年国宝に指定されています

左右には 運慶一門の作と伝わる 金剛力士像は県指定文化財です 

また両脇には 信者さん達が うるう年に一度 編み替える 大草鞋が奉納され

健康健脚になると 信仰されています 

仁王門をくぐって正面の本堂は 鎌倉時代末の建立で 国の重要文化財です 

人間の心の中の煩悩を打ち砕くという 大きな五鈷杵が 正面に でんと置かれています

 ご本尊は薬師如来さま 延命 衣食住を満たし 病気を治し 特に眼病に霊験のある 仏さまです

衛門三郎再生の石

824年~834 浮穴郡荏原の郷に 衛門三郎という 強欲な長者がいました 或る日托鉢に来た

僧が 弘法大師であることも知らず 僧の持っていた托鉢を取り上げて投げつけ 箒で打つなど

非常な仕打ちをし 鉢は8つに割れ その後衛門三郎の8人の子供が次々と死んでしまい 

衛門三郎は 悪行の報いと 後悔をし 家をすて 身を忘れて 弘法大師に断りを乞うため 

四国巡拝の旅を重ねます なかなか 弘法大師に逢う事が出来ず 21回目を逆にまわり 

阿波の焼山寺の麓で倒れ その時法大師が 枕元に現れ 衛門三郎と書いた 石を三郎の 

左手に握らせると 三郎は安心して息を息を引き取りました その後 この地方の領主 河野家に

長男が生まれ その子は幾日経っても 左の手は握ったまま 開かず 安養寺で 

祈願をしたところ手が開き 衛門三郎と書いた石がでてきたそうです その石は寺に納められ

 寺名も でてきた石にあやかり 安養寺から 石手寺に改めたと伝わっています

 本堂の左側に 洞窟 都卒大洞

八十八ヶ所霊場と 四十九修行場があり 

本堂右手の大師堂の裏手に抜けているそうです

 

 絵馬堂

天井から沢山の手鞠が吊り下がり 中央に観音さま 

両脇に薬師如来十二神将像が描かれています

大師堂

 右に厄除け 左に合格の大師の 大おしゃもじが置かれ 

開運をすくうと 信仰されています

大師堂右側に 梨帝母天堂(かりていもてんどう)鎌倉時代末の作で 国の重要文化財です

鬼子母神とも言われ 安産や子どもを守って下さる 女神さまが祀られ

妊婦さんは お堂の前の石を持ち帰り 無事に出産した時に 持ち帰った石と

 新しい石を 2個持参して お礼参りをすると言われています

 

一切経堂

お釈迦さまが説かれた 経典をお祀りしています

護摩堂

室町初期の建立で 国の重要文化財に指定されています

不動明王が お祀りされ 大日如来の 使者といわれ 仏道に従わない者は無理やり救済します

 忿怒の顔で  右手に宝剣を持ち 左手に鎖を持ち 厳しくもやさしい 慈悲の仏さまです

弥勒堂

弥勒菩薩が祀られ お釈迦さんの後継者といわれ

未来を救済して下さる 慈悲の仏様です

仁王門をくぐって右手に 三重塔 鎌倉時代末期の建立で高さ約23m 国の重要文化財です

塔の周りには 八十八カ所霊場と 高野山金剛峯寺の お砂袋がおかれ

 四国霊場八十八ヶ所 お砂撫でができます

鐘楼は1333年建立で国の重要文化財

銅鐘は1251年の銘が刻まれた県では 最古のものといわれています

納経所茶堂

仕合せの鐘

 

 

山門前の 小さい川にかかる 渡らずの橋 弘法大師 お道開きの橋です

橋の裏側に 観音様の絵や写経が書かれているため この橋を渡ると

足を痛めると言われています 

  

石手寺は さまざまな縁起の 建物 石仏 記念碑 置物 貼物 掛物が ま~どっさりで 

 お遍路さんも 観光客さんも お参りに忙しい霊場です

つぎ52番札所 太山寺まで 約13km バスで約40分です

 おしまい 

 


安芸市の秋の大イベント

2014年10月12日 | 日記

 

12日のイベントは台風19号の影響で開催中止となり

11日だけの 開催となったため ゴッタ返すほどの大勢の人出で 大盛況でした

会場は 安芸市役所の南側駐車場で  西日本じゃこ サミットエリア

県の安芸総合庁舎南側駐車場で 高知東海岸グルメまつりエリア・ステージ

安芸観光センター駐車場で 安芸市商工フェアエリア での開催でした

 

安芸市じゃこの聖地 第2回 じゃこサミットの会場です。

怪しげな雲と風のもと じゃこ漁バチ網船の大漁旗がはためき 会場を盛り上げていました

  

   

    

  

    

多彩なじゃこ料理が 人気を競っての出店です

人気のお店の前は長い行列です

お気に入りをゲットしたら 飲食テントで 家族と 友達と・・・じゃこグルメを楽しんでいました

1メニュー先着500名さま限定で投票券をもらって 今年のグルメVの投票ができます

 

第4回を迎えた高知東海岸グルメまつりと 豊穣祭会場です

崎市 高知市 南国市 香南市 芸西村  安田町 馬路村 田野町 奈半利町 北川村 

室戸市 徳島県阿南市 福井県大野市 姉妹都市の兵庫県たつの市 安芸市の

みなさんが 多彩な食材でご自慢のグルメを出店され

来場のみなさんは お店をまわりながら さまざまなグルメの食べ歩きを楽しんでいました

 ステージの催しもの 

 

沖縄出身 高知在住のJ-POPバンド ジャアバーボンズ さんのミニライブ

グルメまつりのイメージソングを歌って

若い人も お歳の人も 手を叩き 手を振って乗りに乗って盛り上がっていました

 

    岩崎弥太郎さんの紙芝居         高知県の偉い人に扮している 土佐おもてなし勤王党の ライブ

  

     徳島県から 本場の阿波踊り                 会場ののみなさんも ご一緒に!

 

 こども達による チリモン(ちりめんじゃこの中からモンスター(タコやイカ 他の魚)を探して競いあいました

 探したモンスターを食べるお子さんもいて 褒美ももらって 微笑ましいゲ~ムでした 

グルメまつり限定のキャラクターさん達と記念撮影会もありました

 ステージの呼びもの ちりめん丼の早食い競争です 動画にしましたご覧ください

男性の部 クリックして下さい 

女性の部  クリックして下さい

ステージ ラストは スペインの踊り ギターの生演奏にのって フラメンコの情熱的な踊りでした

 

イベント会場内で じゃんけん勝ちスタンプをもらって豪華賞品をもらうゲームもありました

じゃこの聖地安芸市を全国に発信する グルメまつり でした

おしまい


四国八十八ケ所 第五十番札所 繁多寺

2014年10月09日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第8回  

平成26年7月28日 天気雨   第五十 東山  繁多寺を参詣しました

繁多寺は749~756年 女帝 孝謙天皇(在位749〜58)の勅願で 行基菩薩が 

90cmの薬師如来像を刻み安置したのが 初まりとされています

その後 寺は荒廃 伊予の入道頼義・堯蓮(ぎょううん)老師によって

「光明寺」と号して再興され 810〜824年 弘法大師がこの地を訪れ

 寺に逗留され「東山・繁多寺」と改め、霊場に定めたそうです

繁多寺境内

 山門

 

山門をくぐると 左に 地蔵堂とお地蔵さん

右手に手水場 上段に 鐘楼

梵鐘 と天井絵

鐘楼は1696年 法雲律師という人が 人々から わずかずつお金を集めて造ったそうです。

鐘の表には 本尊の薬師如来の梵字と 「元禄九年(1696)丙子三月」の文字が刻まれ

 裏には歓喜天の梵字が刻まれているそうです 天井絵は近年改修した時 中国古来の

孝子24人の話の 御伽草子の 挿絵24枚が描かれているそうです

鐘楼の左手に  弁天堂

 

本堂の左 石の鳥居と歓喜天堂

徳川四代将軍家綱の念持仏(個人が身近で礼拝するための仏さま)

三体のうちの一つ 大聖歓喜天が祀られていると伝えられ

除災 厄除け 招福 夫婦和合、商売繁盛などのご利益があり 

また 何かを断ちたいとき 歓喜天好物の「大根を絶ちます」と祈願すると

効能があるそうです ただし 約束を守らないと罰がくだるといわれています 

 

毘沙門天堂(別名 多聞天)

七難即滅 七福即生の霊験があり 商売繁盛の福の神さまです

 

本堂

ご本尊の薬師如来坐像は 天平年間(749~756)の

 行基 創建のときの 作と伝えられる秘仏です

大師堂

   

大師堂 本堂との間に 大師銅像  お地蔵さん   法界塔(供養塔) 

 

大師堂と向い合せに 南無興教(こうぎょう)大師像

真言宗の中興の祖と仰がれた覚鑁上人 が祀られています

         

繁多寺は 時宗の開祖 一遍上人(1239~1289)のゆかりの寺として知られています

一遍上人は伊予の名門武士 河野通廣公の次男で 父のすすめで

7歳にして仏門に入り 青年期 繁多寺に 三か月参籠し修行され

上人晩年の1288年 亡父河野通廣から相伝した 浄土三部経を 

この寺に奉納され その翌年神戸 真光寺で五十歳の生涯を終えたといいます

 繁多寺を最後に 8回目の巡拝打ち止めです 

おしまい


四国八十八ケ所 第四十九番札所 浄土寺

2014年10月06日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第8回  

平成26年7月28日 天気雨  第四十九 西林山 浄土寺を参詣しました

浄土寺は 女帝 孝謙天皇(在位749〜758)の勅願寺として 恵明上人が 

行基菩薩が刻んだ 釈迦如来像を本尊として祀り 開創され その後 弘法大師がこの寺を訪れ、

荒廃していた 伽藍を修復して 法相宗から真言宗に改宗して 霊場に定められました 

その後も度重なる火災 兵火で焼かれ 現在の本堂は 

1482年に 領主 河野道宣公によって 再建されたそうです

 

浄土寺境内

仁王門

 

 金剛力士像

 

手水場 その後ろ小さいお堂 弁天堂(音楽 学問 福徳の神さま) 

さらに後ろ 庫裏と納経所の建物

 

鐘楼

  

    仁王門から石段を上がった正面に 本堂              縁先に びんずるさま

ご本尊は 行基作の 釈迦如来 秘仏です

悟りが開け 煩悩が消え 智慧と慈悲の仏さまです

本堂は 1482年に 領主河野通宣公よって再建され

本堂と 内陣にある 一間厨子は 国の重要文化財に指定されています

    

   本堂と大師堂の間に地蔵尊 大師像

本堂右に 大師堂

本堂の左に 阿弥陀堂

阿弥陀堂の前に 愛染堂

愛染明王が祀られ 縁むすび 夫婦円満のご利益があります

団体遍路は なるだけ正面を避け 本堂に向かてお勤めをします

 

正岡子規 句碑

「霜月の 空也は骨に 生きにける」

空也の肉体は 白骨となっても 人々の胸には念仏の教えが 今も生きている

 

 空也上人像(ダウンロード画像)

空也上人は浄土寺に 957~960年の3年間滞在され 上人がこの地を去る時に

村人の願いで 高さ130㎝の 「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏を 

小さな像に表現して 口から出ている象を 自から彫って寄進されたそうです

 像は京都の西国六波線密寺と 国内に2体だけしかなく 国の重要文化財に指定されています 

空也上人は浄土教の先達で 平安時代の中ごろ 諸国を巡り 「南無阿弥陀仏」を

 踊riりながら 唱えて人々に念仏を広め 道・寺・井戸・橋なども造り 人々を救済されたそうです

 

 白象の句碑

「お遍路や 杖を大師と たのみつつ」

 愛媛県温泉郡重信出身の 高野山管長 森寛紹大僧正(白象)が

 ご子息を亡くされ 巡拝されたとき 詠まれたそうです

 つぎ今回の結願寺 50番札所 繁多寺まで 約3km バスで約5分です

おしまい