yurikago-sa

1939年生まれ
ボケないようにパソコン
遊びをします!!

元気ハツラツ交流会

2014年08月29日 | 日記

 平成26年8月28日 高知県老人クラブ連合会 よさこいクラブ高知主催で 

場所は 高知市春野文化ホール 「ピアステージ」 

第3回元気ハツラツ 交流会が開かれました

 元気に過ごすため  日頃から頑張ちゅう 元気ハツラツの仲間が

 歌や 踊り 体操 演奏などを発表し 親睦交流を 深めました 

多くの応援仲間で満杯の会場からは たくさんの拍手カッサイで 会を熱く盛り上げていました

また 協賛の 大塚製薬さんから 熱中症予防の 「水分補給と低栄養予防」のお話があり

来場された みんなにポカリスエットの 思わぬプレゼントもありました 

 

  

      私達安芸老連なでしこ会 「箱根八里の半次郎」       黒潮町コスモスクラブ大方の「花は咲く」

 

     宿毛リフレッシュ歌謡体操「二人傘・満天の瞳(ほし)」  日高村の民謡「お国めぐり音頭・日高音頭」

 

南国市海辺のサロン ミュージックベル演奏「ふるさと・青葉茂れる桜井の・むすんでひらいて」

四万十町窪川コーラス オペラ 「四万十のうた・田植えのうた・実りのうた・祭りのうた」

 

室戸市老連「佐喜浜盆踊り・かもめの水兵さん・黄色いさくらんぼ」

 

       香南市高齢者クラブ民謡体操教室「花笠音頭」          四万十市老連「人生夢太鼓」

室戸市老連 谷岡 壽満子さんの指導で みんなでリズムにのって歌おう!

「きよしのズンドコ節」

フィナーレ みんなで「よさこい鳴子踊り」を踊って ステージは 終了

帰りには配られたプログラムに書かれた番号で お楽しみ抽選のお土産

この日のために 準備運営された スタッフの皆さん ご苦労さま 有難うございました 

(午前の部は出演のため撮れていません 写真は最後尾から撮ったので見苦しい!ごめん!)

おしまい 


唐招提寺・薬師寺・法隆寺(家族旅行 奈良世界遺産と国宝の旅)

2014年08月22日 | 日記

旅行日2日目 昨日カンカン照りだった天気は どんよりの曇り空

8時30分ホテルを出発後 途中から雨 西ノ京・ 斑鳩(いかるが)方面を拝観

最初に 唐(中国)から 来日した高僧 鑑真(がんじん)和上が

創建された 律宗総本山 世界遺産 唐招提寺(とうしょうだいじ)を拝観

 

南大門 1960年に 5間3戸の天平様式で 再建されています

金堂(国宝) 奈良時代8世紀後半の建立

内陣には 像高3mの巨大な三尊が 中央に本尊の 廬舎那仏(るしゃなぶつ)座像

ここにも大仏さん 西方に十一面観世音菩薩立像 東方に薬師如来立像 何れも国宝

ほかに脇士に等身大の梵天・帝釈天立像 須弥壇4隅を守護している 四天王立像も すべて国宝 

 

金堂の後ろに位置する 講堂(国宝)

平城宮の東朝集殿を創建時に朝廷より譲り受け移築し 改装して仏殿にされたそうです

堂内には 鎌倉時代の 本尊 弥勤如来坐像(重要文化財)

持国天 増長天の二天(重要文化財)も安置されています

開山堂

元禄時代に徳川家歴代の霊殿として建立され 現在は鑑真和上の

身代わり像(デプリカ)が安置され ガラス戸越に」拝観 なお日本最古といわれる

 鑑真和上座像肖像彫刻(国宝)は御影堂におわします

宝蔵(国宝) 奈良時代の 校倉(あぜくら)様式の建物 

宝蔵よりひとまわり小さい校倉様式の経蔵(国宝)がありますが 寺が開創されるより

前からあった米蔵を改造した 日本最古の校倉といわれ国宝です

 

 鑑真和上座像(国宝)(ダウンロード画像)

688年 唐(中国)揚州で 生れ14歳で出家 唐で著名な高僧となられ 742年 聖武天皇の

熱心な招きに 来日を決意 当時の航海は 難しく 5度の渡航に失敗を重ね その苦労で盲目となられたが

和上の意志は堅く 753年12月 来日 日本に僧が守るべき戒律を伝え 東大寺で5年過ごされ

大和上の称号を賜り 759年戒律の専修道場を開創 これが律宗総本山唐招提寺の始まりといわれています

唐招提寺で早くもご利益があったのか 雨は止んで 青空がちらちら

        

 次は法相宗大本山 世界遺産 薬師寺を拝観

薬師寺は 飛鳥の地に 660年天武天皇が皇后の病気回復を祈願し

白鳳様式の 薬師寺を創建建立され 平城京遷都時に 現在地に移り 

後に火災などで建物を失い 昭和~平成にかけて 白鳳様式で復興

そのため堂塔等 朱塗りの鮮やかな伽藍となっています

 

 左右に回路が延びた 中門 1984年再建

 東院堂(国宝) 奈良時代に元明天皇の冥福を祈って建立

現在の建物は 鎌倉時代の建築で 堂内には 聖観音立像が安置されています

地上22mの 金堂1976年再建 

奈良時代の仏像 最高傑作の1つとされる 漆黒に輝く 薬師三尊像(国宝)が安置されている

中心に薬師如来座像 右に日光 左に月光菩薩立像が立っている

西塔 朱色の鮮やかな 三重塔 1981年に再建

東塔(白鳳時代の国宝)は改修中 と向かい合う位置建っている

 

大講堂

2003年の再建 正面41m、奥行20m、高さ17mあり 薬師寺最大の建造物

堂内には 本尊に 弥勒三尊(白鳳時代 重要文化財 )

 仏足石 仏足跡歌碑( 天平時代 国宝)が安置され 

平成になって奉納された 釈迦十大弟子も祀られています

東僧防 と鐘楼

聚寶館

玄奘三蔵院への礼門

大唐西域壁画殿と玄奘塔 1991年(平成3年)に建造

玄奘塔には法相宗の始祖 玄奘三蔵の 御骨 訳経蔵(やっきょうぞう)をお祀りし

大唐西域壁画殿には 平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成された

縦2.2m 長さが49m (13枚)の 大唐西域壁画 がお祀りされています

 

 

 旅行メンバー記念写真(1人は車の中でノックダウン)

         

次は豊臣秀長ゆかりの郡山城跡へ

豊臣政権の中ごろ秀吉の実弟羽柴秀長が入城され 大和 紀伊 和泉の中心であった

郡山城は 当時の 石垣 お堀が残り 昭和に再建されたという大手門と櫓 がありました

 

お堀の周りを1周して次へ

        

日本で初めて世界遺産登録の 法隆寺へ

法隆寺は 用明天皇(聖徳太子の父)が病を治すために誓願され

実現されないまま崩御されたので 推古天皇と聖徳太子が 天皇の遺願を継いで607年に 

寺と本尊の薬師如来を造られ 法隆寺(斑鳩寺)を創建したのが始まりとされています

法隆寺境内図 (ダウンロード画像)

 東院の四脚門

始に 聖徳太子 一族が住んでいた跡 東院伽藍(上宮院)から拝観

八角堂 夢殿(国宝)この形のお堂は亡者の霊を鎮める廟堂(びょうどう) 

行信僧都高僧が 大師を偲んで建立 

太子の肖像と救世観音立像(国宝 秘仏)が祀られています

(お借り画像)

救世観音立像は人々から観音の化身と崇められた

太子の等身像として造られているそうです

舎利殿(奈良時代 重要文化財)

太子2歳の春に 合掌された掌中から こぼれ落ちた

舎利を安置しているそうです

鐘楼 (鎌倉時代 国宝)

中宮寺

聖徳太子が 母穴穂部間人皇后(あなほべはしひとこうごう)のために創建したと伝えられ

 日本最古の尼寺 といわれています 本尊に如意輪観音(飛鳥時代作 国宝)が祀られています

東大門(国宝)

中の門とも呼ばれる西院と東院の間に建っています。

 東院伽藍へ行く お坊さんをみかけました

東大門をくぐって 西院へ

中門(国宝)

門の左右に 伽藍を囲むように 回廊(国宝)が延び 飛鳥時代の建造 

門内の左右に日本最古の金剛力士が安置されていますが

雨風にあたり 傷みが激しく補修されています

  

金堂(飛鳥時代 国宝)                            法隆寺 釈迦三尊像(国宝) (スキャン画)                    

本尊に 聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(国宝 飛鳥時代)

太子の父君(用明天皇)のために造られた金銅薬師如来座像(国宝 飛鳥時代)

太子の母君(穴穂部間人皇后)のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)

それらを守護するように 樟で造られた 日本最古の四天王像(国宝 白鳳時代)が取り囲み

木造の吉祥天立像  毘沙門天(平安時代)も安置されています

五重塔(飛鳥時代 国宝)

高さ32.5m 日本で最古の五重塔です

お釈迦さんの遺骨を奉安するための 仏教寺院では最も重要な建物とされています

大講堂から見た 金堂  中門 五重塔

大講堂(平安時代) 仏教の学問を勉強したり 法要を行う建物です

落雷によって一度焼失 990年に再建され ご本尊の薬師三尊 四天王像もその時の作だそうです

聖霊院

1121年に聖徳太子の遺徳を偲び 供養のために造られた仏堂

信仰の対象として初めて人間(聖徳太子)が祀られたそうです

 

  

     大宝蔵院と百済観音堂 平成10年落成        百済観音蔵(スキャン画) 

大宝蔵院には 夢違観音像(白鳳時代) 推古天皇御所持の仏殿の玉虫厨子(飛鳥時代)

蓮池の上に座る金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)を

はじめ 百万塔や 中国から伝えられた 白壇造りの九面観音像

天人の描かれた金堂小壁画など わが国を代表する宝物類を多数安置しています。                    

百済観音堂には 法隆寺に伝わる百済(朝鮮古代の都)から 渡来した百済 観音像(飛鳥時代)は

日本では珍しい八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情は多くの人を

魅了 国宝中の国宝といわれています

 聖徳宗の総本山法隆寺は18万7千㎡の広大な境内に 19棟の国宝の建物 宝物類も 

国宝 重要文化財に指定されているもの2300余点といいます

1400年の伝統をいまに誇り 仏教文化の宝庫として世界の人々の注目です

        

 斑鳩(いかるが)町の 法隆寺を本山とした 聖徳宗の寺院

もう一つの世界遺産 発起寺 

 

法隆寺と同じ 斑鳩町にある 法起寺は聖徳太子の 子 山背大兄王(やましろおおえのおお)が

 606年に聖徳太子ゆかりの岡本宮を 寺に改めたのが始まりとされています

聖徳太子が建立した七ヶ寺の一つに数えられ 1993年に世界遺産に指定され ています

収蔵庫 像高3.5mの十一面観音立像(重要文化財)が安置されています

聖天堂

丁度境内に居た土地の方に 「本堂は?」尋ねたところ

「本堂は焼失 聖天堂に・・その方が お参りをする人が多いから・・・」??

それで ご本尊十一面観音さまは 耐火耐震の収蔵庫・・・ 

講堂

飛鳥時代706年に建立された 高さ24mの 法隆寺と同じく

日本 最古の三重塔(国宝)といわれています 

 はっきり云って 境内は荒れ気味  これで世界遺産?

           

次 斑鳩町の 法隆寺を本山とする 聖徳宗の寺院 重要文化財 法輪寺へ

法輪寺は 山背大兄王(やましろおおえのおう)が 父聖徳太子の病気回復を願って

建立したと伝わっています 

講堂

表門をくぐると整然とした境内が広がる 右に金堂 左三重塔 正面奥に講堂がみえます

講堂は僧が勉強するためのお堂ですが 1960年(昭和35年)耐火耐震の

収蔵庫として改築され 諸仏をお祀りされているようです

 本尊 薬師如来坐像(飛鳥時代)と虚空蔵菩薩立像(飛鳥時代)

十一面観音立像(平安時代) 弥勒菩薩立像(平安時代) 地蔵菩薩立像(平安時代) 

吉祥天立像(平安時代)以上全て重要文化財  他にも 毘沙門天 妙見菩薩 

聖徳太子二歳 十六歳像 法隆寺伽藍図などが安置されています

金堂 1761年に再建 ご本尊をお祀りするお堂ですが

耐火耐震の収蔵庫ができ ご本尊はそちらでお祀りをしています

 

三重塔は 昭和50年に飛鳥様式で再建され

法隆寺 発起寺と 斑鳩三塔の一つに数えられています

旅行2日目 拝観終了

 大和郡山 ビジネスホテル顧客満足度第1位を受賞のホテルへチェックイン

おしまい


平城宮跡・興福寺・東大寺(家族旅行 奈良世界遺産と国宝の旅)

2014年08月19日 | 日記

「あんたくの旅行は 何時も しぶい所へ行くねえ」 「なにせ 旅行のボスが 歴史が好きなもんで」

8月13~15日お盆休みに 娘家族4人と 両おばあちゃんの6人で

古都 奈良の 世界遺産 お寺 神社の たくさんの国宝や重要文化財 巡りをしてきました

1日目 13日午前5時出発 高知道 淡路島を通って 神戸 大阪 奈良へ約5時間 

最初に 世界遺産 いにしえの奈良の都 平城宮跡へ

 藤原京から 710年に 奈良時代の日本の首都 平城京に都を移し(遷都)

南北約5km 東西約6㎞の 都の中央の北端に 政治の中心となる平城宮が造られました

平城宮の遺跡を 特別史跡として保存されています

 

明治~大正時代に文化財保護運動をされた方で 平城宮跡が放置されていた ため

私財を投じて 保存に力をつくされたそうです 大極殿の方を指しています

平城宮の正門 朱雀門

間口25m 奥行き10m 高さ22m 1998年に復元されたそうです

広場の向こうの大極殿 

平城宮跡は東西1.3Km 南北1㎞の広大な地に

大極殿 朝堂院などの宮殿や天皇の住まい 国の役所などが建ち並んでいたそうです

朱雀門から 大極殿まで真っ直ぐで 800mの距離

広場を囲む 歩道は かなりの距離 汗だくで 歩く 歩く

 

左の建物は 第一次大極殿と呼ばれています 天皇の 即位式などが行われた最も重要な建物で

2010年に 間口44m 高さ27mの復元だそうです

右は 天皇様がお座りになる高御座(たかにくら)です

 資料館 歴史館は入館 カット!

        

次は 奈良公園周辺の 社寺巡り 駐車場は どこも 満車の御礼 やっと見つけて 

世界遺産 法相宗 大本山 興福寺へ

興福寺は 平城京遷都がおこなわれた710年 藤原鎌足の子 不比等が創建し 藤原氏の

氏寺として栄え 聖武天皇や 光明皇后(不比等の娘)も堂塔など建立したといわれています

 

公園の石柱のあった道を 進むと  興福寺の 五重塔 東金堂のある 境内に着く

五重塔(国宝)は高さ50m 国内で京都 東寺の塔に次いで 2番目に高く 

5回の焼失 再建を繰り返し 6代目の室町時代の建造だそうです

東金堂(国宝)も 6代目の 室町時代の再建 ご本尊に 薬師如来坐像(重要文化財)

十二神将立像(国宝)四天王立像(国宝)が安置されています

中金堂は再建中

五重塔 東金堂と向き合う位置に 左から 不動堂 南円堂 興善院

南円堂(重要文化財)は江戸時代に 再建され 日本最大の木造八角円堂です

ご本尊 不空羂索(ふくうけんさく)観音像(国宝)四天王立像(国宝)が安置されています

 国宝館

全国の 国宝指定仏象の17%が 所蔵されているそうです

盆休みとあって 国宝館内はかなりの人でした

 

奈良時代の 傑作仏像といわれる 阿修羅立像(国宝)(ダウンロード画像)は

仏教を守る八部衆のひとり 戦いに明け暮れ お釈迦さんに諭され 改心したという

この像は 憂いを秘めた3つの顔と 6本の腕をバランスよく配置したのがいいそうです

大人気 必見中の必見です

         

次は 朱塗りの華麗な社殿が立ち並ぶ 世界遺産 春日大社へ

春日大社は 全国に3000社ある春日神社の総本社であり 奈良時代に 

武甕槌命(たけみかづちのみこと)を茨城県 鹿島神宮から

勧請され平城京の 守り神としたのが 始まりとされています

神が白鹿に乗って来たと伝わり そんなことで 公園一帯は

神の使いの鹿さまが あっちにも こっちにもいっぱい

そして 落し物も・・・

奈良のキュ-トなアイドルと呼ばれている鹿さま

ボスの後について 金魚のフン 春日大社 一の鳥居に着く ここからは表参道

 

参道の左には 決まった間隔で(歩数で測ってみた)露店商がずら~っと 右側は灯篭がずら~っと

露店商が閉まっているのは?一の鳥居から 本殿までどのくらい? 掃除をしている方に聞いてみたら  

午後3じからの開店 2kmはあると・・・長い参道だから つい余分なことを・・・ 

やっと 2の鳥居をくぐる  鹿さまは公園の 森 参道 境内 何処で でも

観光客から おせんべいを いただくのを 楽しみにしています

手水場にも 鹿さま

 一の鳥居から 森の中の参道を ひたすら歩いて1K300m 本社正門の

南門(重要文化財)に辿り着く

幣殿・舞殿

本殿(国宝)は4棟並んで立っていて 祭神には 第一殿に鹿島の神 「武甕槌命」 

第二殿に香取の神「経津主命」 第三殿に杈岡の神「天児屋根命」

第四殿に比売神が祀られているそうですが 拝殿はなく

一般の参拝者は幣殿・舞殿の前で参拝をします

中門

本殿のすぐ前に建つ 高さ10mの楼門 と 左右に伸びている建物を御廊(おろう)といい 

1613年建立され ともに重要文化財です

本殿などを取り囲む朱塗りの回廊(重要文化財)と ずら~っと並ぶ釣灯篭

  

        総宮神社                風宮神社                   一言主神社                  

 春日の森には 本社の神様の他に六十一社の神社があちこちに点在しています

           

次は 世界最大級の木造建築 世界遺産 東大寺へ

 東大寺(以前は金鐘山寺)は奈良の大仏さんで有名 盧舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう)を本尊とする 

華厳宗大本山の寺で 728年 聖武天皇が 亡くなられた皇太子供養のために 建立されたといいます

  

参道脇にびっしり つまって並んでいる露店商

人の流れも 切れることがないほどの拝観の人です

東大寺の正門 南大門(国宝)

鎌倉時代に 重源上人が再建 高さ25,5m 日本で最大の山門といわれています

 

山門の両側に高さ8mの金剛力士像(国宝)が 

人間の頭の位置から上で 向かい合って立ち まさに圧巻です

像は運慶 快慶らがわずか69日で完成させたといわれています

山門から右手に 手水場

中門(重要文化財)1716年の再建です

大仏殿の手前にある楼門で 左右に回廊がのび大仏殿に通じています

大仏殿(金堂)1709年に再建の3代目 正面幅を 創建当時の

3分の2に縮小されたそうですが それでも 幅57m 奥行き50m 高さ48mの

世界で最大級の木造建築といわれています

大仏殿の 軒下の びんずるさんも ハンパじゃない 

なでて病気を治してくれる 撫仏さんも

こんなに大きく高くては 頭も肩も 撫でれません

いよいよ内陣 金銅仏の大仏さま(国宝)盧舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう)を拝顔 

高さ15m世界最大級といわれ 大仏さんを造った当時(奈良時代)延べ260万人の

国民の人達が 大仏造りに 関わったそうです

大仏さんの鼻の穴くぐり

大仏殿の柱の1本に 大仏さんの鼻の穴の大きさ 高さ30㎝ 幅37㎝の

穴があり くぐると厄除けに また大仏さんの 左掌の上には10人の子供が

のれるといわれ 人々に慈悲の光を照らし 悟りに導いて下さるといわれています

法華堂(国宝) 三月堂ともいわれ奈良時代前半の建立の 東大寺では最古のお堂

ご本尊 不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのん)(国宝)高さ 3m62㎝ 3つの目をつけ

8本の腕をつけています 他に堂内に安置されている 3~4mの巨像10体も 奈良時代作で 国宝です

三昧堂(重要文化財) 四月堂と呼ばれています

 

 高台に建つ 二月堂は お水取りが 行われる舞台造りのお堂で

西面に 張り出した舞台から奈良市街が一望できます

 江戸時代に再建された 国宝です

1日目の拝観は終了 市内の会員制のホテルへチェックイン

おしまい


四国八十八ケ所 第四十一番札所 龍光寺

2014年08月16日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝  

平成26年6月22日天気雨  第四十一番 稲荷山 龍光寺を参詣しました

龍光寺は 807年に弘法大師が この地を訪れた時 稲束を背負った 白髪の老人が現れ

「われ この地に住み 仏法を守護し 諸民を利益せん」と告げて姿を消され

大師は、この老人が 五穀大明神の化身であると悟り その老人の像を刻み 堂宇を建て

安置し 本尊の十一面観世音菩薩と 脇侍の 不動明王 毘沙門天も刻み 一緒に安置して

「稲荷山 龍光寺」と号して四国霊場の 総鎮守の寺として 開創したと伝えられています

境内図

 参道の入り口の 鳥居

創建の頃は  神仏習合の寺で 稲荷寺と呼ばれていましたが 明治の神仏分離令で

神社には鳥居が出来   同じ参道 石段を上がって行きます

 

参道の脇には民家が立ち並び お接待の お茶が用意されたり  良心売店などが立ち並んいます

 山門はなく 石段を上りきると 手水場

 

左に 鐘楼があります

鐘楼の右に小さな池があり お地蔵さんが祀られています

池の上段に 納経所 客殿があります

  

納経所の右に 本堂 

本堂は 境内の最も 奥に建っていましたが明治の 神仏分離令で

 稲荷神社の社殿となったため 新たに現在地に建立されたそうです                          

ご本尊は  十一面観音菩薩が安置され その隣に脇侍の 不動明王 毘沙門天が安置されています

 今回の先達さんは 坂東さんです

本堂 大師堂で ご自慢のほら貝を鳴らして 読経が始ります

 

        十三重供養塔                  忠魂碑も建立されています

境内中心の奥まった石段の先に 稲荷神社があります

五穀豊穣 農民の神さまとして信仰され  

 開運 商売繁盛の神さまとしても「三間のお稲荷さん」として信仰を集めています

神社 石段上り口の 右に 七福神の石像

「律義の神 恵比寿様」 「裕福の神 大黒様」 「智恵の神 弁財天」 「和合の神 布袋様」

「大望の神 福禄寿」 「長寿の神 寿老人」の 幸福が授かる 七つの福の神さまが祀られています

 

 

 境内右の端に 大師堂

 大師堂の横 雨にけむった三間盆地を背に 赤いお前掛けの石仏が並んでいます 

 

大師堂の下段に 水子地蔵菩薩像 周りには供養の 

小さな水子像や地蔵像が たくさん奉納されています

水子地蔵は この世に生まれその年に亡くなったり 流産 死産

 中絶などの赤ちゃんを 供養して下さる仏さまです

           

また 寺名の「龍」にちなんだ 「龍の目」の伝説が あります

 龍の目は 直径10センチほどの黒石で 小さな祠に入って 本堂に祀られているそうです

 昔 この地の庄屋さんが 川原で龍に襲われ 腰の刀が自然に抜けて 龍の目をくり抜いたといわれ

 庄屋さんは その龍の目を奉納したと伝わっています
 
つぎ42番札所 佛木寺まで 約4km バスで7分です 
 
 
おしまい

四国八十八ケ所第四十番札所 平城山 観自在寺

2014年08月12日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝  

平成26年6月22日  天気雨 第四十番 平城山山 観自在寺を参詣しました

観自在寺は 「発心の阿波」「修行の土佐」を巡り 悟りを開き 目覚める  

「菩提の道場」として 伊予路の打ち始めの霊場です 

第一番霊山寺から 最も離れた位置にあり「四国霊場の裏関所」といわれています

お寺は 807年弘法大師が 平城天皇(在位806〜809)の勅命を受けて この地を訪れ

1本の霊木から 本尊の薬師如来と 脇侍の阿弥陀如来 十一面観音菩薩の三体を 

一刀三礼で刻み安置し 残った霊木で 「南無阿弥陀仏」と6字を彫り 

人々の病根を除く祈願をして開創され 霊場と定めたそうです

境内図

仁王門

総ケヤキ造りで 200年の歴史があり 愛南町の文化財に指定されています

 

阿吽仁王像

 

仁王門をくぐると 石畳の参道の脇は芝生が綺麗に刈り込まれ 緑の絨毯に

堂宇や石仏が気持ちよく配置されています 先ず 右手に 手水場

次に 鐘楼

 

次に お忘れぽっくり地蔵像

 

そして 親 子 孫 。 

一つ 親 子 孫と三(栄さ)かえる  一つお金がかえる 

一つ福がかえる 一つ病気が引(ひき)かえる  さするとご利益ありです。

 

次に 少し奥まって 宝聚殿(ほうじゅでん)八角堂      その手前にお地蔵さんたちが並んでいます

学業成就・受験祈願の 文殊菩薩が祀られている 宝物殿です

外壁には 七福神のレリーフが飾られています

 

  次に 平城天皇遺髪堂?多分お堂に 変ったのでは ガラス越しに覗いてみました

平城天皇遺髪堂?は違っていました 八角堂の上段参道から右手に入った所にありました

(次に観自在寺を参拝したとき花岡先達さんが教えてくれました)

 病弱の平城天皇は 在位3年で皇位を 実弟嵯峨天皇に譲り 寵愛をしていた 

藤原薬子らの内乱の連座の罪で仏門に入り その時の剃髪した髪が

 この地出身の平城天皇に 仕えていた女官が遺髪塚として埋めたと伝えられています 

4

 

次に 報恩謝徳大師像 

 恩には報い 徳には感謝すべし 

  参道石段を数段上がって  本堂・大師堂の前に 心経宝塔

 弘法大師が 病弱だった平城天皇の病気 平癒を願って 

般若心経を祈稱したという故事にちなんで 昭和53年に建立 

参拝者や全国から寄せられる 写経が奉納されているそうです

 大師堂の 右前に 延光寺 鎮守 篠山大権現が祀tられています

 

                                             仁王門から正面奥に    本堂               内陣

1675年火災で焼失 昭和34年またも 火災に遭い 昭和39年に再建 

鎌倉時代の様式を取り入れた鉄筋コンクリートの本堂です

ご本尊薬 師如来と脇侍 阿弥陀如来 と十一面観音は 2度の火災を奇跡的に免れているそうです

 

本堂の 右に 大師堂

昭和34年 火災に遭い昭和39年に修復され 平成5年にも改築されてたそうです

 

大師堂の回廊では お砂踏み ができます  四国八十八ヶ所霊場を巡り 

満願奥ノ院は 内陣のお大師さんを拝むようになっています

   

     大師堂の前に置かれた 法具左から 独鈷杵         三鈷杵                         五鈷杵    

大師堂 右縁先に おびんずるさん

本堂 大師堂の間に 観世音菩薩像

本堂左手前に 人生訓を染めた手ぬぐい一枚500円 の良心販売

東日本大震災の義援箱もありました。

 

   仁王門くぐって左に 十二支守り本尊             ちなみに私めの 守り本尊文殊菩薩さま                             

昭和53年に巡拝者の希望で 十二支守り本尊を 一石一体造りの八体の磨崖仏を建立されたそうです

 お水をかけてお祈りをします

        

裏関所をあとに 約10分ほど走って ホテルで昼食タイムです  

ホテルに おへんろメッセージ ギャラリー があり  

お遍路への想いが 写生画や 切り絵 写真  俳句 メッセージなど色々寄せられていました

つぎ41番札所 龍光寺まで 約53キロ バスで1時間余り お昼寝タイムです

おしまい 


天狗高原 ハイキング

2014年08月09日 | 日記

7月26日 高知県老人クラブ連合会 若手委員会主催で 土佐市の委員会が 

高知市 南国市 安芸市へ呼びかけて 天狗高原での ハイキングが行われました

 送迎バスで 老々男女52名が参加 ハイキングスタイル バッチシで 空気の澄んだ 爽やかな高原に集いました

ハイキングは  健脚コース組は 天狗の森 散策コース組は セラピーコースの2コースにわかれ

希望のコースを選んで 10:00~ 12:00 2時間の 登山  ウオーキングを楽しみました 

     

 天狗高原のある 四国カルストは高知県と愛媛県の県境にあり

 東西25キロ 南北3キロの広大なカルストの台地です

説明 注意事項などのあと ハイキング 出発

健脚組は 石灰岩 木の根っこが剥きでた かなり急な登山道を登ります

 

                    絶景を眺望できると教えてもらったころから 天狗荘あたりを・・・       天狗荘

  

天狗の森 四国カルストで 最も高い所 1、485mです

  

                       山頂からは 遠くに山々の尾根が連なる 大自然を 眺望     手前の三角山は 鳥形山と云っていました・・・   

   

山頂から  セラピーロードへつづくコースを下って 緩やかな歩道  足元の弾力を考慮してチップが敷かれている散策道を帰りました

昼食はお弁当組は天狗荘で  バーべキュー組は あの黄色のテントで 

 

  

登山にチャレンジした満足感 心地よい汗の後での バーベキュー  生ビールは最高!

   

昼食の後は 7~8月にかけて見頃の ハンカイソウが咲き誇り 自然が つくりだした カルストの大草原を

汗ばむ肌に 時折心地よい高原の風をうけながら癒しの散策をしました

        

天狗の森の登山道で出会った 可愛い お花さん達 名前は右~左です 

   

   

   

    

  

 

 記念写真を撮って 

 天狗高原の ハイキングは お疲れさま ごきげんよう さようなら また逢いましょう

おしまい

 


四国八十八ケ所 第三十九番札所 延光寺

2014年08月06日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 

第7回目は 平成26年 6月22日 39番から43番の5ヶ寺を巡り 今回も雨の参詣となりました

最初に 高知県宿毛市平田町中山 第三十九番番 赤亀山(しゃっきざん) 延光寺 を参詣しました

土佐16ヶ寺の「修行の道場」最後の霊場 延光寺は724年 聖武天皇(在位724〜49)の

勅願により 行基菩薩が諸病救済 厄除けを祈願して薬師如来像を刻み お堂を建立し

本尊として安置し 開創され その後 795年 弘法大師が桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興 

脇侍に 日光・月光両菩薩像を刻み 安置して諸堂を整え 霊場に定められ 911年のころ 

境内の池に棲んでいた赤亀が 海の彼方から銅の梵鐘を背負って帰り 

僧侶たちは これを寺に奉納して 山号 寺名を「赤亀山延光寺」に改めたそうです  

境内図

 

 仁王門

県道から数段の 石段を上がると 単層の仁王門があります

  

阿吽仁王像

 網戸越しに 爪立ち 見上げるようにして 撮ったのがこの始末・・・・

 

仁王門をくぐると すぐ左手に 手水場 蛇口は魚の腹から水を出しています

手水場の 左奥に 鐘楼

国の重要文化財に指定されている 銅の梵鐘には「延喜十一年(911年)歳次辛末

正月九日申午鋳弥勒寺鐘」の銘が打たれ 寺宝として 所蔵されているそうです

 手水場 の右横に 修行大師像

 

仁王門をくぐって 右手に 赤亀の石像                  納経所の左に池があります

            石像は 昭和54年信者さんが寄進されたそうです 池に棲んでいた赤亀が梵鐘を背負って帰ってきた伝説があります

句碑

「おぼろ夜の 赤亀にのる 鐘ひとつ」

本堂

ご本尊は724年 行基菩薩 が安産 厄除けを祈願して 刻んだ薬師如来が祀られ

 795年 弘法大師が刻んだ 脇侍の 日光・月光菩薩が祀られています

(日曜日とあって 大型バス6台 駐車場に入りきれないほどの参拝 境内も一時はごったがえし)

大師堂

大師堂の左 境内の左端 L字型のお堂に 白いお前掛けのお地蔵さんんが

見事に ずら~っと並んでいます

本堂前を右手に行くと 庫裏・納経所があります

納経所のまえは 白衣に(鶴は20番札所の鶴林寺で押印 亀は ここ延光寺で押印)

ご朱印を押してもらう人達の行列です。

  

 本堂に向かって右に 眼洗いの井戸の祠があります   祠の中のお地蔵さんと 霊験あらたかな井戸水

                                     容器持参で霊水を持ち帰ることもできるようです

795年 弘法大師がこの寺を訪れた時 寺は 水不足に悩まされ 大師が錫杖で地面を突くと

霊水が湧き出 「眼洗い井戸」と呼ばれて 眼病に霊験があると信仰されています

   

             眼洗い井戸の前に 水子地蔵      本堂の左 観音菩薩像         苔むしたお地蔵さん興教大師?は仁王門の近く

仏像さんのお顔 それぞれ趣があっておもしろい

 

 

土佐 最後の霊場を後に 「菩提の道場」 伊予路へと向かいます

40番札所 観自在寺まで約30km バスで約40分です

おしまい 


関門海峡 満ぷく大感謝祭の旅(2日目)

2014年08月03日 | 日記

一度は見てみたい 武蔵と小次郎 決戦の地 巌流島 源平合戦の地 壇ノ浦を遊覧(ツアーのキャッチフレーズ)

  ツアー2日目は はじめに 関門海峡クルージングを楽しみました

 

唐戸桟橋に掲げている横断幕です

   

遠く後ろに関門橋   遊覧船から流れるガイドを聞きながら クルージングは唐戸桟橋を出発

 

下関港に自衛艦が 係留 大勢の見学者が並んでいるのが見えました

右は 「はい!からっと横丁」のアミューズメントパークの

高さ60m 海峡のパノラマが 一望できる大観覧車です 

     

  遊覧船の進行方向 左に 巌流島 が見えました 散策道も整備され  周囲1,6㎞の島です    

佐々木小次郎三尺一寸(103㎝)太刀 宮本武蔵 舟の櫂を削った木刀を振りかざし

宙を舞う 武蔵と小次郎の決闘の像が見えます 遊覧船は 巌流島を 回ってUターンします 

 

下関 壇ノ浦町 関門橋の 直下辺りが 源平合戦の 地といわれています

寿永4年(1185)3月2日源平両軍4,000艘ともいわれる軍船が 潮の流れが速く 

変化が激しい関門海峡で合戦 平家は東に流れる潮に乗り はじめは優勢でしたが 

見方の寝返りと 潮の流れが 反対に流れ出したため 平家は敗れたと 云われています

 関門橋と 関門トンネル人道入り口の建物

 前には壇ノ浦古戦場跡の みもすそ川公園があります 

昨夜最高の夜景を楽しんだ 火の山公園 標高268m 山頂へは 

ロープウエイも運行され 展望台には 回転レストランもあります

海峡沿いの民家は3階建の家が多いのが印象的でした

 

赤間神宮 白壁に朱塗りの水天門

源平 壇ノ浦合戦で破れ 二位の尼に抱かれて入水された 清盛の孫 安徳天皇を祀った神社です

水の中の 龍宮城ををイメージして造られています また  平家物語を語る 琵琶法師 耳なし芳一の

伝説もこの地で生まれ 境内には 芳一堂もあるそうです

春帆楼(しゅんぱんろう)

日清戦争の講和条約を結んだ会場です 

伊藤博文公  陸奥宗光公が投宿された宿で 伊藤博文公は 春帆楼の名前も 命名 

豊臣秀吉がフグの食用を禁止して以来、300年経って フグ食用禁止令を解禁し 

春帆楼はフグ料理の 公許第一号のお店だそうです

 

海峡の向こう 門司港 31階に展望室のある 高層マンション「レトロ ハイマート」 と

ズームで拡大すると ブルーウイングもじ (恋人の聖地)が 丁度 開いたところでした

 下関側 左から自衛艦 観覧車 海峡ゆめタワー 高さ143mの展望室は360度のパノラマ

 夜間は季節 曜日によってライトアップが変化し 恋人の聖地に認定です つづいて海響館(水族館)を

右に見ながら遊覧船は唐戸桟橋へ  クルージングは終了です  

       

唐戸桟橋周辺を散策 ボードウォークがされており快適に散策が出来ます 写真左から下関と云えば ふく・・・ふく親子のモニュメント 

下関でも 大人気の龍馬・お龍さん 顔いれてツーショット 日本にキリスト教を最初に伝えた 聖フランシスコ・ザビエルの 

下関上陸記念の碑が建っています 桟橋の近くに唐戸市場があり お魚センターや 青果センター 

食料品センターなどがあり いろいろな食材を取り揃えた 卸市場です 

一般向きにも 直売もされており 活気があふれています 観るのに夢中で 市場の中を撮ってなくて残念!

市場から 外に出ると 名物の「ふぐのフクロ競り」のモニュメントです

 仲買人が 筒状の黒い袋の中に手を入れ  競る人の指を握って値を決めている様子です

 唐戸市場では新鮮な食材で作った 海鮮丼 寿司 揚げ物 ふくの刺身 ふく汁 等のいろいろな

海の幸グルメが 凄い活気で売られており のぞきながら歩いていると ハッポースチロールのお皿とお箸を

持たされる 勢いです 大トロ鮨が一切れ400円 シャリの2倍も大きい海老は200円 揚げ物と」ビールを買って・・・

グルメを買った人達が ボードウォークで 関門海峡を眺めながら食べていました 

       

 食い気の方に熱中して 下関亀山八宮は行きませんでしたが みかげ石の 日本最大の鳥居があり

 「亀山宮」と 書かれた石の額は 畳3畳分もあるそうです

          

次は 萩の 某蒲鉾店で お買いもの 店内に入るなり 何人もの店員さんの

各商品の宣伝の 凄いさえずりに 圧倒されそうでした

      

次は ふくの関 長府観光会館で ふく刺身付「ふく陶板焼き御膳」の昼食

「腹がはって 喰えん・・・」 主人  

 昼食後は各自で 城下町長府 維新のあふれる 町並み 高杉晋作挙兵の寺「功山寺」など散策(ツアーのキャッチフレーズ)

満腹と暑さに参っている主人「おまん(あんた) 行ってきいや・・・」と云う訳で 方向音痴が 一人で 散策

           地図にかじりつきながら・・・

城下町長府は大化の改新の後 長門国の国府が置かれたことから 長府と呼ばれるようになったそうで

江戸時代には 長府 毛利藩5万石の城下町として栄え 幕末には 

時勢を一変させる 維新回天の舞台となったと云われています

 

はじめに 功山寺へ行きました 道路に面して山門があります

功山寺は数々の歴史の舞台となったところで 毛利元就に追われた 周防最後の当主大内義長が

境内で自害されたり 高杉晋作が伊藤俊輔(博文)他をを率いて挙兵したところでもあり

また初代藩主毛利秀元をはじめ 7人の藩主の毛利家のお墓のあるところです

 

功山寺仏殿 鎌倉時代に創建され わが国最古の禅寺様式を残した仏殿 国宝に指定さrています

仏殿の裏に 藩主毛利家のお墓があります

功山寺 書院に 七卿潜居の間(しちきょうせんきょのま)があります

七卿とは、長州藩邸に駆け込んだ 尊王攘夷派の 三条實美 東久世道禧 三条西季 

壬生基修 四条隆謌 錦小路頼徳 澤宣嘉の七人の公家さんのことです

功山寺の境内に「高杉晋作回天義挙像」岸信介書 の銅像があります

1864年長州は幕府に主導権を握られ 三家老の切腹と藩主の蟄居謹慎で幕府に従う姿勢を

示した時 高杉晋作は わずか80人を率いて挙兵 討幕へと導き維新が大きく動き

日本の歴史を変えたといいます  

       

次は 歴史とやすらぎの毛利邸へ 毛利家14代 元敏公が東京から長府に帰り 明治31年(1898)から

明治36年6月に5年もかけて完成し 大正8年(1919)まで邸宅として使用されていたそうです

ご門でございます

 

武家屋敷造りの 母屋でございます

 ご邸宅は こんな間取りになっています

 

一部の部屋はそのまま残されているそうです

明治天皇が明治35年11月に 熊本で行われた陸軍大演習の視察のとき宿泊された お部屋でございます

 

池泉回遊式庭園                              中庭  

純日本庭園の落ち着いた風情を楽しみ  各所には季節の花が生けてあり

おもてなしの心をいただいた 毛利邸見学でございました 

         

思うようにパチリも出来 無事時間内にゴール でも内心 ハラハラドキドキの一人散策でした

ドッキリ! 関門海峡 満ぷく 大感謝祭 2日間 の旅はおわりました

長~~いブログにお付き合いくださいましてありがとうございました

 おしまい