旅行日2日目 昨日カンカン照りだった天気は どんよりの曇り空
8時30分ホテルを出発後 途中から雨 西ノ京・ 斑鳩(いかるが)方面を拝観
最初に 唐(中国)から 来日した高僧 鑑真(がんじん)和上が
創建された 律宗総本山 世界遺産 唐招提寺(とうしょうだいじ)を拝観
南大門 1960年に 5間3戸の天平様式で 再建されています
金堂(国宝) 奈良時代8世紀後半の建立
内陣には 像高3mの巨大な三尊が 中央に本尊の 廬舎那仏(るしゃなぶつ)座像
ここにも大仏さん 西方に十一面観世音菩薩立像 東方に薬師如来立像 何れも国宝
ほかに脇士に等身大の梵天・帝釈天立像 須弥壇4隅を守護している 四天王立像も すべて国宝
金堂の後ろに位置する 講堂(国宝)
平城宮の東朝集殿を創建時に朝廷より譲り受け移築し 改装して仏殿にされたそうです
堂内には 鎌倉時代の 本尊 弥勤如来坐像(重要文化財)
持国天 増長天の二天(重要文化財)も安置されています
開山堂
元禄時代に徳川家歴代の霊殿として建立され 現在は鑑真和上の
身代わり像(デプリカ)が安置され ガラス戸越に」拝観 なお日本最古といわれる
鑑真和上座像肖像彫刻(国宝)は御影堂におわします
宝蔵(国宝) 奈良時代の 校倉(あぜくら)様式の建物
宝蔵よりひとまわり小さい校倉様式の経蔵(国宝)がありますが 寺が開創されるより
前からあった米蔵を改造した 日本最古の校倉といわれ国宝です
鑑真和上座像(国宝)(ダウンロード画像)
688年 唐(中国)揚州で 生れ14歳で出家 唐で著名な高僧となられ 742年 聖武天皇の
熱心な招きに 来日を決意 当時の航海は 難しく 5度の渡航に失敗を重ね その苦労で盲目となられたが
和上の意志は堅く 753年12月 来日 日本に僧が守るべき戒律を伝え 東大寺で5年過ごされ
大和上の称号を賜り 759年戒律の専修道場を開創 これが律宗総本山唐招提寺の始まりといわれています
唐招提寺で早くもご利益があったのか 雨は止んで 青空がちらちら
次は法相宗大本山 世界遺産 薬師寺を拝観
薬師寺は 飛鳥の地に 660年天武天皇が皇后の病気回復を祈願し
白鳳様式の 薬師寺を創建建立され 平城京遷都時に 現在地に移り
後に火災などで建物を失い 昭和~平成にかけて 白鳳様式で復興
そのため堂塔等 朱塗りの鮮やかな伽藍となっています
左右に回路が延びた 中門 1984年再建
東院堂(国宝) 奈良時代に元明天皇の冥福を祈って建立
現在の建物は 鎌倉時代の建築で 堂内には 聖観音立像が安置されています
地上22mの 金堂1976年再建
奈良時代の仏像 最高傑作の1つとされる 漆黒に輝く 薬師三尊像(国宝)が安置されている
中心に薬師如来座像 右に日光 左に月光菩薩立像が立っている
西塔 朱色の鮮やかな 三重塔 1981年に再建
東塔(白鳳時代の国宝)は改修中 と向かい合う位置建っている
大講堂
2003年の再建 正面41m、奥行20m、高さ17mあり 薬師寺最大の建造物
堂内には 本尊に 弥勒三尊(白鳳時代 重要文化財 )
仏足石 仏足跡歌碑( 天平時代 国宝)が安置され
平成になって奉納された 釈迦十大弟子も祀られています
東僧防 と鐘楼
聚寶館
玄奘三蔵院への礼門
大唐西域壁画殿と玄奘塔 1991年(平成3年)に建造
玄奘塔には法相宗の始祖 玄奘三蔵の 御骨 訳経蔵(やっきょうぞう)をお祀りし
大唐西域壁画殿には 平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成された
縦2.2m 長さが49m (13枚)の 大唐西域壁画 がお祀りされています
旅行メンバー記念写真(1人は車の中でノックダウン)
次は豊臣秀長ゆかりの郡山城跡へ
豊臣政権の中ごろ秀吉の実弟羽柴秀長が入城され 大和 紀伊 和泉の中心であった
郡山城は 当時の 石垣 お堀が残り 昭和に再建されたという大手門と櫓 がありました
お堀の周りを1周して次へ
日本で初めて世界遺産登録の 法隆寺へ
法隆寺は 用明天皇(聖徳太子の父)が病を治すために誓願され
実現されないまま崩御されたので 推古天皇と聖徳太子が 天皇の遺願を継いで607年に
寺と本尊の薬師如来を造られ 法隆寺(斑鳩寺)を創建したのが始まりとされています
法隆寺境内図 (ダウンロード画像)
東院の四脚門
始に 聖徳太子 一族が住んでいた跡 東院伽藍(上宮院)から拝観
八角堂 夢殿(国宝)この形のお堂は亡者の霊を鎮める廟堂(びょうどう)
行信僧都高僧が 大師を偲んで建立
太子の肖像と救世観音立像(国宝 秘仏)が祀られています
(お借り画像)
救世観音立像は人々から観音の化身と崇められた
太子の等身像として造られているそうです
舎利殿(奈良時代 重要文化財)
太子2歳の春に 合掌された掌中から こぼれ落ちた
舎利を安置しているそうです
鐘楼 (鎌倉時代 国宝)
中宮寺
聖徳太子が 母穴穂部間人皇后(あなほべはしひとこうごう)のために創建したと伝えられ
日本最古の尼寺 といわれています 本尊に如意輪観音(飛鳥時代作 国宝)が祀られています
東大門(国宝)
中の門とも呼ばれる西院と東院の間に建っています。
東院伽藍へ行く お坊さんをみかけました
東大門をくぐって 西院へ
中門(国宝)
門の左右に 伽藍を囲むように 回廊(国宝)が延び 飛鳥時代の建造
門内の左右に日本最古の金剛力士が安置されていますが
雨風にあたり 傷みが激しく補修されています
金堂(飛鳥時代 国宝) 法隆寺 釈迦三尊像(国宝) (スキャン画)
本尊に 聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(国宝 飛鳥時代)
太子の父君(用明天皇)のために造られた金銅薬師如来座像(国宝 飛鳥時代)
太子の母君(穴穂部間人皇后)のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)
それらを守護するように 樟で造られた 日本最古の四天王像(国宝 白鳳時代)が取り囲み
木造の吉祥天立像 毘沙門天(平安時代)も安置されています
五重塔(飛鳥時代 国宝)
高さ32.5m 日本で最古の五重塔です
お釈迦さんの遺骨を奉安するための 仏教寺院では最も重要な建物とされています
大講堂から見た 金堂 中門 五重塔
大講堂(平安時代) 仏教の学問を勉強したり 法要を行う建物です
落雷によって一度焼失 990年に再建され ご本尊の薬師三尊 四天王像もその時の作だそうです
聖霊院
1121年に聖徳太子の遺徳を偲び 供養のために造られた仏堂
信仰の対象として初めて人間(聖徳太子)が祀られたそうです
大宝蔵院と百済観音堂 平成10年落成 百済観音蔵(スキャン画)
大宝蔵院には 夢違観音像(白鳳時代) 推古天皇御所持の仏殿の玉虫厨子(飛鳥時代)
蓮池の上に座る金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)を
はじめ 百万塔や 中国から伝えられた 白壇造りの九面観音像
天人の描かれた金堂小壁画など わが国を代表する宝物類を多数安置しています。
百済観音堂には 法隆寺に伝わる百済(朝鮮古代の都)から 渡来した百済 観音像(飛鳥時代)は
日本では珍しい八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情は多くの人を
魅了 国宝中の国宝といわれています
聖徳宗の総本山法隆寺は18万7千㎡の広大な境内に 19棟の国宝の建物 宝物類も
国宝 重要文化財に指定されているもの2300余点といいます
1400年の伝統をいまに誇り 仏教文化の宝庫として世界の人々の注目です
斑鳩(いかるが)町の 法隆寺を本山とした 聖徳宗の寺院
もう一つの世界遺産 発起寺
法隆寺と同じ 斑鳩町にある 法起寺は聖徳太子の 子 山背大兄王(やましろおおえのおお)が
606年に聖徳太子ゆかりの岡本宮を 寺に改めたのが始まりとされています
聖徳太子が建立した七ヶ寺の一つに数えられ 1993年に世界遺産に指定され ています
収蔵庫 像高3.5mの十一面観音立像(重要文化財)が安置されています
聖天堂
丁度境内に居た土地の方に 「本堂は?」尋ねたところ
「本堂は焼失 聖天堂に・・その方が お参りをする人が多いから・・・」??
それで ご本尊十一面観音さまは 耐火耐震の収蔵庫・・・
講堂
飛鳥時代706年に建立された 高さ24mの 法隆寺と同じく
日本 最古の三重塔(国宝)といわれています
はっきり云って 境内は荒れ気味 これで世界遺産?
次 斑鳩町の 法隆寺を本山とする 聖徳宗の寺院 重要文化財 法輪寺へ
法輪寺は 山背大兄王(やましろおおえのおう)が 父聖徳太子の病気回復を願って
建立したと伝わっています
講堂
表門をくぐると整然とした境内が広がる 右に金堂 左三重塔 正面奥に講堂がみえます
講堂は僧が勉強するためのお堂ですが 1960年(昭和35年)耐火耐震の
収蔵庫として改築され 諸仏をお祀りされているようです
本尊 薬師如来坐像(飛鳥時代)と虚空蔵菩薩立像(飛鳥時代)
十一面観音立像(平安時代) 弥勒菩薩立像(平安時代) 地蔵菩薩立像(平安時代)
吉祥天立像(平安時代)以上全て重要文化財 他にも 毘沙門天 妙見菩薩
聖徳太子二歳 十六歳像 法隆寺伽藍図などが安置されています
金堂 1761年に再建 ご本尊をお祀りするお堂ですが
耐火耐震の収蔵庫ができ ご本尊はそちらでお祀りをしています
三重塔は 昭和50年に飛鳥様式で再建され
法隆寺 発起寺と 斑鳩三塔の一つに数えられています
旅行2日目 拝観終了
大和郡山 ビジネスホテル顧客満足度第1位を受賞のホテルへチェックイン
おしまい